2025年6月12日木曜日

金は天下の回りもの・・「生き金」になるように

 私は自分では意識はしていないが、どうも身近な人々に言わせれば「お金の使い方の名人」だと言う。これは企業時代からだが、学校社会に入っても他校のトップから偶にそのように言われる。中には「先生、お金の貯め方教えて!」と言われたこともある。名人かどうか知らないが、とにかく「お金は良く使う、だから稼がないといけない」。勿論浪費家などではないし「無駄使い」などは合理的な行動基準に生きている人間だから決して意味のないお金の使い方は絶対にしない。しかし自分の責任範囲で手順を踏んでお金を使うのだから誰にも気兼ねは不要だが、お金の話をする時は結構気を遣う。誤解を与えてはいけないからだ。

 

「金は天下の回りもの」という良く使われる言葉がある。お金は常に世の中を回っているものであり、今はお金がなくても真面目に働けば、いつかお金が入ってくるという意味である。良い意味でも、そうでもない意味でも利用されるフレーズだ。金銭は一箇所にとどまっているものではなく、持っている者もいつか失ったり、今ない者もいつか手に入れたりすることを示しており、英語表現では「 Money comes and goes.(お金は来て、又行ってしまう)」だから分かり易い。 

お金にまつわる話は時に「微妙・・・」である。何か背後に悪意みたいな感情を感じる表現も多い。代表的なものは「人間万事金の世の中」「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」「金の光は阿弥陀ほど」「金が物を言う」「金で面を張る」等あるが社会での一般的な感情は「お金から自分を遠ざけて」、「自分はクリーンです」などと言うのがスマートに見える。しかしそれだけでは近代資本主義の世の中を動いていくことは出来ない。お金を稼ぎ、納税し、そして生きて行くため、食べ物を買い、家族を養い、人生を豊かにし、幸せになっていく。要は自立するためである。これらは「世界共通の人間の究極の循環サイクル」であり、教育界でも、どの職業でも全く同じことだ。 

浪速学院も着任当初は貧乏でお金は無かった。しかし金融機関からお金を融資して貰い、それを教育環境の一新と人材の入れ替えを図った。古い年配教員に辞めて貰って若い新教職員の採用に切り替えた。今や90%の教職員は私が専任教職員として採用した先生方である。この間、20年、預貯金には必要最低限のキャッシュだけで財布にお金が溜まったことはなかった。次から次と止まることのない、教育環境の更新工事は「木村建設(株)」などと揶揄もされた。教育環境の一新と優秀な教職員の採用により、結果は徐々に生徒が増えに転じ増え続け、進学実績も上がった。今や100周年時の人数から更に増大し、中高合わせて3380人の在籍生徒数だ。純資産も何と141億円に上った。キャッシュもあれば資産もあるという超裕福な学校に変貌した。「お金を使って、結果を出した」のである。企業で言えば膨大な投資を行い品質の良い新製品を世に問い利益を出したことと同じである。 


私は生徒に還元し、教職員の年収を上げ、結果を出した非常勤の卓越した先生方にも感謝の報奨金を時に出している。このようにお金を使えば、前に本欄でも紹介したように東京湯島天満宮の押見名誉宮司様から1000万円のご寄付があり、先週の土曜日には堀川神社の寳來宮司様からも多額のご寄付があった。まさに「お金は出れば入り、入れば出て行く」という具合の好循環で回っている。お金は「押し入れ」に貯めているだけでは何も意味はない。お金は有効に使ってこそ「生き金」と言われる。生き金にならねば単なる浪費だ。