2024年9月30日月曜日

浪速祭のPTA打ち上げ会「陽は昇る」

 29日の土曜日は特段大きな行事も無く、この日夕刻市内の道頓堀ホテルで「先の浪速祭のPTA打ち上げ会」があった。PTAだから当然の事、我々教職員も参加しなければならない。管理職とPTA担当の教諭がご招待を受け、P側は会長以下幹部役員で総勢100人近い大パーティであった。何時も道頓堀ホテルにしているのは、このホテルの会食は比較的安価で中華料理が旨くてボリュームもある。何年も続けていると先方も手慣れたものでサービス満点であり、我々は満足している。 全て会費制の会だ。



理事長、会長の開会挨拶から始まり、アッと言う間に盛り上がった。ここが浪速PTAの素晴らしいところで全員が「今を一生懸命に生きると言う神道の教え」を地で行っている。昨年までは「ビンゴゲーム」が名物企画であったが今年から会長判断で止めて理事長、会長、高校校長、中学校長の4人による「抽選会(くじ引き)」に切り替えたと言う。素晴らしい決定で今時分、大の大人が「ビンゴー!」などと叫んで1時間も時間を取るなど信じられない有様だったから私は嬉しくなった。だから特別賞として「ご朱印帳」を3冊出した。開校100周年記念の記念品として豪華に作成したもので川島織物の古代裂の布張り製でコストは5000円の代物である。(少し高かった?と思う。) 

その後当然の如く「カラオケ」に移り学校のD教頭から始まり、PTA、会長と続いた。会長はこの日ダイエットして痩せた身体に仕立ての良さそうなベスト付きの黒っぽいスーツに身を包み、胸からサングラスを出し、さもかっこ良い有名な歌手に見えるくらいの熱唱であった。しかし今、教頭先生と会長が何を歌われたのか題名も歌詞も、大体日本語の歌だったのか?、一切思い出せないのが不思議である。最後の「トリ」は当然私で、あまり気力が湧いていなかったが、前日から強い要望があり、私は「選曲」を十分考え、今年はキムヨンジャの「陽は昇る」とした。「何の苦労もないままに 生きて行けたらいいでしょうに 恨んじゃいけない人の世を 心の憂さを雨風を あんた陽は昇る、あんた陽は昇る 愛する人が居るから 陽は昇る~♪♪」にした。マイクが今一つで自己採点で70点くらいか? 




こういう席では理事長はただただ「サービス精神」旺盛で頑張らねばならない。偉そうに斜に構えているようでは私立のトップは務まらない。会の序盤で高校、中学の校長が各テーブルを回り、お酌をしながらPTAのご支援に対してお礼を言っていたのは素晴らしいことであった。そして私は会の終盤だからお酌こそしないが、各テーブルを回って感謝の誠を捧げるのである。当然の事だ。PTAの方々は皆さん、品よく、笑顔が素晴らしい。私は各テーブルにおいて記念写真を撮るのが通例であり、「携帯の待ち受け画面に!」と最後のキメ台詞を言って又ここで笑いを取るのである。これがパーティの席での私のスタイルであり、恥ずかしいが理事長たる者、「このような席では大スター気取り」で振舞い、必ず心のこもったお土産をお渡してお開きにする事が会の成功には必要である。




2024年9月28日土曜日

日本神話「スサノウと八岐大蛇」

 順調に進んでいる新中学棟の工事であるが「一つだけ気がかり」な事がある。それは中学校棟に繋がる「西関門」入って直ぐの左側に大きな「木彫り彫刻」を飾るのであるが、その完成イメージについてこだわりの強い私には「本当に私が満足する作品」が出来るのかと先行きを心配して安閑とした気持ちではおられない。こういう性格だと言う事だ。既に2回の打ち合わせをしてきているがそれでも心配が残る。ここに「欄間彫刻」みたいな、「単なる平板彫刻」みたいな物を飾り付ける気は毛頭ない。だから急遽、名代としてM常務理事とU設備担当を富山県井波の彫刻家の工房に行って貰い、私の意思を再度徹底させるようにした。30日の月曜日に出張して貰う。 



中央館回廊を抜け、東館との境界は「天孫降臨の高千穂の峰がガラス絵」で飾られており、その境界を抜けると東門前の左面は「天の岩屋戸伝説が壁画」として描かれている。又回廊の中央部分には天御柱があり古事記の序文が薄墨で書かれている。古事記、日本書紀が描く日本神話の柱は以上の「天孫降臨」「天の岩屋戸」に加えて「八岐大蛇」伝説が来る。この三つがハイライトであり、神社神道の学校として残った最後の一等地に私は「ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)」伝説を彫刻で飾る。これで一連の東館、中央館、西館(新中学校棟)の新校舎が放つ神話の息吹が完成するのだ。発注先は石川県の日本の太鼓作りのトップメーカーさんである浅野太鼓さんで、実際の彫刻の手は富山県の井波彫刻の第一人者である伝統工芸士の畠山先生である。 




ご両人には既に飾る場所まで見て頂いており、私の信頼が厚い技術者であり、卓越した技能者である。畠山先生には100周年記念で3尺大太鼓の太鼓台に素晴らしい「上り龍の彫刻」を作って貰った。大変、満足している。しかし今回の作品は少し異なる。それは「神話のストーリー(物語)性」がある事だ。だから私は「心配性」ゆえに拘っている。発注者の意向をよくよく忖度して欲しいと思う。「バタバタ」と決まったプロジェクトだから十分な意志疎通が必要であり、先に述べたように30日は最終の意思伝達だ。絶対に「のっぺり」したものであってはならない。「躍動感」に溢れた「動きが感じられる立体化」を図って欲しい。そう、運慶、快慶の「仁王像」みたいにスサノウだけでも半身近くの立体化できないだろうか?感覚的には「鼉太鼓の龍の彫刻」みたいなものである。 


日本神話のスーパースターである「スサノウ」が太刀を振るって8つの頭と8つの尾を持つ大蛇の首を刎ねる有名な「八岐大蛇」伝説だから須佐之男命(スサノオノミコト)を「立体化的」にして欲しいと思う。高天原を姉のアマテラス大御神から出雲の国に追放された「やんちゃ」極まりないスサノオは、見事に大蛇を退治した。十拳剣で切り刻んだ時、尾の中から大刀が出てきて、それを天照大御神に献上した。これが3種の神器の一つである「草薙の剣(天叢雲剣)」である。これを契機にスサノウは改心し助けた美しい娘「櫛名田比売(くしなだひめ)」と結婚した。二人は日本最初の夫婦とされている。 

夫婦は新家庭の場所を出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀の地へ行き、そこでこの地が大いに気に入ったスサノオは「我が御心すがすがし」といってここに須賀宮を造り、(現在の雲南市の須我神社)、このとき雲が立ちのぼったのを見て詠んだ歌が、「八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。(盛んに沸き起こる雲が八重の垣をめぐらしてくれる。新妻を守るために八重垣をめぐらすことよ。あの素晴らしい八重垣よ)。これが「日本最古の和歌」として今に伝えられている。私はこの彫刻作品で浪速中学校の生徒に伝えるべき話が山ほどある。畠山先生の手で素晴らしい神話物語「スサノウと八岐大蛇」を躍動感溢れる彫刻にして欲しいのである。

2024年9月26日木曜日

本校における職員会議の位置づけ

 遂に最後の最後の「コンクリート打ち」の日が来た。思えば3月から半年だから結構早かったと感じる。1階から始めて次は2階と順序立てて、遂に最上階の6階部分に到達したのが遂この前で、今日は6階天井の床の上に「塔屋」と言われる建物のコンクリート打ちだ。併せて冷暖房の室外機などの基礎も本日打ち込みがなされた。この塔屋こそ歩行階段の最上部の真上に出来、言わば「新中学校棟の最も高い部分」である。10月23日の「上棟祭」にはこの塔屋の天井部分に「棟札」が上棟される。その時に「引き綱」といって教職員や関係者が掛け声を合図に棟札を引き上がると言うパーフォーマンスである。後世への歴史の証人としてこの写真を撮る為に私は行う。神道の学校らしく、生徒や教職員の安全と発展を祈願する為にこのような祭事は欠かせない。 



お祭と言えば昨日は浪速祭で活躍してくれた有志女生徒による「100人神楽舞」のご奉仕をしてくれた女生徒と「神輿のお練り」をしてくれた「ラグビー部の強者」を招き、奉仕料を手渡した。クオカードと焼き立てパン券である。特にクオカードの額面は昨年対比で50%も値上げしており、生徒も喜んでくれた。分かり易く言えば「汗を流した者だけが何かを手にする」のである。一般の社会もこの理屈で回っている。学校とて同じことである。

 

今日は3時過ぎにまず高校、その次が中学と卒業アルバムの教職員集合写真の撮影があった。何時もの光景であるがこの時期になるともう卒業式が浮かんでくる。幾分寂しい感じがするが仕方の無いことで、高校3年生にはあと3か月、問題行動なく、晴れて卒業証書を手にして欲しいと思う。


その後8月19日以来の「職会」を持った。この職会という言い方は好きではないが今日は使った。職員会議の略称だが、何か古臭い、20世紀の学校の言い回しである。その昔はどの学校でもこの職員会議を舞台に「管理職と一部イデオロギー教員とのバトル」などあり、法改正にまで繋がった会議である。職員会議は校長の校務運営の参考意見を得るもので「最終意思決定機関」ではない。あっても無くても良い会議だが私はこの職会の意義を次のように定義している。本校はICTやネット環境が完全に整備されているから一々理事長が顔を見ながら話す必要も無いのだが、そうは言っても月度に一回くらいお互いに顔を見て同一場所で学校設置者から「ワンボイス」で学校法人の経営状況と公立私立を取り巻く状況について聞く事は意義あることだと考えているからやっている。

今や実態に合っていない職員会議であるからネーミングを変えても良いが、まあ昔の名残で会議などしないのに職員会議としている。今日も私は①9月から開始した3Sの状況と教職員の土曜日の有効活用状況②生徒への体罰と女生徒との距離感③常勤講師の先生に対して学力伸長への努力④新中学校棟の工事進捗状況⑤10月から部活動指導手当の単価を50円アップする等々、詳しく話した。勿論全般は非常に頑張ってくれている教職員への感謝の言葉を口に出し慰労するのは当たり前であるが、それだけで終わっては組織のトップは務まらない。言い難い事、相手が聞きたくない事を言えるかどうかが問われている。トップは逃げてはいけないのだ。その行為が結局は教職員を救うことになる。指導である。


2024年9月24日火曜日

令和7年度高校修学旅行の行先に欧州を復活させる!

 21日の国際平和デーの日に大阪護国神社にて本校書道部の生徒が奉納揮毫するので私は高校校長の代わりに参列し、ご挨拶した。元来は部活動の関係であり高校校長先生の業務範囲だと思うが、ただ理事長たる者が仕事について「これは理事長・学院長の仕事、あれは校長の仕事」と明確に区分することは私の主義でも無いし趣味でもない。今回はたまたま校長先生の業務がダブっており、「学院長の立場」で校長の依頼を受けて私が参列した。

 結構このような局面は多い。特に中高と横断する業務については両方の校長が同じような事を言うのは合理的ではないから、中高を俯瞰し、管理している理事長・学院長が受け持っている。公立、私立の校長職を20年間も経験してきているからもう十分やった。校長職はしんどい仕事だが「やりがい」もある。今の中高の校長先生は素晴らしい仕事をされているが、彼らに続く校長たるべき人材を育成するのが私の責任である。

 この日校長が護国神社に行けなかったのは同じ時間帯で校内で今年の修学旅行に関する保護者説明会があったからである。どちらも重要な業務だが規模から言えば修学旅行の方が生徒数は断然に多いし、修学旅行と言うのは学校行事において最も重要な業務の一つであり、神経を使う対象である。今年は全てが決定され、後は直前の準備を徹底し、11月に出発するだけである。従って現在の私の頭には来年度、即ち今の高校1年生950人の「修学旅行の行先」である。結論的に言うとコロナ下で中断していた、「ヨーロッパ方面を復活」させることにした。「重い決断」だったが何時までも10年間も継続した欧州を中断させたままでは本校たり得ないと考えたからである。これは私の仕事である。


 1学年主任のS先生から私の指示でまず「生徒のアンケート」を保護者の確認印を押して提出して貰うようにし、その結果が出たという。その数値を見て私は正直、驚きながらも嬉しかった。回答者数は945人だからほぼ全体を表していると言って良い。アンケート期間も830日~910日と十分な判断時間をとっているから思い付きで出してきたとは言えない。その結果の概要を示そう。

 最も人気のある旅行先はイタリアで302名(33%)、次いでフランスが201名(21%)、マレーシア・シンガポールが131名(14%)、スペインが92名(10%)、北海道が88名(9%)、オーストラリアが75名(8%)、ニュージーランドが46名(5%)、という結果となった。元々の予算では無理なので追加徴収が15万円必要にも関わらず、605名の生徒(全体の64%)がヨーロッパの国々を希望していることが確認できた。 




本アンケート結果から、イタリア・フランスが多くの支持を集め、ヨーロッパ方面の人気の高さが確認できた。またそれについでマレーシア・シンガポールの人気が高かったことは、ヨーロッパに行きたいが、ヨーロッパやオセアニアは費用が高いので、手ごろな費用の行先として選ばれたと推察できる。1年先の事であるがウクライナとロシアの戦争など今後検討する課題は多い。イタリアとフランスの多さは増やすにしても限界があろう。もう一カ所対象を増やすことを含めて、学校としては生徒と保護者の期待に応えるべく、「生徒の安全面」を主体に今後最善を尽くし行先を決定する覚悟である。エージェントのHISさんと協議を早急に深めて行かねばならない。

 

2024年9月21日土曜日

「国際平和デー」、大阪護国神社奉納揮毫

 今日、9月21日は「国際平和デー,世界の停戦と非暴力の日(International Day of Peace)」である。コスタリカの発案により1981年の国連総会によって制定され、当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日だったが、2002年からは921日に固定された。この日以来今日21日は「世界の停戦と非暴力の日」として実施され、この日一日だけは敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けているが、ロシアのウクライナへの侵略、イスラエルのパレスチナへの侵攻は続き、世界平和の言葉を口にしてもその響きは虚しい。でも先の大戦の敗戦国、最初の核兵器が落とされた国として、我々は「諦める訳には行かない」。無力ではあるが世界平和を言い続ける必要がある。

 

10時に間に合うように「大阪護国神社」に車を走らせた。前述したように今日21日には、名だたる日本の高校の書道部がそれぞれの地域にある「護国神社に書を奉納し国際平和を祈願する記念の日」である。「和プロジェクト」が主催となって全国規模の催し物だ。本校書道部も参加しており今年で5年目となった。今年も書道部の生徒は袴をはいて立派な反戦の文言を書にしてまとめてくれた。一枚目は「いつまでも/拭い切れない/あの日の悲しみ/二度と/繰り返さない/追想」と書き、2枚目は「これまでの全ての/争いに終止符を/先人たちの声と想いを/未来へ語り継ぎ/これから語り継ぎ/これからを照らす/光を燈せ、今こそ私たちが/道標となれ/花を咲かせよう/鎮魂/浪速高校書道部とあった。学校は関与しておらず、部員が考えた文言で大変に立派である。

 

代表揮毫の書家は柳水藝術協会の田邊柳奨先生で「敬愛」という字を揮毫された。あれほどの大筆を使うには余程の体力を必要とされると思ったが、呼吸は乱れず、見事に運ばれた。とにかく凛として品格に満ち、迫力満点であった。参加者の「寄せ書き」では先生は「平和の祈り」の文字を書かれ、私も求められ名前を書き入れた。参列者一同、今年ほど世界平和の希求を感じることは無かったと思う。私は最後に挨拶を求められ、言葉を尽くして柳奨先生の揮毫を称え、本校書道部の書を絶賛した。そして本校にこのような機会を与えられた「和プロジェクト」と舞台となった大阪護国神社に感謝の言葉を申し述べたのである。 


北朝鮮はミサイルを日本海に放ち、日本と言う国は北の北海道から南は台湾に近い西南諸島、日本海を挟んだ中国、北朝鮮と日本周辺はきな臭い対立の最前線にある。今ほど平和への希求を願う時は無い。空虚な甘い言葉では平和は来ない。本気になって国土と国民を守る為に何をなすべきか。教育の現場にいるだけにそのことが常に頭に去来する。

 

2024年9月20日金曜日

歌えよ、奏でよ 中学生!

 今日は浪速祭の「番外編」ともいうべき中学校の「第12回目となる合唱コンクール」の日であった。もう10年以上が経ったかと感慨深い。当時、中学校校長兼務だった私が「歌声が聞こえる学校は良い学校」との信念で始めた。元々は浪速祭のプログラムの中に入っていたものだが、総合的に検討して昨年から浪速祭が終わった後にやるようにしてから今年で2回目である。中学全学年共通の行事であり、保護者ご招待で課題曲と自由曲の2曲でのクラス対抗の形であるから、いやがおうにも盛り上がる。今や浪速中学の名物行事となった感がする。 


昨年は開校100周年と言う事もあって課題曲は「校歌」としたが今年は1年生のみ校歌とした。今浪速中学校は「今、注目の中学校」であり、「新校舎の建設」も順調に進み10月23日は「上棟祭」を計画している。歌うと「幸せホルモン」が分泌されると物の本にあったが、副交感神経が優位になるだけではなく、セロトニンやドーパミン、エンドルフィンといった「幸せホルモン」が分泌されるらしい。 これらのホルモンは精神安定の効果があり、幸福感や満足感を感じやすくなると言われており、絶対的に歌うことは体に良いとある。私もそのように思う。生徒皆が仲良く、いじめなどの無い学校になったのはこの合唱コンクールの成果の一つかも知れない。 


とにかく子どもも大人も心と身体の健康には「うた」がいい。指揮もピアノも生徒が主体で、最後には「教員合唱」があった。これがこのコンクールの伝統で生徒は大喜びであった。山本教頭の指揮で曲目はあの難しい、「よあそびの群青」であったが、さすが先生方でろくに練習時間も無かったと思うが見事なハーモニーを醸し出していた。又最近非常勤講師として音楽教師に仲間入りしたM先生は大阪音大の声楽科卒業で特別参加として独唱をしてくれた。曲目はミュージカル「アナと雪の女王」よりアリア「Let It Go(ありのままで)」であった。生徒からスタンディングの拍手を得ていたくらい、素晴らしく、中学生は「本物の歌」を聞いてさぞ勉強になったと思う。 


しかし良い合唱コンクールだった。一言で言えば「品格の高い合唱コンクール」であった。この品と言うことを大切にしている私は殊の外嬉しい。この主担当である音楽科のW教諭は何時もながら「カチッ」とした「生徒指導と物事の運び能力」があり、この先生の「手腕」が大きく成果に結びついていると何時もながら思う。教科指導のみならず、円滑な学校行事の遂行にかかせない先生である。

2024年9月19日木曜日

神社庁秋季慰霊祭とテレビ取材

 今朝は大阪府神社庁の「秋季慰霊祭」に参列した。前日の合祀祭に続いて今年春以降、「物故された方々」を慰霊申し上げる祭事である。神社神道の学校として本校生みの親であり、全面的なご支援を頂いている本校としては亡くなられた府内の神社の宮司様はじめ関係の方々の慰霊祭には教職員を代表して私が参列し「玉串」を捧げ「柏手」を打っている。今年はお一人、千早赤阪村の建水分神社の宮司様が91歳を以って黄泉の国に旅立たれ神様となられ、この度、神社庁に合祀された。この宮司様には大変にお世話になり、今、新宮司となられたご子息には本校の評議員に就任して頂いている。 


「柏手」は両の掌を打って音を出すが、慰霊祭の柏手は50日祭(仏教でいう49日法要)を過ぎておれば音を出しても良いと習った。それまでは「しのび手」と言って音を出さないのが決まりである。私は物故された前宮司さまの思い出に浸りながら、感謝の意味で大きな柏手を打った。千早赤阪村の古民家多聞茶寮で「行く年、来る年」を迎える私の初詣の神社は楠木正成公ゆかりのこの神社「建水分神社」である。「義理と人情」を大切にしたい私には最優先で欠かすことなくこの慰霊祭には参列し、「直会」にも出て、とんぼ返りで学校に戻る。 

メディアの取材申し込みは結構多いが、余り芸人さんがリードする「お笑い」を主体の番組はご遠慮申し上げている。「教育機関の矜持」というものかも知れない。当然、広く社会に開かれた私立学校だから、積極的に開示するのが正しいと言う判断もあるが、学校はホームページや両校長のブログ、そして私のアラウンドなど結構内部に奥深く到達する情報を開示していると思う。それでも中身によっては取材申し込みを受けることがあるが、久し振りに本日「テレビ大阪」の「大阪43市町村を大調査、誰も知らんキング第15弾」という企画を受け、本日取材があった。


私はこの番組の事は知らないが結構人気の番組らしい。今回の視点は「部活の多い学校ランキング」というもので確かに本校は運動系、文化系クラブ数は多いと思う。ただ今回は本校の「神楽部」「雅楽部」という余り聞きなれない学校のクラブに興味関心を抱かれたのだろうと思う。神社神道の学校として神楽部と雅楽部を有していることを誇りにしている私は常日頃外部との接触や試合などが全くないこの二つのクラブの紹介になるだろうと思って受け入れた。放送予定日は10月中旬で出演のMCは漫才師の「中川家」さんが務めると聞いた。良い取材になるように全面的に協力するように高校教頭に指示した。