2025年1月31日金曜日

昨日の卒業式、記憶に残る「答辞」

 昨日の高校卒業式、一夜明けて、心地よい余韻の中で思うことを一つ。やはり卒業式には「仰げば尊し」が良い。1884年(明治17年)に発表されたこの日本の唱歌は卒業生が教師に感謝し学校生活を振り返る内容の歌で、特に明治から昭和にかけては学校の卒業式で広く歌われ親しまれてきた。ところが歌詞2番の「身を立て名をあげ」の部分が立身出世を呼びかけていて「民主主義」的ではないという見方から、学校の中には2番を省略して3番を2番として歌うこともあったらしい。しかし漢文学者の加地伸行先生は原点となる「孝経」の意味を解説し、「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは、孝の終なり」を踏んだ歌詞であり、立身出世ではなく、考道を実践し心身の修養を目指す儒教的な道徳を歌ったものと指摘している。教育の目的そのものではないか!本校はこれからも「仰げば尊し」を必ず卒業式では歌い続ける。 


それにしても式典の中で「校長式辞」、「御来賓の祝辞」、「在校生代表の送辞」を聞いた卒業生代表のM君が最後に語ってくれた「答辞」に私は感動した。入学後コロナに泣き、コロナと戦い、そして仲間と絆を強めていき、卒業式に臨んだM君の「抑揚ある」良く通る声で会場一杯に語った答辞をここに披歴したいと思う。まさに教育の成果、教育の為せる業をこの文章から窺い知れる。彼は現在難関私立大学合格を目指して土俵に上がり、制限時間を待っている。「祈る、合格!」

 寒椿の美しさが際立ち、冬鳥たちも旅立つ準備を始めた今日、この時、私達820名のためにこのような盛大な式典を挙行していただき、誠にありがとうございます。また、ご多忙の中にもかかわらず、ご臨席くださいましたご来賓の皆様、そして木村理事長・学院長先生、飯田校長先生を始めとする教職員の方々、ならびに関係者の皆様に、卒業生を代表して心より御礼申し上げます。 

 思い起こせば3年前の45日、桜が満開に咲く中、この体育館で入学式を迎えました。これからの未来へ期待する反面、コロナ禍の下、マスクをつけている間はずっとどこか不安だったことをおぼえています。しかし、校外学習から始まったクラス行事や部活動などで仲間と親睦を深め互いに研鑽していく中で不安も次第になくなっていきました。また授業においてもクロームブックを活用した新しい授業を受け、何もかもが新鮮でした。 

夏には猛暑の中、日帰りでお伊勢参りに参加しました。他校にはない、この伝統的な行事を通して、神道についての知識が深まり、浪速高校の生徒としてのアイデンティティを学ぶことができました。そして浪速高校生としての実感を改めてもちました。

9月に開催された浪速祭ではコロナの影が残っており、残念ながらコロナ前のように模擬店が立ち並ぶものではなく、各クラスのビデオ制作となりました。しかし、クラスの仲間とより良い映像をつくるために放課後まで話し合い、1つの作品にクラス全員で打ち込むあの時間はとても楽しく忘れられない宝物となりました。 

 2年生になり、徐々にコロナの風も過ぎ去っていくと、浪速高校がまた一段と賑やかになっていく雰囲気を感じました。浪速高校で初めての体育祭が開催されました。学年・クラスを問わず自分のチームを心の底から応援する姿がヤンマースタジアムに溢れました。目の前の戦いに、全員で喜んだり悔しがったりするあの時間、あの場所は強く思い出に残りました。

修学旅行では沖縄・道南・道央・道東・長崎・関東六つのコースの中から、思い思いの場所へ、クラスの枠を越えた仲間と45日の旅にでました。私自身は沖縄に行きましたが、そこでは、圧倒的で壮大な自然の下でより輝く友達の尊さを噛み締めました。そして、大阪とは異なる文化や空気を直接肌で感じることができたとともに、壮大な自然を前に、神社神道の教えの一つである自然崇拝や自然への感謝の念を強く感じました。そのような楽しい学校生活の中で、部活動では新しくできた後輩への身の振り方がわからなかったり、自分のあり方に悩んだりする時期でもありました。 

 3年生になると、毎日が慌ただしくなり進路選択の中で、自分の理想と現実の乖離など思うようにいかないことが何度もありました。そのような不安な時、私たちを支えてくれたのは、いつも話す友達、担任の先生、家族でした。休み時間や放課後の何気ない会話や笑い、時にはダメなものはダメだと指摘してくれるかけがえのない友達。この浪速高校でたくさんの素晴らしい仲間と巡り会えたことは幸せでした。本当にありがとう。

そして、学校生活の悩みから勉強や進路相談にいたるまで親身に寄り添ってくれた、担任の先生をはじめとするたくさんの先生方。先生方はいつも私たちのことを真剣に考えてくださり、最後まで向き合ってくれました。先生方から学んだことをこれからの人生に活かし、それぞれの道で成長していきます。

そして何よりも、今まで私たちを支えてくれた家族には感謝の気持ちでいっぱいです。仕事もあるのに毎朝、昼と夜の2つお弁当をつくってくれたり、行事には駆けつけてくれたりと、本当にありがとうございました。立派になった姿で恩返しができるよう、これからもひたむきに努力を重ねて参りますので、どうか温かく見守っていてください。 

 今日、私達はこの浪速高校を巣立ち、それぞれの道へと進んでいきます。改めて、今日この場を迎えられたありがたさ、感謝を胸に私達はそれぞれの夢へと羽ばたいていきます。

最後になりましたが木村理事長・学院長先生、飯田校長先生をはじめとする教職員の方々のご健勝とご多幸を、そしてNext100に向かう浪速高等学校のさらなる発展を祈念いたしまして、答辞とさせていただきます。

 令和七年  一月三十日 卒業生代表 〇〇 〇〇



 

2025年1月30日木曜日

第77回浪速高等学校卒業式

 「気分良く、満ち足りた」気持ちで、第77回目の卒業式を無事に迎え、今無事に終了した。品格がありそれでいて豪華な式典だった。一つの「卒業式の完成形」かも知れないと思った。冒頭の一節は勿論、卒業していく生徒に置き換わるように4月5日の入学式に並ぶ新しい顔ぶれの数が「中高ともに新記録の数値」となったからである。卒業していく生徒数より入学してくる生徒数が多い方が寂しさを消して楽しみが大きくなる。これが逆だったら少し落ち込むだろう。何か既に決まったように書いているがほぼ昨日で特殊なケースを除いて「大体」、入学者の数が読めてきた。この分野のプロである我々の経験値から導き出した数値であるから大きな間違いはない。これらは高校の話であり、中学はほぼ確定したと言える。入試そのものが終わっているから精度は高い。その数169人と一昨年の記録の148人を何と21人も超えた。遂に浪速中学は一皮剥けて新しい時代に入った感がする。もう直ぐ竣功する中学新校舎も間違いなく喜んでくれているだろう。 


浪速高校は開闢以来の前人未到、1150人を超えるだろう。恐らく日本の高校約5000校でトップクラスか、それに近いポジションになるかも知れない。クラス数は間違いなく25クラスとなる。この数値に言葉を失う。私は後述する卒業式において卒業生や保護者に「あなた方の存在のお蔭である」と感謝の言葉を述べた。今、目の前に居る生徒が本校で学ぶ誇りと喜びを有するが故に、本校は右肩上がりで伸びているのだ。恐らく外部の学校関係の方々がこの数値を耳にすれば驚かれるに違いない。中学も高校も大変良くやってくれた。学校設置者として言う事はない。ただただ慰労と感謝の言葉である。5月8日に予定している新校舎竣功パーティ、教職員歓迎会に加えて入学生中高合わせて1320(169+1151)人の看板を掲げたいと思うくらい、中高共にブレークスルーした。 

高校の卒業式の主役はまず卒業生、そして学校側は校長である。何といっても卒業証書を手渡すことが出来るのは校長先生のみである。理事長・学院長の私の役目は校長からの委嘱による「特別賞の授与」で登壇するだけだが、この栄誉は私にとって極めて名誉である。自分が自分の名の付いた「冠」の賞を生徒に手渡す喜びは無上である。K君に差し上げた「木村賞」は御代替わりの令和元年に理事会の決議で設定された「本校最高位に位置する特別褒賞」であり、在学3か年間学業優秀、生活態度優秀で他の範であった生徒に授与されるものである。私が対象者を決めるのではなくて、学年団で慎重に審議され選出された生徒である。しかし未だこの世に生きている現役の自分が賞を授与するのは些か面はゆい気がする。


この褒章の名称「木村賞」も最終的に職員会議で確認されたもので平成19年から「浪速改革」を推し進め、飛躍的に本校を発展させたとして木村の名前を後世に伝えるべく決まったものだと今日も司会の高校教頭が説明してくれていた。例年のようにK君と神社前で記念写真を撮った。しかし今日の卒業式は「開校101年目の卒業式」「戦後77回目の卒業式」となったが極めて厳粛な中にも盛り上がった式典となった。御来賓の本校OBで、初代浪速校友会会長、本校理事、枚岡神社の中東宮司様は「感極まって」、目を拭っておられた。「卒業式は良い、式典の中身も良かった、初めての参列だったが感動した」と繰り返して言われていた。式が終わった後、担任を主体に、私たち23人はPTAから心の籠った花束を頂いた。



式典が終わっても生徒も保護者も帰ろうとせず、神社前広場は人人で埋まった。初めて重要分掌長を担ったN学年主任の先生のお人柄か、総じて纏まった学年であった。優秀な先生ばかりに囲まれ、生徒にも大きな問題は無かったと言える。とにかく卒業式は感動を呼ぶ。私は13時過ぎに職員室にて3学年団への慰労の言葉と慰労金の金一封を授与した。学年団は今夜「ミナミで打ち上げ」らしい。13時半過ぎに担任団との記念撮影があり私の役目は終わった。何時も思うのだが学校勤務の良さ、楽しさは「人、物事、景色が次々と回転していく!」からかも知れない。その中でも「卒業式というのは格別な味」がする。 




2025年1月28日火曜日

中学二次入試と彼らが乗るエレベーター

 入学試験と言うのは主催者側が「一切手を抜かない」と言うのが不文律である。受験生が多かろうと少なかろうと手を抜いてはいけない。慎重に誠意をもって「マニュアル通り」に粛々と進める。本校は特にこの点は私から見ても優れていると思う。管理職や担当教職員がしっかりとしているからである。中学校の2次入試は予定通り8時に進路指導室で「朝礼」を行い、私は試験会場となる8階の視聴覚室を視察し、少し部屋の気温が低く感じたので上げるように指示した。820分点呼、840分に学力検定試験は始まった。受験生の数は昨日の夕刻には13人であったが何と今朝には17人に膨れ上がっていた。信じられない多さであった。 


算数国語の2科目で無事に試験は終わり、12時、私の部屋で「合否判定会議」を持ち合否の判断を下した。特別なことは何もない。定められた基準に沿って一つ一つ見ていくのである。その結果を14時にWEB発表し、明日の10時に校内に掲示する。納付金の決済締め切りは明日の16時で、この時に入学予定者が定まる。様々な経緯を有した受験生であり、保護者は納付金を納めて下さる方が大半だろと思うが希望の類に届かなかった場合は例え合格でも辞退と言うケースも当然あり得るし、他校で追加合格の連絡が入ればそちらに回ることもある。私の想定は1次AA選抜、1次B、B選抜、そして今回の2次の通算5回の入試で本校に入学してくれる生徒は何と166人から169人の範囲になるかも知れない。過去の新記録が一昨年の148人だったからこの数値は一大新記録なるだろう。 


入学試験を気にしながら私は建設中の新中学校棟の細部の設計打ち合わせと現地立ち合いを行った。目玉である「エレベーターと階段部分の色彩デザイン」である。この建物の見どころは随所にあるが、まず最初に目に飛び込んで来るのは正面の「シースルー」のエレベーターである。このエレベーターの常駐場所は1階にするか校長室、職員室、来客応接室のある2階にするか、まだ決めていないがいずれにしても「中身の見えるエレベーター」だから中身も中身として見る対象として強調した方が良いと考えた。そう、高級腕時計の裏側のムーブメントのスケルトンが目立つようにするため正面扉を赤色で彩色することにした。私は赤色が好きだと思う。 



同時に高級な焼き物作りで有名な「大塚オーミ」さんに依頼していた「陶板」の見本が出来たのでその飾る場所で現地打合せをした。100年前の旧制浪速中学校の生徒が遠足で当時の「伊勢大廟」に出かけた時の集合写真を陶板にして職員室と校長室の間の壁に額入りで飾るのだ。この一期生から浪速100年の歴史は始まった。ネクスト100に向かって決して廃色したり、汚損されたりすることのないように、二度と土や紙に戻ることにない焼き物するために私は残った一枚の写真を陶器に変えたのである。浪速中学校が存続する限りこの陶板はこの場所に存在する。100年前から次の100年、「後世に伝える記念の一品」である。


2025年1月27日月曜日

一に努力、二に努力、三、四がなくて五に努力

 去る25日の土曜日は新中学校1年生となる受験生の「制服採寸」の日であった。この日のポイントは「何名の欠席があるか」であり、これによって「入学者の大きな塊」としての最終数値が定まる。厳密に言えば、それでも入学式当日まで分からない場合がある。中学入試はこのようなものであると長年の経験で私は身をもって知っている。複数校受験であり、当事者は小学校6年生だから子供の意思と親の思い、塾の先生のご指導などが複雑に絡み、一部の生徒で進路先が変動する。入試広報部や中学校サイドはこれらの背景を探り、クラス数を決定しなければならないからこの日は重要なのである。今日の結果は28日の2次入試や2月最終入試にも影響を与える。結果的に言うと欠席者はわずか1人で極少であった。この時点で入学者は159人と仮に決まったと言える。 

そして明日の「28日は2次入試」で今朝現在受験申込者は13人である。これも新記録の数値である。うち新規の受験者は11人だから粛々と受験をして貰って合否の判定を出す。次いで2月4日の最後の入試はまだ数は定まっていないが例え、1人か2人でも合格者が出ると170人という数値が出てくる。こう展開すると、これは断トツの新記録となり中学は史上初めて5クラス体制となるかも知れない。新中学校棟の設計では1学年5クラスの配置で考えており初年度から埋まる可能性が出てきた。これは我々の想定を超えたスピード展開で、私は中学校長と入試広報教頭を呼び、この辺の意思共有を図った。浪速中学校は今年から「何か、一皮剥けて、進化した気」がする。 

また25日は去る府立公立中学校校長会が16日に調査発表した高校進路希望先の結果数値が新聞各紙に記載されていた。書くのがいささか面はゆいが今年も浪速高校は総志願者数、専願志願者数の両方で「ぶっちぎり」のトップの志願者を集めていたことが各紙に載った。これは間違いなく「浪速高校の新一年生は25クラス」となることを内外に示したことになる。昨年が966人入学で22クラスだったから、これは「ホップ、ステップ、ジャンプ」の三段跳びの数値となった。責任の重さに身が引き締まる思いだ。 

またこの日は第8回目となる「浪速学院 二十歳の集い~浪速に戻る」の日であった。当初は単に“二十歳の集い”だけの名称だったが3年前から私の強い思いから「浪速に戻る」と付け加えた。ここに意味があると考え、“戻る”を強調したかったからである。「浪速に帰る」も考えたが、ここはやはり「浪速に戻る」が正解と思った。戻ってくれた卒業生は230人、皆さん、大人の装いと顔つきであったが、まだ幾分高校生のイメージを残している。間違いなく浪高OBOGとなってきた。

 

私は「ウエルカム・スピーチ」でぼつぼつ社会を広く俯瞰し考え方の幅を広げる必要があると述べ、「公の中に一生懸命に生きる」という重要さを強調した。可愛い教え子への恐らく最後になるかも知れない訓示である。立派な社会人となって社会の一隅で足元を照らすような人物になって欲しいと思う。その為には生涯勉強であり、その過程での「失敗から学べ!」と述べた。単に夢みるだけの大人になってはいけない。「我慢、忍耐、辛抱、そして努力に努力」こそが重要であると強調した。今私の目の前にいる20歳になった若者が本校卒業生の看板を背負ってどのようなこれからの人生を送ってくれるのかと思うと目頭が熱くなった。「頑張れ、我が教え子よ!」 




2025年1月23日木曜日

太陽神に照らされている中学校棟

 昨日夕刻頃に、遂に新中学校棟の正面側の工事用幔幕が外された。「ベールを剥いだ」と言っても良い。私は今朝ほど、陽に映える正面側を見て、適切な起伏というかデザインの凹凸があり、それが益々この校舎の品格を高めているのに顔がほころぶ。この校舎はほぼ真正面、学院神社の方向から「太陽の陽」が注ぐのに気付いた。「天照大御神」、すなわち太陽神から常に陽を頂いている校舎になっているのである。この校舎を更に良く見えるようにする為に私はゼネコンのN課長さんに来て貰い、2点のアドバイスをした。 

一つはエレベーターの正面に赤いフィルムを張ること、もう一つは建物の上部付近の正面側の光の反射による壁面の凹凸を軽減するためにここに「パネル」を張って逆に目立つようにする案もあると振った。検討をしてくれるみたいだから実行に移してくれるだろう。大体「シースルーのエレベーター」を声高に叫んでいたから、今の色のバランスでは満足しない。赤のフィルムを張り、真っ赤なエレベーターが昇降する景色を「この校舎の売り」にしたいと思う。赤で目立つようにするのは当初からの私の指示であった筈だ。パネルは現状茶褐色に彩色しているが日の光により白く反射している。ならばいっそ、白か灰色のパネルを張った方が良いかもと思った。 

中学入試が一休みしているが28日の2次入試にはWEB申込で既に7名の出願があるという。うち5人は新規の受験生と言うから我々は粛々と受験準備を行う。また不思議なことにまだ辞退が無いという。既に160人の受験生の保護者から納付金を頂いているがこれに変更がないというのは一体どういうことか?今日一日くらい様子を見るが辞退が全く無いというのは初めてである。他校さんが補欠合格を出したりして大体は変動はあるのにと思ってしまう。今日から紙ベースの出願受付が始まった。私は冒頭、事務室、並びに3学年団の先生方にとにかく「優しく」対応し、受取資料のミスが無いように注意を喚起した。府立高校の願書は今年から郵送となっているが本校は郵送、紙出願と両立させて受験生に寄り添った対応をしている。

 

高校が25クラスあるとの前提で職員室の机の配置をどのようにするか視察した。原案は既にU設備施設担当が充分検討していたのでその線にのって「了」とした。広い職員室を作っていたから専任教諭、常勤講師、非常勤講師の先生方の執務机は中央職員室と各教科職員室で対応可能である。



2025年1月22日水曜日

建設中の中学校新校舎も微笑んでくれているだろう!

 今日は高校の「耐寒行事」があった。中学は日曜日の入試の振替休みの日でほっと一息できる日だった。私は朝7時ジャストに学校車で事務のKさんの運転で奈良の桜井駅に急いだ。ここは高校の「山の辺の道トレッキング」のスタート地点であり、目的は今日一日、生徒のガイドと安全保護で付き添う教員に激励の挨拶をするためだ。元来なら私も生徒に連れ添って歩くのだが2年前に帯同した時に本当に憔悴しきって「くたびれ果てた」のを経験したので「もう頃合いかな?」と思って歩くのは引退したのである。残念でならないが「年寄りの冷や水」となってはならないから決断した。本校の耐寒行事は1年おきに山の辺の道を歩く、葛城古道を歩くとして実施してきた。全て私が校長時代に始めたもので12年になる。 


私みたいな理事長、学院長の職責にある者は生徒との公式な触れ合いは月度一回の「学院長講話」くらいしかない。それもマイクを通して語るだけだ。だから私は意識して機会があれば修学旅行や耐寒行事などには「生徒に混じって動く」ことを優先してきた。この重要さや楽しみを深く知っているからだ。今日の企画である日本最古の古道と言われている「山之辺の道」踏破も1800人強の高校1.2年生の生徒と教員150人の大部隊だ。彼らは共に「桜井の大神神社から天理の石上神宮まで約16キロ」を寒さの中で歩く。これは神社神道の学校として極めて有意義であるとの思いから保健体育の先生方と私が企画し始めた。浪速高校の名物行事となるように今後とも工夫して継続していって欲しいと思う。 

とんぼ返りで学校に戻り、中学入試の今朝段階の最終数値を確認し、今後の方針について入試広報部と簡単なミーティングを持った。昨夕私が学校を出た時は158人であったが何と16時の締め切りに滑り込みで更に2人増えて納付金の納入者は160人となっていた。遂に160人の大台に乗ったのである。最もこれから先、辞退とか出てくるからまだ最終的には分からない。中学入試はまだまだ続き、「28日に2次募集」そして最後の最後、2月4日に「2月入試」を済ませ、我々は扉を閉じる。これらの数値は大きくは期待していないが、義務教育の中学校はギリギリまで門戸を開いている配慮をしている。令和7年度の中学校新一年生の入学者がほぼ決まりつつある。新記録数値となる見込みであるが果たして?最後の追い込みに入っている建設中の新校舎もこの状況に微笑んでくれているのではないかと思う。


2025年1月21日火曜日

斎戒沐浴して学院神社の大神様に感謝の誠を捧ぐ

 18、19、20日と3日連続で中学校入試があり、結果に満足する状況が私を幸せにしている。私は斎戒沐浴して学院神社の大神様に感謝の言葉を述べた。昨年からずっと休みなど無いが、体に残る疲労感は敢えて言えば「心地よい疲労感」と言える。男は仕事で生きていると書けば物議を醸すかも知れないが、私のような旧世代の人間は仕事で社会貢献出来ているという感覚が自分を生かしていると思う。若い世代は「どんどん働き方改革を推し進め」オンオフの切り替えを上手く図って欲しいと思う。合格通知を手にした保護者からの「納付金」の確認が15時現在で156人まで来ている。この段階で既に過去の記録、すなわち新記録であった一昨年の148人を超えており、「これで良し!」と全身に力がみなぎる。 



今朝の新聞各紙は2028年度以降の府立高校の入学者選抜制度の改善を府の教育委員会が発表したものを記事にしている。しかしこの改善という語句の選択に違和感が残った。ここは改新、改革くらいではないか。改善を使うと今までが悪かったと皮肉に取られないか?まぁどっちでも良いが中身は特別と一般選抜を統合し2週間程度早めて3月1日前後に実施するという。また第一志望、第二志望と複数校志願が可能とか、全府立に「アドミッションポリシー枠」を設けて選抜する制度も導入だとか。今まで何回も聞いている話なので別に驚きはしないが、少し府教委も動き出した感じで私は賛同したい。しかしこの制度がどのような効果を生むか、今後私学側は注視し、必要なら対抗策を打たねばならない。 

2年先の事であり、何で急がないのかという疑問があるが、想像するに送り出す公立中学校サイドとの調整の結果だろうと思う。今回府教委が打ち出した施策は当初は少なからず現場に混乱を生むだろう。このことはますます私学人気を高めることにならないか?第一志望と第二志望の複数校記載は本当に受験生に寄り添った施策なのか、少し気になる。第一志望先に失敗して第二志望先が定員未満で尚且リストの中で成績順となれば「待つ身には地獄の日々」となるのではないか。それならばイッソ、私学へ行くとなるのは自然な流れだ。まぁやって見なければ分からないが? 


今朝ほど常務理事と高校、中学の校長を交えて確定ではないが「4月からの人事」について第1回目の意見交換をした。特に話題となったのは高校も中学も新一年生の学年主任と学年チーフの人事だった。浪速学院Next100の元年とも言うべき新一年生は重要であるだけに慎重に考えていく。また高校のただ一人の教頭補佐では25クラス(高1)、21クラス(高3)、22クラス(高2)の合計クラス数が68クラスにもなるから一人ではしんどいだろうから新しい人材を教頭補佐で発令する考えも私は披歴した。両校長は重任と言うか、続投して貰う。焦眉の急は教員手配である。時間をかけてこの点も議論した。いずれにしても舞台は回りつつあり視点は4月新年度人事になりつつある。組織を動かすのは人事である。我々の根本原則は生徒が多いということは大歓迎すべきことだという一点である。生徒数の増に文句を言うアホは本校には居ない。


2025年1月20日月曜日

中高ともに極めて調子が良い!そういう時こそ人は育つ!

 今日も中学入試がある。15:25から「一次B選抜入試」である。既に他校で受験しているが色々あり、本校とのご縁があって浪速の試験も受けたいという受験生の為に設定している入学試験である。現時点で申込者のうち、何名の受験生が実際に登校してきてくれるのか、そのうち新規が何人いるのか?この新規の数値が実際に入学者の増に直結するので私は注視している。既に1次AA選抜、1次Bで合否発表を見た保護者は「入学金」を納付して貰って晴れて浪速中学の新一年生の候補者となる。候補者とは入学式で校長が入学を許可するまではあくまで候補者でしかないからだ。その数だが今15時現在で144人となり昨年の141人を超えている。過去の記録が148人だからおそらくこの数値を超える攻防になるかも知れない。私は嬉しい気分である。 



そして今日から「高校の願書受付」が始まった。基本的にWEB申込である。教育相談に来た人数から想定して昨年を200人超えた2400人台となる見込みでこれは新記録の数値となるだろう。昨年度の入学者が966人だったからこの数値を遥かに超えて1100人台を突破する可能性が出てきた。クラス数は25クラスになるかも知れない。学校全体ではなくて新一年生だけで25クラスである。教室はあるから心配はしていないが私の胸中は既に来年度令和8年度入試時の教室手配に心が羽を広げて飛んでいるのである。 


今日は年が明けて初めての「校務運営会議」の日であり、私は本年度の方針など語るよりも、席についている幹部教員の「自覚と覚悟」を問うた。彼らの中から将来のリーダーが出て来ないと逆に組織としては困る。逆境にある時より人は順調な時に素直に育つものだ。良い人柄と能力を有した方々ばかりだから心配はしていないが人は「ほおっておいて」、人は一人で育つものではない。親が子を育てるように教職員も今の組織のトップが意識して「育成する」という考えを持たねばならない。人を育てるということはそういう事である。 

最後に当面の予定を下記のように周知した。

 1月25日 二十歳の集い~浪速に戻る~

 1月30日 高校卒業式

 1月31日~ 中学生教室移動 西館改造着手

3月28日 新校舎竣功祭

       理事会・評議員会

3月下旬~ 中学生新校舎へ移動 

 5月8日  竣功記念大祝賀会並びに教職員歓迎会(スイスホテル南海)