2026年5月14日木曜日

丸投げ、丸受けで人は育つ

 今日的に言えば、「仕事は変わっても良い」「トラバーユは別に悪い事ではない」「好きな仕事につけばよい」「嫌な仕事を無理して続けることはない」などと理由や理屈は幾らでも言えるが、私は「本当にそうかなー?」と何時も想う。「石の上にも三年」と言う諺があるが、これはどんなに辛く苦しい状況でも、忍耐強く続ければ報われるという教えであり、冷たく座り心地の悪い石の上でも、三年座り続ければ自分の体温で石が暖まるという比喩に基づいているらしい。「三年」は具体的な期間ではなく、ある程度の長い期間や継続の象徴で、単なる我慢や忍耐の強要ではなくて、少しずつ努力を重ねる前向きな励ましとして受け止める方が良い。私などは常に石の上に座りながら努力し、何時かは、何時かわと思いながら生きて来た。 

本校では例外はあるが基本的に「浪速の石の上にも3年」で3年間の常勤勤務状況で是非に本校の専任教職員としてお迎えしたいとプロポーズするかどうかを決めさせて頂いている。中には4月1日で着任し4月3日には「合わないので止めさせていただく」とか、5月の連休後から学校に出て来ないとか医師の診断書を一方的に送付してくるとか様々な事案が過去にはあった。中には母親から「娘は病んで伏しています」とか言うのもあった。最近の流行りは「退職通告会社なるもの」があって本人は電話出ずに全く存じない某氏が一方的に退職通告してくる。

 しかしだ。志も持たず、大した努力もせず、気分のおもむくままに仕事を替わっても替わった先で上手く行くとは限らない。大体社会で自分の好きなような仕事、上司や同僚、職場環境などが自分に適していることを最初から探すこと自体が無理筋であり、まず「郷に入れば郷に従う」ことから出来る人は入って行く。簡単に纏める、簡単に諦めるなどは、思い上がったことであり、社会はそのような甘いものではない。まず与えられた仕事で何か特徴を出す、成果を出す。それが出来ない、時間が掛かる人は周囲との協調、先輩の下請けから始めるのも手である。一つの組織に長く居続けることは「美徳」であり、人間性の良さの証明だと私は思う。別に管理職昇進など職位に拘る必要はないし、組織には一隅を照らす人材も必要である。

 私が求める人材の基本的な資質は「何でもやる」「仕事の選択を自らしない」「とことんやる姿勢」「丸投げされても厭わない」「周辺の人の力を借りる」「仕事の進捗の報告を怠らない」等々と言ったら分かり易い。「えー、それって私の仕事ですか?」などは禁句だ。本校は「学校改革で成功」したと思うがその背景には一人一人の職員の「多能化」であったと思う。「これしか出来ない人は間違いなく専任教職員にはなれないし、管理職などは到底無理だ。大体管理職は部下に出来ない仕事を振ることだと言っても良い。出来る人は仕事を与えられた瞬間に設計図が頭に浮かんでくる。ここに仕事を与えた側と与えられた側双方の「人材育成の要諦」がある。 

仕事は「任せる」ことだ。これは「丸投げをする」ことを意味する。与える側が「任せられる人がいない」などと言おうものなら、それは「無能さ」の証明である。自分も相手も成長する丸投げ、丸受け組織は強い。「正しい丸投げ、丸受け」は、個人も組織も成長させる。昨年から始めたパンの外販は正直私の心中は「学校勤務の人間にパンの外販などさせて良いのか?」と複雑であったが結果は見事に成功した。この事によって多くの人材が育ったというか、変わった。勿論私の厳しいティーチングと折に触れてのコーチングで手助けしたが基本的には丸投げ丸受けだったと思う。こうなるとプロセスなど最早関係なく、学校という文化圏で自分たちで焼いたパンが「売れに、売れた」という事実のみが残り、関与した多くの人々が育ったと言える。「以て瞑すべし」である。


2026年5月11日月曜日

大学は18歳人口の収容施設ではなくなる?

 何か、昨年の4月から学校は「一皮剥けた」感じがしてならない。昨年も書いたが2年連続で高校1年の入学者は1152人、1052人と1000人の大台を超えた。府内96校の私立高校のうち、4年連続でトップのポジションにいる。この数値は決して偶然に出て来たものでは無くて、背景にはそれなりの「我々の努力が有る」からだが、人様からよく言われるのは「少子化の中で何故、このような数値が出るの?」である。応えはここでは書けないが、「企画プラン、実行、評価、見直しプラン、実行・・・」のサイクルが非常に上手く回っているからで、「ボーッ」と突っ立っているだけでは為しえない。トップが打ち出すベクトルに教職員全員が同じ方向を見て持ち場、持ち場で持てる力を発揮すればこそ「状況を変えることが出来た」と思う。 


入学者の数だけではない。出口の大学進路についても生徒の選択に対して我々は進路実現に力を注ぎ、例えばこの3月に卒業した高校3年生の中には「難関大学を含めて86名もの生徒が国公立大学に合格し進学」した。勿論他校の中には難関国立大学への合格実績数を誇る高校はあるが、86名もの国公立への数を私は自慢したい。生徒はよく頑張ったと思う。ずっと右肩上がりで伸びているのである。さて進級した3年生も9日の土曜日に行った堺地場産業振興センターでの「第1回大学区別説明会」と24日に計画している2回目で具体的に進路先のガイダンスが始まった。受験生には既に内心では受験先をほぼ固めつつあると思うが残り7か月で自らの志を叶えるべく最後の努力をして栄冠を勝ち取って欲しいと思う。


 「行ける大学から、自ら行きたい大学」に行って欲しいし、別に偏差値の高い大学を出たからと言って人生の成功者とはなり得ない。高校で基礎を学び、大学で専門知識を身に着け、自分を鍛え、自分の足元を照らす仕事を見つけて欲しい。その為の「高校大学」であり、厳しい受験勉強はその後の人生にとって大きいものを残す。しかし私は会場を見回って今更ながら「大学間の格差」に驚く。格差とは参加者の数の差であるが、大学関係者も学生募集に必死である。本校みたいな大規模校故にと思うが、何と92校もの大学や専門学校の先生方がお越し下さり、素晴らしい資料を使ってご説明して頂いた。高校も当然、中学校サイドに同じようなアプローチをしているのだが、大学も高校に対して同じような景色なのである。

去る4月23日の朝刊に驚くような記事があった。それは財務省が財政制度等審議会財政制度分科会資料で示した、2040年に向けた私立大学数・学部定員の縮減試算を出発点に、日本の高等教育政策を再検討すると言うものであった。その資料には、2024年の私立大学624校を2040年に372217校へ縮減する数値が示されており、少なくとも約250校削減というのである。「今より250大学が消えて無くなる」とある。一方、文部科学省の私立大学をめぐる資料は、18歳人口の減少を前提としつつも、高等教育の価値を問い直し、2040年の大学進学者数を46.0万人と推計して、「質の向上」「規模の適正化」「アクセスの確保」を同時に掲げて大学の数を検討するとあった。国は遂に大学の数の減少に具体的に動き始めた。21世紀の我が国の教育政策の中心に置くべきものは、短期的な財政収支論からではなく、長期的な人材形成であるが、明確に「大学は、18歳人口を収容する施設ではなくなる」と言う事である。

2026年5月9日土曜日

昨夜の歓迎・慰労会での歌、ど演歌「掌(てのひら)」熱唱

 昨夜はミナミのスイスホテルで「教職員歓迎・永年勤続表彰・教職員慰労会」と銘を打ち、役員、教職員、(株)浪速教育振興の方々総勢210人の大パーティがあった。私は多くの人々で喜びを共有することが好きだし、そして豪華にやりたい性向が強い。頻度は少なくとも、やるなら豪華にだ!その為に進行時間管理は重要である。時間こそが宝であり、誰もが満足する時間を共に過ごすのが宴会だと思う。「さっさっさっ」と切り上げるのはパーティではないし、「だらだら」と長くやるのも問題だ。主催したホスト役の私は時間通りに進め、出来上がりが「凛としてそれでいて、温かみのある気配り心配りが随所に感じられるものが最高」と思っており、昨夜の宴席はそういう意味で大成功であったと思う。周到な準備こそ成功への道だ。

第1幕は公的なもので、まずご臨席頂いた役員13名の方々のお名前を読み上げ、次に永年勤続の教諭2名の紹介(表彰、報奨金は今朝、学校で済ませ)、4月1日に新専任として採用された1人の数学の先生の紹介、そして最後に32名の新採用の常勤教職員に壇上に上がって貰い、代表者が力強い決意表明を行い、式典は終わった。18時30分に始まり式典が終わったのが19時前だったから結構段取り良く進んだと思う。 



第二幕に移り冒頭、私の挨拶で祝賀会が始まった。乾杯の音頭は大阪国学院理事長で格式高い市内の坐摩神社の渡邉宮司様のご発声であった。和気あいあいと美味なフルコースの料理に舌鼓を打ちながら懇親が深められたと思う。私のやり方は立ち席ではなく、何方にもテーブルと椅子を用意し、ゆっくりと料理と雰囲気を味わって頂くのが好ましいと考えているから、私はパーティコンパニオンの方々を16人も来てもらって参加者誰もが席を立ったり、酌に回ったりして終始座が乱れることは無かった。会の途中に私は各テーブルを回り、感謝と慰労の言葉をひと声かけるのが何時もの景色である。皆さんの笑顔を拝見すると嬉しく幸せな気持ちになる。



最後の最後に演出したサプライズとして場を盛り上がるべく、私は司会者の求めに応じて島津亜矢さんの「掌」を謳わせて貰った。昨年は神野美伽さんの「命惜しむな 惜しむな命」のフレーズで知られた「天の意のまま」だったと思う。何時も選択するのは勿論演歌一本道だが必ず「人生賛歌」とも捉えられる選曲にしている。今回は6曲選択していたが最終的に「掌」にした。これは55周年記念で平成16年5月にリリースされた北島三郎さんの作曲で、島津亜矢さんに贈呈した曲である。20年余の月日が経った、良い歌だ。 

手と手を合わせて 生きてる人の 義理は固いし 情けは熱い

汗を流して 強くなり なみだ流して 夢をとる

何にも持たずに 生まれた命 何を掬える 掌で 

この手につかめる 宝もあれば 捨てにゃならない また夢もある

染まぬ世間に 負けたふり 生きる試練の 幾月日

胸のほころび 縫えるのは 皺も知ってる 掌さ 

何かを得るたび 何かを落す 苦労かさねる 人生ごよみ

拳ひらいて 陽にかざし 赤い血をみて いのち知る

長い旅です この世でふたり 握るしあわせ 掌よ 

現在の浪速学院は本日同席されている多くの方々の努力とご支援で今があり、この「絆」は未来永劫続く。私は新任の先生方と今力強く存在感を発揮してくれている専任教諭の先生方に対して“縁あって同じ働き先で、今同じテーブルに付き、同じ物を食している関係は決して偶然ではなく、「絆」であると歌い、今後とも学院神社の大神様に「掌を合わせ」、共に自分たちの職場を更に良くしていこうとの願いを込めて私は歌った。人生は厳しいが、それを乗り切ることが、自分を守り、大切な人を護るのだと私は訴えたのである。

2026年5月8日金曜日

校舎も無く、校長も居ない入学式・・・103年前の旧制浪速中学

 連休中も教職員や生徒には「曲が事」(事故や災厄など)が無くて、全員無事に揃い、薫風香る快晴の中、5月のスタートとなった。神様のご加護を受けていると思う心が信心であり、謙虚な気持ちに災厄は遠のくと私は信じている。今日の「一斉参拝の学院長講話」では一点のみを時間を取って教職員と生徒に熱く語った。今までも5月の参拝時には行って来た事だが、今日はより詳しく、丁寧に話し、「この学校はどのような学校?」という問いに応えんとしたのである。それでこそ「4月30日の開校記念日」と「5月1日の創立記念日」を休校としている意味と意義がある。取りすがりの日ではなくて今自分たちが居る場所の歴史的経緯を知ることはその後の人生にとっても重要である。

 

今から丁度3年前の「令和5年4月30日に創立100年周年」を迎えた。私は渾身の力であらゆる資料を読み、歴史書ともいうべき冊子を纏めた。これは恐らく後世への大切な資料となるであろう。その日、4月30日に「旧制浪速中等学校は第一回目の入学式」を挙行し直ぐに授業に入った日である。だから「開校記念日」なのである。数年後、学校行事の関係から5月1日を「創立記念日」と称し、今日に至る。とにかく生徒数204名で浪速中学校は出発した。令和8年度の新制浪速中学校の入学者数は191人だから、推して知るべし、期待の中での船出であった。生徒募集は府庁で行い、入学試験は「天王寺師範学校」で行ったとある。「校舎も間に合わず」、結局今の高野線我孫子駅と沢之町の中間西側の「元工場の建屋」を借りて「東成郡墨江村仮校舎」と銘打って204名の生徒で「浪速中等学校は出発」した。

私はこの地域の古い図面でこの仮校舎の址を探して歩いたがその面影は当然のことながら何処にもなかった。今は住宅街になっている。添付の古い写真を見ると他には建物など何もなく南海の高野線の電車が後ろを走っている。今から103年前の写真である。校舎だけではなくて学校敷地も校長先生も居ない「無いない尽くし」のスタートであったが、今では考えられないくらいのスピードで学校は立ち上がった。それは「大阪府の強烈な指導支援」を得ながら本校は開設されたからである。


この事を裏付ける格好の資料があった。それは「60周年史」の巻頭にある「当時の大阪府知事岸昌氏の祝辞」である。挨拶文は冒頭以下のような文章である。“(前略)貴校は大正12年大阪府下の神職団体である財団法人大阪国学院が浪速中学校を創設したのが始まりであります。今では余り知られていませんが戦前は浪速中学校と大阪府とは密接な関係にありました。当時大阪国学院の総裁には大阪府知事が、また院長には大阪府内務部長が就任するなど「準公立的な一面」を持っておりまして他の私学とは趣を異にする独特の学校であると言えましょう。・・・(後略)”前述の「準公立的一面」と言う言葉で全てが分かる。

校舎も無く、校長先生も居なかった入学式であったが全てが迅速に進んだ。今ではあり得ないことだった。実は大正12年2月28日、設立者、大阪国学院は中等学校の設置を府に出願し、そして驚くのは一ヵ月後の3月31日に「設立が正式に認可」されている。この速さは尋常ではない。そして4月17日に大阪府から教育主事であった大島鎮冶氏が「校長事務取扱」として着任され、2週間後の4月30日に入学式が挙行された。古い写真で見る限り教職員はわずか8人であった。正式の初代校長は1年後にご着任されている。以上の全てが府主導で進められた。まさしく本学院は準公立的な一面を有し、誕生し、スタートしたのである。



明治維新を成し遂げ我国は前途洋洋「坂の上の雲」の時代に本校は神社神道の学校として、この住吉の地に誕生した。爾来、紆余曲折はあったが、103年の時を刻み、今や府内トップレベルの規模を誇る学校に成長した。私は声を大にして「良い学校で学び、良い学校を職場としている誇り」を自覚し、有意義な毎日を過ごすように激励し、「開校103年目の温故知新の特別講話」を終えたのである。

2026年4月30日木曜日

「春雨」」の中、中学校授業参観日、高校は校外学習日

 今日は雨、それも長雨か?皆さん、ご存じのように、文字通りの言葉で「春雨」、春に降る雨だが、「しとしと」と降る細い雨のことを言う。日本語は本当に優雅な表現が多い。「育花雨(いくかう)」というのもある。春の花が咲く前に降る雨のことで、花を育て、咲かせるために一役買っているような優しい雨の名前だし、「甘雨(かんう)」という表現も、春に植物たちの生長を促すように降る雨のことで、植物にも人にも優しい雨を言っている。植物には優しい雨だが「今日は高校の校外学習の日」で生徒には果たして優しい雨になるかどうか?この春雨の中、高1は奈良、高2は京都、高3は神戸だ。春雨に濡れて楽しい一日となって欲しい。 

浪速中学は5限目に「全学年の保護者授業参観日」でその後学年集会になる。中3は連休明けの修学旅行の保護者説明会になる。京都の私立高校において沖縄で大きな海難事故が起き、生徒が亡くなると言う大事件があったが本校も十分気を付けて言って来て欲しい。着任当時、私は高校の修学旅行先の西表島でカヌーに乗る行事があったが「即刻止めさせた」。リスクのある企画は元々修学旅行に入れるのがおかしいというのが私の考えである。報道によれば付き添い教員は沈没した小型船に乗っていなかったと言う。大体「平和教育」というなら教師は生徒の傍にいるべきである。 



朝、入試広報部の管理職と入試広報部長が昨日の「私立中学校フェア」の詳細について報告に来てくれた。会場への全体参加者は対前年150人の増であった。本校も微増であり、特徴としては小学6年生の数が多かった。例年、大体5年生も同じくらいの数だが6年生が多くなったと言うのは「私立中学ブームの到来」を告げていると感じるが、保守的な教育界だから今後、今日の雨のようにしとしとして伸びてくるのではないだろうか? 






昨年度の浪速中学校の入学者数は191人と府内私立中学の中で15位のポジションだったが、トップ10の星光、四天王寺、高槻、清風南海、清風、開明、大阪桐蔭さんのブースはやはり参加者の数お多さが目立っていた。次いで関大、近大、同志社、立命館、帝塚山、常翔さんなどの「大学系列の私立中学」は安定した光景を見せていた。このような強豪揃いの中で浪速中学は全員の一致団結、「登り龍の勢い」でここまで来ることが出来た。各校のブースを回りながら、今後とも不退転の決意で学校の中味を高め、焦らず一歩づつ、歩を前に進めて行く決意を私は固めている。上が居ればそれを一つづつ、追い抜いていく決意に身体が震える。これが「志」だ。しかし上位の学校の岩盤は極めて固いし大きい。時間は相当かかるが諦めては進歩はない。今後の戦略をじっくりと考えねばならない。尚明日から学校も連休となるので、充電の為にこのアラウンドも暫しの期間、休筆させて頂きます。 



2026年4月28日火曜日

神社本庁長老、大阪府神社庁名誉理事長、大阪天満宮名誉宮司、学校法人浪速学院名誉理事長の寺井種伯先生とお別れ

 神社本庁長老、大阪府神社庁名誉理事長、大阪天満宮名誉宮司、学校法人浪速学院名誉理事長の寺井種伯先生とお別れをしてきた。本日13時より故人の遺言で自社、大阪天満宮での葬儀として本葬があった。既にご親族のみの通夜祭と翌日の密葬には特別に参列させて頂いていたから、覚悟は出来ていたが、やはり本葬となると多くの方々がお越しになっており、今更ながら寺井先生のお人柄が偲ばれ永久の別れの悲しさが募ってきた。私は本校管理職や生徒代表と共に最後のお別れをした。葬儀委員長は神社本庁総長(石清水八幡宮宮司)の田中恆清様で寺井家とはご親戚である。斎主は故人の盟友とも言うべき市内坐摩神社の宮司、本校生みの親筋である大阪国学院理事長の渡邊先生が務められた。参列者の数は存じ上げないが、参集殿と境内の両方に分かれて極めて多くの人々のお顔を拝見した。 


供花の数は800本近いと聞いたがその数の多さに正直驚いた。全国から贈られてきたものである。私は玉串奉奠に際し、名前を読み上げられ、団体代表として早い段階で「忍び手」を打ち、校長と生徒代表が会場から外に出て来るのを待っていた。約1時間の葬儀であったがこの間、寺井先生から戴いたご厚誼の数々を思い出し、「自分が今日あるは全て寺井名誉理事長のお蔭である」と今更ながら思い知った。これほどの「やりがいのある仕事」を与えて頂いたご恩に胸が一杯になった。元来なら連休明けの5月8日に予定されている歓迎会と慰労会に過去はご出席頂いていたが、今回もご健康状態から可能ではないと思っていただけに、その代わり、同日、私はパーティの前に全員で「心を込め感謝の黙祷」することを決めた。学校に戻った直後にその旨を進行係りに伝えたのである。




2026年4月27日月曜日

3586人の生徒を乗せたジャンボジェット機は無事に「離陸し、水平飛行へ」移りつつある。

新入生を迎え、新しい先生方も着任され、新学期がスタートし、ほぼ4週間が過ぎた。3586人の生徒を乗せたジャンボジェット機は無事に「離陸でき、水平飛行」に移りつつある。月末に予定している中学校の保護者授業参観と校外学習で全てが終わる。この最初の「オリエンテーション」みたいなものが意外と大事で、ここを上手くやれば1年間は無事に粛々と進むことを我々は知っているから、教職員も「一所懸命」に対応している。「23日と24日の全校生徒の健康診断」は延べ39人のドクターと教職員総出で2日間に亘って実施した。主担当の保健体育部長と養護教諭のお二人は全て終わった後、「グタッ」とされていたが結果は素晴らしかった。これが仕事である。法令に定められているから手を抜く訳には行かない。 

新入学生も大事だが特に「高校3年生への対応が極めて重要」であり、例年の如くS、N,Rの選抜者60人を25日から26日にかけて一泊二日の予定で多聞尚学館にて受験体制のキックオフともいうべく学習合宿を行った。受験生の心に「ろうそくを灯したり」「発破」をかけたりして「国公立大学、難関私学」への合格を目指してその気にさせることも本校のやり方である。今年の卒業生は何と新記録の86人が国公立に進学した。この数値は我々からすれば極めて大きな数値である。しかし目標は100人台に乗せることであり、今後とも頑張れば手に届く目標だ。私は出発前に生徒に檄を飛ばし、尚学館では飯田高校校長が待ち構えて開講式でじんわりと心に火をつけた。付き添った教員も卓越した教師ばかりであり、特にセンターの数学のY先生の力量に大いに期待している。連休明けの9日と23日には進路指導部主管の「高3生対象の大学説明会」があり、大学受験の臨戦態勢に入ったと言える。 


早速丁度同じ日に多聞尚学館に見学に訪れた新任の先生方も頑張っている生徒たちの顔を見て何かを掴み取ってくれたみたいで嬉しい。前回に続いて某新任の常勤講師の女性講師の感想文を載せる。字数の関係から多聞尚学館の部分だけをここに紹介したい。特に下線部分は私の作為で「私の心に届いた部分」と理解して欲しいと思う。

「校外施設見学で学んだ浪速学院の生徒への想い」    国語科 〇〇 〇〇〇

 今日は浪速学院の校外施設である、高天原スポーツキャンパス、浪速ふくろうベースボールスタジアム、そして、多聞尚学館をバスで周り、見学させていただいた。(以下中略)

  最後に、多聞尚学館。多聞尚学館ができるまで、できた成り立ちの説明を受け、生徒たちに最高の教育環境を提供したいという理事長先生の熱い想いを知ることができた。自然豊かで勉強に集中できる環境で、果樹園もあり、学校とはまた違う良さや学びが得られる場所だと思った。「同じ釜の飯を食う」というように生徒たちと共にチキンカレーをいただき、お風呂なども見せていただいた。勉強面で最高の環境であると同時に、仲間たちと泊まり、一緒にご飯を食べるという経験はかけがえのない思い出になるだろうと感じた。 

 今回の校外施設の研修で、それぞれの校外施設の特徴や良さを学ぶだけでなく、その校外施設を建てる理事長先生の生徒を良い環境でと想う熱い気持ちを施設という形により、身をもって感じることができた。私も浪速学院に携わる教職員として理事長先生、先生方と温度差があってはいけないと思った。これほど生徒を第一に考えた施設がある学校はなかなかないだろうと思ったと同時に、だからこそ浪速学院の入学者数が増えているのだと分かった。今回の施設見学で学んだ理事長先生の想いや浪速学院の理念に倣いながら、管理職の先生方、職員室の先輩に師事し、そして、目の前の生徒達に真心こめて授業をしていきたいと思う。学び続け、成長していきたいと思う。