2025年6月18日水曜日

浪中生、大阪・関西万博を楽しむ!

 浪中の全学年、総勢420人余りが大阪・関西万博の見学に出かけた。17日、昨日の蒸し暑い日で朝、8:30に学校を出発し、16:40には無事に学校に帰着した。引率教員は30名だから先生一人当たりの見守り生徒は14人になる。高校の海外修学旅行の数に匹敵する数値だ。中一からの出発だったから私は中学校等の前の点呼の様子を見て「グータッチ」で生徒を見送った。中学生は元気だ。それに「けれんみ」がないから可愛くて仕方がない。今朝ほど校長、教頭から詳細な実施完了報告を受けたが、会場は人人で一杯だったという。他府県を含めて他校の小中や高校生も多く見かけ、高校生は入場後は自由行動にさせていた言う。 


移動が大変だったとある。大阪メトロあびこ駅から本町乗換で夢洲駅まで一本、全て協会からの指定である。報告書には多数の生徒を地下鉄で引率するのは、生徒の安全確保や他の乗客への配慮等、様々な点で注意が必要であり、「バスでの移動」が可能であればより簡易であったとある。「臨時便」の指定された「優先列車」であったが、複数の学校が乗り合わせている上に、一般の乗客も「強引に乗り込んで来たらしい。」中央線の毎駅ごと、一般客は降りるようにアナウンスが入るが降りる人は殆ど居なく車内は身動き出来なくらいの混雑だったとあった。 



万博会場のパビリオン見学は指定のガンダムパビリオン(GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION)だけであったが、入場はスムースに進んだが、ゲート入場から30分~45分程度しかなく、学年で諸注意の後は東ゲートからパビリオンまでの移動に約30分使うと、実質的に食事時間を含め、ガンダム見学を終えた後の2時間半程度が生徒の自由時間となった。多いところでガンダムパビリオンを含め4つ程のパビリオンを見学したグループもあったらしいが、大抵はガンダムパビリオンのみ、または追加で1つであったと言う。まあ、私の考えは「万博に行ったよ!」という記憶が後世、あれば良いのではないかとも思う。万博は見るところではなく、とにかく一回は行くところかも知れない。今の小中高世代が30、40年後、人との話で行っていないと少々辛いかも知れないから行くと言う理由で良いではないか。( 我々の世代にはもう関係ない話だが。)

管理職の万博見学の印象は次のような総括だった。これが私には大切な情報である。生徒は思い思いの方法で万博を楽しんでいた。グループ単位であちらこちらの散策を行っている光景は良かった。又小さなカップのアイスコーヒーが1450円、小さなカップのアイスが700円、小さなキーホルダーが11500円程といった「万博価格」で、基準3000円のお小遣いでは、生徒によっては容易に買い食いやお土産購入等が出来なかったが、全体を通じて「生徒の喜びが伝わってきた」ため、準備に手間はかかったが実施して良かったと感じているとあった。本当にY教頭先生は準備に消耗するくらい大変だったがこのようなレポートは嬉しい。先生、ご苦労様でした。付き添いの先生方、お疲れ様でした。 

その他「熱中症対策」を徹底したから体調不良の生徒も出ず、興味あるコメントは会場が円形の「大屋根リング」内の為、時間を掛ければ迷うことなく出発点に戻ることが可能なので、迷子になる生徒も出ず、学校が用意したレンタル電話に相談を掛けてくる生徒は少なかった。教員間のやり取りは日常的に学校で使用している「中学職員室」のチャットを有効活用し情報の共有を行った。先生方のレスポンスも非常によくトラブルが拡大する前に終息することが出来たとあった。文字情報がのこるので後からでも確認し、音声電話に比べ情報の共有が容易いとレポートにあった。さすがITに強い教頭であり、デジタル万博見学にはやはりICTが物を言った。このようなスマートな見学をする学校も多くは無いだろう。

2025年6月16日月曜日

外部との連携、外注拡大へ!

 朝一番に入試広報担当教頭と入試広報部長が先週土曜日の14日に行われた第1回中学入試説明会とオープンスクールの詳細な結果報告に来てくれた。二人とも優秀であり、報告を聞きながら、このような人材ばかりだったら「トップは楽で、幸せだなー」と思ったりした。分析と今後の方針が明確に示されており、聞く側に何ら不安はなかった。来年度の中学入試も今年並みの出来上がりが期待できそうである。このように教職員への期待感があるのとないのとでは大きな違いである。PDCAのサイクルが回っているから安心できる。出来る教職員はこのサイクルが身についている。 計画し、実行し、分析し、次へのアクションのサイクルだ。

少し前の6月12日の日経の記事に「学校業務外注拡大へ」との見出しの記事があった。要は良い教員を採用せんが為の苦肉の策で約50年ぶりに公立学校の「教職員給与特別措置法(給特法)」が改正された。当時の田中角栄総理が通称「人材確保法」と言われるように教員の給与は一般の行政職よりも4%高くすべきとした措置法である。この法令化以降、初めて改正されることになった。推進派の文部科学省と財政規律派の財務省が「すったもんだ」の挙句、「教員の残業代を2.5倍」にするという。今残業代の代わりに支給している「教職調整額の4%」を6年かけて毎年1%ずつ上げて最終的に10%にするから2.5倍である。

注目すべきは今後教職員の時間外労働の削減目標を月間30時間を上限にするために「保護者対応などを民間に任せる」との踏み込んだ内容である。教職員業務の外注を促進すべきとあった。色々な議論はあろうが今の処遇では良い人材の確保に不安が残ることは間違いない。優秀な人材は民間会社に就職してしまう。3K,4Kなどと揶揄されている学校の教員の負担軽減のためにはぼつぼつこの辺で具体的行動をとらないと頑張ってくれている教職員に申し訳が立たないというのが私の軸足の基本スタンスだ。その為に学校週休5日制(教職員変則週休2日制)を昨年導入したり、年間ボーナスを4カ月から5カ月に上げたり処遇を改善している。

 千早赤阪村の多聞いちご園のイチゴ、果樹園・農園での収穫物のじゃがいも、にんにく、エンドウ豆などを一部の教職員に順番に配っているが、これらは給料の代わりの「現物支給」でない。今朝も「ビワ」を配った。しかしこれらは従業員たる教職員への「福利厚生みたいな」なものであり、やはり「金銭的年収にて報いるのが鉄則」である。本校は私立学校につき公立の同じく教職調整などの名目ではなくて民間会社として「そのものずばり、残業代を支給している」が今後の基本的な考えは残業代の管理を厳しくするより、半期ごとの賞与・一時金に反映する方がコンプライアンスの意味からも良いと考えている。勿論能力を高めて仕事の処理スピードを上げて早く自宅に帰って欲しいが「困っている生徒と我が子、可愛さの保護者対応」に手を抜く訳には行かないのが私立高校・中学の宿命である。 

今までもそうだったが今後も外注を意識して対応して参る。「餅屋は餅屋」でありその道のプロにクラブ活動の指導をゆだねるのは間違った方法ではない。本校は府内でも最もクラブの数が多い学校であるから必然的に外部指導者の数は多い。「この先の形」は体操クラブで実践しているように民間経営の体操教室と学校との連携方式だと想定して進めているところだ。

2025年6月14日土曜日

中学オープンスクールとPTA全体会議

 遂に来年度入試(令和8年度入試)に向けての学校説明会が始まった。これからが極めて大切な受験生への情報提供の場となる。毎年毎年その年の結果分析をしながら少しずつ変えて計画を練っている。昨年は土曜日が中学校のオープンスクール(第1回入試説明会)で翌、日曜日に高校のクラブ体験を持ってきたが今年はまず中学のオープンスクールを2回に分けて次回は7月5日(土)とした。高校のクラブ体験の1回目は6月21日にセットし次は8月である。 

このように日曜日を避け、極力土曜日の午前中に入れ込めることが出来るのも「学校週5日制」のお蔭である。この間生徒は「Saturday  Something  Special (S)」で自主的な学習をしている。このような光景を見るのは心豊かになります。多様性に富み、皆が頑張っている姿が最も美しいと思う。第一回目となる中学のオープンスクールの参加者の数は2回分の合計数値で昨年を超えており、まずまずの順調な滑り出しと言える。 

私は説明会の様子を伺いに会場にて校長や入試広報部のプレゼンテーションを聴いたが、昨年よりも出来が良かったと思う。中でも生徒のプレゼンが光っていた。後で私は3人を呼んで拍手で賞賛した。素直に、誠実に謙虚に保護者に物言いが伝わってくる。要は一生懸命なのである。管理職の説明も良かったと思う。資料が良く出来ていた。プレゼンには自信も必要だし、大きな責任を感じさせるような発表でなければならないし同時に謙虚さも必要だ。昨年は史上初めて168人、5クラスの入学者を得たが今年も同程度で良い。数を競うのではなくて5クラスで良い。中学はまさに「子飼いの生徒」であり、6年間お預かりするのだから「手塩にかけて」親身になって受け入れることが必要である。その気持ちを保護者にお話しするのが中学説明会の要諦である。 

プレゼンの後は授業体験であるが、同時進行で他の会場を使って「令和7年度第1回PTA全体会議」があり、そこに足を運んだ。ここでは中学、高校のPTA新役員が総出で来られているから学院長の立場で私が種々お話するのであった。中学は校長先生以下体験授業の方に回っていたから管理職は高校のみで対応した。私は話を広く展開して学校の現状と今後の方針を述べる。早め早めにニュースを出すのが良い。折角雨の中をお足をお運びくださったのだから「来て良かった」と思ってもらえるような中身が良い。今日も私は種々お話した。PTA内部では後半はPTAだけで「9月の浪速祭」の中身と体制について話されたみたいだ。本校のPTAは本当に有難く、今の学校があるのも全面的なPTAの協力があったからであり、我々は本当に感謝している。本校にはモンスターは居ない。


2025年6月13日金曜日

吹奏楽部への楽器授与式

 3月27日の吹奏楽部の第16回定期演奏会を今でも思い出すが何か「一皮剝けた感じ」を強く持った。一皮剥けるとはご承知のように試練や困難を乗り越えて、より洗練された様子、あるいはより逞しくなった様子、成長した様子などを指す言葉で良く使われる。それくらい素人の私でも感動を有した演奏会であった。歴代の顧問や外部指導者のお蔭であり、昨日のアラウンドで触れたように音楽監督の万波先生と山城先生に金一封をお渡しして感謝の気持ちを伝えた。 


数年前からこの定期演奏会は「入場料」を頂くようになったが、この演奏会から私の所感は「有料の価値がある」と認めるに至った。16回目の定期演奏会、私が着任して19年目だから直ぐに吹奏楽部を新生させ今日に至っている。私は「立派なクラブになったなー」と感慨深い。吹奏楽部の活動範囲も広がって来ており、「部員の数も何と驚くなかれ、128人」となった。今や堂々たる吹奏楽部である。昨年度はコンクールにおいて大阪府の代表として「関西大会に出場」し念願の全国大会にまで後1歩まで来たと自負している。しかしこれからが苦難の道でありハードルは高い。全員が必ず「全国大会へ」を合言葉に、強い意志と練習に励み、豊かな青春時代を吹奏楽という活動を通して自己実現して欲しいと思う。 

本日はそのような私の思いから今年の楽器授与は金額を一段と上げた。チューバ1台、ピッコロトランペット1台、ファゴット1台の計3台をプレゼントした。更に製作に時間がかかるが別発注でフランスセルマー社にコントラバスクラリネットを現在発注している。何と合計金額は1000万円になるだろう。でも私は神社神道の学校として「海道東征」を重要な学校行事において演奏してくれる吹奏楽部は雅楽部、神楽部と共に「特別支援クラブ」として単に学校のクラブ活動を超えた扱いで今後とも支援していく所存だ。学校法人が出来ることは支援を惜しまず、楽器や装束を揃え、斯界の第一人者であるお人柄の良い外部指導者を招聘することで部員は学校と吹奏楽部に誇りを持ち、頑張ってくれる。




2025年6月12日木曜日

金は天下の回りもの・・「生き金」になるように

 私は自分では意識はしていないが、どうも身近な人々に言わせれば「お金の使い方の名人」だと言う。これは企業時代からだが、学校社会に入っても他校のトップから偶にそのように言われる。中には「先生、お金の貯め方教えて!」と言われたこともある。名人かどうか知らないが、とにかく「お金は良く使う、だから稼がないといけない」。勿論浪費家などではないし「無駄使い」などは合理的な行動基準に生きている人間だから決して意味のないお金の使い方は絶対にしない。しかし自分の責任範囲で手順を踏んでお金を使うのだから誰にも気兼ねは不要だが、お金の話をする時は結構気を遣う。誤解を与えてはいけないからだ。

 

「金は天下の回りもの」という良く使われる言葉がある。お金は常に世の中を回っているものであり、今はお金がなくても真面目に働けば、いつかお金が入ってくるという意味である。良い意味でも、そうでもない意味でも利用されるフレーズだ。金銭は一箇所にとどまっているものではなく、持っている者もいつか失ったり、今ない者もいつか手に入れたりすることを示しており、英語表現では「 Money comes and goes.(お金は来て、又行ってしまう)」だから分かり易い。 

お金にまつわる話は時に「微妙・・・」である。何か背後に悪意みたいな感情を感じる表現も多い。代表的なものは「人間万事金の世の中」「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」「金の光は阿弥陀ほど」「金が物を言う」「金で面を張る」等あるが社会での一般的な感情は「お金から自分を遠ざけて」、「自分はクリーンです」などと言うのがスマートに見える。しかしそれだけでは近代資本主義の世の中を動いていくことは出来ない。お金を稼ぎ、納税し、そして生きて行くため、食べ物を買い、家族を養い、人生を豊かにし、幸せになっていく。要は自立するためである。これらは「世界共通の人間の究極の循環サイクル」であり、教育界でも、どの職業でも全く同じことだ。 

浪速学院も着任当初は貧乏でお金は無かった。しかし金融機関からお金を融資して貰い、それを教育環境の一新と人材の入れ替えを図った。古い年配教員に辞めて貰って若い新教職員の採用に切り替えた。今や90%の教職員は私が専任教職員として採用した先生方である。この間、20年、預貯金には必要最低限のキャッシュだけで財布にお金が溜まったことはなかった。次から次と止まることのない、教育環境の更新工事は「木村建設(株)」などと揶揄もされた。教育環境の一新と優秀な教職員の採用により、結果は徐々に生徒が増えに転じ増え続け、進学実績も上がった。今や100周年時の人数から更に増大し、中高合わせて3380人の在籍生徒数だ。純資産も何と141億円に上った。キャッシュもあれば資産もあるという超裕福な学校に変貌した。「お金を使って、結果を出した」のである。企業で言えば膨大な投資を行い品質の良い新製品を世に問い利益を出したことと同じである。 


私は生徒に還元し、教職員の年収を上げ、結果を出した非常勤の卓越した先生方にも感謝の報奨金を時に出している。このようにお金を使えば、前に本欄でも紹介したように東京湯島天満宮の押見名誉宮司様から1000万円のご寄付があり、先週の土曜日には堀川神社の寳來宮司様からも多額のご寄付があった。まさに「お金は出れば入り、入れば出て行く」という具合の好循環で回っている。お金は「押し入れ」に貯めているだけでは何も意味はない。お金は有効に使ってこそ「生き金」と言われる。生き金にならねば単なる浪費だ。


2025年6月10日火曜日

定時評議員会「役員改選」

 遂に「役員改選の時期」が来た。本日は「定時評議員会」を持った。足掛け1年かけて慎重に人事の検討を進め、人選を行ってきた。そして本日正式に機関決定をした。細かい手順があり慎重に進め、記録に残しておかねばならない。私はこれを実行した。本校の「寄附行為」では任期期間は3年であるが文部科学省の政令と指導により、3年を待たずして任期が2.25年での改選となった。その理由は令和5年通常国会にて、役員の解任・選任手続き及び管理運営制度の見直し等、「私立学校法が改正」された事に伴い、「令和7年度からの施行に対応準備」するべく決定されたからである。このために「寄附行為の変更」が必要となり、本日に至った。私学課の指導もあって府下の私立学校法人も同じ手順で進められ、タイミングは異なるが、令和7年に入ってそれぞれの法人は役員改選が行われたと思う。

今次、私立学校法改正は、相次ぐ大学法人(私立大学・短大を設置する学校法人)の不正事件があり、学校法人のガバナンスを公益法人と同等のガバナンスに改善することが目的で、その骨格が大きく変わった。私立学校法の目的はその第一条 において「この法律は、私立学校の特性に鑑み、その自主性を重んじ、公共性を高めることによって、私立学校の健全な発達を図ることを目的とする」とあり、法律改正によって名実ともに理事も評議員も国民の税金を取り扱う「公人」となったと私は居並ぶ評議員各氏に丁寧に申し上げた。 

まず多くの改正事項があるが本法人で言えば理事と評議員の兼務が不可能になったことだ。考えてみれば当然のことで経営を執行する理事と経営側をウオッチすべき評議員が「二足の草鞋」を履いているようではいけない。又会議への出席率なども監督官庁に報告の義務がある。任期も4年以内となった。本法人の新役員は「理事15名、監事2名、評議員21名」の陣容で今日からのスタートとなった。今次改選で役員を勇退されたお方は総勢9名であり、中には本校理事を何と30年の長きに渡って務められた大阪府神社庁顧問の南坊城先生がおられる。私の盟友である。私は会議の最後に心からの感謝の言葉を述べて経営功労金をお渡しその労を労った。勇退された旧役員は特別顧問、参与として遇し、今後とも大所高所からの指導や助言を頂く。 


私は理事会の互選で理事長に重任され、評議員会で満場一致で賛同承認された。何と就任が平成18年12月理事会だったから通算6期+4/9期で実に19年弱になる。思えば長い年月だったが「あっという間の出来事」だったような気がする。全てを変えて昔の物は「石ころ一個、草一本」無くなった。資産も増えに増えて、神社も校舎も全て一新し、郊外にも極めて多くの教育施設を建設した。多聞尚学館、ふくろうベースボールスタジアム、高天原スポーツキャンパス、至誠寮と多くの宝物を有する学校になった。
 

これらが実現出来た背景には「生徒数の増大」がある。在校生も当時の1000人未満から今や3380人と約3倍になったように、極めて大規模な学校に成長した。これは偏に管理職を筆頭に教職員全員が理事長の指し示す方向に向かって一致協力してスピード感を高め、「自分の持ち場で全力投球」してくれたからである。この総合的エネルギーが「浪速で学びたい」という生徒を増やした。私はまだまだ元気であり、「命を惜しまず」、力を振り絞ってこの学校の為に我が人生を終える最後の一瞬まで燃え尽きる覚悟を本日自らに言い聞かせた。雨も上がり、最後に新旧役員と共に記念の写真を撮った。


           

2025年6月9日月曜日

公立高再編 国が主導?

 昨日8日の日曜日、読売、朝刊のトップ記事(一面の右側上段記事)は「公立高再編 国が主導」「魅力向上へ交付金」とあった。この記事も政府筋が読売だけに流したスクープではないか?どう考えても、まさかこの記事が天下の読売さんのトップ記事にまだ来るとは思えない。「私立校人気へ対応」ともあった。遂に国が地方自治体の責務を肩代わりして交付金まで出すと書いてある。全国約3500校もある公立高校に対応する為に幾らの予算を組むの?本当に出来るの?期間は?優先順位は?色々と複雑な法制化の課題は多いぞ。文科省は「高校教育改革のグランドデザイン(仮称)」と称して年度内に改革計画を出すと言うが・・・。これは反応を観るアドバルーン記事かも知れない? 


記事の中に農業高や工業高などの専門高校への支援を手厚くするともあった。この点は評価できる。私は今後の公立は一部の進学校を除いて、このような専門学校や単位制学校などが主力になるのが良いと思う。又今まで「都道府県任せになっていた」のを取り上げて政府が主体的に改革案を纏めるとあったが、本当にこれが出来るのか、実に疑わしいと私は思う。「人口減社会の中でも地理的アクセスの確保と規模の適正化が必要」と書いてあるが、ここがポイントだ。地図を広げて丁度良い地理間隔で学校を決め、募集人員を的確に定め、単願から複数併願にすれば定員割れなど起こりえない筈だ。半分、期待してウォッチしていきたい。13時からの校務運営会議で私は今後の本校の戦略的対応方針などを話し、意志結集を図った。対公立、対私立間、少子化の中で生き残り作戦を打ち立て、学校を一歩ずつ前進させ「魅力ある浪速」を構築して行かねばならない。少子化生き残り戦争である。


今日は16時から武道館お茶室「洗心亭」にて本校茶道部への「お道具授与式」があった。本校茶道部指導者である表千家の木村宗匠、それにお社中の西田先生以下指導者3人の先生が見守る中で何と44人もの新人に対して結構立派なお道具を授与した。お道具入れ、袱紗、懐紙、扇子、菓子きりのセットである。創部以来このことを実施してきたが今や茶道部は運動部みたいな総勢80人を超える大クラブになった。指導者をもう一人か二人増やさないといけないかも知れない。神社神道の学校として茶道部は大切であり茶道創始者の堺生まれの千利休や茶道に関わるディープな話しをした。話している途中で私は今年中に学院神社への「お献茶」の祭事を実施しようと思い始めた。時期は何時にしようか?どのお宮でもやっている儀式である。それにしても44人の入部は初めてのことであり、総勢80人を超える部員の為のお稽古の場所やお釜、風呂先屏風など急いで追加しなければならない。嬉しい悲鳴である。




2025年6月7日土曜日

少子化、危機的状況

 今日は土曜日、3Sの日であったが、教室手配の関係から「2S(自主勉強)」だけにとどめ、高校は「三者懇」と略称されている「保護者・生徒・担任」の3人で4月以来の学校生活全般と特に「中間試験の結果」を基にフランクに懇談する重要な時間を持った。朝9時に始まり、保護者のご都合の良い時間を選び、出席率はほぼ100%である。私は各教室で行われている懇談の様子を覗きに行き、仲間入りさせていただき、しばしの懇談を楽しんだ。特にお顔見知りの保護者は私の入室を驚きながらも喜んで頂いたみたいだった。このようにトップが顔を見せ「ちゃんと担任と生徒を見てますよ」と言う行動は特に私立では大切である。少子化の中で府内最大の入学者を受け入れている学校として当然の行為だと思う。 


ところで二日前の5日に全国紙は一斉に報じていたが昨年の出生数は初の70万人割れで68.6万人だったという。過去最低の出生率で1.15だった。過去の推計より15年も早く少子化が進んでいる。東京都は0.96、大阪府は1,14だった。最早「危険数値、危機的状況」だという表現も何処かの新聞の記事にあった。抜本的な解決策が見つけ出せない中で少子化が加速度的に進展している。私学経営者としてこのような記事は本当に胸を痛める。国会では夫婦別姓問題などで、どうでも良いような議論に大切な国費を使っているが、このような事を法制化する必要があるか?通称で結婚後も旧姓を使えば良いだけの話で本校でも先生方の中にはいらっしゃる。早く少子化の進展を食い止める方策を決めて国費を大幅に投入せよ!ただ議論だけで傍観し待つだけの国会なら意義はない。 

この国の最大の問題はお米価格問題でも対アメリカトランプ大統領問題でもない。少子化の進展防止だ。結婚や出産は個人の自由だなんだと無責任な評論家みたいなコメントばかりを言っているからこのような事態を招いた。過去との整合性とか不公平とかごちゃごちゃ言ってるからこのような結果になった。経済的不安定さや仕事と子育ての難しさなど少しでも解消できる方策は雇用側に法令で縛り、又カップルや子供に国費を大幅に投入するなど「実験的にやってみなはれ!」と声高に叫びたいと思う。三度の飯を二度にしてでも日本人は耐えられ、現状を変えてきた。今の国難も乗り越える事は出来る。その根底にあるのは「教育」である。日本の教育制度が昭和100年を通じ国力を発展させてきたことは間違いない。政府は「高等学校の授業料完全無償化」に踏み切ってくれた。これで実質的に「小中高は義務教育化」したと思う。この施策も少子化対策になる筈だ。小中高の学校に学ぶ生徒が少ないのでは様にならない。 

今日のブログは珍しく過激になったが、これは今私は「うつ状態」にあるからかも知れない。間違いなく「長嶋ロス」に陥っています。どの新聞や雑誌でもおなじような事を書いている人は多い。それくらい昭和に生きた日本人に影響を与えたお人であった。「おしゃれで何処から見てもカッコ良かった!」。私は足元にも及ばないが残った人生を長嶋流で生きていきたいと思う。今朝の読売新聞の差し込み写真を拝借して最後のお別れにしたいと思う。 


あれほど野球を愛しファンを大切にした人はいなかった。それに努力の人だった。バットの素振り、リハビリ、志を持って諦めず徹底した努力の人だった。私は心の中で誓った。今までも生徒と教職員を愛し大切にしてきたが、今後とも磨きをかけてやっていくことを故長嶋茂雄さんに約束した。基本ワードは「明るく、優しく、おしゃれに、スマートに」だ。鏡に映して自分の顔を見たが「笑顔」がまるで長嶋さんと違う。笑顔をもっと良くして、長嶋さんのお年までこの学校に奉職し、本校で学ぶ多くの生徒を大切にし、学校を更に盛り上げるのだ。その結果、恐れながらも、人から「ミスター浪速(学院)」と呼ばれるようになりたいと思う。



2025年6月6日金曜日

「SafetyBicycle推進校」

 SafetyBicycle推進校」と言う制度と言うか、活動、運動があって、本校は昨日その対象校に指定された。大阪府下の私立、公立高校に対してモデル校?として生徒自ら自転車の安全利用及びヘルメットの重要性について「考え、学び、行動する」ことで交通安全意識を高め、交通ルール、マナー改善を目指す活動である。手を挙げた訳ではないが、昨日大阪府警察本部交通部と府の教育委委員会から担当者が来校され、校長以下自治会役員に対して「指定書」が手渡された。大変結構な事である。今でも私の心には自転車通学における事故やトラブルの心配の種が尽きない。 




今や高校、中学合わせて3380人を超える生徒を抱える大規模な学校になり、内時自転車通学は750人を超えている。丁度良い機会だと思って生徒生活指導部長と共に新校舎周辺の「駐輪場」の視察を行った。大変立派な自転車置き場であり、このような装置を用意している学校は多くはない筈だ。生徒はちゃんと自分の場所に適切に駐輪しており、私は安心した。当初から私は生指部には言っている。ここが乱れたりするのは不吉な兆候であり、生徒指導を欠かしてはならないと。しかし初めからの教員の指導で、その成果として、見事に整列され格納された自転車置き場は壮観な眺めであり、私は安心した。 


今時点では生徒のヘルメット保持は順守事項であるが着用は自主的な判断としている。が、今後の社会情勢の変化によっては「常にヘルメット着用が規則」となる可能性が高まるかも知れない。指定書には「ヘルメット着用を含む自転車安全利用の機運醸成」とあり、この文言の意味を7月の一斉参拝時の学院長講話時に話していこうとI生指部長に予告した。 

昨日夕刻からは市内のスイスホテルで「四代目桂福團治師匠の芸歴65周年・御年85歳」の祝賀会が関西演芸協会推進協議会の主催で行われた。師匠は本校の近隣にお住まいで昨年の浪速祭では弟子の福丸師匠と桂小梅さんの3人で学校寄席を持って頂き、福團治師匠は「子はかすがい」という話を一席ご披露して頂いた。この時のご縁から今回ご招待頂いたものである。今回の噺は故桂米朝師匠から直々伝授さえた「百年目」という人情噺を聞かせて頂いた。お世辞ではなく本当に一世一代の中身の良さであり、250人の出席者の涙を誘った。来賓として来られていた関西落語協会の笑福亭仁智会長は「今まで多くの百年目を聴いてきたが今日のが一番でした!」と後の祝賀会の冒頭挨拶で話されていた。師匠にはご健康に留意され人生100年時代更にご活躍を祈念申し上げます。 

私はこのような祝賀会は極めて多く経験しているが噺家のそれは初めてであった。矢張り芸人さんというのか、スタイルが一般の形とは違っており随所に観察された。中でも「お祝いのお花」を贈ったのだが最近では「胡蝶蘭」が最も多いが、行って驚いたのは生のお花に代わって師匠の署名入り「勘亭流文字のヒノキの銘板」であった。そしてそれを帰りに持って帰れと言われるので私は自分で剥いで持ち帰った。面白い!世の中、色々な形があるなと思った。