2026年4月6日月曜日

さくら満開の「中高合同入学式」

広いと言われている体育館が本当に広く感じられた。高校で24クラス、中学も一クラス増えて5クラス、合計で29クラスの1243人の入学式になった。昨年と同じく、これほど生徒が多いのかと今更ながら感じられるような中高合同の入学式となった。勿論、保護者は会場に入りきれないから各教室に分散してテレビ同時中継である。そして各ご家庭には「ユーチューブでの配信だからおじちゃんやおばあちゃんは孫の姿をテレビ画面で追ったと思う。言いようもない位の安定感と高揚感が満ち溢れた入学式になった。私は今から103年前の大正12年(1923)、430日に沢ノ町の仮校舎で204人の生徒で第1回目の入学式を行った旧制浪速中学校の時代を想像しながら感慨にふけり、「今を生きている幸せ」を感じた。

 

学院神社前に勢揃いした「神前奉告」で、新入生が立ち並んだ光景は生涯忘れ得ない一幅の絵画で、私はこの光景を目に焼き付けた。生涯忘れ得ないだろう。入学式と言えば桜がつきものだが、神社前の左右の桜の木はまさに満開で花びら一つ落ちてはいなかったが式が終わった午後になると風に乗って花弁は神社前の境内にチラチラと落ちて行った。まず飯田高校校長先生と西田中学校長先生が壇上から入学を許可する旨の宣言がなされ、その後中高の生徒代表が「宣誓」をし、次に私が登壇し、理事長・学院長として「式辞」を述べた。

もう完全に頭に入っており、今朝、少し推敲して頭の中を整理し語り始めた。そう、「喋りではなくて語り」なのである。しかし実際語り始めると話しの展開は筋書通りであるが、時には割愛したり加えたりして、生徒が集中して人の話を聞くように、飽きさせないように起伏に富んだ抑揚を心掛けた。「何時ものことである」。加齢と共に私の話は声に抑揚が大きくなったり、身振り手振りが多くなったりして、これはもう「スピーチとか喋り」ではなくて間違いなく「語り」であると自覚した。今回も自然に生徒と保護者に「熱く」語りかけるような話し方となった。全身全霊で私は何時も勝負をするが、入学式の式辞に最も力が入る。 


今朝になって「今までと同様に」式辞の最中に「あっ、そうだ!やはりあの曲をBGMに流そう」と決めた。それは松山千春さんの1977年にリリースした最初のアルバムの中の「大空と大地の中で」という曲である。何時かは止めよう止めようと思っているのだが、その時になると虫が動き出す。私が校長兼務時代から今日まで良くBGMとして遣わさせて頂いた曲で、特に歌詞が気に入っている。私の式辞の云いたい部分、神道の教え、建学の敬神、生徒への励まし、応援などを実にこの歌詞は上手く表現してくれている。流し始めた時に、会場は少しざわめいた。入学式の学院長式辞にBGMが流れるのも本校くらいだろう。

果てしない大空と 広い大地のその中で

いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう

歩き出そう明日の日に 振り返るにはまだ若い

ふきすさぶ北風に  とばされぬよう とばぬよう

こごえた両手に 息をふきかけて

しばれた体を あたためて

生きる事がつらいとか 苦しいだとか言う前に

野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ(以下略)