2023年10月28日土曜日

一天にわかに掻き曇る

 「一天にわかに掻き曇る」と言う表現がある。この場合「一転」と書きそうだが正しくは「一天」である。読み方は「いってん にわかに かきくもる」と読み、大空に雲などが発生し、空全体が突然暗くなることを意味する表現である。実に日本語は奥行きがあり、様々な表現ができる。昨日、橿原神宮には15時には到着し宮司他にご挨拶した。その時はまだ空は青く、少し蒸し暑さも感じる天気であったが、何と「海道東征」が始まったその時に、一天空は曇り、辺りが暗くなって来た。同時に風がビュービューと唸りを上げ始め、拝殿の右側にそびえる「畝傍山」の黒き樹々が揺れるのをこの目で見た。そして「雨と雷鳴」である。私はこの時、初代天皇陛下であらせられる神武天皇が今日の佳き日を寿ぎ、恐れ多くもお涙をお流しになったのかと思った。しかし式典は粛々と進み、雨の中で、海道東征第1章「高千穂」が始まった。



歌うは神戸市混成合唱団の皆様でそれまで有していたイメージを払拭し、プロのなせる技で高らかに交聲曲は雨の中、広い境内の隅々まで響き渡るソプラノとアルトの声で埋まった。雨は音を研ぎ澄ませるのかも知れない。司会者の誘導で人々は境内前の設えられた椅子席を離れて「回廊」に移動したがその間全く自然体で何時の間にかと言う感じで観客がまるで「回り舞台」で移動しているような感覚に陥った。予定通りに全てのプログラムが終わり、久保田宮司様のお招きで豪華な宴の会場である「養生殿」に移り、謝恩会は始まった。昨日のアラウンドに書いたようにこういう場合、名刺は沢山用意しておかねばならない。案の定、次々と皆様と挨拶を交わす頻度は半端ではなく、用意した名刺は残りわずかとなっていた。こういう場合、名刺不保持や切れましたなどは失礼な事である。 



式典の司会役はラジオ大阪のあの有名な看板アナウンサーの原田さんであった。この方から是非と登壇を求められ、「学校法人浪速学院と海道東征とのご縁」について話せと勧められた。恐らく産経新聞社の古い知人が根回しをしていたのだろうと。この記者は私と共に海道東征の道を辿って九州に旅したことのある歴史学者と言っても良い敏腕記者である。私は包み隠さず、本校が持つ宝物である学院曲「海道東征浪速」の誕生経緯についてお話しした。会場に埋まった人々には初めて耳にする話だったのだと思うが、会場は静まり返ってしわぶき一つ聞かず、聞いて頂いた。「秘話」など人の耳を傾けさせるものは無い。私は日本の学校で初めて、そして恐らく最後の学校になるかも知れない海道東征の曲を校歌ではない学校曲とした喜びと誇りが特別に私の「活舌を滑らかに」した。夕刻7時、終わって会場を出た時には雨は既に上がっており、晴れた夜空の中で私は思いっきり澄んだ空気で胸を膨らませた。 



今日は28日、土曜日、第1回目となる「高校の入試説明会」の日であった。情報に拠れば今年前半、府内を騒がせた高校授業料完全無償化が結果として「私立への風」を起こしたのか、総じて「私立人気が高い」と言う。本校でも事前予約制で人数制限を掛けているが枠は一杯で、今日も多くの受験生に来て頂いた。先行きに今のところ不安は無い。維新の進めた高校の授業料完全無償化は皮肉にも公立から私立へと受験生の目を向けさせる契機となったのかも知れない。まあ、嬉しい話であり、心おきなく明日から修学旅行に合わせて沖縄に飛ぶ。考えて見れば十数年ぶりの沖縄で是非生徒と共に改築中の「首里城」を見たいと思う。




2023年10月27日金曜日

高校2年生修学旅行結団式

遂に高校2年生の「修学旅行の結団式」の日となった。今まで学年主任がセンターとなって取り纏めてくれた。行先の希望調査、その修正、そして行った先でのアクティビティ等々エージェントのHISさんと何回も相談し、保護者説明会等を経て今日に至った。既に生徒の荷物は事前に送っており、29日の出発を前に今日が意思結集の場として結団式だ。本校のやり方である。学年主任は大変ご苦労さんだったと思うがまだ終わっていないから慰労の言葉は早い。本校では修学旅行は学年主任の専管事項としており、基本的には理事長や、校長はアドバスに留めており、中身は余りとやかく言わない。実行責任者はあくまで学年主任でこの人の下に7人の団長さんが付く。 


行先は道東、道央、道南、関東、九州、沖縄、そして語学研修のフリッピンの7方面である。人気の行先は道南205人、次いで沖縄、道央、九州、関東、道東25人となっており総勢800人を超える生徒が北は北海道から南は九州沖縄までに散らばる。大きな数のばらつきだが私の方針は生徒が行きたいところを優先させるという考えで纏めることは基本的にしない。海外は国際コースの生徒で18人の小規模だが目的は違うのでそれで良いと思っている。付き添い教員は39人、だから来週の学校は静かで少し寂しいものになるだろう。校長は道央、私は沖縄に行く。


 
13時30分から始まった結団式を垣間見て私は学校車に飛び乗り、藤井寺の道明寺天満宮に急いだ。そこの名誉宮司であり、本校の筆頭理事である南坊城先生をピックアップし行先は奈良県の橿原市にある橿原神宮である。今日は16時から産経新聞社とラジオ大阪がタイアップして橿原神宮で産経新聞創刊90周年、月刊「正論」発刊50周年、ラジオ大阪開局65周年記念合同の「橿原神宮奉納『海道東征』合唱公演」が開催され、ご招待を受けたので参加するのである。交声曲「海道東征」は、北原白秋作詩、信時潔作曲の作品で、日本建国の神話を基に、神武天皇が九州から畿内に進んだ様子を描いた名曲で、神武天皇の即位から2600年とされた昭和15年に皇紀2600年の奉祝曲として作られた。

 

今回の公演は、神武天皇が即位した橿原の地で、この名曲を神戸市混声合唱団による合唱とピアノ演奏により奉納すると言う。この海道東征をいち早く学校と言う公的な場所に導入したのは私である。この関係から招待を受けたのであろう。既に海道東征の演奏会参加は3回目となった。それでも私はこの曲を聞くと身体が震えるくらい心に染み入る。今日は演奏家終了後は橿原神宮の久保田宮司さまから茶話会の席も用意されており、又多くの方々とご挨拶に為に名刺入れを忘れないように胸ポケットを確認して車に飛び乗ったのである。 

2023年10月26日木曜日

グーグル・ジャムボードを使ったオンライン授業

 




今日は職員会議の日でした。理事長・学院長先生は10月度は行事も多くて先生方は大変だったが、教職員の力で全てが順調に進んでいることに対して冒頭まず、感謝と慰労の言葉を述べられました。昨日の高校の第1回目となる体育祭も成功裏に終わり、次は日曜日からの高校2年生の修学旅行について触れられ、「無事に連れて行き、無事に連れて帰る!」ことが付き添い教員の責務であり、宜しくお願いしますと述べられました。最後に国語科のT指導教諭が現在、漢字検定協会とタイアップしてGoogle提供ソフトの「ジャムボードJamboard」を使ったオンライン授業の実践ケースのユーチューブを見たが、その授業の素晴らしさに感嘆したと言われ、新しい時代の授業手法の主役の一つになる可能性に言及されました。理事長・学院長先生は「十年一日」の如き、原始的な黴臭い授業から脱皮し、ITを駆使した革新的手法に取り組む教職員を高く評価したいと何時も口癖のように述べられています。「ICT武装されたシティ・スクール」が先生の究極目標だと強調され本日の職会は終わりました。(K

2023年10月25日水曜日

第1回(浪速高校)体育祭 挙行さる

 今日は秋晴れというには少し気温が高く感じたが、文句の付けようがない好天に恵まれ、「第1回(浪速高校)体育祭」が行われた。開校100年目にして初めてスタートした高校の重要な学校行事である。従来は何十年も続いてきた「陸上競技大会(記録会)」であったが、これを改編して今日的な「お祭り的要素」を加味して体育祭に改称したものである。陸上競技大会の響きが少し「ガチ」になって来たのかも知れない。「まぁ、お祭りで良いのではないの!?」って感じで、ムカデ競争、玉入れ、大縄跳び等が入った企画である。体育科の教員を中心にプログラムの検討がなされ、初めて実行された。私は「まぁ、及第点かも」と評価しようと思う。これから2回、3回と続いて行くうちに本校らしさも出てきて、洗練された良い物になっていくだろう。 



会場は2年越しに探したが結局学校近くの「ヤンマースタジアム長居」となった。あの世界陸上が行われた競技場で、セレッソ大阪のホームグランドである。収容人数は5万人を数える豪華な競技場である。そこに本校の高校生2500人弱、加えて保護者や教員を入れても「スカスカ」な感じであったが、大きなオーロラビジョンが2台もあって本校の放送部がビデオ撮影した映像がそこに映し出され、IT化された体育祭となった。チーム分けについては担当教員の相談に応じて私が本校の校訓である「浄明正直」から浄グループ以下直グループまで4グループにしたらどうかと水を向けたがその通りになった。これは中学校の体育大会が「太陽」「海」「大地」の3グループに分かれていることを参考にしたのである。1年生から3年生まで学年を超えて分かれた「団編成」で、生徒は自グループの揃いのTシャツを身に纏ったまとまりのあるお祭り的競技会となった。揃いのユニフォームはチームを纏める。制服やユニフォームが如何に大事が良く分かる。


プログラムの中で面白かったと思うのは100m走、400mリレー、クラブ対抗リレーや応援合戦であった。しかし10月は忙しい。しかし私が忙しいと言ってはならない。「忙」は心を失うと読む。楽しまなければならない。明後日は修学旅行の結団式があり、28日は第一回目の高校入試説明会となり、29日から高校2年生は一斉に出発する。秋の学校行事はこれで大体収まる。11月は少し落ち着きを取り戻した状況になるだろう。





2023年10月24日火曜日

千早赤阪村との調印式

 大阪唯一の村である千早赤阪村と本学院とは関係が深い。私個人の「隠れ家」というか、趣味の陶芸に没頭できる週末ハウスも「多聞茶寮」と名付けてこの村に有している。この地には「建水分神社」という大変有名な神社があり、ちなみにこの神社の宮司様は本学院の評議員を務めて頂いている。21日宵宮、翌22日に秋晴れの中、本祭が挙行された。秋の実りを感謝するお祭りとして建水分神社に奉納される御神輿渡御祭が「千早赤阪村だんじり」である。とにかくこの祭りは凄い。都会の喧騒から離れたのどかな村が、お祭りの日だけは大にぎわいになり、周辺3市町村(富田林市、河南町、千早赤阪村)の各氏子地区から、20台近くの地車が宮入りする。私の隠れ家から200メートルにある「御旅所」へ曳行された、全地車が参集した風景は河内随一と謳われるほどで壮観である。私の茶寮前を通るだんじりを、お祭り大好きの人間である私は当然「わっしょい、わっしょい」と叫んで盛り上げるのだ。 




お祭りも終わって、今日は24日、「秋晴れ」の中、久し振りに私は「多聞尚学館」に赴いた。この校外学習施設は本校の「宝物」である。学校改革に着手した私が最初に手掛けたプロジェクトであり着任して2年後の平成21年には開館式を行ったくらい信じられないスピードで入手出来た旧多聞小学校である。大改造を行い、多聞尚学館と名付け、定期的に改造を加え、今や200人の生徒が宿泊しながら学習できる有効な施設となった。今思い出しても感慨深い。コロナで宿泊学習合宿を自粛したが一時は年間延べ5000人を超える生徒の学校ではない非日常の学習施設となった。その成果は計り知れない位大きいと思う。 


この施設を千早赤阪村の当局は災害発生時の「避難場所としての施設利用」をさせて頂きたいと申し出があり、私は即座に了解した。お世話になっている村の住民がいざと言う時にこの施設を使って下されば教育機関としてもこの上ない喜びである。本日の協定の「調印式」は南本村長、稲山副村長、村政戦略部長、菊井危機管理課長の出席で学校からは私と宮木常務で行った。指名を受けて私はこの千早赤阪村とのご縁を振り返り、今後とも永いお付き合いをお願いした。少子化、高齢化で今後の村の将来像は必ずしも平穏で無いかも知れないが大阪府唯一の村として「太平記」が記す歴史の故郷である。大楠公こと、楠木正成公の生誕地としてますます住民の皆様が誇りを持って楽しい住みやすい土地として発展されることを祈っておりますと申し上げ、無事に調印式は終わった。



2023年10月21日土曜日

開校100周年目の中学体育大会

 










今日は第16回目の浪速中学校体育大会の日でした。理事長・学院長先生がご着任されて直ぐに「中学に体育大会が無いのは信じられない!」と言われて始まり、16年が経過したことになります。それまでは高校の陸上競技大会に紛れていたものを正式に体育大会として中学校の学校行事に入れられました。開校100周年目の体育大会に相応しく、快晴に恵まれ、多くの保護者の参加を得て盛大に挙行されました。保護者用の用意した椅子では足らなくなり急遽大幅に増やす場面もありました。本校の体育大会はユーチューブでオンライン実況中継され各ご家庭の祖父母など今日会場に来られていないご家族にも配信されました。理事長・学院長先生は本部席で生徒の活躍を温かくご覧になり声援を掛けておられました。(K