2022年1月31日月曜日

PTA会長祝辞「有難うの心」

先ほど3回目となるワクチン接種から学校に戻って来た。2回目が6月28日だったから丁度7か月だ。場所は今回は国の大規模会場ではなくて大阪市の実施する集団接種会場で住之江区にある「オスカードリーム」という複合施設だった。ワクチンは今回もモデルナで、学校から車で15分程度で近いのが良かった。13時予約だったから早くに行ったが既に予約の列が出来ていた。当然高齢者が多く、私も十分高齢者だが外見的にもあのように見えるのかなとちょっと複雑に感じた。ネクタイなどしてる人は見かけず、前かがみで歩く歩幅が小さい人が目立った。歳を重ねると言うのは大変立派なことだが、外見的特徴が外に出て来ると言うのが辛いよね。しかしこれだけは例外なく誰にも出て来るものだから仕方がない。若者を相手にしている仕事だから、自分は努力して極力「シャキッと」見えるようにしよう。



さて過日の高校卒業式について最後のアラウンドだ。私が言及しておきたいのは「PTA会長の祝辞」である。心のこもった素晴らしい式辞だったと思う。会長は本校の卒業生である。母校を愛して、愛してやまない人である。今から確か2か月前頃だったか?飯田校長と一緒に部屋に来て「今度の卒業生の為にPTAとして何か記念に残る企画を考えたいが如何でしょうか?」というものだった。修学旅行の中止を始め学校行事が全て中止か規模縮小になったことを受けたこの学年の生徒を思いやる気持ちである。結局オミクロンとまだ大学受験を控えている生徒も多く、式の時間短縮、密を徹底的に避ける等の判断から実現しなかったが、生徒たちを思う気持ちに私は感動した。生徒と同時に辛かったPTA役員、保護者の皆様に対して学校法人としてこの間のご理解とご協力に対して「有難うございました」の言葉を捧げたい。

とにかく本校の保護者、すなわちPTA組織は歴代の会長、副会長、本部役員まで素晴らしいお人ばかりである。公平、公正で社会的常識を持ち、愛してやまない我が子を預けている「学校を大切にする思い」「先生方への感謝の思い」が極めて強いことは私が一番知っている。足掛け20年、この学校にいるが所謂酷い「モンスターペアレンツ」などは全く見たことも聞いたこともない。その背景には「本校教師たちの面倒見の良さ」がある。これらが「浪速人気」に繋がっているのだと思う。確かに教育環境の卓越した部分は他の学校の追随を許さないがこれだけでは学校は成り立って行かない。「学校は先生の在り様」で決まる。立派な先生の居る学校は強い。だから本校の生徒は明るく礼儀正しい生徒にすくすくと育ってくれている。ご家庭と学校が上手く機能している証拠だ。


令和3年度 卒業式祝辞

ご紹介に預かりました。PTA会長の●●です。一言お祝いの言葉を申し上げます。

卒業生の皆さん、また保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。今日、この日を迎えられました事を心よりお祝い申し上げます。また、保護者の皆様には3年間、PTA活動にご尽力賜り、誠にありがとうございました。そして、木村理事長先生をはじめ多くの教職員の先生方、またこの学校を支えてくださったすべての方々、子供たちをここまで導いてくださいました事を、保護者を代表して心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。 

さて、卒業生の皆さんは今日のこの日をどんな気持ちで迎えられましたか。3年間の高校生活、楽しいことばかりではなかったと思います。特にこの学年はコロナ禍の影響で、修学旅行などの楽しい学校行事がすべて中止になりました。まだまだ世の中はこの様な大変な状況が続くかと思います。これからの人生、明るいことばかりではありません。時には顔も上げられないような辛いことも襲ってくるかもしれません。しかしあなた達はそれを乗り越えていくしかありません。努力や頑張りだけでは限界があります。ではどうすれば乗り越えることができるのでしょうか。それは、、、「感謝の心」と私は確信しています。どんな時でも自分を命懸けで愛し、信じ、支えてくれる人がいる。その当たり前に感謝すること。そして、大切な人には言葉や行動で感謝の気持ちを伝え続けることこそ、逆境を乗り越え、幸せで笑顔あふれる人生を歩めるようになると私は信じています。 

今日はどうか、今まで支えてくれた先生、友人、先輩や後輩、そして何より自分を産んで育ててくれたご両親に「ありがとう」と伝えてください。そして「感謝の心」を胸に、卒業という新たなる人生の一歩を踏み出し、将来あなた達に何よりも大切な人ができたなら、その時は命懸けで愛し、信じ、支え、護り、心の底から「ありがとう」と言ってもらえる人になってください。皆さんが、感謝の心を持って、逆境を乗り越え、幸せで笑顔あふれる人生になれるように願っております。 

最後に、先生方、保護者の皆様、この厳しい3年間の高校生活を乗り越え、立派に成長した子供達に「ありがとう」と伝えていただけたらと思います。本日は本当にご卒業おめでとうございます。そして、ありがとう。

令和4126日 PTA会長 ●● ●●

2022年1月28日金曜日

理事長を泣かせた卒業生の「答辞」 

 去る26日の高校卒業式の余韻がまだ身体中に残っている。当日のアラウンドでも書いているがこの卒業学年の入学を許可したのは当時校長職を兼務していた私だった。平成31年4月4日、平成最後の年の学年で1か月後の51日に令和元年の学年になった。「御代替わり」と言う節目の年に入学した生徒達は元年の1年間は恙なく学校生活を送ることが出来たが年が明け2年生、3年生の2年間はコロナにより散々な目にあった。しかし生徒達はめげることなく目標に向かって頑張ってくれた。卒業生代表の答辞に様々な思いが詰まっている。「浪速教育の真髄」が答辞の中に詰まっていると思う。これこそ教育の成果だ。I学年主任先生、担任のK先生、学年団の先生方、有難う、そして管理職の先生方、ご苦労様でした。


私はこれを聞きながら目頭が熱くなった。心の中で今後とも「今を一生懸命に生きよ!」と心の中で声援を送った。式典終了後体育館の出口で生徒を拍手で見送りながら巣立っていった生徒たちの顔を凝視し焼き付けた。学校という場所は実に予測不能な様々なことが出来するが本当に素晴らしいものだ。老いて尚、「学校という社会の公器」に関与できている自分は幸せ者だとつくづくと思う。素晴らしい感動の答辞だった。少し長くなるが全文を紹介致したい。 




答 辞

 寒さの中、寒椿の美しさが際立ち、冬鳥たちも旅立つ準備を始めた今日、この時、私達七百十名のためにこのように温かな式典を挙行していただき、誠にありがとうございます。また、ご多忙の中にもかかわらず、ご臨席くださいましたご来賓の皆様、そして木村理事長・学院長先生、飯田校長先生を始めとする教職員の方々、ならびに関係者の皆様に、卒業生を代表して心から御礼申し上げます。 

 平成三十一年四月四日、私達は平成最後の入学式を迎え、晴れて浪速高等学校の生徒となりました。あれから早くも三年の時が経ちました。 一年生、私達は浪速の伝統行事である伊勢修養学舎に参加しました。ご指導の中で「自分の行動に責任を持つこと」の大切さを知り、高校生としての自覚が芽生えました。また、男子は禊を、女子は豊栄の舞を経験し、私たちが何気なく触れていた神道の、奥深さに触れることができました。耐寒行事では、友の意外な一面に驚いたり、長い道を歩きながら将来について語ったりしました。とても楽しかった思い出に残る行事です。この一年生の時代は、青春にふさわしい日々を、何も考えずに送ることができた最後の日々でした。 

 二年生が始まる少し前、令和二年三月二日、政府から臨時休校の要請が出されました。新型コロナウイルス感染症により、私たちの期待していた輝かしい学生生活が奪われ、耐える日々が始まりました。一学期はほとんどを家で過ごし、新しいクラスの友達にも会えないままに、オンライン授業が始まりました。友達に会えない寂しさや、毎日の不安は尽きず、我慢の日々が続きました。登校できるようになったあとも、様々な行事がなくなり、最も楽しみにしていた修学旅行も中止になりました。やるせない気持ちがつのりました。しかし九月、オンラインという新しい形で、浪速祭が実施されました。このとき私たちは「できた」と思いました。それまでの「できないことを我慢する」ことから、「どうすればできるか」に考えが変わりました。また、先生方が催して下さった修学行事では、クイズ大会、球技大会、クラス行事を通じて、「もっと人と繋がる時間を大事にしたい」と、強く感じました。 

 この思いを、三年生の「浪速祭」で私たちは活かすことができたと思います。密をさける制限を乗り越え、クラスが団結するという行事の性格はそのままに、動画という、何度も見直せる新しい形にすることができました。受験を控えながらも、全力で取り組んだことで、自分たちの可能性に自信を持つことができました。私たちは、高校生活の中で「当たり前」を失い、我慢することも、不安なことも沢山ありました。しかし、いま世界は変革の時代です。新型コロナウイルス感染症に始まり、災害、気候変動、情報化など、さまざまな「当たり前のなさ」に直面しています。私たちが学んだ、「したいことをどうすればできるか」と積極的に考える力は、これからの「当たり前でない」社会を生きる、必要不可欠な武器になります。この学びを活かし、私たちはそれぞれの未来に向かって進み、目指す夢を叶えたいと思います。 

 在校生の皆さん、高校の何よりの思い出は「人との繋がり」だと私は思います。様々な制約がありますが「人と繋がる時間を大事に」高校生活を過ごして欲しいと思います。そして何よりも、私たちが無事に学校生活を終えることができたのは、先生方が、親身に支えて下さったからだと思います。日常生活を安心して過ごせるよう、感染対策はもちろんのこと、学業が遅れることがないよう、オンラインの授業に様々な工夫を重ね、私たちに分かりやすい授業を行って下さいました。また、修学旅行に代わる企画を準備して下さったり、浪速祭が実施できるよう掛け合って下さったり、陰日向なく動いて下さいました。温かく、時には厳しく、三年間私たちを導いて下さり、本当にありがとうございました。 

 そして、いつもすぐ側で支えてくれた家族には、感謝の気持ちでいっぱいです。臨時休校の日も早くに起きて朝食を準備し、「おはよう」と声を掛けてくれました。高校生として自由にさせてくれつつも、何かあるときには声を掛けて、日々困ることがないようにしてくれました。いつもありがとう。これからも私たちを、温かく見守っていて下さい。

 最後になりましたが、理事長・学院長先生・校長先生をはじめとする教職員の皆様のご健勝とご多幸を、そして浪速高等学校のさらなる発展を祈念いたしまして、答辞とさせていただきます。

令和四年 一月二十六日

卒業生代表 ●● ●●●

2022年1月27日木曜日

オープニングショットは?

 今、ゴルフは男女とも日本人プロ選手が世界で頑張っており、一種の「ブーム」みたいな感じだ。練習場は何処に行っても満杯状態である。この若手から高齢者まで楽しめるスポーツは一体どのような歴史があるのか興味深い。諸説あるみたいだが、歴史家の中には古代ローマ帝国時代に 先の曲がったスティックで 羽毛を皮で包んだボールを打って遊んだゲームがゴルフの起源でそれがローマ帝国の勢力拡大と共に(紀元前に)ヨーロッパの各地に広がったと言う人もいる。日本では1901年に外国人の手によって神戸の六甲山に4ホールのゴルフ場が作られたのが起源とされており、18ホールを備えた正式なコースとして認められたのは1922年に誕生した程ヶ谷CC(神奈川)が最古である。従って我が国ではまだ新しいスポーツと言える。


昨日は午前中に高校の卒業式を行い午後はかねて計画していた通り、堺の美原区に有する「高天原スポーツキャンパス」に急ぎ、「産土ゴルフクラブ」の完成記念式典を世が世だけに出来るだけ簡素に短く行った。工事関係者、神社界、管理職、部員、保護者有志とお集まり頂き、ささやかな「開所式」という訳だ。このような設備が完成した時には、必ず「オープニングセレモニー」を行うのが木村流である。理由は二つある。一つは工事関係者への感謝の具体的な表しとして、もう一つは生徒への指導・激励である。要は「最初に形を決める」のである。何時完成して何時から誰が使うのか、どのように使うのか、目標は何か、羅針盤を明確にする為であり、この事で本校のゴルフ部は新しい伝統がスタートする。


今のゴルフブームに乗っかって、この練習場を作ったのではない。今から15年前に本校に着任した私は「IT武装されたシティスクールを目指して学校改革を進め新校舎を作る」と宣言した。爾来何時かはゴルフ部の練習場を作ってやらねばと考えていた。「ゴルフって何か垢ぬけた都市型のスポーツの感じ」がしませんか?その目標がようやく昨日実現した。最後の最後になったが漸く出来た。私はどのような事があっても必ず立てた目標は達成する。「浪速にはゴルフ部がある。立派な練習場がある。」は生徒の誇りにも繋がるだろう。式典は銘版の除幕、記念撮影、テープカット、生徒からの謝辞、オープニングショットと続いた。問題はオープニングショットで私と女性キャプテンの二人が指名された。「なるようになる」と思い切ってドライバーを振った。「まぁまぁの結果」であった。しかしゴルフのスイングは難しい。元々運動神経は鈍いから一向に上手くならない。しかし、役目柄こういうのは恥ずかしがらないでやらねばならない。さすがに主将の女生徒は美しいフォームで「ナイスショット」だった。若いことっては柔軟で直ぐに上手くなる。 



本日以降この練習場は本校部活動ゴルフ部の手に渡る。些か豪華になったが、作る限りは良いものが良い。結局良いものは長持ちするし、生徒も大切にしてくれるだろう。式典の終わった後クラブ員は帰ろうとせず、「打ちたい、打ちたい!」といって中々帰ろうとしなかったらしい。「大喜びする姿」を知る程私にとって嬉しいことは無い。ゴルフ部の指導に当たってくれる青山プロもはせ参じてくれていた。当然生徒にはこの練習場を使って更に上手くなって欲しいと思うがそれよりも精神的に厳しい、このゴルフと言うスポーツを通じた人間的成長である。昨日は午前は卒業式、午後はゴルフ練習場の開所式とダブルで良いことが重なった。「私の強運」はまだまだ続く。全てをこの学校の生徒と教職員の為に捧げる。 


2022年1月26日水曜日

卒業式、校長は学校の顔

 今日は「第74回目となる浪速高等学校の卒業式」があった。私が着任して以来、正式には「卒業証書授与式」と呼称している。会場入りは卒業生710名の生徒のみで保護者はリモート参加にして貰った。私立でも公立でもおよそ学校と言う組織体で最も重要な儀式が卒業式だ。この荘厳にして厳粛な式典を執行する「学校長の職務」について私は大きく4つあると考えている。①まず入学を許可する権限②校務を運営し教員を指導監督する権限と責務③生徒の教育と懲戒に関する権限④進級と卒業を認可する権限である。この中でも卒業式こそ校長先生の成果と責務の集大成である。「式辞」と称する卒業式での最後の講話は「校長のみに許された権限である。浪速高等学校長の飯田先生は就任以来2回目の卒業式であり、この学年は私が入学を許可し飯田校長が卒業を認可した。校長引継ぎ過程での最後の卒業式となったと言える。 



卒業したこの学年は平成最後の年、平成31年4月4日に入学し、2か月後の5月1日に御代替わりとなり令和元年の生徒となった。しかしその年の暮れから世界をコロナが襲った。パンデミックでありそれは今も続いている。令和2年4月に校長に就任した飯田校長は先頭に立ってコロナから生徒を守り、学校を守って今なお闘ってくれている。校長になってから2年間、とにかくコロナに振り回され続けた2年であり、大変だったと思う。しかしまだまだ2年だ。必ずこれから先良いこともある。彼は今から100年前の初代大里猪熊校長以来13代目の校長となる。私が12代目で13年間務めた。そして飯田さんにバトンを渡した。生徒を愛し教職員を大切にして、まず自分の健康に気を付け、長く務めて欲しいと思う。私が見込んだ通りの人物であり、校長の後継者として最良の人物を得たと確信している。これだけで私が描く将来への不安の一つが消え去っている。 



卒業式は校長の権限と責任で実行されるものであるが、ここは私立学校であり、この学校の「学校設置者」として出席の義務がある。そして単に椅子に据わっているだけではなくて仕事がある。ちなみに公的な私宛の郵便物は学校設置者宛というのと理事長宛の2種類がある。理事長というのは学校法人の理事会を総理する職務上の役職であり、「設置者はこの学校を設置している人」とういう意味で区分されている。分かり易く、プロ野球の例で言えば設置者は「球団オーナー」に相当するものと考えられ、理事長は球団経営の社長職であり、校長は球団のジェネラルマネージャー兼監督といったところか。従って学校は直接生徒や先生方に関与する校長先生の職位が極めて重要であり、「学校は校長」「校長は学校の顔」なのである。

 今日の私の仕事は「木村賞」の授与であった。式次第で司会の教頭補佐から次のような案内があった。気恥ずかしいが紹介しておこうと思う。「次に学校法人浪速学院から特別褒賞の授与があります。本学院理事長・学院長の木村先生から授与されます。この賞は令和元年から新設された賞で在学3か年間が学業成績、生活態度が優秀で他の模範であった生徒1名に対して授与されるものであります。褒章の名称につきましては平成19年より学校改革を押し進め、本校を飛躍的に発展させられた木村先生のご功績を後世に残すために我々教職員からお願いし理事会で承認され誕生しました。本校表彰制度の中で最高位の賞となります」とあった。「賞状と褒賞金の授与」が私の仕事だ。卒業式の後、学院神社の前で保護者と共に記念撮影をし、後日額装してプレゼントするのが恒例となっている。木村賞となって私の名前が将来にわたってこの学校に残るのが気恥しいが嬉しい。名誉なことだ。



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2022年1月25日火曜日

明日は全員がマスクを付けた卒業式

 朝、事務室にかかってくる電話の数が多くなってきた。生徒のご家庭からである。「家族で感染者が出たので今日は休ませます」と言う内容が多い。本校はまだ休校とか学級閉鎖には至ってないが、感染した生徒が徐々に増えてきている。家庭内感染がほとんどである。細心の注意で気を付けているが、正直言って学校で執れる対策には限界がある。大阪は明日から「まん延防止等特別措置」が発出され、局面が又変わってくる。丁度明日は「74回目となる高校の卒業式」であり、今日は高校3年生、明日の準備で登校してきた。今朝ほど高校教頭から明日のやり方について高校サイドの考えを聞いて了承した。初めて「マスク着用の卒業式」となるが致し方ない。感染予防の為にご来賓も無く、徹底した時間短縮と歌ったりするのは止めて全てCDと前撮りしたビデオを使う。

 高校願書の受付がようやく本調子になって来たかも?WEBで出願を確認している数値はここ最近では新記録で大台に乗っているが、郵送出願も直接持参出願も受付開始日から1週間経ち、ようやく始まった感じだ。やはり公立中学校サイドもコロナ感染で書類用意が遅れているのだろうと思う。「210日の高校入試」は何としてもやりきらないといけないだけに我々は受験生のコロナ感染者対応が大きな課題となってきた。私は中学入試が既に終わっているのでこれだけは安堵している。2月の「耐寒訓練行事である葛城古道を歩く」も中止とした。とにかくオミクロン株の感染力の強さを実感している。幼稚園、保育所、小中高と若年層に襲いかかっている。

 



真田丸デッキに隣接して建設する新校舎等、仮称「NS棟」の概略の縄張りというか地割案というか「配置図」がゼネコンの南海辰村建設さんと(株)大建設計さんから出て来た。「早い!」。凄腕だ。何と私の希望である出来るだけ多くの教室の配置が可能との絵図面が出て来た。当初は最低限4教室と考えて来たが、これによると2階部分に4教室、3階部分に4教室で合計8教室が可能である。「大きいことは良いこと」だから費用は掛かるが一部屋当たりのコストは下がる。取り敢えず高校用として6教室を来年の3月末までに完成させる。今年中央館で小規模な改修をする教室も、NS棟が完成すれば元に戻せる。少人数教室や選択教室なども自由に出来る。ただこの場所は「新設する中学校棟との合体イメージ」で設計する必要がある。中学校にもNS棟の一部は与えてやらねばなるまい。陸屋根でひさしを大きく出して欲しい。カッコよい。


今日私は極力「中庭を残して置きたい」と要望した。長い時間的スパンで完成させる必要がある。NS棟も中学校棟も一階部分は「ピロティ」として開放感がある方が良い。建物は神社側に向かって片側廊下で細長いロング建物だ。そう、現在の東館のイメージだ。真田丸デッキに繋がり、隣接する将来の「浪速アリーナ」の中に現在の西館ホールみたいな部屋も設置すれば良い。何でもかんでも中学校棟に収めると言う発想は良くないと思う。ウイングを広げた考えが重要である。玄関は正面玄関で左右に広がる構造が面白い。中央館に似た第2のスペイン階段である。このプロジェクトのまとめ役としてT教諭(現中学教務・進路部長)の名前を挙げて「しっかりやるように」、過日申し渡していたので今日は中学の教頭とこのT先生との最初の打ち合わせがなされると聞いた。このフォーメーションは大切で高校の新校舎もY教務部長にやって貰って素晴らしい校舎が出来た。このようにして「実際に使う側の人間」が深く関与しなければならない。この短い1週間という短い時間で動き始めたことで私はほっと安心している。今日は良い打ち合わせが出来た。嬉しい。私は本当に運の良い男だ。



2022年1月21日金曜日

高校願書受付 始まる!

 昨日から「高校願書の受付」が始まっており、28日まで続く。願書は極めて極めて重要な文書であり、受験生の、大げさに言えば人生がかかっていると言っても良い。府内各公立中学校からの本校希望の受験生の願書提出であるが、時代の変化で「願書の郵送」が主体になってきている。一昔前までは中学校の先生方が厳重に管理して「持参する形」であったがコロナ禍の中、教育委員会の指導もあって形式が大きく変わってきているのである。今年は大半が郵送になるかも知れない。本校の場合は府内トップクラスの受付願書が多い学校だから取り扱いに「ミスがないように」チェックしなければならない。郵送だけなら良いが、直接持参もあり、より注意が必要である。まず中身の徹底的なチェックだ。特に現在公立中学もコロナオミクロンに襲われ、学級閉鎖や休校になったりして中学校サイドも受験生の対応に混乱している様子は想像できる。 


ところで新型コロナのワクチンの接種券などおよそ7000通の郵便物を雑木林に捨てたとして、大阪の郵便配達員が逮捕されたことは大きなニュースになりテレビや新聞で報道された。「配達するのが面倒になった」と供述しているということだが、信じられない所業だ。逮捕されたのは、堺市美原区にある美原郵便局の配達員で警察によると16日の夕方、美原郵便局からおよそ1.4キロ離れた雑木林に、配達する予定だった郵便物を捨てたとして、郵便法違反の疑いが持たれている。実はこのニュースを聞いて「もし入学願書が入っていたら大変な事になっていた」と思った。堺市は本校の生徒の現在も今後とも牙城の一つであり、このような事が二度とあって欲しくない。やはり郵送よりも直接持参が確実だと思う。

 本校は中央館2階のコスモススペースに持参出願対応場所と中央館7階の特別会議室に郵送出願対応の場所を設け、入試広報部員と事務室が共同で受付作業を行うこととした。堺の郵便局で起きた事件のように配達員がごみ場に入れて捨てていないか?、まず専願、併願の区分に間違いはないか?、学校単位での教育相談の数と志願書の数に乖離はないか?、志願書に必要な事項は記載されているか等々、後で「ごちゃごちゃ」になってはならない。こういうのはその場で確認することが鉄則である。 


中学入試が山場を過ぎたと言ってもまだ余波は続いており、これは「2月4日の2月特別選抜入試」まで続く。昨日から高校入試の為の作業が始まり、並走である。後は「210日の高校学力試験」が無事に終わることだけである。受験生がもしコロナで試験に来られない場合は当然、予備日も設けている。従来なら入試作業の緊張感のみだったがコロナの心配も加わり大変だが逃げる訳には行かない。自分はかなりの「心配性」であるが、最後は「なるようになる」と気を楽にしているのだが、背景は中学も高校も「余裕を持てる状況」だからだろう。令和4年度も何とか教職員一同「食って行けそうだ!」となっている状況に取り敢えず安堵している。教職員が頑張ってくれており、素晴らしい。

2022年1月18日火曜日

NS館(浪速真田丸館)の出現

 今年の大河は「鎌倉殿の13人」であり、まだ放映は2回目だが中々面白そうだ。大河ドラマ大好き人間として今年も期待出来る。何しろ作者が三谷幸喜だから面白くない筈はない。三谷作品としては2004年放送の「新選組」、2016年の「真田丸」以来の脚本である。この真田丸が実に良かった。タイトルの「真田丸」は大坂の陣で信繁が築いたと言われる出城「真田丸」に由来し、また真田家を「戦国の荒波に立ち向かう一艘の船」に例えた掛詞としている。秀頼を助け家康に立ち向かった真田信繁(幸村)は特に大阪人には神様みたいな存在である。智勇にすぐれ、義に熱い武将に憧れる私が新校舎建設時に中央館と西館を結ぶ繋ぎ道路を敢えて2階に造り、ここを「真田丸デッキ」として殊更立派にした。 

中学生の入っている西館(体育館棟)と結び、当時まだ弱小の浪速中学校に対して「打って出るぞ!」と掛け声をあげ、各私立の生徒獲得競争に打ち勝つために「シンボル」として造った場所なのである。以来真田丸デッキと言い続けている。ここは本体の高校が居る本城の中央館(天守閣)の出城なのである。明年3月末までに建築する校舎建物はまさしく真田丸デッキに繋がる出城となる。デッキの主役が遂に出現だ。「建物は横長」が良い。そうイメージは現在の総理官邸のイメージである。後々、後ろには「浪速アリーナ」が建設される予定だからこの視界を遮ってはならない。又この真田丸校舎はデッキに繋がる新浪速中学校棟に向かう通路だから将来は「校内交通の要の場所」となる。 

私がいる大奥の「東館」、高校教員の居る「中央館」それの出城に「真田丸教室」、右に行けば新設する「中学校棟」、左に行けば「浪速アリーナ」となり、その背後にはクラブハウス棟、そして誇りとする「浪速武道館」に繋がる。まさに「鶴翼の陣形」であり、わくわくする配列である。完成後の建物の呼称は次のように仮に決めておこう。真田丸デッキに完成する教室群の建物は「NS館(浪速真田丸)」、そして中学校棟を「(新)西館」とする。それに新設する体育館は「浪速アリーナ」の呼称で良い。ゴロは今一つだがNS館(教室番号はNS1、NS2,NS3・・・)で良いではないか。あくまで仮称です。Nは中高一貫クラスの本校の呼称、Sは高校トップクラスの呼称だし・・・。

 


今日は中学入試2次試験である。最早この時点では高校も、中学も通常通りに授業があり、試験会場は静粛な中央館最上階の視聴覚教室と進路指導部横のアクティブラーニング室(自習室)を使って行われた。これで終わりかと言えばそうではない。次は2月4日に「2月入試」がある。本校は私立中学として可能な限り門戸を開いて止むなく登校が出来なかった受験生の為に対応している。現に新型コロナで4人の受験生はこの2月入試を期待しておられる。このような姿勢こそ本校の至誠であると私は考えている。「投げ網」で一度に仕掛けるのでなくて、あくまで「一本釣り」で今後ともやっていく。これが浪速流であるが今後は漁場を広げないと駄目だ。海は広い。中学校教員は連勤連勤で休みもなく顔には出していないが疲労もあろう。明日は中学校は休みだ。高校と中学は別個の存在としてそれぞれがやっていけば良い。揃う必要はない。その昔は何でも中高一緒であったが益々独立独歩を加速させたい。それで良い。遂に「中学は自前の城」を持つのだ。その場所を真田丸デッキから見詰め私は「やりきる」と決死の覚悟を決めた。ますます面白くなってきた。



2022年1月17日月曜日

重大な方針変更、理事長疾駆する!

 「重大な方針変更」だ。現在の中央館と西館を結ぶ「真田丸デッキ」に繋いだ形で「高校用の教室をワンフロア―で4部屋」あるいは「2階建て構造で6教室か8教室」だ。どちらになるかは必要数と可能なスペースに拠る。これは直ぐに進める。仮設ではない「永久保存版」だ。同時並行で「専用の浪速中学校棟を建設」する。このタイミングはまず設計し、工事開始は1年後くらいか?極めて大きな経営判断である。元々の考えは産土ゴルフ練習場の後は暫く工事関係を止めて静かに内部留保に努め、タイミングを見て高天原スポーツキャンパスに「高天原アリーナ」建設工事に着手し、現在本校地の体育館で練習しているクラブ活動の拠点をまず先に整備する。その頃には少子化の進展で浪速高校、浪速中学の入学者数も落ち着いてくるだろうから、その動向を見極め、基本的には現在の新校舎である中央館と東館で浪中生を吸収し、空になった現在の西館を解体して、ここに「浪速アリーナ」を建設し中学校教室を含めた「複合アリーナ」建設工事を作るというのが基本的考えであった。時期は10年以内としていた。

しかしこの考えが、ここ数日で揺れ動いているのである。私は頭を絞って「何が正解か」を考え続けてきた。そして先ほど結論を出した。費用は何とでもなるが問題は工期であり、今年4月に入学してくる中学生4クラス、高校はまだ断定的な事は言えないが19クラスか20クラスとしても既存の校舎の簡単な工事でホームルーム教室は手当可能である。ところが100周年を迎える年の令和5年の入学者は「1年先の事は鬼が笑う」としても、この年の高校卒業クラスは16クラスである。もし今年並みの19や20教室分の高校生が入学してきたら教室が足らないではなくて「全くなくなる」。単純計算でも4クラス分の教室が必要となって来た。今年改造した分を含めると6教室くらい必要かも知れない。この分の手当てを今から14か月で間に合わせないといけない。私としては珍しく白板を持ち込んで書き留めながら考えを深め、校内を歩いて場所を確認している。 




浪速高校の勢いが再来年から急激にダウンすることは考えにくい。勢いには慣性が働き当分は続くと考えると最早「中央館と東館に中学生を吸収することは不可能」と考えるべき判断した。そして1年後の令和5年から空き地である時計台辺りに「専用の中学校棟」を新築する考えに傾いた。中学は学年4クラスで3学年で12教室であるがこれとて「浪速人気」からすれば、将来5クラス体制になるかも知れない。もう浪速高校の併設校ではなくて立派な一人前の私立中学である。現在の体育館との合同校舎として西館や浪速アリーナの一隅に「間借り」するような学校ではあるまいと考えるようになった。然らば専用の浪速中学校棟を建設しても良いかなと考えるのだ。その場所は前述したように残しておいた一等地で、難波高島屋の前あたりみたいな特上の土地だ。 

今日は朝早くから常務理事と設備担当者の3人で膝附併せて議論した。この3人で今まで建物を作って来た。「阿吽の呼吸」だ。そして午後一番に本校と長い付き合いのあるD設計事務所さんとゼネコンのN建設さん、それに急遽、お願いして先の新校舎を見事に建設してくれたスーパーゼネコンのOさんの幹部に来て貰って経緯と現時点の私の考えを詳細に伝え、議論を深め、私の案の検証とアドバイスを貰った。彼らとは「仲間」である。一声で仲間がすぐにかけ参じてくれるのは嬉しい。時間的余裕はないからスピーディに進める必要がある。「理事長、疾駆する」という感じだ。信長の「桶狭間」の戦いが始まった。