2023年7月31日月曜日

中学校修学旅行は南海国際旅行さんにお願いした!

「南海電鉄」さんとのお付き合いが徐々に深まってきている。有難いことだ。今でも多くの生徒が南海電車に乗って登校してくる。南海電鉄さん本体からも法人役員としてK理事を出して頂いており、このお方のお陰で陰に陽に我々の教育活動は助けられているし、陽が当てられている感じである。先の100周年時にもご寄付を頂き、多くの方々が参列して下さった。又南海電鉄グループ企業さんとの距離も近くなっており、例えばこれらから本格的建設に入る新中学校棟の請負はこれまたグループの有力会社である「南海辰村建設」さんである。ちなみにこの南辰さんとは我々の「学校改革」と共に歩んで頂き、多くの新設備建設を見事にやって頂いた。最初の「浪速武道館」「高天原Kフィールドクラブハウス棟」「NS館」などは全て南海辰村さんの仕事で大きな効果を出している。 

又グループの有力企業である「南海国際旅行」とのお付き合いも長くなって来ている。伊勢やPTAなど日帰りツアーの企画と実行では実に丁寧で誠実な仕事ぶりは特筆すべきだと私は評価している。海外旅行や国内旅行、格安新幹線ツアーなどオリジナリティ豊かなツアーを企画し、信頼と実績のある会社だと確信した私は、ここで新たな仕事をして頂くことにした。旅行エージェントを標榜するのであれば「教育旅行、即ち修学旅行」を実行した方がより関係は深くなると考えた私は、本日社長さんにお越し頂き、来年度から浪速中学校3年生の修学旅行を一手に南海国際旅行さんにお願いしたいと申し上げた。旧制浪速中学校が開校して今年は100年、私はこの記念の節目の年に大切な中学校生徒の学校外での命を預かる修学旅行のエージェントに南海国際旅行さんの採用を決定したのである。

 


新中学校棟の建設に係る「確認済証」が正式に私宛に出され、遂に本日1本目のくい打ちが始まった。30メートル近い杭を合計30本以上も地中に打ち込み、基礎を固める。遂に本日本格的工事が始まった。記念すべき日だ。昼過ぎに伊勢でのHR合宿に行っていた中学1年生が2泊3日の宿泊合宿を終えて学校に戻って来た。出迎えた私は学校に戻った生徒の顔を見ながら、「この中学1年生が2年後の中学3年生になった時に最初の生徒としてこの新校舎に入る事になる」と思った。開校100年目の4月に入学した生徒が初めての使用者となるのだ。そして彼らは南海国際旅行さんの手配する旅程で翌年には修学旅行で屋久島に行く。このように何らかの意味付けを考えながら私は物事を動かしていく。これは性格であり癖かも知れない。全ての物事の成り行きには「物語が必要」と考える私は「タイミング」を考え、7月31日、新校舎の杭を打った、今日の佳き日に小さな、本校にとっては結構大きな物語を作って中学校修学旅行のエージェントを決め、物事を動かしたのである。




2023年7月29日土曜日

中学1年生も伊勢に、そして学校では高校のオープンキャンパスが、

 今日のアラウンドが遅くなったのは高校生全員が伊勢から戻ったことをこの目で確認したかったからだ。土曜日と言えども、大変に忙しい一日で、まず7時50分に高校2年生68人が伊勢に向かって日帰りの「お伊勢参り」に出発した。これは彼らが昨年の高校1年時にコロナの為、伊勢修養学舎に参加出来なかったから、学校としては生徒達への補講みたいなもので設定して行った行事である。要は在学中に一度は伊勢に行って貰う為の学校行事である。本校ではこのように必ず高校3年間の間に一度は伊勢神宮にお詣りする学校行事を「学校設定の必修科目」としているので参加出来なかったら卒業証書を出すことは出来ない内規が昔からある。正規の高校1年生の伊勢修養学舎4班は昼過ぎに無事に学校に戻ってきた。引率の学年主任から詳細な報告を受けたが、大きなトラブルも無く私は安堵した。校長、教頭、神道科の教員は伊勢に残り、上記高校2年生と帯同して動き、16時30分過ぎに学校に戻って来た。私は東征門でバスを出迎え、9日間と言う長丁場を見事にやりきってくれた「通し」の高校校長以下面々を部屋に呼び、伊勢の干物と伊勢うどんを手渡して慰労の言葉を述べた。猛暑の中、本当に良くやってくれたと思う。皆さん、声が枯れていた。 




伊勢は今日で終わりかというとそうではない。朝9時に今度は入れ代わり、中学1年生が「伊勢HR合宿」と称してバス4台にて出発した。恐らく名阪道の何処かで伊勢から戻る高校4班を載せたバス4台と伊勢に向かう中学生を載せたバス4台がすれ違ったに違いない。このようなことを想像するのは面白いものだ。私が着任した当時は中学生も伊勢修養学舎として「禊」なども入れた高校と同じフル企画としていたが、まだ小学校6年生気分の抜けていない中学1年生を考えると禊はリスクが高いと判断し、私は止めさせた。この案に当時の中学校のPTA役員と私は対立したが押し通した記憶が今でも鮮明である。浪速中学の生徒は浪速高校に進学して伊勢修養学舎でもう一度伊勢に来られる。私はこれで良かったと思っている。 


その代わり、皇學館大學のこの道の大家である渡邊教授の「道徳教育」の授業なども入れたものに改編し、とにかく神宮の深い森に身を置き、参拝を通じて崇高な神の存在を知り、自然の働きや人々の祈りに支えられて行かされているということへの感謝の気持ちを持たせるのが大きな目的である。内宮、外宮、伊雑宮に参拝し、授業も英・国・数の3科目を各4コマやるからかなりハードで就寝が午後11時頃になるから中学1年生には集団行動の鍛錬になる。この合宿を通じて早く一人前の中学生になって欲しいが故の企画であり、大きな効果を生んでいると自負している。

 伊勢行きが落ち着いた後は高校の「オープンキャンパス」が同時に進んでおり、そちらを視察した。館内何処にでもWI-FIが設定されておりまずオンラインで校長の学校説明がなされた。前撮りした動画でこれは中々良く出来ていた。評価したいと思う。その後教員が英語、国語、数学、理科、社会、書道、体育、情報の実際の授業を行った。これには少し課題があり後刻ミーティングを持って改善を指示した。生徒の部屋と保護者の部屋は隣り合わせにしてオンラインで繋いだから保護者もどのような授業かその場で分かる仕組みである。これがあるから本校では学校を休んでも自宅で授業を受けられるという事を理解して頂きたいからこのように「ハイブリッド授業」を入試広報部は企画した。何しろ参加者が総勢677人だから1部と2部に分割して行い、皆さん、満足されたご様子であった。しかし明日もある。 



「軟式野球部の活躍が凄い」ことになっている。阪南大高さんを破り、昨日は都島工業さんを破って明日は何回も優勝経験のある超強豪校であるあべの翔学さんとの試合だ。9時から住之江球場で行われる。これは実績や現状戦力を考えると実質的な決勝戦かも知れないと勝手に判断し応援に行くことにした。このように知る人ぞ知る、本校の軟式野球部は大阪の強豪校である。

2023年7月28日金曜日

”語るという事”

 昨日のアラウンドにおいて私は京都「お宿いしちょう」さんに赴き、高校3年生対象の大学受験特別対策講座において自分の言葉で生徒に「思うところ」を語ったことを書いたが、今日は学校で行われている「高校2年生トップ60」と銘打った学習強化講座で同じように生徒に語った。このように折に触れて「生徒に語ることが私の仕事」である。トップは何時も語らねばならない。原稿など用意して話すのは語りではなくてそれは「朗読」である。生徒の顔を見ながら「本音で語る」ことで私の存念は生徒に伝わる。従って私の場合原稿は無い。有っても頭の中で多くの引き出しから取り出してそれを語るのである。あくまで最後に決めるのは生徒自身であるが、その決断に至るまでに教育という営為を行っている学校の設置者として語るのは私の責任である。生徒と保護者は高い授業料を支払って本校に入学してくれ、毎日登校してくれているのだから、我々がまずやるべきことをやるのが私立学校である。 


語りは嘘偽りなどあってはならない。誇張も良くない。全てを正直にありのままに分かり易い日本語で話すのが私のやり方である。今回も君たちは本校でのトップ60ではあるが、全国の高校2年生の中ではトップ60どころではないというところから話を切り出した。大学は通過点でありあくまで自立した社会人になるのが目的であり、偏差値の高い大学を卒業するということは自分に向かってくる「機会」が多いというだけで世の中にはその飛んでくる機会を掴めない人が多いと続け、必ずしも人生の成功者とは有り得ないと話す。まず志を立て、今出来る事を一生懸命やることで努力、努力、努力が必要だと強調した。とにかく生徒の目線を釘付けにして努力への発火点に火を付ける為に「手を変え、品を変えて」私は生徒に語る。「おしゃべり」ではいけない。とにかく「熱く語る」のである。

昨年から始めた高校入試の為の「オープンキャンパス」の参加申込者が驚くような数値になっている。明日の29日と明後日の30日と2日連続で「授業体験会」を実施するのだが事前申し込み者は前年を大きく30%も上回っている。入試広報部長も驚いていた。極めて嬉しいことで「人気校」としての責任をしっかりと果たすように指示をしている。大阪府が進めている高校の完全授業料無償化施策の影響もあるのだろうが、ここ数年前から本校への入学希望者は増え続けており、無償化とは直接的には関係ないと思う。「良い学校だから人気がある」のであって、授業料が無償化でも受験生が良くないと思っている学校には受験生は行かない。私は「嬉しい悲鳴」を上げている。 

今日は天神祭りも終わったので完成した先の開校100周年記念事業の「記録映画のDVD」を持って天満宮の名誉宮司、本校の名誉理事長である寺井先生のご自宅を訪問し、色々とお話した。御年90歳になられるが「私などはまだまだ小僧」で今日も90歳まで頑張って欲しいと激励された。私が生徒に対して激励するような大ぶりな感じではなくて小さな声でゆっくりと諭されるように言われるとこちらも静かに耳を傾けるのである。人それぞれに語りの方法はあるが、御年90歳のお方の言葉は最早「お告げ」に近い。「人生の蓄積」とは素晴らしいものだ。私も90歳まで頑張ってみるかと、そのような気になるのだ。



2023年7月27日木曜日

京都「お宿 いしちょう」での受験対策講座

 朝8時に住居に3学年主任のI先生の迎えを受けて直接京都に向かった。ところが事情があって帰りは事務室のKさんが学校車で京都まで迎えに来てくれ、11時30分には学校に戻って来た。京都の行先は河原町にある「お宿 いしちょう」と言う旅館で、知る人は知る幕末の俊英木戸孝允こと桂小五郎の旧居跡にある格式高い旅館である。女将の出迎えを受けて既に到着していた生徒41人に対して「夏季学習合宿」の開講挨拶を行った。昨年から利用している旅館でサービスには満足しているから今年もここにしたのである。 


このように夏の間は修学旅行で京都に来る学校も少ないから結構良好な宿泊場所が取れる。広い館内は大学生とか本校みたいな高校生だから安心であり、高校3年生の中で偏差値の高い大学を目指している生徒が今日から8日間、毎日「受験勉強」と闘う。教員も入れ替わり京都入りして指導をしてくれる手筈で、校長は伊勢だから初日の開講式は私が来て生徒を激励したのである。差し入れとして「焼き立てパン」を山ほど持って来た。話した内容は一に「努力」、二に「努力」、三四が無くて五に「努力」である。時に私自身の高校生時代の話を交え、これからの人生へのキックオフとなるような学習合宿となるように幅広く話した。時間は20分、生徒は受験生だからその目は輝きしっかりと聞いてくれた。終わった後ロビーである生徒は「先生、有難うございました」と丁寧な礼の言葉があった。 



この旅館は明治維新の元勲として知られる木戸孝允の旧居跡に建てられた旅館で、幕末には桂小五郎と名乗り、長州藩士、勤王志士、明治時代初期の大政治家である。号は松菊と称し、この旅館には石長松菊園という高級旅館もある。47歳と言う若さで早世したが、とにかく大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。私はここにくると木戸孝允の実物の写真や直筆の手紙などを見るのが楽しみである。生徒たちにもこの宿は京の風情溢れるなかにある木戸孝允ゆかりの宿だと話したが恐らく頭には残っていないと思う。しかし何かの調子にこの旅館の事がこれからの彼らの長い人生の何処かにおいて出て来るであろう。近代国家となった我が国はここ京都の地を中心に、多くの若者の熱量で維新が成就したのであり、「若者の特権は自分を変え周囲を変えることが出来る」と話したがこれも幾分難しかったかも知れない。まだ頭には志望する大学への合格しかないから。



2023年7月26日水曜日

関西2府4県、私立中学人気が新記録に!

 産経新聞らしからぬと言う人も居るかも知れないが、私は「さすが産経」と感じた。25日の朝刊トップ記事に産経は「近畿圏の私立中学人気について」詳しく記事にしていた。産経のみの報道であった。さすが視点が大きい。この春の「関西2府4県の私立中学受験率が14年振りに10%を超えて10.01%の新記録」となった。少子化の進展で小学校6年生の数は減少している中で私立中学に顔を向けている受験生や保護者が増えているのである。浪速中学校でもこの春の入学者は148人と過去新記録となっている。この傾向はまだまだ続くと私は踏んでいる。首都圏は何と関西の10%に相当する数値が22.95%とこれまた新記録である。関西と首都圏を比較すると倍以上の開きがあり、これが私の強気の理由だ。まだまだ関西私立の伸び代はある。


この現象は間違いなく「コロナ禍」がもたらしたもので「私学教育の教育環境が評価」されたと記事にはある。「オンライン教育、ICT教育、徹底した生徒の面倒見の良さ」などが背景にあるのだが、中学受験のポイントはまず「進学校であること」、そして「グローバル教育の展開」、「サイエンス教育の展開」があるとも報じていた。全くその通りで子供を私学に通わせるのはこれらの分野への強い期待があるからである。記事には「大学系列か付属校」の位置づけが有利ともあったが、これについては私の考えは将来の可能性を否定しないが、今は「独立した私立中学」として頑張って行く積りだ。どこかの大学に引っ付いているよりか自由独立で進路に自由選択権があるのも悪くは無い。

 新中学校校舎の建設現場を視察したが今週末くらいから地中にパイルを打ち込んで基礎を固めていくのだろう。大きな重機が既に据えられ、パイルを入れるための孔穿孔の機械も到着していた。この校舎は日本の私立中学で今まで無かったような革新的な校舎にする。2年後には竣工するが、特に素晴らしいハード面に相当するソフトウエアを高めて行かねばならない。あくまで問われるのは「教育の中味」であって容れ物ではない。校長、教頭、分掌長、担任等、教員の腕が問われる場面である。「甘い考え」では取り残される。「危機感を持て、今がチャンス」と私は言いたい。徹底して浪速中学校の存在意義を高めよ。「仕事をせよ!」。 それにしても地上6階の建物だから据えられた重機も背が高いものだった。




高校校長主導の「伊勢修養学舎」は順調に進行している。明日は最後の4班が学校を出発する。私も再度飛んでいき五十鈴川に身を投じて「禊」をしたいがそれが出来ないのが残念だ。学校は今日で特別講習が終わり、明日からは京都の「お宿いしちょう」で高校3年生の受験特訓が始まる。私は開講式に出て生徒を「鼓舞」しなければならない。これは予定通り実施するが高校2年生の「多聞尚学館」での学習強化合宿はコロナ対策として宿泊を止めて学校において日帰りで行うことにした。校長がインターハイ全国大会出場のテニス部の応援で北海道に飛ぶので、私は8月1日から始まる「イングリッシュキャンプ」の開講式に出てこれまた熱く生徒への激励を行う積りだ。この種の学校行事は校長と二人、手分けして仕事をしているが、私は生徒の為なら何でも何回でもやる。これが実に楽しい。


2023年7月22日土曜日

開校100年目の伊勢修養学舎

 昨日の7時50分に学校車を使って伊勢に向かって出発した。運転するのは事務室のKさんで、順調に予定をこなし、先ほど学校に帰着した。2019年から2022年と4年間はコロナで中止あるいは「お伊勢参り」と形を変えて「時を待ち」、今ようやく完全な形での「伊勢修養学舎」が持てた。「感激の極み」である。本校にとってこれだけはやりたい、やらねばならないと念願していた開校100年目に復活出来て「神様も味な事をして下さった」と言う感じだ。通算70回目の伊勢修養学舎は合計4班に分かれて約900人の高校1年生対象に21日から始まり29日まで続く。私は第1班に帯同した。公的身分であるが、私人としても、何とか「禊」だけはやりたかったが、それが実現できた。 



高校校長職を飯田校長にバトンタッチして3年が過ぎ、ぼつぼつ全面的に伊勢修養学舎の遂行権限を全面的に譲っても良いと判断していた。元来はこの伊勢修養学舎は校長の執行に成るもので、少なくとも理事長の業務ではない。しかし現在の修養学舎の形は校長時代の私が全面的に改編し今日に至っている。極めて「思い入れが深い」のである。今から10年前の2013年、本校90周年時に私は力を込めて「伊勢修養学舎60年史」を編纂した。総力を挙げてまとめたこの周年誌は本校の宝物になった。あれから10年、2023年の今年は伊勢は70年目であり、学校は開校して100年目となった。私は今年こそ、この伊勢修養学舎の開講式に出て100年目の生徒に「温故知新」を伝えねばならないと決心し、老骨に鞭打って伊勢に向かったのである。 


しかし不思議な事に私は伊勢に来ると何かパワーが身体にみなぎり、あの禊は何と言えない心地良さを私に与えてくれた。これなら五十鈴川の流れに身をゆだねても流されることはなく、まだまだ「平均年齢16歳の高校1年生に混じっても負けてはいない」と確信が持てた。極めて嬉しい発見であった。加齢に伴う体力の衰えに弱気になる必要はないと悟った。今年で伊勢も卒業と内心考えていたが、この考えを改め、来年も来ますと内宮の天照大御神様に私は誓ったのである。それに人間、生きておれば何かと「穢れ」が身に付くものだ。元来「お祓い」とはその穢れを取り去って清浄になるための具体的な行動が必要である。その清浄の究極は神様から頂いた本来の自分に立ち帰ることで、即ち神の御心と自分自身が一体になる機会が1年に例え一瞬でも1回くらい有っても良い。それが私にとっての伊勢修養学舎なのである。 



「大祓の詞」を生徒と共に奉唱し、禊の事前お稽古を生徒と真剣に行い、本番の禊を実行し、清浄な心と身で内宮の境内を歩き、内宮の拝殿前に打ち並んで「22拍手1拝」で「柏手」を打つと身体全体の「けがれ」が消え去り、人間として豊かな心を取り戻せ、身体が軽くなってきた。本校にとってこの「建学の精神を体現できる伊勢修養学舎」は今後とも最重要な学校行事として歴史に刻んでいかねばならない。「一生懸命に今を生きる」ことが神社神道精神を根本に持つ本校教育の真髄であり、これらは23日の伊勢修養学舎に全てが詰まっている。








2023年7月20日木曜日

開校100年目、1学期の終業式

 今日は「1学期の終業式」の日だった。今まで長い間学校に勤務して来たがこれほど長いと思った1学期は無かったように思う。何と言っても「4月30日の開校100周年行事」があったからで、まさに100年に一度の慶事に泰然自若を装っていた私も知らずにプレッシャーを受けていたのだろう。しかし今は、教職員総力で見事にやり切ったと自負している気持ちもあるから、その後も私は充実しており、未だに幸せな余情、余韻に浸っている感じだ。それくらい私個人にとっても何時も開校100年を意識しながら、「浪速改革の成功と成果」を常に気にしながら頑張って来た16年間の日々の積み重ねであった。しかしあの日「バーッ」と全部掃き出し、余韻の中に有ったのがこの1学期だったとも言える。私は今日の終業式を神様にお告げする「神前奉告の儀」で心から感謝の誠を捧げた。ご神慮、ご神恩のお陰で学校法人浪速学院は100年目の大きな山を今日越し、新たな道に歩み出した。私は生徒に対して「温故知新」と言う言葉を使って悠久の歴史にこそ人間の知恵はあると話した。 


「論語」の為政にある「温故知新」とは前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し、自分のものとすることであり、古いものをたずね求めて新しい事柄を知る意を言う。「温」はたずね、求めるの意で、一説には、冷たいものをあたため直し味わう意もあると国語辞典は教えてくれている。「故ふるきを温たずねて新あたらしきを知しる」または「故ふるきを温あたためて新あたらしきを知しる」と訓読する。昔のものに学ぶものは無いと言うのは余りにも傲岸不遜であり、歴史に学ぶことが出来るのは人間の特権だ。謙虚であれば人間は何にでも学習することは出来る。「歴史に学ぶ、失敗に学ぶ」は私の唯一絶対の信条である。 


今日は生徒達に先に使ったDVD「浪速100年 夢の軌跡 ヒューマンヒストリー」を上映した。決して学校の自慢話ではなくて「自分たちが学んでいる学校はどのような学校か」を知り、考えて貰う為である。この100年の間には今本校で学ぶ生徒にはうかがい知れない艱難辛苦の歴史があった。しかしその時時の中で生徒と教職員が団結し、浪速を護ってきたからこそ今があり、我らは楽しく充実した日々で成長し、明日の夢に向かって頑張っていることが出来るのは、まさしく学校の絆が今に続いているからであると私は生徒に諭した。 


昼過ぎに春の選抜で全国優勝を成し遂げた空手道部に遅れていた祝い金と道着をプレゼントする儀式を持ち、夏のインターハイでの優勝を期待する旨激励した。又8月中旬にアメリカとカナダに語学留学する生徒3人への留学激励金の授与式に臨んだ。そして14時から「1学期最後の職員会議」を持ち教職員に慰労の言葉を申し述べ1学期を終えたのであるが、私の仕事はまだまだ続き、明日からは「伊勢修養学舎」で高校1年生に帯同し、3年ぶりの五十鈴川での「禊」で心身を浄化してくる。