2023年4月28日金曜日

外国からの賓客

 晴天に恵まれ、今日は高校、中学の「校外学習」の日であった。私の如き世代では「遠足」と言った方が分かり易い。何しろ高校で59クラス、中学で12クラスだから、付き添う教員は校長を含めてほぼ全員だ。30日の会場設営など準備作業で、今日から業者さんが入るから高校の教頭と教務部長は学校に居残ってそちらの準備や遠足グループや外部からの電話番にあたる。今日は素晴らしい天気だがどうも30日は崩れる予報である。しかし当然1年前、準備に入った段階から「雨天は意識して」おり、特に奉祝祭パートの場所はテント張りで「全天候型」にしているから全く問題はない。式典や祝賀会は建屋内だから雨風が強くとも全く問題は無い。神道の世界では「雨は天から降り、天は天照大御神である」と考えている私は一向に気にしていない。 

今日は祝賀会の席の配置を最終的に決めた。中央館6階の天空レストランで行う為、場所の大きさに限りがある。現在の席は一旦全て外に運び出し、シェラトンホテルから丸テーブルが持ち込まれる。その数は21テーブルだ。その席にご案内出来る人を決めなければならないし、その配置も気を遣う。常務理事、事務長と額と膝を突き合わせて検討したのも数回になる。社会的なポジション、本校との関係、寄付金の多寡など様々に頭を巡らせて配慮するのが礼儀である。中には「何で私の席は此処なの?」「名前リストで一番下に書かれている」等々の内心の不満はご本人は慶事に免じて「口には出されないが」、ご招待した側はそれに甘えてはいけないだろう。こういうところは徹底して考えるのは「ホスト」としての私の主義だからである。

大変お忙しい御身で予定が決まらず「すったもんだ」したが今回は外国からの賓客がわざわざこの式典の為に飛行機に乗って来て下さる。そのお方はフィリピン共和国の有力総合大学のパーペチュアル・ヘルプ大学の総長先生である。オーナーでもある。先に連携契約を行い、国際コースの語学研修をこの大学で行って以来親密な関係が続いている。今年もこの大学に生徒を派遣する。関空到着が一日遅れたが明日の午前中の便で来て下さると言う。マニラ空港を夜中の3時離陸と言うから本当に申し訳ないが有難い限りで本校では最高グレードの「おもてなし」させて頂く積りだ。21世紀の世界は東アジア、東南アジアであり、その期待できる中心国はフィリピンとマレーシアと私は個人的に考えており、「母国語が英語のフィリピン」は特に関心度が高い。

 
今後更なる両者の発展を祈念し私は今回の訪日を高く評価し、心より温かくお迎え致したいと思う。それが本校の将来の発展に繋がると信じて疑わない。ドクター、アンソニー・タマヨ総長より頂いたメッセージ(当方にて翻訳)は以下のようなもので本当に心強い。少し長くなるが後世の為に全文を紹介しておきたい。日本の一私立、それも大阪の一介の私立高校であるが、我々の視野は日本の大学への進学をまず考えるのは当然として、ぼつぼつ世界を視野にした「生徒の進路指導」を考える時期は来ている。そこが私立学校たる所以であり責任ではないか。

「ドクター、アンソニー、ホセ、 タマヨ 総長からの祝辞 全文紹介」

 「フィリピン・パーペチュアルヘルプ大学デルタを代表して、浪速高等学校の創立100周年を、心からお喜び申し上げます。この節目は、貴校が、その始まりと長年にわたる功績を振り返る機会となります。浪速高校は、1923年の創立以来、浄・明・正・直の建学の精神のもと、世界のさまざまな分野でリーダーとして活躍する卒業生を輩出してきました。 

 また、この学校の歴史に大きな足跡を残し、その成功に貢献した皆様を称えたいと思います。創立100周年を迎えた浪速高校が、これからも子供たちを照らす光であり続けますように。生徒たちに質の高い教育を提供し、将来のキャリアで活躍できる有能な卒業生を輩出するという使命を、これからも堅実に果たしていくことができますように。また、浪速高校が、現在の混乱した時代における困難の中にあっても、教育においてより大きな成功を収めることができるよう、献身的に努力し、その目標を実現するために一段と向上させることができますように願っております。 

 浪速高校が、私たちの生徒たちに質の高い教育を提供するためのパートナーの一人であることに、心から感謝します。学校間連携には、公式・非公式、あるいはその両方を組み合わせた、さまざまな連携活動があります。学校と大学のパートナーシップは、学生、教師、研究者が協力して、教育や学習活動に最先端の発展をもたらすことを目的としています。私たちのパートナーシップは、それぞれの学校を強化し、サポートし、さらには変革し、プログラムの質の向上、資源の効率的な利用、学生主導のイノベーションをもたらすことを目的としております。 

 私たちの学術提携は、国際的なレベルでの協力や教育、科学、技術交流を促進することに着目したものです。また、研究、研修、文化の普及の分野で卓越性を追求し、国際協力を共同創造し、発展させることを宣言します。

 最後に、私たちの友好関係は、学術的・文化的なチームワークの良き例であり、卓越性と質の高い教育を促進するものでもあります。私たちの大学は、浪速高校と協力し、フィリピンと日本両国で、生徒の可能性をさらに広げることのできるものであり、それを誇りに思います。 

 浪速高校の100周年記念式典は、より明るい未来の始まりです。創立記念日という節目に、パーペチュアルヘルプ大学は浪速高校と共にあります。神がこれからも貴校を祝福し、導いてくださいますように。あらためて、浪速高等学校にお祝いの言葉を申し上げます。ありがとうございます!

2023年4月27日木曜日

今日は30日奉祝祭の「習礼」を行った

 「習礼(しゅうらい)」という言葉がある。日本国語大辞典によると読みは“しゅうらい”が最初に出ている。「らい」は「礼」の呉音であり、元々は儀式の行なわれる前に、係の役人などがその礼式を予行すること、「大儀の練習」をすることで、私の存じ上げている神職の方々は「しゅらい」と読まれる。本日は10時から市内の由緒ある坐摩神社の渡邊宮司様が来校され、30日の開校100年奉祝祭の習礼があった。場所の確認や今回は本校のお家が神社である高校教頭や神道科の教諭も宮司様の指揮下ご奉仕するのでチーム内の役割分担などを斎行される宮司様自らご確認されたのである。今日は白袴姿であったが当日は「正式の衣冠束帯の装束」で務めて頂くことになっている。何故に坐摩神社かと言うと答えは明瞭で渡邊宮司は一般法人の「大阪国学院の理事長」であらせられるからだ。「浪速と大阪国学院との関係は??」 


実は本校の歴史は100年よりも長い。「創立の芽、源」が出た時を言う考え方もある。大学などではこの「創基」という考え方を取るところも多い。さすれば本校は明治15年11月4日に開設された「皇典研究所大阪分所」がスタートした時機を取るという考え方でも良い筈だ。ちなみにこの年、明治15年明治天皇は児童生徒に日本の道徳を明らかにして「幼学綱要」を命じ、まとめられて、これが明治23年の「教育勅語」の煥発に繋がっている。明治維新を成し遂げ我国は前途洋洋「坂の上の雲」の時代であった。


この皇典研究所は明治41年に発展的に「大阪国学院」に名称変更し、大阪では夕陽丘に校舎を定めて「神職の養成機関」であると同時に「神道精神鼓吹の場」として今日まで存続してきている。現在の大阪国学院は本町の大阪府神社庁ビル内に移転している。

 この大阪国学院こそ「本校生みの親」であり、「主筋」なのである。本校はこの財団法人大阪国学院から分離独立した学校法人なのである。それが「大正12年4月30日の旧制浪速中学校の開校の歴史」に繋がる。だから100周年の奉祝祭は是非とも大阪国学院の理事長である坐摩神社の渡邊宮司にお願いしたのである。それが筋と言うものであり、人間の情だと私は信じて疑わない。私はこのような関係論を大切にしたい。私が着任した当時の大阪国学院理事長は大阪府神社庁長、大阪天満宮宮司の寺井種伯先生でこの方に私は招聘された。「木村さんで駄目だったらこの学校を閉じる」とまで言われて私は決死の覚悟で学校改革に取り組み、教職員の理解と協力で「復活」した。そして次の大阪国学院理事長が坐摩神社の渡邊宮司なのである。本法人の有力理事を長い間お勤め頂いている。 


従って本校には生徒向けの学校行事上の創立記念日は5月1日としているが、正式には創立記念日としての記録は全く無くて前日の4月30日を開校記念日と言うのが適切なのである。源の元の皇典研究所大阪分所を「創基」に捉えれば本校は4月30日が開校100周年であり、創基141年になる。しかし歴史の長さなどは考えれば単なる「通過点」であり、大切なことは「今とこれからの100年」である。4月30日の奉祝祭が終われば100年は過去の話となる。

2023年4月26日水曜日

或る保護者からのメール

 昨日の3尺長胴大太鼓の入荷で「30日の開校100周年記念行事の準備」がほぼ整った感じだ。22日には100周年記念「祈願の碑」の設置も完了した。そして最大の眼目であった「映像と音響で100年を語る・・・夢の軌跡」のビデオも遂に完成した。素晴らしいものになった。これはこのアラウンドではまだ紹介出来ない。 




持ち場、持ち場で頑張ってくれた管理職以下教職員に感謝している。私が「完全主義者?」だから仕える部下(?)は大変だと容易に想像できるが、私に言わせれば特段難しい事を言っているのではなく、極々普通の常識を指導しているだけだ。それが理事長学院長の仕事だからである。その昔、斯界で良く言われた「社会の常識は教員の非常識、教員の常識は社会の非常識」と言われてはいけない。公式な学校行事で保護者や内外のお客様をお迎えする時の服装はそれなりの「身だしなみ」があるのが常識である。その昔私は有力な私学の理事長から、「昔の浪速の教員の服装ったら???」と言われたことがあるが、それは既に遠い昔、昔の話である。 

今朝、私宛にメールがあった。「4月22日の保護者による授業参観」にお越し頂いたお方からであるが、その中に教職員の服装について以下のようなお褒めの言葉があった。私は嬉しくてならない。「見ている人はちゃんと見ておられる」のである。既に本校の教職員は30日の奉祝祭における服装は私がとやかく言わなくとも分かっている。お客様をお迎えする心は「おもてなし」であり、当然中身も時間管理も食事も服装も全てが含まれたものが“おもてなし”である。組織の一員になるということは例外なく皆がベクトルを合わせて対応することが重要であり、誰一人「自分流」などがあってはならない。それは自分流ではなくて「自堕落な勝手気まま」ということだ。本校ではそれは許されない。 

学校法人 浪速学院 浪速高等学校・中学校

理事長・学院長 木村 智彦 様 

いつも大変お世話になっております。

私は、中学校1年〇組○○ 〇の父親である〇〇〇〇と申します。4月22日(土)、あの場でお声がけをしてしまい、大変失礼いたしました。

改めて、お会いできたことを光栄に思っております。そして、お忙しい中私の話に耳を傾けていただいたことに心から感謝申し上げます。 

私たちの家族は実家も近く、昔から浪速学院に関心を持ち、4月より娘が日々吹奏楽部で大変お世話になっております。入学してからの娘の充実した生活について、私たちは大変感謝しています。

参観日において、全教職員の方々がスーツでお出迎えいただき、また、気持ちの良い対応をしていただいたことにも思わず喜びがこみ上げてきました。 

私自身が、大学の野球部でコーチをしていた時に浪速高校からの選手たちが入部してくれたことがありました。その選手たちの人間性の高さに感銘を受けておりました。その時から、浪速学院が人間性を大切にする教育を提供していることを知り、娘をこの学校に入れることを決めました。今でも、その決断に自信を持っています。

入学式の当日も高校野球部の一年生が通学途上にごみを拾っているのを見かけ、その学生に声を掛けると、元気な挨拶が返ってきました。胸と目頭が熱くなりました。 

このような素晴らしい教育を提供していただいていることに心から感謝しております。今後とも、浪速学院がますます発展し、多くの生徒たちが学びや成長を遂げることを心から願っております。 

最後になりますが、私たち家族も、浪速学院の「浄く、明るく、正しく、直く」という校訓に共感し、応援しております。これからも、どうかよろしくお願いいたします。

2023年4月25日火曜日

「3尺大太鼓」と電子オルガン「クロダ―トーン」

 この歳になると色々な会社さんとお付き合いをさせて頂いて来たが、これほど「長い歴史」を有する会社は石川県白山市の「浅野太鼓」さんだけだ。何と創業は慶長14年(1609)と言うから驚く。慶長時代は1596年から1615年までの期間を指し、日本史の時代区分では安土桃山時代と江戸時代を跨いでいる400年以上も前の話だ。秀吉が亡くなったのは1605年で大阪夏の陣、冬の陣はこれから10年後である。初代の播磨屋左衛門五郎・治郎が加賀藩前田家の招きによリ播磨国高木村から金沢の浅野村に移住し、浅野太鼓の前身である皮革製造業を創業したのが始まりと言う。この浅野太鼓さんからは90周年時に「鼉太鼓」を納入して貰い、今回100周年で「3尺大太鼓」となったのである。鼉太鼓と大太鼓を良く見える場所に並んで置く。「一見の価値あり」だと思う。 

この大太鼓も鼉太鼓と同じく「開校100周年を祝ってPTAより寄贈」をされたもので、大きいだけにお値段も相当高い。力のあるキップの良いPTAを有して我々は幸せである。発注時に私は今の太鼓よりも大きいものをと社長さんに言ったのだが持って来た案は2尺5寸であった。これでは「代り映えしない」と、その場で駄目を出し結局3尺太鼓となった。「こんな大きな太鼓は学校にはありません」と言っていたが「大きいことは良いこと」だと信じる私は拘った。しかし現物を前にするとその「大きさと威容に圧倒」された。更に、太鼓を載せる台座に拘り、富山県、天下に名の轟く井波彫刻の第一人者である伝統工芸士の畠山実先生に「上り龍 下り龍」の彫刻を施して貰った「逸品」となったのである。これで又本校の宝物が一つ増えた。PTAの皆様、有難うございました。私は思わず「高笑い」となった。余程嬉しかったのだろう。 




100周年行事の第三部は狭いながらも中央館6階の「天空レストラン」でシェラトン都ホテルから出張サービスでの「ノンアルコール祝賀会」である。会場の狭さから150人弱が一杯一杯でラウンドテーブルに6人で25テーブル用意した。それ以外のお客様はこれまたシェラトン都ホテル謹製の「お祝い弁当」をお持ち帰り頂く手筈となっている。海外を含む遠方からのお客様、府内有力なお付き合いただいている私立学校の理事長、校長先生、制服や卒業アルバム、修学旅行などで共に仕事をしているファミリー企業の方々、又校舎建設に当たってくれているゼネコンの方等々、本校OBPTA役員の方々のお席を決めるのがまさに苦吟であったが漸く案も出来た。この日の本校教職員は「おもてなし」にいそしみ、慶事用の箱弁当を食し、別途私は5月11日にスイスホテル大阪南海で大々的な内輪の大パーティを行って教職員を労う積りである。

この祝賀会でおもてなしする出し物はまず「映像と音響」で浪速の今を生徒が伝える内容である。古めかしい映像から今に生きる生徒達が躍動感あふれるダンスをしながら今の浪速を表する内容でこれは視聴したが素晴らしいものであった。生きるために食するが、共に同じ釜の飯を食らうことほど「絆を強める」ことは無いと言う。その祝賀会の席でサプライズとして二人の専任教諭が電子オルガンを弾き「神社神道の学校として宗教性の香り」を少しでも醸し出したいと言う。 


一人は音楽のW先生で、もう一人は社会科のM先生である。パイプオルガンの音色を追い求めたこの楽器はまさにそっくりで、昭和30年代から60年代にかけて故黒田一郎氏が発明した「クロダトーン」と言われる電子オルガンである。音楽家の道を歩いていた、私の妻が引退を機に学校にグランドピアノのコンサート用のC7とこのオルガンを寄贈してくれた。グランドピアノは中学校の音楽教室にある。天空レストランに置かれた、この極めて希少価値の高い電子オルガンで演奏する曲名は最初に「ベートーベンの歓喜の歌」次いで「久石譲の風の通り道」、そして「バッハの平均律クラビーヤ曲集第一番前奏曲とフーガ」とし最後は「エルガーの威風堂々」で締めることにした。又オルガンの位置も端から正面舞台に近い所に移動する。本日私は彼らの練習風景を見に行き、感じる処があって、このように決めた。


2023年4月24日月曜日

遂に後1週間後に迫った!

 昨日の日曜日も色々と時間を取られたが、身体が言う事を聞いてくれるうちは私には休みなどは無い。それが仕事だし、皆が喜んでくれるから動けるうちは動く。10時から本校の「ふくろうベースボールスタジアム」に急ぎ「硬式野球の公式戦春季大会」への応援だった。遂先日、遠山監督が部屋に来て「出来れば来て欲しい旨」の言葉があったからではない。大体何時も季節毎の初戦には行くようにしている。結果は10対0、5回コールドゲームで完勝したが、最近見ていないほど本校のピッチャーが大変良かった。リズムが良く、特に大きく曲がるスライダーが素晴らしく三振の山となった。「ははん、遠山さんが言っていたのはこのピッチャーの事」だなと私は思った。今年は良い投手が複数名揃っているらしく、夏の大会も期待出来そうで開校100周年の年度に良い結果を残してくれそうな予感がした。 

勝って直ぐに自宅に戻り、洋服を着替えて、今度は中之島の府立国際会議場に急いだ。昨日はここで「2023大阪私立中学校フェア」があり、本校のブースへの激励と他校のブースの状況を見るのが目的であった。ずっと16年間、この仕事だけは怠っていない。会場は小学校6年生と保護者で「むんむん」する位の混雑で今年は何か例年に比べ活気に満ちていたと思う。大変良い傾向であり、コロナは私立中学の評価に繋がったという識者の意見があるが、確かに大阪は東京に比べて公立中学対比で相当遅れているだけに今後「私立中学ブーム」が大阪に来るかもしれないと私も感じた。本校のブースは昨年対比で相談数も増えており、「良く面倒を見て貰える学校」との評判が上がっていると某保護者から聞くなど、手ごたえを感じたと担当の先生が言っていた。ブースの数は59だから59の私立中学がそれぞれ工夫を凝らし、頑張っておられた。昨日を起点として令和6年度入試に向けて長い生徒募集獲得作戦に入っていったと言える。 




さて今朝の最初の仕事は30日奉祝祭の式典のメインである「開校100周年記念式典」の動画の視聴から始まった。後1週間に迫り奉祝祭当日の足音が聞こえる。最後のチェックをして欲しいと言うので画像の大きい中央館ホールに出向いた。これは式典で流す「映像と音響」で振り返る「夢の軌跡」のMCの声の入った映像で今日届いたと言う。MCを務めるのは本校情報科の女性教諭でOGである。私が校長時代に入学を許可し卒業させ、一旦は東京のIT会社に勤務していたが母校に呼び戻し、教員免許を取得して貰い、教員として今後活躍して貰う考えのある、ITに強い有能な女性である。90周年時にはプロの司会者を頼んだが今回は本校の職員からに拘り私は彼女を抜擢した。浪高時代、放送部に属し大活躍してくれた経験があり、これを買っての事であるが、期待に違わず、声、間の取り方、リズムとにかく素晴らしい音声入れであった。私は政策担当のD教頭に「言う事無し」と高い評価を与えた。 


後は祝賀会の席の配置であり、これが結構難しい。私と常務理事、事務長の3人で頭を絞って検討しているが、皆さん、トップの方ばかりであり、最後は「慶事に免じてご無礼ご免」で行くしかないか?



2023年4月22日土曜日

「大阪府の将来に向けた公立高校の募集のあり方」について

 昨日、「大阪中高連傘下の校長部会」があって高校の飯田校長が参加し、今朝ほど私への報告があった。この外部会議は重要な内容が含まれているために私は気になる場所をチェックする。今回、目に留まったのは紙一枚の「大阪府の将来に向けた公立高校の募集のあり方」についてであった。要は今のやり方を「根本的に見直す」という意気込みと方向性の発表であるが、個人的には「言うは易く、行うは難し」ではないか。簡単ではないから先人は苦労して現在の公私の振り分けが行われてきており、これについて大きな問題や批判は耳には届いていない。令和4年度入試で公立高校は61.6%、私立高校は38.4%となっており、これは平成28年の66.9:33.1の比率からすれば私立入学の割合が5.4ポイント増えている。徐々に私学の比率が増えてきているのだが、これは私学側の涙ぐましい努力の成果であると私は思う。 

社会は規制を外し、行きたい学校、学びたい学校を目指す「学校選択の自由度を高める」のが大きな流れであり、これに掉さし、新たな規制で縛るという方向なら大きな混乱が生じる危険性があるのではないか。「条例をいう錦の御旗」で公立高校単位で毎年毎年、募集人員を変動させるのは地域の私立高校の収容能力にも大きな影響が出る。背景は公立の定員と募集人員との乖離である。私立は今や公立高校の受け皿ではないし、私立併願合格の公立受験失敗者の助け舟の役割も徐々に下がってきている。系列私立中学校からの進学、高校の私立専願がやはり「あるべき姿」である。今後どのような方向になるのか我々は注視しておく必要がある。昨日の会議で今年の私立高校95校で「本校は900人と何と府内96校のトップ」に位置した。歴史始まって以来の事である。別に数が多いから良いと言う訳ではないがそこには「努力の成果」がある。「ボォー」と突っ立っていて入学者が増える訳ではないだろう。公立は公立で私立は私立で生徒募集に努力する命題は今に始まったことではない。何十年も前から少子化は分かっていた筈だ。 

今日は高校、中学共に「保護者の授業参観日」であり実に3年振りだ。授業参観、懐かしい言葉だが授業料を負担して下さっている保護者に本校の先生方の授業を参観して貰うことは未来永劫重要だと考えて我々はやっている。これを止めるなどあり得ない。このような地道な手のかかる行為を継続する事こそ学校理解の切り札であり生徒獲得に繋がる。今日は浪速中学校はほぼ全員の保護者400人、高校は約900人と聞いている。特に中学校に関する保護者の関心が高まっていると思う。今年は148人と新記録の入学者となった。既に来年度入試に向けて広報活動は始まっている。明日は私立中学校フェアが終日、府立国際会議場で行われ、私も顔を出す。「よーい、ドン」の号砲が鳴る日だ。そして開校100周年事業である「新浪速中学校棟の建設」をこの4月30日に私は内外のお客様の前で高らかに宣言する。高価な投資であるがこれはやらねばならない。私立は他と比べ、どれだけの差別化がなされるかで決まる。良い先生を揃え、教育環境も教育の中味も他との差別化と近代化を常に進めて行く学校は強い。方向は決まっている。その道を信じてただスピードを上げて進むだけだ。









2023年4月21日金曜日

開校100周年記念「祈願の碑」が遂に建立された!

 「奇特」という言葉がある。「ご奇特な方ですね。」などと使われるが,これは褒め言葉か?という疑問を持たれている人も居ようが、これは間違いなく誉め言葉である。本来の意味は「優れて他と違って感心なこと」という意味だが、近年,「こんなものを買うなんて奇特なやつだ」など,奇妙とか風変わりの意でも使われるのを目にするが、これは重大な誤りである。現在開校100周年記念事業として「新浪速中学校棟の建設資金の募金」活動を行っているが何とまだ建設に入る前に既に1億円に届く募金額に達している。これは創立90周年時の募金に比べて極めて速いペースであり、私は本当に有難いと感謝申し上げている。これはご奇特な方が多いと言うことだ。 

PTA、同窓会のような定番の組織体からご寄付して頂くのは良く見る光景であるが、今回の寄付金の集まり状況を見ていると、まさに「奇特」としか言えないようなお方からある日突然にご寄付を確認するのだ。それも大口である。過日は既に退職して30年も経っているのに旧教員の先生が100万円、中学校の保護者から100万円、一昨日は高校生の保護者の方から100万円、昨日も高校生の保護者の方から50万円と私は正直お顔もお名前も知らない保護者からご寄付が届くと言葉を失うくらい有難く責任感が身体にみなぎる。加えて今回の特長は同窓会の名よりも在学中のクラブの仲間で作るクラブOB会からのご寄付が目立つ。昨日は硬式野球部のOB会会長さんが登校されて何と200万円のご寄付を頂いた。明日は弓道部が私へのアポを取っているから恐らく寄付金の持参だと思う。このようにご奇特としか言いようがないが本当に有難く頭が下がる。 


30日の奉祝祭まで後1週間強となった。カウントダウンが始まった。一昨日はビデオクリエーターという映像会社と画像とナレーションの進捗について報告があり、担当管理職と画像と言葉をチェックしていった。一言で言えば「大変に良く出来ており」私は安堵して満たされた気持ちになった。今まで数多くの周年記念式典に仕事柄参列させて頂いたが徹底した「映像と音響」で100年を表現する今回の本校の試みは初めての経験であるが、私は自信を持った。確かに一流のホテルで実施するのも合理的な方法であるが我々のように教職員と生徒が前面に出て「100年の過去と今、そして未来」を映像で手作りながらも自ら作り、場所を学校で行うことを私は誇りとしている。 



待望の「祈願の碑」が本日萩の窯元から届き、設置作業が進んだ。陶芸家である製造者が自ら届けて頂いたのである。昨日の段階で「台座」は既に設置されている。この「祈り」の彫像を設置しただけなのに既に学院神社のお光を背に受けて祈願の碑は後光を放っていたように私には見えた。今日のAroundでは全貌をお見せ出来ない。30日までの楽しみである。100周年記念碑として次の100年に向かって生徒と教職員が「心の内に何らかの祈願の思い」を持ち、学院神社に朝夕頭を垂れれば「心眼成就」となることは間違いなかろう。人間、謙虚な人柄こそ最大の徳性だと加齢と共に感じる。陶芸家の金子先生は不肖私が書いた「祈願」の書を所望されたので私は喜んでお渡しした。金子先生の作品はこの地で未来永劫燦然と屹立することになった。先生は如何にも喜びに浸っておられたご様子であり昼食後、ご多忙な身であり、そそくさ萩に向かってお帰りになった。




2023年4月19日水曜日

4月30日は本学院最高のおもてなしの場に!

 「おもてなし」とは、「客人」に対して心を込めて接遇、歓待、サービスなどをすることで、「もてなし」に丁寧語の「お」をつけた表現であるが、その意味は、相手に対して「裏表のない心」で接するということと、「私心なく誠実に」「大切な人を心からお迎えする」ということを言う。この言葉は少し音調を上げてゆっくりと「お・ も・ て ・な・ し」と使われたくらい、東京オリンピック以降、当時の流行語大賞にも選ばれた。今やすっかりなじみ深い日本と日本人の心を代表するキーワードとなっている。古くは、千利休の茶の湯や禅の教えとして伝わってきたとも言われており、「おもてなし」の精神は、まさに日本人ならではの精神と美徳である。 

「4月30日の開校100周年奉祝祭、式典、祝賀会」はまさしく学校法人浪速学院が務める内外のお客様への最高の「おもてなしの場」としたい。私は今朝ほど拡大管理職会議を持ってこの辺のポイントを説明した。おもてなしは誤解があってはならないが「もの、モノ、物、時間」も含まれる。何れも大切で、言葉や態度だけではなくて会場の「しつらえ」「映像や音響の素晴らしさ」「お出しするお食事」「お土産」「お迎えする服装」等もおもてなしに含まれると考えるべきである。又「流れるようなよどみない進行」もおもてなしである。お忙しい中をお越しくださったお客様の時間を無駄にしてはならない。「あぁ、今日は来て良かった!」と言って貰えるように最初から最後まで脚本を磨き上げ、その通りに我々が持ち場、持ち場で裏表なく「笑顔」で誠実にご対応することがおもてなしである。 


特に今回は海外の重要人物がわざわざこの日の為に来日されてご臨席下さる。フリッピンの総合大学である「パーペチュアル・ヘルプ大学(PHU)」のオーナー理事長・総長先生である。昨年から国際コースの語学研修場所として大きな成果を上げた。今後は更に関係を発展させる考えが私にはある。腹蔵の案はあるがまだオープンには出来ない。私はこのお客様に対して自ら先頭に立っておもてなしを行う事を決めた。28日に関空から入って来られるので「非公式の歓迎レセプション」として天保山のレストランで夕食を共にする。翌29日の奉祝祭前日は先方の言葉で「理事長表敬訪問」ということで私の部屋で出迎える。これからが「公式訪問」となる。校内見学を行った後、マイクロバスに関係者が乗り込み校外施設のご視察をして頂く。 

「ふくろうベースボールスタジアム」「多聞尚学館」をご案内した後、私宅である「多聞茶寮」にご招待し、お茶室「久庵」にて「一服のお茶」を差し上げ「懐石昼食」とする。私邸へのご招待は最高のもてなしである。食後、デザートは多聞イチゴ園の大玉イチゴ「千早姫」を味わって頂き、又バスに乗り込み、美原の「高天原スポーツキャンパス」をご視察頂く。お客様は4人、当方は随行の教職員を入れて総勢10人以上でおもてなす。翌30日は公式行事のメインとなる奉祝祭、このお席も配置をどうするか現在検討中である。おもてなしは「亭主7分に客3分」と言われる言葉があるくらい、お客様より亭主即ちホスト側の喜びだと教えて貰ったことがある。神社神道の学校行事に海外の、それもカソリックの神道のトップをおもてなしする機会を頂いたと私は喜んでいるのだ。



2023年4月18日火曜日

100周年目の宝物「織額 花鳥御鏡錦」

 4月17日、伊勢神宮の大宮司様のご名代としてナンバー2のK少宮司様がご来校され本校100周年のお祝いのお品を我々に下さった。K少宮司様は神宮崇敬会の理事長でもあらせられ、70年以上に亘って伊勢修養学舎でお伊勢さんとは長いご厚誼を頂いてはいると言え、わざわざトップがご持参くださったのには恐懼した。さすが神宮様であり単に品物を届けるというのではなくて「何をどうして、どのような由来、趣旨で、誰が制作」とまで完璧なまでに用意してご説明下さった。本校とのゆかりを随所に織り込んだ作品となっているところが嬉しい。この織額は昨日から「本校の宝物」になった。未来永劫大切にしていきたいと思う。当面は防火保管庫に入れ、設置する場所を考えて行きたい。頂いた文章は以下の通りである。 

浪速学院殿 創立百周年記念品

        織額「花鳥御鏡錦(かちょうみかがみにしき)」について

令和五年三月吉日

伊勢神宮崇敬会

1.品目

織額「花鳥(かちょう)御鏡(みかがみ)(にしき)」  1

2.内容

 この度、貴学院の嘉年を寿ぐ特別な織(おり)(がく)を謹製しました。神宮式年遷宮に際し新宮に奉られる御神宝鏡の印象を映した、美術織物「花鳥御鏡錦」の飾り額です。貴学院の校章・エンブレムでもある神威籠(こも)った宝鏡の意匠は、古来わが国に於いて吉祥を表わす器財文として尊重され、様々な文物を飾ってきました。本品では金砂子を蒔いた趣の地に、威容堂々たる丹青(たんせい)2面の宝鏡を配しています。ここに見る円と八陵を象る鏡(きょう)(えん)と花鳥の遊ぶ鏡(きょう)(はい)は、皇大神宮と豊受大神宮に調進される、遷宮御料の御鏡に因んだ意匠です。

 古典の染織美に精通し、遷宮御準備にも参画する京都西陣の織元が、貴学院の校訓「浄明正直」を念頭に図柄を起こして各種絹糸・金糸の色沢(しきたく)を吟味し、織技ならではの厳かな光彩を追求しました。末永くご賞翫いただければ幸いです。 

3.製作者

 株式会社 龍村美術織物

4.備考

 本品の図案・配色を担ったのは、龍村美術織物制作部に所属される貴学院卒業生の山出谷氏です。同氏は日本染織界の重要な担い手であり、先の平成25年神宮式年遷宮に於ける御装束神宝織物類の調製では、四代龍村平藏氏(現会長)指揮のもとで優れた手腕を発揮されました。

 本件担当に関する所感を寄せていただいたので以下に記載します。 

  この度、浪速学院様に於かれましては創立100周年を迎えられ、誠におめでとう御座います。卒業後、20有余年を経てこのような形で母校の記念すべき節目に関わらせていただけたことにたいへん深いご縁を感じております。

 製作にあたりモチーフとさせていただきました宝鏡は白銅を材とし、立体的に彫り出した陰影のみで文様を表した銀濃淡の世界です。この意匠を如何に織物ならではの華さやかさで表現しようかと思案を重ねました。

 咲き誇る花の中で尾長鳥が吉兆を歌い舞う意匠から、澄みわたる空を背景に広がる天上の世界を思い描き、またかつて学び舎で教わった「浄明正直」の校訓を想起して、“浄く”明るくの言葉のイメージを色彩によっていっそう際立たせようと、染め色や金銀糸の選定に心を尽くしました。

 この作品が様々な方の目に触れ、“織物”に少しでも興味を持っていただくきっかけになれば幸いに存じます。

 浪速学院様の更なるご発展をお祈りし、織額「花鳥御鏡錦」を製作しました。

                       龍村美術織物 制作部 山出谷 士




2023年4月17日月曜日

神宮様より100周年のお祝いの宝物を受領

 4月30日の開校100周年奉祝祭行事の日まで遂に2週間後に迫って来た。最後の追い込みをかけて教職員や協力会社さんが頑張ってくれている。心配性の私自身と言えば、当然であるが最後の最後まで細部に目を凝らし、口を出し、チェックをする。私の生き方や辞書には「全て任せる、アッハハ!」という範囲は少ない。皆で協力して、ここ「16年間の浪速改革の成果を」正しく内外のお客様にご覧頂きたい、とのただ一心である。別に今更、この年で「ええかっこ」したいとはつゆつゆ思っていない。「4月30日は節目、けじめ」であり、これをやりきれば過去は振り向いてはいけない。今日から100周年祈願碑の工事が始まった。何と設置場所の下から祭事に掲げる御旗や幟の土台孔が出て来た。これにより当初の場所か右側に少しい移動することを関係者と決めた。このように何事も頭の中だけでは勝負はつかず、その都度その都度新しい事態の出現に対して判断して決めなければならないことがある。これがトップの責任である。 



13時神楽部に対して「装束の贈呈式」があった。まだ新1年生の入部は未だだがそれでも部員数は11人となり、現在保有の数では不足する為に新たに4セット購入した。神道の学校にとって神楽部と雅楽部は特別クラブであり、私が着任して創部し、今日まで育ててきたクラブである。衣装や楽器は高価であるが、それでも外部の手に頼ることなく、生徒による手作りの「雅楽と神楽の奉納」は必ず神様の御心に届く筈だ。今後とも神楽部、雅楽部、吹奏楽部の3部は理事長直轄の特別クラブとして支援して参る所存である。 


その後引き続いて、伊勢の神宮崇敬会のK理事長とW事務局長をお迎えした。丁度玄関ロビーに神楽部の生徒がいる所で彼女たちも歓迎の意を示してくれた。「挨拶が出来る」、こういうところが本校生徒の良い点である。ご来校の目的は「神宮崇敬会からの100周年記念品の受領」である。これは間違いなく本校の「宝物」となるだろう。「織額 花鳥御鏡錦」と言う。私は感激と感動に身体が震えた。これについては別途詳述したい。実質的には神宮様と崇敬会の両方のお気持ちである。K理事長は神宮の少宮司という重責を担われているお方で大変お忙しい中でのご来校下さり、自ら私に手渡されたのは極めて恐縮する事であった。M常務理事と筆頭理事のM先生の同席の下、暫しの歓談で時を過ごした。誠に有難い事であった。私は先の90周年時に頂いた絵画と鳥居、神宮ギャラリー、大祓詞額他をくまなくご案内申し上げた。お土産には多聞イチゴ園の大玉イチゴを用意させて頂いたのだが、大層お喜びでこれには格別に嬉しかった。 




前述したM筆頭理事は今日、寄付金100万円を他より預かって持参してくれた。ご本人の寄付金は既に頂いているが今回は友人の方からであり、そのお孫さんが本校の卒業生であった。本当に「孫は目に入れても痛くない」というのか、男子のお孫さんが可愛くてならないご様子で今や直接的な関係はないのだが、このようにして大学を卒業し、立派に育った「孫が今日有るのは浪速のお陰、だから100万円寄付」と言ってくださるのである。嬉しい限りであり教育と言う営為に従事する人間にとってまさしく幸せの一瞬である。招待状を早速ご送付申しあげた。

今日は色々と良い日であった。