2021年9月30日木曜日

その2 大学への進路指導

 生徒は感染しても発熱等で済み、概して無症状であるが登校は禁止させられ、または家庭での濃厚接触者として自宅での待機を余儀なくされている人数は、全く社会の状況に連動して下がり、明日、明後日中には一人もいなくなるだろう。今日で緊急事態宣言は解除され学校は通常の状態にほぼ戻る。府立学校に対して府の教育庁は「今後の教育活動」と題して通達文を発した。私立学校は「準じて」となっているがほぼ同じ対応を執ることになる。飲食店への営業時間の制限や酒類の提供などまだ制限があるように学校においては「部活動に制限」がかけられている。合宿や府県をまたぐ練習試合などはまだ禁止である。 

こういった中で「高校3年生は後3か月で実質的に高校生活が終わる」。次は彼らにとって人生の大きな節目となる「大学進学」である。本校は進学校であり、ほぼ100%の生徒が大学に進む。心配していたが、幸いにも本校では高校3年生のコロナ感染はほとんどなく、順調に大学進学指導が佳境になってきている。今は最後の「保護者を交えた3者懇談」の真っ最中である。先ほど「指定校推薦枠」が埋まった。コロナ禍であるが「新記録の数値」である。710人も卒業生が居るので、今後は一般入試として「入試本番」となる。歳の明けた1月の大学入試共通テストに向けて3年生は頑張ってくれている。私は高校校長、高校3年学年主任、そして進路指導部長に来て貰って足元の現状をヒヤリングし、方針を再確認した。


 
受験生の中にはコロナの影響で大学がリモート講義であれば「わざわざ遠隔の地にある大学に行く必要はない」とレベルを落としてまで近場の大学で自宅から通学できる大学を選ぶ傾向が顕著だという。しかしだ。この点こそ進路指導のポイントである。大学とて何時までもリモートではないし、行きたい大学、一歩でも二歩でも総合的に学び、研究の体制が充実している大学を目指すべきであり、これからの長い人生で「卒業した大学が出発点になる意義」を私は強く学年主任と進路指導部長に指導した。この事は彼らも十分分かっている事だ。

 


今朝の新聞にはコロナで行き詰った大学生が自死を選んだという記事があったが、コロナの影響でアルバイト先が無い、家庭の経済状況による親からの「仕送り」の削減など大学生の貧困と大学の存在感の希薄さは、休業を余儀なくされた飲食店への被害以上に大きく長い影響を受ける。このような大学生の惨状は単に高校3年生の問題に限らず、我が国にとって大きな損失となった。大学生への支援を強化し、大学は早急に「リモート講義」など中止し大学キャンパスに学生の声がこだまするようにして欲しい。高校生を預かっている身からすれば、進路指導において受験生と保護者に語る迫力が持てないのが何より辛い。全国約600校ある4年制の私立大学では定員割れが277大学と大きな数値である。18歳人口が減ったなどと言うのは言い訳に過ぎない。21世紀の我が国は当然ながら「知的立国」でなければならない。大学人には頑張って頂きたい。自信をもって我々が生徒を送れるように早急に「希望の灯」をかかげて頂きたいと思う。



その1 吹奏楽部 楽器授与式

 









本日、吹奏楽部へ関西大会出場を記念して楽器の授与式が行われました。理事長・学院長先生は、「バストロンボーン」、「コンサート・トムトム」、「Ebクラリネット」という3つの楽器を授与されました。

いずれも非常に高価な楽器になります。

その後、部長より、お礼の言葉が述べられ、部員は新しい楽器に目を輝かせて大変喜んでいました。

 授与式の後、理事長・学院長先生は「切磋琢磨しながら、更に上位を目指してほしい!そして、聴衆の心に響くような演奏をしてほしい」と激励の御言葉を述べられました。(K

2021年9月28日火曜日

多聞果樹園での栗の収穫

 昨日は月度一回の学校設定休校日であり、教職員は自宅で研修等や平日にしかできない家庭の用事などを済ませて貰う為に今年から設けた。生徒はじっくりと自宅で復習、予習などで原則クラブ活動は禁止している。休校日が明けた今朝の生徒の登校状況は更に改善され、自宅待機者も減少した。間違いなく国民の90%以上のマスク使用比率と60%台のワクチン接種の成果であろう。長期に亘ってコロナ感染で休職していた二人の先生は今日から出勤だ。事前に学校医の診断を受け、呼気にウイルスの無いことを確認しているが、当面は用心深く対応することにした。まだ話していると「コホン、コホン」と小さな咳が出るみたいだが、大丈夫だとドクターの意見もあり、これ以上の自宅待機は酷だと判断した。隣の席の教員が頻繁にせき込むのも、近隣の教員には気になることだと思うが、とにかく周囲に与える影響がないように説明責任を果たし、理解を戴くようにアドバイスした。 

私は一昨日、昨日と学校保有の多聞果樹園で「栗の収穫」を行った。「桃栗3年、柿8年」と言うが確かに植樹後3年で丹波栗3本から栗の実が取れた。このことわざは、果樹を植えたら、食べられる実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかるということを表している。直ぐに結果を求めたがる人に対して、まずは地道な努力が大切であると言い聞かせる場合などに使われている。まだ粒は小さくて数も少ないが栗は「勝ち栗」と言い縁起の良い食べ物だ。この語源の「かちぐり」の意味は、生の栗や蒸した栗をしっかりと乾燥させて臼で搗(つ)き、殻と渋皮を取り去ったものである。「臼で搗(つ)く」というのを古語で「搗(か)ち」と言ったため、かちぐりは本来「搗栗」と表記されなければならない。

 干しているため保存性に優れていて、小粒のわりに栄養価も高いことから、戦国時代には陣中食として役立てられており、「搗(か)ち」は「勝ち」に通じるため、日本古来から縁起物として出陣や勝利の祝いの席などで食べられてきた。「勝つ」という意味で、試験をはじめとする勝負事に勝つ、病に勝つなど、立身出世、病気の回復といった祈りが込められており、今や「勝ち栗」が一般的となった。秋の季語でもある栗の食べ方は、米2合に皮付き300グラム程度の割合が最も「栗ご飯」に良いとあったので、私は実が小さいので400グラムをパックにした。スーパーでは結構良い値が付いていて決して安い果物ではない。多聞果樹園最初の栗なので味なども全く分からず、5名のモニターを選び、栗ご飯として試験的に食べて貰うことにした。 


緊急事態宣言は10月から解除されるみたいだが、解除されても学校生活のスタイルは今までと全く変わりは無い。しかし学校行事やクラブ活動などは少し緩和していくことになることが嬉しい。11月の高校の修学旅行は何としても実施してやりたいと念願している。令和3年は本当にコロナに振り回されたが、今年も残り3か月となる。「勝ち栗を食して、勝ち組」となるように頑張って参りたいと思う。



2021年9月24日金曜日

「前頭葉」に刺激を与えよ!

 連休明けの今日だが、気になるクラスは一つあるが、総じて良好な生徒の登校状況だ。毎朝高校のM教頭が調査し表にして報告してくれている。さぁ、これで29日の緊急事態が全面解除となるのか、気にしながら見守っているところである。私は「次から次と気になる状態やテーマがあると気力が充実してくる」。何も無いと、元来それは喜ばしいことなのだが、私にはそれは「些か毒みたいなもの」で、テーマを抱え走り回っている方が身体の調子も良い。課題を解決するんだ!という気力が高まり、それが身体にも影響を与えているのが良く分かる。だから木村を生かすには「仕事を与えよ」である。何もない無風状態では木村という飛行機は墜落する。何時も飛んでいなければ私は駄目だ。

 


「気力がなくなりました」とは私には縁遠い話である。気力とは「物事をなしとげようとする精神の力」であり、元気、精力と同義語である。気力がなくなると、どの方向に向かってもすべて不吉の結果を招く。気力さえあれば「刀折れ矢尽きる」「矢折れ弾尽きる」とはならない。「気力が先か、体力が先か」という常套の問いかけがあるが、これは人によって様々な意見があるが、私は絶対に体力だという人の意見に与しない。私には気力こそ第一である。気力さえあれば体力を保ち、回復させる努力と体力増進の気迫も出て来るという立場が私である。誰しも歳を重ねれば徐々に体力は落ち、身体中のあちこちに悪いところは出て来る。だからと言って加齢による体力低下を怨みながら、気力も失せたとは可笑しな話である。70,80歳代の活躍している政治家や経営者を観よ!彼らは時に足元がふらついても顔、体中に気力がみなぎっていて仕事をしている。

 



しかしここに一つの覆いかぶさる問題がある。それは「感情老化」である。いつもイライラし、不満や物事が思う様にならないと怒りや落ち込むが激しくなる。これらは感情の老化が始まっているのである。専門誌に拠れば実感しやすい体力や知力よりも、感情の衰えは早く始まると言うから、長く働き続けるためにも「感情老化」のケアが必要である。「脳の加齢萎縮は、前頭葉から始まる」という。感情老化は人から意欲を奪い、気持ちを切り替えにくい状態にするらしい。しかも、そのままの状態で放っておくと老化は進行するから、身なりに構わなくなって外見も老け込んでしまったり、何かにつけおっくうになって体を動かさなくなったりして、全身の老化の引き金になるのである。

 



感情老化の進行をできるだけ遅らせることが、若々しさや元気をキープするのに不可欠だと思う。私はまず「おしゃれ」に気を使い、身の回りを清潔に保つように心がけている。脳を厳しく刺激するICTなどについては徹底的に学ぶ。幸い本校の教職員はICT達人が多いから極めて便利であり、すぐ電話して「来て!」と叫ぶ。教職員には迷惑な話だが、彼らはもう諦めているのか、直ぐに来て教えてくれたり、自らやってくれる。この時の私は「質問責め」である。それに私は徹底した「新しもの好き」である。直ぐに新製品やバージョンアップに目が行く。今日は入試広報部が「マイクロドローン」を使って学校中にドローンを飛ばすと聞いた。もう私の血が騒ぐ。医学博士の和田先生も言われているが「ドキドキすること、想定外の場面に遭遇すること」が感情老化を抑えるのに有効で、新しいことにチャレンジして脳の前頭葉に刺激を送ることが、心の若さを手に入れる秘訣だという。今日は手のひらサイズのマイクロドローンに触れることで3歳は若返ったと思う。






2021年9月21日火曜日

国際平和デー「書道部、大阪護国神社にて奉納揮毫」

 連休明けの今日は当然コロナ感染者の動向が気になるが、大きな問題はなく安堵した。学校全体で今朝時点ではコロナ感染で登校できない生徒は全校2500人弱の中で僅か3人である。油断は出来ないが良い結果であり社会全体の感染者の動きと連動しているようにも見える。感染し先月末から学校を休んでいた男性教諭が出勤してきたがまだ「本調子」ではないのが直ぐに分かった。少し疲れて来るとまだ少し、せき込むらしい。本人は学校を長く休んでいることを気にしている様子であったが、気にする必要はない。大切な事は完全な回復である。職員室に据わって貰う訳にはいかないし、教室で授業をして貰う訳にも行かない。既に担任は代え、部活動の指導も外しているので今週一杯は休むことを勧め、帰宅させた。コロナの後遺症の恐ろしさを私は知った。生徒よりも大人である教員の方が後遺症はきつい。

 今日は浪速中学校の浪速祭である。私は足早に中学校棟に赴き、視察して回った。展示物が主体であるが中学生の何事にも一心に取り組む姿勢は可愛くて素晴らしい。クラス単位でテーマに合わせて教室内の飾り付けをしているのだがそれぞれが工夫しているのが良く分かった。一人愉快な男子生徒がいて私を見つけると飛んできて自分の名前の入った紙を見せ、「僕も木村です」と言うのだ。そしてその名前に驚いた。「神と書いてこうと読ませる」のである。素晴らしい名前である。中学生と言っても既に大きく成長しているが、それでもまだ高校生に比べると子ども子どもしておりそれが可愛い。15年前、着任した時には「中学の廃止」を視野に入れていたが、それが今や府内の私立中学でその名を知られるようになり、130人を超え4クラスである。来年も頑張って来てもらいたいと念願している。

 




浪速祭視察の後大阪護国神社に車を走らせた。今日は9.21国際平和デーの日であり、名だたる日本の高校の書道部がそれぞれの地域にある護国神社に書を奉納し国際平和を祈願する記念の日である。今年で3年目となった。8月21日のアラウンドにて紹介したように私はこの日の為に部員に「袴」を3年目記念としてプレゼントした。本校生徒はこの袴をはいて立派な文言を書にしてまとめてくれた。一枚目は「徳を以って怨みに報ゆ」と書き、最後の大看板には「開雲見日」と書いた。晴天の中で朱の袴は映えて舞台は大きな神社の拝殿前の境内広場であり、ムードはいやがうえにも盛り上がったパーフォーマンスとなった。立ち振る舞い他大変見事で書道部顧問のK国語科教諭の指導の賜物であろう。本日夕方の大阪テレビで放映がある。


 

代表揮毫の書家は柳水藝術協会の田邊柳奨先生で「泰平」という字を揮毫された。あれほどの大筆を使うには余程の体力を必要とされると思ったが、呼吸は乱れず、見事に運ばれた。とにかく凛として迫力満点であった。この日は私の知人でもある自民党衆議院議員で文部科学委員長の佐藤章先生や大阪維新の会府議会議員の岩木均方も参列されていた。岩木先生は二人のご子息を本校に入学された浪速ファミリーのお一人である。私は最後に挨拶を求められ、このような機会を与えられた感謝の言葉と来年に向けて本校書道部は頑張ることを申し述べた。対外的な活動機会の少ない文化クラブにとって有難い機会であり、今後とも書道部への支援は惜しまない。書は日本文化の凝縮した一つであり、あの墨汁の匂いは人を優しくさせる。




2021年9月18日土曜日

台風一過 爽やかな「秋季例祭」

 「泣きっ面に蜂」と言う言葉がある。ご承知のように困っている状況や悲惨な状況においてさらに困り事や不幸・災難が舞い込んでくることを例えて言うことわざであるが、時に「踏んだり蹴ったり」を用いたり、上品な言い方では「弱り目に祟り目」とも言う。しかし本校では生徒も教職員もコロナ禍でも気力は衰えていなし、学院神社の大神さまが護ってくださっているから、このような言葉とは無関係だ。台風14号で危ぶまれた秋季例祭と浪速祭は少し簡略版ではあったが無事に挙行出来、重要な学校行事が一つ済み、一安心している。コロナ、コロナの中での台風だから、もし臨時休校にでもなったら、泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目と愚痴の一つも出て来たかも知れないが、爽やかな秋風を感じる例祭となった。基本的に私は生まれつき「運の良い男」でこの運の良さは死ぬまで続くと勝手に思っているが果たして?従って私に近い人々は皆、運が良くなる筈だが果たして?



 元来であれば今日と明日の二日をかけて「秋季例祭」を厳粛に挙行し、引き続いて華々しく「浪速祭」に移行するのだがコロナの事もあり、今日半日の簡略版だ。秋季例祭は当然私の主宰であるが、浪速祭はそれぞれの校長が管轄する。高校は今日の半日、中学の浪速祭は21日と分割した。高校ではとにかく生徒の大好きな「模擬店」は止め、舞台での演劇なども全てカットし、事前に作成していたクラス対抗の「動画作成」コンクールであった。これは企画が生徒から出て来たものであり、私は今の時代に合致したアイデアであり「素晴らしい、ワンダフル!」と私は諸手をあげて賛同した。クラス、クラブ、自主グループと70近い作品が出て来た。これが面白い!。本校の高校生は勉強は余り好きではないが、こういうものは本当に上手くやるなと私は驚いたのである。従って優秀作品には学院長として「焼きたてパン券」をプレゼントすることにした。


 

今日の例祭では実際の「稲穂」を用いて、日本と言う国「豊葦原瑞穂の国」と稲穂の関係性について神話をベースに生徒達に語りかけるように話した。日本書紀に「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」という言葉があり、「吾が高天原にきこしめす斎庭の稲穂を以て、また吾が児にまかせまつるべし」と書かれている。神社神道では、天照大御神のお孫さんである邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原からこの日本の国土(高千穂の峰)に天降られるに際し、天照大御神から賜った稲穂で、豊かに生い茂るあの端々しい聖なる国、日本を、代々私の子孫が治め、この稲穂を地上で育て主食とさせ国民を養いなさい言われた伝承であると続けたのである。だから我々日本人にとって「お米は特別な食べ物」であるという事を強調した。今でも時々テレビで見るように今上陛下は宮中の稲田で稲作をされておられるのである。

 



秋季例祭はそうした意味で稲を刈り取る季節に行われ「五穀豊穣」を感謝する為のものであると話したのである。それにしても本日の秋季例祭は気持ちよく斎行出来た。特に雅楽部の奉納した「豊栄の舞」は素晴らしい出来栄えであった。生徒も学校も元気であり、コロナに負けず知恵を出し合い、気力を失うことなく頑張って行こうと改めて決意をした。神社神道の学校であることを教職員、生徒には最大限の誇りを持って頑張って貰いたいと思う。直会として全校生徒には「ノート」、教職員には「昼食弁当」、そして私には神様にお供えした「真鯛」を戴き物として頂いた。今晩の夕食に食するのだ。何時もの習わしである。春季、秋季と年2回ある私にとって最高の幸せの時間だ。何しろ神様から頂くのである。





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2021年9月16日木曜日

開校100周年に向かって

 





本日は8月16日以来の9月度職員会議がありました。

理事長・学院長先生は冒頭人事関係で10月1日付け発令の専任教諭1名と専任職員1名のご紹介があり、その後コロナ関係、ワクチン接種の加速、働き方改革等について言及されました。

そして令和5年5月1日の開校100周年に向かって各事業を進める体制についてモニターを使ってのご説明があり、全教職員が一致協力して100年に向かって歩を進め、各事業を立派に成功させ、共に一世紀の浪速の歴史を寿ぎたいとの力強いお言葉がありました。(K

2021年9月15日水曜日

「教員免許更新制の廃止」

 今年8月文部科学省の発表であるが学校現場にとっては極めて重要な法律が静かに2023年までには消え去ることが決まった。この学校の設置者として私は「歯がゆくて仕方がない気持ち」と、「まぁ良かったかな」のだが、決める権限を有しているところが法的に適切に進めた結論だから今更「石を投げても」詮無いことだ。基本的に中央省庁や「教育審議会に属する有識者なる」人々は「教育は語れても」、いざ法制化する段になると「少しピントがずれた案」がどういう訳か出て来る。恐らく教育現場の実態をご存知ないか、急激な変化を好まないか、妥協で間を取るとかの理由だと思うが、「タマムシ色」で結果として現場は変わらない。だから私は余り審議会とか有識者会議なるものに大きな期待はしないようにしている。彼らには現場の責任が無いから何でも好きなように言える。組織の存続発展に全責任を持つものが、「背水の陣で改革を進める」という覚悟さえあれば「何でもやれる!」。私はこの考えに立つし、それで今までやってきた。

 


一旦教員免許を取って学校の先生になればそれまでは「生涯にわたって、先生」だった。自動車運転の免許さえ「更新制」があるのに学校の先生は「ずっと先生、先生」と呼ばれ、ろくな働きをしなくても学校から給料を得ていた。当然、このような組織には「黴が生え」、「駄目教師」が出て来る。刺激も無ければ、首にならないから、自分を高めようとする風土も気運もない職場の宿命である。2007年1月当時の第一次安倍内閣は社会風潮の後押しを受け「教育再生会議」の議論を経て「不適格教員の排除」を目的として「教員免許更新制」を答申し、2009年4月からこの制度が開始された。当時大きな話題になったものだ。

 


この時私はこの学校に来て3年目であったが、この時点で「この法律は??」を感じ取っていた。この法律の致命的な失敗は「ダメ教師の排除ではなくて能力向上」にとどまったからである。教職員組合との軋轢を考えたものであろう。「ダメなものは駄目」であり「ちょっとやそこら」の研修で駄目なものが良くなる筈はない。そしてこの年2009年の衆院選で教職員組合の支援を受けている左翼的、リベラル的な当時の民主党政権が誕生し、この法律はそのままになって今年の8月、先月の事だが「発展的解消」として実質的なこの法律が終わることになった。わずか11年の命である。短かったなとの感慨だ。 

とにかくこの法律は課題が多かった。まず全員受講としたことである。人格も指導力もある立派な先生にまで更新を受けさせたことである。大学などでの30時間以上の講習、講習の中味、自腹での3万円の受講費など毎日が忙しい教員の負担感と講習内容への不満が噴出してきた。元来この種の法律は「抑止力」を期待してものだが、良い教師もダメな教師も同じ内容で研修を受けさせたことがまず失敗である。良い先生とは常に自らの努力で向上し続けているから良い先生であり、官製の余計な研修などは不要である。問題は教師として不適格な教員の「立ち直り、向上」である。ここが難しい。簡単な話ではない。一旦雇用した教員の「排除の論理」が簡単ではないだけに駄目教員に「先生、頑張ってくださいの激励の研修」だけでは駄目先生は生まれ変わらない。人間はそう簡単に変われない。大体自分が駄目だとは分かっていないのではないか。

 


教育現場は急速にデジタル化が進み、新しい視点でも英語教育、情報教育など新たなカリキュラムの導入、いじめや教員のわいせつ事件など現場の課題は待ったなしの状態が今後とも続く。そういう中で周囲との協調性が無く、唯我独尊が生き方だと言い張り、自己を啓発しようとしない教員、他と違う性格的性癖を有する教員、ICTに全くついて行けない教員などなど不適格教員、不適格の一歩手前まで来ている教員を抱えている学校の責任者を支援する法律など今後とも期待してはいけない。然らばどうするのか?それは貴方自身が考えよ!方法は幾らでもある!私はそれをやって来た。「本校には少なくとも不適格教員は一人も居ない」。だから浪速の今がある。



2021年9月13日月曜日

教職員のワクチン接種

 世界中、どの国もどの組織も「躍起となってワクチン」を確保し、国民に打ってもらおう」としている。足掛け2年の格闘と言える。「この学校の設置者として私も必死」だ。本校で働いている教職員、レストランや守衛業務の方々、出入りの協力会社の皆さん等々に接種をお願いしている。今朝も二人の教員が部屋に来て人は先週一回目を打ったと、もう一人は予約が取れたと報告に来てくれた。新型コロナウイルス感染症の最も効果ある処方がワクチンであることは「科学的見地、医療専門家の意見でも明確」であり、確かに3密を避け、マスクや嗽、手洗いも効果はあるが、それはあくまで予防策でしかない。場所によって空気中にウイルスがぶんぶん飛びまわっている状況に違いは無い。しかしワクチンを個人が打てばそれは「集団免疫となってウイルスを撃退することが出来、万が一感染しても発症を抑え、重症化を防げる」ことはデータからも明確である。だから社会生活を営む以上ワクチンは必須であると言うのが「現時点の正義」であると言える。

 しかしだ。同時に「基礎疾患がある」「アレルギー体質」「ワクチンは怖い」「発熱したら身体に異常が出る」「子どもが産めなくなる?」等々の個人意見もあって特に個人の自由を標榜している自由諸国では100%接種とはなっていない。代表的な国はアメリカだ。ワクチンの主たる生産国であり、日本より早く接種を呼び掛けたが接種率は約50%に留まっている。アメリカ政府は賞金や商品を出すなど若者の接種を強く呼びかけても一向に数値が上がって来ない。その点、5か月も遅れてスタートした我が国は政府の強い旗振りもあって2回目接種が50%に近づいた。これを受けて徐々に第5波の感染者は減少してきていることは事実である。このままのペースで言えば11月には70%を超えるとの報道もある。又同時にワクチンの効果は徐々に薄れるために「ブースター接種」と言って3回目の接種も議論され始めた。日本政府は年明けには13000万回分のワクチンを用意しているのはこういう背景だからである。



 今日は月度一回の「学校安全衛生保健委員会」が学校医のご出席の下、開かれた。私は本校の生徒の感染状況と教職員のワクチンリストを例月のように学校医に用意し認識して頂いた。特に学校医は内科がご専門でワクチンについてご見識が高い。今日もアレルギーとワクチン接種についてお話を伺った。今私の頭を悩ませているのは「接種出来ない、しない」との個人的判断をしている教職員についてである。9日の読売の朝刊は「ワクチン打たぬ乗員 解雇」の記事があった。キャセイ航空は「接種せず、打たない理由の診断書」も出さないとして「少数」の乗員の解雇に踏み切ったのである。同社は「顧客や地域社会の安全確保が極めて重要だ」とコメントしているが、相当「腹を括った」判断で私には分かるような気がする。飛行機のお客さんと乗員を守るためである。ワクチン証明を有していない乗員と同じ狭い空間の飛行機に長時間と共に居るのは確かに相当勇気がいる話だ。





一方11日の朝日はワクチン未完了なら感染リスクは、デルタ株流行後、5倍感染しやすさで、入院死亡リスクは10倍を超えるとアメリカの「疾病対策センター(CDC))の発表を記事にしていた。ウイズコロナとアフターコロナは「最低限ワクチンから」始まると言っても過言ではない状況である。本校で働いている教職員をワクチンを打たないからと言ってキャセイ航空と同じように解雇をする積りはないし、出来ないと思っている。しかしここは「将来ある未成年の若者が朝から夕方まで狭い教室で勉学にいそしむ学び舎」である。そこで特に生徒に接する機会の多い教員には最低限自らも感染を防ぎ、生徒にも感染させない手段をぼつぼつ決定して実行に移す時期かなとここに決めたのである。辛い仕事だがこれが出来ないようなら私立学校の設置者として「責任は果たせない」と思うのである。今日の委員会で私はこの辺のところを丁寧に話したのである。