2022年3月31日木曜日

「人間至る処 青山有り」

 「人間到る処青山有り」という有名な字句がある。これは「じんかんいたるところせいざんあり」と読む。決して「にんげん」と読んではいけないと高校時代の恩師、国語の太刀掛呂山先生が漢文の授業で教えてくれて、それをかたくなに守っている。俗には(にんげん)と読んでもおかしくはないらしいが、私は先生の教えの通り、今でも(じんかん)と読んでいる。意味は人間、骨を埋める場所は、どこにでもあるし、大望を実現するため、あるいは人生を楽しむには、故郷にこだわらず、広い世間に出て活動すべきである、ということ。幕末の攘夷論者として名高い僧「月性」の作である。

私の秘書であったIさんが今日付けで退職された。何と「勤続52年7カ月」である。鳥取のご出身で高校を卒業後本校に職を求められ、爾来ただひたすら「浪速学院」の為に精魂込めて今日までご勤務戴いて来た。実に半世紀以上に亘って一つの組織に属し勤務されていた例を私は他に知らない。大変立派なことである。本校の定年は満65歳であるが、私は「余人を持って代えがたい」気持ちから定年後7年間も延長をお願いし、今日まで来た。しかし彼女の人生であり、今後は学校を離れて自由に今後の人生を楽しんで貰いたいと決断した。まさに人生100年時代を迎え「人間至るところ青山あり」である。本日の職員会議に先立って全教職員の前で私は感謝状を読み上げわずかであるが「気持ちを添えて」送り出したのである。感謝状の一文は:




感 謝 状
  ●●  ●●● 殿   

貴殿は本学院100年の歴史において 昭和44年入職から52年7ヵ月という半世紀にも及ぶ永きにわたり まさにその半生をかけて職務に精励し 本学院の教育振興と発展にご尽力されてまいりました

平成19年から令和にかけての近年には 開校90周年 新学院神社御造営 新校舎建設をはじめとする小職による「浪速改革」激動の時代において 理事長秘書の職務を献身的に全うされた功績は誠に多大であります

このたび退職されるにあたり 永年のご苦労に対し深甚なる感謝の意を表します

令和4年3月31日

学校法人浪速学院     理事長 木村 智彦    


人間は人を迎える時よりも送る時の方が重要である。歓迎会より送別会の方により気持ちを持ったほうが良いと私は思う。私にとってこれまた一つの区切りがついた。これからのIさんのご健康とご多幸をお祈り申し上げたいと思う。「Iさん、本当に長い間、助けて頂いて有難うございました」。

2022年3月30日水曜日

学校の隆盛と共に、吹奏楽部第13回定期演奏会

 昨日は吹奏楽部の第13回目となる「定期演奏会」があった。もう13年になるかと「感慨一入」である。定期演奏会が出来るようになってようやく「一人前の吹奏楽部」と言えるらしい。着任当時の部員はわずか4人で、ほぼ壊滅状態、何とか名前だけは残っていたものの部員がこの数では何も活動など出来なかった。学校行事と連携させ改革を進める為には是非とも吹奏楽部の飛躍が必須と考えた私は「特別強化クラブ」として徹底的に支援を始めた。それは今に続いている。吹奏楽部の活躍は学校の飛躍なのである。今日の会場は「堺フェニ―チェ」、17時開演であった。この演奏会には過去一回も欠かしたことはなく今日も少し早めに到着した。チラシもプログラムも大変に良く出来ていた。このようなものを見ると本校のブラバンも「実力派」に育ってきたと感じる。 



アメリカでは吹奏楽は「スクールバンド」と呼ばれるくらい学校とは縁が深い。日本の学校でも吹奏楽部の存在しない学校は無いのではないか。管楽器を主体として演奏される音楽の総称が吹奏楽であるが、弦楽器や特殊楽器、太鼓などの打楽器も入れた編成で演奏される「器楽」である。吹奏楽部は、ブラスバンドまたはブラバンと呼ばれるが、これは、ドイツ語(blasは「吹く」の語幹)や英語のbrass band(金管バンド)に由来している。この15年、私がやったことは「大金」を投じてとにかく「楽器を揃えてあげた」ことくらいで、それは今も続いている。とにかく管楽器はどれをとっても高価であるがこの15年間、買って、買って揃えてきた。加えて学校全体の生徒を増やす努力をしたことだ。生徒が居なくては強化も何もない。



ただ精神的、技術的な指導は最初の顧問であり、現在の浪速中学校の中村校長先生がおればこそ今日がある。これだけは間違いない事実である。現時点での部員数は何と108人で大部隊である。顧問の先生が6人、外部指導者が4人である。その結果、府大会9年連続金賞、2年続けて関西大会に出場してくれた。惜しくも銀賞であったが、ようやく全国大会出場も視野に入って来たと思う。だから府内の中学生が浪速でブラバンをやりたいと入学を希望する受験生も増えて来たのである。本校の得意分野はクラリネットのアンサンブルでありこれは関西大会出場の常連校で、昨年は全国大会に出場した。今年は何と日本でただ一人「文部科学大臣賞」を受賞され昨年秋に東京から使者がお越しになり学校での受賞となった。楽器、部員、顧問、外部指導者、府内吹奏楽部の関係者や保護者の支援等々があって始めて「一人前以上の部活動」として成長したのである。 


特に学校近くの「松本楽器店」の社長さんが本校OBで何かと支援してくれているのが大きい。心から感謝申し上げたい。又今日の演奏会の司会進行はこれ又OGの三浦さんだ。彼女は私が校長時代、入学を許可し卒業証書を渡した。そして最初に母校で勤務をしている女性職員である。ITの達人で高校時代は放送部でNHKからも表彰された人物である。今日の発表会はそういう意味で「浪速ファミリー」の総合力を示した演奏会となった。司会が良い催し物は大体成功する。今朝ほど顧問の先生方が部屋に報告とお礼に来てくれた。私は言葉を尽くして賞賛し更に細部に拘り、来年に向けて頑張るように激励した。とにかく今までで最も感動した定期演奏会であったと思う。ご褒美に楽器を又プレゼントしなくてはなるまい。要望を出すように主顧問の先生に言ったのである。



2022年3月25日金曜日

目論見が外れた、どんでんがえし

 「目論見が崩れる、目論見が外れる」という言葉がある。企んでいた計画が駄目になることである。有していた夢が崩れ去る、夢が敗れる、野望がついえると些かネガティブな感じだ。「瓢箪から駒が出る」と言う言葉はしばしば、「瓢箪から駒」と略して用いられているが、この意味は、瓢箪くらいの大きさのものから、駒すなわち馬のように大きなものが出るようなありえない状況からきており、冗談や誤解で言ったことが意図せずに実現してしまうことで幾分明るさを感じる。「どんでんがえし」は正反対にひっくり返すことで、話・形勢・立場などが逆転することである。このように使い方にはそれぞれにニュアンスがある。

 昨日の理事会・評議員会で各理事や評議員の先生方からすれば「理事長による新中学校棟の建設宣言」はさぞかし「突然で面食らった」と思う。それは今までの理事会・評議員会で私は一言も新中学校棟の建設など話したことが全く無かった。15年間一切中学校棟の建設など話したことはなかった。考えたことも無かったのである。それを昨日、初めて口に出して「すぐやらねばならない!」と言ったものだから居並ぶ役員は「びっくりした」と思う。会議の席上、そのようなニュアンスの意見も出た。しかし今まで私が浪速改革で提議し実現し、成果が間違いなく直ぐに出ていること知っている皆さんは意見、異見もなく「賛同」してくれた。法人としての正式決定である。 


元々の経緯や考え方は中長期的な建設計画において「いずれ少子化の進展で高校も中学も入学者数が減少しうると想定し、中学校生徒は既存の中央館と東館に収容出来得る考えていたことが元凶である。この目論見が完全に外れたのである。経営計画は高校16クラス、640人体制、中学3クラス、90人体制で確かな教育活動が遂行できる。この規模だと何とか現在の新校舎、中央館と東館の保有教室で対応できる筈だった。ところが少子化の中でも「浪速人気」は衰えず、実勢数値は高校750人~800人、規模19~20クラス、中学120人規模、4クラス体制に拡大している。しかも現状でこの勢いが衰える気配はない。ここに「思い込みの失敗」があったのである。典型的な「思い込みの危険性」があることをこの事例は示している。 

一方、現在中学校の教室が入っている西館(体育館)は築40年となり、老朽化が見えてきている。この体育館の代わりとなる「新浪速アリーナ」建設時に中学校生徒を収容する教室が現在の中央館、東館で吸収できない限り、アリーナ建設は有り得ない話である。着工出来ない。まさかこの間12クラスの中学校を「青空教室」で学ばせる事は出来ない。そう、「優先順位の考え方に思慮不足」があった。まず中学校の教室確保が先だった。又体育館と教室が同一建屋にある本校は何かと不都合な場面が多く、この際他校と同じく「別建屋に独立した中学校棟を建設」するが良いとの考えが突然頭に浮かんだのである。そして決断した。この間約2か月経過したであろうか。これだと中学校棟竣工後、何時でも体育館の建て替え工事は着工可能であり、授業をしながら建設工事が可能となる。 


元々この考え方が正解だったのである。まさしく「瓢箪から駒」であり「ドン電返し」であった。私の目論見は完全に外れた。早く気付いて良かったと思う。誤解の無いように書くが新たに中学校用の教室を増やすのではない。今の体育館から外に出すのである。独立させるのである。これが新中学校校舎の目的である。今の西館を中学校校舎とアリーナに2分割し中学校校舎を先行させるのである。

2022年3月24日木曜日

年度末理事会・評議員会 新中学校棟建設が決まった!

 今日は10時から雑誌インタビューがあった。「ZOOM」を利用したオンラインインタビューである。4年度に入試広報部が活動に使用する冊子、パンフレット等に掲載する理事長・学院長メッセージである。昨年度までは私が一方的に書いた「ご挨拶文」をトップページに掲載していたのだが、新しい入試広報部長の考えは今回初めて「インタビュー形式」でやりたいと言ってきた。私は即座にOKした。このように何事も形を変えてやると思わぬ効果も期待でき、「新鮮に映る」。私は記者から質問されたことだけを正直に答えるだけで後はどう編集されるのか知らないが良いものが出来るだろう。少し気合も入り、今日は「新しいネクタイ」を締めてきた。自らの首を自ら締めるのだから新しい方が良いと思ったのだ。 




本日の学校法人浪速学院理事会・評議員会の議事は以下のような議題を用意した。             1.開会の挨拶    学校法人浪速学院 理事長 木村智彦

2.議事

(1)  理事長より

「法人経営と校務運営の理事長・学院長総括報告と提議・審議」について


(2)理事長の総括報告・提議・審議事項を受けての各種報告について

   令和3年度一次補正予算(案)(資料1)並びに令和4年度当初予算(案)(資料2) 

及び令和4年度事業計画(案)(資料3) 

         「開校100周年」に向けて  理事長総括

         重要案件:別館・中学校棟の建設について(別紙)  理事長総括

         令和3年度大学進学実績(令和4年度大学入試)(資料4) 

         学則(高校)教育課程の変更について(資料5) 

(3)人事に関する事項  ≪理事長総括≫

         令和4年度 管理職及び校務運営体制(別紙)

         専任教員の採用について(別紙)

(4)その他    

         労働基準監督署 事案

3.一括審議

4.まとめ 

会議は極めて順調に進み、「新中学校棟の建設が機関決定」された。これで手順は全て整い、令和4年度を迎えるだけとなった。会議後、理事さんだけで私の執務室で令和5年度の創立100周年の寄付金の件と来年3月末に迎える現理事と評議員の改選人事について私の存念を披瀝し賛同を得た。私が抱える全ての重要案件は今日で一応かたがついた。明日は大阪天満宮の名誉宮司で本学院の名誉理事長を表敬訪問し、種々ご報告しなければならない。



2022年3月23日水曜日

豊英秋先生、雅楽部、神楽部ご指導会

 寒気も去って幾分心地良い日となった。明日は年度末の「理事会・評議員会」がある。3月理事会は「予算(決定)理事会」と言われ、最重要項目である令和4年度の業務執行予算が議論され決定される運びだ。国も110兆円を超える予算が今国会で定まった。私立学校も同じように年度単位での予算執行組織だから理事会で評議員会に提案し、承認して貰わないと4月1日から教職員へ給料も支払えない。明日の資料は理事長、常務理事、事務長の3人が作成、編成し纏める。私自ら資料を作っている。組織の最終決定権者の私がこの年齢で自ら資料を作るのは他に例はないのではないか。しかし私は15年間、この方式で来た。これだけはやらねばならないと覚悟している。部下の作った資料を読むだけのトップにはなりたくないからだ。

 予算規模は収入がいくらかでほぼ決まる。私立学校の収入とは生徒数に比例しているから生徒数が多ければ多いほど増える。従って4年度の資金は遂に●●億円の大台に乗った。この数値を見て私と常務理事は「その昔の収入規模」を思い出し、感慨にふけったのである。着任した当時から約2.5倍以上に膨らんでいる。令和4年度も「有効なお金の使い方」が出来る。別館工事費も自前の資金で賄えそうである。嬉しい限りだ。心豊かに業務が執行できるのは「最後は資金」であり、財布の底を見ながらの執行では心の余裕が無いから元気も出ない。他からの援助が望めないだけに建設資金や教職員への労務費などは全て自前で調達しなければならない。だから理事長は生徒数に拘るのである。 

今日は極めて重要なご来客があった。お名前は「豊英秋」氏と言われる。お家は「豊家(ぶんのけ)」と読む。平安の時代から今に続くお家柄で44代目である。「大津皇子」を祖とする宮廷所属の雅楽演奏専門家の豊家の直系であり、1944年東京都のお生まれ。宮内庁の式部職楽部に入部され、首席楽長でご卒業。2009年には芸術院賞を受賞された。2014年瑞宝双光章、2020年芸術院会員に選出された。何より「お人柄」が素晴らしい。宮内庁をご定年の時に人を介して本校の雅楽部と神楽部の直接指導をお願いしてから今に至る。豊英秋先生に直接指導を受ける高校生も多くはいない。大変名誉な事である。 


「豪放磊落」でそれでいて細やかなお心使いをされる品格高いお人である。だから先生の奏でる雅楽の音色も素晴らしい!の一言である。私は先生のご招待で皇居内にある宮内庁の雅楽の発表会にも参加させて頂いた。先生は「ワイン通」でありその夜先生と飲んだ赤ワインの旨さが忘れられない。先生は「舞」も名手であらせられ、とにかくお声が良くて聞く人を魅了させる。ある時に美智子皇太后さまから「お声をかけて頂いた」ことが最高の思い出とおしゃっておられた。コロナのために昨年は出来なかったが、今年は2年ぶりにお越しいただけた。私は「令和5年5月1日の創立100周年を祝う祝典行事」を令和5年4月30日に行うので是非ご臨席賜りたいとお願いしたのである。 




2022年3月22日火曜日

ルビコン川を渡らない!

 今日は「職員会議」があった。臨時ではなくて定例である。何時もの西館会議室ではなくて中央館5階の職員室での起立したままでの短いものだった。正式に私から令和4年度の新入学生を含めた生徒数について教職員に発表する為である。特に高校の新1年生の入学者数についてはまだ公表していないからだが、既に皆さんは知っている事だ。がこのように理事長から総括することは一見の儀式に見えるが必要な場合もある。段取りとしては今日の理事長発表で3年度の締めとなり、今後は令和4年度の具体的な準備に走り出す。今日も産休、育児休暇を取っていた女性教員2名と4月から採用が決まっている講師の先生方も来校された。打ち合わせに参加する為である。修了式も終わり、校内には生徒は居ないし、寒い雨の中だが、学校は新しい熱気を静かに放ちながら視点は来年度に移りつつある。 


私はこの機会に二つの重要な経営項目について言及した。一つはかねてより「授業料の値上げ」をお願いすべく考えていたが、これを延期すること、もう一つは「スポーツ科」の設置は当面考えないこととした。理由について、根拠となる背景の詳細は控えるが「今はその時ではない」と考えたからである。「ルビコン川を渡る」という表現があるが私はルビコン川を渡らないように決断した。後戻りのきかない道へと歩み出す、その決断を下すことを意味する言葉だが、全ては今年の中学133人、高校876人の入学数値が私の思いを吹き飛ばした。授業料値上げの影響、スポーツ科の新設は生徒募集に小さくない影響を与えるから余程慎重でなければならない。熟慮した結果、今、ルビコン川を渡るリスクを冒す必要がないとの心境になったのである。

 確かに生徒数の増加に伴う現在工事中の4教室分改造費用、明年3月末までにやらねばならない6教室分の別館建設費用、それに令和5年度から始まる「新中学校棟の建設」には多大の資金が必要であるから、一刻も早い財政措置が必要であるが、決して今は経営難の状態でなく、時期を伸ばせると判断した。「喉から出るような手を引っ込めた」と言える。今後の検討になるが「令和5年度は創立100年の節目の年度」で新中学校棟の建設の為にと稟議すれば来年から幾分でも値上げさせて貰えるかも知れないが、これも現時点では判断しようがない。スポーツ科の新設は本校のアイデンティティを崩しかねないかも知れないからこれは当面押し入れに仕舞い、話題として挙げないことにした。「勉強優先の浪速」の評判を落とすかも知れない可能性のある施策を今、やる必要はない。「背に腹は代えられない」時点で考えれば良い。そうこうしていたら入試広報部から高校併願の生徒が2名、新たに追加入学することになり「合計876人が878人に増えた」と言う。

2022年3月19日土曜日

令和3年度修了式 終わり良ければ全て良し

「終わりよければ全てよし」という諺がある。 これは、「物事の結末、結果が大事であり、過程は問題にならない」という意味で、元々はシェイクスピアの戯曲「All's well that ends well」のタイトルのフレーズである。我々は生活の中でもよく使うフレーズだ。今日は3学期の終業式、先立っての「神前奉告」があった。まさに今の私の気持ちはこの言葉にある。今年はコロナ禍の中、結構「厄介な事」もあって気分の上では優れない日もあったが、「尻上がり」に学校の状況は良くなって行き、まさに「終わりよければ全て良し!」で終わった感じがする。本校では終業式と言わず1年間の課程が終わったので「修了式」と呼んでいる。こちらの方が理屈に合っていると思うがこの表現を使っている学校は極めて少ない。 


神前奉告の後、定例の「学院長講話」があった。年度最後の講話であり、私はまずロシアによるウクライナへの侵攻から話を始めた。現代社会の世界で現実に起きていることについて目をそらしてはいけないと言う事などから話し始め、軍事的には弱小ながらも徹底的に自国を護るウクライナ人に学ぶ点は多いと話し、世界平和の尊さを強調した。次いでコロナ感染について「21日からまん延防止重点措置期間は解除」されるが世界は未だに高い感染率で隣国の韓国や中国では一日当たり何十万もの感染が出ていること、又オミクロンBA2型やデルタクロンなどの新型の発生などを話して春休み中の注意を喚起した。 


その後入試活動が全て終わり、新年度の陣容が固まったので現時点で中学では4クラス133人、高校は20クラス、876人を迎え学校全体では中学は12クラス402人、高校は54クラス2252人で中高合わせて2654人の大きな数になったのは一重に「今いる生徒の評判」がもたらしたものだと私は在校生への賛美の言葉を口にして、今後とも志を立て目標に向かって努力することの重要性について強調した。今日から始まる春休み期間中も「駄目なことは駄目」と「浅はかなノリ」で後で大きな後悔となる失敗をしてはならないと指導した。元気に「47日の始業式に会おう」と言って話を締めくくった。 

最後に理事長表彰を行った。生徒への表彰は通常、校長よりの授与としているが学校全体に係るものは理事長・学院長よりしている。令和4年度は開校100年を迎える1年前の年に当たり、広く「気運を盛り上げ」て行かねばならない。その為に生徒から「100周年記念のロゴマーク」を募集していたが、そのうち入選した4名の生徒を表彰し、グッドデザイン賞の賞状と焼き立てパン券を副賞としてプレゼントした。表彰された4人の作品の内、2年生のM君の作品をプロのデザイナーに少し手を入れて貰って、これを最終的に学校全体で決めたロゴマークとした。 


私はそれを初めて全校生徒に開示し、本校の伝統についてさわりの部分を話した。令和4年度は折に触れて100年の回顧をしていく積りである。このロゴマークを「バッジ」や「シール」にして新年度は生徒も必要な保護者、本校と関係深い方々にこれらを身に付け、学校の求心力を高めようと私は話した。100年の歴史を刻む学校は多くない。大正12年(1923)から100年の歴史を有する伝統校に学ぶ生徒として「誇り高く」頑張って欲しいと述べて令和3年度のまとめとしたのである。“終わりよければ全て良し”で終わった。しかし1年は早い、本当に早い。

 

2022年3月18日金曜日

「花の雨」が心地よい!

 昨日の併願点呼の「熱気」を冷ますように「春雨(はるさめ)」が静かに降っている。別の読み方として「菜種梅雨(なたねづゆ)」と言う言葉もある。3月下旬から4月上旬にかけて雨や曇りが続くぐずついた天候のことを言うが、この時期はまさに「桜の開花」する季節で、この日本人みたいな美しい桜にかかる雨のことを「花の雨」と呼ぶ言葉もある。 乾燥した冬の季節から一転し、春にむけて空気が潤い、一雨ごとに木の芽、花の芽がふくらみ生き物達が活発に動き出すこの時期の雨は「花の雨」の表現が私には何か心地良く感じる。花の雨に少々濡れても苦にならないから不思議だ。 

今朝の私はまず昨日で定まった生徒を入れるための増強中の4教室の改造現場を視察した。丁寧に美麗に順調に進んでおり工事は終盤であった。間違いなく4月5日の入学式には間に合う。この記念の教室にどの学年、どのクラスが入るのだろうか?そのような事を思いながら4月からの状況を考えている。今年の併願点呼数値は今、正直に明かせば「相当の確率で想定していた数値」であった。余り強気で書いて、それが外れた場合に些か恥ずかしいかなという気持ちもあり、このアラウンドでも少なめに書いていた。専併合わせて800人から850人と想定していたのである。しかし実際はそれを超えて最終的に専願615人、併願261人で合計876人となった。この想定した数値からオーバーした26人分は今後の分析が必要である。

 


いずれにしても今年の高校入試は876人の新1年生と決まった。併願戻り率は17.6%と昨年に続く歴代2位の数値である。内、女生徒比率が41.6%でこれも新記録となった。共学校にして18年、遂にほぼ男女同率の共学校に育ってきた。それに今年の大きな特徴は本校のレベルで最も偏差値の高いとされているクラス「文理S1」が遂に2クラス体制になった事である。この意味は極めて大きい。3年後の大学進学実績が楽しみである。学校全体規模で言えば中学が12クラスで402人と新記録、高校は54クラスで2252人である。中高合わせて2654人という数となった。大学系列でない独立した私立中高の学校で2654人と言う数値は表現する言葉に窮する規模だと思う。

 


常務理事はくしくも私に言った。876人は「絶妙な数値ですね」と。それは20クラスで行けたからである。この850人前後が臨界数値であった。もしこれ以上増えていたら21クラスとなり教員手配などが大変だったと思う。これも公立の標準教室の広さと比べ1.33倍の広さの教室を造っていたからである。何もかも「ご神慮」を頂いとしか思えない数値が並んだ今年の入試であった。私の大きな仕事は「24日の理事会・評議員会」である。大きなお土産を持ってこの最重要な会議に臨める自分が嬉しい。

今日は教職員の「コロナワクチンの3回目の職域接種」で前回と同じドクターに来て頂いた。今日と23日の2回に分けて行う。これらの教職員が頑張ってくれたお陰でこのような数値となった。高校、中学の校長以下先生方、事務長以下事務職員に対して心から感謝申し上げたい。



2022年3月17日木曜日

併願点呼 新高校1年生は専願・併願合わせて20クラス:876人でスタート!

 先月、2月19日のアラウンドで私は「専願点呼」について言及した。要旨は大略以下のようなものである。“私立学校への専願合格は一定の配慮を得て合格通知を貰っているのだから、内密で公立に出願するなどは出来ない決まりである。だから専願なのであるが、併願はまず公立高校を本命として第二希望が私立となる。公立は条例に定められた募集人員のみの合格者数だから、若し公立を失敗した生徒が併願合格の切符を持って私立に来れば受け入れることになる。「15の春を泣かせるな!」である。だから私立高校とは専願入学者プラス併願合格入学者となって、我々が狙い通りの入学者数になるなど基本的に不可能なことである。最終的な入学者数は私立の場合、「神様のみぞ、知る」だ。後述するが今日の結果を受けて私は大神様の前で頭を垂れて「感謝の誠を捧げた」のである。 

私立高校には「学則定員」というのがあるが、その数に「ぴったし合った!」と言う風に決められないのである。この点を理解しない人は結構多い。「何であの学校は募集人員を大幅に上回っているのか!」という声だ。これに対する反応は学則定員を増やすことだが毎年毎年この数値を変えることなど出来ない話である。要するに学校選択は受験生と保護者の自由意思で決まるから、その募集人員と実際の入学者の数の差は受け入れる教室の数など学校側の制限と「結果的には人気度」だと言って良いと思う。人気のある学校は生徒が多く、そこそこの学校はそれなりの数値になる。何もせず生徒が集まるなどは有り得ないから生徒数の多い学校はそれなりの必死の努力をしているのである。 


果たして今日、公立学校の合格発表があり、残念ながら希望が叶わなかった受験生が午前10時の発表後、本校に入学手続きに来る。昔は目を泣きらしてくる生徒も居たようだが私はそのような生徒を知らない。保護者同伴だがどちらも「サバサバ」した感じに思えた。最初の生徒は11時15分に登校してきた。今日一日で全てを済ますから学校は全教職員総出で対応する。まず「制服の採寸」だ。4月5日の入学式までの3週間で揃えないといけないから正直大変だがその対応は完全無欠で心配はない。その他、「教材、教科書手配」「芸術(音楽、美術、書道)選択の手順説明」「人権の関する資料」「課題提出」「生活指導書配布と説明」「クロムブック説明」等々山盛りである。15時からは21教室も使ってリモートに拠る上記の入学後の事前準備の説明が無事に始まった。



 15時が入学手続き締め切りであり、保護者は公立の合否結果を見て用意していた入学金20万円をWEB振り込み、郵便局、コンビニ、銀行等で振り込みを完了させて本校へ入学手続きとなる。そこで「肝心の併願戻りの数値」だが、14時の時点で専併合わせて800人を超えた。この時点で私は国政選挙みたいに「当確」が出た感じで安堵して現場に赴いた。事務室前、体育館棟で制服採寸の状況を視察したのである。ところが手続きにくる生徒と保護者はまだ続々と正門を潜って来られるではないか!最終的な数値は何と何と我々の想定を超えて「戻りが大きく」、専併合わせて876人まで数は膨れ上がった。新記録であり、大記録である。新高校1年生は20クラスで876人だ。1学年876人でずぞ!この中身については別途書きたい。私はまず取り敢えず学院神社に急ぎ、大神様に頭を垂れた。それにしても876人の数値には正直驚いた。同時に責任感とやる気が身体中にみなぎってきた。「やるぞー!」という感じだ。そして入試広報部の部屋に行き、私は部員の先生方に慰労と感謝の言葉を伝え今日を終えたのである。