2021年5月31日月曜日

重要な5月理事会・評議員会が終了!

今日は理事会・評議員会の日であった。5月理事会は「決算理事会」とも言われ、昨年度の予算金額に対して予算通りの執行がなされているか、資金や消費の支出が法的に適正に執行され、それによって資産の状況がどうなっているのか等々、詳しくA4用紙で50頁に及ぶ資料を用意し評議員の先生方にご説明する。公認会計士の先生にもご出席いただき、直接コメントを戴くのは本校流で私がある時からそのようにした。又監事の先生からも監査結果を文書でご用意いただき直接読み上げて頂く。1年のまとめとして要は理事会を構成する理事と、それを「理事会を総理する理事長」の業務の適正チェックと承認を戴くもので要は学校で生徒が先生から「通信簿」を貰うような雰囲気かも知れない。お互い見知った方々ばかりで親近感はあるが仕事の結果の評価とは別物で少しの緊張感が特に5月の理事会・評議員会には醸し出される。5月が終われば私は正直「ほっと」する。


今回から従来の理事長・学院長による総括報告を「理事長、常務理事による総括報告」とした。4月から初めて本校に学内の専従理事として「常務理事が誕生」したので、その人に詳細な決算報告を受け持って貰う様にした。勿論全ての責任は理事長にあるのだが、少しだけ私の荷を軽くし、次世代へ繋いで行こうと言う私の考えである。冒頭の「理事長総括」は以下のようなものである。「経営」に関して、私は「重要となる数値」、すなわち「事業活動収入(帰属収入)」「事業活動支出(消費支出)」「収支差額」「人件費」等々を着任時の平成18年から令和2年までの15年間の推移を纏めてご報告した。これらを見れば本法人で「一体全体、何が変わり、今現在どうなのか?」一目瞭然である。


そして私はコメントしてこれらの決算を受けて令和3年度の目標を次のように掲げて頑張って行くと述べ、全理事、評議員の満場一致の賛同を拍手で得たのである。

   「コロナ禍」の中ではあったが、本校では今のところ、生徒の感染者はあるものの少数であり、又教職員には感染者はいない。クラスターも発生せず、休校措置なども行わず、良好な状態で安定した校務運営下にある。4月期首の生徒数2502人は現在まで変わらず、校務運営も経営も良好な状況である。経営的には別紙の「重要指標」となる数値が示すように安定した状況にあり、経営の不安要因はない。しかし令和3年度は体力増強の為に大きな設備投資は考えず、当面「内部留保」につとめる方針である。

   今年の目標は「教職員の働き方改革」であり、事務室に事務長補佐を発令し、密度を高め、スピード感を持って実行している。労働基準法準拠のモデル学校を完成させ教職員に「ゆとりと適正な対価」を支払い、働き甲斐の有る私立高校の完成を目指す。既に令和元年と3年度の4月における教職員の月間休日数比較で言えば大幅にアップしていり月度1日の休校日の設定と日曜クラブ活動振替休日設定の効果が表れている。

   校務運営に関して、コロナは学校行事に大きなダメージを与えているが今後とも柔軟に対応して参りたい。昨年の修学旅行は中高ともに中止を余儀なくされたが、今年は何としても実行する積りで準備をしてまいる。コロナは多くの事を突き付けたがやはり従来の指導スタイルだけではなく「ICT教育」による授業効率のアップと、必要時、レベルの高い「オンライン授業」の最終完成を目指す。




2021年5月27日木曜日

”ものいわぬは腹ふくるるわざ”・・・「オカリナ」作り

「鬱屈(うっくつ)」という言葉がある。難しくて書けない漢字だ。このような難しい漢字をさらさらと書く人を偶に見かけるが、私は尊敬する。ご承知のように、意味は気が晴れないでふさぎこむこと、気分が晴れ晴れしないこと、心がふさぐことである。「鬱屈した心情」は心の中にたまった不満や不安のことで、心配ごと、 悩み事、 困りごと、 おもしろくない気分、 満たされない気分、 ストレス、 ジレンマ、フラストレーション、不安、 欲求不満、 不満、 不平、原因は色々とある。丁度今の私の心情である。人間とは実に悲しい生き物だ。似たような言葉に「鬱積(うっせき)」というのもある。こちらは少し激しい時に使う。不平・不満が晴らされずに次々と、心に一杯たまることで、「鬱積した怒りが爆発する」のように使われる。不平不満や怒りなどの感情が、はけ口のないままに心の中に積もっていることである。 

しかし人間は鬱屈や鬱積などの時にはそれなりの「はけ口」を自ら考えだす生き物でもある。今から遠い昔、670年も前の時代、鎌倉から南北朝の時代に生きた吉田兼好こと兼好法師は著作「徒然草」の中に名文句残している。それが「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ」である。意味は、思ったことも言わずにいると、腹が張ってくるような気持ちになる。「言いたいことは我慢するな!腹に溜めずに口に出して言え!」ということだ。しかし人間社会は難しい。まともに受けて口に出して言えば時に思慮が無い、我慢が足りない、勝手気ままと軽蔑され、時に袋叩きにあうだろう。だから私は今オカリナを吹いて心の鬱積を吐き出している積りになっている。




3度目の非常事態宣言の中でコロナワクチンにとらわれ、出掛けることもままならず、まさに今日本は鬱屈、鬱積の真っ只中にある。後2か月後にはオリンピックが来ると言うのにアメリカは日本への渡航禁止を打ち出した。それでも総理や都知事、組織委員会の橋本会長は「安心、安全の大会を目指して」などと同じ言葉を繰り返すだけだ。「やらねばならない理由を国民に明確に口に出して」言って欲しい。さすれば「しゃーないな」と思う比率は高まる。五輪を目指して頑張って来た選手の気持ちは分かる。又コロナで国民が苦しんでいる中で「のんきに五輪を楽しむ場合か!」の意見も分かる。今のままで開催したところで気分よく選手を応援する気分にはなれるか?仮に無観客で無事に終わったとしても、その後が心配である。専門家の中には8月頃には第4波が来ると言う人もいる。私自身今や鬱屈し、もやもやが鬱積している。「バーッ」と腹の中を吐き出したいが、それをしても解決にはならない。第一,生徒や教職員は「黙々」と目の前の事に集中し頑張ってくれている中で自分一人が浮くわけには行かない。

 




だから私は今趣味の陶芸で、時間を見つけては、ただひたすら「オカリナ」作りに励んでいる。手作りのオカリナを沢山制作して中学校に「オカリナクラブ」を作ろうと思っているのである。ここ40年、粘土をこねくり回して茶わんや壺など様々な作品を作って来た私がどういう訳かコロナ禍の中でオカリナにはまった。要は「土の塊を音の出る楽器」に変えるのである。ところが簡単ではなかった。工程が極めて多く、一つ一つの作業が実に繊細で微妙なのである。専門書は4冊、何回も何回も読み、オカリナ作りのプロの方にもお話を伺った。自分でオカリナが吹けなければ駄目だろうと考えオカリナ演奏の先生にもついた。3月から始め、既に10個以上造ったが未だに上手く音が出ない。こんな経験は初めてである。難しい。高をくくっていた。コロナの鬱屈を吐き出すために始めたオカリナ作りが逆に余計に鬱積させているのだ。途中で逃げる訳には行かず、今まで多くの失敗もあったが立てた目的、目標は達成して来た自分が、ことオカリナで失敗する訳には行かない。困った、困った。仕切り直しだ!





2021年5月24日月曜日

ワクチンを打ってきました!

1回目のワクチンの接種を受けて来た。防衛省・自衛隊が執行してくれた大阪の大規模接種会場となった中之島のグランキューブ大阪の会場には早めに家を出て7時には着いた。予約時間は8時だったが既に私の前には6人いらっしゃって私は7番目となった。多くのマスコミ関係者が既に大きなカメラの準備などしていて、待ち構えており、居並ぶ人に取材の申し込みをされていた。これはテレビに映るかなと想像していたらまさに的中であった。学校に戻ったら早速事務員が「先生、映っていました」と教えてくれたのである。しかし自衛隊関係者には感謝だ。今回のコロナは国難と言うべきもので、これは国防の為の自衛隊の出動と言った感じで、既に事前に何度もシミュレーションはされていたのか、手順通り、済々粛々と大きな問題もなく接種は終わり、会場での暫しの安静時間を15分ほど持ち、次回の予約の確認を取って会場を出たのが8時30分だった。わずか30分のオペレーション(作戦)であった。



 


一路、学校に戻ったが、何事も早め、早め、思い切った大規模作戦が成功には大いに役立つ。この東京と大阪の大規模接種スタイルを受けて現在全国の自治体でも同様の動きが加速しているみたいだ。これを考え出した菅総理は大きな得点を稼いだと言える。現在の50万回規模が総理の云われる一日100万回接種目標はひょっとしたら実現するかも知れない。小さな医院とか病院で細々とやるより大規模会場での接種の方が絶対に効率的である。とにかくワクチンを急がねば何事も始まらない。学校で最高齢の私が今日、接種を受けたが教職員には見通しが立っていない。とにかく早く接種を済ませてやりたいと念願するばかりである。今日は定例の安全衛生保健委員会があり、学校医の先生は一般病院のワクチン接種は課題が多いとやはり強調されていた。

 


引き続いて校務運営委員会があった。今日から1学期の中間考査が始まった。高校は27日まで中学は6日までだ。お陰様で生徒や教職員の感染は無く試験に入ることが出来て安堵している。多くの学校行事が影響を受けたが定期試験が出来れば気が楽になる。最大かつ最重要な定例学校行事であるからである。大学生と違って高校、中学には「5月病」というのは無い。それでも5月連休が終わって現在の在籍生徒数が4月期首と同じ2502人と変っていないのが嬉しい。

 


特に最近は教職員の働き方改革の一環である、「労働時間管理と手当の増額」について私は見直しを進めており、少しこの辺のことについて触れた。労働基準法遵守よりも細目によっては時間外労働分については手当てを多く支払っている部分もあり、これを厳密に順守すれば減収となることについて触れたのである。私は今の時期、収入の減少に繋がる施策は二の足を踏む。それよりも増額をしてやりたい。多くの経営者は福利厚生施策を拡大したがるが、私は違う。教員の手取り収入を増やす方が教職員には助かる筈である。人によって使い道は違う。給湯室のお茶ッ葉やコーヒーを学校が支給するよりお金の方が喜ばれる筈である。この学校では自分の口に入れる飲食は自分の金で購入すべき線で今まで進めて来たし今後ともそうあるべきだと思う。その為に自動販売機を置いている。



2021年5月21日金曜日

世阿弥の花鏡から「離見の見」

雨が少し弱くなった頃合いを見て学院神社に参拝した。明日は学校設定の休校日だから連休となる。「生徒と教職員の安全、学校での曲が事、災いの無いように祈願」したが今や私の仕事は「学校を守る」ことだけに一点集中していると言っても良い。苦労してここまでの学校に育ってきた。学校を守る為ならこの先、道を塞ぐもの、どのような抵抗でも身体を張って徹底して粉砕し、殲滅する覚悟は出来ている。それには「仲間」が要る。私を理解し「迅速にタイミング良く」仕事を進めてくれる優秀な仲間こそ宝物である。仕事は何と言っても早さとタイミングだ。



 



ところで本校の定年は満年齢で65歳になった年の年度末、すなわちその年度の3月31日としている。しかし実際の運用はご本人が本校での継続勤務を強く希望し、私が総合的に判断して「是非とも継続勤務を!」とした場合は非常勤講師として70歳まで年次単位での更新とはなるが本校の職員として教壇に立てる。生徒に教科を教えると言う教師としての原点に立って、煩わしい校務分掌やクラブ指導などから解放されて教壇に立つことだけの「誇りとゆとりある生活」は悪いものではないと思う。うらやましい限りだ。

 


何故このような事をグダグダと書いているかというと、定年退職年齢を現在の65歳から70歳まで何時、正式に延長するかということを考え続けているからである。65歳の定年は「人生100年時代」を考えれば些か早い感じがしてきている。体力は確かに衰えるが気力と知力はまだまだ「若い者には負けていない」気概が昭和生まれの人々にはある。多くの私立学校で定年を70歳にしているところはまだ無い筈である。私はいち早くこの施策を打ちだしたいと思っているのだが、事はそう簡単ではない。

 過去、私は二人の専任教諭を70歳まで雇用継続した。一人は国語科、もう一人は保健体育科だ。お二人とも70歳まで立派に貢献してくれ、悠々自適にその後の人生を楽しんでくれている筈である。現職では女性事務職員がまだ元気で働いていてくれている。そして更に教師として2名居られる。一人は69歳、もうお一人は67歳の専任教諭であったお人である。しかし残念ながら67歳の先生は遂先ほど5月半ばと言う年度が始まった時であったが突然「ある事由」をもって退職された。こういうのは本当に迷惑千万で困るが、実は「あり得るな?」と内心想像していたことがやはり起きてしまったのだ。だから雇用を継続した私の責任として強く姿勢を保って自主退職を認めたのである。

 その先生が「これは自分の性格だから直らない(治らない)」と予てより言っていたのだが、これは「致命的な発言」である。幾ら年齢を重ねようとも給与を戴く仕事の結果を「性格の仕業」にして貰っては困る。歳を取れば取るほど「味わい深く」持って生まれた資質・性格をオブラートに包んで生徒や組織、他人に接して貰うことが「ベテランの味」というものだ。少し難しい言葉だが「離見の見」と言う言葉がある。この言葉は、世阿弥の能学書「花鏡」のなかにあり、その中で「観客の見る役者の演技」は、離見(客観的に見られた自分の姿)であると言う意味である。 離見の見、すなわち離見を自分自身で見ることが必要であり、自分の見る目が観客の見る目と一致することが重要であると、世阿弥は述べている。

 


この哲学的見識を学校に置き換えた場合、教師は果たして世阿弥の能楽論のように、演者(教師)が、自分をはなれ観客(生徒)の立場で自分の姿を見ることが重要ではないか。教壇に立っている教師としての自分の演技(授業の仕方)について客観的な視点をもつことをいう、この離見、案外と難しく、相当の努力と我慢が必要である。性格や資質を生で表に出すのは愚の骨頂であり「人生は一幕の演劇」ではないか?生涯に亘って演技を続けることが生きて行く知恵だ。今日の自分の立ち振舞いの「後姿」はみっともないのでは?と思うくらいが丁度良い。私などこの歳になっても時々、恥ずかしい後ろ姿を反省している。世阿弥20年間の能芸論書をまとめた花鏡の中には学校関係者に多くの示唆を与えてくれる文言が多い。芸の奥義として「初心忘るべからず」と記され、世阿弥の芸能論の精髄と評されているが、置き換えて「教師になった時の初心を忘れてはならない」「咲くのも散るのも心しだい」。心に響く言葉である。

 


 

2021年5月17日月曜日

デジタル庁への期待とデジタルタトゥー(電子入れ墨)

“「ご予約が完了しました。」予約日時は間違えないようにメモしてください。お住まいの自治体で既に予約を取られている方は重複しないようにどちらかの予約のキャンセルをお願いいたします。(次に囲みがあって)その中にご予約内容 自衛隊大阪大規模接種センター 大阪府大阪市 1回目2021年5月24日0800分と書いてある。事務室のIT達人の二人が共同で作戦を練り、私は府内最初の予約番号枠を得た。8時から始まり8時の予約だから一番だ。これで24日に大阪府立国際会場場(グランキューブ大阪)に行き1回目を打って貰う。自治体の長ではないからキャンセル分を優先的に回してくれる人などいない。従って正々堂々と真正面からインターネットで予約を取ってくれた。秘書業務をしてくれている二人に感謝だ。電話などは繋がらない中で、今やインターネット社会の有難みを痛感した。

 



しかしだ。この大規模接種は防衛省・自衛隊であり地方自治体が現在進めているものとは異なるから私宛に大阪市浪速区辺りから来るであろう予約案内は断らないとダブってしまう。これが冒頭の防衛省の文の意味である。このように日本と言う国は国と自治体が「バラバラ」だ。それぞれが勝手な進め方をしてきた付けがこのざまになる。超先進国の経済大国と言われてきたが我々の実力は今回のコロナ騒動ではっきりと分かった。自前のワクチンは無く、金とおすがり外交で何とかしのいでいるのが現状だ。しかし嘆いていても仕方がない。私は9月にスタートする「デジタル庁」に大いに期待している。国と地方、「縦割り行政」を壊滅させ、「経糸と横糸」をネットで完全につなげば今回のような事例は無くなり、中央も地方も無くなる。逆に地方の方が住みやすいかも?

 やることは三つ。政府と自治体のシステムの統一、マイナンバー制度の拡充と・普及、そして医療と教育のデジタル化だ。特に医療と教育が重要である。北海道の島と東京中心部、九州の島の人々は同じ病気診断と治療、同じ教育が受けられるはずだ。この三つが国を変える基幹となる。マイナンバー制度が出はじめた時に多くの人は個人情報が問題だなどと二の足を踏んだが、国際的に完全に遅れており、恥ずかしい限りだった。日経新聞は特集を組んでいたが「マイナンバーカードが切り札」と書いていたがその通りだ。「デジタル敗戦」を繰り返すな!ともあった。とにかく面倒な行政手続きが「マイナンバーカードとスマホで数分で済む」。押印や書面の廃止、公的給付金の振り込み迅速化など日本と言う国を根底から変えるだろう。間違いなく「キャッシュレス時代」の到来である。最初から100点満点狙いでなくても良いから、とにかく反対勢力は何処にでも、何にでもいるが、前に進めよう。

 


しかし一方ではデジタル社会の闇の部分もクローズアップされるだろう。先ほど女性アスリートの性的に見える写真をネットにアップし逮捕された男が居た。簡単に捕まった。紙とか口での話は証拠が残らないが、ことネットに関しては全てのサイト情報が残ってしまう。追いかけられたら完全に消すことは出来ないのである。大阪日日は12日の朝刊で、これを「デジタルタトゥー」(電子入れ墨)と表現していた。一旦ネットに流した情報は直ぐに拡散し生涯消すことが出来ないし証拠として残ってしまう。身体に入れた入れ墨と同じである。昔の言葉に「身体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始なり」とある。自分の身体は親からの貰い物だから、大切に扱わないといけない。 それが、親への孝行の始まりとなると言う意味だがデジタル社会は人間の肌への入れ墨と同じでネットに入れ墨をしてはいけない事への教訓である。



2021年5月14日金曜日

ワクチン、ワクチン、ワクチンを学校に回せ!

この国は、いや、この国のマスコミは少しおかしい!ここ数日コロナ関連のテレビ報道番組でもニュースになっていたが今朝は新聞各紙で記事になっていた。中でも朝日新聞はご丁寧に数段を使って記事にするなど念入り扱いでご苦労なことだ。もっと他に書くことあるだろうに?中身は自治体の首長がコロナワクチンを優先的に接種したしたことを批判的に記事にしている。「一体、何処が悪いのか?」キャンセルが出て無駄に出来ないから、自分は首長としてコロナ前線の先頭にたっているからリスク回避で打ったとか、万が一自分が感染したら混乱を招くから等々、可哀想に自己弁護に追いやっているが、堂々と胸を張って答えれば良い。彼等は医療従事者だ。前代未聞の1億人の日本全国民にこれから「予防接種が自治体単位で始まる」のだ。その「指揮官」にはまず優先的に接種すべきであって「さも、隙間をぬって自分だけワクチン泥棒」みたいに言われては全ての人が嫌になるだろうし話しに幅と品が無い!学校施設が多くあり、お世話になっている千早赤阪村の南本村長も66歳であられるが接種して記事にされている。

 


総理はじめ国会議員や地方の議員なども優先的に接種して然るべきお人であろう。「鎧兜を与えて」国民の為、地方の人々の為、コロナで生活が破綻している人の中に入って、先頭に立って頑張って欲しいから優先権を与えるべきだと私は思う。高齢者順を守るべきと言う単純極まりない理屈だけであろうが例外があっても良いではないか。スギ薬局の会長さんご夫妻とは違うだろう。アメリカのようにお金持ちにはキャンセル分は買って貰ったらどうか?学校医から「キャンセル分が出たから、直ぐ来い!」となれば私は何をさせおいても飛んでいく。もし私が陽性患者ともなれば濃厚接触者は常務理事、高校校長、中学校長、事務長,二人の教頭他多くおり学校は万事休すになりかねない。総勢2502名の生徒を抱える大規模校であるから丁度今事務室の窓口は「授業料無償化」の手続きにくる生徒が山のようになっており、応対する窓口の事務職員が若し感染すれば少数精鋭の事務作業はお手上げだ。大変なことになる。そして、まず何より毎日授業やホームルームでまじかに生徒に接している先生方の危険性を私は毎日心配している。昨日の職員会議でもこの辺のところを話してマスク、3密を避ける、手指の洗いと消毒など「無手勝流」を毎回毎回話す人間の気になって欲しい。

 



「全国の学校の教職員に優先的にワクチンを回せ!」と言いたいところだ。ぎりぎりで回っている学校の教師がコロナに感染し重篤化したり、たとえ陽性者が出て、2週間程度でも周辺の数名が休んだだけで学校はパンクする。大体元々の「敗因はワクチン手配の遅れ」であって、言うならまずこの点だろう。加えて狭い範囲で蔓延防止とか非常事態とか入れたり、出したり、「戦術の小出し」がこのような事態を招いた。日本政府と中央省庁、それに国会議員の罪は大きいと知るべし!、医療従事者、地方自治体の首長や職員、学校の管理職、先生方は本当に体を張って頑張ってくれているのだ。

2021年5月13日木曜日

研修報告会・外部表彰の顕彰・職員会議

今日は職員会議の日でしたが、その前に専任採用1年間の研修報告会がありました。今年は総勢9人の方々でしたが密の機会を避ける目的から3回に分散した1回目で、今日は3人の先生方の発表がありました。理事長・学院長先生は講評において温かく評価の言葉を述べられ、激励されておられました。


その後教員表彰があり、まず中学校の中村校長先生が神社本庁から特別表彰されたこと、西田中学教頭先生が大阪府から私学教育功労賞を受けたことを、理事長はご紹介され金一封を授与されました。全教職員から大きな拍手がありました。


その後、通常の職員会議に入り、先生から令和4年度入試の問題作成と試答に当たる先生方のお名前の発表、そして31日の理事会に先立った学校法人監事による業務監査に対応する管理職と分掌長の発令がありました。その他様々なご指示があり、最後に非常事態宣言が継続されている中であるが、自らを守り、生徒を守り、学校を守る為に心を一つにして頑張って行こうとお話を結ばれました。(K


2021年5月12日水曜日

学校会計と公認会計士

今日は些かお堅い「学校会計」というお話を。浪速高等学校と浪速中学校を有する学校法人浪速学院は「私立学校法」を根拠とする学校法人であり、法人区分としては「公益法人」である。この点が会社法を根拠とする株式会社等の「営利法人」とは根本的に異なる。「金儲け」が目的ではなく教育と言う崇高な目的を持った社会的な公益性のある組織である。しかしその使命を達成する為には健全な財務状態と経営成績を維持していなければ何事も成り立たない組織であり、お金が無ければ教員も雇えないし、校舎の建て替えや教育環境の整備も出来ないのである。学校と言えども「先立つものはお金」なのである。

 


だからと言って「お金を貯め込む」のは法の精神に反しており、木村流で有態に言えば「ぎりぎり」が丁度良い。あくまで「教育活動を支障なく行うことが目的」であり、その為に「学校の予算主義」と言われ、単年度予算ではあるが予算設定が重要で、あらゆるお金の使い方を事前に決めておかねばならないのである。予算に上げていないお金の使い方は問題となる可能性があり、理事長が「あそこに売り出された土地がある。マンションを作って儲けようよ!」などと言えば後々大きな問題となることは必定である。サッカーやラグビーの練習場を作るのは教育活動の一環であり、予算を立てて「ちまちま」積み上げて行くのが「正道」である。

 


学校法人の収入は生徒からの授業料等と所管する行政からの補助金、それに寄付金以外には1円も無く、その範囲内で「ありとあらゆる会計」をしなければならない。「補助金と言う名の税金」が投入されている学校故に学校会計の真実性、複式簿記、明瞭性、継続性の4点が特に求められており、法的根拠は前述した私立学校法と「私立学校振興助成法」である。極めて多くの「計算書類」を用意し1年に一度、「決算は毎会計年度終了後原則2月以内に理事長において評議員会に報告し、その意見を求める必要」があり、加えて「財産目録、貸借対照表、収支計算書」作成しなければならない。5月末が期限であり今が最も学校の事務室はこれに忙殺されている日々と言える。

 



いい加減な書類を用意し「これが決算書類です!」と言えば法律違反であり、過去幾度となく学校法人の会計の不祥事が社会問題となっている。最近では近隣の私立高校で学校地を不動産業者に売却した事案が新聞を騒がせた。この為に決算内容の中身を担保するために法的に「公認会計士の監査」が必要で、この時期大体4回程度に分けて会計士の先生がありとあらゆる会計原本や資料を前に、「目を皿のようにして監査」をされる。本日も監査に来られた。そして5月31日の理事会・評議員会に備えるのである。そして当日の私は胸を張って「令和2年度決算につきましては、高天原スポーツキャンパス第二期工事費として約AA億円、生徒寮建設の為の隣接した土地の取得としてB億円を手持ち資金からキャッシュで支払い、尚且つ翌年度繰り越し資金は約C億円となりました。一言で言えば申し分のない令和2年度決算であると言えます。」である。もう発言内容は出来上がっているのだ。胸を張って言えるために複数の公認会計士の先生に来て最終チェックを頂いている。

2021年5月10日月曜日

Xデーは何時?損切りと言う言葉がある!

硬式テニス部が又又「快挙」だ。何と男子、女子共に夏のインターハイ予選を勝ち抜き「優勝」した。並み居る強豪校を倒し、遂に栄冠を手にした。これで8月2日から長野県松本市で始まる「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の出場切符を手にした。」テニス部としては本校始まって以来の快挙で素晴らしい。私は早速硬式テニス部にはお祝い金を支給し、特にインターハイ組にはユニフォームを新しくプレゼントすることを決めた。又「軟式野球部」が強い。元々強いクラブなのだが今年は良いピッチャーを得て勝ち進んでおり、5月16日に河南高校と決勝戦だ。又アメリカンフットボールがこの度、高体連から優秀チーム表彰を受け、関西大会の出場権を得て5月30日に万博グランドで広島県の崇徳高校との試合だ。コロナ禍の中ではあるが以上のように本校の運動部は頑張ってくれている。

 


スポーツは分かり易い。プロセスも結果も明確であり、だから万人が愛するのであろう。先天的な能力、練習環境、練習による技術の向上、個人の精神力、チームワーク、卓越した指導者の存在、等々とあらゆるものが凝縮した結果が勝ち負けに繋がり、人はそれを見ることで感動し、前向きに生きていく力を醸成することが出来る。ところで私は今一番気がかりな事が「スポーツの祭典」と言われる東京オリンピックの事である。このような状況下で本当に実施できるのか?最近では益々懐疑的になっている。「マジ、やるの!?」と言う気分である。

 日常的にジレンマ、ディレンマという言葉は多く使われているが、ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態の事を言うが、オリンピックの開催権限を有しているIOC,JOC.日本国政府、それに東京都の小池知事、組織委員会の関係者はまさに内心ではジレンマに陥っているに違いない。そうでないとおかしいと思う。普通の日本人の感覚ならオリンピックの開催に「進むも地獄、退くも地獄」の進退両難や「板ばさみ」を当然感じている筈である。様々な経緯や利権等々「やめるべきかな?」と思っていても「しがらみ」があって口に出せないのである。私は「安全、安心な大会を実施できる」と未だに宣わっている人びとの気が知れない。唯一の救いの手である「ワクチン」も接種が遅れ、2020東京オリンピック」がまさに「抜き差しならない羽目に陥っている」と言った状況が日々深刻化しつつある。


 「誰が何時、オリンピックの中止を判断するのか?そのXデーは近づいているのか?」。日本人なら今まで声高に中止を声にするのは憚られたのは理解できる。私とてやれるならやったら良いと思うが、事態は最早「やれるならやる」のではなくて「今やる意味が何処にあるのか」と考えに変わってきている。強行してやって世界の笑いものにならないか!5月中旬のIOC会長の来日は見送られ、ネット上では中止の声が膨れつつある。ワクチンの選手優先接種には反発が出ている。今朝は初めて大手新聞は「懐疑的」と報じた。政府は招致が決まって以来既に1兆6440億円を投じて、何としても無観客でも実施と思うのは分からないわけでは無いが、「誰の為の祭典?」と問いかけたい。コロナ禍の中で多くの国民が祝う祭典とはならない。大体オリンピックがアスリートの為だけのものではなかろう。「損切り」してでも中止すべきが正しい判断ではないかな?誰もマスク姿の選手入場など見たくはないのではないか?東京が駄目で2年後の北京が出来たとしてもそれはそれで良いではないか。今中止と決断した人を私は尊敬するだろう。

2021年5月6日木曜日

浪速高等学校第2位、浪速中学校第21位

連休が終わり、久し振りに生徒の登校姿を見ることが出来た。今日は「一斉参拝」の日であったが残念ながら全員の神社前整列の参拝とはならず、リモートでの遥拝とした。この歳になれば、閉じこもり型の自粛生活も3、4日で辛くなってくるから、仕事があって出勤出来ることの喜びは大きいものがある。生徒も恐らく同じようなものだろう。登校時の生徒の顔をみると、生徒にとって学校が一番居心地の良い場所であることは間違いない。コロナの状況は未だ改善の状況は見えず、病院に行けず、ご自宅でお亡くなりになったり、臥せっている人びとの数は増えてきている。誰も明確には言っていないがこれは間違いなく「医療崩壊」である。だから吉村知事は現在の「非常事態宣言の延期」を口に出し始めた。間違いなく延期になるだろう。

 



今朝の関心事は生徒の出席状況である。全クラスで確認できた。これらの数値を見て一安心しているがまだまだ楽観視は出来ない。現時点で中高合わせて2502人の生徒で陽性患者は一人もいない。素晴らしいことだと思っている。教職員も一人を除いて全員勤務についていてくれた。一人というのはコロナとは全く関係ないご病気で入院されていることによる。恐らく1学期期間中は、このような朝の時点での緊張状態化にあるのだろう。何としても学校でのクラスターの発生だけは避けたいし、臨時休校もやりたくはない。学級閉鎖とクラブ活動の即時全面禁止までにとどめたいが、これとて確信があってのことではない。

 



私は今日の一斉参拝で全校生徒に「コロナ鬱」「コロナバッシング」「コロナいじめ」等について話をした。そしてコロナに罹患したり、濃厚接触者になってしまったことを気にしてはならない、他人に対してそのような思いを持ってはならないと諭したのである。マスク着用、手指の消毒、うがい、3密を避けて十分気を付けていても感染することは有り得る、それくらい感染力の強い株であり、自己の責任を超えたところにあるのであって、それを「自分が悪い」と思ってはならないと強く諭したのである。

 



余りコロナ、コロナの話ばかりでは生徒も愉快ではなかろうと思って、今日は先ほど正式にまとまった「令和3年度府内私立高等学校、中学校の学校別入学者数」から浪速高等学校、浪速中学校のポジションについて初めて生徒に知らしめた。私立高校は府下に統計されている学校が95校あるが何と本校は2番目に入学者の多い学校になっている。これは私の記憶でも新記録の数値である。確か過去3位は一度あったと思う。全高校平均が324名、本校は771名だから平均の2.3倍を超えている。当然だが数が多いから良い学校とはならない。しかし生徒の多い学校は間違いなく評価され、人気のある学校と言うのは言えるのではないか。生徒には「誤解のない誇り」を有して欲しい。

 


浪速中学校は67校の私立中学の内21番目である。平成29年29位、平成30年28位、平成31年28位、令和2年22位と来て、今年が21位だから「じわりじわり」と伸びてきている。全中学平均の数値が120名で浪速中学は136名だから平均の1.13倍、まだまだ伸びる余地はあり、当面の目標数値は140人としている。35人学級4クラスだ。後4人で140人となるが、この4人が「至難の業」である。「牛歩」で良いから一歩一歩前に進むように言っている。