2026年11月7日土曜日

「第二回浪速高等学校の入試説明会」と「二人のアスリートが凱旋」

 今日は「第二回浪速高等学校の入試説明会」。もう20年になるが基本的形は変わっていない。ただ高等学校授業料の完全無償化が国策として全国の私立に適用され、2年目となる。公立も、私立も半々で、表現は悪いが勝ち組、負け組などと様相は明確に見えるようになった。要は募集定員を充足している学校か否かの境界で分けているのだが確かに「集まる学校と、そうでない学校」との区分けが見えるようになって来ているかも知れない。大きな危機感を有した公立も私立高校も必死に起死回生の手を打って生徒獲得に乗り出して来ている。良い事だと思う。公立と私立がバランスを取りながら切磋琢磨して中等教育に励めば我が国の教育力は更に伸び国力の強化の根本になる。 


この時期の公立と私立はそれぞれが知恵を出して学校で入試説明会を行っている。殆どが土曜日だから10月、11月、12月の土曜日は公立私立が入り乱れて行う。公立約150校、私立約96校だから大体の土曜日は私立も公立もダブって予定され、同じような偏差値レベルの学校だと生徒には「また裂き」現象となる。これは仕方のない事で個人の責任で優先順位を決めなければならない。本校はこのような事を慮って12月には2回の説明会を入れ、受験生への機会を配慮している。後は平日での個別相談会を利用して欲しいと思う。今年から私立も定員管理が今まで以上に厳しくなるからどのようにして募集人員管理を結果として的中させるか、併願制度が有る限り、安易なことではなくて私の頭を悩ませる。それにしても説明会が終わった後の天空レストランは受験生と保護者で直ぐに埋まった。 



ところで「凱旋」とはスポーツの国際大会など勝負事で勝って帰ることや、成功を収めて故郷等へ帰ることを表す場合に使っているが、最近2名のアスリートが学校に「凱旋帰校?(私の造語)」してくれた。しかしこの表現は正しくはない。「凱旋」自体に「帰る」という意味が含まれているので、「凱旋帰国」「凱旋帰校」ではなく「凱旋する」と表すのが良いと書物から教えられた。当然私は「お祝い金」を用意して待っているのだが、この財源に「押見守康記念褒章規定」から回すことが出来るようになっている。この偉大なOBは学校に1000万円の個人浄財をご寄付頂き、学校の発展の為に有効に活用して欲しと言われて2週間後に旅立たれた。学校の公的財源からの出費ではないから誰からの目線を気にする必要はなくなっている。財源は何処からと言う重要な視点である。 



体操競技で先の第20回アジア大会において「女子個人総合で日本勢初の金メダル」を初めて取得し、又種目別ではゆかで金メダル、女子団体総合で銀メダルと八面六臂の大活躍であった。また続いた第54回世界体操競技選手権(ロッテルダム)において女子団体で銅メダルを獲得する原動力になった、その人の名は「杉原愛子選手」、明るくてファイトが伝わってくる。本校体操部の外部指導者でもあり、私はこの凱旋を歓喜でお迎えした。ロスオリンッピクの有力候補であり今後とも頑張って欲しいし、学校も支援して参る。来年から海外の修学旅行にロスアンゼルスを入れる事にした。 



もう一人は「田中将吾選手若干24歳、藤井寺市出身」、私が校長として入学を許可し、現飯田校長が卒業を許可した本校OB、本当に好青年である。東洋大学に進み、本校でも2017年、18年と連続して全国高校ボクシング選抜大会でライトフライ級優勝を成し遂げた。2023年には全日本ボクシング選手権大会バンタム級で優勝、そして本年日本&OPBF東洋太平洋フライ級王者となった。通算成績は7選6勝(4KO)、私は嬉しくて今か今かと、首を長くしてこの凱旋を迎えた。次は世界チャンピオンだ。私自身が燃えている。

2026年11月6日金曜日

橿原神宮「街道東征 浪速」奉納演奏・・・一夜明けた余情

 「余情に浸る」と言う表現が有る。ある物事が終わった後に残る感情や余韻を味わうことを指すのだが、私は今、昨日の橿原神宮での「海道東征 浪速」の奉納演奏の余情に浸っている。具体的には、音が鳴った後に残る響きを楽しむことや、映画や詩などの作品が終わった後に感じる温かさや謎めいた余韻を含むのだが、第一楽章から8楽章までの吹奏楽の音が耳について離れない。久し振りのことだ。それ位「良かったなー!」という感じで、進行において、普通は「あそこはこのようにすれば良かったかも?」等々思う部分は後で出てくるものだがそれが全く無いのは珍しい事だった。燃焼し尽くしたということか? 

吹奏楽部員の演奏の素晴らしさ、指揮棒の見事なさばきは当然最初に評価すべきものだ。しかし何と言っても畝傍山の麓の「橿原神宮と言う場所のこれ以上ない最上、最適さ」がこの余情を生み出している。本校の副校長と神宮のカウンターパートである宮司様の秘書役との「阿吽の呼吸」とコミニュケーションが見事な舞台作りに繋がった。だから私は現役の神職でもあるM副校長を推進担当にした。彼らがここまで完璧に準備をしてくれたご奉仕を忘れてはならない。成功は万全の事前準備がもたらす。 


私などやると決める事が仕事であったが、後はこの二人が全てを企画し、それを関係者が一致協力して「大団円で纏まる」と言う事が無ければこのようなプロジェクトが成功するわけがない。私は多くの橿原神宮の神職の方々が持ち場、持ち場で素晴らしい動きをされた光景に驚いた。勿論本校の教職員も全く同じことであり、これは先方の宮司様と理事長たる私達二人の求心力が間違いなくあるという証明である。これが有ればこそ組織は強い。不遜ではないが組織はトップによって変わる。


昨日の奉納演奏の陰で本校中央館6階の天空レストランの関係者に涙ぐましい努力による「神恩太巻き寿司―浪速巻き」製作物語があったことを忘れてはならない。初めて校外に出品し、樫原神宮の初代神武天皇に献饌、供えられ、宮司様以下の方々で「直会」の品としてお受け頂いた。本校初めての「外販用、贈答用の天空R製の一品」である。学校に戻り今回のプロジェクトに関与した教職員に私からプレゼントしたのだが、今朝は両校長や入試広報教頭他の人も「家族で頂き、大変美味しかったです!」と称賛の言葉が続いた。これで橿原神宮ご認定の名物品が誕生したことになる。これも伏線では私の大きな狙いの一つであり、大成功を収めた。 


式典が始まり、まず私のみが神様に玉串を奉天し、演奏の終わった後は久保田宮司様が親しく生徒に語りかけて頂いた。宮司様の出番はこれだけであった。その後私から最後のご挨拶をご参列者全員に四方に向かってお礼を申し上げ全ての式典は終わった。これは「お祭り」であり私が「祭主」であるからで、それ以外の人々は祭主へ「習う形」であった。「列拝」である。神道の祭事は極めて合理的で政治の世界の会合と違い、次から次と人が出てきて挨拶などの出番は無い。祭主の私は参列者すべて、約400個の昼食弁当を用意した。又最後には生徒や保護者への感謝の気持ちを「直会」という形でお土産を用意した。私以外からプレゼントするような形は間違っており、ます受け取るほうも理事長からの方が良いに決まっている。これが祭事の形である。 




吹奏楽部員のある保護者から夕刻、下記のようなメールがあった。有難い中身で、このお方は今回の企画のポイントを衝いておられ、私が意図しているところを高く評価頂いた。嬉しくて感謝に耐えない。ここに転記して記録に残す。 

学校法人 浪速学院 浪速高等学校・中学校  理事長・学院長 木村 智彦 様

 いつも大変お世話になっております。浪速高校吹奏楽部に娘(高校〇年〇〇)がお世話になっております、●●〇〇です。本日は、橿原神宮での大変貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。 

橿原神宮という日本の歴史と伝統を感じる特別な場所で、「海道東征 浪速」全8章にわたる奉納演奏を拝聴し、大変感動いたしました。この曲に込められた理事長の長年の思いや、学院曲として形にされるまでのご尽力、そして8年の時を経て再び橿原神宮で全曲を奉納されたことを知り、本日の演奏がより一層意義深いものに感じられました。 

娘は中学1年生から吹奏楽部でお世話になっております。素晴らしい先生方や仲間に恵まれ、日々多くのことを学び、成長させていただいていることを、親として大変ありがたく感じております。今回、このような歴史的にも意義のある場所で、学院の大切な曲を演奏するという経験をさせていただけたことは、娘にとっても私にとっても、大切な思い出となりました。 

以前、理事長にお伝えしたこともございますが、娘を浪速学院に入学させて本当によかったと、今日、改めて感じております。また、日頃から娘をご指導くださっている担任の先生をはじめ、吹奏楽部の顧問の先生、監督、そして関係する先生方にも心より感謝申し上げます。先生方の温かいご指導とお力添えがあってこそ、今日のような素晴らしい経験につながっているのだと思います。 

実は、本日は娘の16歳の誕生日でもありました。その記念すべき日に、このような特別な経験をさせていただけたことは、親として何よりうれしく、娘にとっても忘れられない誕生日になったことと思います。さらに、お土産まで頂戴し、温かいお心遣いにも重ねて御礼申し上げます。 

一保護者の私から、このようなメールを差し上げるのは大変恐縮ではございますが、本日いただいた貴重な機会への感謝を、ぜひともお伝えしたく、失礼ながらご連絡させていただきました。このような素晴らしい機会を設けていただき、本当にありがとうございました。 

今後とも、浪速学院のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。

2026年11月5日木曜日

秋晴れの橿原神宮にて「海道東征 浪速」の音曲が鳴り響く

 建国の聖地、橿原の地に立った。ここから日本という国が始まった。日本最古の正史ともされる「日本書紀」において、「日本建国の地」と記された橿原。天照大神の子孫である神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみことー後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山東南の麓に橿原宮を創建されたのである。第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,680余年前のことで、日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点とも言える聖地だ。

明治に入り、神武天皇の御聖業を仰ぎ、橿原宮址に神宮創建の請願が民間有志から起こり、これに深く感銘を受けられた「明治天皇」は、京都御所内の天照大御神がお祀りされていた内侍所(賢所)を御本殿として、また、新嘗祭が執り行われていた神嘉殿を拝殿として下賜された。まさに異例の事であった。そして明治23年4月2日、官幣大社・橿原神宮が御鎮座し、創建となったのである。天照大御神の五代目にあたる神武天皇は、互いに争うことのない、永遠に困窮しない国を実現するため、九州の日向国(今の宮崎県)高千穂、美々津の港から国の中心地、大和を目指し東へ向かった。「東遷(とうせん)」の道中、豪族との争いや、相次ぐ兄弟達の不幸等、想像を絶する困難に遭いながらも、国内を平定され、ついに畝傍山の東南に位置する橿原宮で初代天皇として即位されたのである。 

「海道東征」は、昭和15年、皇紀2600年奉祝のために作られた壮大な作品で、詩人の北原白秋が古代日本の歴史や神話を題材に書き下ろした詩に、作曲家の信時潔が曲をつけた交声曲(カンタータ)である。白秋晩年の大作であり、信時潔の代表作としても知られている。制作背景として1940年は日本にとって特別な年で、多くの作曲家が奉祝曲を作曲したが、芸大教授の信時潔も日本文化中央聯盟から委嘱を受け、白秋と共に本作を制作した。白秋は当初、三部作として構想していたが、第二部・第三部は完成せず、1942年に病没した。信時も白秋の死後、神話を題材にした曲を構想したが未完に終わっているように偉大な二人の人物はこのカンタータに全精力を注ぎ切ったのだと私は思っている。 

この交声曲は前述したように日本神話を題材にしており、神武天皇の東征や国造りの物語を「音楽で表現」しており、当時は8枚組のSPレコードとして発売され、白秋自身も九州各地で講演会と試聴会を開くほど愛着を持っていた。戦後は一時期世相の波を被り、封印されていたが、ここ数年再評価され、完全な形での演奏も行われているようになった。後述するように本校「浪速学院もその役割の一端を結果的に担った」と勝手に心の中では胸を張って誇っている。 

文化的・歴史的意義としては、日本の神話や歴史を音楽で表現した文化的遺産であり、戦前の皇紀2600年奉祝の象徴的作品としての意味も持ち、戦後封印されていたことから、「復活」後は精神史的意義や「古典」としての価値が再認識されている。北原白秋と信時潔という二人の天才による歴史的・文化的価値の高い作品として、現代に蘇ったのである。「良いものはこのようにして蘇り永久に続く」と思う。「復活、再生、蘇り」は良い言葉だ。 

私はこの名曲を平成の26年の頃に知り、何としても詳細を知りたいと音源を探し求め、遂の天王寺の楽器店を通じ、通販でCDを入手した。何回も聞き、聴き、感動した私はこの曲を是非本校浪速学院の「学院曲」として「吹奏楽への編曲」を決め、まず東京の信時家のご遺族のご了解を賜るべく努力した。この時の依頼文は今手許に残っている。日付けは平成26年3月吉日とある。編曲の依頼は本校の音楽監督である万波先生にお願いし、当初は1.2.6.7.8の計5楽章であった。それから都合足掛け4年をかけて8楽章全ての編曲が完了した。「平成から令和への御代替わりの令和元年5月27日」に樫原神宮にて奉納演奏をさせて頂いたのが今回の契機になった。当時も今も橿原神宮の久保田宮司様から「再演を」とのお誘いを受け、今日に繋がった。前回は未完であったが今回は全8楽章50分のフル演奏である。 

昨日來、今日の雨を少しだけ心配していたが何と畝傍山の麓に位置する橿原神宮の空は晴れ亘る秋晴れで、又爽やかな風が拝殿前の広場を吹き抜け、心地よい日照りと風のクールさを感じる中で「実に見事な演奏」を指揮者と部員は見せてくれた。どのようにこの素晴らしさを表現すべきか、今思い付かないが神宮の神職の方々が感動の面持ちで私に声をかけて頂いた。「このような曲が有ったのですね」「感動で身体が震えました」等々、これだけで十分である。私は多くの事を学校に残してきたが「一つだけ挙げよ」と言われたら間違いなく「学院曲ー海道東征 浪速」を上げる。名付けtたのは私だ。ただ浪速を付けただけであるが。これくらい思い入れの大きい事跡だと自分では誇っている。



最後に久保田宮司のご挨拶があったが、「神武天皇様もさぞ喜びだと確信しています」とまで言われた。学校法人役員、クラブ員、生徒代表、保護者、教職員代表、合わせて総勢350人、一丸となって予定通りに始まり予定通りに終了した奈良の橿原の地で鳴り響いた海道東征終わりの地は穏やかな空気感に包まれ、海道東征の物語を優しく時に激しく語り、傍にいる人々の心に自然に入り込み、演奏が終わった後も皆さんの心に残響として深く残っているなと感じた。橿原神宮の宮司様初め皆さんにこのような機会を与えて頂き感謝に堪えない。又何時の日かこの場所に立てる日が来るように神様にお願いして車は大阪住吉の学校に向かって南阪奈道を目指した。



 以下は本日ご参観頂いた方々へお配りした「海道東征 浪速」の概要を記したものである。これは今回のプロジェクトの主担当として今日まで企画推進してくれた、前本校神道科の主任教諭、現在は浪速高校副校長である森川和信先生(皇學館大學卒)、実家は府内泉佐野市内の神社の神職)がまとめた資料である。 

令和8年11月5日

       橿原神宮における 学院曲「海道東征 浪速」御奉納演奏

               学校法人 浪速学院 浪速高等学校・浪速中学校 

このたび、浪速学院の発展への感謝を捧げるとともに、我が国の歴史と文化を未来へとつなぎ、次代を担う若者たちの健やかな成長を願い、初代神武天皇をお祀りする建国の聖地・橿原神宮において、八年ぶりに本校吹奏楽部が学院曲「海道東征  浪速」を奉納演奏させていただく運びとなりました。

神社神道の根本を建学の精神とする本学院にとりまして、本日の奉納演奏は、日々お守りくださる神々への感謝と、長年にわたり本学院を支えてくださった皆様への感謝を新たにするとともに、建学の精神を次なる百年へと受け継いでいく決意を深める、誠に意義深い機会でございます。

本日は、部員一人ひとりが心を一つにし、第一章「高千穂」から第八章「天業恢弘」まで、全八章を演奏いたします。神武天皇の東征の物語に思いを馳せながら、若き演奏者たちの奏でる音楽を通じて、本学院の建学の精神と未来への新たな決意を感じ取っていただければ幸いです。 

◎学院曲「海道東征 浪速」

  交声曲(カンタータ)「海道東征」は、昭和15年に皇紀2600年、即ち初代天皇の神武天皇が即位され2600年に当たることを奉祝して、信時潔作曲、北原白秋作詞によって作られた管弦楽、独唱、合唱からなる日本の名曲です。古事記や日本書紀の神話を元に、神武天皇がまだカムヤマトイワレヒコノミコトと呼ばれていた頃、筑紫の日向(美々津)を出発し、宇佐、岡田、吉備、浪速、白肩と、大和を目指して東征する物語が壮大に描かれた演奏時間50分に及ぶ大曲です。

  戦前はしばしば演奏されていましたが、戦後はタブー視されてきたためほとんど演奏されなくなり、人々の記憶から失われていた曲です。

 平成26年2月、戦後3回目となる海道東征の上演を報じた新聞記事が、本校、木村智彦理事長の目にとまり、すぐにCDにて演奏を聴かれた理事長は、この海道東征こそ学校法人浪速学院の学院曲として相応しい曲であると確信されました。

 理事長のご指示により、作曲者のご遺族より吹奏楽編曲の許可を戴き、本校吹奏楽部の演奏により、学院曲「海道東征 浪速」として学校行事にて演奏させていただいております。なお、本日の指揮は、本校吹奏楽部顧問 山本耕一朗が務めさせていただきます。 

◎本日の演奏曲

 第一章 高千穂(たかちほ)

     荘厳な調べで幕を開け、国産みの物語と高千穂の素晴らしさ、大和への東征の決意が歌われる。

 第二章 大和思慕(やまとしぼ)

     東征の目的地である大和への憧れが美しいメロディで描かれる。

 第三章 御船出(みふなで)

     日向の美々津から船団が出航する喜びと、輝かしい前途が表現される。

 第四章 御船謡(みふなうた)

     海の神の鎮めの詩、その後船を漕ぐときの歌謡風の船謡が続く。

 第五章 速吸と菟狭(はやすいとうさ)

   航海の難所として知られる速吸を通り、菟狭津彦の歓待を受ける場面

   を日本情緒の漂うメロディで描写される。

 第六章 海道回顧(かいどうかいこ)

     吉備から(難波)浪速に向けて出発する前にそれまでの長い旅が回顧される。

 第七章 白肩野津上陸(しらかたのつじょうりく)

     白肩野津へ上陸し大和に入る前、豪族・長髄彦の抵抗に遭う様子が描かれる。

 第八章 天業恢弘(てんぎょうかいこう)

三種の神器を讃え、神武天皇がついに橿原の地で初代天皇として即位する。

国を治める偉業と山河の美しさが感動的に表現される。

2026年11月4日水曜日

「地位や役職は人を作る(創る)」

 「地位や役職は人を作る(創る)」は良く使われている慣用句だ。「・・・人を育てる」と言う表現の方が良いと思う。有るのかも知れないがこの意味を有する日本語の格言というか諺が見つからなかった。その点、英語は上手い表現がある。"Status makes the person" だ。確かに役職は人に成長の機会を与えるが、本人の意欲や組織のサポートがなければ必ずしも育つわけではなく、上位にある人の指導や支援、学校で言えば教頭や校長のバックアップがあって初めて成り立つものだと思う。その理由は役職に就くことで、個人は責任と権限を伴う新たな課題や挑戦に直面し、これにより、自己管理能力、リーダーシップ、専門知識などのスキルが磨かれ、視点が拡がり、組織全体を俯瞰して考える力が養われる。又「見られる側に回る」ことで余計に自己を鼓舞し頑張るものだ。人は一人で成長するものではない。 

その対価として組織はその人にプラスの褒章や報酬を支払う。「普通の人、一般の人と同じ報酬で誰が役職者になるか!」私はこの学校に来て、ありとあらゆる面で、生徒に対する褒賞、激励金、祝い金、クラブ活動支援金、楽器や茶道部のお道具など支援してきた。又教職員にもありとあらゆる活動に対して特別作業手当の名目で支給し、最たるものは人事評価システムを導入し、昇給幅の拡大や賞与一時金の理事長加算など行って来た。真面目に裏表なく良い仕事を行い結果が出ればそれを明確に評価することが極めて、極めて組織管理においては重要である。私が費やす組織管理の資金は小さくないが、その帳尻は今の学校の現状を観ればお釣りがくるくらいプラスだ。 

学校の高校では自治会、中学では生徒会の役員も基本的には大人社会や会社組織の中と同じで、様々な経歴や価値観など異なる多くの複数の生徒を対象にするととにかく「気苦労」は多いものだ。それを乗り越える事で「一歩も二歩も人間的に成長する」ことは間違いない。先般、高校と中学の新旧会長以下役員が1年間の任期を終えて理事長室に挨拶に来てくれた。旧役員は「やり遂げた満足感」が顔に出ており、新役員は緊張感が滲み出た顔であった。退任する役員には見事に責任を果たしてくれた褒章としての退任お祝いの金券を校長先生から、理事長からは記念品を贈った。 


生徒だけではなくて学校の場合先生方も同じである。学校の先生はまず担任業務、そして分掌という重要な業務分担があり、経験を積み、分掌長となるとまず幹部教員に数えられ「校務運営会議のメンバー」になる。分掌長や学年主任を経験し、自分の専門分野を深めたら次は管理補佐職となり一層守備範囲が広くなる。その仕事ぶりと成果、求心力など観察の視点が広くなり、適材となれば管理職に昇進するのが一般の路線である。狭き道だ。役職者として「見られる側」になることで、周囲の期待値も自然に高まり、責任感や当事者意識が益々強化されていく。地位は人を作るとは、ある地位や役職に就くことで、その立場にふさわしい人物へと自然に成長していく「自己成長力」を意味する。 

逆に言えば任された役割が人の振る舞いや責任感を鍛えるという教訓を示しているのだが、中には「重圧に耐えられなくなり」、逃げ出したい衝動に駆られるものだ。これに耐えられないと組織管理者には成れないというか、なるべきではない。「生涯、教壇に立ち続ける」のも立派な「生き方」である。自分はラインか、スタッフか、進むべき道は自身で決めるしかない。自身を誤解し、組織管理者面をしてもその組織は徐々に衰亡して行く。「一将功成って万骨枯れる」と成りかねない。ある程度の歳になったら自分を見極める「覚悟」が要る。

2026年11月2日月曜日

霜月11月、雨の中の一斉参拝

 傘を差しだして雨をカバーしてくれる人の背中が濡れるのを考え、「遥拝」とした11月2日の「一斉参拝」となった。それ程、8時30分過ぎの雨はきつく、神社前のコンクリートブロックを打つ雨の音と跳ね返りは大きかった。拝殿前で理事長、両校長、自治会、生徒会の代表5人が差し出す雨傘の中に入って、内揃って参拝する光景は今日で遂に消え去った。私は良い決断だったと思う。回廊の天井は高く代表生徒が勢ぞろいしても広々としており、今更ながら中央館校舎の設計の知恵と豪華さを、もっと誇っても良いと感じた。

 

「学院長講話」ではまず31日、土曜日に帝国ホテルで催されたお隣の学校、「白頭学院―建国幼小中高等学校」の創立80周年記念祝賀会の件から話に入った。本当に素晴らしい学校であり、私は「民族学校」としての歴史に感動と感激を心一杯にした。このような学校さんが全くの隣に位置しており、今後更に両学院間の距離を縮める努力をしなくてはならないと心に誓った。幸い本校は「Kプロジェクト」を発足させ韓国語の勉強や同国の伝統校と善隣友好関係を結んでおり基礎は出来ていると思い、拍車をかけることを決めた。艱難辛苦を乗り越えた、団結力があり、母校を大切にする機運に満ち溢れた良い学校であった。着任して20年、漸く本当の意味で国際カラーのある浪速学院が出来つつあることを私は生徒に詳しく伝えた。今後とも仲良くして行きたいと思う。 

今日のメインの講話は「自転車通学時のヘルメット着用問題」にした。先月末朝日新聞が大きく高校生の着用について特集記事にしたものを使い、生徒生活指導部がまとめた大阪府内の状況を生徒に認知させながら、話を進めた。浪速中学校は既に「上出来」の状況にあるが高校の方は府内一般のレベルである。まだ強制的な自転車通学条件とはしないが、まず生指部の方で、例えば、学期に1回1週間ほどの「着用強化週間」的な企画を行うなどの方向で今後の方針を考える筋道を考える手順かも知れないと話した。 

このような話には短い時間制約の中で、生徒の興味関心が行くように演出することも効果が有る「振り付け」もありと思い、実際の本校空手道部の高校生が付けているヘルメットを借り、理事長自ら付けて「パンパン」と頭を叩いて見せた。頭を守り、脳を守るのは君たち自身であり誰も守ってくれないと話し、交差点での出会い頭に自分の乗る自転車と他人の運転する自動車との衝突転倒事故は有り得る事故であり、その時に頭を守ってくれるのはヘルメットだと強調した。確かに常時着用するヘルメットは「ウザイ」「髪型の乱れ」との思いもあるかも知れないが、少子化の中で君たちを守るために着用を義務付ける時が近づきつつある足音が聞こえる。 


午後は校内幹部教職員に拠る安全保健委員会と引き続いて校務運営会議があり、11月の大きな行事は5日の橿原神宮での吹奏楽部による「海道東征浪速」の奉納演奏、11月7日の第二回高校入試説明会、11月12日からの高校海外修学旅行、11月14日の天皇皇后両陛下の大阪行幸啓のみぎり、生徒代表40名が奉迎行事に参加する事等を話し、何れも良い結果を残す為に全教職員が全力で取り組むべしと話した。



2026年10月31日土曜日

少年老い易く学なり難し、一寸の光陰軽んずべからず

 10月は全国の神様が出雲に参られるから「神無月」、ただい出雲地方だけは神様が来られるから「神在月」、美味い事、日本語は表現するものだ。10月も飛ぶように過ぎ去り、今日で終わり。明日からは11月で、「霜月」と言う。気象に関連した名前になり、霜が降るから霜月だと言う。分かり易い。12月は先生が走り回る「師走」、今年も後2か月となった。私も教職員も生徒も「一生懸命に生きて来た」と思う。私たちの勤務先は学校であり、相手は同僚でも無ければ保護者でもない。目の前にいる生徒が対象である。少年少女である。私は何時も頭の中に次の語句がある。「少年老い易く学なり難し」「一寸の光陰軽んずべからず」。自分自身の「人生訓」みたいなものでもある。 

以上の語句(ことわざ)は、時間管理や自己啓発の重要性を示す言葉として現代でも時に引用されている。人間、全く等しく一日24時間の持ち時間は、限られた時間であり、これを意識して学びや努力を積むことの大切さを教えてくれている。人生80有余年は長く、時間の積み重ねの仕方で結果は個人で変わったものになる。「少年老い易く学なり難し」は、若いうちの努力の重要性と時間の尊さを説いている。これは元来中国で成立した語句とされてきたが今は日本だと言う学説もある。現代でも時間を大切にする生き方の指針としてこのことわざは広く用いられている。 

若いうちに時間を大切にして学問に励むべきことを説いているのだが、確かに若いうちはまだ時間があると思いがちである。しかし年月はあっという間に過ぎ、年を取ると学問を修めるのが難しくなるという戒めを表している。つまり、若いうちから勉学に励まなければ、後で後悔することになるという教訓で、「少年」は男女を問わず若者全般を指し、学問だけでなく、人生のさまざまな努力にも通じる意味として用いられている。歳とっての勉強では遅いという戒めも分からないでもない。人間「生涯学習」であるが若い時代の勉強は特に大切だと思う。起死回生の一発は期待しない方が良い。小さい頃から「コツコツ」とだ。 

私はこのことわざから直ぐに神道の教えるところの「今を生きる!」の言葉に気持ちが飛ぶ。神道における「中今」の思想である。中今とは「今この瞬間を大切に生きる」という教えであるが、これは単なる時間の概念ではなく、過去から未来へと流れる永遠の時間の中で、「今」を中心に据え、この瞬間を精いっぱい生きることの大切さを教えるものだ。これが神道での時間観だと、江戸時代の国学者である本居宣長は、その著書「古事記伝」の中で、明確に示している。過去を悔いても仕方がない。未来を心配しても仕方がない。さすれば今を一生懸命に生きよという事だ。私は長い人生、小さい頃から兎に角何時でも、何でも一生懸命に生きて来たと思う。親からも親戚からも「智彦は何でも一生懸命に・・」と良く言われた。 今思うと、少しやり過ぎかも?の反省はあるが?

今日は朝8時30分から高校2年生の理系トップ層60名が多聞尚学館へ学習合宿に出かけた。英・数・化学の強化勉強である。私は出発前の一時、“少年老い易く”を持ち出し、激励した。又今日の土曜日は「Saturday  Something  Special (3S)」の日で1S、2Sと講座を開設しているが中に未だ本校の生徒でない「小学校6年生と5年生が中学生、高校生に交じって40人も含まれている。自ら勉強の意欲を発揮し取り組んでいるのである。恐らく浪速中学への興味関心が高まり、自ら体験したいと参加しているのだと思うが、理由は如何せん、自ら勉強への意欲を持つ事は賞賛に値する素晴らしい事だと思う。





2026年10月29日木曜日

天空R新商品「太巻き寿司 神恩浪速巻き」

 今日は18回目となる焼き立てパン・ブルの外販日だ。もう18回目となるかと思えば感慨深い。昨年の11月から始めたこのプロジェクトは「神恩食パン」と「おかげ食パン」と言うヒット商品を生み出した。売り始めて30分で完売するくらいの人気商品である。合わせて惣菜パンも常に新商品を開発し売り出している。今日も新作5品が並ぶ。又今日からは「特製いちじくジャム」も売り出した。先の浪速祭でデビューしたものだが売れ行きが良くて定価一個650円を50円値引きして600円にした。本校所有の千早赤阪村周辺のいちじく園のいちじくをジャムに加工したもので食パンに付けて頂ければと思う。このように店舗と言うものは常に変化を付けて行くこともマンネリ打破には必要である。 

完売は40分であった。又特製ジャムは16瓶も売れた。少し肌寒く次回からは中学校棟の一階でやることもNEPの人たちは考えている。又今日から新商品事前PRとして「神恩浪速巻き」と言う太巻き寿司の宣伝に入った。多分12月頃には外販可能だと思う。私は「チラシ」を使って自らPRした。豪華で美味で巻きずしの究極を狙った逸品で、担当者の自信作でもある。何回も何回も試作したと言う。私の宣伝の口調は「フーテンの寅さん」みたいで自ら苦笑した。9月から中央館6階のレストランを業者委託から直轄経営にしたが、6Rでもパンコーナーと同じく外販用商品を製作し売り出すのである。 

その為に、この11月5日に奈良の橿原神宮で本校吹奏楽部による「海道東征浪速」の奉納演奏が有るので、その機会にまず建国の父、初代神武天皇のお宮に献饌してから外販品として皆様にお出しする。まず神様に召し上がって頂く。神社神道の学校として当然の事だ。お値段については詳細検討中である。 




今日は早いもので卒業アルバム用の教職員全体写真の撮影があった。まず高校からそして中学用である。その後「職員会議」に移り私から最近の種々の課題について話した。それは①中学プレテストにおける答案用紙の取り扱いの問題②スポーツ特待生の取り扱いのポイント③大阪府神社庁80周年の件④11月5日橿原神宮における吹奏楽部の奉納演奏の件⑤11月14日天皇陛下の大阪への行幸啓への提灯奉迎の件⑥11月12日からの海外修学旅行について等々であった。 

 


重要行事が続く11月であり両校校長以下先生方、法人局長以下法人スタッフ、事務長以下事務職、特別職の方々、NEP社員が一致団結し良い結果を得られるように各自持ち場持ち場で一層の奮励努力を望みたいと思うと話しを結んだ。時は飛ぶように進んでいるが、一歩一歩着実に地を踏みしめ、令和8年の集大成としてこの11月、12月の入試広報活動は輝かしい「令和9年4月の形」を決める年度末であるから、この事を自覚して緊張感を持って取り組んで欲しいと思う。