2022年12月23日金曜日

仕事納め「祈願」

 16日に理事会・評議員会、20日に終業式、その後の職員会議を終えて学校は全ての公式行事が終わった。最も中学校は今日まで午前中の4コマの特別講習があり、午後は「三者懇談」が続いている。高校も一部の生徒は登校し、大学受験の講習などもあり、又部活に「冬の汗」を流している生徒も多い。でも学校全体は受験生を除き「ほっと疲れ気味の安堵感」と「もうすぐに冬休みがくる」と言った喜びの雰囲気も感じられる。教職員は皆さんが「2学期も良く頑張ったな!」という気持ちではないか。学校は今日23日夕刻に正門を閉じ、年末年始の休暇の時に入る。「年始の仕事初めは5日」としている。休みが長いではないかとの問いなどは聞いたことは無いが、もしあれば「年間の労働時間で考えて下さい」と私は応える。本学院は既に10年以上も前から「年間変形労働時間制」をとっている日本でも先駆的な学校なのである。

 振り返ってみれば着任当時は自由労働制で誰が何時来て何時帰って行ったのか全く分からない状態だった。私は「タームカード方式」を直ぐに導入し、勤務状況を把握するようにした。時代の流れもあって直ぐに「個人へパソコンを貸与」し、時間管理の自前アプリを入れて最新のスタイルを導入した。そして間髪入れず「年間変形労働制」に切り替えたのである。この制度は労働時間を日単位、月単位・年単位で調整することで、学校が繁忙期等になれば勤務時間を幾分が増加し、逆に閑散期には短縮すると言う労働時間制度で、当時私はこの制度こそ学校勤務の教職員に相応しいと判断した。今、ようやく文部科学省や政権与党も検討に入っている。このシステムにより、夏休みと冬休みには休暇時間を少し増やせることが可能となった。我々はこれらを「リフレッシュ休暇」と表現している。 

令和4年最後の仕事が書道であった。担当より、今日23日までに100周年記念品の一つである「御朱印帳のタイトル」を毛筆で書いて欲しいと、納期もありメーカーからせがまれていると言うのである。タイトルは「祈願」とすることは前から考えていた。多くの方々は観光や旅行などで各地に出掛けられる。その時にこの御朱印帳に各お宮さんから記念の記帳をして貰えばそれは大きな生涯に亘る記念品になると考え採用したものである。最初の1ページ目には本校の「学院神社」のセピア色のイメージ図が来るようにデザインしている。素晴らしいものになるのは間違いない。100周年記念品は別途このアラウンドでも書くが5種類を用意した。それぞれの階層や寄付金の違いによって差し上げることを検討中である。 


私は終業式の後も21日、22日は来客応対や外部へのご挨拶など結構忙しかったが、それも今日の拡大管理職会議を以って「私の仕事納め」だ。従ってこのアラウンドも今日で暫しの休筆となる。1月以来私の「周辺での出来事」をアラウンドと称して拙文を書いて来たが、その数は今日のアップ分を入れて195件だから月間平均16件となった。書こうと思えば「ネタ」は山ほどあるのだが大体二日で1件のペースとし、昔よりアップ数を下げた。読んで下さった皆様にお礼を申し上げ、来年もご健康でありますことを学院神社の大神さまに祈願致しました。良いお年をお迎えください。




2022年12月20日火曜日

二人目のプロ野球選手が誕生!

 遂に今日で「2学期が終わった」。2学期の終業式は通常と違って一風違うものがある。高校生は授業で「総合的探究」が課せられているが、この間に高校3年生は3年間使って来た「自分専用のロッカー」の廃棄処分がある。中高揃って「神前奉告の儀」が始まるのは11時。その後「学院長講話」が何時ものように粛々と進んだ。今年最後となる講話では高校3年生は最早、実質的に授業がなく、それぞれの生徒が次の進路に向けた勝負の月度になるから、私はその辺のところに触れながら激励をした。 

1月の中旬には大学進学共通テストがあり、大学受験が本番を迎える。1月31日に卒業式となるので学校は「何か独特の雰囲気」に包まれる。激励しながら送別の言葉を重ねるのも案外と難しい。高3生が学校から居なくなるというのはどうも“もの悲しい”。講話では「いじめ」と「インターネットの使い方」について新聞を見せたり、資料をかざして、ある程度の時間を使って指導の言葉を伝えた。折角の時間を甘い事ばかり言っているだけでは駄目であり、生徒には「はっきり、伝える」ことが重要だから言うべき事をじっくりと考え、実行している。 


学院長講話が終われば、通常ここで校長先生にバトンを渡し、「終業式」に移行する。しかし今日はこの間に「特別な企画」があった。2018年本校を卒業し、國學院大學に進学した田中千春君が就職先をプロ野球の読売巨人軍にしたことである。正確にはジャイアンツの方から「ドラフト3位指名」で決まったのだが、その彼が久し振りに母校に戻ってくれるというので、後輩の生徒と共に「激励式典」を企画したのである。彼の恩師であるI先生が司会進行してくれた。滅多に見られない、嬉しい催しであった。田中君は私が入学を許可し、卒業させ、私にとってはオリックスで大活躍中の近藤大亮君に続く2人目のプロ野球選手が誕生したことになる。それも初めての巨人入団であり、素晴らしい。私の部屋で暫く懇談したのだが在学中の礼儀正しさと明るさは全く変わっていなかった。それにしても背が高い。伸びたと言う。 



プロ野球界の盟主と言われている巨人軍で、背番号は48番と決まった。田中千晴君はとにかく在学中から将来はプロ野球の選手になることが夢で毎日毎日努力し希望を叶えた。黙々と練習する姿を多くの教職員が見ており、本校の教職員にもファンが多い。身長190㎝を生かした153キロのストレートとフォークボールが武器であり、早く一軍に昇格し、テレビで彼の活躍する雄姿を見たいと思うが、その日も近いのではないか。それらを私は祝意の言葉に入れた。彼は多くのお土産を持って来てくれた。まず巨人軍の帽子、ボール、カレンダー他だった。私は少ないが規定に則り「お祝い金」を手渡した。田中君は「まだジャイアンツから契約金が入金されていないので、入ったら、先生、寄付を考えていますから」と言って呉れた。寄付金など期待はしていないから「早く一勝を上げよ!」と激励したのである。後輩からの花束贈呈は嬉しそうだった。田中君の後輩へのメッセージも素晴らしかった。

 

その後今年最後となる「職員会議」があった。私からは先の理事会の報告と最後は今年1年の働きに対して、教職員へ慰労と感謝の言葉を申し述べた。その後私はグランドに行き、高校軟式野球部、中学野球部が主体に使っている野球場に「電光式カウントボード」の贈呈式に臨んだ。かれらは硬式野球部ほどの派手さは無いが府内でも屈指の強豪チームであり、近畿大会、国体への出場の常連校であり、クラブ員の希望を聞いて私は特注品であるが購入した。保護者も参加されており、大変に喜んでくれた。クラブ員が欲しがっているものを用意し、喜んでくれる様を見ることほど嬉しいものは無い。 






さあ、これで今年の公式行事はすべて終えた。いよいよ来年は大正12年4月30日に生徒204人で旧制浪速中学校が開校してから100年目の節目だ。教職員一同心してこの慶事を祝い、益々生徒の為に学校の質を高めて行く。私立学校には何ら制約は無い。我々がやるかどうかの意思と行動あるのみ。16日の理事会で私は4月以降も理事長として続投することが内定した。老骨に鞭打って、粉骨砕身、皆の先頭に立って頑張って行く積りである。



2022年12月19日月曜日

「浪速国際コース」が快調に飛ばしている!

 「浪速国際コース」が極めて順調に育ちつつある。順調どころか私の想定を超えた伸びである。念願だった「浪速高校から直接、海外の大学への進学」が実現しそうである。それも来年度卒業の国際コース1回生から誕生するから極めて早い。16日に行われた理事会・評議員会において国際コースのM主任教諭が経緯と成果を報告したが、出席者から「万雷の拍手」があった。私は感無量であった。国際コースには今ケンブリッジ大学から特別に認定された英語教育の資格を有している「スーパー教諭」が2名いるが、単に資格を有しているからではなくて、「仕事の仕方」を知っているからこそ、短時間でこのような成果に結びついたと言える。結局仕事の成果は担当する人間の「熱意」なのである。単に英語がしゃべれるからと言ってこのような成果には結びつかない。


1期生の進路状況は現段階で卒業生18人の内、 海外大学への進学希望者は7名おり、アメリカ、マレーシア、台湾である。国内大学への進学者は既に防衛大学校、関西外国語大学、近畿大学等に5名が決定済みである。今日も報告を受けたが英国のカレッジから3月に5名の学生と教授が3日間本校に滞在して日本文化を学ぶことが決まった。現時点で留学生はモンゴル、スエーデンから2名おり、浪速高校は今や間違いなく留学生の声が交わる国際高校になりつつある。このようにして単に大和川沿いの大阪の高校ではあるが中身はグルーバルな高校の側面も現れつつあるのである。これは一般の生徒にも大きな影響を与えることになると信じて疑わない。高校の校長と担当教諭を称賛してやりたいと思う。 



浪速国際コースの経緯を理事会の資料から纏めてみると以下のようになる。

201810    理事長より国際コース設置の答申を年度末までに出すように指示が出る。

20193   答申結果を理事長に報告。

2020年度入学生の2年進級時よりインテンシブコースに代えて理事長命名の「浪速国際コース」の設置許可が下された。

2019年 8     1回 語学研修先の予定であるフィリピン セブ島を視察 

2020年 3     2回 語学研修先の予定であるフィリピン セブ島を視察

2021年 4     浪速国際コース1期生は18名でスタート

                       ベルリッツとタイアップした英語講座開始。

2021  5月   コロナ禍によりセブ島語学研修正式中止決定。

202111     中止となった海外語学研修に替えて、国内(山梨県河口湖畔)にて語学研修

2022  4     浪速国際コース2期生16名でスタート

2022  5月  フィリピン パーペチュアルヘルプ大学視察の為、学校長と担当教員2名出張

2022  6   留学生の受け入れを再開する。モンゴルからの留学生1名を受け入れ。

2022  7     フィリピン パーペチュアルヘルプ大学との連携協定を締結。

2022  8    国際コース2期生(2)がイギリス・リーズ大学へ短期留学

              国際コースの教室をリニューアル。

                       マレーシア 大学見学ツアーを実施(1期生4名、2期生4名)

2022  9     スウェーデンからの留学生1名の受け入れ。

2022 10     1回海外語学研修(2期生)をフィリピン パーペチュアル・ヘルプ大学で実施。

 

2022年12月17日土曜日

歌声の聞こえる学校は良い学校!

 「建設の槌音のする学校は良い学校」とは私が常に言っている言葉だ。学校の経営者たる者、一番に考えることは常に教育環境の改善、充実であるべきとは私の強い信念である。この信念に基づき、確かに平成19年学校改革着手以来、毎年、何時も何かの工事が行われてきた。一々書くのもしんどいくらい多い。現実に今もNS館の建設工事は佳境に入っており来年の3月末には素晴らしい校舎が目に入ってくる。引き続いて「創立100周年記念事業として初めての浪速中学校校舎が建設」される。本校地に残った最後の一等地に建つ建物で今設計打ち合わせの真っ最中にある。私は既に何回も「駄目だし!」して関係者に檄を飛ばしている。私の建築物は「広く、大きく、明るく、意匠性を高めよ!表面は凸凹(でこぼこ)、凹凸(おうとつ)が良い」だ。普通のごくありきたりのしょぼい建物など建設する気には絶対にならない。建物は「外観で人目を惹き」、内部に入って豪華、機能的で「驚く建物」でなければならない。 


もう一つの信念は「歌声の聞こえる学校は良い学校」である。私が極めて異常なくらいの「歌好き」なことと少しは関係あるかも知れないがとにかく、歌を歌う人に悪い人は居ないというのが私の感情である。校舎から遠く生徒の奏でるハーモニーの歌声が響いてくると学校全体が心豊かに、優しく、それでいて何か仲間意識というか友情みたいな空気が流れる。今日は「第10回 高校1年生の合唱コンクールの日」であった。第10回だがコロナ禍がなければ13回となっていた。2学期の期末試験が終わった後生徒達はクラス単位でそれぞれ場所を探して一生懸命に練習に励んでいる。「その姿が尊い」と思う。男子生徒の中には当初は恥ずかしがって積極性は示さないが、面白いのは徐々に変わってくる。声を出し始めるのだ。その瞬間クラスが一体となる。このような学校に「いじめ」などは起こらない筈だ。 

私は最初から最後まで聞く。席を外したりは絶対にしない。生徒が頑張ってきて、理事長に聞かせたいとするのだからこれは何をさせおいても優先させる。しかし高校1年生、生徒総数が870人を超え、20クラスだから先生方は色々と配慮したコンクールだった。まずコロナ対策で「マスク」を着用した合唱であった。20クラスを3部に分けて途中20分の休憩を挟んだ入れ替え制で待機クラスは教室で「テレビ放送で生を堪能」できる仕組みだ。今回は時間短縮の為に指定曲の校歌は無くて生徒が選んだ「自由曲」で1曲勝負である。演歌などは無かったが中々良かった。今までの保護者案内はせずに後刻編集してクロムブックにて配信するそうだ。この辺の教員の知恵は本当に素晴らしいと思う。それにしても緊張感のある質の高い合唱コンクールだった。レベルが上がっていることは間違いない。 

私は学院長として優秀クラスには「浪速ベーカリーブルの焼き立てパン」のパン券を賞品として出し、それを校長が副賞で手渡す。最優秀賞は一人6個でクラス40人全員、優秀賞は今回レベルが高く3クラス有り、パンは一人4個、奨励賞は4クラスで一人2個の券となったと報告を受けた。合計で1040個のパン券が出て行ったことになるが、まったく問題ではない。「言葉だけのご苦労さん」はアマチュアのやり方で「クラス単位の競技会」でもあり競技会なら優秀クラスを「具体的な形で労う」のが木村流である。

社会に出れば努力し成果を上げたチームには昇進、賞金や賞品、ボーナス等が付いてくるものだ。高校生の段階からそれらを教えておかないといけない。「努力せよ、今を一生懸命に生きよ」だ。たかが合唱コンクールなどと言ってはならない。それにしても担任の指導激励で出来上がりは全く異なっている。このクラス単位のコンクールは実は担任の先生の頑張りでもあるのだ。今日の発表会でそれが如実に出ていた。常日頃の仕事ぶりと比例していないか、一度見てみたいと思う。良い土曜日だった。



2022年12月16日金曜日

12月理事会・評議員会「異議無し!」

 今日は理事会・評議員会の日であった。本学院は長い間、年間4回の会議を持っていたが、令和に入り、少し合理化すべきと判断し、年3回とした。勿論、背景には学校経営も校務の運営も極めて順調に回転しているからである。8月理事会をスキップしたのだが常務理事が報告事項として詳細なレポートを送付しているので学校からの情報提供に問題は無い。各役員は理事長室でそれぞれ挨拶や情報交換をした後、全員で学院神社に参拝し、その後評議員会室に移動し、又理事長室に戻って理事会となる。来年3月末で現役員任期が終わる為、4月からの新役員選出には「寄附行為」の改定が必要など大きな議題もあったが、1時間で終わり、「シャンシャン、異議無し!」と大きな拍手を頂き、正式に機関決定となった。冒頭、理事長による経営の概括報告があるのだがその資料の冒頭部分は以下の「総括」文である。


理事長総括:令和4年も年初以来、新型コロナウイルスによる生徒及び教職員への感染はあったものの、その数は少なく、広い教室と徹底した感染予防対策により休校措置も無く、学校行事は「新しい形(ニューノーマル)」を取り入れながら、順調に推移した。中高ともに修学旅行も実施できた。新時代の教育の在り方の中心に「ICT教育の推進」を置き、本校のICT教育は生徒保護者、学校説明会での受験生に高く評価されている。令和3年から始めた「働き方改革」は新しい制度も取り入れながら、大きな成果を生んでいる。今後とも継続して学校の中味と教職員の働き方改革を並行して進めながら「グッド・スクール」として学校のレベルを上げて行き、令和5年の開校100周年を通過点として寿ぎたいと思う。 


次の議題は「経営上の重要課題と審議事項」が来る。私の資料は以下のような文言で必要な部分は「別紙」としてページ数が加わることになる。

(1)  寄附行為の変更

   本年10月に各役員の皆様に出状している令和5年4月からの新役員候補者について本日の理事会・評議員会で最終確認を取り、寄付行為の変更を監督官庁である大阪府教育庁に届け、承認を受けた後、来年の3月末理事会で予選を行う手順で進める。

 (2)令和4年度の中間決算並びに監査報告                                         

  令和4年度の高校入学者数は878人(昨年711)、中学は133人(昨年136)と合計1011人となり期首の総生徒数は合計で2654人と大幅に伸び、府内でも有数の大規模校となった。これが財務的には追い風になり、現在建設中のNS館関連の〇億円の支払いを済ませ、尚且つ新中学校棟建設資金として△億円の特定資産を積み増しても、決算見通しは次年度繰り越し資金として約□億円強を確保できる見通しであり財務上の問題は全くない。

(4)NS館建設工事とその後の新中学校棟建設について               

   3月理事会でご承認いただいた本件は令和5年3月末、竣功で計画通り順調に進捗している。その後引き続いて工事の始まる「新浪速中学校棟」は敷地の有効利用の観点からNS館と一体化する建物であり、現時点では総費用概算で●●億円程度と考えている。従って中央館、東館建設時に融資を受けた私学共済事業団への融資残金を内部資金から一括返済し、改めて▲▲億円程度の融資を申し込む考えで同事業団と話を進めている。

 

2022年12月15日木曜日

本日その2:茶道部おもてなし茶会

 本校の生徒数の約30%くらいは堺市の居住である。この堺市が輩出した歴史上の偉大な人物は多い。中でも特に「千利休と与謝野晶子」が有名で堺市は利休と晶子を通じて堺を体験できる「利晶の杜」というミュージアムを建設している。この中に立派な広間の茶室がある。堺市の意気込みが窺い知れる。堺には、「仁徳天皇陵古墳」をはじめとする百舌鳥古墳群のほか、由緒ある神社仏閣や、歴史的なまちなみ、先人ゆかりの地、伝統産業など長い歴史の中で継承されてきた数多くの歴史文化資源があり、私も大好きな町である。千利休と与謝野晶子をテーマに、これら堺の特色ある歴史文化を広く発信する文化観光施設として平成27320日にオープンしたのだが、この茶室で今日は本校茶道部が「おもてなし茶会」と銘打ってお茶会を実施した。 



茶道部生徒35名がおもてなす対象は理事長の私、校長先生、それに保護者である。茶道部の顧問の先生3名と外部講師の3人の先生が裏方に回り「全てが生徒の手による茶会」であった。何と保護者はお忙しいのに19人も来られていた。お茶会は15時に始まり、広間だから1席で済み、2服も頂いた。肌寒い天気であったがお茶室での喫茶の味は何とも云い得ないまろやかな味で美味で旨かった。堺市の観光局の支援もあってこの企画になったのだが有難い限りである。私はちゃんと茶道具を用意して主客として席に座った。そして年の明けた3月か4月初頭に木村宗匠ご指導で「開校100周年記念茶会」を学校の茶室「洗心亭」で行う予定であることに触れた。今朝ほど常務理事に先の表千家お家元である現「宗旦宗匠」をお招きできないか検討を進めるように話した。洗心亭は宗匠から頂いた名前である。



卒業していくクラブ員は私が入学を許可し、飯田校長が卒業を認めるなど私にとっても節目の生徒だった。コロナの為に学校行事が少なく、可哀想であったが顧問の先生や外部の指導者の方々のお陰でこのような立派な茶会を催すことが出来て大変に良かった。生徒は喜びに浸り、わざわざ自分の着物を子どもに着させ、席に臨んだ保護者は目が潤み、感激そのもので、それらを見る私も感動であった。心豊かになった放課後であったと思う。

本校は「お茶に関しての活動」が多い。最もそのような学校に私がしたのだが、今や生徒も実力を付け、その範囲は広大になってきている。一例として「おーいお茶」で有名な伊藤園さんが企画し実行している「伊藤園おーいお茶新俳句大賞」は既に33回目を数え、大賞は文部科学大臣賞や金子兜太章など揃え、格の上がった文化的催しものとなってきている。この催しに対して本校は国語科の教員が主導して、生徒がこの企画に参加し始め、中々良い成績を取ってきている。今年も4人の生徒が賞を得た。内一人は「佳作特別賞」を得てその作品がペットボトルに掲載され全国に販売されることになっている。 

立派な事で私はこのような頑張りも評価したいと思う。生徒達が自分の言葉で素直に感じたこと、思ったことを季語や定型にこだわることなく、五・七・五のリズムにのせてのびのびと表現することは素晴らしいことだと思う。指導してくれた先生に感謝申し上げたいと思う。本校2年生、岩本真礼さんが創った新俳句は「勉強中は時が止まった置時計」である。素晴らしい。まさしく「新俳句」と言えよう。佳作では「麦わら帽抑えて歩く海の風」「静電気君にふれようと苦笑い」「テスト中カチッとなった緊張感」である。何でも挑戦する気概を育むのは本校の教育方針であり。順調にその道を歩いてくれていると思う。皆さん、伊藤園の”おーいお茶”を飲んでください!

今朝の「産経抄」から ”発達障害を一つの才能と捉える”

 今朝の産経新聞の1面「産経抄」は素晴らしい記事を載せていた。私は「衝撃に近い感動と同感」を感じた。心の中の「もやもや、曇りみたいな」ものがこの記事で晴れ上がり、「教育の現場にいる幸せと責任」を改めて認識した。産経抄は台湾の「オードリー・タン(唐)」さんをテーマに人間の評価について紹介している。彼女は中華民国の政治家、プログラマーであり、「台湾のコンピューター界における偉大な10人の中の1人」とも言われている。201610月に台湾の蔡英文政権において35歳の若さで行政院に入閣し無任所閣僚の政務委員(デジタル担当)を務め22827日に新たに設置されたデジタル発展部の初代部長(大臣)に就任している。 

経歴は幼い頃からコンピューターに興味を示し、12歳のときにPerlを学び始めた。2年後の14歳のとき、学校生活に馴染めなかったため中学を中退し、19歳のときに、シリコンバレーでソフトウェア会社を起業した。2005年、外見と自己意識を一致させるために、名前を変更するなどの女性への性別移行を始め、ブログ上において「私の脳は私が女性であると認識しているのに、社会的にはそうでないことが要求されるので、私は長年に亘って現実世界を遮断し、ネット上で生活をしてきました。」と述べている。以下「産経抄」の記事をそのまま転載する。 


「台湾のデジタル担当相のオードリー・タンさんは、マスクの在庫を管理する画期的なアプリの開発者として知られる。コロナの感染拡大を防いだ「天才」の学歴は、中学校中退である。小学生のタンさんは、先生が教える「112」に納得しなかった。「2進法だったら、そうはならない」と反論する。先生にも友達にもなじめず、家に閉じこもって読書にふけった。 

精神科医の岩波明さんによれば、タンさんには「自閉症スペクトラム障害(ASD)」という発達障害の傾向がみられる(『発達障害という才能』SB新書)。生まれつきの脳機能障害が原因とされる発達障害には、知的発達に遅れはないのに読み書きが難しい「学習障害(LD)」や落ち着きのない「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」なども含まれる。 

全国の公立小中学校の通常学級に通う児童生徒の8.8%に発達障害の可能性があることが、文部科学省の調査でわかった。適切な支援がなければ、いじめや不登校につながる恐れがある。タンさんの場合は幸い、台湾大学の数学者ら才能を理解する人との出会いに恵まれた。 

発達障害は学校だけの問題ではない。民間シンクタンクの野村総研は昨年、発達障害の診断を受けた人の不就労などによる損失が、2兆3千億円に上るとの推計を発表した。もっとも、発達障害を「才能」を捉えると話は変わってくる。 

岩波さんは、エジソンやダビンチ、モーツァルトら歴史上の偉人たちにも発達障害の特性が見られるという。世界一の大富豪だったイーロン・マスクさんもテレビ番組で障害を告白している。「異能」を持つ人材が活躍できるか。「変わり者」として排除されるか。日本の生き残りがかかっている。」

2022年12月13日火曜日

北摂の名門私立「金蘭千里中学校・高等学校」を訪問

 予てから検討していた「100周年記念碑」について昨夕、最終的に結論を出した。萩の窯元からくる「彫像」の銘は「祈願」とした。「祈り」も考えたが碑のバランスや神道精神により直接的に響く言葉は祈願だと思ったのである。この祈願の文字は私が精魂込めて書かせて頂き、それを彫って貰う。そしてその下には我々教職員全員と生徒が上着の袖に何時も着用している「100周年記念バッジ」のシンボルを専門のメーカーさんに作成して貰って取り付ける。これで彫像の土台は完成する。祈願やシンボルの大きさなどを決め、碑全体の設置位置も決めた。これで石材会社さんは3月末目標で素晴らしいものを製作してくれるだろう。学院神社の石周りをすべてやってくれた会社で我々は信頼している。この学院神社前に佇む「祈願の碑」は登校する生徒の目に入り、過去100年を寿ぎ次の百年を見守ってくれる。4月30日神前奉告の時に除幕をして「お披露目」することになる。 



今朝は8時30分過ぎに学校を常務理事と出て千里方面に向かった。行先は「金蘭千里中学校・高等学校」である。北摂の名門校である。時間は朝のラッシュ時でも約1時間30分弱で到着した。この有名な私立学校のT理事長先生を訪問したのであるが、理事長は大阪府の私立学校連合会の会長と言う要職にあり、来年の4月30日の開校100年に寄せて「祝福の一文」の作成を寄せて頂きたい旨お願いし、式典と祝賀会へのご臨席をお願いした。理事長は元々教員のご出身で、この学校一筋、大変立派な教育者であり、それでいてざっくばらんなお人柄であった。自ら校内あちこちをご案内頂いた。広いグランドでうらやましく思った。私から本校と先生の恩師、そして先生のご出身高校である府立大手前高校から100年前に本校の本館を譲って頂いたお話をしたら大層なお喜びであった。私は気分よく11時40分には学校に戻ったのである。 


今日は午後から新中学校棟を請け負ってくれている南海辰村建設さんの設計陣と現場の工事課長に今後のスケージュールを確認した。年末の28日に最後のコンクリート流し込みをして30日が仕事納めだと言われた。私は皆さんに対して仕事納めに対してお祝いと慰労の焼酎をプレゼントした。そして来年4月30日前に現在の工事現場は美しく整理整頓し、新中学校棟の「縄張り」をしてそこに校舎完成後の図面を掲げておいて貰う様にお願いした。工事課長さんは「極めて順調に進んでいます」と言って呉れた。施主としてこれ以上の言葉は無い。現場も視察したが素晴らしい出来上がりが想像出来た。あの時の建設ゴーの判断が良かったと我ながら思う。令和5年4月入学者の入る教室はこれで万全である。

 

高天原スポーツキャンパスの設計と監理を担ってくれた堺市の高橋建築設計事務所の社長さんが来校して100周年のお祝い金を下さった。有難いことでその場で4月30日の式典へのご出席をお願いした。お付き合いさせて頂いている人々は大変お忙しい方々ばかりなので早い内に式典と祝賀会へのご出席をお願いしている。とにかく本校は市内の一流ホテルを使っての式典や祝賀会とはせずに、単なる市内の私立高校・中学校として身の丈にあった形で心のこもった式典と祝賀会を学校にて行う。学校で行う事が「ささやかな誇り」である。