2020年2月18日火曜日

2月高校朝礼






本日は高校朝礼の日であり、気温が低く冷え込みが厳しい為、理事長・学院長先生自らのご指示で校内TV放送による朝礼が行われました。学年末試験1週間前、新型コロナウイルス、インフルエンザ等々、生徒への健康を考慮してのご判断でありました。部活動表彰伝達の後、先生は、以下の内容をお話されました。○新型コロナウイルスへの注意喚起○学年末試験への準備○SNSの使用についてのご指導○男子生徒の更衣場所についてです。最後に先生は学年末試験を正々堂々と全力で挑戦するように激励されました。(K

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2020年2月17日月曜日

やはり結婚式は良いものだ!


昨日は雨の日曜日であったが本校男性教諭の結婚式があった。会場の心斎橋の日航ホテルまでは今住んでいる住居から地下鉄で一駅である。まったく傘を必要とせず、こういう時に便利な所に住んでいる幸せを感じる。新婦さんは同じく某私立高等学校の専任教諭で大阪教育大学卒業の才媛であり極めて明るく美形なお人であった。最初から最後まで同じく男前の新郎は余程嬉しかったと見えて笑顔で弾けていた。新郎は輝かしい実績を飾る中・高・大学と弓道の世界では名の知られた人物でこのご縁から交際が始まったと聞いている。





私と新郎は尋常では語れないような深くて長い思い出があり、彼を採用して10年の歳月が流れた。まさに「人物であり将来を嘱望している人材」である。御年32歳、丁度頃合いが良い。昭和の終わりに熊本県八代市に生を受け、平成の時代に文武両道の秀岳館から立命館に進学、熊本の有力企業である肥後銀行に就職が内定していたが丁度弓道の顧問を目を皿にして探していた私を一目で捉えた人物であった。私は彼を口説き落とし、今や立派な教諭として育った。彼に浪速武道館の弓道場「玄武館」の詳細設計を任し、浪速弓道部は蘇った。主賓として挨拶に立った私は新郎新婦を激励し立派な家庭を築くように激励したのである。陽明学「孝は全ての始まりなり」」と双方のご両親への孝養を述べた。




このように「ちゃんとした結婚式」を上げてくれると正直嬉しいものだ。人それぞれの事情があるが、これから先の長い、長い本校での勤務を考え両家の親族、兄弟たち、勤務先の上司同僚友人たちに祝福されて新スタートを切るのは案外私のような古いタイプの人間には感動を与える。やはり結婚式はあった方が良いと思う。役目柄結婚式にご招待を受ける機会は多いが今回は久しぶりとなった。あればあったで続くものであり、年初から3月1日、3月29日と結婚式が続く。楽しみである。




今朝は管理職の拡大朝会を行い、令和2年度の体制について正式に内示して説明した。その後順次該当する教員を部屋に呼び込み、内示を伝えた。「2月20日の職員会議で全教職員に公開」する。その後は令和元年度の着陸と2年度の離陸に全神経を集中し準備をしていく。私立というのは面白いもので来年度の生徒の数はまだ決まっていないのに、今までの統計的データで数値を予測し、準備に入っていくのだ。すべてが明らかになるのは3月19日だからまだ一か月も先だが、「準備に怠りがないよう」にしておくことは離陸と安定飛行のためには重要な事なのである。併願者の制服などは3月19日から来年度の入学式が予定されている4月4日までの2週間で準備する必要がある。そのためにはそれなりのノウハウと経験が必要なのである。


2020年2月15日土曜日

学校の品格を高めよ、民度を上げよ!


1月18日の中学校一次A入試から始まった入試シーズンは今日の「高校1.5次入試」で終わった。この間大学入学センター試験があり、高校の卒業式があったりで、本当に気を遣う毎日であった。長い道のりであった。教職員が頑張ってくれ、まったくトラブルなく本日まで来た。これで「来年も浪速で働く全教職員は飯を食っていける」。今日の1.5次は昨年よりも多い受験者で在校生が授業を受けている中での試験である。しかし受験生のために独立した空間を設け、今まで以上に気を遣った誠意ある受け入れとするように朝会で先生方に求めた。あくまで徹底して「至誠の浪速」である。高校の入学者が決まるのは公立高校の合否発表がある3月19日である。この日併願入学者の数値が判明する。





明日からは令和2年度の本格的な準備が始まる。私のところには来年度の学校行事の原案や校舎の清掃業者選定の決済など求めてきたりして、「来年度の学校行事も校舎も新しく再生」して入学生を迎えるのだ。特に来年度から「自主的学習」「教職員の働き方改革」を二本柱として浪速は新時代に突入する。その覚悟を持って我々は令和時代に入るのだ。そして今まで「積み残してきたもの」を一つづつ拾い上げて、つぶしていかねばならない。いわゆる「完成度を高めた教育」を目指す志が重要である。見過ごしや、放置は許されないと知るべし。今まで以上に「目と頭を使って」いく必要がある。今勢いのある浪速を安住の地と思い、「ボー」と突っ立っているだけの教職員は要らない。





前からと書くと半年や1年前みたいに感じるかも知れないが、私自身ではもう10年超しの課題だった「男子生徒の更衣場所」についてあらゆる面から検討し今回、対策を講じることにした。それは男子生徒用の正規の更衣室を設けることと各教室の透明ガラス丸窓の目隠し用具を開発したことだ。体育の授業には体操服に着替えるのだが、これについて私はかねがね疑問を抱き、まず運動クラブ員が更衣する場所を数年前には作った。紳士たるべき男子生徒が女生徒の目に入る場所で「パンツ一丁」で更衣するなどは「民度の低い」ことであり、文化的とは言い難い。そのような光景を見ることは嫌だった。本校は生徒も教職員も品格の高い人ばかりであるが、今まで以上に上げなければならない。




もちろん女生徒には更衣室を用意しているが今まで男子用は設けていなかったのでそれを作るようにしたのだ。今回改めて多くの公立学校、私立高校などを調査したが、多くの学校は何もしていない現状も分かった。しかし本校は一歩前進させる。しかし本校の如き大規模校になれば一度に更衣する人数が多いため、10分間の授業間で更衣するためにはやはりホームルーム教室を更衣場所として使えるような「手立て」が必要であったのである。色々と担当者が考えてくれて「格好の試作品」が出来上がった。昨日それを装着してみたのだが、「手軽で」、十分に目的に適うものだった。4月以降マニュアルを整備し各教室に配備する。これで浪速高校、中学校の生徒間同士において広義でのセクハラ防止になるだろう。今回の措置で「浪速の民度が一ランク上がった。」と喜んでいる。


2020年2月14日金曜日

後継者問題は難しい!


私も大いに尊敬している日本電産の「永守重信」氏、76歳、この稀代のカリスマ、猛烈経営者が今「後継者」で悩んでおられるみたいだ。2月5日の朝刊各紙は一斉に日産のNo3であるCOOの関氏を社長に迎える人事を報じている。かなり大きな扱いであった。私はこれを読んで「うーん、又?」と首を傾げたのである。永守氏と言えば前には同じ日産トップを社長に据え、わずか2年で交代させる。その前はシャープからトップを社長含みで招聘しこれまた実現しなかった。永守氏は以下のようにも言っている。「集団指導体制は我が人生で最大の間違いだった!」と。私には良く分からない。元々集団指導体制になっていないのではないか?誰を連れてきても依然として永守さんだけがトップの会社なのである。




永守さんが生きておられる限り幾ら外部から優秀な人材を持ってきても上手くいく筈はないと思う。余りにも創業者の存在感が強すぎる。実力と業績の数値が大きすぎて、何方が来ても適うわけがない。それを創業者は「徐々に不満を募らせていく構図」が見える。ワンマン、卓越した「立志伝中の人物の後釜ほど辛い立場はなかろう」。それなら外部で名を成した人よりも、長所も欠点も見透かしている内部人材からトップを育てるのが良いのではないか?その方が手っ取り早いし、傷も小さくて済む。嫌なものを見たくなけば、「スパッ」と完全に引退するしか方法はない。



規模も中身も全く比較にならないような弱小な本校の組織だが、私も後継者を「ずっと、ずっと、ずっと」考えてきた。この新聞記事を読んで益々「後継者の選択」は難しいものだと痛感した。一度外部からの招聘を考えて動き、結果的に大きな失敗をした。多くの人にご迷惑をかけたことは今でも心の傷になっている。私の目の黒い内に内部から後継者を指名し、仕事をさせて育てることしかないのか?日産とかトヨタとかソニーとかグローバルの超優良企業から優秀な人材を迎えようにも来てくれる筈はないから自前で育てるしかないのか?本当に後継者問題は頭が痛いし難しい。





本校の教職員は以下の内容を良く読んで欲しい。

「永守 重信(ながもり しげのぶ、1944828 - )」氏はご存じ日本電産の創業者であり、所謂「カリスマ経営者」。フォーブス誌によると20183月時点の総資産は5760億円で、日本長者番付で6位だというから凄い。京都府向日市において、6人兄弟の末っ子として誕生し、19633月、京都市立洛陽工業高等学校を卒業、19673月、職業訓練大学校(現在の職業能力開発総合大学校)電気科を首席の学業成績で卒業したとある。音響機器制作会社ティアックに就職後、同社子会社である山科精器取締役の経歴を経て、ティアックの持ち株を元に、19737月、28歳で日本電産を創業する。社長を含めて3人での創業であった。



以後、2014年、日本電産代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)として、同社を日本を代表する小型モーター製造会社に育て、モーター事業において、世界トップ・シェアの業績を誇る世界的な大企業に育て上げた。 この年の日本経済新聞社が実施した「平成の名経営者ランキング」において第1位となり、20141117日に発刊された『日経ビジネス』誌において、発表された「社長が選ぶベスト社長」ランキングにおいて第1位を獲得。



20183月、京都学園大学理事長に就任、教育への並々ならぬ見識と気力をお持ちである。 
この時期、郷里の向日市へ市民会館を新築して寄付することを表明し、名称は「永守重信市民会館」で、工費は約32億円、すべて個人資産であるからケチな人ではない。優秀な技術を持つが経営不振に陥った企業を次々買収し、子会社化して再建させることで知られ、個人で筆頭株主となり、会長に就任して、経営不振に陥った企業の再建を行うのがスタイルである。「情熱、熱意、執念」「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」の三つを経営哲学としている。また、日本電産創業時に「同族会社にしない」「下請けはやらない」「世界に君臨する企業を目指す」という経営理念を掲げており、それを実践している。



インタビューなどでは「仕事が一番楽しい」と答え、116時間(余暇と睡眠で合計8時間のみ)、年間365日、元日の午前を除いて働くという。これは「他人の2倍働いて成功しないことはない、倍働け!」「絶対に楽して、もうけたらあかん」といった、母親からの教えによる。しかしM&Aで傘下に収めるなどした海外企業での見聞を通じて、生産性を重視する方向へ考え方を変え、2016年には将来の残業ゼロを目指すことを宣言した。 2017年の記者会見では「2030年度に連結売上高10兆円」という構想を語っている。



エピソードなどは枚挙に暇がないくらい多い。日本電産創業期には会社の規模も小さく、新入社員採用試験として「大声試験」「早飯試験」「マラソン試験」「試験会場先着順」「留年組専用試験」など独自の試験を実施したことがあるは発言録もすごい。私は「一番以外はビリだ」と思って生きてきました。二番でもいいなんていう考え方は駄目です。それから、異端者を評価しない会社も問題です。ちょっと変わった人間が世の中にないものを生み出している。今日のことは今日やる。「今月は無理だ。来月やります」で、一年のうち1か月がなくなってしまうから、達成率が80%となってしまう。しかし、使うほうのお金は100%使っているから、赤字になる。読者の皆さん、この論理、面白いと思いませんか?



「ノー」の連発からは何も生まれない。「すぐやる」「必ずやる」「出来るまでやる」という、常に前向きな姿勢を持ってこそ、すばらしい成果が待っている。特に有名な社会問題になったのが真偽のほどは分からないが「休みたいなら辞めれば良い」という発言である。出版物も「奇跡の人材育成法」「情熱・熱意・執念の経営 すぐやる! 必ずやる! 出来るまでやる!」「人を動かす人」になれ!―すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」などがある。


2020年2月13日木曜日

体操クラブで鬨の声を上げる!


高校入試の合間で少し時間が取れたので来客のアポを入れておいた。このお方とは2回目の懇談の機会であった。結論を言おう。本校は「体操部を本格的に強化する」事を決めた。1年前に同好会的にクラブとして発足していたが、世界における日本の体操と言われるようにある面、国技の一つである。しかし体操競技は学校のクラブとしては存在しているが、装いが一般のクラブとは大きく異なるものがあった。それは教員が体操そのものを指導できないというか余りにも専門的過ぎて校内で指導出来ず、実態としては街にある体操教室、体操クラブに所属して腕を磨くというスタイルであるからだ。





又街のクラブがバラバラでその人々が同じ学校に進学しても、学校のクラブ活動としての一体化した活動は求心力や存在感などの課題もあるやに聞いていた。私は「そこがチャンス!」として専門のクラブとタイアップして学校教育とのドッキングを図り、人間的成長を学力教育と校内クラブ活動、街の体操教室のトライアングルで進めることは体操をやりたい生徒と保護者の期待に添うものだと考えたからである。今日の来客はその方面のキーパソンに間違いないと結論を出したのである。お名前は「冨岡直彦 (とみおか なおひこ)氏、39歳の新進気鋭のアスリートであり、大阪市の有力な体操教室の経営者であらせられる。




出身校は体操で名高い、数々のオリンピックメダリストを輩出させた清風高等学校から日本体育大学に進み、戦歴は高校時代、インターハイ団体優勝(97982連覇)、個人総合4位、跳馬優勝、あん馬3位、つり輪3位、国際ジュニア跳馬2位、国民体育大会(なみはや国体)優勝大学でも全日本選手権跳馬4位と輝かしい。ご経歴はご両親が体操クラブを経営している環境で幼少期より体操競技を始められた。清風高校に進学後1年生時より国民体育大会の代表に選出されている。



日本体育大学時代は、レギュラーに入るも惜しくも怪我の影響があり、現在の日本体育大学学長である具志堅幸司先生の計らいで日体スワローという社会人チームを設立し同チームのキャプテンとして任命され団体での全日本選手権の出場を果たす。2014年に競技生活を引退し、両親のクラブであるトミオカ体操クラブに就職し選手コースの指導や経営学を学ばれた。その際には全国中学校体育大会への団体出場や全日本ジュニアでの跳馬2位の選手を輩出する。20164月より分社化により株式会社アインスを設立し現在に至っている俊英である。男前であり何より礼儀正しく、お人柄が素晴らしい。




私は本校で出来る支援の範囲を具体的にお話しし、やるからには当面は女子生徒を主体に全面的に強化する決意を述べ、この4月からは本校に転校してくる生徒を含め団体競技の出場資格のある3名となるのでまず浪速中学校体操部の「鬨の声」を上げるべく(株)アインス体操クラブとタイアップしてこの世界に華々しくデビューするのだ。硬式野球部の遠山監督、テニスの高畑選手、今回の体操の冨岡社長と、素晴らしい人材と次から次と深まる関係に神様への感謝の思いが胸に膨らむのである。数年後には「体操の浪速」と言われるように頑張りたいと思う。

2020年2月12日水曜日

「温情の人、野村再生工場」野村克也氏逝く


高校入試業務も大詰めを迎えた。今日は9時から一昨日の学力試験、昨日の面接試験を経て総合的にデータを眺めて「合否の判定」を校務運営委員会並びに各教科長出席の元で行った。厳粛なものである。教務部と情報委員会のメンバーが素早く信頼できる基礎資料を用意してくれていた。素晴らしい。その後10時過ぎから関係教員で「発送作業」が始まった。受験生本人宛、中学校宛、ここで封筒への入れ間違いなどあれば「万事休す」だから極めて神経を使う作業である。今までノウハウを積み重ねており、間違いはなかった。何重にもチェックがかかるようにシステムが出来上がっている。



  

これで今年の入試は終わったかと言えばそうではない。15日の土曜日には「1.5次入試」を行うことを既に本校は発表している。やはり進学先を変えるとか、1次入試で思わぬ不覚と感じた受験生はこの1.5次入試に向かう。96校ある私立高校で60校以上が1.5次を打つ。しかしまだあるのである。2次入試というのがあって最後の最後の機会であり、「15の春を泣かすな」で受け入れる学校はある。本校は2次入試はやらない。1.5次で門を閉じるのだ。このように1月は正月気分が終わると同時に中学入試、高校入試と厳しい時が過ぎていく。この間私立中学・高校のトップは気が休まる時はない。





ところで「野村克也」さんが逝ってしまった。それも病床に伏すことなく突然にだ。このニュースを知った昨日の夕刻以降、私は少し元気を無くした。マスコミは彼のことを「名将」とか「知将」とか書いているが、確かに間違いではない。しかし私は野球という狭い世界だけではなくもっと大きく捉えて、彼こそ日本人の中でも「人物」であり、「傑物」だったと思う。人物は文字通り人の事だが「人柄、能力、才能」がとびぬけてすぐれた人物の事である。若い頃は野村さんが自ら言っていたように「ひまわりの如き長嶋茂雄」さんこそと想っていたが年を取るに従って「月見草の野村さんの味わい」が好きになってきた。



野球界も学歴社会であるが、京都の高卒の野球少年がここまでの輝く前人未到の業績を残した。ヤクルト、阪神、楽天と弱小チームを率いて日本一が三度、個人の球歴も戦後初の三冠王となり、数々のタイトルを獲った。「頭を使えとID野球」を唱え、多くの選手を育て今活躍している多くの監督を養成した。功績は枚挙に暇がない。「失敗は成功と読む」「負けに不思議の負けなし」とか色々な名言を残した。有名な「ボヤキ」は野村さんの「温情」そのものの発露であろう。そう、彼は「温情の人」なのである。温情の人でなければ人はついて来ない。



監督の座を2回も追われても、あれほどマスコミに散々に書かれた沙知代夫人を生涯かばい続けた。先に逝ってしまった夫人のいない生活環境によほど参っていたと聞くが後を追ったのではないかとも感じた。女性に対する男の在り様みたいなことは、ああいうことなんだと教えて貰った気がする。今朝の朝刊は朝日と産経が一面トップ記事に持ってきており、各紙とも極めて好意的な内容であった。マスコミも野村さんを大きく認めていたのである。私は昨夜からのテレビの特番から今朝の新聞まで、野村克也という男の人生を想った。そして私は同じ男としてますます尊敬する気持ちが強くなったのである。





野村さんは野球というスポーツを精神・根性野球から頭脳のスポーツに変革した人物である。「反骨心の塊」であり、ユーモアを持ち、分かりやすい言葉を発信して、部下を育てた。この「人を育てた」ということが最大の功績である。まさしく「温情の人、野村再生工場」の工場長であったと言える。政府は「国民栄誉賞」を授与するべきである。長嶋さんは既に貰っている。「ひまわり」だけではなくて「月見草」にも与えよ!彼のような人生は無理としてもせめて今の職場で「温情の人、木村再生工場」と言われて私も生涯を終えたいと思う。

2020年2月11日火曜日

今日は皇紀2680年 建国記念の日 高校入試面接試験


高校入試二日目、今日は面接試験の日であった。学力試験に比べ形式的だとの意見があるかも知れないが、決してそうではなくて私は面接の方がある面、より重要だと考えている。受験生に対して「受験生の皆様へ」というプリントを配り、「建学の精神」「浪速高等学校の生徒としての基本」生徒指導上の細目である「浪高生20の約束」に目を通して貰い、高校生活における主な校則」を理解して貰うのだ。そして最後に面接官から「本校の校則を守ることへの意思確認」「神道行事に参加することの意思確認」を「さらり」と聞き、「本校を希望した理由」「本校に入学できた時の目標」をこれまた「さらり」と聞いて終える。




この「さらり」がポイントである。根ほり葉ほり、執拗に、ねっちりと訊くなどとんでもない所業である。教職員へは徹底したマニュアルを事前に渡し、「ニコニコ笑顔」で誠実に温かく接するように今日も私は冒頭指導したように用意周到で臨むから、今まで問題はなかった。まだ受験生の段階で本校の生徒ではないし、親の職業、家族構成とか髪の色を問いただすとか、そのような感覚で面接に臨んで貰っては困るから、感性や経験の不足している教員は面接官から外している。






昨日の学力試験、本日の面接試験を終えた受験生はまさしく「ほっと」した感じで学校を後にして自宅に帰る。今日は令和初の「建国記念の日」であり、正門や中央館屋上には「国旗」が晴天の中翻っていた。今年は養老4年に編纂された「日本書紀」の1300年の節目の年に当たる。これより8年前の和銅5年に編纂された「古事記」が年代を外した一大叙事詩的であったからなのか、日本書紀は徹底して年代的体裁を整え、初代「神武天皇」が日向を出発して「海道東征」の苦難から遂に大和を制定して「日本国を建国した」時を2月11日と決めたのである。






令和2年、西暦では2020年の今年は紀元から数えれば皇紀2680年になる。昔は今日の日を「紀元節」と言い、私たちの祖先はこの日「国の基」「国の御柱」を想った。私は昨日、今日と多くある私立高校の中で本校を受験選択してくれた新時代を担う若者の中から、一人でも多く入学して貰い「日本という国の素晴らしさを知り、誇り」を身に着けて欲しいとつくづくと思った。歴史を奪われた民族は滅び、己の歴史をないがしろにした国家は皆衰退の歴史を辿った。




令和5年には創立100年を迎える本校は我が国の悠久の歴史2680年に比べれば、小さな数値100年であるが、私は100年の時の刻みは誇っても良いことだと思う。次は創業200年を目標に後輩たちに頑張って貰いたい。その為には神社神道の学校として「生徒に選択して貰う学校」であり続けることである。