2024年4月30日火曜日

あの日から1年、そして更なる改革の元年へ

 人間、誰しも楽しかったこと、嬉しかったこと、思い出になったことなど「もう一回」と思うものだと言う人は居るが、私は決してそうではない。「もう良い!十分経験した」と思う。二度と同じことはしたくない。おそらく全力で当たり、「やり切ったという思い」がそのように思わせるのだと思う。「1年前の今日、4月30日は開校100周年当日」にあたり、その前の1年間にわたる準備期間や当日の雨模様の天気、果たして設計通りに全ての式典は進むのだろうかなど色々と「気を病んだ」。しかし学院神社の神様からのご加護を頂き、奉祝祭の始まる前には雨も上がり、全教職員が一致協力し「パーフェクト」に「奉祝祭、新校舎建設宣言、記念式典、祝賀会」と4企画を流れるように見事に終える事が出来た。普通は完全にやり切ったとは言わないものだが私は言う、「完全試合」で勝利したと。あの日から丁度1年が経過し、今でも私の身体にはあの日の熱い血潮が時々湧いて流れているから、もう二度とあのような「大事」を、あのような「慶事」を自分の手でしようとは思わない。だから後輩には「やりたかったら次は開校150年くらいだね?」と遺言している位だ。100年をやったら、110年も、120年ももう余り意味は無い。 




今日は生徒の「校外学習の日」であった。高校生はもう大人として扱い、現地集合で学年単位に奈良、京都、神戸へ。中学生はバスにて学校を出発し、「神戸布引ハーブ園」「伊賀の里モクモク手作りファーム」、鳴門の「大塚国際美術館」である。私は東征門を出ていく生徒を見送った。明日からは学校は6日までの連休としているから、この日の30日は校外学習と言う学校行事を入れ、開校記念日は翌5月1日にしている。勿論休みだ。昔は「創立記念日」と呼称していたが私は開校記念日と正式に改めた。従って本校には創立記念日は無い。あくまで大正12年(1923)4月30日が学校の第一回目の入学式があった日であり開校した日なのである。 



中学生の校外学習を見送った後、新校舎の建設現場を視察した。今日から3日間の予定で2階の柱や3階部分の床のコンクリート流し込みの日で着々と建物の外観が出来上がっていくのを見るのは楽しい。1年前の今日、ご関係の皆様の前で新校舎建設宣言してから1年、建物の躯体は6階建ての3階部分まで進んだ。まさに「時は力」だと思う。その後私は今日から採用した常勤事務職員のMさんと初めて面接した。前職と言っても地方の市役所の正職員であり、国立大学卒業のキャリアを有する。一身上の都合で3年間の公務員勤務から離れ大都会の大阪に出て来られた。面談の受け答えから直ぐに優秀な人材と分かった。私は採用を了として迎え入れた。これで今年は2名ものポテンシャル高い若い女性職員が確保できたがいずれも将来に期待が持てそうで、これから学校勤務と言う滅多に得られない仕事の中で大きく育って欲しいと思う。開校101年目の4月30日が彼女の初出勤日であった。 





28日は「大阪私立中学校フェア」があり、大阪国際会議場に「いの一番」に様子を伺いに行ったが大きな熱気に包まれていた。朝一番の10時開場にどっと人が流れ込んだ。間違いなく高校の授業料完全無償化は徐々に私立中学校にも順風が吹き始めたと感じた。本校のブースも列が出来るくらいで「新校舎」への興味関心が多く寄せられた。数は前年を大きく上回り、一安心した。中学校は「一本釣り」であり、今後は地道に足で稼いで昨年よりも多い生徒を確保し、新校舎に入って貰おうではないかと私は入試広報部の幹部に檄を飛ばしたのである。



以上で連休前の私の仕事は終わりとし、準備に当たった開校100周年前の1年間、開校100年目の1年間、そして開校101年目が総勢3090人と言う大規模な学校となり順調に始動し始めた記念に、後顧の憂いは全く無いこの時期を選んで5月15日までお休みを頂いた。個人的な所用があり、人生で初めての長い休暇である。骨休みでないが、じっくりと今後の学校経営と自分自身の将来をじっくりと考察してみたいと思う。「多動型仕事人間の私」へのお薬かも知れない。

2024年4月26日金曜日

私立中高、各校別入学者数の正式発表

 4月24日、15時からの「大阪私立中学校高等学校連合会」の会議で正式にこの4月入試における各校別募集、志願、入学状況の発表があった。入試広報のK教頭がデータを整理して報告に来てくれた。「中学は府内59校、高校は94校」の入試結果の正式な公開数値である。今までは自校のみの数値しか知る由も無かったが、今後は相対的な数値比較が可能となった。まず「浪速高校については嬉しいことに2年連続でトップ」の位置でその数は966人とダントツの多さである。有難い事だが、小躍りして喜ぶような事ではない。「浪速人気がバズッて」いると人は言って下さるが、来年の事は誰も分からない。調子に乗って足元を崩せば、来年は「地獄を見る」かも知れない。辞を低くし、謙虚に「教育の中味を更に高めていく」だけである。やっかむ人が校舎が美麗だからと言う人間が居るとは聞いていないが、校舎だけでは生徒は来ない。やはり総合的に浪速教育の中味を受験生と保護者は観て下さり、評価してくれているのだ。 



済んだことはどうでも良い事だが、我々は伸びた学校、減らした学校を直視し、来年度入試の参考にする。高校についてはトップ3は2年連続で位置が変わらず、近大附属さんが936人、興国さんが817人であった。データでは94校中入学者が300人未満の私立が49校あり、200人未満の学校となると23校だ。完全に2極化が進んだ。又公立高校の70校が定員割れし、大阪府は大きな危機感を持たれている。授業料完全無償化の施策は私立、公立に大きな影響を与えた。来年度入試に向かって各私立も、公立高校も既に動き始めている。必ず新しい手を打ってくるはずだ。我々も油断することなく、スタートダッシュをかけて前に進む。高校はようやく基盤が出来つつあるが問題は浪速中学校である。来年の春には新校舎が竣工する。入学者を一人でも二人でも増やそうではないかと私は入試広報部に発破をかけている。 

私立中学は四天王寺さんが336人、清風さんが326人、開明さんが300人と昨年同様にワン、ツー、スリーであった。我々の「ターゲットは中学入学者の増」であるが、これが一筋縄ではいかない。今年は141人で59校中23番目の位置であったが、ここ5年間、22位、21、23、22.23位とこの辺が「定位置」になっているのに「嘆息」する。しかし、入学者数は着実に増えてきており2年連続で140人台となった。高校と同じく完全に「2極化」してきている。私は分かっているのだが「高校入試と中学入試は根本的に異なる」。その違いをここで説明することは簡単ではないが、母集団が極めて小さい故に「浪中に入れば、先行き、どうなるの?」と言った問いへの答えが明確で無ければなるまい。基本的には「中高一貫」の旗を掲げることが必要で、「高校はどちらへ言っても良いですよ」では返答にはならない。浪中、浪高の一貫路線がポイントになる。とにかく折角の新校舎を泣かさないようにしなければならない。 


学校は極めて順調に進んでいる。昨日、今日と「生徒の健康診断」を行っている。明日は「保護者の授業参観日」であり、28日の日曜日は「硬式野球の応援」だ。対戦校は関大北陽さんで楽しみである。30日は中高ともに「校外学習」の日であり、そのまま学校は連休に入る。私は初めて連続した休暇を頂く事にした。理事長の校外学習である。連休明けの7日の「一斉参拝」については17年間で初めて常務理事に代行して貰う。昨日その為に学院長講話用として「ビデオメッセージ」の前撮りを行った。生徒には「学院神社拝詞」と「浪速生活の綱領」を詳しく解説した。初めての試みであるがビデオメッセージは肉眼、肉声での講話にどこまで肉薄できるか?出来ないがしないよりは益しだ。常に学院長の声を生徒には届ける。





2024年4月25日木曜日

4月25日は、楠木正成公誕生の日!

 私は格別に「楠木正成公」を尊崇している。だから公の幼名である「多聞丸」から多聞の一字を頂き、「多聞尚学館」「多聞茶寮」「多聞楽舎」「多聞イチゴ園」「多聞果樹園・農園」と数多くの施設設備をこの千早赤阪村に所有している。公は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍し、後醍醐天皇への忠誠を貫き、武家政治である鎌倉幕府を倒して「建武の新政」を敷いた。時代は建武元(1334)年で、今から700年弱の前である。公の思想と活躍は間違いなく明治維新の精神的柱になったことは間違いない。江戸時代末期、欧米列強の脅威を前に尊王による国の存続を唱え、吉田松陰ら明治維新の志士たちの精神的な支柱となった「水戸学」も、その原点は建武の中興の主役、正成公である。2代水戸藩主、徳川光圀(黄門様)は公の生き方を崇敬して自ら筆を取り、墓碑まで建立しそれは今も神戸の湊川神社に厳然として屹立している。私は多聞尚学館に楠公の騎馬像を建立した。 


この建武の中興の主役となった正成公は永仁2(1294)425日、ここ現南河内郡千早赤阪村水分山ノ井でお生まれになった。「義と忠の人」、楠木正成公は、未だに千早赤阪の人々の心に燦然と輝く存在である。後世日本人は「楠公」と言い、今や「大楠公」とまで言われ、尊崇されて来ている。戦前、その昔は「日本人で最も尊敬されている人物は?」の問いに対して正成公の名がトップに出たと聞く。この地には明治の元勲「大久保利通」主導の「楠公誕生地」の碑があり、毎年、425日に誕生を祝う「楠公祭」が碑の前で行われている。本日は4月25日、私はご案内を受け式典に参列した。 




この地には大正時代に後の昭和天皇が皇太子として参拝され、境内には「お手植えの楠木」がある。記録には他にも極めて多くの宮家が行幸されている。昨日の雨も上がり「薫風宜しく」、楠公を尊崇して明治時代に出来た、「青葉茂れる」の歌の如く境内の樹木はまさに鮮やかな緑で文字通り、爽やかなお祭りとなった。国会議員、府会議員、千早赤阪村村長、楠公遺跡保存会お歴々、神戸湊川神社の女性の広報室長始め、近隣の幼稚園児などが大勢参列し、多くの人々が故郷の偉人に想いを寄せたのである。私は幼稚園児が「青葉茂れる」を太鼓と共に合唱してくれたのには感動した。この子どもたちは大人になっても楠木正成公の名前を忘れることは無いだろう。





2024年4月22日月曜日

「有言実行」こそは私の生きて行くエネルギー!

 学校は極めて順調に推移している。「平穏に粛々と」毎日が進んでいる。しかし私は想うのだ。昨年の丁度今ごろは8日後に控えた4月30日の「開校100周年記念奉祝祭、記念式典、記念事業たる新中学校棟建設宣言、祝賀会」の4パーツの準備に眼を釣り上げて全教職員が走り回っていた。あれから1年経ったが今の安堵感、幸福感、充実感、達成感などは全て昨年4月30日の成功裏に終わったからで、それを象徴するが如く、令和6年度は更に多くの入学者があり、総勢3090人の生徒が学ぶ大きな学校になった。「神恩感謝」しかない。あの時に「建設宣言した新中学校棟」は目の前で、日々形が変わり、工事が進められている。100周年記念碑「祈願の碑」は周辺に馴染み、生徒を見詰めてくれている。教職員の理解と協力があればこそであるが、この「有言実行」こそ私の真骨頂だと思う。言ったことは必ず実現する。過去も現在も未来もそうだ。その約束の実現こそが、私の生きていくエネルギーである。 





その後南海辰村建設さんから新校舎の進捗と特に内装との関連で設計陣の意向が説明された。今回は中学の建設チーム長も参加してくれた。素晴らしいものが出来ると分かっているが細部ではまだ「スペースの有効利用率」「将来の有り得る想定への対応策」など「施主たる私」には検討不足との印象があり、今日の設計打ち合わせにおける理事長の指摘に対して明確な返答を持参し再度打ち合わせの機会を持つよう指示を下した。特に「職員室の机配置」、「音楽教室の設え」、「中学生徒のコスモス(宇宙)スペースの設え」である。斬新的で機能的なレイアウトや備品など検討を進めて欲しいと思う。又理事長提案の「モデル教室」の先行建設については工事工程に影響の出ない範囲で少しでも生徒募集にプラスになるよう「格好良いモデル教室」と、その部屋に流す動画や完成写真の作成等について検討するように進路・教務部長に指示を出した。浪速中学の目玉である「英語と道徳の教育」をそのモデル教室で絵と音で一杯にするのだ。しかしパース図に描かれた正面エレベーターの中からシースルーで見える学院神社前の光景の素晴らしさには感動した。 



16時からは全教員が参加しての研修会の視察に出掛けた。今回は「ICT教育」がテーマである。7階の4教室に集まり、全員がPCを用いてオンラインで研修する。講師は東京のグーグル本社からでグーグルミートを使っての研修となる。今回は今まで本校の教員が積極的に利用して来た現在の「Google Jamboard」が2024年で終了するのでその後継アプリ「Figjam」が案内されたのである。これを「先んじて学ぼう」とICT教育推進部の企画で行われるものであるが、来年からの積極的な利活用を見据えたこのような「素早い対応」は私を殊の外喜ばせる。まさに「先手必勝」であり、ICT教育先進校としての「面目躍如」たるものがある。グーグルクロムブックを大規模な学校で中高全校生徒に持たせたのは本校が恐らく世界で最初であり、教員にグーグルの指導者認定の資格試験を受けさせ、ICT教育専門家としての資格を取らせたのも恐らく本校が最初だと思う。だからグーグルは本校を高く評価し、細やかな配慮をしてくれている。我々の誇りであり、今後とも他の追随を許してはならない。従って教員は一生懸命に集中してこの研修に臨まないといけない。今後とも「ICTに関しては、常にトップに立つ」だ。このエネルギーも今から17年前に私が着任した時に全教職員に宣言した「IT武装された都市型スクールの実現」の典型的な例である。


2024年4月17日水曜日

生徒に混じって新体力テストに参加

 今日は終日かけて、生徒の「新体力テスト」を行った。文部科学省が推奨する体力測定項目により実施した測定結果から生徒が生涯にわたり、心身ともに健康で活力のある生活を営む為に自己の体力を知り、自分の体や体力に関心を持ち、自己に合った体力の高め方や健康の向上を工夫できるようにすることが目的である。「言うは易く、行いは難し」の典型的な例であるが、まず自分の体力の現実を知る事の重要さ、そして勿論体力増進の為に運動を実行することこそ大切であることは疑いようもない。しかし毎日毎日の日常生活で実行できる訳ではないことも事実である。それでも「体力というもの」を生徒に教えることは教員の責任であり、これが出来ていない学校は学校ではあるまいとまで思っている。私は「やれ、やれ!」という方だし、今日も生徒に混じって少し、トライしてみたが、当然体力の低下を大大痛感した。年寄りの冷や水と言われても私は何事にもチャレンジする。機会があれば挑戦する。これが無くなったら私は終わりである。



AMに高校1年、中学全学年、PMに高校2年、3年の2部制に分かれて総勢3000人の生徒の測定を保健体育の教員がリードしてそれに全教員が持ち場に付く。極めて「大がかり」である。測定項目は「上体おこし」「ハンド投げ」「反復横跳び」「握力」「幅跳び」「長座体前屈」と6項目を選択している。「50m走・シャトルラン」もあるがこれは後日授業で行われる。全てICTでデータが記録され管理される。特に本校の教員の優しさは熱中症や体力不調の生徒への目配りであり、今まで事故は無い。主担のT教諭が朝、部屋に来て「天気で良かったです!」と安堵の顔をしていたがその気持ちは良く分かる。今午前の部が終わって暫くしたら午後が始まる。 




このように4月5日の入学式から新入生に次々と新しい事をなじませながら早く高校生になって欲しいと思う。概して「生徒は早く新環境になじみ、大人は時間がかかる」と私は感じる。新任の教職員も同じことで「浪速の水」に早く慣れて欲しい。過去にもあったが、中には「斜に構え」たり「自分は教師としての経験が長い」ことを自慢したりする面が垣間見えたり、「前の学校とやり方が全く違う」とか誤解の上に文句を言う一風変わった先生もいた。前の学校で専任キップを貰えなかったか,或いは貰わなかったから本校に来てくれたのではないか。しかし、そういう事は口に出さず、早く浪速の空気に慣れ、浪速の良いところ、悪い点も見え始めてきたら、どしどし改善提案をして欲しいと思う。今は「仕入れ段階」である。先に社会科の男性教員の感想文を転記したが、今日は女性事務職員の書いた文章を転記する。お二人とも新卒であり、大いに将来を期待している人材の内のお二人だ。他にもたくさん居られるが、とにかく私の経験では書いている文章を読めば、その「人となり」が分かるだけに私は書かれた文章というものを重要視している。

 

     「施設見学会を通して」             事務 〇〇 〇〇

 

43日、新任研修として施設見学をさせていただきました。あいにく天候には恵まれませんでしたが、浪速学院が有する郊外の3つの施設を巡り、自分の目で見て感じることにより、これから自分たちが働く場所がどれほど生徒にとって素晴らしい環境であるかを心の底から実感することができました。事前にホームページで外観などは見ておりましたが、実際に目の当たりにするとその規模に圧倒されるばかりでした。とりわけ高天原スポーツキャンパスはプロのための施設かと思うくらいに広々と充実しており、いい意味で学校の施設だとは到底信じられませんでした。このように美しく整えられた数々の施設で勉学やクラブ活動に励むことができる生徒たちをうらやましく思うと同時に、のびのびと育っていく生徒たちを支えていける喜びを新たにしました。 

見学の中で最も強く感じたのは、理事長・学院長のご尽力の大きさです。どの施設も建物だけでなく土地の選定から行っておられたり、施設が完成してからもさらに活動しやすくするための方策を追求しておられたりするなどのお話を伺い、理事長・学院長の「浪速学院での教育」に対するご姿勢や並々ならぬ熱意に頭が下がる思いでいっぱいになりました。特に多聞尚学館で、尚学館になるまでの歩みとこれからが記されたものを拝見し、建物との運命的な出会いを知って感じ入るとともに、自分が理事長・学院長の統べる浪速学院に関われる身となれたことを一層誇りに感じました。 

私は事務職員として勤めるため、教員の皆さんに比べ見学した施設に足を運ぶ機会は少なくなるかもしれません。しかし当然生徒たちや先生方を支えるうえで様々な施設を知ることは不可欠ですし、だからこそより深く知っておく必要があるのではないかと思います。出発前に激励のお言葉の中で「生徒からすれば事務も先生」といただいたとおり、勉強合宿の準備や、クラブ活動のサポートなど、浪速学院の一員として職種にとらわれない貢献をしたいと考えております。これからたくさんの先輩方に支えていただきながら、また今回の見学で絆を深めた同期の仲間たちと助け合いながら、精一杯励んでまいりたいと思います。

2024年4月16日火曜日

噺家「4代目桂福團治」師匠

 今日は学校としては普段滅多に無いと言うか、殆ど経験した事が無いお客様をお迎えした。私からご招待したお方である。お名前を「四代目桂福團治」と言われる上方、いや日本落語界の重鎮である。恐らく最古参の現役の噺家さんだと思う。お供は福團治事務所のI事務局長さんであった。「ひょんなこと」からご厚誼を頂き、師匠のお住まいが学校近くの我孫子ということでこの度のご来校となった。師匠は1940年のお生まれと聞いているから御歳84歳になられる。三重県四日市市出身で1960年、上方落語四天王の一人と言われた三代目桂春團治に入門。一春(かずはる)と名乗り、破門騒動などがあったが、197310月に4代目福團治を襲名された。関西演芸協会第10代会長、上方落語協会相談役、日本手話落語会会長。奥様は声帯模写で吉本興業所属の翠みち代さんとお聞きした。姪御さんがあの女優の泉ピン子さんである。師匠の持ちネタは幅広いが、特に「蜆売り」「藪入りねずみ穴」などの人情物(人情噺)を得意にされている。「ペケペン落語」を売り出すなど新作落語路線でも有名であり、一方では「手話落語」を開発されるなど革新的な噺家でもある。

 

特に師匠の経歴で外せないのは「本校OBの故藤本義一氏」が直木賞を受賞された「鬼の詩」が映画化された時にその主演をされた。上方芸人の芸に対する執念と壮絶な生涯を描いた野村鐵太郎監督の映画である。1975年だから今から45年も前の事で私はDVDを購入して鑑賞したが、迫力ある個性的な名演技であったと思う。原作者の藤本先生とは私がこの学校に着任し、学校改革を不退転の決意で進めて来た時に、丁度共学に中高とも移行した時であったから、飛び付くように藤本先生に頼み込んで「校歌」を作詞して頂いた。何回もお話ししたり、お会いする機会があり、遂に今の素晴らしい校歌が出来上がった。映画の主演は義一先生が「福團治でなければ駄目だ!」と強く推薦され決定されたと言う。福團治師匠は自分の運命もあの映画からとおっしゃっており、義一先生とは長いお付き合いで、恩人だと言われている。 


「鬼の詩」公開から間もなく声帯ポリープが発覚し、これで一時期声が出なくなったことが、「手話落語」を始めるきっかけになったと言われた。手話落語を広める活動中にできた手話落語専門の弟子が今や100名ほどいるとのこと。又師匠はあの天才漫才師と言われる故横山やすし師匠と同期であり、阪神・淡路大震災の復興イベントでは、掛け合いではあるが晩年のやすしさんと漫才を演じた。福団治さんが師匠の春団治から破門された際、「やっさん(横山やすし)が土下座して師匠に謝ってくれた」と福団治師匠は語っている。1996年、日本で初めて視覚障害者の弟子をとるなど、親子の絆づくりを目的とした「親子で聴く人情噺」を「出前落語会」として全国で展開もされている。「生涯現役」という師匠の生き様が私を激励して下さっているのだ。 


今日の会合の目的は9月14日に予定している本校最大のイベントである浪速祭の前日の13日秋季例祭の夕刻、「前夜祭」として、師匠から「一席」をお願いできないかという正式な依頼を本日行い、お受け頂いた。開校100周年のビデオを視て頂き、冊子「100周年夢の軌跡」もお渡しした。校内見学もじっくりして頂き、天空レストランで昼食を共にして話が弾んだ。とにかく楽しい一日となった。どんな話があったのかは、面白過ぎて、ここでは書けない。9月13日、どのような「催し」にするか詳細は今後担当と決めて行くことになる。「乞う、ご期待」だ。