2019年2月28日木曜日

御代替りの慶祝と教職員の慰労・激励の茶会


「天皇陛下におかせられましては本年御即位30年をお迎えになりましたことに心よりお祝いを申し上げます。常に国民に寄り添い、その安寧を祈り続けておいでになった平成の御代30年にわたる天皇陛下のご事績は国民ひとしく敬慕の念に堪えないところであります。ここに衆議院は国民を代表して謹んで感謝と慶祝の意を表します。」以上は26日の衆議院本会議での陛下御即位30年「賀詞」議決の全文である。

 
31-2-26大阪神社庁に出張

現行憲法下で在位の節目を祝う賀詞は初めてらしいが素晴らしい事だ。国民の代表者たる国会議員が良い事をされた。ただ共産党は「前例がない」「過度に天皇を礼賛するもので国家主権の原則に照らして賛成できない」と本会議を欠席したと記事にある。どこが過度の礼賛か?こういうことだから国民の支持が広がらないのではないか。良いところも一杯あるのに、残念である。

31-2-26大阪神社庁にて
 今上陛下と皇后陛下の御心の30年に思いをいたせば私は直ぐに目頭が熱くなる。様々な事が有った時代だった。本当に敬慕の念に堪えない。今でも東日本大震災の時に被災者の元に膝まづいてお声をかけられていたテレビの映像が目に焼き付いている。神武天皇以来の125代目の天皇陛下であった聖上は「上皇」となられる。宮内庁は25日の定例会見で、上皇の英語での称号を「the Emperor Emeritus(エメリタス)」に決定したと発表した。上皇后は「the Empress Emerita(エメリタ)」である。「エメリタス」「エメリタ」は、経験や功績の蓄積に対する称賛や敬意を表す意味があるらしい。

 
31-2-26大阪神社庁にて

御代替りも遂にカウントダウンに入った感じがする。神社神道の私立学校として、キャンパスに学院神社を有する本校は東京の神社本庁、大阪神社庁、伊勢神宮、全国通津浦々のお宮さんと極めて近い関係にある。本校は「大正」「昭和」「平成」と激動の時代を生き抜いて今日に至っている。特に伊勢神宮は皇祖「天照大御神」をお祀りしており、そのおそばで毎年行う「伊勢修養学舎」も65年の長きを数えた。新しい御代の時代も世の為、人の為にお役に立てる人材を輩出して参りたいと思う。

 
31-2-28 雨の中の学院神社

私はこの機会に全教職員を対象に陛下の茶会とまではいかないが、心づくしの酒肴を用意して教職員の慰労と浪速改革が大成功した平成の御代への感謝、そして新時代への意気込みを確認する宴席を設けることとした。総勢150人規模だから2~3か月くらいかかるだろうが順番にやって行く。第一回目は3月8日(金)英語科から始める。市内第一級のレストランを予約するように事務長に指示した。
31-2-27 全教職員が集まる職員会議
 

2019年2月27日水曜日

臨時職員会議





今日は、臨時職員会議の日でありました。
理事長・学院長先生は、映像を用いて4月以降の分掌長と副部長、学年主任と副主任、各分掌部、各教科長、浪速中学校の学年チーフ(学年主任)、担任、副担任の人事発表を成されました。高校の担任団は、まだ調整することがあると述べられ、今日は発表されませんでした。
先生は、新役職者に対して、教師として、また一人の人間として、生徒への対応について、注意すべき事項を時間をかけて話されました。(K

電光掲示板を付けます!

この前、ちょっと数えてみたら年度末までに春の選抜大会などクラブの全国大会に大阪代表で出場するクラブが多い。テニス部、卓球部、弓道部、吹奏楽部はクラリネットの4重奏アンサンブルと個人クラリネット奏者として大阪代表が出た。勿論、常勝の空手道部も当然である。クラブの練習場所などを整備充実し、激励金や祝い金など、成果に応えるシステムを用意すれば生徒は必ず答えを出してくれる。ここが学校スポーツの素晴らしい処である。木村流の私立学校らしい「生徒への還元策」である。。


 加えて、私は良い成績を上げたクラブや個人は「バナー(垂れ幕)」を作って外部や他のクラブや生徒を念頭に置いて顕彰している。その場所は表通りの最も良い場所に造った。学校の名誉を上げてくれたからであるが、前述したようにもう数が多くて吊る場所に困っていた。この傾向は昨年初めくらいからであり、それで事務長や設備担当に言って「増強」するように言っておいたのが数カ月前の事であった。
 

イメージとしては「サイネージ盤」が今日的であると考えていた。確かに垂れ幕は捨て難い味が有るのだが設置する場所も限られてきたからビルの壁や新幹線の車両にある電光掲示板みたいなデジタル方式の広告版が良いと思っていたのだが、設備担当が遂に良い案を持って来てくれた。彼は仕事が出来る男である。幸い学校に近いところに会社があると言うのでそれを観察に行った。
 

一目見て「これ、これ、」と納得した。大きさもあり、良く良く見えるし、様々な使い方が可能だと言う。写真などもUSBで簡単にアップ可能である。これなら学校行事やら授業風景やら、「外部へのお知らせ」なども簡単に出来る。私は早速「具体的検討に入るよう」に指示した。後は「大きさ」だけである。コストとの関連があるが出来れば大きい方が良い。

 
 


場所は今のバナーのある場所の対象位置にある「北辰門」右側で桜の樹の次の場所に掲げるのだ。学校でこのような電子広告版などを設置している学校は多くは有るまい。丁度交差点の近くであり、赤信号で停まった時にも見える場所だし、歩行者にも学校の事が映像と簡単な文章で分かって戴ける。良い案であったと我ながら「ほくそ笑んでいる」ところである。

2019年2月26日火曜日

理事長・学院長の表彰額届く






先の114日に東京武道館で行われた日本武道協議会主催の顕彰式で、高校空手道振興に貢献された理事長・学院長先生の表彰式の写真額が日本空手道連盟と雑誌「空手道」から贈呈され、昨日本校に送られてきました。
それを手にした先生は、「この表彰棚に飾られるのは初めてだなと」幾分照れながらも、喜ばれていました。(K

2019年2月25日月曜日

お茶碗、届く


待ちに待った備前の伊勢崎先生から「お茶碗」が届いた。しかし、まあ驚いたのはその梱包の厳重さだ。これなら少々落とそうがぶつけそうが「ビクともしない」梱包であった。又今回学んだのだが人間国宝の作品ともなれば桐箱の立派さだ。このような箱は初めて見た。上蓋がゆっくりと曲線を描き、まっ平らではない。又板の厚みが普通のものよりは厚いのである。


 

備前、茶碗、淳とだけ、箱の側面に自署して頂いていた。間違いなく先生の字である。これで100年経ってもこの箱さえ失わなければ人間国宝、備前作家、伊勢崎淳先生のものと分かる。
 

例え失っても斯界の人ならば茶碗の底にあり先生の「サイン(窯印というのか?)」で分かる、伊勢崎先生のそれは、昔のものは知らないが最近では「V」印みたいな独特のサインであるから極めて分かり易い。陶印を見るだけで直ぐに誰の作品か分かる人は美術鑑定家か骨董品の「目利き」くらいな者だろう。
 

改めて茶碗を抱え、飲む仕草をしてみたが「たなごころ」がしっくりとする。つくづくと良いお茶碗に巡り合ったとまたまた嬉しくなった。新年度になり新入学生も入り茶道部の部員も増えた最初のお稽古の時に茶道部員に披露し贈呈式をしようと思う。恐らく5月の連休の後位になるから、新元号の最初のお祝いの茶会にしてこの茶碗で「濃茶」を皆で回し飲みしたら記念になるのではないか。

高校学年末試験視察


先週の土曜日から高校の学年末試験が始まり、本日、理事長・学院長先生は、生徒の格闘状況を視察に行かれました。
先生は一生懸命に問題用紙に向かって解答に取り組んでいる生徒を見て、非常に満足されておられました。(K


腰パンは駄目!スカートの丈は?


今日は「専願生点呼・制服採寸の日」であった。私は今週の18日(月)制服会社の「トンボ(株)」さんの製作過程を視察に行ったが、事前チェックした制服をこれらの生徒達が着ると思えば嬉しい限りだ。トンボさんの本社工場の玉島工場では多くの学校の制服を見たが、手前味噌ながら本校の制服が最もカッコ良かった。随所に特徴があり、例えば上着の袖のボタンは3個だ。普通は2個だが本校は3個で豪華に見えた。又内ポケットに片側にはファスナーが付いておりこれも本校が初めての採用である。



今日の制服採寸の作業から実務部隊は入試広報部から「生徒生活指導部」に移る。生徒達から最も「恐れられている」部隊だ。既に入学手続きも終っており、実質的な本校生徒として扱われることになる。「担当が何故に生指部なの?」の疑問の答えは簡単明瞭である。学校生活の規則で重要な点は「制服の着方」であるから生指なのである。教員用のマニュアルにははっきりと書いている。男子生徒での可能性は「ズボンを腰パンにする為、ウエストを大きくする、ブレザーを小さくする」のを見つけたら指導すること。女子生徒では「スカートを膝丈より長くしたり、短くしたりする」のを見つけたら指導する等々である。


今年は歴代2位の専願生の数で凡そ500人に近い。男女の制服、体操服、シューズ、制靴別に分かれ事務室も書類の配布と説明などが有る。授業料無償化の申請とか色々とあるのである。これらの対応に業者さんとは別に教職員合算で30人程度が対応するのである。会場も男女別に分けて7つの場所を使う。美しい校舎の温かい暖房の効いた部屋で楽しく和気藹々と希望に燃える若者を迎い入れるのは楽しい作業である。

 

まだ私は新一年生の担任の先生方は既に決めてはいるがオープンにしていない。ただ「学年主任」の先生は発表しており、この先生が会場を見て回り新一年生の顔色を見ている。これから先3年間、生徒の指導、面倒を総合的にみる、やりがいのある職位だから「花の学年主任」と言われる所以である。I学年主任は理科の化学の先生で教務の仕事にも強く、お人柄も素晴らしい。私は高く評価しており40歳の最年少学年主任さんの誕生である。

今年初めてWEB出願と従来の紙ベースの申請の「二本立て」としたが、まだ従来方式の比率が高かった。しかし結構初年度にしてはWEB出願も高い数値を残した。大切なこことは当事者である中学校サイドの準備と気持ちを忖度しなければなるまい。高校側が一方的にWEB出願のみと言っても仕方がなかろう。こういうことは数年をかけて切り替えて行くのが適切だと思う。


公立高校を受験し、失敗したら既に合格している私立高校に来る併願合格者の顔を見るのは3月19日、公立高校合格発表日である。この日慌ただしく併願入学者の制服採寸がある。今年の入学式は4月4日としており、併願者の制服入手までの期間は2週間しかない。この間で全てをやりきる対応が制服会社と代理店には求められる。昔から「ずーつと」そうだった。本校みたいに併願者の規模の大きい処では正直大変だがこれが出来ないようでは学校制服の提供会社ではない。

2019年2月21日木曜日

人間国宝 陶芸家 「伊勢崎淳」先生

ブログ「理事長・学院長アラウンド」を読んで下さっている読者のお方は「伊勢崎淳」氏と言うお名前をご存知か?焼き物、「陶芸の世界」に些かでも通じておられれば直ぐに、お分かりだろうと思うが、実は今回の岡山出張で私はこの伊勢崎先生と2時間もの間、尽きせぬ話題で懇談する機会に恵まれたのである。我が人生にはこれまで多くの僥倖があったが、この私にとっては大事件とも言うべき、簡単にはお会いすることの出来ない「焼き物界の至宝とも言うべき人間国宝」と知己になれたのである。 




伊勢﨑淳、岡山県伊部市に陶芸家伊勢崎陽山市の二男として誕生。昭和11年(1936)2月20日の事で何とお会いしたその日は御年83歳のお誕生日の前日であった。昭和11年のお生まれと言えば私を引き立ててくれた大阪天満宮の寺井名誉宮司様と同じ御年である。この方もまだ矍鑠として神社本庁の長老として大きな責任を果たされているが、伊勢崎先生も毎日工房にて作陶の日々だと言われていた。失礼ながら両氏ともに、この御年で素晴らしい仕事を成されている。「人生100年時代」を痛感した。私など「疲れた、疲れた」と言っており、恥ずかしい限りで、両先生に申し訳ない。「よし、まだ頑張るか!」という気持になった。 



 

今や最高水準の芸術家とも言うべき、世界に冠たる日本の陶芸家で、21世紀で最初に誕生した「備前焼」の人間国宝である。1959年、岡山大学教育学部特設美術科卒業。1960年兄の伊勢﨑満氏と共に、姑耶山古窯跡に中世の半地下式穴窯を復元、1966年、日本工芸会正会員。1978年、岡山大学特設美術科講師に就任,1998年、岡山県重要無形文化財保持者に認定された。社団法人日本工芸会理事および日本工芸会中国支部幹事長に就任するなど斯界の発展に大きく貢献。2004年9月2日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され今日に至る。

今回の出張の目的は新しく取引が始まった岡山市の大手制服会社の「トンボ(株)」さんへの公式訪問であったが、この業務を無事終えた私は翌日の19日(火)に伊部市の陶芸材料店を訪ねて備前の粘土を求めることを考えていた。この時使ったタクシー会社の運転手さんが、備前の出身で「伊勢崎淳先生を知っていますよ、お会いになりますか?」と水を向けてくれたのがそもそものきっかけであった。大変に人柄の良い運転手さんであった。人の縁とは不思議なもので、この人のお蔭でこのような機会が持てたのである。 


伊勢崎先生との懇談の内容は多くは書くまい。備前焼の歴史、新しい作陶への試み、失敗と成功の話、社会問題へのご意見等々、あっという間に時間が過ぎていった。さすが岡山大学卒らしく深い知性を私は感じたが「あくなき新しいモノへの挑戦」に感じ入ってしまった。何と先生手作りのお茶碗でお抹茶とお菓子をご馳走になった。先生も「表千家」であり、これまた私を嬉しくさせた。奥様までご紹介を戴き、何と普通は絶対に外部には見せない工房までをご案内戴いた。先生は今、大きな「まな板皿」を数枚作陶されていた。これは大変難しいもので私は「根ほり葉ほり」作陶のポイントを伺ったが丁寧に詳しく説明して頂いたのである。「是非チャレンジするぞ」と決めた。アマチュア陶芸家を自称している私なりに創作意欲がモリモリと湧いて来たのである。

先生の工房 まな板皿の作陶過程



「私は本校茶道部へ何か記念のお茶碗を求めたい」と申し出たら、先生は奥まで下がられ、数個の抹茶椀を無造作にぶらぶらと両手に持って来られた。私は「ひやひや」してその光景を見ていたのである。その中の一個を選び、先生の前に差し出すと、それをつくづくと表、裏と眺められ、「一番、良いものを選んだね」と言われた。更に先生は応接間に置いておかれた12個の「ぐい飲み」から好きなモノを1個、取りなさいとまで言われるので遠慮を知らない私は結構時間をかけて3個選び、そしてそれを2個にし最後に1個を選んだ。先生は又この時も「良いのを選んだね」と言われた。



 

至福の時を過ごし、去りがたい気持ちを抑え、辞去することにした。最後に私は立派なご自宅の裏庭というか、端正な佇まいの庭で「最後の1枚」をお願いし撮った写真は生涯の記念になる。先生は「耳が遠くなったから、電話は携帯が良いから」とおっしゃって自ら「淳、携帯090-0000-0000」と書いてメモに書いて私に下さったのである。「このような事ってある?」。現代陶芸界の巨匠、人間国宝が自らメモに携帯の番号を書いて寄こして下さったのである。先生が箱書きをし、後日送ってくださる桐箱入りの、先生手作りの「備前火襷の茶碗」は未来永劫「本校茶道部の宝物」となるだろう。私は満ち足りた気持ちで新幹線岡山駅に向かったのである。

 
 
 
求めた一品
伊勢崎淳「備前火襷 お茶碗」




祝い金授与式




本日、祝い金授与式が行われました。
 
アイススケート部
高校生 3
○平成30年度全国高等学校総合体育大会
 第68回全国高等学校フィギュアスケート競技選手権大会
 
学校対抗 第2
 
3A6組 須本 光希(すもと みつき)
2T6組 岩出 大和(いわで やまと)
1A5組 陸野 元暉(りくの げんき)
 
個人総合 第3
3A6組 須本 光希(すもと みつき)


授与の後、理事長・学院長先生は須本君に「オリンピックを目指して頑張れ!!」また、岩出くんと陸野くんには「先輩に負けないように体を強くするように!!」と激励の言葉をかけられました。(K

浪速高校Schoolwatchにも「祝い金授与式」の記事があります。

是非ご覧ください。