2025年1月14日火曜日

皇紀2685年、西暦2025年、令和7年、2025.3

 最早、今日では一般的な話ではないが我が国には「皇紀という暦」がある。これは初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする日本の紀年法であり、「日本書紀」の記述に基づき、元年を西暦(キリスト紀元)で言えば紀元前660年としている。従って西暦に660を足すと皇紀になる。通常は皇紀というが、その他、紀元、神武紀元、皇暦、神武暦、日紀等の名称がある。明治維新後、政府は西洋に倣って、暦法を改め「太陽暦」を採用するとともに、明治5年(1872年)に神武天皇即位紀元を制定した。そう、当時の日本はまだ「神国日本」であった。

940年(昭和15年)が神武天皇が即位してから2600年に当たることから、国威高揚の狙いもあり、時の日本政府主導で「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、国民総参加の一大イベント「皇紀2600年奉祝」を大掛かりに実施した。その後今日まで皇紀に関しての、かかる大きな国民的行事はない。そして戦後となり国際化の進展は今や皇紀という言葉さえ、耳にすることは全く無くなった。「ただ、それだけの話」であるが私は神社神道の学校の理事長として「せめて本校くらいは皇紀の名残を残すべき」という思いが強く、次々と建てて全ての校舎などの「定礎」について年号は「皇紀」を使ってきた。 


「ノスタルジー」と「木村個人のこだわり」と言われればそれまでだが私は本校で学ぶ、これからも学ぶ生徒に「このような暦がある」と暗黙の状態で知らしめたいと考え継続してきた。建設中の新中学校棟の定礎について、ゼネコンさんから依頼を受けてこの3連休の2日を使って10枚ほど書いた。今回は中学校棟という事もあり、皇紀と西暦と年号と西暦の4つも並べて一枚の紙に書くことにした。皇紀が今の西暦や日本だけの年号と算用数字と並べれば生徒にも意味が分かる筈だ。毛筆で算用数値は書くのは難しく、上手くは書けなかったが、そのうち一枚を取り出し、この書体を活かして3月末までに基礎部分に「定礎の銘板」取り付けられる。しかしまだ気に入らない書だ。書き直すかな?





 

2025年1月11日土曜日

浪速、そのさざ波の拡がり

 9日が宵恵比寿、昨日の10日が本恵比寿、そして今日が「残り福」のえべっさんのお祭りである。本校の学院神社のお祭りしている神様は、当然こと頂点は天照大神であるが府内の各神社の御祭神は包含して「八百万の神々」であり、当然、中には当然恵比寿様も入っておられる。法人の役員である評議員には今宮戎神社や堀川戎神社の宮司に就任して貰っていることでも近さが分かる。私は本日の残り福の日に8日の新春拝賀始業式に設置した真新しい賽銭箱にお賽銭を入れて、「我々に福が来ますよう」にお願いした。賽銭箱はわずか3日ほどで、その場所に落ち着きを見せてたたづんでおり、屋根の銅板が光を放っていた。私は良いことをしたとつくづくと思った。生徒にも保護者にもこの気持ちは伝わっており、これからは単なる空箱ではなくなるだろう。 



昨日は「大阪私学新春互例会」が市内のホテルであったことは昨日のアラウンドでも触れた。大阪の私学関係者総出でこれに府会、市会の議員先生方も多く参加されていた。多くの方々の賀詞の交換をしたが、必ずと言って良い位、「浪速学院の勢い」について言及された。府の教育庁の幹部まで、会が始まって早い段階で私のテーブルまで脚を運んで下さり、今年も「どさーっと」との表現で「浪速の人気」に言及して頂いた。私学課としては私学の中に高校の完全授業料無償化の施策をここまで活かした学校作りを実践している私立高校があること自体を極めて好意的に受け止めて頂いていると私は強く感じた。 

6日から始まった2月10日からの高校入試本番前の教育相談はほぼ昨日で大半が終わった。今日から相談場所は入試広報部に戻し、入試前日まで受け付ける。今年の大きな特徴は相談に来られた公立中学校の数が300校に近いほど「輪が広がっている」ことだ。府の南部主体から大和川以北の大阪、東大阪市内全域まで「さざ波が外へ外へ」と広がっている。これは住吉区のある本校が名実ともに府の中心部にかけて存在感を発揮し始めたという事ではないか。このことにより「専願件数、相談件数の総計数値が新記録」になっている。私は入試広報のK教頭からの報告を受け、受け入れの教室数を算定した。 


今年の入学者数の予想はまだまだ概算段階であるが、昨年の22クラスを超えて最大25クラス分の用意をしなければならないと読んだ。「広がる波」は我々が制止することは出来ない。今年は良いとして令和8年度も令和9年度もこの状態と考えることが絶対である。その答えが余裕を持って25クラスである。2年先までの教室手配について「具体的プランを答申せよ」と常務理事と高校校長に指示をした。嬉しい悲鳴を超えた大きな悲鳴である。対応は十分可能である。本校で学びたいと希望する生徒を受け入れるのが私立高校であり、幾分「戦線の縮小」に思いが行っていたが、考えを元に戻した。「来たいという生徒がいる」ことは私立高にとって最も嬉しいことであり、それに応えるのが理事長他法人役員、すなわち学校設置者の責務だ。



 

2025年1月10日金曜日

令和7年度入試夜明け前、中高ともに順調に推移

 「中学校入試の出願状況」も「高校の教育相談」も順調に推移している。特に中学校は今朝段階で昨年の1次A入試の出願数と並んだ。まだ、後数日あるから上積みが期待できる。高校はまだ相談段階だが、想定通り相談件数が順調に伸びており、何回もこのアラウンドで書いたがこれらをベースとした入学者予想は昨年の新記録数値である966人を超えて1000人台を突破する勢いが見える。教室数は全く問題ないが新高校1年のクラス数は昨年の22クラスを超えて23、24クラスとなるかも知れない。これらの状況は私を安堵させる。それよりも教職員全員が自信と誇りを持って毎日仕事をしてくれている様(さま)が嬉しい。入試広報部にてご指導、ご支援いただいている元中学校校長先生の方々のお顔には笑みが絶えない。今入試広報部は最強かも知れないと感じた。とにかく浮かれることなく、細心の注意でこれから始まる中学、高校の入試作業を見事に完遂する。 



午後から淀川区のガーデンパレスにて「2025大阪私学新春互例会」があって常務理事、高校、中学の校長、それにPTA会長、副会長と参加させて貰った。この席でも多くの私学関係者から「浪速の勢い」についてお話があった。私は落ち着く暇がないほどご挨拶をお受けしたが、全ては今本校で学んでいる生徒と保護者のお蔭で今日の浪速がある。実るほど頭を垂れなければならない。勢いは何時かは落ち、元に戻るのが世の常であるが、それを遅らせ、少しでも先延ばしすることが私の仕事だ。

話変わって、「この棟札がこの場所に設置されていると知る人間はほとんどいないか極めて少数の人々になるでしょうね」と誰かが言っていたが全くその通りだ。少なくとも今後この校舎の寿命は50年は遥かに超えるから私も私の周辺の人間もこの世には居ない。8日の新春拝賀式の当日、私はゼネコンの方々と少人数で新中学校棟塔屋部分の最も高い屋根部分に私が自ら棟札等を置いた。この後天井板を張って見えなくなる。昨年の10月23日の上棟祭で地上から「曳綱」で持ち上げた土地と建物の神様のお札が未来永劫この場所で我々を見守ってくださる。有難い限りである。




2025年1月8日水曜日

令和7年新春拝賀始業式

 6日が教職員の初出の日であり、この日から高校入試の「教育相談」が始まった。1日おいて今日8日は新春拝賀式・3学期の始業式、略して「新春拝賀始業式」の日であった。教育相談の受付と始業式の同時進行であるが特段の問題はない。今朝現在で既に和泉や堺の公立中学校を中心として40校の中学校から相談を受けており、「浪速人気」は依然として高そうで、この事が私を元気付ける。神社神道を建学の精神とする本校は通常の学校の形である単なる始業式では不十分との私の思いから着任し、学校改革が軌道に乗り始めた頃から「新春拝賀・始業式」と名を改め、「形の格上げ」を行い、神社界、PTA役員、同窓会も参列した学院神社への正式参拝とした。その後中高分かれて両校長の手による始業式と言う具合だ。 



言わば学院神社への学校挙げての「初詣」が新春拝賀式と考えて貰えば良い。このような「形作り」が大切だとの私の信念は全く揺るぎがない。形を作って最初はその枠内で動き、形は徐々に変えても良い。最初から個々の裁量に任せて形など無い場合は案外と結果が出てこない。「組織というのはまず形から入って行った方が得策」である。拝賀式という以上は単に全員揃っての参拝だけではなくて各人が新年を寿ぎ、決意を新たにするのだ。その為に生徒が主役であり、本校の特別クラブである雅楽部と神楽部の部員による「神明奉仕」の光景を全員が目に焼き付けることが重要である。部員たちは正式の装束に身を纏い、雅楽の音を奏で神楽部が厳かに舞って奉納してくれた。 


そしてこの日の為に私は真新しい「賽銭箱」を神社前に設置した。幾久しくお参りする人々の善意を受けとめるであろう。その後「新年を寿ぐ学院長講話」があり、その席で私は例年と同じように「干支に纏わる話」から始めた。今年は「巳年」で、動物にあてはめると蛇となる。巳年の特徴は成長の完成と新たなスタートとあった。 一つのサイクルが終わり、「新たなサイクルが始まる転換期」で、「静寂と内省」、外見的には静かに見えるが、内面では大きな変化が起きているとあった。そして「再生と変革」、 古い価値観や習慣を手放し、新しい自分へと生まれ変わるチャンスを与えてくれる干支が巳年だとあった。昨年は辰年で、辰年は陽の気が動いて万物が振動するので、活力旺盛となって大きく成長し形が整う年と言われ、登り龍のごとく上昇、前進、展開等に大きく関わる年ともいわれていたが今年は一転、「静なる年」と私は生徒に話した。 


学院長講話の後は「別れの時」が待っていた。校長主宰の始業式の後「高校3年生を送る会」が自治会生徒の手によって行われた。代表生徒によって送辞の言葉が述べられ、3年生の代表生徒が答辞となった。この間、拝賀式に参列して下さったPTA役員には6階の天空レストランで心づくしの「ぜんざい」を振舞って暫しの歓談の時を以ってご慰労申し上げた。この様にして学校の令和7年、2025年は動き始めた。皇紀で言えば初代天皇、神武天皇の日本国建国以来2685年になる。我国の歴史から見れば本校102年目となる。私は午後建設中の新中学校棟の「定礎」の字を揮毫した。中学生にも分かり易く皇紀と西暦と元号の3種類を一枚の和紙に書いた。これが建物の基礎に埋め込まれ、悠久の年月をかけて「浪速中学校、ここに在り」と未来永劫、燦然と輝く光を放つ事を期待したい。



2025年1月6日月曜日

「貫く棒」

 「去年今年 貫く棒の如きもの」、この句は、昭和25(1950)歳末に子規の弟子である高浜虚子が76歳の時に詠んだ句である。虚子が居住していた鎌倉の駅に掲出されており、それをみた文豪川端康成が衝撃を受けた話は有名である。私の大好きな句であり何時もお正月、特に「仕事始め」の日にはこの句を頭に反芻させ、胸に去来する感情を味わっている。明治生まれの高浜虚子が日本という国の仕組み、人々の生活、文化の在り方が大きな転換を迎えている明治という「坂の上の雲」の時代にこの句を生み出した。日清日露の二度の大戦を経て、日本が民主主義国家へと生まれ変わる様、激動の時代を生き抜いた人物だから出来た句かも知れないが、現代も激動の時代であり、ある面、明治時代よりも複雑で大激動の時代だと私は思う故、この句は今も生きている。

 去年は1月5日、今年は本日1月6日に学校は動き始めた。この日、私は「業務の記録」というノートを更新する。もう20冊にもなった。これを見ると何時、何があり、誰に会い、何を話したかなど全てを知ることが出来る。真新しいノートの最初は1月6日仕事始めとタイトルをつけ、メモって行く。このようにして私は徐々にエンジンを吹かしていく。去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであり、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句に強く惹かれる私にも「貫く棒」はある。この学校を守り、発展させるという強い覚悟である。 

7時45分、拡大管理職会議を持ち、相当突っ込んで未来を語った。8時45分、今日から始まった「高校入試の教育相談」のキックオフミーティングに参加した。私は入試広報部の部員と関係する教職員に新年の挨拶と激励の言葉を申し述べた。今日からの2週間程度で中学、高校の今春の入学者数が読めてくるが、既に活動期間は昨年末で終了しており、待つのは結果の数値だけである。もはや「じたばた」しても仕方がない局面であり、人事を尽くしたからには天命を待つのみだけだが、そうはいっても、果たして4月5日の入学式には中高合わせて何名の生徒が入学してくれるのだろうかという期待と不安が常に私の片隅にあるのは、慢性の職業病かも知れない。 




9時30分新年最初の職員会議があり、その席で例年の事だが「理事長・学院長年頭所感」を申し述べた。そして今日のハイライトは新しく作成した「お賽銭箱」が入荷したことだ。今の物は制作年代も不明の古びたものだったので、この際、学院神社の神様への尊崇の為にも新中学校棟竣工の前にと考え、踏み切った。神社仏閣建築で有名な松原工務店さんの手になる賽銭箱は現松原社長のご長男でエンジニアの将来の社長さんが設計から制作まで全てに亘って対応してくれた。彼は私が入学を許可し、卒業させ、更に建築科のある大学への進路相談に乗った男である。今日は雨なので8日の新春拝賀始業式の日に使用開始とする。 



今日からまた私は動く。「貫く棒」の如く今年も頑張って参りたい。



2024年12月23日月曜日

祈願という事!

 開校101周年目の令和6年も25日で終わる。この日が公式な「本校の仕事納めの日」であるが、一足先に私は今日で今年の区切りとしたい。プライベートな事は別として学校は本当に良い年であった。ご関係の皆様や教職員のお陰でこのように「良い状態のまま」、今年を送ることが出来そうなのは神様のご神威とご加護のお陰である。私はこの事を断じたい。初めての事だったが、学校設置者たる理事長の意を受け、学校を引っ張ってくれた校内理事であるM常務理事・副学院長、I理事・高校校長、N理事・中学校長の3人に声をかけ、「祈願の碑」の前で記念写真を撮った。少し面はゆい感じもあったが、良い写真になったと思う。3人とも私が見込んだだけのことは有る、超優秀で人柄が良い「出来る男」だ。 



本校の精神的基軸となる言葉は「祈願」である。言葉は「祈り」「祈念」「お願い」等々、何でも良いが、志しを立て(立志)、艱難辛苦を乗り越え、「努力することが人間のエネルギー」である。そして目標が達成された時は「生かされている幸せ」「仕事の有る幸せ」そして「報恩感謝」の心である。その起点は「謙虚」な気持ちで、神仏への祈願、祈りではないか。「願いは必ず叶う」と信じて努力を「継続」する事により願いは成就する。諦めず「継続こそ力」と信じて頑張ることが出来る原点は祈願だと思う。私はこの学校で毎朝、学院神社の大神様に感謝し祈願して20年が過ぎた。

一昨年の令和4年5月、再開なった中学校の修学旅行で私は近代日本の原動力となった山口県萩市に行き、そこで旧萩藩のお城近くの工房「城山窯」において「身体が身震いする」作品と出会った。陶芸家「金子信彦」先生の渾身の作品である。その時の感覚は今でも覚えている。是非ともこの作品を入手し「開校100年を迎える本学院が神社神道を根本義に持つ学校として「100周年の記念」の「祈願の碑」を建立する事を決心した。場所はあちこち見て回ったがやはり生徒が毎日目に触れる場所、月度一回の一斉参拝時に向かい合う場所として神社前「御垣外」の一角に設置することを決めた。 


建立の日は100周年当日の令和5年4月30日の開校100周年奉祝祭当日であった。その碑は学院神社を背にして毎日毎日ご来校される皆様や教職員、生徒の眼前に向き合っている。あれから1年と8カ月、「祈願の碑はますます輝いてその存在感を増している」ような気がしている。開校100周年の記念事業として宣言した「新中学校棟の建設」であるが極めて極めて順調に建設が進んでいる。設計打ち合わせは最後の確認として外構に移っている。過日打合せがあり当初よりグレードを上げ東館、中央館、NS館、そして中学校棟(名称は現在考慮中)と繋がり一体化された本校の校舎は過去例を見ない豪華で「古事記物語」に彩られたICT校舎群となるだろう。この校舎群の精神的中軸は「祈願、謙虚と努力」だ。とにかく、施主側、設計陣、工事部門の関係者のお人柄と3者の呼吸が「ぴったり」だから、仕事の中身が良いのは当然の成り行きで、本当に素晴らしいと思う。「祈願の碑」が何時も新中学校棟を見つめてくれている。





今年1年、このアラウンドをお読み頂き、心より感謝申し上げます。年末年始の間、休筆させて頂きます。皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

 



2024年12月20日金曜日

2学期終業式と職員会議

 この12月、本校の教職員は私を含めて毎日、目の回るような忙しさで走り回っており、まさに「師走」である。押し迫ってきた。そして遂に今日は2学期の終業式となった。まず最初に学院神社の大神様に「神前奉告」を済ませ、その後「終業式」となる。この神前奉告というのが神社神道の学校としてのシンボルである。生徒と教職員打ち揃って、学院神社の大神様に無事に過ぎ去った2学期の「感謝」である。そして「行く年への惜別と来る年への健康・安全安心・安穏平穏・学業成就」を神様に「祈願」した。その後場面は変わり、学院長として今年最後の「学院長講話」に繋がる。遂に舞台は終盤となりつつある。一昨日の評議員会・理事会を済ませ、生徒へのけじめである終業式、そして教職員へのけじめである14時からの「職員会議」で「令和6年、ネクスト100の元年」の一応公式行事は終わった。 



来年の干支は「巳年」であり、一般的に巳年の人には、粘り強い努力家が多いという。獲物を手にするまで何日もじっと待ち続けるヘビのように、何か目標を見つけたらとにかく地道に頑張り、確実に結果を手にする強さを持っている。頭が良く好奇心も強いので、気になったことがあれば誰よりも深く学び続けるという話を「学院長講話」に交える。最初のテーマは中高ともに年末という事もあり、「生徒指導」案件について生々しく語るのが私のやり方である。まずこの「生徒にとっては耳に痛い話」から始め、次に2学期から始めた「学校5日制」に言及した。そして話の山場は新中学校棟への使用開始の手順など楽しい話へと展開する。最後にこの年末年始の時間の使い方についてアドバイスし、3学期の始業式に誰一人かけることなく「元気で会おう!」と力強く述べて学院長講話を終えた。 


しかしこれで学校は全てが終わりではなく、まだ個別には動いており、23日まで学校は様々な予定が組まれている。高校は特別講習があり、正門を閉じるのは25日のクリスマス日の翌日からだ。教職員は明年1月5日までが冬季休業とし、1月6日に教職員は新年最初の職員会議を以って新年度がスタートする。本日14時からの職員会議では一昨日の理事会・評議員会の資料を使って全教職員にパワーポイントを使って包み隠さず全てを開示して説明した。教職員への説明責任である。理事会の議事や状況をタイムリーに教職員に告知することは大切な事で私は当初から資料を自分で作り自分の言葉で発言したことを先生方に知らせて来た。このような学校は多くはない。 


本校の理事会・評議員会で提議された議題で教職員に隠すようなテーマは一つも無い。私には公益法人である私立学校は殊更「学校は教職員、生徒・保護者、運営にご協力頂いている各会社さまや、多くの皆様のもの」という考えがベースにある。神社神道の学校だから学校は神社界のもの」という考えは全くない。オーナー系の私立でない学校であることに我々は幾分の自由度を感じている位だ。誰でも実力と賛同者が居れば、管理職にも役員にもなれる。今年の全教職員の素晴らしい仕事ぶりに感謝と慰労の言葉を述べ、来年も楽しく「同じ釜の飯を共に食べましょう」「先生方、良いお年をお迎えください」と締めて今年最後の職員会議を終えた。