2021年1月29日金曜日

「カーネーションと浄明正直の心」

高校卒業式も終わった。「3年生の学年団」は何時もならその日の夕方、ミナミや天王寺辺りに繰り出して「打ち上げ」となるのが通常であるが、今年は当然自粛だった。3年間、頑張ってくれた学年団の担任の先生方には苦労話も色々あったと思うが仕方がない。私は慰労のために主任及び担任16人の先生方お一人お一人に学年主任を通じて「金一封」を差し上げ、打ち上げを自粛してくれた代替えとしたのであった。ところで27日のアラウンドで気付かれたかも知れないが、卒業式では例年の如く生徒と学年団の先生は胸に「カーネーション」の花を一つ付けている。これが何時頃始まったのか定かではないが私は「良い伝統」「浪速教育の集大成としての象徴」と位置付けて継続して来た。これだけは今後とも引き継いでいかねばならない。


最も今年も用意した花は700本だから安くはないし、枝を切り取って胸に差しやすいように加工も必要だが、長いお付き合いをしている出入りの花屋さんが「これだけは絶対に用意する」と段取りをしてくれている。有難い限りである。「何故のカーネーションか?」であるが、私は「感謝の誠」を現す象徴と捉えている。仏教でも神道でも「報恩感謝」は人間の生き方の根源の教えだと思う。先のアラウンドで触れたが人間は父母から生まれ「産土の神」が守ってくれている。更に神道では「浄明正直」という大切な言葉がある。この言葉も深い感謝の意味がある。神道もひとつの「宗教」だが、戒律とか文書による明確な「教え」というものは存在しないのが、神道である。感じる宗教であり、修養なのである。 


そういう中でも「生き方の心得」として大切にされている言葉が「浄明正直(じょうみょうせいちょく)」である。「浄明正直(じょうめいせいちょく、しょうじき)」という、読み方をする場合もある。この言葉は、神職の階位にも下記のように用いられていることからも、神道の中でとても大切にされている言葉であることが分かる。浄階、明階、正階、権正階、直階がそうであり、その意味は、至ってシンプルな「心の在り方」を、私たちに教えてくれている。

「浄(清)く、明るく、正しく、直く」だ。

 「浄……清らかで、濁りや穢れのない心  明……後ろ暗さのない、朗らかで明るく爽やかな心  正……公明正大で噓偽りや裏表なく、モラルやルールを大切にする心   直……真っ直ぐで偏りのない、素直な心」である。清らかで、明るくて、正しくて、素直な心というのは、ひとことで言えば、人間が生まれたときに持っている魂の本質、「真心」である。あるいは「誠の心」とも表現できるかも知れない。神社神道の学校として本校の校訓あるいは校是は伊勢神宮から頂いた「浄明正直」なのである。私は何時もこの字を背負って執務室にいる。結構重たいよ!


どのような人間も、生まれた時から悪い考えを持っているわけではないし、生きていく中で出会う、さまざまな誘惑や挫折、曲が事等によって心が汚されてしまうことを「穢れ(けがれ)」というが、神様は何時も穢れを打ち払い、「真心」を取り戻すことができるということを教えてくれている。浄明正直の生き方は神様からの応援を戴けるという風に私は捉えている。大体今日で高校願書の受付はほぼ終わった。何と何と「専願受験者が新記録」は間違いない。専願は「本校で学びたい、本校に入学したい、それ以外は考えていない!」という受験者である。私は4月の入学者を心待ちにしており、新入生の生徒に「浄明正直」を徐々に伝えて教えて行かねばならない。それが理事長・学院長の責任である。「責任があるということは嬉しいこと」だ。

2021年1月27日水曜日

第73回高校卒業式 「木村賞の褒賞」

「第73回目の高校卒業式」の日であった。天気にも恵まれ幸いであった。昨年までなら私は高校校長として「黒羽二重紋付に仙台平の袴」と正装の和服で臨んだものだったが、今年からは校長を飯田先生にバトンタッチしたので洋装の「略礼服」とした。校長は当然「黒モーニング」である。どういう訳か公立も私立も卒業式の校長の服装は圧倒的にモーニングが多い。これも引き継がれた学校文化である。コロナ禍の卒業式ということで式次第は大幅に見直し、時間短縮を図った。それでも神前奉告から式終了まで1時間15分かかった。卒業生はこれから本格的な大学受験が控えており、最大限の配慮が必要である。 



この学年は私が入学を許可し、2年後に校長職を譲ったから新校長は3年次の1年の間、面倒を見てくれたことになる。これを新校長は式辞の中で触れてくれ、生徒や私への配慮をしてくれ、有難かったと思う。しかし企業社会では途中で社長が交代しても社員には余り影響はないが学校社会では「このようなものなのか?」と私は感じた。学校と言うのは校長が入学を許可し、3年後に卒業証書を授与すると言うのが「大きな不動の文化」なのである。だから教員もその昔は他校に変わっても行っても卒業式だけは元の学校に出張して参加するというスタイルだったが本校では私はこの風習をやめた。昔に浸る暇があったら今の生徒に時間を使えということだ。

 


式の進行に伴って私は感じるものがあった。それは「リモートの卒業式も悪くないな」と正直感じたのである。広い体育館には卒業していく654人と学年団の教員だけである。浪速の体育館は広いと言われているが卒業生654人で一杯一杯の感じだ。だから今まではすし詰め状態だった。在校生も保護者も、PTA会長や役員、同窓会会長も理事・評議員も今回は参列を遠慮いただき、「簡素で教師と生徒のみ」という空間が不思議な雰囲気を醸し出しているのである。生の肉声のスピーチは校長と卒業生代表の答辞のみである。勿論会場の中での出来事は全て、リモートで動画撮影され同時並行で別部屋の保護者には流されている。式典終了後の最後のホームルーム教室での様子までもがそのクラス単位でまとめられた保護者の部屋に音声と映像が流されているような学校は府内にはあるまい。全館Wi-Fi環境がなせる技である。

 式次第で私の出番は「木村賞」から始まった「寳來賞」「浪速学院理事長賞」「大阪国学院理事長賞」の4件の授与があった。木村賞について司会は「次に学校法人浪速学院からの特別褒賞の授与となります。本学院理事長、学院長の木村智彦先生より授与されます。まず木村賞の授与となりますが、これは昨年度より新設された賞となりますので紹介させて頂きます。在学3か年間、学業成績、生活態度が優秀で他の模範であった生徒1名に対し授与致します。褒章の名称につきましては平成19年より浪速改革を進め、本校を飛躍的に発展させられた木村理事長・学院長のご功績を後世に残すために、我々教職員でお願いし、理事会で承認され、木村賞として授与することになりました。本校の表彰制度の最高位の賞となります。」との発言があった。

 当事者がまだ現役で生きているのに自らの冠りの付いた褒賞を自らが授与するのは確かに気恥しいが、それを我慢して私は「木村賞」の創設を受け入れた。基金は自らが昨年寄付しファンド化して貰っている。単に表彰とせず、褒賞としたのは善行・功労・成果などを表に彰にする(公に明らかにする)とともに、被表彰者の功績及び実績に対して最大限に褒め称える為である。「褒賞」は、模範となるような行為や努力を褒めたたえることだけではなくて褒める意味で与える金品を意味している。木村賞はご褒美(ほうび)として褒賞金は10万円とした。その後神社前にて保護者を入れて記念写真となる。これもご褒美だ。



厳しい経営状況から脱し、ようやく認知された人気のある大規模校に成長した本校も未来永劫続くと思うような甘えた考えを捨てなければならない。栄枯盛衰は世の常である。その時に本校最高栄誉の褒賞名に木村の名前があることは現在85%近い教職員は私が採用した教職員であると言う事実から「初心忘れるな。常に生徒ファーストを意識し、頑張れ」との赤信号がこの木村賞なのである。生涯現役を覚悟しているが、私も何時かは終わる。それでも私の名前は残り、「教職員に警鐘を発出」するのだ。木村賞とはそういう意味もある。とにかくコロナの中でも従来とは趣の違った卒業式が無事に終わって安堵している。生徒も教職員も良く頑張ってくれた。コロナ禍の中で654人の生徒を導いてくれた先生方、有難う!素晴らしい。




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2021年1月25日月曜日

二の足を踏む or 慎重居士?

今日から「高校卒業式」の準備もほぼ終わった。コロナの影響から今年の式典は簡素化し、時間の短縮を図る。珍しい形になるだろう。明日が予行で27日が本番である。「浪速高校の志願書受付」も2月2日締め切りで、順調に数が伸びている。明日、明後日が出願の山場になるから卒業式とガチぶつかってしまったが仕方がない。今日は「校務運営委員会」に先立って学校医のご出席の元、「安全衛生保健委員会」があった。私はと言えば既に4月からの新年度の体制準備で色々と考えを巡らせているところである。前に触れたが4月からは新専任教諭を5人採用する。内3人は本校の卒業生である。いわばOBが念願かなって「教師として母校へ凱旋できる」のである。まずは「おめでとう!」と祝福したい。立派な教師として育って欲しいと思う。

 


ところで「二の足を踏む」という言葉がある。ご存知のように一歩目は進みながら、二歩目はためらって足踏みする、思い切れずに迷う、ためらう、しりごみするという意味だ。「正札を見て二の足を踏む」と言う風に使われる。語源は諸説があるが、要は「決断することができずためらうこと」を意味する慣用句である。私には性格からして二の足を踏むという場面はただ一つの場面を除いて全くない。何事も直ぐ決断し、二の足どころか実行する前には既に前足を踏んでいるような私が二の足を踏む場面とは一体何か?・・・それは本校の卒業生を正式な教職員として採用をするかどうかの場面の時である。

 



これには過去の苦い経験が背景にある。私の小さな「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」だと思う。既に遠い昔になってしまったが、学校改革の過程で2人のOB教員が大きな障壁となり、この二人の排斥、追い出しにいささか精神的に苦労した経験がある。爾来卒業生を正規職員に入れる局面になると二の足を踏む。否、やっぱり表現が少し違う。「慎重居士」になったと言うべきか。木村が慎重居士?これも身近な人から笑いが漏れるかも?違うか!今回も相当人物を観察し、最終的に卒業生3人を迎えると決めた。一点の曇りもなく決めた。必ず本校発展の為に頑張ってくれると確信している。

 勿論、本校に職を得た教職員の採用基準は全て「人物本位」である。だが人間は悲しい生き物で「本校を卒業したというだけの経歴が自分を惑わす」のだ。さも「自分の学校だと思うようになるのか」、「自分の生徒時代をさも極上の時代」と錯覚し、辺りを睥睨し、自分勝手な言動が出てきたら危険域である。まだ成長過程の15歳やそこらで「わずか3年、本校で学んだだけ!」というのに思い上がった言動や風情が私には「鼻もちならない」のである。もう一つはその職員の高校時代の成績や言動を同窓は皆知っており、「何だ、あいつが母校の教員だって?笑えるよ!息子は行かせられないな!」などとなってしまっては不味いから、敢えてOBは採用しないのが良策と言う考えもある。

 


本校には高校、中学で卒業生職員が専任教職員及び内定者が10名いる。8名が教員で2名が職員である。10名の内前述した3名を含めて7名は私が採用した人々である。徹底的に観察し、「腹を括って」採用を決めた7名である。現在総勢170人近い教職員で10人がOBだから多くはないし、そうかといって少なくもない。今は彼らに全く問題はない。ただ私がいなくなり、何十年後にどのような教職員になっているのかそれは気になりますよ!学校社会は基本的に組織ではなく、一人一人が専門店の社長さんであり学校はその連合体である。学校は完全に平等な社会であり、こういう組織は「OB教員が跋扈」するには格好な場所である。 

齢60歳のおっさんOB教員が勉強もせず、自分では何もせず、OBではない若い教員に「自分の時代は云々」と説教を宣い、時に管理職まで無視するような言動を想像することは難しくはない。そうなると学校は下り坂に突き進んでしまう。要はOBであるかどうかは全く関係ない。あくまで教職員として学校という営為を展開する組織の中で総合的視点で「教育者として優秀であるか、優秀になろうと努力する人か、そのポテンシャルがあるかどうか」で今後とも素晴らしい専任教職員を採用していく。「本校ではOBであるか、どうかは全く関係ない!」。

2021年1月23日土曜日

串カツだるまの上山会長と俳優の赤井英和氏

コロナ禍の中でも時は止まらず、しずしずと進行する。今日はわずか6日前の日曜日に最終合格した者を含めて多くの小学校6年生が受験生の身分から浪速中学校新入生になる為の「身分変更の手続き」で登校してくる。入学許可証明書、授業料等の納付、通学路の確認、通学定期券の購入説明、制服採寸、体操服、体育館シューズ注文等が粛々と行われる。次回は2月27日で更に準備が深く進む。「新入生心得」「生徒生活指導部からの説明」「ICT教育」等々根幹部分への説明に進み、もうこの段階で「春季課題」としての宿題が課せられる。そして「4月5日入学式」となりその翌6日には「宿題実力テスト」で真の意味の学力検査となる。今後の指導方針の為である。更に翌「7日が始業式」でこの日、学院神社の「春季例祭」があり、大神様からお祓いを受けて名実ともに浪速中学校の1年生となるのだ。「この先6年間のロングフライトの離陸準備」である。 


令和3年度の高校入試の出願にも浪速中学の3年生が既に出してくれており、全て当然だが専願であり、心強い限りである。中学1年生から高校3年まで浪速学院で学んでくれる生徒は通称「内部生」と呼ばれ、私は民間出身らしくその昔親しみを込めて「家の子、一族郎党の生徒達」と称したら人権派の教諭から「先生、それは些かまずい表現ですよ」と注意された事があったが、気分はそのような思いである。学校と言うのは実に「妙なるもの」があり、我々が入学を許可し卒業させた人々には特別な感情がある。わずか6年、わずか3年の間、同じ敷地にて時を過ごしただけと言うのに学校には「教え子」と言う言葉があり、教え子同士には「同窓生」という言葉がある。特に同窓同士には「絆みたいなもの」が生まれてくるから不思議だ。特に高校生の時の思い出は大きなものがあり、共に「クラブ活動」で時を過ごした者たちには「仲間意識」が強い。勉強が良く出来たもの同士と言うのは余り聞かない。

 今日久し振りに、その卒業生が学校に来た。串カツだるまの上山会長と俳優の赤井英和氏である。先に上山会長から電話があって「先生、ちょっと相談ごとがあり、学校に行っても良いですか」と聞いてくるので「良いよ」と返事すると「赤井先輩も丁度舞台が空いているので一緒に」となる。この二人は本校の卒業生と言うより本校ボクシング部の卒業生と言った方が良いくらいでとにかく仲が良い。在学中からつるんでいたらしいしが今や二人とも有名人であり、赤井さんが大阪に来ると何時も一緒だ。上山さんは大阪を代表する名所ミナミの道頓堀商店会の会長さんで今や東京や海外にも出店している串かつやを経営している有名なビジネスマンである。赤井さんは誰もが知っている性格俳優で今や人情ものの舞台でも欠かせない俳優さんで東京を拠点として活動している。



 

彼ら二人は私が入学を許可し卒業させた人々ではないが、事ある時にこのように私を慕い、話を聞きに母校に顔を出してくれるのは嬉しい話である。彼らにとっても「功成り名を遂げ」ても尚、40年くらい前の母校とのつながりは精神衛生上良いのだろうか、実に良い顔をして学校にくる。彼らが教育を受けた教師は今や誰一人として残っていないが、このように汗臭い、いささかやんちゃ過ぎた自分たちの男子校が今や女生徒がさっそうと走り回っている共学となった母校を見て、昔と大きく変容したが、「自分は浪速高校の卒業生だと堂々と名乗る」ことの出来る嬉しさと誇り高さの表れではあるまいか。学校というのは卒業生が胸を張って母校を名乗れる学校でなければならない。今いる学校管理者は何時も卒業生を温かく迎えてやらねばならない。学校管理者が有名になった卒業生に何かを期待するのではなくて学校が彼らに更に何をしてやれるか考えるのが正しい。私は何時もその感覚を忘れてはいない。






2021年1月21日木曜日

浪速高等学校  入学志願書 受付始まる!

中学入試が終わったと思っても我々には次の大きな仕事が待っている。今日から高校の入学願書受付である。正式には「2021年度浪速高等学校 入学志願書」の受付である。志願書の冒頭には「浪速高等学校長様 貴校第一学年に入学を志願致しますので検定の上、許可くださいますようお願いします」とある。定型文である。一昨年から出願方法として「WEB出願」を導入したが、コロナの影響か?今年は何と85%がウェブ出願となっている。時代の流れだ。これも「ニューノーマル」である。そのうち100%になるだろう。しかし公立中学校の進路指導はWEB出願と言っても受験場所の確認のため「学校に出向くよう」指導されているから受験生は本校に三々五々と2月2日(火)の出願最終日まで足を運び「受験票」を受け取らないといけない。受験生の登校にはピークがあって今年はどうも27日の高校の卒業式前後になると入試広報部は言っていた。 



従って学校には紙志願書、ウェブ志願書に「郵送出願」の三つの方法がある。混乱し間違えないようにしなければならない。過渡期の問題だろう。事前の相談件数等から出願数は大体読める。昨年度に比べて今年は「増えそう」との感触を持っている。中学校が増え、高校も増えたとなると、嬉しい限りである。昨年4月に新体制が発足し、コロナ禍の中で思うような学校行事が出来なく、高校、中学の校長はじめ教職員は辛い思いをしただろうが、受験者と保護者は「ちゃんと浪速を見てくれていた」という事だ。本校で働く教職員の「至誠」と新校舎の武器である「ICT武装されたシティスクール」が評価されたと思っている。真面目に良い仕事をすれば「結果は後から付いてくる」のである。志願書の受付では丁寧に、温かく迎え、専願、併願、科コースの間違いなどあってはならない。この点を高校校長がキックオフで強調して注意していたが、大変結構な事である。人間誰しも間違いはある。しかしその発生間隔と大きさは努力と緊張感で遠ざけ、縮小することが出来る。 


本日も非常事態下と言っても訪問者は後を切らない。今日も出入りの松本楽器店の社長、西尾家具の会長、社長、次いで本校バドミントン部の指導者として大阪バドミントンカレッジの幹部お二人に来て頂いて正式に契約を交わした。指導には定評があるこの先生方をコーチとしてお迎え、10年以内には全国のバドミントン強豪校に育てる積りである。指導者の先生は腰まである長い髪を後ろで結んでおられたのには驚いた。「あれはバドミントンで邪魔にならないのだろうか」と内心思ったが、髪の長さと指導の腕は関係ないから黙っていた。次いで午後には本校のメインバンクであるりそな銀行の支店長が来校され、コロナに拠る市中の金融状況など色々とお話しいただいた。このような外部のお方の話は大いに勉強になる。幾ら不要不急の外出は控えると言っても限界がある。私の部屋の空気清浄機と学校全体の室内換気システム、それに強力な武器であるマスクでコロナは撃退できると踏んでいるから、喜んでお客様はお迎えはしているのである。




2021年1月19日火曜日

本日その② 浪速中学校の風向きが変わった!二次入試も好調

今日は「浪速中学校二次入試の日」である。高校も中学も平常の授業が行われているから、試験会場は中央館の8階の視聴覚教室と保護者待機室は図書館である。良いものを作ると何時までも美しい。土日の休みもなく正直年寄りには少々きついが、中学校や入試広報部の先生方が頑張ってくれているのに私が休むわけには行かない。最もしんどいのは受験生の小学校6年生である。子供たちが必死に本校を目指して頑張っているのだから、大人の我々はこれまた必死に受け止め、無事に作業を終わらせなければならない。本日で入試作業はほぼ終わるが厳密に言えばまだ完全終了とはならない。「2月入試」と言うのがあって、本校では「2月5日に実施」する。親の転勤やまだ行く先の決まっていない生徒の為に門を開けておくのである。例年一人か二人の受験生がある。私立中学を経営している学校法人は府内に60校あるが、高校は96校だから差し引き36校は高校のみの学校法人である。これらの法人の理事長から「中学校はしんどいでしょう?」と聞かれることが昔は多くあった。私は「中学校こそ面白いのですよ」と答えるようにしていた。本当にチャレンジングで面白い。「病み付き」になるくらいだ。

 

募集も教育活動も高校に比べて苦労も多いが私は先生方に「教育の原点は中学校にあり」と言っている。39、34、70、107、119、121、120、88、67、69、94、95、91、102、107、137。これらの数値は何だとお思いでしょうか?実は平成17年度から去年までの入学者数である。これを見れば変遷が良く分かる。涙ぐましい16年間であった。某大学との連携に全く想像だにしない事態が相手側から発生し、大きな騒動になり、私は訴訟一歩手前まで考えたが生徒の事を考え、「悔し涙」をこらえて法廷闘争だけは止めた。そして完全にその大学とは手を切ったのである。その時の影響は数値に出たが「なにくそ!」と思い、歯を食いしばって頑張ってきた。そして昨年の137人の数値が出て当時の数値をはるかに超え従来の3クラスから4クラスとなった。令和2年は名実ともに新しい浪速中学校に生まれ変わったのである。

 


そして2年目の今年はどうなるか、じっと眺め,指導・激励していたが、入学者予想は昨年の新記録を抜く可能性がある状況になってきている。今日の入試の受験生の数と内容を見ると4クラスを間違いなく維持できる見通しとなった。凄いことである。歴代1位の生徒数が期待できるところまで来た。偏に入試広報部と中学校の頑張りであり、心から感謝致したいと思う。どうも昨年から「風向きが変わった」感じだ。府内60の私立中学で22番目に生徒の多い中学校である。2年連続だ。トップグループの最後尾だが嬉しい限りである。今後とも焦らず「丑の歩み」で良いから一歩一歩前に進めて行く。しかし嬉しい。 


中学入試はほぼ山場を超えて明日は「束の間の休息日」とした。中学、高校共に休校である。高校は来月の入試の先取り休日である。そして明けた「21日からは高校願書の受付」が始まる。こちらも大変だ。数は府内96校のトップ10校に入っている大規模校だから受験生の数は中学の10倍は軽く超える。そちらも学校法人としては重要である。心して進めていきたいと思う。現場からコロナ対策で窓を開け放っているので「女子受験生の為に温かいひざ掛け」を用意してやりたいと言うので「二つ返事」で了承した。1000枚も要るが「よっしゃー、アイヨ!」って感じだ。こういう時の私はすこぶる機嫌が良い時である。

本日その① 「産土神の御魂を分霊せしめ、お祀りせよ」

昨日の美原区にある総称「高天原スポーツキャンパス」第二期工事の「乾坤一滴ドリームフィールド(Kフィールド)」の施主検査は実に感慨深いものだった。平成29年9月に地鎮祭を行って以来、実に4年、あの広大な5メートルも段差のあった草原が今見事に競技場として蘇った。前から因縁のあったこの土地に今生徒がスポーツを通じて自らを高める教育施設として集う場所が完成したのである。私はクラブハウスの最適な場所にスポーツキャンパス全体の神様として「産土の神」を神棚でお祀りする。そして国旗掲揚台の傍らに日本の総氏神として伊勢神宮を遥拝する「遥拝所」を建立することも決めた。神社神道の学校として大切なことである。こういう事を意識して行かないと、私学の本校は本校でなくなり、日本人は日本人でなくなり、日本は日本でなくなる。今生きている我々は遠い、遠い先祖から今に続いており大地に行かされてきた。「神々の国」、それが日本である。 


「産土」は(うぶすな)と読む。間違っても(さんど)とか(さんつち)と読んではいけない。まあ、今の世の中だから恥をかくことはないが知っている人は素晴らしい教養の持ち主と称賛されるだろう。漢字変換でやってみると、ちゃんと変換されるから。「産土神」は人間一人一人にとって「オンリーワンで一生守ってくださる神様」だと思うのが分かり易い。よく「氏神さま」と間違われるが、家と個人の区別と私は理解している。氏神は住所でどこの神社かというのがある程度特定されるが、産土神はたとえ同じ住所に生まれた親子や兄弟でも別々の神社になることが普通で、その理由は、魂と前世や先祖が関係して、その人の一生の産土神が決まるからである。

 


言い方を変えれば産土神はその者が生まれる前から死んだ後まで守護する神とされており、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている。産土神への信仰を「産土信仰」という。又産土神は安産の神である産神とも関連があり、日本中、どこへ行っても産土神社があり、産土神が祭られているから、 「産土神と産土神社は、日本神道の根幹をなす存在」だと言える。このように昔の日本人は、産土神社に参拝することを生活の一部としてきたが、産土神と産土神社を知らないという日本人が驚くほど増えてきたのも事実である。あなたの産土神社はどちらの神社ですか、と尋ねられて、即答できる人は本当に少なくなっている。

 




とりわけ都会に住む本校の生徒も、産土神社とのかかわりが甚だ薄くなっているから何らかの手を打つ必要性を感じていた。人間誰であれ、父と母から産み出されたことに変わりはなく、ならば、産土神の産霊(ムスビ)によって産み出されたことに変わりはない。自分の肉体形成の原点である、父と母と産土神に感謝の心を向けるということは、自分の生命力の根っこに栄養を補給することになるのである。先ずは産土神とどこかで繋がっていることが重要であり、ここスポーツキャンパスの守護神として「産土神社の御霊を分霊」してお祀りすることは大きな意味があると考えた。私が今やらねば未来永劫誰もやらないだろう。だから今やる。産土参拝をこのキャンパスに取り入れることで、生徒達には自分の人生を切り開いていって欲しいと思う。「貴方にはオンリーワンの神様が付いている」のだ。

2021年1月18日月曜日

Kフィールド完成・最終施主検査終わる!!

 











本日、午前中予てから予定していた、堺市美原区にある「高天原スポーツキャンパス・浪速乾坤一擲ドリームフィールド(Kフィールド)」の最終施主検査を理事長・学院長先生がなされました。

先生は隅々まで、検査され、大きな手直し等は無く、「素晴らしい!!素晴らしい!!」と終始感嘆され、ご機嫌なご様子でした。

施主検査の中で、先生は金色に輝く門扉の表札を非常に気に入られ、続いてグラウンドに移動し、非常にクッション性のあるトラックで試走をされ、感触を確かめておられました。

竣工式に関しては、コロナ禍の中であるという事を考慮し、非常事態宣言明けにしっかりと感染対策をしながら、学校関係者による使用始め式、工事関係業者、理事会・評議員会の方々をご招待しての竣工式を行う予定です。

最後に先生は、工事関係業者の方々に、「この工事は自分の中では住吉区の新校舎建設に継ぐ、一大事業であり、大変良いものを作っていただきました!」と深々と頭を下げられ、御礼の御言葉を述べられました。(K