2020年5月28日木曜日

公認会計士による監査報告

5月決算理事会が無事に終わった。一夜明けて私は良い決算が出来、ほっと安堵しているところだ。二人の公認会計士の先生から決算書類に割印を押して頂き、5月27日付けで独立監査人の監査報告書に署名・実印が押された資料の提出も受けた。これで決算は確定した。資産が増えたので「登記」の作業に入る。そして6月1日に本校の公式サイトに「学校法人浪速学院 令和元年度決算報告(法人全体)」として公開する。中身は「資金収支計算書」「事業活動収支計算書」「貸借対照表」「財産目録」である。学校会計基準は企業会計と違って分かりにくいが、良くご存知の方はこのページから本校の財務内容のすべてが分かる。何処に出しても恥ずかしくない内容だと思う。



新型コロナの影響で私学課もお忙しいのか日程は定まっていないが最後の作業は補助金を頂いている大阪府私学課への公式報告で、これが終われば「すべてが一件落着」である。コロナの影響で学校は大変なことになっているが、令和2年度も頑張って行こうと気合を入れ直した。「手前味噌」で、理事長がごちゃごちゃ自慢話を書いても詮無いから公認会計士が全理事、評議員の前に立ち、以下のような「講評」を述べられた、これですべてが分かる。





監査報告(理事会)令和2年5月27日

公認会計士の〇〇です。いつもお世話になっております。

まず、監査の結果、令和元年度の学校法人浪速学院様の計算書類は適正である旨をご報告申し上げます。


令和最初の元年度決算も好調な滑り出しの内容になっています。

まず、財務面では「長期借入金返済引当特定資産」を16億円積立て、借入金残高と同額になっており、実質借入金ゼロになっています。毎年4億円ずつ4年間で16億円を積立てるだけでも至難の業ですが、ましてや毎年数億円の設備投資を自己資金で投資しながらの積立となると神業と言わざるを得ません。


この積立を可能にした源は、浪速学院の収益力の高さにあります。収益力を計る指標に「経常収支差額比率」があります。浪速学院は〇〇%台ですが、全国平均は1.4%です。マイナスの学校も沢山あります。この驚異的な収益力の高さが浪速改革を可能にした、逆に浪速改革により驚異の収益力になったのかも知れません。


この収益力を生み出した重要な要素は、人件費のコントロールにあります。浪速学院の人件費比率は〇〇%と極めて低く、全国平均は64%であります。〇〇%も人件費が低くコントロールされているから教職員さんの給与水準が低いかと言うと決して低くはないと思われます。この人件費比率の低さは人事政策の賜物です。


木村理事長様が13年前に浪速学院に就任されて最初に手掛けたことは、人事制度の改革でした。就業規則を改定し年間変形労働制を採用し、人材育成・人事評価システムを導入し頑張る教職員への支援を行い、教育環境の整備・充実を進めながら浪速教育の中味を改革しました。この地道な人事政策が功を奏して、少数精鋭で、高収益力の経営体質になっています。


教育環境の整備では、最新鋭の「ICT教育の環境整備」が今回のコロナ感染防止対策に効果を上げています。

今まで「教育環境の整備・充実」路線でやって来られ、ここ13年間で生徒数や収入規模は2倍になりました。今後もこの路線を維持され、「高天原スポーツキャンパス」や「浪速アリーナ」等、将来の為に投資することによって、経営の土台を盤石にされ発展されんことをご祈念申し上げて、報告といたします。

2020年5月27日水曜日

「常若(とこわか)」の精神

本校にはかけがえのないお人がいる。私個人にとっても本当にかけがえのないお人である。尊敬、敬愛してやまない。尊崇と言う言葉を使っても良い。我が人生で最大の恩人でもある。私のこの浪速学院に招聘して下さり、全てを任せてくださった。13年間、温かく見守ってくださった。助言とかアドバイスとかは無い、ただただ見守って下さり、私はこのお方の「スタンド・バイ・ミー」を地でいった。この方のお陰で大阪の神社界は言うに及ばず全国の神社界に知己が拡がり、関係を深めることが出来た。神社本庁からも伊勢神宮からも顕彰される栄誉にも恵まれた。このお方のお名前は寺井種伯氏と言う。神社本庁長老、大阪天満宮名誉宮司、斯界の役職は数えられないくらい多い。多くの方々が私のように寺井ファンなのである。


御年88歳、まだまだお元気である。私はお元気な内に「書を所望」とお願いに参上した。ご多忙の中、ようやく戴くことが出来たので、それを最高級の「扁額」にして本校の最も学院神社に近い「だ太鼓」の横に掲げることにした。それを本日の理事会・評議員会に先駆けて「お披露目」をしたのである。令夫人ご同伴で久々に学校にお出まし頂き、理事や評議員、教職員の参集した中で除幕をした。書いて頂いた字句は「常若(とこわか)」である。私が考えに考え、お願いした言葉で、神社神道の精神を建学に掲げ、未来を繋ぐ若者が学ぶ本校にこれ以上の最適な言葉は無いと考えた。常若、響きも良いし、簡潔である。大好きな言葉だ。


これは元々、伊勢神宮に関係深い言葉である。神宮に関する書物には多くこの言葉が出てくる。伊勢神宮と本校はもう65年の長きに亘って「伊勢修養学舎」を継続してきた。「常に若々しく」「常に生まれ変わり」「継続することに意味あり」と私は理解している。20年に一度すべてを作り替える神宮の「式年遷宮」を「和のサステナビリティ」であると言った人が居る。式年遷宮とは天武天皇が定め持統天皇の御代(西暦690年)に始まった国家的儀式であり、20年に一度新しい神殿(殿舎造替)に新しい御装束と神宝を整えて、御神体をお遷しする(遷宮)儀式のことで、応仁の乱の時代の約130年間を除いて現代(2013年)まで1300年以上の長きにわたり執り行われてきた。


「サステナビリティ」(sustainability)」とは、「持続可能性」または「持続することができる」という意味であり、 サステナビリティへの取り組みというとき、何を持続するのかというと、本校の場合、学校そのものと優秀な教職員の集団である。私は今回の「コロナ禍」の中で従来の「成長主義」から脱却しなければならないと感じた。成長して再生産し、継続することが今までの考え方であったが今や「継続すること」を第一義に考えて身を処するべきと考え始めた。勿論単に継続だけなら「停滞」と見なされかねない。「成長」を目指して結果として「継続」することはあっても、「継続」こそが組織の第一目的ではないかと考え始めたのである。


成長が目的となると、危険極まりないことが今回の事で思い知らされた。成長の陰でウイルスから見れば人間は無茶苦茶な日常を送っていたのかもしれない。式年遷宮は、神様は常に新しい神殿でお迎えしなければならないという発想から常に新しく造営するのだが、これは「常若(とこわか)」であり、古くなったものを作り替えて常に若々しくして永遠を保つという発想である。西洋的発想ではコンクリートや石などで頑健なものを作ることがサステナビリティになるが、式年遷宮は逆に朽ちやすく簡単に壊すことができる木で作る。しかし定期的に作り替えることで永遠の若さが保てる。この「壊れやすいものは壊して、また新しくすれば永遠に持続」する。こういう真逆の視点からの「日本流のサステナビリティ」こそが世界の中で輝く日本を知らしめるのではないか。我々は未来永劫本校を継続させ、常に若々しく弾力的に柔軟に再生産していく思いを込めてこの常若の扁額を掲げた。

2020年5月26日火曜日

明日は決算理事会


明日の理事会資料が纏まった。後はコピーして必要数を用意するだけである。「5月理事会は決算理事会」であり令和元年度の決算の詳細を評議員会にかけ議論し、ご意見を頂く。その後理事会で評議員の意見を参考にして理事として決議するものである。その後本校の公式サイトに決算内容の概略をアップする。今のところ61日を考えている。公的資金(税金)が投入されている公益法人として数年前から「法人の説明責任」として幅広く府民や生徒保護者、受験生保護者等関係ある人々に本校の財務内容を告示することによって評価を頂いているものである。そして所管官庁の私学課に詳細な報告の為に府庁に赴くが、コロナの影響で何時になるのか未だ私学課から通達が来ていない。



理事長として評議員会は議長を務め、理事会を総理するのが仕事である。私は着任以来冒頭の総括報告は誰の手にもかからず、自らの言葉で資料を作り、詳細な報告が必要な時は「別紙」を添付して資料の完成度を高めている。これだけはささやかな誇りである。従って本校の理事会資料を読めば、パンツの中身まで分かるような体裁になっている。公益法人として「隠すようなことは一切ない」からである。そしてこの理事会資料はそのまま職員会議にて私が全教職員に伝達する。これが一連の流れであり、本校で働いている教職員が「一体私の働いている学校はお金持ち、それとも貧乏?」などの杞憂を持って貰いたくない為である。



冒頭の私の報告資料の最初は以下のような文句から始まる。

令和2年5月理事会資料               令和2年5月27日(水)



学校法人 浪速学院 浪速高等学校・中学校

        法人経営と校務運営の理事長・学院長 総括報告と提議・審議

 

  世界は未だ「コロナ禍」に見舞われているが、本校では今のところ、生徒も保護者も教職員も感染者は発生していない。しかしながら国や大阪府の要請により「臨時休校」を3月2日から今日まで継続している。生徒への学びの保証の為に4月24日からは「オンライン授業」を始め、5月11日からは学年単位で「分散登校」を開始し、ようやく6月15日から正常授業、学校行事や部活動が可能となった。未だかって経験したことのない事態であったが、今回を契機にして「With Corona」の考えで「新しい学校」を目指して進化していかねばならない。従来から進めて来た最新鋭の「ICT教育の環境整備」が一挙に他校に先駆けて実現させたが、新しい入試広報活動や9月入学など迫りくる課題は多い。

(以下詳細な決算報告と続く)



今日は高校1年生の登校日であった。正門付近で私は生徒を迎えた。中学1年生については毎週の登校を止めた。オンライン授業優先である。しかし分散登校であるが本校の生徒は正門をくぐり、神社前の鳥居のある場所でちゃんと立ち止まって「一礼」をする光景は見事である。わずか数回の登校であるが「郷に入れば郷に従う」でもないのだろうが学校の創立の精神と教えを既に完全に身に付けているのに感動するばかりである。このように本校は「良い生徒」ばかりである。




2020年5月25日月曜日

学校の「ニューノーマル」は?

安部総理は5月21日に首相官邸で開いた政府対策本部で、「解除が進む中、感染拡大を予防しながら新たな日常をつくりあげるチャレンジが全国で始まりつつある」と初めて「新たな日常」という言葉を使われた。又コロナの所管である西村大臣は「命が大事であるが経済活動も大事、データと科学的根拠に基づく判断と対策、地域・状況に応じた段階的対応、そして、スマートライフの定着」と、これら三つの事を行っていきたいと発言された。このスマートライフに注目だ。そして今「ニューノーマル(新常態)」という言葉が出てきている。これは新たな状態や常識を指す用語で、構造的な変化が避けられない状態を指し、今回のコロナ禍により、我々は立ち直ってももう元の姿には戻れないと言う意味である。私にはこれらの意味が良く分かる。

目に見えないこのコロナウイルスは世界をパンデミックに陥れ、グローバル世界を直撃し、需要と供給チェーンを破壊し「にっちもさっちも」いかなくした。マスク一つで人々を震え騒がせたのである。恐らく世界の秩序、人々の日常生活は一挙に同時並行で変わっていくのだろう。それは学校社会とて例外ではない。最後の変化の対象は学校だと思う。「ITC武装された教育現場」「9月入学」「6.3.3制の改編」「3学期制の崩壊」「カリキュラムの自由選択」「大学入試方法の変化」「AIロボットによる教育」等々数え上げたらキリがないくらいだ。まさかこの年になってこのような状況を体験するなど遂3か月前までは思ったことさえなかったのに。

しかし学校現場はある日、突然に変わるということは出来ない。当面は「With Corona」で「新しい学校の日常」を作り出していかねばならない。公立学校と違って私学はその独立性が保証されていると言っても今や「かなりの公金」が投入されているからやはり所管官庁の行政指導には目を向けるし、私学を助成しなければならないという法的根拠から私学側も私学助成を常に訴えていく必要もある。どこを切っても「金太郎あめ」みたいでは私学の私学たるゆえんはないから、そこは「知恵と工夫」で前に進み、本校の特徴を出し、生徒に来て貰い続ける学校でなければならない。簡単に廃業というわけにはいかない。



今日の校務運営委員会で私はこの辺りを強調した。今朝の読売が報じるところによれば第二次補正で全国小中高36000校に1校あたり100万円から最大で500万円の感染予防、学習支援費を出すとあった。私は事務サイドにお金も入りそうだから教員に「フェイスシールド」を使ってみてはどうかと述べた。「新たな学校の日常」を作る為に今やれることは何でもやるのである。一部の保護者から「子供を守る為にまだ学校にやれません」と言われたら返す言葉がないような状況を作り出さないのが私の仕事である。府においても支援金があるように今回のコロナほど政府、地方行政サイド、国民が学校現場に目を向けるようになったのは僥倖でもある。私はこの時を天の声として根本的に学校を変えることが日本の為になると信じて疑わない。急激には出来ないから徐々に徐々にするしかないが、子供たちが学んでいる学校でのコロナとの共存はしんどい話だ!故に「学校のニューノーマル(新常態)」を考えて行く必要があるかも知れない。学校行事などの思い切った削減である。

2020年5月23日土曜日

コロナとの共存

現在の「コロナ騒動(不謹慎?)」を想う時、私はあの「2000年問題」を思い出す。このような感じを持つのは私だけだろうか?2000年問題とは西暦2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があるとされた世界的問題で、「ミレニアム問題」とも言われた。西暦2000年であることをコンピュータが正常に認識できなくなるという問題が主に取り上げられ、それが拡張されてマスコミも連日「世の終わり」と大騒ぎしたものだった。しかし結局何も発生しなく、それ以後誰もこのことに言及しなくなった。現在のコロナ禍とは違うが人間、特に日本人はこういう事態を殊更大きく受け止め大騒ぎする国民性があるのかとついつい思ってしまう。根が真面目な国民性が背景にある。


遂に大阪も自粛要請が解除され、「コロナとの共存」体制に入っていった。コロナウイルスは目には見えないが未だ「そこかしこに存在」しており、大きなコストを払って経済活動を休止した2か月間の効果が確認されたので「3密防止、手洗い、うがい、マスクなど自己防衛」を図りながら社会経済活動を再開すると政府は判断し大阪府も出口戦略を明確にして府内の私立学校にも学校再開の通達を出した。今私の手元にある。本校はその要請に従って一部私の責任で中身を上乗せして学校を再開する準備に入った。5月31日までは臨時休業の継続、6月1日から6日まではクラスを二分割し通学の混雑を避けて9時授業開始、高1と高2は45分授業で4コマ、高3は大学受験もあるから6コマだ。



6月8日から13日(土)までは一日ごとの分散登校と2クラス展開だが、コマ数は全学年6コマに拡大。ここまでは登校日以外は「オンライン授業」で生徒を追い込む。あくまで通常の学校の状態を慣れて貰わないといけない。又部活動は全面禁止とした。そして「晴れて6月15日(月)学校は全面的・本格的再開」とし50分の通常授業、学校行事や部活動も再開する。コロナとの共存であるから徹底した考えられる限りの防疫体制を踏んで行っていく。特に重要となるのが「生徒・教職員の体調異常を発見した時のマニュアル」だが、これも整備し、保健室も準備万端だ。あとは「幸運を祈るのみ」である。

学校の再開の予定は目途がついたが「問題は来年度入試」である。コロナで来年入学者が減りましたというわけにはいかない。しかし「私学展」も中止となり塾訪問なども出来ず焦りは少なからずあったが、ようやく来年度入試に向けて始動できる。入試広報部が2021年度版の学校案内の表紙に使う絵の候補を持ってきたので3種類から私は一つを選択した。「まず浪速中学校入試」から始まる。6月20日に「クラブ体験会」、6月27日には「オープンスクール」を組み広報活動に入っていくことになる。今年は137人、4クラスと画期的な成果があったのでこの勢いを持って入試広報部は頑張ってくれるだろう。「徹底して生徒の面倒を見る学校、誠実な学校」がキーワードだ。




身辺が忙しくなった。来週27日には「理事会・評議員会」があり、そこで私は理事・評議員に「令和元年決算」を報告しなければならない。まさにこれは理事長たる私の最大の責務で決算内容によっては責任問題となってくる。今一生懸命になって元資料を眺め、自分の言葉で報告する資料を作成しているところである。私にとって文章を纏め、資料を作るほど楽しいことはない。コロナで自粛するより忙しいほうが私には合っているのか、学校が再開され、日常が戻ってくると思うと何故か身体の調子が良い。「血が騒ぐ」のであろうか!間違いなく「血流が改善」していることが分かるのだ。私には閉じこもりの自粛は似合わない。戦場に出て戦うのが向いている。




2020年5月22日金曜日

「先生の昨年度の評価はこうでした!」

本校に着任して確か3年目から私は専任教職員を対象に「教職員人材育成・評価システム」を正式に導入した。府立高津高校長の時代に公立高校の教員評価システムが始まった影響もあった。公立学校までがこの種の制度を始めたのに私学にないのは「おかしい?!」と主導し、民間企業出身だった私は「社会の常識は学校の非常識」という概念の破壊に挑戦した。1年かけて準備し、始めたのだった。公立と同じものを入れても効果は少ないと考え、「日本総研」と契約し、担当の研究者と議論を深め、当時私立学校に合致する最新の絵を描いてスタートしたのだが、このシステムは今日まで続いている。昨年、管理職に諮り、見直しを図ったが、未だ健康な息をしているとの結論で「評価に伴う処遇のふり幅」を大きくして今日に至る。府内の私立学校で果たしてどこまで導入しているのか調べていないが、この種の制度がない組織など、一人前の組織ではないとうのが私の強い意見である。



一生懸命努力し、頑張って成果を出している教員と「ぬくぬくとした手厚い保護の元でぼんやり生きている教職員」が同じ給料や昇給ではその組織は成り立たない。社会では「当たり前」のことである。人が10人いれば1番から10番と結果に差があるのは仕方がない。本日、私は次々と教職員を部屋に呼び込み、令和元年人材育成・評価システムの結果を該当の教職員に「通達」した。総合的に検討し、年齢別にグループに分け、評価ランクの上がった教職員は月額給与がアップし、それは将来の退職金にも影響し、加えて年2回の賞与時にも大幅な金額が付与されるから満足して呉れるだろう。13年前と教職員のレベルは格段に上がっており、相対的に価値基準は高くなっているだけに「昔はこれで良かったと思える評価基準」は今では低いランクに陥る。「上へ上へ、高く高く、目標を掲げ、努力する教職員は本校の宝物」である。成果の還元先は理事長にではなく、あくまで生徒である。学校の教職員はあらゆる手を駆使して生徒に教える「プロフェッショナル」でなければならない。



プロフェッショナルが「素人みたいな先生」では駄目だろう。英語教育が国の施策として強化されている中で、英語教師で言えば「外部英語検定機関の資格」をもっていなければ、生徒から「先生は英検、何級ですか?」「先生はTOEICのスコアはいくらですか?」と訊かれて胸を張って答えられないようでは困るでしょう。資格取得を生徒に強く勧めているのだから、先生も取らないと。コロナだけの問題ではなく今後「デジタル社会、デジタル学校」の出現が目の前にあり、「私はコンピューターは苦手で」とか「オンライン教育には興味がありません」でタブレットや指導方法が分からない先生は授業に支障が出るでしょう。個人個人の先生の興味を聞いているのではなく、「出来るか、出来ないか」を問い、努力と成果を評価するのがこのシステムの目標である。あくまで「人材の育成」が基本であり、即刻「あなたは駄目だから首!」と言うのではないが幾ら指導してもダメなら進路を変えて貰う。今年の3月末で一人本校を離れて他校に行った教員がいるが、果たして其処でお役に立てているのだろうか?このシステムは教員に差を付けるのではなくて先生方を守る為の方策だと気付かない人は「アカン!」

2020年5月20日水曜日

準備万全の保健室!!








本日は高校1年生・中学1年生の第3回登校日でした。理事長・学院長先生は朝一に学校再開に備えて対策をしている保健室を視察されました。間仕切り、換気、別室の用意などの3密を避けての対策がされており、先生は大変満足しておられました。その後、先生は中学1年生の自己紹介を兼ねたレクリエーションの様子を見に行かれ、生徒たちを激励しました。中学1年生の元気いっぱいな姿を見て、先生は大変喜んでおられました。(K

2020年5月19日火曜日

高3・中3生・3回目登校日 元気に登校!!










本日は、高校3年生と中学3年生の第3回登校日でした。理事長・学院長先生は正門で登校してくる生徒たちを迎え、笑顔で激励されました。先生は何時も生徒から「理事長おはようございます。」と声を掛けられ、先生の周りには自然と生徒が集まり、いつも笑顔が絶えません。その後、先生は高校進路指導部長による表現力向上プログラムの授業を受けている高校3年生の教室を回られ、生徒たちが真剣に話を聞く様子を温かく見守っておられました。(K

2020年5月18日月曜日

在宅勤務の在り方を考え直す

早朝、中学の教頭に連れられて二人の英語教師が入室してきた。土曜日に「グーグルの正式なICT教育認定者の資格を取得」したという。素晴らしいニュースで今週は始まった。これで資格認定者は従来の4人に加えて合計6人となった。最もこの認定取得は義務付けていない。あくまでトレーニングコースの修了であるがこの二人は最後まで行ったということである。この資格取得の認定試験は結構複雑で難しいとされている。この二人は過日このアラウンドでも紹介した在宅勤務中に「トレーニング」コースを理事長・学院長の指示通りに受講した先生であり6月末までの資格認定を大幅に早めてさる土曜に遅くまで挑戦し、取得したらしい。素晴らしい。拍手喝采である。




本校には現在管理職を除いて専任教諭が76人いるが内61人は私が専任として採用した教員である。比率は実に80.3%にもなる。10人いて内8人を私が採用したのである。これだけの数値を持つ私立の理事長は日本全国、居ないのではないか?平均年齢は38歳と大阪府の48歳に比べ何と10歳以上も若い。これらの専任教諭は学校の正式クルーメンバーであり、「浪速丸という船と共に教員人生を歩む人々」として期待した人たちである。人事権者として言えるのは素晴らしい人々を採用した積りである。採用された当初の初心を忘れず「頑張って」いる教員は圧倒的に多いが、中には時の経過とともに「新型コロナ非常事態解除」と同じように「緩んで」しまうのか、輝きを失い、「寄らば大樹の陰」とでも言うのか、一見「パラサイト」みたいな人もいるのかなとツイツイ思ってしまう。実際はそうではないと思うが年を取るとついつい「しつこく」なり、疑念も大きくなってくる。良いことではないが仕方がない。私は全生命をかけてこの学校の将来のことばかり考えているだけに「親に心配をかけるな」と言いたい。

今日の校務運営委員会の席で私は前述した優秀な二人の事もあって、又この問題に言及し、強く一部の教員の行動に不満を表明した。今こそ専任教諭がトップの指示に対して一致し前に進まねばならないのに「能天気」な一部の教員の行動は組織に悪影響を与える。「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則ではないが、今非常時である。組織は非常時に強くなるものだが、その波に乗れない人もいる。この人たちが問題である。企業社会はいくらかボンクラが居てもトップの20%で突き進むから問題はない。しかし学校組織の難しさは、「平等社会」ゆえにそのような者が居れば、間違いなくレベルの低いほうに水は流れる。時間的余裕があるから先延ばしするのではなくて「今日できることは今日中に済ます」という気概が大切である。生徒には6月中に全員がクロムブックを持つというのに何が8月までにトレーニングか!





それは頑張っても、頑張っても、頑張らない人と同じ給与、処遇であれば、最後はアホらしくなって誰もやらなくなるのは自明の理である。これが戦後の学校教員社会を毒してきた。昔は今回のようなグーグル認定を受けるかどうかも職員会議の全員の挙手で方向を決めて来た。このような事をしていれば組織は停滞し活性化はなく、腐食し始める。私は決めた。「在宅勤務」の在り方を見直して見る。在宅勤務と言いながらお茶の間で子供と遊んでいるようなら学校にきて時間一杯、仕事をして貰う。今日、来訪してくれた有力理事のM先生は私のアラウンドを読んでくれており、「まだこのような先生がいるんですな」と驚いておられた。私は少し恥ずかしかったのである。