2021年12月22日水曜日

12月理事会・評議員会 無事終了「異議無し!」

 「以上、現在、我々執行部が今年の成果や抱えている諸課題について詳細にご報告し、ご審議を頂きました。最後に理事長提議の本議案につきご賛同を頂きたいと思います。拍手で以って確認いたしたいと思いますが、宜しいでしょうか?」との問いに対して「異議なし!」との声は拍手の音にかき消され、何時も以上の大拍手が会場に木魂した。これで令和312月理事会は終了した。今年は例年とは異なりコロナの事もあって8月理事会を無くしたため、5月以来7か月ぶりに行われた理事会・評議員会であった。最も8月には常務理事が資料を作成し、郵便物でご報告していたが、やはりお顔を見ながら重要な会議はするべきものだと今更ながら思った。求心力が高まる。 



今回の主な議題は

   9月中間決算の報告と監事監査の結果について

   令和3年の働き方改革の進展と令和4年の骨子について

   産土ゴルフ練習場の内容と最終予算規模について

   令和4年入試に関する現在までの状況について

   令和5年創立100周年記念行事に向けての体制

   教職員人事について 等々



各理事や評議員の先生方は現役の宮司様であり、お宮が年度末で多忙を極めておられる中でのご出席であり、有難い限りであった。会議の始まる前には理事室で三々五々到着し、和気あいあいと暫しの意見交換や懇談を行う。特に理事のみで短時間の理事会となる場合もある。評議員会へ先立っての意思統一である。今回のような中間決算の報告などは事前に資料を送付してご覧いただいているから、皆さん、中身はご存知であり、この方式は重要であり、難しい決算資料をその場で出されても余程の経験が無いと決算書は読めないと思う。その後、全員が学院神社前へ移動し、年末参拝を恐れながら不肖私に合わせて「ご列拝」頂いた。そして評議員会の会場へと案内する。席は全て指定されており、厳重に私が最終チェックしている。

 

専任教職員の採用については法的には厳密には規定されていないが本校では理事・評議員の書類審査と面通しというか、候補者は理事会・評議員会のメンバーの前に立ち、決意表明をして貰い、その最終決議で承認されると規定している。今日も101日で専任として期中採用した教諭と事務職員の2名を最終承認いただいた。お二人とも立派な決意表明であった。又来年41日に採用することが内定している6人の専任教諭の候補者の学歴等が書類として提出され事前の書類審査となる。管理職は別として一般の若い教職員は「理事会・評議員会って?」と全く知らないし、今後も直接的には関与しないからせめて専任に採用された時に顔を見て貰う配慮を考えたのである。


 以上で令和3年の私の公的業務は終了した。勤務はまだ続くが、アラウンドについては暫しの冬眠に入る。皆さま、良いお年をお迎えください。

2021年12月20日月曜日

一年の大詰め、今日は2学期の終業式

 一年の「大詰め」は確かに忙しいが、これが労苦とは思わない。私の場合、逆に元気になる。12月は通常の業務に加えて、年内に終わらせるべき事項、けじめ、積み残したことの確認と実施、来年に向かっての準備等があり、全て「前向きな事」だからで気分は充実感に満ち溢れる。「仕事があることは幸せな事」である。伊勢神宮崇敬会のW事務局長さん、このお方は神宮会館の館長さんでもあり、本学院の理事を委嘱している。17日男性職員と女性秘書の人をお供にアルファードで、年度末だという事でご挨拶に見えられた。云わばVIPであり、こういう時は理事長自ら校舎をくまなくご案内する。 



翌18日、土曜日はPTA成人教育委員会の企画でPTA有志による「華道研修」が行われた。講師は本校華道部の指導をお願いしている小原流大阪支部長のY様で今度は私からお貸ししている特別教室に出向きご挨拶を申し上げた。PTAのお母さん方は一生懸命に先生のお話を聞き、お正月用の生け花に取り組んでいた。私立学校であるから学校はPTAに対して積極的に後援し、PTA活動の活性化の為に出来ることは何でもしてあげるようにしている。 



24日まで続くのだが来年度入試の「個別相談会」の数が想定以上の数で膨れ上がっている。中学入試、高校入試ともだ。嬉しいニュースだが休日無しで頑張ってくれている教頭、部長以下入試広報部員に頭が下がる。来年3月にならないと結果は見えないが「少なくとも昨年並みか以上の手ごたえ」を持てるのが充実感の源である。逆に学校説明会や個別相談会の数が昨年より少ないと幾分「意気消沈」してしまう。高校は大体見えてきたが課題は中学入試で年が明けたら具体的な動きになる。130人から140人、4クラス体制が見えてくれば「万々歳」であるが果たしてどうなるか。入試広報部の中学入試担当のY副部長は慎重居士だが何とか結果を出してくれるだろう。高校、中学ともに昨年並みで良い。逆に増え過ぎると教室が無くなる。「嬉しい悲鳴」もほぼ限界に来ている。 


今日は2学期の終業式でその前に「神前奉告」があった。高校3年生は受験前であり教室での遥拝とし2年ぶりに中学全学年、高校1、2年生を神社前広場に参集させ「一斉参拝」とした。気温も上がり風もないため出来ると踏んだのであろう、神道科が強気であった。しかし私は嬉しい。何と1年生は入学以来神社参拝は全て教室からの遥拝と思っているらしいが、初めて勢揃いして学院神社の大神様にお詣りできたことは僥倖であった。それにしても初めての全員による柏手の音は揃って神社前広場に響き、大変に心地良く感じた。高校3年生が居なくてもこの数だから迫力がある。生徒が多いことは良いことだ。




参拝後は全て教室に戻し「学院長講話」で北区の心療内科病院での放火事件やオミクロン株などについて注意し、「寅年」の意義などについても言及した。私は改めて生徒の避難通路について各自確認するように指導した。本校は複数の避難通路を用意しているが生徒は何時も使う通路しか知らないかも知れないと思ったからである。最後に明日からの冬休みを無事故で有意義に過ごし令和4年を気持ちよく迎えて1月7日の始業式に全校生徒、元気に登校して顔を見せてくるように話し終わった。 






生徒が下校し、その後今年最後の職員会議とした。当然この1年を回顧し様々な課題について私は気持ちを込めて話した。そして来る年明けから3か月は卒業式、大学入試、本校の入学試験、等々がある。「3学期は年度の手仕舞いと令和4年度前の助走期間」であり、極めて重要な期間である。特に令和4年度は「教職員の働き方改革」について「主舵いっぱい」として大きく舵を切っていく旨の話を予告した。最後に今年1年の教職員の頑張りについて感謝と敬意の言葉を申し述べ、「来年も皆さんにとって良いお年であるように」で話を締めた。25日は休校日、26日以降に教職員のリフレッシュ休暇開始としている。これで公式の校務運営は終わり、「学校法人は22日の理事会・評議員会」が待ち構えている。




2021年12月18日土曜日

新採用教員研修会とICT研修会

 「人事の季節」がやってきた。人事の仕事は、採用や配属管理の他にも教育研修の企画や実施、給与制度や福利厚生の充実、社会保険などの労務管理といった多岐にわたる業務がある。人事が果たす役割は極めて大きく重要である。それは私立学校を含む企業体にとって最重要な経営資源のひとつである、「人に関する業務をすべて担う」からだ。だから「人の事」と書く。仕事内容は大きく以下の5つに分類できる。・採用・雇用の管理、組織配置の企画、評価制度の企画、育成・能力の開発制度・環境整備、・労務管理であるが、中でもまず全ては採用から始まる。「初め良ければすべて良し」である。 

良い人材は確かに時が経っても良いし、益々良くなるものだ。偶に腐っていく人もいるがね?駄目な人材は何時になっても駄目で、徐々に良くなることはあってもその歩みは「牛の歩み」である。結局駄目なものは駄目なのである。人事センター長の仕事は本校の次世代を担う人材、とにかくポテンシャルの高い人材を如何に採るかである。後で「失敗した」と嘆いても取り返しがつかない。基本的には「採用責任」があり簡単には「首」には出来ないからである。本校では現在浪速中学のN校長が人事センター長の職位を担っており、採用、配置、育成研修、評価まで行っている。立派なお人柄で教員の信頼を得ている素晴らしい管理職である。


 
このNセンター長が採用した令和4年度の採用内定者が本日登校して「4月に向けた研修」が始まった。着任後、「まごまご、ウロチョロ」させるのは申し訳ないから事前研修を実施するのである。その数、今日は19人。研修、校内見学、そして昼食を摂って頂き終わるが、採用面接から本日まで「一体どのような人物が来るのか」私は基本的に関与しない。全て人事センター長の専権事項である。それはまだ1年契約の常勤講師の先生だからである。採用から最大3年間で「専任教諭の採用可否」となった時に私の出番が来る。権限が理事長に移るのである。常勤講師3年間で見定め、本校にもご本人にもここは相応しくないと判断されたら「雇止め」となって契約を更新しない。そのようにして人事は回転し、本校に相応しい人材と私(理事会)が最終判断すると専任に昇格できるのが本校の採用システムである。


 
学校改革と共にこのやり方で今日まで来て、今や本校は素晴らしい教員集団、職員集団となってきたと思う。例えば昨日行われた「全教員のICT研修会」を見て欲しかった。ICT教育推進部長の企画の元、全教員が参加した研修会が行われた。5限目、高校では教科別8人の先生が、6限目では中学では5教科の先生が立派なICT教育実践授業の公開があった。それぞれに教科の先生が参観する風景は見ていて迫力のあるものであった。その後も研修会は続く。公開授業が終わるとリモートで推進部長が総括を行い、教科単位で「分科会」が行われた。私は高校、中学の全公開授業を短い時間であったが参観して回った。一言で言えば「感嘆・感動」であった。学校の先生が自ら研修しレベルを上げる風景を見ることほど幸せなことはない。

 



「本当に良い先生が揃った学校になったなー」という感慨だ。公開授業を担当した先生はそれぞれに工夫をし、ICT教材を用意し、一生懸命に取り組んでくれていた。だから生徒はクロムブックと言う端末を簡単に使いこなしている。当然板書もしながらの「ハイブリッド授業」もあった。しかしICT教育の目標は「如何に生徒に深く分かって貰うか」であり、あくまでそこが到達点である。ICT教育は教師の熱意がいとも簡単に生徒に伝播する。そう意味でまだやんちゃな中学生へのICT授業は簡単そうで難しいと思う。ICT授業をお遊び授業にしてはならない。特に私は社会歴史のS先生(男性2年目)と英語のM先生(女性3年目)のICT教育が印象に残った。「熱い」のである。この熱いのが良い。本日新採用研修会に参加した方々も熱くICTを使いこなす先生に育って欲しいと思う。大いに期待している。




2021年12月16日木曜日

文武両道、文武両立

 この秋に行われた今年の「第二回実用英語検定」で特筆すべき生徒が出て来た。高校3年生のM君である。彼はⅡ類在籍生徒で3年間硬式野球部に所属し活躍し、この度、英検で「準1級」を取得した。この準1級と言うのが凄いことなのである。高校卒業レベルでは2級取得が標準とされており、準1級は大学中級レベルである。一般社会人の合格率が大体16%程度の難しい試験で、英検準1級を保持しているということは例えば企業に入っても英語を必要とする場所に配属されたり、海外勤務なども優先的に有り得るというレベルである。3年間野球で汗まみれになりながらもコツコツと英語を勉強し、将来にわたって「語学の学びを深めたい」と志を立て、クラブの傍ら一生懸命に勉強した。そして進学する大学は「関西外国語大学」に合格し既に決まっている。

素晴らしいではないか。「奨励賞に値する」と考え学校長から支給するように英語科の教科長と英検担当の教員に伝えた。学校には「文武両道」という言葉がある。偶に「文武両立」という言い方もあるが基本的には同じ意味である。意味は文は学業、武はクラブ活動であり「勉強と部活の両立」と解釈され、単に学業だけが優れているのではなく、クラブ活動などにも頑張って欲しいという意味である。そのクラブ活動も運動部のみならず文化系クラブも当然入る。前述したM君はまさに文武両道を実践した生徒と言える。私はクラブ活動の意義を深く自覚している。クラブ活動から受ける恩恵は極めて大きいからである。それは大学を卒業し社会に出ても成長期に学業以外に励んだ経験は役に立つことを知っているからである。

 


11時から年明けの成人式に関連した本校独自の企画である「二十歳の集い」の為の学院長ビデオメッセージの撮影があった。これは本校卒業生で丁度20歳になったものを集めて母校に帰還させ自分の原点を改めて知らしめ、今後を自覚させるという内容のものであるが、昨年に続いて今年もコロナ禍で中止せざるを得なく、やむなくビデオ配信としたものである。私が述べた要旨は以下のようなものである。私より約半世紀も若い人たちへのメッセージには深い感慨がある。

 


皆さん、お元気ですか?理事長・学院長の木村です。この度は、二十歳の成人、心よりお慶び申し上げます。(以下中略)

皆さんの前途はきわめて明るく有望です。この機会に自分の立ち位置を知り、志しを再確認して欲しいと思います。生きる術と自分の存在価値を、更に更に高めていってもらいたいと思う。その為にはまず目標に向かって、努力しなければなりません。有る時は「耐える」ことも重要です。ここにあるのは私の好きな備前の焼き物です。土をこね、形を作り、不要なものを削り落とし、素焼きし、最後は本焼きと言って1240度以上で焼き締められ最終完成します。それが存在感を発揮し、威風堂々と光り輝くのです。焼き物は何か人間の成長過程に通じるものがあるような気がします。 


君たちは 本校が誇りとする卒業生です。困ったことがあったら何時でも母校に来て欲しい。私たち教職員は全力で君たちを応援しています。令和5年には創立100周年を迎えます。その時には皆さんと共に、100年間、この住吉の地で生きてきた君たちの母校をお祝いしたいと思います。そして今後とも21世紀に燦然と輝く学校づくりを卒業生のみなさんとともに作っていきたいと思います。本当に皆さんとお会いしたかったのですが、是非、この動画を見て、自分の若かりし高校時代を思い出し、原点を確認して欲しいと思います。それでは「バイバイ、元気でな!」



2021年12月13日月曜日

浪速国際コースが今ホットな話題に!

 「シンプル イズ ベスト」という英語がある。Simple is Bestだ。この意味は単純素朴であることが最良である、という意味の英語の表現であるが、シンプルとは、「純粋な」「すっきりしている」などの良い意味と、「お人好しの」「つまらない」「無知な」などの悪い意味を併せ持つ言葉である。大概の場合は良い意味で捉える方が多く、複雑な事象を、回りくどい言葉を使うよりも単純明快な言葉で表現する方がより分かり易いという事である。私は今「しみじみと」2年前の事を思い出している。浪速高校も「ぼつぼつ」新しい科コースを作るべく「名は体を表す」との思いで、この新コースの名称を関係教員に諮問した。出て来たのは「異文化を理解するコース」とか「国際理解促進コース」的なものばっかりで私が断を下し、「浪速国際コース」とし2019年4月11日の職員会議で発表した。名称もシンプルイズベストである。



 
2年経ってこの浪速国際コースの第一回生が具体的に活動し始め、11月には修学旅行に置き代わる「語学研修」を初めて国内の富士山の麓で打った。これはコロナ禍でやむなく河口湖傍の某大学保有の研修所での合宿に置き換えたもので、当初は国際的に有名な英語研修地のフィリッピンのセブ島で行う予定だった。今年の入試説明会から国際コースの説明が具体性を帯びて話が出来ると考えた入試広報部は動き始めたのである。第4回説明会ではこの語学研修に参加した生徒の感想文が読みだされ、多くの受験生や保護者の心を動かしたのだろう。今朝ほど報告を受けた保護者アンケートに拠れば、その反響がすこぶる良く、当初説明会後の「個別相談会」には当初応対する担当者を入れていなかったが、急遽国際コースの主任教諭に入って貰って受験生と保護者対応に当たったのである。


 
この浪速国際コースは本校が10数年ぶりに打ち出した新科コースで2年次に上がる時に全生徒から希望を取り、学力やその意思を確認して2年生から約40名程度の募集を行う。今年が初年度で最終的には高校2年生18人でのスタートとなった。この18人が凄いのである。全員が難関私立大学の英語専門の学部に進学するか、海外の大学に進学する生徒ばかりである。行く行くは英語を駆使して社会で活躍する志の強い生徒に絞っているのであるが、このコースの担当教諭は英国ケンブリッジ大学の認定する資格を有した「いわばバリバリ」の英語の達人である。


 


今回の研修会に参加した生徒のアンケートを読むと素晴らしい成果で「少数精鋭」「英語のみの毎日」「一方通行だけではなくて生徒間のやりとり」など様々な工夫により短時間で英語に自信が持て具体的にその成果が出ている。そのような活動の次のステップとして今「海外の大学との連携」に走り回っているところであるが、何れにしても21世紀の日本は国際社会の中でその存在感を示し、活躍できる人材が今以上に必要である。本学院は今まで「英語教育の浪速」を標榜してきたが今後とも活動の幅を広げていく積りである。又私は「留学生受け入れ」には積極的であるが更にこの動きを加速するために次の一手を考えている。他の私立高校も生き残りの為に様々な事を考えているだろうが、私は今後とも「ニーズとシーズ」を考えながら単純明快にこの学校のあるべき姿を目指していく。その為には科コースの改編には積極的に対応していく。例えばそろそろ「スポーツ科コース」があってもおかしくないぞ。来年早々には豪華極まりないゴルフ部の為の「産土ゴルフ練習場」のお披露目をする。道具は揃った。

2021年12月11日土曜日

「新しもの好き」

 本日14時からは今年最後となる「浪速高校第4回入試説明会」の日であった。今年から始めた新しい形の「WEB申し込み」では何と、何と想像以上の受験生や保護者が予約して頂き、集まって頂いた。今回の目玉はこれも新しい形である「ライブ中継」である。学校から数十キロ離れた堺市美原区の「高天原スポーツキャンパス」で期末試験の済んだテニス、ラグビー、陸上競技部の部員が施設の実態をライブ映像・動画で流した。最初の試みは修学旅行先の大宰府天満宮から、そして前回は多聞尚学館からと入試広報部は今や「お手の物」となった方式を駆使して受験生に訴えるのである。先週の多聞尚学館を中継では、並み居る受験生と保護者のアンケート結果から見ると「本校のICTの極限」に驚いたとの賛美オンパレードであった。新しい形は見る人に感動を与え、映像には「嘘偽りの無い真実の姿」が映し出される。入試広報部と情報企画部、よくやった!素晴らしい。 



「新しもの好き」という言葉がある。大阪弁では「新しがり」「新しモン好き」「新しがり屋」か?他に有るのか、知らない。この言葉は良く言えば最新の流行などを次々に取り入れようとする人のことであるが、とにかく「新奇なものに心が惹かれるさま」を言う。一方この新しもの好きは、必要かどうかを度外視して新製品などをついつい買ってしまう傾向などを指すニュアンスもあり、どちらかと言えば否定的である。「初物食い」「初物好き」「目新しいものにすぐ飛びつく」「目移り」「浮気性」などの否定的言葉も極めて多い。しかし私は「新しもの好き」の人や組織を高く評価する。「新しもの好きが世の中を変える」のだ。私は入試広報部長に今後とも新しもの好きで行くようにアドバイスした。




歴史上の人物で新しもの好きは何と言っても戦国時代に生きた「織田信長」だろう。幕末維新の「坂本竜馬」を挙げる人もいるだろうが、確かに優劣はつけ難いが私は信長に軍配を挙げる。信長は南蛮貿易を重視し、キリスト教の布教を許し、常に地球儀が側に置いていた。鉄砲を戦争に取り入れ、刀槍の世界を一変させた。今に続く「中央集権制度」を取り入れ、政治の動きを何倍も何倍も加速させた。「楽市楽座」で経済の循環を図り、人材登用も出自不問で農民上がりの秀吉を取り立て活躍させた。これ以来、身分の低い者でも日の目をみるようになった。かく言う私も新しもの好きである。信長を巨象とすれば私如きは蚤以下であるが、それでも学校に「新しもの」を取り入れて来た。とにかく新しいものが大好きである。 


新しいものが現状を変えるのである。私はこの15年間で本校教育の中味、ソフトと校舎を含め教育環境のハードを一変した。教職員も現在勤務している教職員の85%以上を変えた。今や昔のものは草一本、石ころ一個本校には無い。それでも変え続けようとしている。現状を変えようとする試みが実は本質をあぶりだすのである。変えようとしない人は現状が最も心地良いからである。それは何もしなくても給料は入って来るから、敢えて苦労をしょい込む必要はないのである。昨年の学校行事の中味をほんの少しでも変えようとする教職員を評価する。学校は「行事消化型社会」と言って20年前、10年前、5年前と全く同じ内容で粛々と行事を済ませることが多い。これは教員が楽だからである。去年と同じだったら誰からも文句は言われない。「去年と同じですよ」と反論すれば誰からもクレームが付かないからだ。だから学校は変わらなかったのである。


 私はとにかく変えよ、少しでも変えてみたらとアドバイスする。この姿勢が教職員に伝播したのだと思うが本校の教職員も少しづつ新しもの好きに変わってきたように思う。典型的な例が前述した入試広報部所管の学校説明会の形である。現在の基本は私が造ったが徐々に進化し続け、彼らは「ネットに拠るライブ中継」という目に見えぬ遠い所から情報を発信する方法を考え出し実践している。「若い世代の頭は柔軟」である。小さな課題はまだあるがとにかくやることだ。やれば次の手が浮かんでくる。本校のICTは教育の方法のみならず広報にも新しいジャンルを切り拓いた。「教職員に告ぐ、今後とも”柔らか頭”で行こう!」

 

2021年12月8日水曜日

「人の話をよく聞く」

 自民党総裁選挙を経て、第100代内閣総理大臣に就任した岸田文雄氏の「売り」は自らが言っておられるように、特技が「人の話をよく聞くこと」だという。これ以来このフレーズは少し有名になってきた。日本語の妙で人の話を良く聞くというと「言った人達の言う事を受け入れる」と誤解されがちだが、決してそうではあるまい。例えば100人の人の話を聞いて誰もが満足する一つの施策を纏めようとしても、それは不可能な話だ。その点、英語は便利で人の話を聞くとは「listen to peoplelisten to others」だから極めて物理的で単純明快である。日本語には人の話を聞くのが上手い、いわゆる「聞き上手」という表現もあり、その究極が「何にも云うな!俺の顔を見ろ、悪いようにはしない」で済ます人もいる。 

いずれにしても人の話を聞くと言う行為は人に良い感情を与え、好かれる比率が高い。この理由は聞き上手な人は「聞き役」になることで、相手を気楽にさせているからだと思う。「大概の人間は聞くよりも話すほうが好き」である。何故なら人は話を聞いている時よりも話している方が心理的に楽であり、悩んだ時など、人に話すと楽になるし、いい事や嬉しいことがあれば人に話したくなることからも良く分かる。これは次のような考えに基づくのではないか。聞いている方、聞かされている方は話している人の話や気持ちを理解してあげなければならないので、話す時よりも負担がかかる。つまり、聞き上手は話している人を「聞くストレスから解放」しているのである。ところが聞く方はその分自分がストレスを抱え込んでいるのだが、その議論は少ない。最も「聞き流す」手もあるが、それが私には出来ない。聞いた以上は動かなければならないと決めつけているから。

私に限って言えば嬉しい時や苦しい時に人に話すと楽になるという経験も無いし、その気もない。生きて行くと言うことは人との関係で、そのような苦しみの中に身を置いているという事だ。苦労が嫌なら金剛山の頂上で「仙人みたい」に生きるしかない。まず自分を強くするしか手はない。私は聞くよりはどちらかと言えば話す方が得意かも知れないが、それは「仕事」だからである。人の話を聞いているばかりでは組織は守れないし、仕事にならない。木村は聞き上手だと言う人は全く居ないと思うが、「どっこい!」、これで結構人の話を聞いている。元々気は長い方ではないが加齢と共に人の話を聞く労力は相当なものであり、自分の残りの人生の大切な一分、一秒を特段、考えもせず、勉強もせず、調べもせず、自分が損にならないように、得するように、一方的に「グダグダ」しゃべる人の話を聞く事はこれはもう苦痛で地獄に近いから止めた。私は心理療養の医者ではない。私は「決めることが仕事」の学校の理事長、設置者である。

 

従って木村流の「人の話を聞く手法」とは①関係の人々に諮問して答申を受け、それを尊重するやり方②プロジェクトを組みその研究結果を尊重して施策に活かす事③アンケート結果から人の話を読みとる事の3点かも知れない。私が多用している手法は答申を受けるである。今日も私は校内理事と一部の関係管理職、指導教諭を呼び「令和4年度からの働き方改革の最終答申」を求めた。この中に令和3年度、この1年間の実践に裏付けされた「学校の集大成の意見」がまとまってくるだろうからそれを尊重したいと思う。彼らはこれが出来る能力有る人々であるし、やるべき責任を有している。従って理事長として出て来る意見を尊重せざるを得ない。これが「私の聞く力」である。