本校が使っている言葉で言うと本日は「年度末出勤」と表現されている正式な学校行事である。まさに令和元年度の最終出勤日であり、全員が揃わねばならない日である。特に明日からの新年度の最終準備の為であるが特に教科会議や学年会議を短時間で行う。しかしこれは「顔見世」みたいなもので、メインは「職員室の座席の移動と片付け」である。本校は中央職員室、中学校職員室、理科教諭職員室、体育教官室と4つに分散されており、今日で退職される先生や明日着任される常勤講師の先生方の受け入れ準備等がある。神道でいうところの「年度末大祓」であろうか。私は先生方に強く書類等の「断捨離」をお願いした。教員は本当に資料類を捨てない。机の上が汚い。
朝8時には1年間の研修期間が満了し、試用期間の終えた9人の専任教職員に正式採用の辞令を交付した。私はこのような優秀な人々を本校の正式クルーメンバーに迎えることが出来て幸せである。健康に留意して本校を生活の基盤として、「輝く人生」を送って欲しいと激励した。そして10時半からは「令和元年度の最後の職員会議」があって私は1年の慰労と感謝の言葉を全教職員に伝えた。例年あることではないが、今日は一人の立派な教育者であり、管理職の先生が定年退職で本校を去った。私と共に「学校改革」を推し進め、常に傍に居て私を支え、参謀の役目を果たしてくれた中学校校長のM先生が退任され、本日付けで退職された。今後はご夫人とともに悠々自適に人生を楽しみたいと言われている。
浪速中学校の生徒数規模は高校に比べ約1/6と小さいが、中学校運営は高校に比べ圧倒的に難しいし、何しろ60校程度ある私立中学の中で生徒数で言えば、常に「不動の中位、30番目くらい」であったがM先生が校長に就任して以来3年間で3桁の入学者となった。102人、107人、そして本年度は何と137人と遂に4クラス体制となったのである。私も中学校長を6年務めたがその時の記録は122人だったから如何に137人の数値がすごいか分かる。これで浪速中学校はトップ20校に入ってきた。これは本校では躍進という言葉を超えている数値で画期的である。素晴らしい置き土産を後輩たちに残してくれた。職員会議の後、M先生を全員で送り出したのである。
私も今日付けで13年間の高校校長を退任した。高校、中学の校長が同時に代わるのだから、これは「一大事」であるが学校はビクともしない。後任となる高校校長はI副校長、中学校長はN副校長を当て嵌めることにし、用意周到に今日まで進めてきた。二人とも私が管理職に任用し、教頭、副校長と育ててきた人物だ。実力、人物共にまったく不安はない。「縦横無尽」に頑張って欲しいと思う。私は中央館5階の高校校長室を明け渡し後任のI先生とがっちり握手した。そして中学校校長室に回り、私がかって使っていた懐かしい机や書棚を見ながら「時代の変わり目」を実感したのである。「四代目の中学校長の誕生だ。浪速新時代の始まり」である。
東京では新型コロナウイルスの感染者が1週間で倍増し、小池都知事はこの週末の外出自粛要請を発表した。オーバーシュート、爆発的感染を警戒しての判断と言っているが少し遅いのではないか。東京オリンピック問題の為にこの判断を遅らせたとは思わないが、こういう時は「早め、早め」が良い。大阪は先の3連休時に「兵庫との行き来」を自粛する要請などを出したが、この効果は少しはあったのではないか。最も先行きは全く見通せない。大体「ワクチン」がない状況下で基本的に「短期間で落ち着くのか?」。この夏場が山だという人は多いが、本当にそうだろうか?少し神経質になってきている。今朝も生徒も教職員も何もない情報を得て私は安堵しているが、今の最大の懸念は学校は4月になったら動くことが出来るのかどうかだ。
このブログで正式に私は「浪速高等学校長の職を退任する」ことを明らかにする。平成から令和の時代に「御代替わり」して丁度良い頃合いだ。若い人材も育ってきた。既に12月理事会、その後の職員会議でも内定として明らかにしており、教職員は全員知っていることであるが3月23日の理事会で正式に確認された。「学校改革」「浪速教育改革」「浪速教職員改革」は13年間の長きに亘った。この間浪速中学校の校長も5年間は兼任した。もっと前を遡れば平成14年4月大阪府立高津高等学校の校長に就任した時から数えれば通算17年の校長職を経験したことになる。それも公立、私立の両方をこのように長くさせて頂いたのは恐らく日本で初めてのことではなかったか。
浅学菲才の私がこのように長く学校の校長職を続けて来られたのはまさしくご神慮の賜物であり、この間支えて下さった多くの皆さんのお陰である。感謝以外の言葉はない。この間、辛かったと思うことは一度もなかった。ラグビーではないが「前へ、前へ」の楽しい毎日だった。企業社会から教育界に転じて、教育という営為の素晴らしさに、これこそ我が「天職」と思えるようになっていた。私は今「晴れ晴れ」とした気持である。やり終えた一服感に安堵し、心豊な気持ちである。こういう場面では「良くやったと自分を誉めたい」という人もいるが私は違う。私にしっかりと付いてきて、頑張ってくれた「本校の教職員のお陰」である。失敗も多く「もっとやれていた」と思う。今は居ない元教職員の顔が次から次と浮かぶ。
しかし幾ばくかの寂しさを感じるのは、何故だろうか?答えは校長職を辞して可愛い生徒との触れ合いが減少することだ。しかし「遅かれ早かれ」、何時かはこうなるのだから、言っても詮無い。まだ「元気な内に若い校長にバトンタッチ」することは極めて重要であると考え決断した。今着任した当時の写真を見ると若かったなー。言い換えれば随分年を取ったということだ。それにブクブクと太った。しかし年をとっても気力はまだ有り余っている。新体制にすべての「後事を託す」のではない。校長職は退いても「理事長・学院長」として学院の行く末を盤石にする為には、まだまだやらねばならない事が山ほどある。今後の私は学院経営に集中し、「先の、先の学校作り」の基盤を固めていくのは私の責任である。とりあえず「令和5年の創立100周年」を如何に迎えるか大きな課題である。少し時間的余裕が生まれるが、私の事だ。仕事を自ら作り出していくのだろうと思う。
アリーナという格好良い響きのする言葉がある。大阪府は昨年万博公園に万博公園アリーナを建設すると発表したように流行り言葉みたいな舞台・試合場を観客席が四方から取り囲む形式の、ホール・スポーツ施設である。
語源はラテン語の「砂」で、円形劇場内の砂場で獣を闘わせたことに由来するという。なぜ砂か?というと、砂だと血が出ても影響がないためらしいが、私は堺市美原区の本校の学校地である「高天原スポーツキャンパス」にこのアリーナを建設することを決めた。昨日の理事会・評議員会で議決された。
元々この考えは無かったと言うより、深くは考えていなかったという方が正しい。それに今建設工事中の同地の「乾坤一擲ドリームフィールド」と名付けたサッカー、ラグビー、アメリカンフットボール、陸上競技の総合競技場の事で頭が一杯であった。まず此れを完成させるのが先だと。現在工事は極めて順調に進んでおり、東京オリンピックの年に完成させたいと頑張ってきたところだが、どうも新型コロナの影響で今年の開催は見送られる方向となったらしいが、我々は停滞なく先に進めるだけだ。今年中には竣工させて教育環境の飛躍的な発展を目指す。このような施設を有する高校は日本では他にはない。「断言する!」
元々、令和5年には創立100年を迎えるのでこの記念事業を何にするか思考していたのだが、心に余裕が出て来たのか、「待てよ!現在の西館を建て替える時に約2年間の工事期間中に必要な施設はクラブ活動の場所ではないか」と気付いたのである。西館の建て替えは財政的には令和7年と考えていたのだが、これを創立100年記念事業というにはタイミングがずれ過ぎる。それで遂に記念事業と西館建て替え時のクラブの練習場所として先行させるべしと判断したのである。この施設の名称は「高天原アリーナ」とした。卓球、バドミントン、バスケットボール、バレーボール、器械体操等の競技場所である。そう、私は高天原スポーツキャンパスにアリーナを建設する!
これには高橋建築設計事務所の仕事の進め方の素晴らしさと力強さ、堺市当局のご理解があればこそここまで進むことが出来たわけで今年の1月末にこの構想が思い浮かんだ私はすぐさま、現地に飛んで土地を確認した。現在は「調整池」であり、この上部に建物を建てるのだ。当初は「ここに建物など立つの?」と懐疑的であったが関係者の努力で実現する方向となったのだ。早速概略設計に入った。原案は費用の事もあり、池の上の一層であったが、どうせやるならと上部を2層にし、ミニアリーナとアリーナを作ったほうが「使い勝手」が良いと判断した。建設工事費は確かに膨らむが、「金は天下の回りもの」だ。
原案を変えたには訳がある。姉妹校として親しくしている好文学園女子高等学校の新しいアリーナを過日見学させて貰ったのだが、その素晴らしさに驚いた私はこれを設計した会社の幹部を至急に学校に呼び、設計変更をお願いした。実はこの設計会社は本校の中央館、東館を設計してくれた「(株)大建設計」さんで元々我々が好文さんに紹介した経緯がある。今回のことで私は「他を見る」ことの重要さと「近いものに宝がある」ことを学んだ。自分の頭だけでは限界がある。また新発想は遠くの夢よりも近くの現実なのである。素晴らしい高天原アリーナをスポーツキャンパスに12月以降連続して建設する。これで既に完成した「八咫烏テニスクラブ」、工事中の「Kフィールド」それにこの「高天原アリーナ」と3連ちゃんの施設が整う。またまた面白いことになった!
欧米ではいわゆる「オーバーシュート」の状態である。「爆発的感染」となり遂に「外出禁止令」が出るなど、「ロックダウン」と言うらしいが家に閉じこもって「ひっそり」と我が身を守るような状況まで世界は新型コロナウイルスに追い込まれた。一体この先どうなるのだろうと嘆息するくらいしか私には出来ないが、それでも日本は「なんとか持ちこたえて」いる状態だと専門家は言う。2500人の生徒の感染状況は「定期的な発熱チェックと報告」しかないが、今のところ「学校は何もなし」の状態だから安堵しているが、明日は分からない。この「閉塞感」では当然だが元気が出ない。大阪は本日「桜開花宣言」が出された。私は少しでも気分を高揚させるためにネクタイの色を「ピンクの桜色」に変えたが少しだけの効果はあったか?
本日は「3月理事会・評議員会の日」であった。出席予定の監事をお願いしている宮司さんから急遽電話があり、ご子息が昨日近隣の海外から帰国されたそうで、「万が一の事でもあればご迷惑をかけるので今日の理事会は欠席」とあった。理事会の部屋は今までの複数掛けの大机は止めて生徒が使っている個別椅子に変えて隣との距離も離した。本校は校舎全体が「強制換気」と最新の設備としているが、念には念を入れて時々窓を開けて外気を取り込んだりして気を使っている。会の冒頭、4月から専任教職員として8人の教諭と1人の事務職員が理事会において了承の確認がなされた。この9人の先生方には新しい時代をけん引する若手となって頑張って欲しいと思う。
今日の主な議題は「令和2年度の当初予算の決定」であった。また昨年12月の理事会・評議員会で既に決定している改選を迎える理事や評議員の予選と本選も再確認された。私は来期、4月から3年間、理事長として「理事会・評議員会を総理する」ことになった。何期目になったか、もう面倒くさいから計算しないが、通算13年間理事長の重責を務めてきた。まさかこの年まで仕事をするとは思わなかったが、令和5年の5月1日が開校100周年なので、皆さんのご協力を得て、少なくともそこまでは頑張っていくしかない。自分に言い聞かせているが「生涯現役、男は死ぬまで仕事」だ。
今日の重要議題はもう一つある。詳細は別途記すとして創立100周年記念事業として概略予算が12億円程度の事業計画が「満場一致」で確認されたことである。現在進行中の「高天原スポーツキャンパス・・・乾坤一擲ドリームフィールド」、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボール、それに陸上競技のトラックの複合競技場は今年の12月末には竣工するが、これに引き続いて「新たな計画」を本日私は提案し理事会・評議員会においてこれまた満場一致で賛同されたのである。責任は重い。
生徒は「春休み」となっても学校の教職員は休みではない。この辺が世間の勘違いがままあるようである。「学校の先生は休みが多くて良いですね」などは間違った認識で生徒がいない分、先生方は走り回っているのだ。例えば今日は朝、「職員会議」を行い私は重要な話をした。今日は4月に新しく採用した常勤講師の先生方が全員揃って登校され、全教員で「新年度分掌会議・教科会議」がもたれている。また「学年別新担任会議」「新学年会議」なども行われ、全員の共通理解と役割分担などが話しあわれる。先週木曜日の公立高校の合否発表を受けて併願入学者が決まり、「新年度の陣容」が定まったから以上の作業が出来るのである。
その陣容であるが、私は今朝の朝会で新一年生の生徒数と担任を正式に発表した。「入学者数651人、クラス数は16クラス」とした。これに伴い、担任の教諭16名の氏名も正式にクラス単位に発表した。16人のうち4人の常勤講師が入っているが、「将来有望と評価しているから担任指名」したのだから頑張って欲しいと思う。併せて私は今日全員に「クロムタブレット」を手渡したのである。先の職員会議で詳しく説明していたが入荷したのである。「ICT教育推進元年」として革新的な教育手法の展開のツールの一つとして高額であったが私は「スタイリッシュな教員集団」を夢見て踏み込んだのである。恐らく日本でも先駆的ではないか?先生方は大変喜んでくれていたと初代のICT教育推進部長のS先生は言っていた。
今日の職員会議のもう一つのテーマというか指示事項は、私の3月18日の修了式での前言を翻して「21日以降のクラブ活動については4月7日まで自粛」とした。この背景は20日の祝日に「第9回大阪府新型コロナウイルス対策本部会議」が行われ、それまでの大阪府の行政指導が覆されたからである。大阪と兵庫は国の専門家会議でも大きく先行きを危険視しており、これらを受けて教育長は「4月7日まで学校における教育活動は行わないこととする」が正式に通達されたからである。大阪は大都市であり、関西国際空港を有し海外からの帰国者が多いだけに爆発的な感染拡大リスクが高まっているという。
さしあたって本校で困るのは4月2日の新入学者の事前登校と4日の入学式であるが、私は事前登校も入学式も延期と判断した。大阪府は4月8日以降の学校再開については3日までに決定するとの事なので、それを受けて適切なタイミングで「簡略化した入学式と1学期の始業式」を考えて行きたいと管理職にその旨伝え、生徒・保護者宛の連絡文を作成し発信するように指示を出した。大阪は最悪の場合、3月20日から27日までに586人、28日から4月3日までの間に何と3374人の感染者が発生すると大阪府からの資料には書かれている。「恐ろしい話」であるから、こういう時には無理して単独に行動するべきではない。しかしこの問題は今後とも状況によって「くるくる」変更があるに違いないが仕方がない。とにかく生徒と教職員を守るのが私の責任である。
「鎮め物」という言葉がある。これは“しずめもの”と呼び地鎮祭のとき、「土地の神」をしずめるために地中に埋めるものである。神社神道の世界では重要な儀式である。
昔は人形 (ひとがた) ・鏡・剣・矛などを埋めた。今日も私は朝9時に「高天原スポーツキャンパス」に急ぎ建設中の「乾坤一擲ドリームフィールド(Kフィールド)のクラブハウス工事現場で建物の中心に埋設した。「神事」は既に先に竣工した「八咫烏庭球倶楽部」の時に済ませておいたので今日は鎮め物をお納めしただけであった。この高天原は文字通り天上世界みたいな台地で「風が通り、陽も燦燦と輝く」、申し分のない土地で新型コロナウイルスなどは微塵も存在しないような場所である。「鎮め物よ!願わくば世界のコロナウイルスを鎮めて欲しい!」
トンボ帰りに学校に戻り一人の来客を迎え、その後は中学校の転入試験がありその合否判定に臨んだ。入学許可の権限は法的に担保されている中学校校長の専権事項であるが、「学院長」として中学校校長の意見具申を尊重して関与する。特に特待生などであったら学校資産に影響するから、そういう意味では理事長としての関与も本校の「寄付行為」や「内規」で定められている。中学2年生と3年生が東大阪から、一人は奈良から「どうしても浪速に行きたい」との要望で入学を許可する方向で結論を出した。ますます浪速中学校の人気が高まっている。中学は総数で344人となる見込みで、浪速中学がますます頼もしくなり理事長としては心強い限りである。
今日は極めて神経を使う日であった。公立高校の合否発表が本日午前10時にあり、その結果を見た生徒と保護者が本校への入学手続きに15時を締め切りに来校される。受付の窓口も案内する担当者も細心の気配りで対応することは極めて大切な私立高校の「ビヘイビア」である。受付窓口で笑ったり、大声で喋りながら対応するなどは「もってのほか」であり、常日頃からきつく指導している。新型コロナの問題もあるから併願入学者も一堂に会せず、各教室に分散して「短時間で済む」ように資料なども用意しなければならない。その間制服の採寸などの作業があるから生徒にしてみれば「大変な思い」であることは想像に難くない。それだけに「入学して良かった」と思って貰えるように頑張って参りたいと思う。
先の専願入学者、浪速中学校からの内部生、そして本日の併願入学者を合計した数はシュミレーションの中央値ピッタリ数値となった。クラス編成は〇〇クラス体制とした。想像がピタリと当たり、慌てて何かをするようなことはなく、以上でもって新年度の概要が定まった。高校は3学年で合計2028人と2000人の大台をキープした。中学は前述したように3学年合計で344人だから学校総合計は2372人を擁し、総クラス数は〇〇クラスの学校である。決して悪くない数値であり令和2年度も教職員と心を一つにして生徒の為に頑張って参りたい。
今日で実質、令和元年度は終わった。
今後は4月以降の離陸に精力を傾けて準備に入る。本校専属の写真館さんが来年度使う写真を四つの場所で撮ってくれたが、果たしてどの肖像写真を使おうか?イケメンでないだけに悩ましい。入試広報部が私の写真を使う頻度は結構多いからどの写真を選ぶか、慎重にならざるを得ないのである。これも来年度の準備の一つである。
通常の始業式や終業式は校庭に全校生徒が集まって、校長先生からの講話を聴いて終わりというのが一般的で、本校でもその形であったが、今回の新型コロナでやむなく知恵を絞ってやり方を変えた。「時差登校」と「教室での分散修了式」とした。長い経験で初めてのスタイルであったがこれが出来るのも新校舎には映像を使った放送設備が完備しているからである。映像があるのとないのでは「臨場感」が違う。まず高校2年生は9時までに登校だ。ラッシュアワーの時間帯での電車利用を避ける。高校1年生は9時50分から10時20分までの間に登校させ、最後は中学生で14時から修了式だ。本校では終業式と言わず、修了式と表現する。神社前での神前奉告の儀式は高校校長である私と中学校長のM先生だけに限った。
高校の場合、生徒は各ホームルーム教室にて分散校長講和とした。何時もは「各種活動表彰」があるがそれも「時間短縮」の為「サイネージ盤」を使って伝達した。生徒はそれぞれの学年で新クラスの発表を聞き、ロッカー移動を行い、4月7日に始まる新年度の準備作業である。式が終わればとにかく生徒は早く自宅に帰させる。高校2年は11時すぎに1年生は12時過ぎに、中学生は15時に完全下校である。高校の校長講和で私は3学期中の生徒生活指導の中身について指導を行った。強調したのは新型への警戒とネットでのトラブル防止である。
明日から「春休み」に入るが、生徒への「学習指導」は19日から再開する。まず自習教室を設定する。「クラブ活動」も19日から再開するがまず学校施設での練習に限り、対外試合などは禁止とした。また3月28日に予定していた「吹奏楽部の第11回定期演奏会」だが、これは既に結論を出しており、部員には可哀そうだが今年は中止とした。まさか学校が「無観客演奏」をしても仕方がない。「4月4日の入学式はやる!」。やるがやり方は今から状況を見ながら判断する。4月7日の令和2年度春季例祭と始業式はこれまたやり方を考える。
4月1日着任予定の新採用の常勤講師の方々については過日総務部長から各先生に連絡を入れて「体調具合の聞き取り」と私からの依頼として「クラスターとなるライブ会場への出入り」はしないように伝えた。例年行っていた理事長招待の「入試広報部の打ち上げ会」も「校務運営委員会メンバー年度末慰労会」も延期とした。また5月連休後で行っていた「全教職員を集めた慰労会と歓送迎会」もやむなく延期とした。何でもかんでも中止か、延期か簡略化だ。
午後旅行会社のHISさんを交えて担当管理職と「11月の海外修学旅行」について議論を行った。イタリア、フランス、ドイツ、アメリカと今パンデミックの中心となっている「欧米」に大切な生徒を行かせられるか?今から7か月後の事など予測も出来ないが、一体どう判断したら良いのか、これだけは慎重に見極めたいと思う。今、東京オリンピックの中止か延期か知らないが話題になっているが、この問題以上に本校では重要である。
今日の段階では生徒のパスポート取得作業の中断、4月中旬頃までに保護者会の開催を指示した。
タイムリミットは5月末で十分であるが、並行して「次善の策」の検討に入るようにHISさんにお願いしたのである。修学旅行には是非行かしてやりたいが、国内とてこの新型問題が終息するのかどうか分からない状況故に私はほとほと困っているのである。
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