2021年10月30日土曜日

時代と共に学校説明会も変る!

まず中学が先行し、そして遂に高校の入試広報活動が本番に入ってきた。今日は午前中、中学のプレテストアドバイス教室があり午後は「浪速高校令和4年度入試の為の1回目の学校説明会の日」であった。昨年は10月24日だったから今年は1週間遅れている。学校行事の関係などでこの近くで前後するが、府内のどの学校も同じように10月から12月一杯まで学校説明会が行われる。私立学校にとって極めて重要な催しであり、本校では令和4年度の説明会予定は以下のように決めている。

 10月30日、11月6日、11月27日、12月4日、12月11日と合計5回

更に我々は、12月はほぼ毎日正門を開けて受験生とその保護者をお迎えする学校見学会、個別相談会を入れている。今年から始めた新企画である。「この日にするからまとめて来て」ではなくて「ご都合の良い時に何時でもお越しください」というスタイルである。どの学校も知恵を絞って受験生の獲得にしのぎを削っている。 


コロナ感染が落ち着いてきているとは言え、迎える方は感染対策を徹底しなければならない。コロナが来ると予想して新校舎を設計したわけではないが、我々の広い教室と24時間強制換気の校舎内はウイルス対策にぴったりと嵌った。又全館フリーWi-Fiだからリモートがいとも簡単に出来るので「3密」を避けることが出来る。これらのお陰でこの1年大過なく過ごせた実績をベースに今日も多くの受験生と保護者をお迎えすることが出来た。コロナは私立の優位性を示し、私立人気が高いとの下馬評であるが、蓋は開けてみないと分からない。情報に拠ればどの私立も参加者を増やしているらしいが浪速高校でも昨年対比で1.3倍の増であり、有難いことである。「百聞は一見に如かず」で、お客様に来て頂けなければ何事も始まらず、来て頂ければ詳細にご自身の目でご確認頂けると思い、教職員は持ち場、持ち場で一生懸命に頑張ってくれている。気苦労は多いが、この入試広報活動の持つ醍醐味は私立学校の関係者でなければ分かるまい。 



しかしだ。もう一人の私は今の状況と15年前を比較しから深い感慨を覚える。当時の学校説明会は「豪華なホテルの大会場」を借りて昼食をお出しし、相当のお土産まで用意し、競って行ったようなものもあった。しかし今や遠い、遠い昔の事になった。まず「学校にて行うべき」との新しい考えが主流になってきたのである。考えて見れば当然の事であるが当時は誰もが口にしなかった。次は学校でやるにしても会場となる体育館や講堂を満杯にするのが入試広報部の仕事と頑張ってくれ、相当な努力をしてくれた。しかしコロナ禍の今はその考えは無くなり、教室分散にして密を避け、個別のリモートでの事前予約の説明会となってきている。今日も40教室を使った。保護者アンケートを見ると大会場より、狭い教室での大型テレビ画面の方が集中して良く理解できると大半が好意的であった。豪華なホテルも大きな体育館も当時の時代背景の中で我々の思いだけだったのである。 


今後どのようになっていくのだろうか。極めて興味深い。そのうち学校での説明会もご自宅からリモートで聞くと言うスタイルが出て来るかもしれない。その上で自分の目で見たいとお考えになる受験生と保護者は「ご都合の良い時に何時でもお越しください」となるかも知れない。時代はこのようにして変わっていく。今年の12月一杯は門を開けているというのは実は将来の姿を見越しての実験でもあるのだ。中央職員室に陣取り、久し振りにプレゼンの1時間を全て見たが満足のいく出来栄えだった。企画に当たった入試広報部は良くやってくれたと思う。誉めてやらねばなるまい。本校の教職員、生徒の誠実さ、真面目さ、面倒見の良さ等々が全面に出ていた。好印象を持って頂けたのでないかと私は安堵、安心したのである。しかし勝負はこれからである。



2021年10月28日木曜日

私が求める新時代の英語教師像

 お陰様で学校は順調に進んでいる。高校生徒のワクチン接種も既に接種率が52%になっている。学校は基本的に直接関与していないが保護者の関心の高さが伺える。国民の接種率が70%を超えているから集団免疫というのか感染者は激減している。このまま推移すれば第6波は無いのではないかという楽観的希望を有しているが先のことはサッパリわからない。ただやるべきことを着実にしていく毎日である。9月3日の「大阪880万人避難訓練」が台風の影響で中止されたことが気になっていたが、広い校舎群で生徒には自身の退避通路を確認させる必要があると高校長の判断で学年別であるが本日6限目に実施した。不測の事態に備えることを教えることは重要な事である。その集まった3年生を卒業アルバムに使うと言ってドローンを飛ばして写真を撮るという。学年主任が呼びに来たので私もその中に加わった。この学年は私が入学を許可した最後の学年であり、これで一区切りの思いが湧いてきた。


 今日も「公開授業」があった。4限目に英語のN常勤講師、女性の先生である。堺のお生まれ、市内の有力な私立高校から京都の大学に進学された、学部は国際学部グローバルスタディズ学科の卒業であるから英語教育の本質を学んでこられた。在学中に米国カリフォルニア州立大学に留学されている。英語教育の本質的な目的は「国際理解」であろう。その為の「英語はコミニュケーションツール」である。受験英語の勉強ではない。新卒で本校に来てくれた。有難いことであり私には採用責任が重くのしかかっている。履歴書にはTOEICIPテストで745点のスコアであったが業務の傍ら更に自己をブラッシュアップするためにトライし現在850点まで獲得されている。この点が素晴らしい。静かな頑張り屋さんである。



授業そのものは素晴らしかった。一言で言えば生徒に親切である。「分からせよう、今日はこれだけは覚え込ませたい」との気持ちが随所に出ていた。題材も授業の進め方もよくよく考え設計されていた。授業の90%は英語、10%はわざと日本語を残したハイブリッドの授業だった。これで良い。後は50分授業の振幅の取り方だと思う。同じ周波数の授業から起伏に富んだ展開で求心力を高めるのが理想であるがまだ新卒で3年目、今後に大いに期待致したいと思う。後刻私の部屋で様々な視点で言葉をかけた。

 英語教師だ、生徒に英語を教える英語教師が「生きた英語を使えないようでは話にならない。」これは私の強い信念である。自分の選択した専門職が英語の教師であり、その道を歩むために毎日毎日、生涯に亘って勉強して行く姿勢こそ「教師の尊い姿」である。その昔の英語教師は何も知らない生徒に対して、さも偉そうに無茶苦茶な発音で板書にスペルを書いて一見英語を教えてやっているような雰囲気を醸し出す似非英語教師が幅を利かせていた時代があったが、今後を考えると今のままでは大きな問題と日本の施政者は認識した。勿論本校にはそのような先生は居ないが。とにかく中学3年、高校3年、大学で4年と通算10年も英語を学び、それでも不足と今や小学生にも教科として英語が入った。それでも日本人は英語が話せない、聞き取れない。学校の英語の先生がそうなのだからましてその先生から学ぶ生徒が出来る訳はなかろう。その点今日のN常勤講師の先生は是非本校の専任教諭でお迎えしたいと思った。生徒に親切で謙虚だ。「生きた英語」を教えることが出来る。

私は若い時にニューヨーク勤務の経験があり、今でも和製イングリッシュ、これを私は「ジャングリッシュ」と呼んでいるのだが、下手でも英語は使える。従い日本の英語教育の限界を肌身で感じて知っている。それゆえに私のテリトリーでは英語教師にTOEIC,TOEFLなどの「資格認定とICTを重要視」しているのである。もう古いタイプの英語教師は本校には要らない。英語教師だけではない。昔のセンター試験、今の大学入学共通テストのような、日本全国の高校生の平均点が60点の基礎的な問題が解けないような数学、国語、理科、社会の先生と言われるような人がまかり通っている学校は変だ!少なくとも本校には要らない。ワクチンではないがメリットがデメリットを上回ると弁護する向きもあろうが「教科を教えるのが学校」であり、幾ら真面目だろうとも、イケメンだろうとも部活動指導が凄いと言っても私はご免被る。

2021年10月26日火曜日

影日向なく、謙虚に黙々と責任を果たす

 昨日は肌寒い月曜日であり、終日雨は切れなかった。夕刻「雅楽部の引退記念演奏会」があった。高校3年生の部員が2名と少ないが、大学受験もあり引退するので今年も卒業演奏会をしてやりたいと顧問のT先生が言ってきた。私は諸手を挙げて賛成し中央館8階の視聴覚ホールに出掛けた。ここは音響施設もBOSEのスピーカー設置とか豪華に造っており、ホールの後方は階段状になっている自慢の教室である。プロである外部指導者の賛助出演もあり、厳かにそして中身のある演奏会となった。外はせつない「冷雨」で、雅な雅楽の響きは心に沁みとおってきた。雅楽部は本校のアイデンティティを高めてくれた特別クラブであり、私は言葉を尽くして感謝し卒業する2人には新学院神社御柱に用じた檜を利用した「扇」をそれぞれにプレゼントした。今回の立役者は何と言っても顧問のT先生であった。生徒の為に一所懸命張っているこの先生を見ながら「ああ、本物の教師になってきたな!」と私は一入感慨を持った。 



昨日に引き続いて今日も常勤講師の公開授業があった。本校3年目で理科の生物を専門とする女性教師である。所謂「リケ女」であるが、とにかく影日向なく仕事をする先生である。経歴は府立高校から今上り調子の有名K大学の農学部で学び、教師の道に進み本校で3校目になる。農学部に拘ったと言う。面白いのは「学芸員資格」を有し、公益法人大阪府文化財センター府立近つ飛鳥博物館での勤務経験がある。今日は単元「体内環境を調整する腎臓」の授業であった。授業については言うべきことはないほど出来上がったもので私は満足した。板書とICTを駆使した見事な「ハイブリッド授業」であった。タブレットを使いこなしている。大学時代からだというから付け焼刃ではない。 



この先生はこの3年間吹奏楽部でも頑張ってくれ、この部が今日の隆盛になったのはこの先生のチーム参加の効果も大きかったと思う。決して派手さはないがそうかといって自分の意見も持ち、人に隠れて人の気付かない裏方の仕事をこなすスタイルを多くの人が評価し今日の理事長参観授業になった。このY先生には私には忘れがたい思い出がある。9月吹奏楽部が関西大会に出場出来た時に私から「何か欲しい楽器はありますか」と主顧問の先生に聞いた時、このY先生は後ろの方から、当初は無かった「コンサートトムトムが欲しいです」と「ボソッ」と言ったことである。 



このコンサートトムトムなど、無知な私には全く分からず「それって何?」と何回も聞き返したほどだった。主にクラシック音楽や打楽器ソロ・アンサンブルにおいて使用されるトムをコンサートトムトムと言うらしが私にはドラムセットと同じに見える。ただクラシック音楽とポピュラー音楽では求められる音色が異なってくるので、コンサートトムトムは比較的に深胴のものが多く、そのため余韻が長く音程感があるのが特徴と教えて貰った。購入を決断した私の心の底には常日頃のY先生のビヘイビヤーがあったことは間違いない。前述したようにこの先生、字が上手い。綺麗な字を書かれる。字の上手い人はインテリイジェンスを感じる。平成19年大学を卒業し、教師の道を志し、雌伏とは言わないが、12年間の頑張りで専任教諭への道が眼前に開かれてきた。今の謙虚さを忘れず、頑張って欲しいと思う。



2021年10月25日月曜日

秋時雨の月曜日

 「肌寒い雨の週始まり」となった。この時期の雨を「秋時雨」とか「冷雨」と言うらしい。日本語は本当に素晴らしい。暫くの間雨らしきものが無かったので「慈雨」になれば良い。誰かが言っていたがコロナウイルスは雨で地面に落ちるので良いのだと言う。本当だろうか?朝一にPTA担当の主担教諭が部屋に入って来た。先週末に行われた「PTA全体会議と茶話会の報告」であった。私は「大変に良い企画で良かった。大成功だね!」と称賛した。初めて多くの保護者が学校に集まり顔合わせをして短い時間だったがペットボトルのお茶で乾杯し、用意したスナック菓子や小さなマックなど、「同じ釜の飯」をとることで心豊かに懇談できたことはPTA組織の求心力向上に寄与した。リモートには限界があり人間は顔を合わせて会話することで距離が近づく。


 大体月曜日は時程が混んでいる。部活動報告とか業務について次から次と教職員が入ってくる。一つずつ丁寧に対応しなければならない。私は何事も手を抜かない。抜くことが出来れば少しは楽になれるのかなと思うがこれは恐らく生涯続くのだろう。次いで入試広報部教頭が入り先に撮影したドローンを使った運動施設の映像を見たが、極めて面白い動画で楽しめたと思う。これらを今後の入試広報活動に行かせていくという。そして3限目に常勤講師のK先生の公開授業があった。府内でも有数の中高一貫の私学から大阪教育大学に現役で入り、ご縁があって2年前から本校で社会科の「世界史」を専門とする先生として教鞭をとっている。吹奏楽部の指導も本物であり、何より真面目で前向き、素晴らしい人材だと周辺の評価が高く今日の「公開授業」に結びついた。 


前評判通り単元「欧米における近代国家の発展:パックス・ブリタニカ」について良い授業をされていた。今日は高校3年生の難関大学を目指している生徒が対象の授業であり、少し雰囲気が何時もより違ったものであったが教材研究と下準備が完全になされた授業だと感じた。それにしても生徒のクロムブックの見事な使いこなし、それを先生が上手く設計した授業の進め方などほぼ完璧なICT教育に私は満足感で一杯になった。授業後私の部屋に来て貰い様々な視点でお話しした。世界史の勉強はあくまで日本の歴史との対比、そして近現代に繋がる視点での指導と言及、実際の大学入試問題との実例等、さらに工夫をして欲しいと私は述べたのである。

 昼休憩の後、高校の自治会選挙が終わり、高校校長の出席の下、引継ぎ式が行われ、その後理事長室に新旧役員が挨拶に来てくれた。私は慰労と激励の言葉を述べた。徐々に高校、中学ともに学校長の存在感を高めることが重要であり、「校務運営は絶対的な校長の業務」である。中学、高校の両方にまたがる場合は「学院長としての業務」が出て来る。しかし生徒にとっては校長先生の存在が絶対的でなければならないし、理事長や、学院長は「?」で良いと思う。時々教頭に聞くのだが生徒は理事長や学院長の存在を認識しているのかの質問に対して「知り過ぎるほど知っています!」と返ってくる。今はそうだと思うが徐々に薄れていくのだろう。それで良いと思う。




2021年10月22日金曜日

学校行事の重要さ・・・手を変え品を変えて生徒に迫るべし!

 今日は中学校で何時もとは少し異なる風景を見ることが出来た。金曜日の5限と6限を使っての「文化庁助成:文化芸術鑑賞会」であった。これは文化庁の主催行事で全額助成金の出る企画である。要は発達過程にある子供たちに豊かな感受性を育んで貰う為の芸術の鑑賞会である。この方面では卓越した見識と経験をお持ちのN中学校校長が音楽科のW教師とタッグを組んで何とこの助成を勝ち取り今日の演奏会になったものだ。我々が会場に出掛けるのではなくて先方から学校に楽器ごと赴いてくれたものである。楽団は大阪の4大フィルと言われる日本センチュリー交響楽団であるからこれがまた凄い。楽員団総勢60名のプロの演奏家が来てくれ、親しく生徒に接し楽器の説明から始まった。このように中学生には「新しいことを経験させる」「良いものを見させる」「外部の風に触れさせる」ことが大事である。英語や数学の教室での授業とは又違った意味で大きな教育効果を生み出す。私はこのような企画を高く評価したいと思う。



 

一方この夏、高校では本校独自の新企画として「英語教育」に関するプログラムを打ち出し、「グローバルアカデミー」と銘打ち、英語を母国語とするネイティブスピーカーの先生方と5日間「英語漬け」で過ごす事業が行われた。少し遅くなったが一人の生徒の感想文を紹介しようと思う。高校2年生の女生徒である。この作文に見るように「生徒には何でも体験させる」ことが極めて重要である。教室で先生が一生懸命教えることも大事だが時に環境をガラッと変えて、「本人に気付かせる、やる気にさせる」ことは大きな教育効果を生む。英語嫌いの生徒が英語に取り組むようになった。ここに「学校行事の重要さ」「外部の人との接触する効果」を見ることが出来る。だから学校行事は簡単に廃止することは出来ないのである。「手を変え品を変えて」生徒に迫らねばならない。


 
「私はこの浪速グローバルアカデミー2021に参加できて本当に良かったと思います。たくさんの理由がありますが、3つに絞って書いていきたいと思います。

 1つ目は、私の英語嫌いを直すきっかけになったことです。私は中学生になってから少しずつ英語が嫌いになっていきました。テストで点数を取れないだけでなく、単語を覚えるのにも人より時間がかかります。でもこのプログラムを通して英語が苦手という気持ちが少なくなりました。楽しいなと思いました。これをきっかけに好きになっていけたらいいなと思っています。

 2つ目は、外国の方々と五日間も英語のみで会話することを経験できたことです。こんな経験はなかなかすることができないと思います。五日間英語のみの状態でグループリーダーと会話することで、すっと英単語が出てくるようになりました。わかりやすい日本語を正確に英語に直すのは簡単ですが、少し難しい日本語を英語に直そうとすると、変な意味の日本語になってしまったりして翻訳を使っていても難しいなと思いました。しかし、グループリーダーは私たちが理解しやすいようにゆっくりと簡単な英語を使って話してくれたおかげで困ることも少なくとても助かりました。

 3つ目は、自分自身と向き合えたことです。日本の授業にはないような授業の展開の仕方、トークテーマなどによって私の考えが変わりました。一番最初の自分のアイデンティティを考える時、日本の感覚では、「えっ、こんなこと自分で言うの」っていうような単語がいっぱいあったことがびっくりしました。日本の感覚では「ナルシスト」とか「自意識過剰」など否定的な意味で捉られてしまいそうな言葉ばかりですごく考えました。これが考え方の違い、文化の違いなのかなと思いました。

 最後のプレゼンテーションでは、この5日間のプログラムで学んだこと、将来の夢について原稿を書いてみんなの前で発表しました。カンニングすることなく皆さんの前でプレゼンをできたことはすごくうれしかったです。将来の夢は少し特殊な分野かもしれませんが、あきらめずに頑張ることが大事だとこのプログラムで感じたので、忘れずにこれからに生かしていきたいと思っています。

 もしまた機会があれば、参加できたらいいなと思っていますが、受験生になるので難しいかなと思っています。本当に貴重な機会をありがとうございました。」

2021年10月21日木曜日

唐揚げ補助金!

 本学院の浪速高等学校・中学校の高校自治会の役員は自治会長、副会長2名、生活部長、書記2名、会計2名であり、任期は11月から1年である。中学校の生徒会は会長、副会長2名、書記2名、会計2名で任期も1年間で校長の認証式と新旧役員の引継ぎ式が終わってからスタートする。いずれも生徒全員による投票で選ばれ、高校では選挙では落選者もいるくらい意識は高い。本日中学校の新旧役員が揃って挨拶に来てくれた。私は退任して行く旧役員に慰労の言葉をかけ記念品を手渡した。終わった後に私は聞いた。「ところで皆、唐揚げは好きか?」。一同声高く、うち揃って「大好きでーす!」。 



とにかく本校生徒は唐揚げが大好きである。社会でもコロナ禍でどこも元気がない中、成長しているのが「唐揚げ市場」らしい。確かに近年増えている専門店では、売り上げが前年の1.6倍というところもあるという。専門店だけでなく、スーパーやコンビニのお惣菜人気メニューとしても君臨しているし、デパ地下では多くの店が高級唐揚げを競う。お弁当や定食の人気おかずであり、居酒屋では人気のつまみ、というように、日本の食生活のあらゆるシーンに登場する「唐揚げ」。一体全体、唐揚げの何が、我々をこんなに惹きつけてやまないのか。特に若い世代にも人気の食べ物で「本校の中央館6階レストランでも売り上げナンバーワンは鶏のから揚げ」である。これが現在ささやかな問題となっている。 


物の本によれば日本人は、年間220億個の唐揚げを食べているというが、年間の消費量が220億個を越えるという化け物みたいな唐揚げ、だが、何時からこんなに食べるようになったのだろうか、素直な疑問である。私には記憶が無い。日本唐揚協会会長兼理事長は「1974年に、日清製粉が“唐揚げ粉”を発売して以来だとあった。粉にスパイスや調味料が混ざっていて、鶏肉にこれをつけて揚げるだけで、おいしい唐揚げが家庭で作れるようになってきて、ここから、一気に広がったらしい。

 そう、子どもは小さい頃から唐揚げ体験があり、身体に沁みついているのである。その保護者も唐揚げで育った世代だ。確かに安くは無いがそうかといって高くもない。手ごろな値段で何より「旨い」。それに栄養から言っても身体に良い食材である。かくいう私も唐揚げ党の一人であり、高島屋地下のミュンヘンの唐揚げが大好きでこれで飲むビールの為に働いているという感じだ。しかしこの唐揚げ人気は冒頭書いたように中央館6階の天空レストランには余り嬉しくない状況で生徒が唐揚げを食べれば食べるほど「赤字幅」が拡がっている。

ここでは唐揚げを使ったメニューが4つある。唐揚げ弁当、鶏マヨ丼、カップ唐揚げ、爆弾おにぎり(中に唐揚げ入り)なのだがとにかく生徒の人気メニューだ。9月だけでこの4つのメニューで約6000個以上出ている。これらの鶏肉は中国産ではない信頼できる外国産であるがその価格が月を追うごとに値上がりしている。年初3月に2キロ当たりの価格が10月納入分では何と1,7倍だ。備中高原鶏モモ肉はキロ820円、2キロでは1640円になりとてもそのような高価な肉は使えないから探しに探して得た鶏モモ肉である。加えてサラダ油の値段も1年前に比べ1.54倍に値上がりしている。このようなわけでレストランの経営者は悲鳴を上げて助けを求めてきた。「唐揚げを出すな」とも言えず、さりとて値上げをしたり、唐揚げを小粒にしたりは出来ない。私は経営支援で「唐揚げ補助金」を出すことに決めたのである。本校の生徒には唐揚げをドンドン食べて欲しい。本校は全て生徒第一に考える。



2021年10月20日水曜日

宗教に学ぶ 大阪護国神社

 大阪護國神社は、大阪市住之江区にある神社で大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊105千余柱を祀っており、祭神の柱数は護国神社では沖縄県護国神社、福岡県護國神社に次いで3番目に多い。現在は神社本庁の別表神社である。別表神社とは東京代々木の神社本庁において、その由緒、活動、財政等を総合した面で顕著な神社が申請により指定される神社であるが、一言で言えば社格が高い神社である。例えば宮司交代時は皇居にて記帳しなければならない。住之江公園の南西に鎮座し、住之江通に面した正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。 


この護国神社と本学院は関係が深い。今年の夏には神社が催した小中高生たちの為の「絵画展」の審査で本校の美術科の先生が担当し、その仕事ぶりを高く評価されている。今日、それが提灯になって飾られていることに気付いた。又9月21日の世界平和デーでは書道部の生徒が「平和祈願の奉納書道」を行っている。神社神道の学校としてこのような機会を与えられることは教育機関としては嬉しい話で今後ともご厚誼を続けていきたいと念願している。私は今の宮司さんを含め、歴代3人の宮司様とお付き合いがありいずれも人格者であり立派な方々である。どうして神社の宮司様はあのような高潔な品格があるのであろうか。学ばねばならない。 



大阪府では、護国神社の前身として1871年(明治4年)410日に創設された真田山陸軍墓地の敷地内に「招魂社」が創建されたのが最初である。一時期「浪速宮」と称されたこともあった。紆余曲折があり、日中戦争勃発後に英霊崇敬の機運が高まりを見せたことから、1938年(昭和13年)に大阪府知事が奉賛会長として護国神社造営奉賛会を結成し、創建予定地である住之江公園の南西の低湿地を、府民のべ約36万人が勤労奉仕で約2年かけて埋めたてて、内務大臣指定護國神社として創建されたとある。1970年(昭和45年)715日に昭和天皇と香淳皇后が親拝され、1978年(昭和53年)531日には明仁上皇・上皇后美智子様が参拝されている。


今日は「秋季例大祭の日」であり、ご案内を頂き、たまたま時間に余裕があったので参列させて頂いた。歴代の宮司様で一回だけは行くようにしているから今回で3回目となる。この神社のご祭神はNHK大河ドラマ「青天を衝け」ではないが明治維新の魁となられた天忠組を始めとし、先の大戦で散華された御魂を含め105,665柱の国難に殉じられた英霊をお祀りする神社である。今でも一年を通じて沢山の参拝者が訪れ、広い境内は府民の安らぎと祈りの場として親しまれている。大和民族の誇りと歴史や伝統を英霊への感謝の心と共に永遠に継承していく事は、日本人として誠に大切な事だと考えている。先人の敬神崇祖を継承し、世界の平和を祈願する拠り所として今後とも神社仏閣は大切であると生徒には伝えていきたいと思う。 

「宗教を忘れた、宗教を教えない、学ばない、宗教を忌み嫌う」国であってはならない。帰依する帰依しないではない、宗教を知ると言うことである。人は宗教を知り、学ぶ事によって謙虚になれる。それは私の信念であり信条だ。ミッション系であれ、仏教系であれ、神道系であれ宗教を創立の原点に持つ私立学校の存在は極めて重要ではないか!今日このようにして神社の社頭に立てば何故か心が洗われる。