本校の図書館に勤務頂いている「司書」は極めて能力の高い女性である。緻密で論理的な思考をされ、文章作成能力も高い。対外的にも臆する感じは無く、あの静かで落ち着いた感じを人に与える所作は一目も二目も置かざるを得ないように私は高く評価している。仮にSさんと呼称しよう。S先生の雇用形態は「無期雇用」非常勤職員であり専任でもなければ常勤職員でもない。当初は有期雇用の非常勤職員から今の形に変えた。当方は専任職員でも構わなかったがご本人の強い希望もあって無期雇用で落ち着いた。ご家庭があり、自由度の高い勤務形態と司書と言う時間変動の高い職位に最も相応しいと自ら考えられたのだろうが、このような覚悟も私には当時新鮮に映った。無期雇用は基本的に解雇できない、本校にとって大切な人材の一人である。
昨日、「本願寺史料研究所」の研究員であるK先生が来校された。1948(昭和23)年1月9日設置された西本願寺「真宗史編纂所」、そして同編纂所を改組充実させて、1956(昭和31)年4月1日龍谷大学大宮学舎図書館に開設された「本願寺史編纂所」を前身としている研究所である。ここは本願寺第23代勝如宗主の発起により、親鸞聖人700回大遠忌記念事業として、本願寺の歴史をまとめる「本願寺史」編纂のため設立され、同時に学界への貢献も目的とした研究機関である。設立当初のメンバーは龍谷大学の文学部史学科の教員を中心に、所長は森川智徳龍谷大学学長、禿氏祐祥主監他錚々たる学者や研究者であった。本願寺史編纂事業が終わりに近づいた1967(昭和42)年9月30日に本願寺の歴史をさらに調査研究するため、現在の本願寺史料研究所に改組された。
京都、浄土真宗の本山の付属研究所から何故に大阪の神道の学校である本校に来訪されたかという命題であるが、本校には「1400冊もの和綴じの和本」がある。この中に「萬葉集」の立派に装丁された古本の中に本願寺の明治大正時代に活躍されたお方の名前を見つけるべく見つけたS司書が研究所に手紙を差し出し、この本の由来と本願寺との関係を探りだすという、まるで「推理もの小説」を地でいくような狙いが実現したのである。上記和綴じの古本は本校設立と密接な関係のあった「皇典講究所」時代に遡る必要がある。皇典講󠄁究所󠄁は明治15年(1882)、明治政府が神道事務局の後継団体として設立した神職養成の中央機関であるが、本校はこの分所、即ち「皇典講究大阪分所」、その後名称変更され大阪国学院が創基の学校である。
結論から言おう。萬葉集の古本には「皇典講究大阪分所」の蔵書印が押されており、初代の分所長である渡邊資政先生は勤王の志士の庇護や国学や和歌の大家で有名であり、今の中央区の座間神社宮司であられた。この先生とご縁のある本願寺の高僧との結びつきが現在の我々の手元にある萬葉集写本ではないかという推測がK研究員によって認められた。今後更に研究を続け、仏教と神道の結びつきが萬葉集という古代の和歌本を通じて明らかになって行くことを期待している。
神道教義の心のふるさとである伊勢神宮へ「伊勢修養学舎第4班」が出発した。ますます濃くなっていく本校の由緒と由来を知り、神道の学校で学ぶ生徒に語り、送り出す背中を見ることは私の心を豊かにしてくれる。