2026年4月13日月曜日

問題意識を持てるか、どうかが勝負の分かれ目!

 今日は高校1年生の入学オリエンテーションの最後に当たる「校外施設の見学の日」だった。多聞尚学館と美原のスポーツキャンパスに出かけた。どちらも本校の文武両立路線を謳う豪華な施設だ。昨年は25クラスを数クラスに分けて8グループ程度に分けて出掛けていたが、今年から一日当たり2部制にして今年の場合、24クラスを4回に分けて通常の授業に大きな影響が出ないようにこの学年から高校サイドが考えてくれた新企画だ。素晴らしいことで私はこの校長以下先生方の「問題意識」に感動した。このようなケースは学校内では決して多くないからだ。 


大体、学校と言うのは一度決まれば何年も同じことを繰り返すのが普通で「変える行為」に臆病だし、それが教職員の負担増になると誰もが先頭切って口に出さない習癖が有ると言っても過言ではない。問題意識とは難しく言えば、ある物事を,解決されるべき状態にあるものとしてとらえる意識のことで、民間会社では"君は問題意識が足りない」とか「もっと問題意識を持ちなさい」とか上司に言われる光景はごくごく普通のことだ。確かにこのような言葉を他人から言われると「お前はアホか?」と言われているみたいだが、決してそうではない。そこで腹を立てては自分の進歩はないと考え、上司の愛情と思えば少しだけ腹は収まるだろう。案外とこの言葉は組織内では重要で責任あるポジションに就きたいなら学ばないといけない。見た眼、良い状態とある現状に潜む課題や改善点を自覚し、それに対処しようとする心の働きを指す言葉であり、単に「問題があることを知っている」だけではなく、「どうすれば解決できるか」を自発的に考える姿勢まで含めて示すものだ。少なくとも管理職には絶対的な必須の資質である。

前述した新一年生のオリエンテーションのやり方の工夫も授業時間数への影響への問題意識から出た。又最近の特記すべき事案は今朝のことだった。「入試広報部のインスタによる広報活動」で4月6日の入学式での学院長式辞を動画でインスタのストーリーで数回に分けてアップしたところ、フォロワー数が跳ね上がり、リンク先の理事長アラウンドも過去最高の断トツのアクセス数となった。これも学校の重要な行事を何とか閲覧者の数を増やしたいとの問題意識があってこそ出て来たものであり。これが無かったらフォロワー数もアクセス数も変わっていなかったと思う。「大ヒット」であり私は担当の二人を呼んで激賞した。 


問題意識はビジネスシーンにおいて「課題設定力」や「改善志向」と表現されることもあり、学校教育でも「主体的・対話的で深い学び」を支える要素として重視されている。まさしく「アクティブ・ラーニング」とは個人の問題意識である。心理学の領域では「問題認知」と訳されることもあり、個人が自己成長を図るうえで欠かせない概念と位置づけられている。つまり「問題意識」は、現実を批判的に見つめ、理想とのギャップを埋めようとする前向きなエネルギーを指す言葉であり、「仕事の出来る人間」とは簡単に言えば、口だけの評論家ではなくて問題意識から「課題の設定能力」を持ち、「解決に至る道筋」を付けて周囲を巻き込み、「成果を上げる」ことを実施出来る人間を言う。組織において飯を食っている人間はすべからくこの事を認識しなければならない。

2026年4月11日土曜日

落花狼藉の中で?「クラブ活動文化部系」発表会

 6日の入学式では神社の左右の桜の大木は満開の花弁を咲き誇り、「百花繚乱」となっていたが、今朝私が登校した時には「はらはら」と風に舞って花びらが落ちて行っていた。桜ってこのように潔くよく散るものだと改めて思った。同じような四字熟語に「落花狼藉(らっかろうぜき)」という言葉が有るが、これは古典文学や歴史物語に登場する言葉で、古来より人々に強烈な印象を残してきた語句である。今朝はこの散り方をしている神社前の地面に散った花びらをみて、一見すると、花が散りゆく情景の優雅さと風流な雰囲気を漂わせているが、本質は“乱れ”“混乱”“荒廃”といった、より生々しく激しいイメージを伴う余韻みたいで、まさに百花狼藉であり、私は地面に落ちた花びらを見て、心を動かされた。百花繚乱と持て囃された桜も今度は落花狼藉だから人間は好き勝手な事を言うものだ。

昨年の今日は「大阪・関西万博の開会式前日」であり、翌13日からの開幕であった。この「EXPO2025」については終わってみて、当初は様々な評論が出ていたが、今やマスコミや何方も口の端に出さない、出て来ない。あのマスコットキャラクターである「ミャクミャク」だけが偶に巡業みたいな各地巡りが、ニュースに出てくるが、この現象も落花狼藉みたいなで感じで何か寂しい。今日は1限目に高1年生に内部生を除く900台の「クロムブック」が手渡された。受け取る生徒の歓声や目の輝きを見ると安心した。これは最新鋭武器でもある。「ICTを駆使して学べ」と私はエールを送った。 


今日は2限目から令和8年度「文化部発表会」であった。当初はミニ発表会と称して昼休みの時間を取った位の短いものであったが、生徒もクラブも増えてきて当時の文化部長の提案で今のような本格的なものになった。文化部長は音楽の教師、そして理科の教師と変わり、昨年から女性の数学の先生になった。長い歴史で女性の文化部長は初めてであり、大いに期待している。この様にして学校は教師間でバトンが繋がれて、一歩づつ進化して行っている。この先生、まさに与えられた仕事に集中し楽しんでおられるように何時も感じる。素晴らしい事だ。 



文化部は運動部に比べ、幾分地味な所があり、「勝った、負けた」の大きな派手さもない。生徒の中には「どうも運動は苦手」と言うものもいるし、そのような生徒には何処かの文化部のどれかに入って欲しいと強く思っている。クラブ活動の効果は教育活動を進めるうえで大きな効果を上げることを我々は知っているから、私は文化部への支援は惜しまない積りだ。天も味方して頂き、今日は極めて良い天気であったから、運動場を使った「大がかり」なものになった。 



25の文化系クラブがあるが今日の参加クラブは軽音楽・雅楽・ダンス・津軽三味線・合唱・神楽・吹奏楽部で、これらはグランドでの実施であった。鉄道研究・美術・書道・写真・化学・合唱・放送部は事前録画したものを教室での視聴としている。中学生徒会長の開会宣言に始まりその後高校校長の挨拶、最後の締めは高校自治会長の閉会宣言と中学校校長の挨拶で終わるというオールスターの催しものである。私は自室のテレビで仕事をしながら見られるのであるが臨場感を味わう為、少しの時間、グランドに足を運んだ。

2026年4月9日木曜日

教職員連帯の船の名前は「浪速丸? or 浪速常若丸?」

 忙しかった3月から4月にかけての「年度替わり」も順調に移行した。私にとって「入学式」と昨日の「春季例祭、始業式」を済ませ、ようやく「ほっと」とした心豊かな「黄金の日々」が始まった感じだ。今朝も校内の桜は満開の花びらを付けており、まだ散り始めてはいない。昨日の始業式まで桜が持ったのは初めての事だった。仮に学校を巨大な船に例えれば名前は「浪速丸」、この船に3586人の生徒が乗り込み、岸壁を離れ、「ブゥォー」と汽笛を鳴らしながらエンジンの速度を上げている状況にある。ようやく「船出」が済んだ。今朝は中一の5クラス191人がバス5台に分乗して千早赤阪村に向かった。オリエンテーションをかねて校外学習施設の見学である。甘いイチゴが待っている。



「腐心(ふしん)」という言葉は心をなやますこと、心を使うこと、苦心することであるが、分かり易い表現に「心を砕く」と言うのもある。気をもむ、心配する、気を配る、苦心するであるが、新入生を迎えてまず我々が心を砕くことは、「早く学校に慣れ、友達作りと級友とのチームワークの醸成」である。授業、勉強はまだ後で良い。特に経験則から中学生は「じっくり」と育てなければならない。何しろ今から6年間お預かりするのだから時間はたっぷりとある。中学生の今日の施設見学はそのための企画で「多聞いちご園・農園・果樹園」で生のイチゴを採ってその場で食べるという。素晴らしい事だ。友と触れ合い、小学生から中学生になったことを喜び、それを自覚させなければならない。採れたての「いちごの甘さ」に歓声が途切れなかったそうだ。我ながら「良い学校」になったと思う。 



しかし一方では入試広報部は今年度の募集活動に向かって着々と準備を進めている。今年も学校案内の冊子の主題は「常若」を選んで呉れたという。そう、浪速学院の思想・哲学は「常若」である。伊勢神宮の20年に一度の重要祭事である「式年遷宮」の心は常若であり、常に若々しく美しく保つことは継続性、発展進歩の原動力となる。「教育環境の常若、教職員の精神の常若」、浪速学院は常に若々しく、未来へとつながる学校へとの思いから常若を掲げ、理事長の私も12歳から18歳までの生徒に負けないように常に若々しくなければならないと自覚している。「おじいちゃん」っぽくなっては責任は果たせないとの思いが強いだけに毎日見る常若の文字に対峙して気を入れているのである。 

学校案内に挟む冊子の理事長インタビューが6日と8日の2回に分けて行われた。プロによる多くの写真が撮られた。果たして良い顔になっているだろうか?「常に進化と挑戦をやめない、伝統と革新の浪速」を心掛けている私だ。これらを可能とするエネルギーこそ「常若」なのである。昨年も書いたが「教職員連帯の船の名前」を「浪速丸から浪速常若丸」に変えようと思い続けているが、まだ果たせていない。浪速常若丸、良い船名ではないか! 








2026年4月8日水曜日

生徒総数3586人が揃った「春季例祭と1学期始業式」

 「余情」や「余韻」という言葉が好きだ。後まで残っている、印象深いしみじみとした味わいなどを表現する時に使う、良い言葉だ。私に今、一昨日の入学式の余情、余韻に浸っている。入学式の後は、敬愛する大阪天満宮の寺井名誉宮司がご逝去され6日通夜祭、翌7日の密葬と続き、同日の夕刻から「合祀祭」に臨んだ。神道の合祀は「浄暗の闇の中」で行われる。浄暗、あるいは浄闇と書き「じょうあん」と読むのだが、神事をとり行う際は「けがれのない暗闇」で行う必要があり日の暮れるのを待つ。 


昨日は「二柱」の合祀で、内お一人はこのアラウンドで何回も言及した東京は本郷の「湯島天満宮の前宮司である押見守康 大人命(うしのみこと)」のご遺族である現宮司が東京からお越し頂いた。昨夜無事にこの合祀祭もおさめることが出来た。私は「祭り主」だから手を抜かぬよう実行しなければならない。卒業生、教職員、先輩諸兄や恩師、本校と関係の有った人々が「神様となられ」、今生きている生徒達の健康と学業の成就を見守ってくれる。日本全国、どの学校にこのような形を継続している学校があろうか。私はこの点こそ、本校の正統さ、品格、優しさであると思う。私も死後はこの祖霊殿に合祀して貰うことを決めている。 

そして今日は8日、遂に「春季例祭と1学期の始業式」となった。長い冬が終わり、桜が満開の、暖かい春を迎えた喜び、そして今年一年の各地の繁栄・人々の幸福・五穀豊穣を祈り、全国の神社の社殿で「祭事」が厳粛に執り行われるのを「春季例祭とか例大祭」と言う。秋は秋季(例)大祭と言う。神社が毎年毎年執り行う極めて重要な祭事であり、神社神道の学校として、本校もこれらに準じて学院神社の春季例祭と秋季例祭は重要な学校行事となっている。本日はその春季例祭で、まさに「桜が満開」であった。特別なこの日は「鼉太鼓や2台の神輿」も出して、例祭は滞りなく進み、ご斎行申し上げお祭りは斎行できた。毎年だがこの日になると私は元気になる。「サア、今年もやるぞ!」という感じで身体中の血流が騒ぐ。 



桜がまだ花びらを付けている中で、全校生徒3586人という膨大な生徒が揃った。市内の座間神社神職に拠るご斎行は何時もながら「きりり」とし、静かにそれでいて朗々とした「祝詞」の中に、新一年生高校1052人、中学191人を含めて、全校生徒総勢3586人の平穏と学業成就が間違いなく奏上された。雅楽部と神楽部による「尚学の舞」は何時もように荘厳に奏でられ舞が奉納された。自前の生徒による雅楽部と神楽部の奉納は本当に誇り高い。例祭の後は生徒に「直会」の品としてノートブックが私を通じて神様から手渡された。その後「学院長講話」に移った。

 


講話の最初は1日に着任した新人の教職員をテレビカメラの前で紹介し、早く新しい先生となじみ、教えを真剣に受けるように生徒達に伝えた。そして私は年度当初でもあり、学院長講話として春季例祭の意義、直会の意味、そして「尚学の舞」の由来や「浪速生活の綱領」の説明の時間を十分取って語った。そして全ての根源は「知らないことを学ぶことの大切さ」を強調した。祝詞にあった「ともがらと睦み、なごみて,身健やかに」の意味をかみ砕いて教え、「いじめ、ネットトラブル」等について生徒に「懇々と」諭し、両校長の主宰する始業式にバトンを譲ったのである。


2026年4月7日火曜日

本校名誉理事長「寺井種伯」先生ご逝去

 平成18年12月22日、午後15時過ぎの事だった。私は当時心斎橋筋にあった、喫茶店で一本の電話を待っていた。そのお店の名前も、そこで何を飲んだのかも、全く記憶にない。携帯が鳴って「直ぐに神社庁にお越しください」という呼び出しを受け御堂筋沿いの本町付近の伊藤忠商事ビルの裏手にある初めて訪問する大阪府神社庁に急いだ。歩いて10分程度の近さだったことは覚えている。庁長室に案内され、そこで少し前に終わった神社庁理事会の決定を告げられた。この日、正式に私が学校法人大阪国学院浪速中学校・高等学校の理事長就任と翌年4月1日の校長就任兼務が決まった。お相手は大阪天満宮宮司、大阪府神社庁長、学校法人大阪国学院筆頭理事であった寺井種伯先生であった。 

その寺井先生が黄泉の国に旅立たれた。

あの時以来、20年間のご厚誼を頂きご指導を賜ったお方である。次のように言われた事が今でも忘れられない。「木村さん、貴方で駄目だったら学校を閉じようと思う」と。寺井先生のお傍には常に、先生の盟友と言うべきもう一人の人物、道明寺天満宮宮司の南坊城宮司で、私はこのお二人の期待に応え、「死ぬ気で頑張ろう」と誓った。これが「浪速改革の始まり」であった。両先生ともこれ以来学校での役員会に欠席されることはなかった。ご心配であっただろうし、次は木村から何が飛び出すかと言う期待と不安もお持ちだったように思う。寺井先生のお蔭で多くの立派な名のある方々をご紹介され、高級なレストランにも何回も連れて行って頂いた。神社界の親しい人は寺井さんが長兄、南坊城さんが次兄で末っ子の私を入れて「団子三兄弟」と揶揄していたくらいの公私ともに親しい関係に育っていった。

 

2日19時37分、寺井種伯先生はご逝去された。享年94。約1年半に及ぶ闘病で、昨日大阪天満宮にて通夜祭、そして本日が密葬で4月28日に天満宮葬と発表された。ご子息であり現大阪府神社庁長、本校の筆頭理事でもある寺井種治宮司様より直接お電話を受け、通夜祭と本日の家族葬にも参列を許された。昨夜ご拝見させて頂いたお顔は大変お綺麗で「楽になった、微笑みみたいな表情」を私は感じた。最終役職は神社本庁の常務理事を6年間、務められ、「長老」の称号を与えられた。勿論本校の名誉理事長であり、私はご退任後も役員会の報告に大好物であられた堺の名店の「穴子寿司」を持ってご自宅に伺うことを忘れなかった。何時も二人の懇談と言っても、しゃべるのは殆ど私であったが、じっと聞いて頂き、時の過ぎるのも忘れていた。

 

大変立派な業績を上げられ、また多くの人々に慕われ、私にとっても尊敬し、敬愛する寺井先生との20年間のご付き合いは本物であった。「理事長、死ぬまでやってね」と笑いながら、何回も言われた。健康に注意せよと言う事である。特にご病気で100周年記念事業に出席能わず、病床から100周年記念誌「夢の軌跡」に「木村理事長と浪速改革」という特別寄稿を寄せて頂いた。この中に思い出の写真が10枚もあった。私は先生にお願いして「常若」のご揮毫を頂き、中央館事務室前の急所に掲げている。先生は地上には居なくとも天上世界から浪速学院を見守ってくれている。学校と私には寺井先生から頂いた数多くの宝物がある。寂しいが大きな悲しみはない。「94歳まで生き抜いた男の生き様」を教えて頂いたような気がする。



2026年4月6日月曜日

さくら満開の「中高合同入学式」

広いと言われている体育館が本当に広く感じられた。高校で24クラス、中学も一クラス増えて5クラス、合計で29クラスの1243人の入学式になった。昨年と同じく、これほど生徒が多いのかと今更ながら感じられるような中高合同の入学式となった。勿論、保護者は会場に入りきれないから各教室に分散してテレビ同時中継である。そして各ご家庭には「ユーチューブでの配信だからおじちゃんやおばあちゃんは孫の姿をテレビ画面で追ったと思う。言いようもない位の安定感と高揚感が満ち溢れた入学式になった。私は今から103年前の大正12年(1923)、430日に沢ノ町の仮校舎で204人の生徒で第1回目の入学式を行った旧制浪速中学校の時代を想像しながら感慨にふけり、「今を生きている幸せ」を感じた。

 

学院神社前に勢揃いした「神前奉告」で、新入生が立ち並んだ光景は生涯忘れ得ない一幅の絵画で、私はこの光景を目に焼き付けた。生涯忘れ得ないだろう。入学式と言えば桜がつきものだが、神社前の左右の桜の木はまさに満開で花びら一つ落ちてはいなかったが式が終わった午後になると風に乗って花弁は神社前の境内にチラチラと落ちて行った。まず飯田高校校長先生と西田中学校長先生が壇上から入学を許可する旨の宣言がなされ、その後中高の生徒代表が「宣誓」をし、次に私が登壇し、理事長・学院長として「式辞」を述べた。

もう完全に頭に入っており、今朝、少し推敲して頭の中を整理し語り始めた。そう、「喋りではなくて語り」なのである。しかし実際語り始めると話しの展開は筋書通りであるが、時には割愛したり加えたりして、生徒が集中して人の話を聞くように、飽きさせないように起伏に富んだ抑揚を心掛けた。「何時ものことである」。加齢と共に私の話は声に抑揚が大きくなったり、身振り手振りが多くなったりして、これはもう「スピーチとか喋り」ではなくて間違いなく「語り」であると自覚した。今回も自然に生徒と保護者に「熱く」語りかけるような話し方となった。全身全霊で私は何時も勝負をするが、入学式の式辞に最も力が入る。 


今朝になって「今までと同様に」式辞の最中に「あっ、そうだ!やはりあの曲をBGMに流そう」と決めた。それは松山千春さんの1977年にリリースした最初のアルバムの中の「大空と大地の中で」という曲である。何時かは止めよう止めようと思っているのだが、その時になると虫が動き出す。私が校長兼務時代から今日まで良くBGMとして遣わさせて頂いた曲で、特に歌詞が気に入っている。私の式辞の云いたい部分、神道の教え、建学の敬神、生徒への励まし、応援などを実にこの歌詞は上手く表現してくれている。流し始めた時に、会場は少しざわめいた。入学式の学院長式辞にBGMが流れるのも本校くらいだろう。

果てしない大空と 広い大地のその中で

いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう

歩き出そう明日の日に 振り返るにはまだ若い

ふきすさぶ北風に  とばされぬよう とばぬよう

こごえた両手に 息をふきかけて

しばれた体を あたためて

生きる事がつらいとか 苦しいだとか言う前に

野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ(以下略)