2021年2月25日木曜日

縦糸と横糸、ラインとスタッフ

今日は「臨時職員会議」をもった。令和3年度4月からの校務運営の体制を最終的に全教職員に発表・開示する為である。これで全てが整ったことになる。言ってみれば「学校の指揮命令系統」である。しかし幾ら系統図を作ってみたところで上手くいくとは限らない。「組織とは人間の繋がり」であり、その人対人の関係を良くする為に「報・連・相」が欠かせない。しかし実はここが難しい。これは「人間のセンスと感情」が絡んでくるからである。長い間組織で生きてきたが、出来る人間と言うのは実に「報連相」が上手い。心憎いばかりに上手である。逆に仕事の出来ない人間は二つのタイプがある。全く報連相をしない人間と受ける方が嫌になる位、事あるごとに報連相をしてくる人である。どっちも困ったタイプだが組織と言うのは人材が優秀な人、普通な人、ちょっと劣る人と「ごちゃ混ぜ」であると割り切っておいた方が良い。そういうものだと考えておけば気が楽になる。余り優秀な人ばかりだと「人材過多症候群」と言って「俺が、私が・・」の集まりになり、これはこれで問題となる。 

組織は「縦糸と横糸」が上手く噛み合わねば力は発揮されない。企業ではこれを「ラインとスタッフ」と呼ぶこともある。ラインが縦糸でスタッフが横糸である。学校における「校務分掌(こうむぶんしょう)」は縦糸と横糸を1枚の紙で表現するもので一本の線のつながりが重要な意味を持つ。校務分掌とは、学校内における運営上必要な業務分担であり、その分担のために編制された組織系統を指すことである。法令上の「校務」のとらえは、学校教育法第37条第4項に、「校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する」とあり、この条文が全てである。しかし本校では高等学校、中学校と二つの学校があり、一つの教育理念の元に存在しているから中高の両校長がバラバラの校務運営では学校が破壊されるリスクヘッジの為に「学院長という職位」を設定し「寄附行為」において明確にした。従って本学院では学院長が校務運営の総括責任者であるが、あくまで高校、中学の校長は担当する学校の校務運営の最終責任者である。 





各分掌組織を構成する個別のグループは大体「部制」にしているところが多い。本校もそうである。従って分掌の長は部長の名称となっている。分掌の部格に上げる前の組織は規模等の関係から鑑みて「委員会」組織としている。人権委員会とかハラスメント委員会なである。どの分掌組織がどのような役割を有するかは学校により異なることもあるが大切な事は常に柔軟に時代の中で改編し弾力性を持たせて対応していかねばならないことだ。「十年一日」ではカビの生えた組織で仕事をしていない証拠である。私は分掌の一つであった図書研修部を「総務部」に変え、今年からは「ICT教育推進部」を新設した。そして4月からは新しい情報科社会の到来を受けて従来の「広報情報委員会」を「情報企画部」として格上げし、人材を強化した。

 校長の校務運営の補完の為に4月からは高校に「教頭補佐」を発令し、新たに3人の卓越した教師を「指導教諭」として任命する。教頭補佐も指導教諭も管理職ではない。言ってみれば管理補佐職である。学校長はこれらの人事を活かして校務分掌機能を更に高め、学校の教育目標を達成しなければならない。これが校長の責任である。校長に属する全教職員は校長の指示に従い、補佐し、合理的かつ効率的に業務を進め、自分の責任を明確にしなければならない。ここにはまさしくラインとスタッフ、縦糸と横糸の連携が必要であり、全教職員は「自分の立ち位置」をしっかりと確認し、「覚悟」して仕事をして欲しい。その為に令和3年度組織図を本日わざわざ時間を取って発表したのである。

2021年2月24日水曜日

神社神道系の学校を誇りに

本校は神道系の私立学校である。私立高校を分類すれば「神道系」「仏教系」「クリスチャン系」「大学系列」「全くの独立系」と大きく5系列に分来されるが実は神道系の学校とは多くない。神道組織が設立母体となっている日本国内に現存する学校、および神道組織と関係の深い人物が設立した教育機関が母体となっていて日本国内に現存する学校に関して言えば皇學館中学校・高等学校、國學院大學久我山中学校・高等学校、國學院大學栃木中学校・高等学校に「浪速高等学校・中学校」がある。天理教は、教派神道の一種であるが、一般的な神式とは異なる点もある。従って我々は「神社神道系の学校」に勤めているという方がより適切である。 

着任以来、学校改革の過程で私が最優先にしたのは「神社神道系の学校と言う歴史的事実」を前面に押し出した。それまではどちらかと言えば「出自を微妙に隠す」みたいな雰囲気があったが、「それは間違いである!」と断定して学校案内もどの資料も学院神社」を前面に押し出して「本校の旗印」としたのである。戦後、神社神道は戦争犯罪の元凶とばかりに「民族的、右翼、国粋的等々のレッテル」を貼られ、苦労した先人の思いを知っていただけに「古事記以来の日本文化の原点」を私は標榜し、新校舎がなった段階であらゆる場所に「神道の息吹」を生徒に感じて貰うように殊更務めた。結果としてそれは間違った戦略ではなく、逆に「明確な教育の理念」が受験生、保護者に認知されて生徒数が倍増したのである。神社神道を前面に押し出したことで我々は「ご神恩」「ご神慮」「ご神威」を戴き、「神風が吹いて浪速は復活」したのである。


 弥生3月1日、「高天原スポーツキャンパス・・・乾坤一擲ドリームフィールド」の竣功清祓い式を施工業者さんである日本道路さん、南海辰村建設さんはじめ関係者とラグビー部、サッカー部、アメリカンフットボール部、陸上競技部の選手代表、それにクラブ顧問の教員を入れてコロナ対策を徹底してささやかながら記念式典を行うことにした。大体この競技場のネーミングを見て欲しい。高天原は天上世界の事であり、乾坤とは古事記序文に最初に出て来る「天地のこと」である。ここに来る人、使う人に「自分は今どこにいるか」を知って欲しいが故である。私は豪華なクラブハウスに「神棚」を設置し、ここに「産土神」と学院神社の神々の分霊をお祀りする。 



又大切な事は「伊勢神宮」の御事(おんこと)である。国旗掲揚台の傍に「神宮遥拝所」の碑を建てることにした。学院神社を設計建設してくれた松原工務店さんが過日「素晴らしい檜」を調達し、私に見せに来てくれた。この真新しい柱に私は墨痕鮮やかに揮毫し、それを彫ってこの美原の地から遠く伊勢市の内宮「天照大御神」を遥拝するのである。逆に言えばこの競技場は皇祖神、国家神である伊勢神宮の神々から見守られていることになる。霧雨が体に静かに降りかかり、体に沁み込んでいくような配慮が逆に深く静かに生徒の心に根を張って、「敬神崇祖」と「報恩感謝」の心を育むと私は信じて疑わない。教本や教義を振りかざして大声で宗教の根本を攻めるよりか、自然体で「風と体で感じる宗教・修養」として浪速学院の精神土台をこの地においても内外に明らかにするのだ。





2021年2月22日月曜日

「寄附行為(きふこうい)」って何なん?

私立学校は「公益法人の代表的」なものである。公益法人等とは、「法人税法」で定義された法人のことを言い、学校法人、一般社団法人等(公益社団法人・公益財団法人)非営利型法人に該当する一般社団法人・一般財団法人、社会福祉法人、宗教法人、等が該当する。これらは税法から特別な優遇措置が図られており、その行う「公益目的事業」を収益事業の範囲から除外する、すなわちこの部分が「税免除」されており、ここが営利目的の民間の株式会社等と根本的に異なる点である。従って組織のトップの呼称も会社のように「社長、会長、代表取締役等」とは呼ばず、「理事長」「会長」と言うケースが多い。

 先ほど大きな問題となった「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」は公益財団法人である。とにかく公益法人は「税法上の特典」を受けているだけに法人の運営には極めて厳格なものが求められている。その運営の根幹を規制するものが「寄附行為」である。「きふこうい」と読むのだが、これが一般の方には分かりづらい。東京オリンピック組織委員会の騒動でもテレビのMCや司会者は森会長、川淵候補、そして最終的に「橋本会長」に落ち着くまで「寄附行為」を語り、「理事会や理事選出の手順」等について言及していたが、さも「一夜漬け知識」みたいに見えた。このように寄附行為は意外と知られていないのが現実である。

 「企業における定款(ていかん)」と考えれば分かり易いが、今度は企業における定款って何?という人も少なからず居る筈である。定款は、企業の目的・組織・活動・構成員などについての基本規則で、学校法人においても同様なもので、学校法人を設立する際には文科省の認可を受ける必要があり、寄附行為には、法律で定められた、絶対に記載しなければならない「必要的記載事項」がある。必要的記載事項 とは「私立学校法」に拠れば1.目的 2.名称 3.設置校の名称・種類 4.事務所所在地 「5.役員の定数、任期、選任及び解任の方法その他役員に関する規定 6.理事会に関する規定 7.評議員会及び評議員に関する規定」 8.資産及び会計に関する規定 9.収益事業を行う場合の事業の種類・規定 等で、当然だが、とにかく役員に関する規定が多い。

 この寄付行為の名称と名前の由来は、学校法人という法人格が認められる以前は、旧民法上の財団法人の扱いであった。財団法人は設立の際に寄附を行うところから、「寄附された財産の使われ方の基本規則」を寄附行為と呼び、学校法人という法人格が認められてからも、その「名残が残っている」ということのようであるがその他諸説ある。本ブログの結論を急ごう。学校法人浪速学院は本年4月1日付けで本校の寄附行為を改編し理事総数を現在の9人から10人に増強し、新たに新理事を1人外部から招聘する。



目的は学校法人の役員を神社界のみならず広く門戸を開き、万機公論に与する為で、今回有名な大手企業の取締役・常務執行役員のお方を理事・評議員としてお迎えするのだ。約1年前に私はこの会社の本社に赴き、社長・CEOに直にお願いしてようやく実現した。先週の18日にその候補者に学校に来て頂き、初めて面談させて頂いたが大変立派な学識経験豊かなお方でお人柄も素晴らしく、大変心強く思った。短い時間だったが校内の見学に熱心に集中するお姿が全てを物語っていた。帰社後にすぐお礼のメールが来たのには驚いたが、ここが仕事の出来る民間人である。3月26日の理事会・評議員会で正式に本選を行い決定する。今私の心は「万々歳」である。外部の血を入れなければならない。今回の人事は必ず本法人、本校の為になる筈だ。



2021年2月19日金曜日

理事長・学院長・・・異例の授業参観

 







本日、3限目に理事長・学院長先生は、国語科のS先生の授業を参観されました。通常は専任教諭候補者等の計画的に定められた参観ですが、昨年末に先生から急遽行くと言われて、計画されたものでした。

対象は1年生のクラスで使用教材は「国語総合古典編」から「伊勢物語東下り」でありました。参観後、先生はS教諭をお部屋に呼ばれ、色々と授業の印象や指導事項などを高校校長、国語科の教科長同席でご指導をなされていました。本校では理事長・学院長先生の授業参観は大きな意味を持ちます。(K

2021年2月18日木曜日

職員会議・・・来年度の体制発表

 




本日は16時から職員会議の日でした。冒頭、入試広報部所管のD教頭先生から中学、高校の入試業務について、まとめと全教職員にお礼の言葉がありました。その後、理事長・学院長先生から入学者数の予想とクラス数の見通しを述べられ、3,030人もの府立中学の卒業生が減少する少子化の中で、昨年度並みの入学者数の見通しを得たことは偏に入試広報部始め、ここにいる教職員の本年度の働きの成果であり、深く慰労と感謝の意を捧げたいとお話されました。そして、来年度の校務運営の体制について正式な発表がありました。(K

2021年2月17日水曜日

ブラック校則問題

雪交じりの寒い登校時間帯であった。今日は本当に本校では最後の最後となる「高校1.5次入試の日」であった。もしコロナ対応で必要であれば来週の26日に2次入試を打つ予定であったが、その必要が無くなったので、今日で終止符を打ったのである。他校では生徒を集めるために2次入試まで実施する学校もある。このようにして府内中学3年生の進路を保証する仕組みを私立高校は徹底して設定している。「15の春を泣かせるな」である。1.5次は他校で運悪く不合格になり、次に浪速を狙って受験する者で専願、併願どちらもある。その数は結構多く、我々としては誠意を持って、温かく粛々と進めるだけである。

 

5教科全てを在校生が通常の授業を受けているさ中で同時並行で実施するが、対応する教員の数は1次入試と変わらない。1800人の受験者と数十人の受験者でもやるべきことに変わりはないからである。しかし今日で名実ともに1月初旬から始まった私立学校の「入試シーズン」は終わりを告げ、明日以降は令和3年度の体制作りに入る。まずこの新入学生を束ねる新一年生の学年主任は既に内心では決めているが明日の職員会議で公表する。「花の学年主任」と言い、学年主任は各担任団を纏め生徒の為に入学式から3年後の卒業式まで一貫して頑張って貰わないといけない。学年主任が務まれば「一人前のベテラン幹部教師」と言う事が出来る。


ところで今朝の朝刊各紙は羽曳野にある府立懐風館高校の校則「黒染め問題」について大阪地裁の判決を詳細に報じていた。判決はこの「校則は合理的」であり「髪の茶染め」を黒染めにするよう指導することには「違法性は無い」との内容である。この問題は全国に「ブラック校則」問題と物議を醸したケースであったがこれで一応の法的判例が出たことになる。保護者からまだ保護下にあって勉学中の身であり、髪染めの原資も定かでない成長過程の子どもが学校と言う団体生活の中で一人だけ、華美に見える茶染めは少しおかしいよ、今は勉強や運動に集中したらどうかと指導するのが生徒の為と我々は捉えており、これが認められたということだ。問題は丁寧な対応をすることで今回の判決では学校側が教室に席を置かず、名列から削除し、修学旅行にも行かせなかったことが問題とされ府側に33万円の賠償を命じた。このような行為が5か月間も続いたというから当然、生徒は「不登校」になったという。


 我々からすれば信じられない行為でこれは「教育的指導ではない」。あくまで髪染め問題は教育的配慮で実施する行為であり、このような行為は少なくとも本校ではあり得ない。しかし私を暗くさせるのは何時も背後にブラック校則と煽る知識人や組織がいることで原告側の代理人である弁護士は「大人が自由に出来ることを高校生だから規制して良い、校則は問題ないというのはおかしい」と宣う人々の頭の思考回路である。私は声を大にして言いたい。「高校生と大人は同じ人間だが捉え方が根本的に違うのです!」。今回の判決を不満として控訴するとあったが、さらにこの問題が長引けば、当事者が特定され、二次被害が出なければ良いがと願う。私には双方に痛み分けの良い判決だと思うがなー、弁護士さん!早速4月以降新入生には本校では「茶染めは駄目よ」と言わねばならない。

2021年2月16日火曜日

こういう時こそ「様子見」で変えない!

昨日は学校にとって最も重要な「来年度の学校行事」について担当者原案の説明を受け、最終決裁をした。これで「来年度、学校がどう動くか」が確定したと言える。高校、中学の教頭に帯同して高校教務部長、中学教務進路部長の4人である。言ってみれば学校の教務部長は法務大臣、内閣法制局長官、文部科学大臣を兼任しているような重要な役職であり、その集約がすべて学校行事に出ている。二人とも「良く出来る男」だが、今年ほど「歯切れの悪い」「何か奥歯にものの挟まった」「煮え切らない」「確信の持てない」学校行事の編成は初めてだったと彼らの顔に出ていた。私も全く同感である。



そうだろうと思う。コロナが4月以降どうなるのかさっぱり予測できないからである。だからと言って今年みたいに「あれも中止、これも中止、こちらは延期」では行事が設定できない。結論としてはコロナに見舞われた今年の実績の行事を踏襲する形で編成するしかなかったという。大きな課題が修学旅行の時期と行先であった。高校の海外修学旅行は不可能と踏んで国内で行先に入れ、これもまた初めての経験だが現高校2年生が3年に進級した5月に「修学旅行」ならず「修学行事」として「USJで仲間と共に楽しむ」として入れている事だった。それに7月の「伊勢修養学舎」もどのような形になるかさっぱり分からないが取り敢えず入れるだけは入れたのである。

 


私はこの席で「今、あたふたしても始まらない」、なるようにしかならないのだから気持ちだけは「柔軟に」に持っておこうと言った。コロナ禍で世界が、そして日本社会が大変な時には「じっと静かに様子を見る」のも一つの知恵である。即ち「様子見で余り変えない」のである。ここぞとばかりに「あれこれ変える」のは余り良い結果を生まないと思う。特に人である。「人こそ資産」であり、一朝一夕にて人材は育たない。年月をかけて浪速ファミリーになってくれた優秀な人材はまさに「人財」である。この人たちを大切にすることは経営にとって重要な事だとの信念に揺るぎはない。入試活動の山場が過ぎて今の私は来年度の体制作りに気を向けて準備している最中だ。

 まず今の私の事務秘書の仕事を14年間受け持ってくれている女性事務員さん、「本校勤続50年を超える大ベテラン」だが、私の方から来年度も続投して欲しいとの要望に対して前向きに「受諾」して貰った。私には精神衛生上、気心の分かったこの人で心が落ち着く。「人生100年時代」だ。歳を取ったから仕事は辞めるというのは古臭い。少し余裕を持った仕事の配分で余暇を楽しむ、人生をエンジョイする生き方をして欲しいと思う。その場合でも「社会との繋がり」があれば何事にも前向きになれる筈である。「定年になったからバイバイ」という時代は過ぎ去った。少なくとも本校では無くなった。

 もう一人のお方は元立派な警察官で今から10年前に本校で契約した生徒生活指導部応援のSさんである。堺駅から沿線の駅や電車の中で本校の生徒を見守りながら指導してくれる「隠れ生指部員」と言える。最も「お顔はバレバレ」だがそれでも朝の登校時にその顔を見ると生徒は身を律するから間違いなく「抑止効果」はある。何よりこの方は「浪速が大好き、浪速の生徒が大好き」な事が私を喜ばせる。今朝も「先生、本当に良い生徒ばかりになりましたねー」と言ってくれた。今年76歳になられるが来年度も続投をお願いしたところ、「待ってました!」とばかりの笑顔で受諾して頂いた。 



 

2021年2月15日月曜日

人事の季節到来

入試作業が一段落し、「人事の季節」が到来している。人事とは、組織の人材を管理する仕事である。採用から配置、評価、昇進、昇給、役職当てはめ、等々極めて重要な仕事である。しかし企業と違って学校組織ではニュアンスが少し異なる。元々学校社会には組織と言う空気は希薄である。国語、数学、英語から体育まで全ての教員が国家資格を有し「専門店の社長さんの集まり」みたいなものである。これが戦後学校社会の良い点でもあったが時代の進化と共に学校の改革を阻害する要因であったと思う。公立に準じたふるまいだけの私立では立ち行かなくなってきた。少子化の中で独立独歩、「自らが生きる糧」を稼いでいかなければならない私立がそうであってはならない。私は着任以来「浪速学院の組織化」にまい進してきたと言っても過言ではない。

 


人事権は公立教員の場合は「教育委員会」が持ち、私立では「理事会」である。「理事会を総理する理事長の権限」は大きい。令和2年度校務運営の要となる高校、中学の校長と教頭を新しく発令した。14年間校長職を務めて来た私も自ら決断し「スパッ」と退任した。新時代を見据え、準備するのも私の大切な仕事であると考えたからである。しかしこの一年、内心では「一抹の不安」を持って見詰めていたが、1年経って新体制は上手く離陸し安定した上昇気流に乗ったと思う。それは中学、高校共に新年度の入学者数が前年並み以上が見込めるからである。すべては数値が示し、それが結果である。あれこれ「ごちゃごちゃ」言っても組織が盤石なのは入学者数であり、これさえ担保されておれは学校が揺るがない。

 結果が出れば、それを「成果で反映」するのは理事長の仕事である。口先三寸、「ご苦労様、有難う」だけでは誰も本気が続かないと思う。私は今日の給料日に専任教諭に一律5万円を一時金として例月給与に加算して支給した。これは昨年末の賞与・一時金で決算の為に経営協力して頂いた分の「お返し」である。前述したように令和3年度も今までと同じような生徒や教職員への処遇が存続できると今年の入試結果から見えてきたからである。職員代表のY先生が部屋に来て「先生、有難うございました。皆、喜んでいます」と笑顔で言ってくれた。私の素早い反応、迅速な行動が教職員には正しく伝わる。やはり仕事のプロには感謝の気持ちを表すにはお金であり物だ。言葉の評価だけでは軽い。

 


本校の管理職の任期は内規で「1年任期」としている。とにかく1年間、必死になって頑張って貰うのだ。しかし再任は妨げないことになっているので過日、私は今の体制で校長、教頭は「続投」を申し渡した。そのうえで組織強化の為にM理事を「常務理事」に昇格させ、高校教頭一人体制では生徒数と教員数の多さを考え、今以上に管理密度を更に上げるために「高校教頭補佐を一人設置」することを決めた。更に縦組織の強化だけではなく、横組織の強化の為に現在1名の「指導教諭」を更に2ないし3人発令することを考慮している。現在他の外部理事と協議中である。これで万全の体制と言える。すべては「親心」である。今日の校務運営委員会で皆に伝達した。

 



指導教諭とは、児童・生徒の教育をつかさどり、並びに教諭その他の職員に対して、教育指導の改善および充実等の為に必要な指導及び助言を行う学校職員のことであり、根拠となる法律規定は、2008年(平成20年)41日から施行されている。学校教育法には明確には定義されていないが、教頭には至らないが、実務的に教頭または主幹教諭・主任教諭と同等の職務を執行する職階で、指導教諭、主幹教諭、首席教諭、主事とか学校の設置者ごとにさまざまな内部呼称を使用している。管理職ではないが予備軍とも言える。大阪府では専門的な知識や経験を活用し、教職員の指導力の向上を図る指導教諭という役職をかつてから置いており、 若い年齢層の教員に対して早い時期から管理職候補者として、管理職に必要な資質とスキルを身に付けさせる為だ。 本校もそれに倣ったのである。

2021年2月12日金曜日

「明鏡止水」ならず「人事を尽くして天命を待つ」

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森さんが「明鏡止水」と言う言葉を残されて会長職を辞される。明鏡止水とは、邪念のない、落ち着いた静かな心境をいう言葉だが、内心はそのようなものではなかろう。女性蔑視発言の責任を取って辞任をされるのだが、個人的に残念でならない。総理を務められ、今日まで多くの功績を挙げられ、83歳の御高齢で病気と闘いながら、世界とネットワークを組み、大きな「存在感」を持ってここまで組織を引っ張って来られたお人である。何時から日本人は寛容さを失ったのか。あれはまさに集団リンチみたいなもので不愉快極まりない。 

寛容こそ日本人の美徳であると信じている私には連日連夜の報道は目に余るものだった。正式に謝罪をされたではないか。一度の失敗を許すことは出来ないのか!後5か月後に迫りコロナ禍の中で五輪が今後どうなっていくのか心配である。誰であれ、組織内の一人の失敗を全員が一枚岩になってカバーし、全力で立ち向かっていくのが「国益を守る」ことだと私は思う。日本人は変わったのか。擁護する意見もあっただろうにそれは全く報道されないし、あの騒ぎなら擁護など言い出せば火の粉が我が身に降りかかってくるから、まさに異常な世の中である。国内外で反発や批判というが国内で騒ぐから海外でも話題になるのである。「寛容さと許すという国民風土」を無くしたら、生き辛い世の中になっていく。コロナの上に今回の騒動は私の気持ちを更に萎えさせるものでとても明鏡止水どころではない。 

私の今の気持ちは「人事を尽くして天命を待つ」である。自分の全力をかけて努力をしたら、その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにあるのだから、どのような結果になろうとも悔いはないという心境のたとえだ。10日が筆記試験、11日が採点、そして今日が12日と入試作業も3日目に入った。早朝、理事長・学院長を交えた入試広報部作成の原案を私の部屋で全管理職が集まり、数値を眺めながら議論し、その後の「合否判定会議」に上程する原案の最終案を決める。判定会議の出席メンバーは校務運営委員会のメンバー並びに教科主任が加わり、そこで正式決定がなされる。その後、教務部と情報委員会が印刷物のアウトプットを出して「合否通知の封入」作業だ。個人宛と中学校宛に出す封筒で氏名や学校名などが「入れ違い」にでもなったら「万事休す」である。個人情報がさらけ出ることだけは絶対に避けなければならない。一番気を使う場面である。しかし極めて順調に終わり、正午には封筒入れが完了した。素晴らしい。


このようにして私立高校の入試作業は続いていく。小緊張が3日間も続くと結構しんどいが、数が多いのは逆に「やりがい」もあって蓄積される疲労ではない。本校では外部専願、外部併願、内部生で合計1728人分の封筒だから余程緊張感を持ってやらないと失敗する。ここだけは「口を酸っぱく」して言ってきたから幸い今までトラブルは無かった。しかし今まで無かったからと言って、今年もないとは限らないところがこの種の作業の大変なところである。「ペーパーレス」という考えは勿論あるが、まだそれが府内私立の主流にはなっていない。本校は今日の18時から20時の2時間、ホームページ上で「WEB合否発表」を例年行っているが、それでもまだ郵送がある。当面は「両刀使い」である。 

合否判定の事は詳しくは書けないが、概して今年の受験生は得点率が高い。嬉しい話であり、中学校から送られてきた「内申」の5段階評価でもヒストグラムの山が右側に寄っている感じである。過去のデータからシミュレーションをすると令和3年度も16クラス規模になるかも知れない。まだまだ変動要因はあるが、場合によっては17クラスも視野に入れての教員手配が必要かも知れない。男女別では何と、何と女生徒比率が初めて40%台に乗るかも知れない。名実ともに共学校になった。私は今日の判定会議で「浪速を希望する受験生」の為に「2月17日(水)に1.5次入試」を行う旨、決めてその準備に入るよう指示をした。今ここで満足し手を緩める訳にはいかない。

2021年2月11日木曜日

デジタル採点の凄さを実感!

今日は「建国記念の日」。正門には国旗が翻っている。「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966(昭和41)年に定められた。この2月11日という日付は、初代天皇である神武天皇が現在の樫原神宮の地において即位された日である。旧暦で言えば紀元前660年1月1日にあたるが、明治に入って新暦に換算した日付が2月11日である。従って今日は「皇紀」で言えば皇紀2681年2月11日となる。西暦は2021年だから我々日本人は西暦よりも長い悠久の歴史を持つ国民である。今日は国民の休日であるが我々は出勤日で昨日の高校入試の「採点作業」があった。

 


ところで今朝の新聞は2月1日付けの府公立中学校長会が中学3年生の第3回目となる公立高校進路希望調査結果を発表した。その数値を見ると公立関係者には厳しい現実がある。全日制普通高校139校で実に63校で「定員割れ」の可能性が明らかとなった。公立高校では3年連続で定員割れが起きると統廃合の対象になるのだが、何と今年は11校も対象になる。一方私学専願は「じわじわ」と上がってきており、鋼鉄のような公立の岩盤が徐々に崩れ始め、私学の存在感が増している状況から公私の比率が今後とも変わってくるとの想定は間違いないと思う。しかし「私学よ、増長せずに足元を固めよ」と私は自分に言い聞かせているのだ。

 それだけに我々私学は「受験生を大切に、誠意を持って対応」する必要がある。ましてや目の前にいる在校生こそが大切な「掌中の珠」との認識が必要である。今日は昨日実施した入学試験の採点作業があったが、結論から言おう。昔のような答案用紙の束の前で教員が「色鉛筆」を持って「〇や✖」などを記していく場面は本校ではなくなった。これは凄いことなんです!採点に当たる教員はパソコンの画面に釘付けとなって答案と向かい合い、二人一組で同じ個人の正答をチェックし二人が合致すれば正答として自動的に集計されていくシステムを導入したのである。

 




東京に本社を置く教育業界の新しいアウトソーサー「佑人社」とのコラボレーションで昨年は専門家が本校に来てくれ、色々とご指導を得て今年は2年目となった。システムはまさに簡単なもので、受験生の答案用紙が返ってきたら、それらをその場で高精度・高速のマシンで「スキャン」し、画像データをブラウザ上で採点する仕組みである。パソコンさえあれば、いつでもどこでも採点が始められる。一言で言えば「デジタル採点」である。これだと全教員がデータを共有し、採点ごとに集計されていく仕組みだから時間は大幅に短縮され、採点の正確さもあり、数学と理科は昨日の段階で採点が終わり、そして何と今朝の10時には全ての教科の採点作業が終わった。私は10時からのミーティングでこの辺のところを強調して全教職員に慰労と感謝の言葉を申し述べたのである。

 



要は近年、クローズアップされている「アウトソーシング」の典型的なもので、忙しい教員への「助っ人」である。学校にとって核となる業務は、言うまでもなく教師による学習指導や授業運営であり、その為に教師にとって大切なのは、生徒の学力を伸ばし個性を育む専門技術であり、延いては生徒とのコミュニケーションそのものであるが、その教師が、他の業務で手一杯になっていては本末転倒である。このシステムを昨年初期投資はあったが導入して本当に良かったと今回つくづく思った。

 このシステムは昨年、広報情報委員会のH先生が見つけ出してくれたもので、先のアラウンドで紹介した「ガチでしっかり、正確無比で仕事を進める教務部長」であるY教務部長とのコラボで実ったものである。教職員の働き方改革を進めていた私には「渡りに船」で飛びついた。このように組織のトップにこのような最新の武器を提案してくるところが凄いではないか。H先生もY先生も「IT使いの名人」であり、このような教師が学校を変えて行くのだろう。まだ本校にはIT達人教師が「ごまん」といるから、「デジタルスクール構想」の進展に向けて本当に将来が楽しみである。