2022年10月29日土曜日

学校は忙しいが楽しい、やりがいのある場所です!

 まぁ、学校と言う場所の「2学期は1年で最も忙しい時」だと思う。私立中高の場合、特にそうだ。学校行事だけでも学園祭、文化祭、体育大会、それに修学旅行、中学では遠足と言われる校外学習等々が9月から12月までに行われる。そこに私立学校は来年度の入学者を確保する為の入試説明会などが毎週毎週入るから、まさに「体力・気力、勝負の毎日」である。本校の教職員は本当に良く頑張ってくれており、有難い限りだ。この多忙さも業務の中味が単調ではなく、次から次へと局面が変わるから、逆に言えば退屈しないくらい面白いし挑戦的だと思えば幾分楽になる。自分の仕事が面白く、チャレンジングであれば、多忙さは苦痛ではなくなる筈だ。とにかく「仕事の出来る人間」とは「さばきの上手い」人間だと思う。逆に言えば「さばきの達人」でなければ教員と言う仕事は務まらないのかも知れない。

今朝は久し振りにNS館の工事現場を視察した。徐々に形が具現化してきた。ほぼ工程は順調であり、1階部分のピロティが形を表し始めていた。そして2階の土間とひさし部分も形が出ていた。私が強くこだわった「軒の出」が目にはっきりと分かる。特に両サイドの軒は「比翼の鳥」みたいに羽を広げた感じの建物になるだろう。表面は軒に「縦の格子が奥行きを演出」するだろう。美しく、良い建物になると確信した。その後中学校の入試広報活動の一つである「校外教育施設」の見学会に参加する小学校6年生と保護者の出発を、私は手を振って見送った。もう小学6年生は中学校進学の為努力しているのだ。我々もこれを受けて誠意を持って対応しなければならない。これらの状況観察も私の仕事である。 





そして又局面が変わった。今日は「浪速高校の第一回目となる試説明会」があった。コロナの為に事前申し込みとしているが、教室数には余裕があり、まさに「大きいことは良いこと」を地で行けている。何と、何と申込数は昨年を大幅にオーバーしている。38教室に分散して「リモート」で各担当がメッセージを発する。登場人物は高校の飯田校長、次いでICT教育推進部長の下園先生、次いで進路指導部長の稲元先生、その後自治会生徒による「学校生活」と続き、最後は入試広報部の出口教頭となる。本校にはスーパースター先生が多くいるが今日の出番はこの先生方である。校長は私が後任の校長として任命し、これが3回目となるから来年の入学者で全学年が飯田校長の入学許可となる。後の出演者は私が採用し今日まで育て上げてきた教員である。 忙しい土曜日であったが疲れは感じない。


それにしても本日の入試説明会の出来上がりはほぼ「パーフェクト」だと思った。部屋のテレビでじっくりと見たがどの場面も最高であった。「良くぞ、ここまで来たものだ!」と実に感慨深い。今日は土曜日だが殆ど全ての教職員が仕事をしてくれている。合間を縫って昨日結団式を終えた高校2年の修学旅行総合責任者のI学年主任を部屋に呼び激励した。入試説明会の中味が大変良かったので私は安心しゆったりとした気持ちで、明日からの九州方面の視察に出掛けられる。今回は今まで行ったことの無い大分県を旅程に入れた。海外が駄目なので、国内で生徒の為になる所、学習になる場所を探し、より充実させる必要がある。今回私が選んだ場所は豊後高田市の「昭和の町」である。昭和生まれの私は最近何故か「昭和時代」が気になる。日本と言う国は先の大戦から敗れて、ゼロから出発し80年近くで今日の日本になった。長い64年の昭和時代、30年の平成時代、そして令和はまだ4年、生徒に祖父母やご両親の生きた「昭和と言う時代を何とか今の高校生に伝えたい」と考えこの場所を選んだのである。良ければ次回から旅程に入れる積りだ。 


2022年10月28日金曜日

修学旅行結団式

 



今日は1330分から高校2年生の修学旅行結団式がありました。理事長・学院長先生は会場となった体育館に出向かれ、喜びで顔が弾けた感じの生徒の顔を見ながらご満足のご様子でした。今回は道東、道南2グループ、長崎、宮崎、沖縄、語学研修のフィリピンと7方面生徒総勢685人、付き添い教員は合計31人で31日伊丹、関空、新大阪からの出発です。先生は去年が長崎で、今年は宮崎方面とされ、一日早く出発される予定です。理事長スピーチは予定外でしたが突然、学年主任の先生から依頼を受けて先生は生徒達に「楽しい思い出の修学旅行になるように祈念しています。」と言われ激励されました。(K

2022年10月27日木曜日

日本古来、伝統的な寄付金の差し出し方の実例

 またまた、100周年寄付金の話で恐縮ですが、私の周りで今、起きている状況を冷厳に観察すると、そこには「時代の流れ」「人間の機微」「個人が生きてきた歴史」「個人の今の生活」等々「人間模様」が明確に写し出されており、人間大好き人間として「小説に書きたい」くらいの喜びと言うか心を揺り動かされます。今回の募金活動で大きな特徴は「募金形態の多様化」を図ったことです。10年前の創立90周年時の時は全ての募金がほぼ「現金持参」の形でありましたが、今回は情報企画部の主導でWEBを使った方式がメインとなりました。本校のホームページの「法人」欄を検索して頂くと「100周年記念事業募金受付中」の画面が出てきます。 


ここには募金趣意書や支払いの方法が書かれており、クレジット、コンビニ、PAY-easy、郵便局振り込み等々様々な形態が示されています。要は寄付してくださる方々の生活スタイルが異なるからその事情に合わせて選択できるようにしたのです。背景にはコロナの事も考慮しました。一々学校に出向く手間を省いたということですね。ところがやはり寄付金を自ら持参して事務室に来られる方も依然として多いのであります。年代層の中にはネット寄付など慣れないし、間違いなく届くだろうかの不安もあるのかも知れません。こういう不安を抱く人々は多いのかも知れません。しかし、私は人様へお祝いのお金を届けるのに宇宙空間を使ってお渡しするなどは日本文化ではありませんと言われる方々もいらっしゃると思っていました。その実例が昨日実際にあったのです。この場面に出くわした私は心が温かく満たされて行くのを感じました。


 
「お父さん、何をぼやぼやしているの!お世話になっている学校に早く持って行きなさい!
」と強く言われたとご主人が言っていたから嘘ではありません、「正装に着替えて、袱紗に入れて持って行くのよ!」とも言われたとの事です。持参して頂いたお方は学校改革以来今日まで本校の仕事をしてくれている「植木職人」のHさんです。この道50年のベテランで本校の校内、校外ほぼ全ての植樹や管理をしてくれており、千早赤阪村の多聞農園のイチゴ園や果樹、農園の管理もお願いしています。日頃は作業着しか見ない私が立派なダークスーツで部屋に入って来た時は「びっくり」しました。彼はやおら「家紋の入った風呂敷に袱紗と塗り物のお盆がありその上に立派な祝いのし袋が乗っており、それを「うやうやしく」私に差し出してくれたのです。


 

「立派な入れ物だね?」と私が聞くと「家内が嫁入り時に持ってきたものです」とお答えになりました。一般的に、結婚前の女性が嫁入り道具として黒留めや喪服などを仕立てる場合は、実家の家紋を入れるのですが、このような祝い盆に家紋入りの風呂敷、袱紗まで持たせるのを初めて知った瞬間でした。「家内の実家は堺の旧家で4人姉妹の長女・・」で言われていました。私はこの「五三の桐」紋は「女紋」かも知れないと思いました。母の紋は祖母の紋、祖母の紋は曾祖母の紋というように、女系で紋が伝わることになります。これらの習慣のある地域は、関西、千葉、瀬戸内海沿岸などで東京・名古屋・九州・東北ではあまり聞かない風習ですが、いずれにしてもHさんの今回のやり方には驚き、感動しました。今、反省することは私は上着を着替えずにジャンパーのまま、寄付金を受け取ったことです。これは私がかいた恥となりました。





2022年10月26日水曜日

100周年記念行事の準備は順調

 25日は茶道部のご指導をお願いしている表千家「木村宗匠」が見えられた。私はお茶室「洗心亭」に赴きご挨拶をした。そして正式に宗匠に現在作成段階にある「100周年記念誌」へのご寄稿をお願いしご快諾頂いたのである。そして年が明けた1月頃に「多聞茶寮のお茶室 久庵」にて「100周年記念茶会」を宗匠のご一門と本校茶道部の手で行い、100年を祝いたいとお願いしたところ、こちらもご快諾頂いた。ただ大変にお忙しいお人で1月は全国各地で「初釜」があり、タイミングが難しいことが予想されるので今から時期を検討することとなった。記念行事の柱の一つとして最初の企画である。この席には「千早赤阪村の村長ご夫妻」もお招きしたいと思う。本校の現在の改革発展は千早赤阪村からお譲りいただいた旧多聞小学校を起源と私は考えており、多聞茶寮、多聞尚学館、多聞果樹園・農園等関係は深い。 


来週は高校2年生の「修学旅行」がある。極めて重要な学校行事である。28日には校長主催の結団式がある。コロナ前は本校は日本でも珍しい先進的な企画を持っていた。海外多方面旅行で、ニューヨーク、ローマ、ロンドン、パリ、ベルリン、そしてストックホルムと価値観が同じ民主主義国家の首都を探索するものであったが全てをコロナが変えてしまった。やむなく日本国内で検討を進め、2年目の今年は道東、道南2グループ、長崎、宮崎、沖縄と海外語学研修のフィリッピンであり、一斉に30日と31日に分けて生徒は出発する。この為に通常の「一斉参拝」は1日に出来ないので、次に全校生徒が揃う11月7日に変更した。

この間に大切な学院神社の拝殿前に進む「石階段」に大した事は無いのだが少し不具合な個所を発見したので数日前から補修に入った。11月7日には修復なった階段を上って一斉参拝が出来る。又私は現在の「鳥居」も表面が変色して来たので元の白木が見えるように修復することを決めた。とにかく来年の4月には100周年の式典があるし、今のうちに神社周りは元の状態に復元修復しておこうと考えた。ここには既に何回も触れているが「祈願の碑」が建つ。素晴らしい御垣内と玉垣に囲まれた神聖な学院神社が100年を寿いで完成される。これは私にしか意思決定が出来ない重要な仕事である。踏み切ったのである。 

検討を進めていた中央館とまだ見ぬ新しい中学校棟を繋ぐNS館の外装の色を最終的に決めた。原案は中央館と同じ「ブラウン」であったがそれを私は「ブラック」にすべきと変更した。中央館は8階建て、新中学校棟は6階建てだから3階建てのNS館は両方に挟まれその存在が「埋もれないように」強烈な色彩とすべきと思ったのである。それが「真っ黒」であった。それを今回の設計打ち合わせで「ダークブラウン」、「こげ茶色」に近い色彩とすることを決めた。車でも洋服でも、大体、何でも「黒」は特別な光を放つ色であり、学校の校舎の外観が黒と言うのもいかがなものかと考え、今後の事を考え、中間色を採用したのである。それでもNS館の外観は一際「オーラ」を放つようでその後引き続いて建設が始まる新中学校棟の外装とのコンビネーションを想像すると周囲を圧倒する、目立つ存在感の建物となるNS館を容易に想像できる。


2022年10月24日月曜日

南海電車、先頭車両のヘッドマーク!と寄付金の話

 南海電鉄(株)さんのプレスリリースの原稿だ。14日付けである。これには「当社初!沿線学校に通う生徒がヘッドマークをデザイン!10月23日(日)から多奈川線の列車に掲出します」とあった。この沿線学校こそ本校の事である。全国高校生地方鉄道交流会が岬町で行ったプレゼンで最優秀賞「南海電鉄社長賞」を本校の鉄道研究部が受賞し副賞として列車の先頭に掲げる「ヘッドマークデザイン権」を授与され、昨日の23日に「出発式」が挙行された。この式典の司会進行も本校放送部の生徒であり、これらは 読売新聞が大きく記事にしてくれていた。




生憎私は他用で出席できなかったが高校のI校長、鉄道研究部顧問のO先生が生徒と共に出席し今朝ほど詳細な報告を受けた。南海の駅長、岬町長、南海の幹部取締役、全国研究会理事長他多くの参加者で、良い天気にも恵まれ、素晴らしい盛り上がった一日になったそうだ。本校の名誉をクラブの部長以下鉄道研究会メンバーは一段と高めてくれて私は校長にクラブ員に激励賞を授与するように話した。鉄道研究部がこのような活動成果を出してくれるとは努々思わず、それだけに感動した。クラブ活動は大切である。 

ところで13日の職員会議で私が全教職員にお願いした「出来る範囲内で」との条件で「創立100周年記念事業」である「新中学校棟建設」の寄付金について事務長からその後の状況について報告を受けた。対象は専任教職員であるが、「皆さん、頑張ってくれている」状況で私は心から喜んでいる。先生方のこの真心を無駄にせず、「21世紀に燦然と輝く浪速中学校新校舎の建設資金」として有効に活用したいと思う。金額の違いは当然あるがそれは役職者、ご年齢(年収レベル)、学校への特別の思い、家族構成、OBであるかどうか等々「個人差」は有って当たり前である。最大で教員一人で20万円寄付と言う先生方も複数おられる。有難い限りである。 

現在保護者宛の寄付金のお願いは公式には出していないが中学校の某生徒の保護者から「100万円」のご寄付があり今朝ほど私はご家庭に電話し、心からお礼の言葉を申し上げた。大きな会社経営の方のご長男をお預かりしており、学校への感謝の気持ちを私は伝えられた。3つ違いの妹さんも浪速中学への進学を考えておられ、今度のオープンキャンパスに参加させると言われた。このように「良い教育」を展開しておれば、間違いなく保護者のご支援を得られる典型的な例である。私は中学校の先生方の誠意ある面倒見の良さを高く評価し、心から感謝とエールを送りたいと思う。 

またまた寄付金の話で恐縮だが本校の生徒の制服を供給してくれている本校正門前の中西制服店さんから会社として150万円、社長さんと会長さんで個別にそれぞれ30万円づつの合計210万円の納入が確認されたと報告を受け、これまた私は電話を差し上げてお礼の言葉を言上した。有難い限りである。社長さんからは「浪速さんのお陰で経営が成り立っています」と謙遜して言われていたが、この会社は「浪速ファミリー企業」の一員であり、本校と命運を共にする会社であるだけにこのような多額の寄付金で祝ってくれたのだと思う。我々は今後ともに他にもあるファミリー企業のアルバム制作会社、体操服納入会社、教科書販売会社さんなどの経営が安定する為に頑張って行かねばならない。本校で働いている教職員だけで学校が成り立っているわけではない。外部に多くの会社がありそこで働いている人々も学校の成長、発展に大きく寄与してくれている。その分本校の盛運はこれらの会社の経営にも大きく影響を与えると言う事だ。





2022年10月21日金曜日

プロ野球巨人ドラフト3位と「オペラ座の怪人」

 昨日夕刻、硬式野球部前監督だった池澤先生から興奮した声で私に電話があった。「先生、ジャイアンツの4位指名‥云々」というものだった。これは誤報で結局は「プロ野球界の盟主巨人の3位指名を勝ち取ったのは本校卒業生の田中千晴」である。この選手は池澤先生が「手塩にかけて」育てた選手で國學院大學に進学、そして今回の栄誉となった。右投げ右打ち、190センチの長身から繰り出される直球とカーブ、スライダー、フォークを武器として大学でスカウトから注目され始め、今回の栄冠となった。私が校長時代に入学を許可し、卒業させた生徒で在学中から良く知っていた。成績も良く、とにかく「プロ野球に行きたい志」がぶれずにふくろうスタジアムで黙々と練習に励んでいた光景を思い出す。とにかく教職員の評価が高かった。このような生徒が目的を達するのである。国学院大からも、ご両親からも池澤さんにお礼の電話があったと言う。私は正門にお祝いのバナーを立て、ご両親ともども学校に招待し全校で祝う企画を考えるように常務理事に指示した。100周年の学校にとんだ大きなプレゼントが舞い込んできた。嬉しい。この気分は格別なものがある。木村時代に初のプロ野球選手が誕生する。 


今日は大阪四季劇場にて劇団四季の「オペラ座の怪人」の観劇に行った。今年のPTA企画「社会見学会」である。PTA活動の恒例行事であり主催はPTA成人教育委員会で、例年の如く、学校からは私とPTA担当の教員3名であった。大変有名なミュージカルであり、保護者の事前人気度は高くて役員は人数制限に大変だったと聞いた。HISさんと教員の頑張りでプラチナチケットは50枚と良く取れたものだ。あらすじは、19世紀後半パリ・オペラ座の地下には人知れず音楽の才能豊かな怪人が住み着いていた。 醜く生まれついた怪人は、母親からも愛された事はなく、嫌われ迫害され続けた末に罪を犯し、オペラ座の地下に逃げ込んで、仮面をつけて孤独に暮らし続けて来たのであった。これ以上はここでは書けない。フランスの作家ガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」を基にしたミュージカルで初演は1986年と言うから相当歴史がある。アンドリュー・ロイド・ウェバーが音楽を、チャールズ・ハートが作詞を、リチャード・スティルゴーが補作を担当し、ロイド・ウェバーとスティルゴーが共に脚本を著した、有名すぎるミュージカルである。 


例年なら昼食時はアルコールが少し出るのだが観劇中に「うとうと」してはならないか皆さん、ノンアルコールで乾杯だけして、直ぐに食事に入った。同じビル内にあるレストランでイタリアンのフルコースであった。社会見学会の楽しみはこのランチであり、皆さんご満足の様子であった。メニューには前菜3種盛り合わせの後ピツァが出たのだが、メニューには「王道マルゲリータ」(1人前2ピース)と書いていたのには一人ほくそ笑んだ。ピザ大好き人間としては些か不満は残るが、まぁ費用はワンドリンク付き4400円だから致し方が無い。この「慎ましいのが良い」。しかし味とボリュームには皆さん満足されていた。11時15分にレストランに集合し食事、13時に劇場に移動し13時30分には幕が開いたのである。 


オペラ座の怪人は前評判通り素晴らしかった。豪華絢爛、仕掛けに工夫を凝らし、スピードと俳優陣の演技力、そして出演者の数の多さに圧倒された。慌ただしかったがこれも「一興」でこの社会見学会も従来の大型バスで校外に出掛け、何かイベントや簡単な物つくりを行ってビールで乾杯のスタイルから今後徐々に変化していくのかも知れない。現地解散は16時15分、私からこれまた恒例のお土産を参加者にお渡しして学校に帰り着いたのが17時であった。今日の感想はやはり「キタ」は「ミナミ」と少し感じが異なる。慣れ親しんだミナミも良いが偶には北でこのような観劇とイタリアンの時を過ごすのも悪くはない。

2022年10月20日木曜日

全員、襟に100周年バッジ

 



今日は卒業アルバムに載せる教職員全体の写真撮影の日でした。まず高校から行われました。その後、中学校の先生方だけの撮影となります。理事長・学院長先生は全員が揃った情景を見られて皆さんが胸に100周年のバッジを付けられているのを見られご満足なお顔をされていました。高校、中学共に今日で中間試験が終わり、先生方は集中採点日となっています。(K


2022年10月19日水曜日

甲賀市信楽町「大塚オーミ陶業(株)信楽工場」さんを訪問

 1昨日午後、「住吉大社」の幹部神職の方から電話があり、「巫女さんとして、お宮に就職してくれる女生徒はいないか?」という問い合わせであった。残念ながら本校は殆どの女生徒が大学進学するので候補者が見当たりそうにないが、「有難いお話」なので、再度高校3年生の中から希望者がいるかどうか教頭に指示して調査することにした。住吉大社は大阪市住吉区住吉にある神社で式内社、摂津国一宮、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社であり、全国にある住吉神社の総本社である。本殿4棟は国宝に指定されている。このような天下の住吉大社からお声がかかったのである。女性神職を生業とするのは決して悪い話ではないと思うが候補者が居ないのでは仕方がない。この話だけでも少子化と高学歴社会が神社界に与えている影響を垣間見ることが出来る。本校と住吉大社さんとは共に住吉区内にあり、ご縁が深く、私が今使っている学校車はこの住吉大社でお祓いを受けた。このお陰で今まで無事故無違反で来ている。 

今日は予てからの懸案であった甲賀市信楽町にある「大塚オーミ陶業(株)信楽工場」さんを前述した学校車で訪問した。この会社は知る人ぞ知る、大変立派な文化的事業を展開されており、大塚製薬をはじめとする「大塚グループ」の一員である。有名な鳴門市の「大塚美術館」にはこの会社の作品が展示されており浪速中学校の生徒は校外学習で例年行っているスポットだ。このご縁から関係が深まったと言える。製品は大型陶板製作、名画の陶板、陶壁、レリーフ、テラコッタ、肖像陶板、サイン陶板等の設計・デザイン・製作・施工である。日本でもこの分野ではトップのメーカーである。いわば文化貢献企業と言える。 

今回の訪問の目的は来年4月の100周年記念として「祈願の碑」の造作物を考えており、本体の作品は萩焼の焼き物であり、この作品の台座に取り付ける「100周年記念の銘板」を「陶板」で作ろうと考えているからである。その為にこの会社のショールームがある信楽を訪問し、ショールームを視察し社長さんはじめ技術の方々とお話しする為であった。焼きものというと壺や花器、茶碗などを直ぐに思い浮かべる方が多いかもしれないが、大塚オーミ陶業が手掛ける「焼きもの」は、空間を彩る壁一面の装飾やモニュメント、陶による名画や文化財等の複製など多岐にわたり、その自由で創造的な表現は従来の焼きもののイメージを覆す。「焼き物とは永遠であり変態点を超える熱を与えれば二度と土には戻らない」物である。100年を過ぎ次の百年を目指すためにも「100周年記念碑は焼き物で固めたい」と考えた。

 


学校近くに高速道の入口が出来たので結構早く朝8時30分に学校を出て約束の10時30分には工場に到着し,全ての仕事を終えて15時には帰着した。信楽も近いわ。このような文化的な事が大好きな人間として秋晴れの中、良い一日を過ぎすことが出来、今日正式にお願いすることにした。それにしても技術的に素晴らしい会社で、社員の方々も芸術家であり技術者であった。私は隅から隅までご案内頂いて勉強した。文部科学省や文化庁、行政団体や研究所など名だたるところからの注文生産の会社である。今後具体的な話を進めることにした。100周年を彩る神社前広場の「祈願の碑」は素晴らしいものになりそうで今から「ワクワク」してきた。尚引き続いて新中学校校舎の正面玄関付近に古事記の名場面「ヤマタノオロチと因幡の白うさぎ」神話を大きな陶板で飾る事を考えており、この事もご検討頂くようにお願いして辞したのである。しかしこれはコスパから難しいかも知れないと感じた。





2022年10月17日月曜日

千早赤阪のだんじり祭りと100周年記念 奉祝祭、どちらもお祭り?

 もう、ほぼ終盤であるが9月、10月の今の季節、全国各地で季節ごとに行われる、地域の小さな祭りや大規模なお祭りなど、とにかく「日本にはたくさんのお祭り」がある。神社神道の学校として私はこれらのお祭りを極めて大切に思っている。日本文化の保持の為にも必要な事だし無くしてはならないと強く思う。本校でも9月中旬に「浪速祭」というお祭りをコロナの為に変形型とはなったが一応行った。ところで本校は南河内郡千早赤阪村とは縁深く、この地には「建水分神社(たてみくまりじんじゃ)」という有名な由緒あるお宮さんがある。大阪唯一の村である千早赤阪村のこの神社に、秋の実りを感謝するお祭りとして奉納される御神輿渡御祭が「千早赤阪村だんじり祭り」で、周辺3市町村(富田林市、河南町、千早赤阪村)の各氏子地区から、20台近くの地車が宮入りするお祭りが先週末14、15、16日と晴天の中で行われた。 





都会の喧騒から離れた「のどかな村」が、お祭りの日は大にぎわいになり、神社から約1km下の御旅所へ曳行し、全地車が参集した風景は「河内随一と謳われるほどで壮観」である。式内社で、旧社格は府社、通称は水分神社。古より「金剛山の鎮守」として、また、大楠公生誕の地として「楠木氏の氏神」として崇敬されている。最近では初詣の神社はこの水分神社にしているくらい私は尊崇しており、勿論だんじり祭りの「お花代」も出している。このお花であるが江戸時代より続く風習であり、元は祭り事があった際に芸妓さんや芸者さんなどへのご祝儀として渡されていたものである。それが現在は、祭りの準備などをして下さる方々へのご祝儀として渡されるようになり、本校とご縁の深い森屋地区のお祭りへのお花を出さない訳には行かない。関西では岸和田だんじりを筆頭に、お盆やお正月はさておき「祭りの日だけは必ず帰ってこい!」というほど熱が入った地域もあり、この千早赤阪村もすごい。



今日は月度一回の安全衛生保健委員会がN産業医のご出席の下あった。その後引き続いて職員会議であった。学校は順調に歩んでおり特段大きな問題、課題はないが、来年度は創立100年の大きな慶事が控えており、これから始まる本番入試に向けての周到な準備とプレゼン、特に入試問題については細心の注意で「凡ミス」のないようにと指導した。「創立100年目に入学してくる生徒の選抜試験」だ。人間故に時に凡ミスはあるものだが、チームによる総合力で抑えることは可能である。凡ミスとは不注意から起こる間違いであり、ケアレスミス・目溢し・見落とし・見落・目こぼれ・目こぼし・目溢・見落し・粗忽・目溢れ・粗相など同義語は多い。それくらい人間は凡ミスからは逃げられないのだと思うが、それでも努力で遠ざけることは可能だ。プロの教師が入試問題で外部から笑われるようなミスはあってはならない。 

先般の職員会議で私がお願いした来年度の「創立100周年記念事業の新中学校校舎建設」の教職員からの寄付金であるが、既に事務長にドンドン寄付金が来ていると報告を受けた。人それぞれに思いがあって金額は異なる。それが当たり前であり結構である。それにしても12月末が期限としているのに不思議な現象だ。又教員一律とか誰かが代表で渡すとかは有り得ない所業だ。町会費とか入会金の類ではない。職会からまだ日も浅いのに、これほど「嬉しい」事は無い。来年の4月30日には「100周年記念奉祝祭」を行うがこれも「お祭り」である。これらの浄財を拠出してくれた教職員には心から感謝申し上げたい。ただ理事長・学院長から言葉だけで「有難う」で済ますような組織管理者ではない。自分と家族の生活がある中で「学校の一大慶事」にお祝い金を出してくれる「学校への感謝の気持ち」「お祝いの気持ち」としてのいわば「寄付金」「ご祝儀」「お花代」、言葉はどうでも良いが、これらの「返礼」についてどのようにすべきか考えているところだ。私からの「お返し」も大切な日本文化である。「ただどり」するような野暮な理事長ではない。