本日は職員会議の日でした。先立って理事長・学院長先生は拡大管理職ミーティングを持たれ、現在まで極めて順調にきているが、秋口から年末まで私立学校について死活の問題となる入試説明会が目白押しであり、油断なく、又滞りなく業務を進めるように種々のご指示がありました。
その後建設工事中のNS館の現場に向かわれ、南海辰村建設さんの設計責任者と工事課長さんから詳しく説明を受けられました。今日からコンクリートの打ち込みが始まり、着実に進んでいることに大変満足そうなご様子でした。
本日は職員会議の日でした。先立って理事長・学院長先生は拡大管理職ミーティングを持たれ、現在まで極めて順調にきているが、秋口から年末まで私立学校について死活の問題となる入試説明会が目白押しであり、油断なく、又滞りなく業務を進めるように種々のご指示がありました。
その後建設工事中のNS館の現場に向かわれ、南海辰村建設さんの設計責任者と工事課長さんから詳しく説明を受けられました。今日からコンクリートの打ち込みが始まり、着実に進んでいることに大変満足そうなご様子でした。
私の洋服の上着、左襟には常に「100周年バッジ」が付いている。来年の4月30日までは少なくとも着用する積りだ。これはこの学校を「100年前に創立してくれた先達」と今日まで辛酸の中で「学校を護り存続してくれた多くの先輩たち」への「感謝の気持ち」とこれからも「学校の存続」の為に今日一日を大切にする「覚悟」を表す意味で付けている。今朝も10月1日付けの人事の内示で常務理事と高校校長、教頭同席の下、一人の教員を部屋に呼び入れた。幹部人事であり、まさかこの教員はバッジを付けずに私の部屋に入る事はないだろうなと少し心配したが、杞憂で、やはりちゃんと付けてくれており、私は安堵した。少なくとも今居る教職員と生徒には付けて欲しいと思い、既に全員に配布している。
教職員はこの学校があればこそ、今の生活が成り立ち家族と幸せに暮らしていけている。私から「この人は学校に必要な人材だと」して専任教職員として採用され、少なくとも65歳までは雇用される身になった「恩義」を忘れず、恩の対象は私ではなく、先達と先輩に対してである。感謝とは学校の為に「一生懸命に働く」と言う事だ。さすれば安定した今の幸せは続く。ここは学校だから言い換えれば「生徒の為に」働くということだ。これが「報恩」である。学校に関係ない人々にバッジを付けて下さいと言う訳には行かない。しかし私は学校外ではあるが本校に近い人々には差し上げて時々でも良いから付けて貰う様にしている。例えば同窓生や物品などの納入、学校の行事の遂行に協力いただいている会社関係の人々だ。そのようにして来年4月を迎えたいと思う。
過日串カツだるまの上山会長が自社ビルの屋上に神社を創建した時に私は来賓として呼ばれた。その時に会長と俳優の赤井英和氏に自らバッジを手渡した。彼らは大いに喜び、特に会長はあれ以来、何処に行くときも付けているそうだ。会長は「自分が今日あるのは浪速高校のお蔭」だと何時も言われる。私は嬉しい。その時に赤井夫人から「先生、息子が監督した赤井の映画出来ます。」と言われた。それで「ポスターを学校に持って来なさい」と私は言い、後日上山氏と赤井氏が学校に持参してくれた。母校を頼る卒業生は可愛いものだ。私はこのポスターとチラシを校内に貼って又配った。その映画が今上映中である。浪速高校時代の赤井さんがメインの映画だというのでボクシング部の顧問や生徒にはチケットを学校で手配し鑑賞させている。
昨日大阪日日新聞はこの映画の事を記事にしていた。素晴らしいのは赤井さんの発言である。彼は次のように述べている。「生きていれば何とかなる。昨日でも明日でもなく、今この瞬間を大事に生きる」と。この言葉こそ、神道の教えである「中今の思想」である。私は言いたい、「赤井よ、良く言った!」と誉めてやりたいと思う。過去を悔やまず、明日を心配せず、昨日は昨日、明日は明日の風が吹く、「今を一生懸命に生きよ!」が何時も生徒への講話で述べる言葉であり、赤井さんはそれを言っているのだ。このようにして浪速のDNAは繋がっているのである。忙しくて時間が取れなかったが私は急遽予定を変えて難波の映画館に向かったのである。
前回のアラウンドで私は故、安倍元総理の国葬についてかまびすしい政治家や一部マスコミの大騒動について「恥ずかしい」と書いた。早速昨日の産経は駐日ジョージア大使の言葉として「残念に思います。たった一人でも国外からの来賓があるならば、国民が一丸となって対応することが日本の懐ではないでしょうか」と伝えている。又「故人に対する目に余る言動に胸を締め付けられています」とも。更に法的根拠や費用などについて「問題があるなら機会を改めて吟味すべき」と述べ、「今は政治ではなくて日本全体の姿が試される局面」と続き、最後に「悲惨な死を迎えた安倍元総理の英霊を敬い、歴史に残る国葬となる覚悟で出席」されると言う。全く大使のお言葉通りであり私は心を打たれた。極めて多くの他国の責任ある人々から哀悼の誠を捧げる為に来日されるような故安倍総理の国葬を時の内閣が決定したのだから、国民はそれを受け入れ、国葬が済むまでは静かに待ち、安倍晋三氏を見送るべきだと思う。それが「日本国民の懐の大きさ」ではないか。今のままでは諸外国から「心の狭さ」を軽蔑されるかも知れないことを私は恐れる。
日本の懐、日本国民の懐と書いたが、「私立高校にも懐はある」。確かに法治国家として法の下に我々はあるのだから法を順守することは当然である。公立学校に比べ私立はその建学の精神と独立が尊重された「私立学校法」がある。その枠内で公立学校に出来ない「懐の大きさ」を示すことは有っても良い。それ故に私立学校だとも言える。先週土曜日の10日に私は市内生野区巽にある「アインス体操クラブ」を訪問した。我が人生で街中の体操教室を訪問するなど初めての経験であった。この株式会社組織の体操教室と連携して私は4年前にクラブに体操部を作った。このクラブが創部4年で、全国中学校体操競技会で6位に入賞した。素晴らしい成果であり、これを記念として古くて劣化している最新の「鉄棒競技の器具一式を貸贈する」ことを決めその式典をかねて訪問したのである。
この教室からは多くの生徒が浪速中学校に入学してくれており、本校の国語科のS教諭の存在の大きさが今日をもたらした。先生はこの教室で体操を学び、あの日本を代表する清風学園でアインスの代表である冨岡先生と共に体操競技に汗を流したお人である。日本においては体操は国技の一つとも言うべきスポーツであり今でも国民の人気は高い。多才な彼を私は専任教諭として採用以来「体操部を作れ、作れ」と言い続けて来た。アインスさんと連携してようやく形が整ったので「私立学校の懐の大きさ」をお土産に訪問させて頂いたのである。式はS先生の司会で16:00より始まり、以下のような進行であった。
1. 浪速学院 理事長・学院長 木村智彦 鉄棒貸贈の挨拶
2. お礼の言葉 アインス体操クラブ 代表 冨岡直彦
3. お礼の言葉 浪速中学校 主将 ●● ●●君
4. 全中激励金進呈(中村校長より ●● ●●へ)
5. テープカット(理事長・冨岡・●●3名鉄棒のところに移動)
6. 模範演技 浪速中学校 〇〇 〇〇君
教室は広くて立派であり、多くの体操器具が揃っていた。そこには多くの保護者と生徒が居並んでおり、代表の御父上も清風学園卒業の有名な体操の指導者であり、ご挨拶させて頂いた。そして全保護者にお土産としてNaniwa Bullベーカリーのパン10個詰め合わせをプレゼントし、会場を後にしたのである。体操の器具一式の貸贈は「浪速学院の懐の大きさ」だと思って貰えば良い。勿論費用の出どころは税金の入っていない神社庁や外部からの「寄付金」を充てている。
英国のエリザベス女王が「崩御」された。個人的にも深い悲しみを感じている。これほど威厳があって国民は言うに及ばず全世界の人々から敬愛された「存在感ある女王陛下」は過去居なかったように思う。日本のご皇室とも永い、永い、ファミリーな関係が継続されており、天皇陛下始めご皇室の方々もお悲しみの中におられると思う。今我が国では故、元安倍総理の国葬問題で揺れ動いているが英国は間違いなく世界に恥じない見事な国葬で御在位最長の女王陛下をお見送りされるのではないか。安倍さんの国葬で野党や一部マスコミはこぞって大騒ぎしているが、本当に情けない。私は英国と日本の、その違いが恥ずかしと思う。日本と言う国の劣化を感じてならない。そのような日に偶然であるが本日英国から訪問者があった。朝、私は執務室にお迎えし、冒頭、学校を代表して「お悔やみの言葉」を述べた。勿論英語でなければならない。慎重で丁寧な言い回しが求めれるので、言葉を選択し、ゆっくりとした口調でお悔やみを申し上げた。そして正門に弔旗を掲げた。
ご来客は英国の南西部にあるデボン州のプリマスという歴史ある港湾都市の市立大学のリクルートの責任者である。ここは1620年にメイフラワー号が新大陸のアメリカに向け最初に出発した港で知られている。訪日の目的は日本の学生の招致であり、元大学で教鞭をとっておられた能力高い女性のお方と見えた。コーディネイトにマレーシアと台湾のエージェントが付いており、「日本市場を開拓しよう」という、その積極性が素晴らしい。初めての日本と言う事で日本でも多くの大学や高校を回るのであろう。国際的に今や留学生徒の募集や自国の大学に海外の高校生を招致する機運は高まっている。このような時代になったのである。あの大英国から大学生や留学生を広く海外に広報宣伝する時代になったということだ。この面で日本は本当に遅れている。自称、国際派としては世界に取り残されるという危機感を有している。
私は彼女に対して是非とも英国の南西部に位置する伝統ある港湾都市のプリマスの市立大学に何時かの時点で生徒を送る努力をするのでその時は宜しくと踏みこんでお願いした。英語発祥の地であり、国際政治の表舞台の主役の一人である英国で学ぶことは、生徒にその後の人生に大きな効果を生むことは間違いない。そのようになったら彼女は「私が手を挙げて面倒見るわ」と言ってくれた。浪速国際コースを作って4年、時代の先頭に立っているこのクラスからアジア、英国、カナダ、米国、欧州などに留学する生徒が早く生まれる事を期待致したい。大変に忙しい旅程であるが高校校長と是非に昼食を摂って頂きたいと私からお願いし実現した。「同じものを共に食する」ことは大きな友好関係を生み出す。お昼時分には「飯を出す」、この事が日本の誇る「おもてなし」である。私からは「天孫降臨」焼酎をお土産に、校長からは学校のシンボルである盾が贈られるであろう。これが浪速の誠である。
今朝は午前9時、最初に国際興業タクシーさん幹部二人が来校されてご挨拶を受けた。定期的にこのようにして課題と言うか「運行に関して何か問題はありませんか」と聞かれる。恐縮してしまうが大変立派な行いである。本校は私の専用車と教職員、保健室などの車手配の要件が発生した時には全てこの我孫子にあるタクシー会社さんにお願いしている。生徒の使う「大型バス」もまず国際興業さんに優先的に照会する。今コロナでタクシー業界も大変だが地域に密着した会社さんと「互恵」の関係を持つことは重要で何かあれば直ぐに車を寄越して貰える。今後とも良い連携を続けて行きたいと思う。
今日は2年振りに「塾長様対象の入試説明会」があった。昨年はコロナで実施できず、残念極まりなかったが、今年は実施した。私立学校にとって塾業界から得られる情報と連携は極めて有益であり、上手く回転していくことは私立にとって死活の問題となる。今日の塾に対する説明会は今後12月末までの「キックオフ」であり、10月以降ほぼ土曜日は高校、中学それぞれ単独で入試説明会となる。これらは高校においては飯田校長から中学は中村校長からの説明となるが今日の塾長先生方には理事長・学院長たる私からのご説明である。映像を使って「100周年 浪速が目指す教育」として冒頭のプレゼンを行った。久し振りの出番で身体の血液が速度を上げて巡るようで大変に心地好かった。私はプレゼンが本質的に好きなのかも知れない。
浪速100年であるが大切なことは過去ではなくて「今と将来」であり、これに力点を置き15分間の持ち時間が終わった時に、大きな拍手を頂き恐縮した。その後のICT教育推進部長のS先生、続いた進路指導部長のI先生の話も具体的で大変に良かった。二人ともプレゼンが上手い。それは中身が良いのと自分の仕事に自信があるからだ。そして生徒による学校生活のプレゼンも真面目で誠実でインテリゲンチャ―を感じさせる素晴らしいものだった。文武両立を図ることの出来る学校だと言うことが塾長先生に間違いなく伝わったと思う。理事長のプレゼンの最後のまとめである「グッド・スクルール実現」がまさに生徒の口から塾の先生方にお伝えすることが出来、私は歓喜に近い形で今日の説明会の中に身を置いたのである。
その後私は千早赤阪村の地元のブドウ業者さんの所に行き千早赤阪村産のブドウ「巨峰」をゲットした。「地産地消」である、本校と千早赤阪村は多聞尚学館、多聞茶寮、いちご園、多聞楽舎、多聞果樹園・農園と深い関係があって、このように地元産業の育成支援に微力ではあるが後援している。4パックで一箱、合計35箱を購入した私は、これを近隣のお世話になっている方々と事務室、入試広報部のメンバーにプレゼントした。これは有る面「福利厚生的」なものであり、教員に比べて少し給与格差のある事務関連の勤務員に対する「心遣い」かも知れない。ブドウは多くの玉を持ち、来年度もこのブドウのように多くの生徒が来てくれると嬉しいなと思いながら学校に戻った。今日は気温も幾分低く、心地良いドライブとなった。
私はとにかくクラブへの支援を惜しまない。私のやり方は「口だけ」ではなくて具体的かつ実践的な事であろう。お金に余裕があるわけではないが資金は順序立てて積立、まず「練習場」を確保することである。それも「機能的で、いささか豪華に」だ。さも”用意しました然”とした、ありきたりな風情の練習場所など作る気は全くない。今までの日本の高校で観たことの無いような設備・施設を造る。本校が将来財政的に窮し、いざとなれば他者に対して高価に売却できるくらいの物を作るという気概の哲学である。空手、柔道、剣道、弓道、雅楽、神楽、茶道部の為の複合施設である「浪速武道館」が最初だった。次いで硬式野球、軟式野球の為の「ふくろうスタジアム」、そしてサッカー、ラグビー、アメリカンフットボール、陸上競技の為の「乾坤一擲ドリームフィールド」と進め、ここにはテニスの「八咫烏テニスコート」が5面あり、今年は「産土ゴルフ練習場」が完成した。
運動部は分かり易いが大切な事は文化系クラブへの支援だ。運動が出来なくとも文化部門で才を発揮する生徒は多い。茶道部、華道部、雅楽部、神楽部、吹奏楽部の基幹クラブに加えて本校には全国レベルの放送部などがある。また近年では鉄道研究部が大活躍で南海鉄道さんの町興しの為の大きな大会で特別表彰され、電車の1両目にヘッドマーク看板が飾られることになった。それ例外にも活躍しているクラブは多い。中でも私は本校の建学の精神にのっとり、茶道部の事を常に気にかけている。100周年には「学院神社へのお献茶式」を本校茶道部によって行いたいと考えている。表千家お家元から頂いたお茶室の銘「洗心亭」にて生徒は頑張ってくれているので、過日は私はお稽古道具の授与式で激励したところだ。指導者はお家元直系の高弟、木村雅基宗匠でNHK教育テレビに良く出られている。昨日は本校出入りの堺市の茶道具屋さんの出であられ、表千家でも今や格段高級レベルの方々の指導者であられるK先生が見えられ、暫くお茶談議に時を過ごした。このお方もお家元の直弟子である。
最近私は滋賀県の大津市で開窯されている陶芸家の安田道雄先生宅を訪問し一つの茶碗をお譲り頂いた。先生は高麗茶碗では名の良く知られた先生で特に井戸茶碗では私の知るところ、大一級の研究家であり作陶家であらせられる。「一井戸二楽三唐津」と言われるお茶人垂涎の井戸茶碗作りに何年も挑戦されている。又人格的にも素晴らしいお方であった。得た茶碗は国宝の「喜左衛門」倣いである。国宝に倣ったこのお茶碗を使って茶道部は「茶道の真髄」を体感して欲しいと思う。今産経新聞は「利休生誕500年」として特集記事を出しているが、「織豊時代」に始まったお茶の歴史は今に繋がり、日本文化の根底となった。紆余曲折があったが明治維新を切り抜けた茶道は今日でも「おもてなしの心」を日本人に伝えている。調べてみると学校教育に茶道を取り入れた最初の学校は東京神田の「跡見学校(後の跡見女学校、現在の跡見学園女子大)」であると言う。
創立者の跡見花蹊(かけい)は大阪の西成の裕福な家に育ち、女子教育の中に茶道を加えた最初の学校人である。令和3年の茶道人口は約92万人で内、男性が18万人、女性が74万人と言う。10年前から見れば男性が2万人の減少、女性は何と、何と76万人減と半減している。神道と縁深い茶道人口減少をいささかでも食い止めるために本校の茶道部と共に頑張らねばならない。私は徹底して茶道部を応援する。その為に自ら生涯最高だと自負できる「木村井戸茶碗」を茶道部に残すべく、時間を見つけては粘土と闘っている。最近「電気窯」を入手した。出来るかどうか分からないが最後まで頑張りたいと思う。師匠は名人陶芸家の安田先生にお願いし快くお引き受け頂いたのである。
「備えあれば憂いなし」と言う言葉がある。「前もって準備していれば心配する必要はない」という意味の故事成語だが、このような諺は中国の書物に由来する表現が多い。我々は普段から良く使う言葉であるが実は数千年も前にあった言葉である。これも古代中国で書かれた2つの書物からで、場合によっては「備えあれば患いなし」と表記されることもある。私は今日午前十時から午後13時までホテルニューオオタニにて「自衛隊からの感謝状」を頂きに参り、その後「中部方面総監の講話」と「大阪地方協力本部67周年記念祝賀会」に参列した。特に印象に残ったのは陸将閣下の講演で常日頃聞けない防衛を巡るお話を聞けた事だった。単なる防衛の理念などではなくて実際的で具体的な話は人を深く考えさせる。この1時間の講話で私が得た結論は「国を守る、家族を守る、自分を守る」も全て備えあれば憂いなしと言う事だ。当たり前の事だが案外とこれが難しい。
口で言うほど簡単な話ではないことは分かっているが、一旦事あった時に「心の備え、物的備え等々」があればその時に慌てる必要は無いし、アタフタとしなくて済む話だ。当然備えには緩急がある。人間は時に「想定を超えて」と言い訳するが、それで家族を悲しませたことへの免罪符にはならない。備えが無いと対応に苦慮し、時には失敗の選択も有り得る。考えて見れば「人生そのものが備えに対する連続した生き方」かも知れないと感じた。「学校で勉強するのも将来への備え」である。会場からとんぼ返りで学校に戻ったが、そこでは浪速中学校の「プレテスト対策講習会と入試説明会」が行われていた。これは学校側からすれば来年度入試で入学者を確保するための「備えの企画」であり、受験生からすれば入学試験に合格するための模擬テストでありこれも「合格への備え」であろう。
中学校の校長先生のプレゼンはしっとりと聞かせたし、生徒によるプレゼンも格段に印象深かったと思う。特に浪中から浪高に進学した生徒がプレゼンに入っていたのは特筆すべき事項で素晴らしかったと思う。私はこれらの会場を回りながら教職員と生徒が一体となって自校に誇りを持ち、胸を張って受験生に語り掛けている姿に感動し、涙した。会場から帰る途中に教員がお土産の炊き立てパンをカートに乗せて急いでいる様を見て「焼き立てパンコーナー」を6階のレストランに創設して良かったなとつくづく感じた。来年は創立100周年だ。着任以来今日まで私がやってきたことは「少子化の進展の中でも浪速学院の存続を願い、その備えをする」ことだった。備えれば患なしである。今は苦しくとも将来のより苦しい局面を考えた時に今やれることをしっかりとやるしかない。それをやりきったところが結局は生き残れる。「備えよ!」だ。