2026年7月28日火曜日

宮崎県高千穂町 神楽酒造醸造 芋焼酎「天孫降臨」

 今日のアラウンドは私がプロデュースした、本校が特別に用意している芋焼酎「天孫降臨(てんそんこうりん)」について記そう。天孫降臨とは、「記紀(古事記と日本書紀)」に記された日本神話で、天照大御神のお孫さんである「邇邇芸命(ににぎのみこと)」が、豊葦原の中津国(日本のこと)」を治めるために、高天原から筑紫の日向(ひむか)の高千穂峰のくしふるの峰に天降(あまくだった)ったこと事に由来している。短く言えば我が国の原点、始まりとも言うべき古代史のトップページを飾る第一幕であろうか? 

この地に神楽酒造株式会社(かぐらしゅぞう)という酒造メーカーがあり、本社は宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸である。おもに焼酎を中心とした酒類を生産している日本の企業で斯界では、霧島酒造、雲海酒造と共に宮崎県を代表する焼酎メーカーで有名である。神楽と言う社名と言い、高千穂町と言い岩戸と言い、「全てが神話の世界」に由来していることに惹かれた。この神楽酒造は昭和29年、神話のふるさとである高千穂町にて創業以来、誠実に品質の向上を図り、「優れた焼酎をお客様にお届けする事」を社是として、愛される商品づくりを目指している素晴らしい会社だ。平成21年よりは芋作りの盛んな同県西都市に新工場を構え、水は醸造に最適な西都市清水地区の清冽な西都清水(さいときよみず)に出会ってから、厳選された原料、温暖な気候、燦々と降り注ぐ太陽、この豊かな環境で育まれた焼酎は、日本中の愛飲家の賞賛を受け、親しまれている。 

私は天孫降臨の地を訪ねるべく平成27年4月、この地に立ち、岩屋戸神社、高千穂神社、くしふる神社、天安河原、(岩屋戸)、神楽酒造を巡った。焼酎名の名である「天孫降臨」を本校のキャッチコピーとし、神社神道の学校としての象徴品として、シンボルの常時配備品として、重要なご来客やお世話になった関係者へのお土産品として用意することを決めた。その時点で新校舎の東館にガラス絵の天孫降臨図を作成設置することは決めていただけに形だけではなく中身も天孫降臨を仰ぐ神道の学校としての礎を固めておきたかったからである。従って私はまず高千穂神社の後藤宮司様にご挨拶し、認知を頂き、神楽酒造に赴いて定期購買の約束をした。これが本校のプライベートブランドの天孫降臨芋焼酎誕生の由来である。 






本日14時にこの高千穂の神楽酒造さんから社長の弟さんでもある営業本部長のSさんが表敬訪問に見えられた。当時の話しに盛り上がり楽しい時間を共に過ごし、今後とも継続してやっていくことを確認した。昨年の3月からは蔵元限定の28%の特別品になっており評判は更に良くなった。営業本部長さん、語気を強めて「間違いなく、間違いなく日本で単体の組織として最も多く、天孫降臨焼酎を買って頂いているのが浪速学院さんです!」と大きなお礼の言葉があった。最近金賞を取った新作品の蕎麦焼酎「天照」という恐れ多い名前の焼酎を頂いた。5年間寝かした古酒で40度だと言われていた。





 

 





2026年7月27日月曜日

伊勢修養学舎 トリの第5班が出発

 落語で最後に出てくる人のことを、なぜか?「トリ」と呼ぶ。「トリ」とは漢字で表記すると「取り」で、これは、寄席の出演料(ギャラという言葉でも表現)を"受け「取る」"という意味の「取り」です。昔は、寄席の出演料というのは、最後に出てくる演者に支払うものだったらしく、最後を務める真打ちが出演料の全額をいったん全部受け取り、そこから出演者に分配をしたことだと物の本にあった。分配する金額を決めるのも、最後の出演者である真打ちで、勿論一番多く出演料を取るのも真打ちであるが、果たして今はどのようになっているのか? 

一方「大トリ」と言う言葉もある。NHK紅白歌合戦ではこの大トリが使われている。紅組、白組とに分かれて芸の出来栄えを競い合うチーム競技の場合などが分かりやすく、例えて紅組のトリは八代亜紀さん、最後を飾る大トリは白組の北島三郎さんの「風雪流れ旅」と司会者が紹介する。前書きが長くなったが今日は高校1年生の伊勢修養学舎の第5班が本年度のトリを取り学校を8時40分過ぎにバス5台で生徒総勢215人と付き添い教員20人余が元気一杯に出発した。私の激励スピーチも何時になく力が入った。

今年は昨年に続いて生徒数が1000人台となり、通常の4班編成から5班となった。「通し」と呼ばれる高校校長、副校長・兼教頭、学年主任、それに主管科である神道科の教諭の先生方は19日の一班から五班までずっと付き添う大業であり、体調コントロールが重要である。しかし先生方は本当に見事に執行してくれており、頭が下がる思いだ。大きなトラブルなく29日の帰還日を待ちたい。 



29日でまず高校の伊勢修養学舎は終わり、この日から二泊で中学1年生が「伊勢ホームルーム合宿」としていく予定である。既に中学は終業式を終えているが高校は31日が終業式としており、中学も戻ってくるから31日で本校の最大の重要行事である「伊勢往還」は終わりを告げ、公的な学校行事はほぼ終了するが、英語特訓教室などまだまだ控えている。今回の伊勢では校長通信によればとにかく「生徒の頑張りが目立った」そうで、嬉しいニュースだ。

2026年7月25日土曜日

「萬葉集」が結びつける本校と西本願寺

本校の図書館に勤務頂いている「司書」は極めて能力の高い女性である。緻密で論理的な思考をされ、文章作成能力も高い。対外的にも臆する感じは無く、あの静かで落ち着いた感じを人に与える所作は一目も二目も置かざるを得ないように私は高く評価している。仮にSさんと呼称しよう。S先生の雇用形態は「無期雇用」非常勤職員であり専任でもなければ常勤職員でもない。当初は有期雇用の非常勤職員から今の形に変えた。当方は専任職員でも構わなかったがご本人の強い希望もあって無期雇用で落ち着いた。ご家庭があり、自由度の高い勤務形態と司書と言う時間変動の高い職位に最も相応しいと自ら考えられたのだろうが、このような覚悟も私には当時新鮮に映った。無期雇用は基本的に解雇できない、本校にとって大切な人材の一人である。 

昨日、「本願寺史料研究所」の研究員であるK先生が来校された。1948(昭和23)年1月9日設置された西本願寺「真宗史編纂所」、そして同編纂所を改組充実させて、1956(昭和31)年4月1日龍谷大学大宮学舎図書館に開設された「本願寺史編纂所」を前身としている研究所である。ここは本願寺第23代勝如宗主の発起により、親鸞聖人700回大遠忌記念事業として、本願寺の歴史をまとめる「本願寺史」編纂のため設立され、同時に学界への貢献も目的とした研究機関である。設立当初のメンバーは龍谷大学の文学部史学科の教員を中心に、所長は森川智徳龍谷大学学長、禿氏祐祥主監他錚々たる学者や研究者であった。本願寺史編纂事業が終わりに近づいた1967(昭和42)年9月30日に本願寺の歴史をさらに調査研究するため、現在の本願寺史料研究所に改組された。 


京都、浄土真宗の本山の付属研究所から何故に大阪の神道の学校である本校に来訪されたかという命題であるが、本校には「1400冊もの和綴じの和本」がある。この中に「萬葉集」の立派に装丁された古本の中に本願寺の明治大正時代に活躍されたお方の名前を見つけるべく見つけたS司書が研究所に手紙を差し出し、この本の由来と本願寺との関係を探りだすという、まるで「推理もの小説」を地でいくような狙いが実現したのである。上記和綴じの古本は本校設立と密接な関係のあった「皇典講究所」時代に遡る必要がある。皇典講󠄁究所󠄁は明治15年(1882)、明治政府が神道事務局の後継団体として設立した神職養成の中央機関であるが、本校はこの分所、即ち「皇典講究大阪分所」、その後名称変更され大阪国学院が創基の学校である。 




結論から言おう。萬葉集の古本には「皇典講究大阪分所」の蔵書印が押されており、初代の分所長である渡邊資政先生は勤王の志士の庇護や国学や和歌の大家で有名であり、今の中央区の坐摩神社宮司であられた。この先生とご縁のある本願寺の高僧との結びつきが現在の我々の手元にある萬葉集写本ではないかという推測がK研究員によって認められた。今後更に研究を続け、仏教と神道の結びつきが萬葉集という古代の和歌本を通じて明らかになって行くことを期待している。


神道教義の心のふるさとである伊勢神宮へ「伊勢修養学舎第4班」が出発した。ますます濃くなっていく本校の由緒と由来を知り、神道の学校で学ぶ生徒に語り、送り出す背中を見ることは私の心を豊かにしてくれる。 



2026年7月23日木曜日

「伊勢往還」第3班が出発

 私は「言葉」が好きである。特に漢字が好きだ。英語も嫌いではないが、漢字から匂ってくる味わいはどうにも捨て難い。「往還」と言う漢字がある。道を行き来することで、往復や往来と同じ意味だが、何か「格好良い」感じがするではありませんか?「おうかん」と読み、おうげんとも読むらしい。有名な往還は「萩往還」や甲府から東海道に出る「鎌倉往還」などがある。中で有名なものは萩往還で、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれたことが始まりで、日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53kmの街道である。幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還、はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたかと思うと少し時代感傷的になる。 

このように思えば、「伊勢往還」と言う言葉が有っても良いのではと思いついた。既に「お伊勢参り」という有名な言葉はあるが、伊勢往還なら本校が主役?になると思った。73年間も学校と伊勢神宮を往復し「伊勢修養学舎」を継続してきた。これには大きな誇りを有しているだけに伊勢往還があっても良い。「第73回伊勢修養学舎」へ第3班が定刻に出発した。見送りの激励をしながら、まだこれで中日だ。29日まで続く。1000人を超える高校生が5班に分かれて延べ11日間にわたって伊勢を往復するのだから伊勢往還である。今朝は第3班が出発した。そして午後13時過ぎに第2班が戻って来た。 



出発前の激励で私は生徒の顔を見ながら、つくづくと一人一人の顔の違いを感じる。本当に異なるし、それぞれに味が有る。でもまだまだ「幼い感じ」を受ける。当たり前だが顔の違いは個性ではない。単なる頭、顔の輪郭、目鼻の配置の違いでしかない。ところがこの学舎を終わって学校に戻ってくると、昔から本校では「浪高生の顔になったな、顔つきが少し変わったな」と言われるようになるから不思議だ。そしてこの1年生が2年経過し、卒業式となると「顔つきが違ってくる」。本当に違ってくる。大人びて来る。人間の個性が少し表面に出て来ているのかも知れない。これが「成長」である。 


成長過程になる若者を相手に「教育と言う営為」に従事している我々が最もこの成長と言う変貌を知る立場にあるのかも知れない。およそ学校に勤務する教職員の最も喜びとするところであるし、そのように思えない人は学校から去れば良い。凡そ人間社会の葛藤や軋轢は「個性と個性のぶつかり合い」から来るものだと考えて良い。学校とて一般の社会と全く異なる訳ではない。前述した伊勢修養学舎も約1000人の生徒だから「実に様々な特徴を有する生徒群」だ。この一見個性と思えるような、成長過程にある精神が揺れ動いている、様々な生徒1000人を、ほぼ個性が出来上がった教員125名とのぶつかり合いが伊勢修養学舎だから、その仕事の難解さの様相は容易に想像出来る筈だ。学校とは大人を相手にしているところではないからその分大変な仕事なのであり、楽しみな部分である。



2026年7月21日火曜日

「第73回 伊勢修養学舎・・・伊勢へ七たび」

 その昔、落語家の桂福團治師匠から「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言う言葉を教えて頂いたことが有る。伊勢神宮へは7回、熊野三社へは3回、お詣りすると言う事だが、これはたびたび参ること、信心の深いこと、また、信心はどんなに深くしても限りはないことの例えだと後で物の本で学んだ。有名な落語の「伊勢参宮神乃賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」、通称「東の旅」と言う落語は伊勢参りの道中を描いた上方落語の名作であり、この中に先の言葉は出て来ると福團治師匠はおっしゃっていた。大阪の落語家はこの話から修行に入るともお聞きした。

最近の天気予報は良く当たるが確かに猛暑で蒸し暑い日であったが19日、私は高校1年生の「伊勢修養学舎」の第1班に帯同して開講式に臨んできた。 

この20年間、数えきれない位の参拝で、優に100回は超えているだろうが毎回毎回楽しみである。今年は令和8年度の「第73回伊勢修養学舎」であった。生徒総数は1050人を超え、指導に当たる教員は通算で125名と言う大人数が5班に分かれて神宮会館を拠点に「心の修養について体験する最重要な学校行事」であると言える。事務室のKさんの運転する学校車で7時20分に出て一路「内宮宇治橋」に向かった。10時30分には到着したが大勢の人で確かに賑わっていた。宇治橋上から「男子生徒が禊をする五十鈴川」の場所を遠く眺め、広い境内の砂利道をただ黙々と歩き、「内宮」に参拝した。 



一人参拝の後、翻って「神宮会館」に到着し、本校理事でもある館長さんと暫しの懇談を行い、昼食のご接待を賜った。その後生徒が講堂に打ち揃ったとの連絡を受け「開講式」に臨んだ。そこで理事長・学院長として「開講挨拶」を行った。これがメインの責任である。この模様はビデオで録画され後に続く2、3、4、5班に同じものが開講式で映しだされる手筈となっている。私は「全身全霊で生徒に語った。」その後「校長講話」が続き、その後は生徒全員が4台のバスに分乗し「猿田彦神社」に向かい校長と生徒代表による昇殿による正式参拝を行った。私はこの「道拓きの神さま」について短い講話を行い、「志しを持ち努力と忍耐、感謝の気持ちを持つことで間違いなく君たちの道は必ず切り拓ける」と激励した。 




次はバスで10分程度の処にある「外宮」に参拝したのだが、益々蒸し暑くなってきた。しかし生徒は一糸乱れず素晴らしい歩きでご本殿に向かい、「御垣内参拝」を許された校長と生徒代表に合わせて「柏手」を打った。これで私の役目は終わり、後は校長、副校長、学年主任、神道科教諭に任せて学校車に乗って学校に戻った。途中事故渋滞に巻き込まれ、時は夕刻の18時30分過ぎであった。本当に良い時を過ごしたと「幸せな疲労感」を感じ、関係する教職員や本校で働いている皆さんへのお土産である「伊勢うどん」を車から降ろし、今日お配りした。皆さんの笑顔が素晴らしかった。 





今日は連休後の21日、第二班が出発する日となった。全員が揃ったところで短くスピーチを行い、激励した。多分名阪道の安濃付近で学校に戻ってくる1班とこの2班はすれ違うだろう。このどうでも良いような話に触れるのは私の機嫌が良い時である。「脈々と面々と73年間も続き」、歴代に亘って先生や生徒間のバトンタッチが「得も言われぬ味わいと安心感」に繋がっていると思う。どんな事が有っても伊勢修養学舎を閉じてはならない!止める時は学校を閉める時だ。


2026年7月18日土曜日

来年度の1学期終業式は中高合同で!

 昨日の中学校終業式を終えて、実質的に中学も高校も正規の授業は無い。又明日からは高校1年生は重要な行事である「伊勢修養学舎」があり、生徒数が多いため、5班に分かれて明日から1班当たりバス5台に分乗して出発する。私は学校車で早朝学校を出て内宮に参拝し、その後「開講式で挨拶」の手筈となっている。実はこの伊勢が有るから数年前に高校の終業式を31日に持って来ていた。だが最近になって「何か変かな?」と感じるようになって昨日の拡大管理職会議で問題を提起したら元々は学院長の意見を採択したと言う。加齢の影響か?明確な記憶は無いのだが「来年度から中高合同の1学期終業式」とすることにして職員会議でも方針を披露した。このようなことはままあるもので、時の推移で見方が変ってくる。1学期の終業式が月末と言うのも「外聞が悪い」と言う意見もあった。確かに! 


従って高校1年生の伊勢修養学舎は「学期間の特別学校行事」と位置付け、敢えて1学期に内に入れる必要はないと新しい判断とした。今日は終業式後、初めての「Saturday  Something  Special (S)の日」であったが、想定通り、参加する生徒の数は少なかった。これは致し方ないのかなと思っている。その中でも難関私大の小論文講座と写真講座「きれいな写真を撮ろう」が比較的多い生徒を集めていた。 

色々と難しい課題を抱えているから、その対応もあって硬式野球の応援に行けなかったが顧問のY先生から電話があり「第108回全国高校野球選手権大会」の3回戦の結果報告を受けた。浪速は過去の3試合、全てコールド勝ちを収めている。次は4回戦でこれに勝つとBEST8が視野に入ってくる。どうも今年のピッチャーが良いと言う。良いニュースだ。細かい部分では神経を使う課題もあるが1学期は総じて順調に平穏に時が流れた感じがする。明日は神宮で生徒と共に境内を行進するのが楽しみである。それにしても蒸し暑い。

2026年7月17日金曜日

浪速中学校、1学期の終業式

 浪速中学校、1学期の終業式が今日であった。高校は月末の31日であり中高、それぞれに校長先生が指揮しているから学校行事の違いやタイミングのずれは当然有り得る。本学院では戦後の学制改革から長い間、中高の校長は一人であったが、私は歴史上最後の中高の校長でその期間は6年間であったと思う。又私は理事長と言う職位にもあり、全権を委任された理事長兼中高の校長で、「待ったなしの学校改革」を進めねばならず正直言って、それは大変であった。中学、高校の生徒数が増えるに従って判断し処理する事案の多さに走り回っていた。歴代の優秀な管理職のお蔭で何とかマネージメントが出来たから今の浪速が有る。 


これに対応する為に私の次の校長から中学は単独に中学校長職を設けた独立組織体とし、それまでの法人役員は高校の校長のみが理事であったが私は状況を見ながら中学の校長先生も理事職となるように寄附行為を変更した。言われた訳ではないが、中学の先生方の頑張りを思えば自分のところの校長が役員でないのは?という気持ちもがあったかも知れない。しかし同時に登記上の学校法人浪速学院が保有する学校は「浪速高等学校・浪速中学校」とした。正式名称は高等学校が先に来る。その昔の届け出の名称は浪速中学校・高等学校であったが、歴史的経緯は旧制浪速中学校が新制浪速高校となったのであり、規模も6倍の違いが有る。今でも中学と高校を有している法人はこのように中学が先に来るのが多いが、私は先に高校を持ってきた。浪速中学校は独立した位置付けであるが、完全な形での中高一貫校ではない。これが完全な中高一貫だったら浪速中学校・高等学校となるだろう。 




しかし学校は生徒数の数で競うものではない。あくまで目の前に居る生徒への視線であるから集積体としてのボリュームは余り関係無いと考えるべきだと思う。教育的課題は当然年齢的に若い中学生の方が高校より断然多いのは当然であり、従って中学は「義務教育」となっている。学校が生徒を放り出して、逃げ出すわけには行かないのだ。比重の比較で、個人の独断と偏見で言えば中学は高校の5倍程度重たいのではないかと思う。高校は「伝家の宝刀」とも言うべき「原級留置、他の措置」がシステムとしてあるが義務教育段階では適用は困難である。保護者の年齢層も若いだけに学校への舌鋒もそれなりにあるだろう。現在本校では中学は490人、高校が3100人程度だから今や浪速中学の存在感は非常に高まっている。しかし中学生が本当に増えて来た。私が中学校長の時代からすれば「隔世の感」がする。様々な事を思い出し、実に感慨深い! 

終業式の後、「拡大管理職会議」を行い、1学期の総括と慰労の言葉を述べた。そして15時30分から1学期最後の「職員会議」となった。現状の課題を整理し情報の共有を図り、1学期の頑張りに対して全教職員に感謝と慰労の気持ちを伝え、生徒も教職員も有意義な夏季月間となり、8月6日からの「リフレッシュ休暇」では日頃出来なかった帰省や私的用事を楽しんで欲しいと申し上げた。過去最高の生徒数を抱えた割には安定した1学期だったと思う。