2024年7月16日火曜日

「人間禅教団名誉総裁 師家 葆光庵 丸川春潭 老師」

 今日は重要なご来客があった。お名前は本名が丸川雄浄さんと言われるが、今や丸川春潭老師と呼ばれる機会が圧倒的に多い。公式には「人間禅教団名誉総裁 師家 葆光庵 丸川春潭 老師」が正式なお名前である。御年84歳になられる。師家(しけ)とは一般の禅僧に対して、師としての学徳を有する禅僧の事で、特に座禅の師を言う。私とは住友金属の上司と部下の関係でご指導やご厚誼を頂いて50年間にもなる。大阪大学の理学部化学科を卒業され東北大学から工学博士の学位をとられた学者のお顔も持たれ、阪大や中国の大学教授も務められた金属工学の分野では良く知られた学者でもある。私は是非一度丸川先生に学校にお越し頂き、教職員に「指導講演」をして頂きたいとお願いし今日ようやく実現した。 



「人間禅」とは、会社員・主婦・学生などが日常の社会生活を送りながら、本格の坐禅(座禅)の修行を通して人間形成をするために設立された団体で、全国に31道場があり、支部・禅会・座禅会がある。丸川先生は前の総裁で現在は名誉総裁の立場で全国を行脚され指導会をされておられる。人間禅は仕事を持ちながら生きている人間への「心の教育」であり、日常生活の中で生きていると、生死の問題をはじめ、いろいろな感情に苦しめられているが、禅では、古来より、その解決策として、「坐禅(座禅)を通して三昧に入る」ことによって、平穏で、自由な心を獲得する修行法がその行動原理である。禅は中国から伝わり、長く僧堂(寺院)の中で出家した僧侶によって護持されてきたが、出家しなくても、市井の人間でも出家者と同じ修行ができる道が人間禅であり、系統的に人間禅は、円覚寺の流れを汲む。

 本日の指導会は老師自らレジメを作って下さり「心の教育・人材育成と三昧」と称したご講演であった。参加者は期末試験も終わり少し余裕が出来たこの時期なので全員参加の研修会の形とした。総勢140名であった。お話の展開と真髄がまとめられた一枚の用紙に全てが込められていた。難しい言葉であるがその関係性に私はこの年になって初めて分かったような気がした。人間禅の世界では「三昧に生きる」ことの少なかった「不肖木村」であったが、遠く離れていても丸川老師は私の事を気にかけて下さり、私はその謦咳に接することで、一人の人間としての矜持を忘れず、「今日の私がある幸せ」に気付いたような気がした。老師とは久方振りの邂逅であり、昼食を共にし、又今夜もお互いに日本酒が好きなので冷の盃を傾けながら語り合いたいと思う。 



「師あり、遠方より来られたり、これほど有難きことは無し」。84歳になられるが足取りはしっかりとされ、頭は従前と変らずシャープである。冒頭、私の執務室で開講100年夢の軌跡をご覧頂き、その後持参された自分のパソコンを使われるので講演会場を下見された。講演会は素晴らしいもので「数息観法」について実践を交えてご教授頂き「三昧の世界」を教えて頂いたがこれが又難しい。又本校の校訓である「浄明正直」の禅的解釈までして下さった。何処を観ても「かくしゃく」とされており、私は又一歩でも近づきたいと思った。私に対して「木村はもっともっと立派な理事長になれる!自分も84になったがまだ成長している事を強く感じている!」と激励して頂いた。しかし「師の影」は遠い。

2024年7月13日土曜日

第二回浪速中学入試説明会の手応え

 今日は「2024(令和7年度入試)第二回浪速中学校入試説明会とクラブ体験会」が午後にあった。昨年は人事異動があり、新しく中学校校長も代り、現西田校長も2年目の広報活動である。観ていると少し慣れてプレゼンの腕も良くなって来たと感じた。学校のトップである校長が冒頭しっかりと、力強く「校長の方針」をプレゼンすることが極めて重要である。今回はプレゼンの資料も前回に比べて様変わりで大変に良かった。入学者数は2年前が148人で昨年が141人だったから、反転攻勢で軽く150人は超えて欲しいが、少子化の進展で簡単には強固な岩盤は崩せないかも知れないが、我々は地道な努力を継続する気力は充満しており、必ずこの目標を達成する。チームワークは今最高状態にある。 


現在新しい中学校棟の建設が着々と南海辰村建設さんの手で進められており、初めてこの教室に入る中学1年生は新記録になることを理事長としては期待したい。今朝現在の参加申込者は昨年対比で30%アップ、一昨年対比で12.5%だからまだまだ安心して新記録圏内とは言えない。更なる努力が必要だが上昇気運を感じた。教頭が本日の欠席率を報告に来てくれたが過去新記録となる参加率だった。これは傾向としては良い兆候である。終わった後私は校長、教頭,入試広報部長、情報企画部の主任に「今日は大変に良かった」と誉めた。 

開校100周年を記念して私は神社前に「祈願の碑」を建立したがこの中に燦然と輝く「100周年の記念レリーフ」を陶製で大塚オーミさんに作って貰った。昨日、この会社の営業の責任者が来られたので私は次に書くアイデアを出して検討するようにお願いした。それは「100年前の旧制浪速中学の1回生の生徒が伊勢神宮に遠足」に行った時の集合記念写真をレリーフの永久版に加工して新中学校棟の2階エレベーターホール近くの格好の場所に取り付けるのである。応接室でも良いと思う。時代がかってはいるが当時の第1回生から浪速の歴史は始まった。これを我々は忘れてはならないと思う。私は中学校へのプレゼントとしてこのレリーフを贈りたいと思う。 


さて学校も来週で1学期が終わる。中学校は20日が終業式、高校は31日だが、20日は「学校5日制」について私から中高合同で正式に移行する旨の宣言を行う。これ以降は大きな学校行事が目白押しだ。この日、月の2連休では15日に全国高校野球大阪大会が始まる。浪速高校は府立山本高校と第1回戦がある。当然私は久宝寺球場に応援に赴く。翌21日から本校のビッグイベントである伊勢神宮での「第71回伊勢修養学舎」がある。これが4班まで29日まで続くが、私は第1班にアテンドする。25日は天神祭りの船渡御に乗船する招待を受けており、次は京都市内の有名な旅館「お宿いしちょう」に赴く。ここでは高校3年生の特別学習合宿が25日から始まり8月4日まで徹底した受験勉強特訓があり、私は27日に京都に参り生徒を激励する。マーク模試や各教科の演習、解説を行い、大学入学共通テストの得点率80%を目指すのが目的でありこれも今や本校の重要な仕組みとなってきている。

8月5日からは学校で「浪速グローバル・アカデミー」と称した英語会話力の特訓が10日まで続く。そして8日からは学校は休業して正門を閉じる。以上のように今日的学校は自由意志でこの夏の期間はしばりなく、「自己の選択」で好きなこと、やりたい事を学校は用意して自己を磨く努力をするのである。幸い今日の中学校入試説明会とクラブ体験は蒸し暑いが、晴れて雨は無い中で、多くの小学校6年生が入試説明会に来てくれた。前半戦も学校は良い状態が継続出来ている。私はこの状況に身を置いている満足感に浸っている。学校って忙しいが、実にチャレンジングで面白い。



2024年7月11日木曜日

別表神社「大阪護國神社」

 「大阪護國神社」は市内住之江区にある神社で、大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊105千余柱を祀っており、「ご祭神の柱数」は全国の護国神社では沖縄県護国神社、福岡縣護國神社に次いで3番目に多い。現在は神社本庁の「別表」神社である。別表とは長くなるのでここには書かないが要は全ての神社は元来、対等の立ち位置であるが本庁の指定した別表に載せられた神社は「人事面で特別な扱い」が出来る神社である。言わば格が高い神社と理解できる。例えば護国神社の宮司は神社本庁統理の直接任免であるし、就任後は宮内庁に記帳に参るなどがある。 

私はこの神社とはご縁が深くてここ三代の宮司様とはご厚誼を頂いている。お宮は住之江公園の南西に鎮座し、新なにわ筋を挟んで住之江競艇場に隣接している。住之江通に面した正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。元宮司の柳澤忠麿氏は日本会議大阪運営委員長、神道政治連盟大阪府本部長を務めるなど人物で、お孫さんは当時校長であった私が入学を許可し、卒業した。2018年(平成30年)331日に逝去され、その次の宮司様は義理のご兄弟である日本会議大阪南河内支部長、道明寺天満宮の南坊城充興氏が宮司に就任された。この方は本校理事では最長の経歴を持たれ、私がこの学校に招聘された時以来のお方で言わば私の兄貴分であり盟友でもある。浪速改革のもう一人の立役者であり、良く私をバックアップして下さった。最も親しい神社界の大物である。 

南坊城宮司はわずか2年で周辺の大改革を行い宮司職を当時鎌倉の鶴岡八幡宮の神職であった藤江正鎮氏に「スパっと」譲り、見事な世代交代を成し遂げた。藤江宮司は令和3年(2021)4月に就任された。令和49月中旬、共同通信やNHKなど8つの報道機関が実施した凶弾に斃れた「安倍晋三元首相の国葬」に関する世論調査・アンケート調査ではいずれも「反対」が「賛成」を上回り国論を二分する社会問題となった時、これを受けて藤江宮司は自由民主党大阪府連などに問い合わせ、府内に弔意を示す場がないことを知り、926日、大阪護國神社に献花台を翌日に置くことを通知した。Twitterで寄せられた「いいね」は2万件を超え、同月27日、藤江宮司は産経新聞の取材に応じ、「国葬反対の声ばかりが取り上げられているが、「あれだけ功績があるのに」という憤りがあったと述べている。この事案だけでも藤江宮司の気骨と人間としての幅の広さ、度量の大きさが分かる。 


爾来本校は藤江宮司へのご支援もあり距離を大きく縮めた関係になっている。宮司は今日ご来校されこの夏の神社が主催する幼小中高の「絵画コンクール」の出品作品の審査をお願いされており、この企画も初めて5回目になる。宮司のご発案である。又「9月21日の世界平和デー」には本校書道部の部員が神殿や拝殿で揮毫する「奉納書道」をやらせて頂いているなど関係が益々深くなっている。藤江宮司は話していても分かるが極めて頭脳明晰でお二人のご子息はいずれも東京大学に現役合格している。長い関東生活から大阪暮らしに転換し、ようやく慣れて来られた頃と思い、次の学校法人の役員改選では評議員にご就任頂きたいと今準備を進めているところである。




2024年7月10日水曜日

大塚善章先生ご来校

 




今日は本校の校歌を作曲して下さった「大塚善章」先生が理事長を尋ねて来られました。昨年の開校100周年以来の訪問となります。ご夫人とご一緒で、理事長先生は温かくお迎えになり歓談されました。先生は趣味の陶芸の話を持ち出され大いに盛り上がりました。ご来訪の目的はこの11月24日に大塚先生が「傘寿記念のコンサート」をされるとかでその協賛のお願いでしたが、理事長先生はこのような校歌の作曲と言う特別にお世話になった方への協力は何時も前向きにご検討されます。それにしても大塚先生は90歳に成られますがお元気そのもので立って屈伸をされ手が床に付くお姿に理事長先生は驚かれていました。「素晴らしいね!人生百年時代の見本のようなお方が作曲してくださった校歌」を今後とも大切にしたいと申されていました。(K

2024年7月9日火曜日

「空手道部の事」

 私は全日本空手道連盟から「空手道4段を認許」されている。免状の中に間違いなく書かれている。名誉の言葉は付いていないが名誉4段である。認許の言葉があることを初めてこの時に知った。受賞の数日前に全空連の笹川会長からお電話を頂き、事前に知らされた。時期は「平成から令和に御代替わした令和元年12月6日」の事だった。空手道などやった事もない私がこのような名誉を掌中に出来たのは、K.I監督率いる空手道部の躍進が凄かったからである。これは断言しなければならない。新道場を得た空手道部は全国制覇への道を突き進んでくれ、「浪速高校空手道部の勇名」は日本全国に鳴り響き、その勢いは今も続いている。又私の4段の認許の背景は空手道部練習場「練武館」の創設が空手道の発展に大いに寄与貢献したというところであると聞いた。笹川会長は当時噂になった本校の新道場を視察に来られ、激賞して頂いたことが今でも懐かしい。確かあれは2年連続春夏連覇の祝賀会の時だったと思う。爾来私は笹川会長とは懇意にして頂いている。

 


このK.I監督が成し遂げた言わば偉業は浪速改革スタート以来、「春の全国選抜大会で優勝回数は10回で最多」を数え、今年も成し遂げた。夏のビッグイベントである「インターハイでは団体組手において全国優勝回数は6回、準優勝が1回、3位が3回」だから今や常勝軍団に育ったとも言える。この夏も大阪代表として佐世保に向かい頂点を狙っている。これら全ての戦績はK.I先生という本校の保健体育科教諭の指導と部員生徒の努力と根性のお陰である。しかし謙虚な監督は「この素晴らしい道場、練武館を作って下さった理事長先生のお陰です。」と何時も何方にも言ってくれているらしい。噂が噂を呼び、本校には日本全国の有力な多くの強豪校から練習試合を求められている。とにかくK.I監督の指導を噂の道場で行いたいとのお気持ちではないかと言える。 

確かに今や4面を有する浪速武道館空手道場「練武館」は恐らくアマチュア、大学も含めて学校単位では日本一の道場かも知れない。そのような意志を強く持ち、精魂込めて作っただけに私は素直に嬉しく思う。立派な道場と卓越した指導者が生徒達の心に火を付け、信じられないような力を出すのである。 

この練武館こそ、昨日のアラウンドに書いたように今丁度、新浪速中学校棟の新築を請け負ってくれている南海辰村建設さんの力で竣功して頂いたのである。余談だが浪速中学もこの新校舎によって今後ますます発展して行くことは間違いない。 

空手の発祥の地は古来、琉球と呼ばれていた沖縄と言う。その源流は、彼の地で古くから伝承されてきた独自の格闘技「テー」が、14世紀後半に伝来した中国拳法の影響を受け、現在の形に発展したと考えられていると物の本には書いている。「空手」という名称の由来には諸説あり、中国(唐)に学んだ拳法ゆえに、当初、「唐手(トーテー)」と呼ばれていたものが「カラ・テ」と読み替えられ、その後、手に何の武器も持たないことを意味する「徒手空拳」の「空」が「唐」の字から置き換わり、「空手」になったとする説が一般的らしい。武器を一切持たず、ただ手と足だけで勝負するスポーツである。ここが極めて「かっこよい」。 

空手は長い間、秘技として伝承され、沖縄で一般に広まったのは1900年代初頭のことで、その後本土に上陸し、1922年、東京で開催された第1回体育博覧会で、「形(かた)」の演武が公開されたのを契機に、大学を中心として日本各地に普及した。海外にまで広まるのは戦後のことで、昭和30年代以後、多くの勇気ある日本人指導者が海を渡り、空手を全世界に広めた。現在、国内の空手人口は約300万人を超え、世界では 165カ国が世界連盟に加盟しており、4,000万人の愛好者、競技者がいるという。町でも今や多くのちびっ子選手を目にする。現在本校の空手道部員は中高合わせて108人もいる。 

この本校の「チャンピオンクラブである空手道部」に対して最近、外部からの侵入で少しだけ騒がしい状況になっている。この部に関しては保護者、OBを含めて陰に陽に、叱咤激励のお言葉やお手紙が私や高校校長に届く。殆どが称賛と激励であるが、当方が困惑するのは「匿名のお手紙」である。当方は指摘事項に対し、調査して返信しようにも連絡することが出来ない。府の行政指導は匿名の手紙は「放置しても良い」であるが、中には事実誤認の情報で本校空手道部の名誉棄損に相当するなども垣間見え、看過できない時もある。 

今回の匿名の手紙はまさにそうだった。私の指示を受け、高校校長は全てを監督官庁である私学課に匿名の手紙の現物を添えて報告し、住吉警察署に相談を持ち掛け情報を提供した。本校の校訓は「浄く、明るく、正しく、直く」の浄明正直であるから不祥事の隠蔽などは元来あり得ない運営を行ってきており、これは今後とも徹底して参る。

今や府内の私立高校96校でトップの入学者を受け入れている本校は今後とも学校の名誉を守り、教職員、そして本校で学ぶ生徒の人権を守る為に出来ることは全て行う積りだ。今回の匿名の手紙は間違いなく空手道部への名誉棄損だけではない。「学校法人への侮辱」であると私は捉えた。それくらい中身が酷い。

匿名の手紙を差し出したお方に申し上げたい。「顔を隠して」、名誉棄損、侮辱、人権侵害、恐喝まがいの中味等々書いた手紙を次々と学校に送ってくるのはいい加減にして欲しい。 徹底的に貴方が一体誰なのかを突き止め、お話をしたいと思っている。貴方は何が目的なのですか?

私はインターハイ前のこの大切な時に空手道部の生徒と顧問の先生方が可哀想でならない。昨日久し振りに練武館を訪ね、丁度練習の終わった部員を集めてまず神棚に揃って参拝し、私は空手道の部員を激励した。インターハイを控えて一層練習に身の入っている選手諸君は目を輝かし、練習を終えた満足感に浸っていた。私は結構長く時間を取って詳しく練武館の誕生の経緯などを話して聞かせた。武道をやっている生徒は礼儀正しく良い生徒ばかりである。今更ながら空手道部は良いな、だから強くなると感じた。





2024年7月8日月曜日

現実は時々刻々変化するが常に理想に近づける努力を!

 早朝、1カ月ぶりに建設中の新中学校棟の現場に赴き、その様子を伺った。心の中ではもっと足繁く、現場視察をしたいのはやまやまだが、学校と言うところは色々とあって、優先順位を考えて行っている。又「今日は行って見るか」くらいの軽い気分では現場の人に悪いし、又気分が乗らずに建設現場に顔を出すのは良くないと言うのが私の主義であるから、大体1か月ピッチとしている。元来現場では長袖の服装が正しいが、短い時間なので工事を中断して貰って半袖を許して貰った。視察後の印象は一言で言えば「竣工したら素晴らしい校舎になること、間違いなし!!」と改めて感じた。今の西館の中学教室よりかは広く取っているので余裕がある感じが極めて良い。躯体は5階まで出来ており、後は最上階の6階と天井の床だ。工事資材の搬入に使う揚重機が前回の視察時後に設置されており、それに乗って5階まで一挙に到着した。 



エレベーターの位置は学院神社の中心になるように持って来ており、今日は揚重機からの眺めであったが、シースルーのエレベーターから見る正門玄関、学院神社、神社前広場、中央館回廊等はまさに「一見に値する」光景になると容易に想像出来た。又特に2階部分の校長室、職員室、来客応接室からは神社が遠く「丸見え」な感じである。2階でエレベーターを出ると、ホールからは一挙に職員室が眼前に広がり、生徒や保護者、ご来客など驚嘆されるのではないか。これから内外装工事が始まるが私は「気力を充実させ」ウヲッチする積りだ。最後は色彩などの「意匠性」がものを言う。垢ぬけておしゃれで、機能的な近代的建物で無ければならない。しかし今日の視察で益々その実現を確信した。 





午後からは「1学期最後の校務運営会議」があった。その前には産業医ご出席の元で「安全衛生保健委員会」があった。私は居並ぶ幹部教職員に少し早いが慰労の言葉を述べた。期末試験も終わり、中学は20日の終業式、高校は31日の終業式まで特別な学校行事が続く。ハイライトは21日から31日までの高校の「伊勢修養学舎」と中学の「伊勢HR合宿」であり、この他にも特別授業、特別補講、受験対策講座等が「目白押し」である。世間の人は「学校は夏休みが長くて良いですね」と昔は良く言われたが、最近は余り聞かない。それも学校と言う塀の中を社会の人々は知って来たということだろう。今日的学校はとにかく時間に追われて忙しいのである。 


2学期からは学校は「様変わり」して「学校5日制」がスタートする。5日制と言っても土曜日は休みではなくて「形を変えた取り組み」を検討済みでありこれを20日にまず理事長・学院長から全校生徒と教職員に「9月1日からやるぞ!」との開始宣言を公式に行う予定だ。試行錯誤しながら中身を高めて行きたいと思う。生徒にも教職員にも「ゆとり」を持たせ、自ら考え自ら行動する人材を育てる方向に少し重きを置くのだ。何でもかんでも一方向の教えると言う行為から教師も脱却し、育てると言う感覚を持たせていきたい。理想と現実は違うと言うが「現実を理想形に近づける行為」は決して間違っていない。

2024年7月6日土曜日

多聞尚学館での「思考力養成セミナー」

 昨日、中高共に1学期の期末試験が無事に終わり、今日は生徒の「家庭学習日」にしているので学校は極めて静かである。先生方は集中して採点作業に当たる。しかし、一部の高校生は学年を横断して約100人の生徒が「思考力養成多聞セミナー」と称して指導に当たる8人の先生方と多聞尚学館に向けて8時過ぎに学校を出発した。中心になってこのセミナーを3年前から育て上げてきたのは指導教諭で国語科の教諭であるT先生である。まさにこの先生は「スーパーティーチャー」である。このセミナーは千早赤阪村についてSDGsも視野に入れた地方創生の課題を現地で考えることで、問題解決能力やプレゼンテーション能力を養う事を目的としている。 

その為にT指導教諭は事前に段取りして調整を行った結果、千早地区の住民の方々10人を多聞尚学館にお招きし、村の歴史や地区の抱える課題などをお話しいただいた。その中にはこの施設を売って頂いた前の村長さんも入っておられた。生徒は住民の方々のお話を聞いて、課題を共有し、それを纏め、グループで討議してプレゼンをすると言うプロセスであるから、まさに「生きたセミナー」となっている。私は出発のバスを見送った後、急遽、「僕も多聞に行くわ」と、予定を変えて学校車を自ら運転してバスを追いかけた。その途中で「そうだ!」と考え、先の千早赤阪村村長選挙で当選された、菊井さんをセミナーにお招きしようと思い、車の中で電話により段取りをした。






住民の方々のお話は10時30分までで、その後生徒全員がラウンジに集まり、私はT先生の進行で「理事長講話」をし、思考力セミナーの意義、この多聞尚学館の誕生の経緯、そして住民の方々へのお礼などを述べた。その後自ら紹介する形で村長選挙に当選された菊井さんから、まだ村長ではないが住民のお一人としてそして後7月16日には晴れて村長にご就任される菊井さんに「何か生徒に一言、激励のお言葉を」とマイクを渡したのである。菊井さんは素晴らしい挨拶をされ、夢多い生徒の将来に言及され激励して下さった。 


セミナーの最中に入試広報部が主管の小学校6年生対象の校外施設見学ツアーの一向が多聞に到着し、高校生と地元住民とのセミナーの様子や館内見学と時間的にあたったが、児童生徒は目を輝かせていた。保護者同伴であるが保護者の方々も素晴らしい美麗な多聞尚学館で高校生が現に使って勉強している姿を見て本校の良さを得心して頂ければ有難い話だ。

 大阪唯一の村、最も標高の高い金剛山を有し、本校はこの多聞尚学館、多聞茶寮、多聞果樹園、農園、お隣の河内長野市には「ふくろうベースボールスタジアム」、堺の美原区には「高天原スポーツキャンパス」を有してこのトライアングルを有効に生かし、日本の明日を担う生徒達を教育していくことに今後とも邁進したいと思う。施設は何時までも大切に美麗に保ち、学校と行政当局、そして地元住民の方々と今後とも厚誼を深めて行くべきと隣にいた常務理事や中学校長、高校の副校長に強くその場で申し渡したのである。

2024年7月5日金曜日

今日は令和6年、夏季賞与・一時金の支給日

 今日は令和6年の「夏季賞与・一時金」の支給日であった。小さな私立の高等学校・中学校と言えども「学校の経営」を担っている身にとって今日ほど特別な感情が湧き出る日は無い。表現すれば「まぁ、今回も良かったー!」と吐露しているところか?これが支払えなかったり、対前年度削減された支給額だったりすれば、私の性格からすれば「相当、落ち込んでいた」に相違ない。何時も同じように、この日早朝、ただ一人、ひと気のない学院神社にお参りしてこの夏も頑張ってくれてた教職員全員に「今夏も出すことが出来ました!」との報告と感謝の気持ちを大神様に表した。 


特に今回の賞与・一時金の水準は平成19年以来「学校改革を押し進めて」きたが、この間年間4カ月分として押し通してきた。その代わり「一回も削減などはせず」、資源はまず東館、中央館新校舎の建て替えやあらゆる教育環境の整備を優先してそこに経営資源を集中してきた。17年前にはお金は無かったが、銀行より借りて、まず稼ぐために「施設設備の全面更新」から始めたのである。お金を貯めてからやるのが学校の常套手段だがその逆を私は選択した。チンタラしていては間に合わないと思ったからである。しかし徐々に生徒は増え、開校100周年も見事にやり切り、この辺で頑張ってついてきてくれた教職員への還元策として年収水準を上げる時が来たと判断した。 



それでこの夏の賞与・一時金は従来の「年間4カ月から1か月分プラスして、年間5か月分の支給」とした。これで「年収水準は6%強上がる」。定期昇給分を入れると約10%の年収水準が上がる筈だ。これを押しなべて12か月で割ると月額の支給額は今次春闘では連合のデータでは33年ぶりの5.1%の賃上げ率とあるからそれよりも高い数値に私は一安心している。又過日支給されている公立の先生方と比較しても一段と高い位置に上昇した。本当は更に上を出すと言う選択肢もあったが、現在建設中の新中学校棟の資金需要を考えれば「丁度、良い辺の数値かも?」と考えている。このように経営に与るものは出しても出さなくても心の中に「若干、複雑なもの」が残る。支給方式は7月と12月の賞与一時金に2分割して「夏に2.5カ月、冬に2.5カ月+年末手当として一律に10万円支給」とした。勿論この4月には「定期昇給」をしているからこの月額基本給が基本となる。 


賃金体系には定期昇給とベースアップ(ベア)があるが、学校と言う組織体にベアの考えは基本的に無い。少なくとも本校ではあり得ないと考えている。学校会計で収入の増はあくまで生徒増しかなく、企業みたいに新製品の大ヒットや為替差損などは無い。地道に生徒が来てくれる学校を目指し、今それが実現した。しかし「明日の事は誰にも分からない」。府民や保護者、受験生の信頼を失えば一朝にして転落するのは多くの学校で観て来た。今年の府内私立高校でも約半数が定員割れにあると言う。「学校の教員への還元はまず賞与・一時金で行うべき」と言うのが私の強い信念である。今日は何か心の中に「晴れ晴れ」したものがある。この感情は初めて味わう「経営者冥利からくる」ものだろうと思った。