2023年2月28日火曜日

教員への激励指導と仕事の割り振りが理事長の仕事

 昨日赤堀先生から頂いた備前焼「船底徳利」の胴体全面に先生が、書かれたというか掘られたというか、その字は「琴酒相寿」であった。(きんしゅあいことほぐ) と読み、「音楽を楽しみ、お酒を酌み交わそう」と言う意味であるが、これは結構多くの書道家が好んで書かれる文字である。出典は知らないが元々は「禅僧」から出た言葉か?人間たる者、「仕事、仕事の毎日」だけではなく、琴とは歌舞音曲の事で、遊芸を楽しみ、共に酒を味わう余裕が欲しいものだと教えていると私は受け止めている。要は「人間としての幅の広さと懐の大きさ」を問われている話で、私などほぼ毎日酒は飲み、演歌大好き人間だから一応適応していると思っているが果たして?とにかく今は大きな組織目標である「4月30日の開校100周年奉祝祭を成功裏」に持って行くべく「各種点検」に時間が取られている。少し心の余裕のなさを反省だ。 

今朝、4月に専任教諭に採用される国語科のM先生に部屋に来て貰い激励した。彼女は清教学園から赤堀先生と同じ奈良教育大学で学び、書道の免許も有している人材だ。私はM先生に赤堀先生との関係に触れながら頂いた徳利を出して「人間としての幅の広さ」が教員にも大切だと述べて大いに激励したのである。芯は強き女性なので赤堀時代から書道教育において次の時代を担うには彼女しかいない。「頑張ります!」と目を輝かせて言ってくれた。仕事への姿勢もさりながら、立ち姿の姿勢も良い。


一方式典への諸準備がどう進捗しているのか気になるが優秀な教員たちが見事に成し遂げてくれると信じている。ただ「性善説」だけで「全てが上手く行くほど甘くはない」と考えて、時には「チェック厳しい!」と言われるくらいポイントポイントで進捗と出来上がりの完成度について私は想定しながら「問いかけ」を忘れない。それが私の仕事である。幾分「完全主義者」的な面があるのは自分自身よく、よく分かっている積りだが、スタート時点で「出来上がりがまあまあ」では良い物は出来ない。特に心配しているのが式典当日に配布する「ダイジェスト版100年史」であり、これは5年度一杯、公立中学校、塾関係者、学校での入試説明会での配布資料となるから「抜けの無い、良い出来栄え」の物を作成することは絶対的である。 

仕事は人がするもので、大切な事は「優秀な人材の投入とその量」であり、昨日以来、関係の教職員を呼んで、チェックを入れている。今朝も又一人の国語科のY先生を呼び、「100周年誌担当」の口頭発令を行った。この先生は公立学校から本校に来てくれた先生で私が面接し、そして専任になって貰った人だ。責任感が強く、我慢強い感じが何とも素晴らしく、彼の口から奈良のご家族の話を聞くのが楽しみである。この先生の投入で100年史は一段と輝いた素晴らしいものになると考えた。本校に来て10年、過日60歳の還暦を迎えられたというが素晴らしいネクタイをされており、「娘がプレゼント云々」と照れて言われていた。 


「映像による100年史」と銘打っているが、書いたものがただ一つ、それが簡略版100年史である。何故「簡略版と言うかであるが重たい3分冊の正式版はこの秋までに完成すれば良いと思っているからだ。肝心な4月30日当日の写真が1枚も入っていないような100年史では駄目だと私は判断した。だから4月30日当日の記念誌は「年表と写真で辿る100年」にした。年表と写真を早く決めなければならない。「教員への激励と仕事の割り振り、すなわち人事こそミッション成功の要諦」である。たまたま今朝のM先生、I先生のお二人は国語科の教諭であるが、理事長の思いと期待に応えてスピードを上げて素晴らしい仕事をしてくれることは間違いない。

2023年2月27日月曜日

赤堀先生を送る

 元々「漢詩」が大好きであるが、中でも「李白」と「王維」の大ファンである。王維は西暦 700年代、盛唐の時代の大政治家でもあり、大詩人でもあった。晩年はそれまでの役人生活に疑問を抱き、長安の南の輞川(もうせん)に別荘を構え隠棲し、詩・書・画・音楽に専念する生活を送った。仏教を信じた生きざまにより、後世の人から「詩仏」と称えられている。

この王維の作品に「元二を送る」という題名の詩があり私はこの漢詩をそらんじているほど好みで、時々引用させて貰っている。

「渭城の朝雨 軽塵を浥す(うるおす)  客舎青青  柳色新たなり

君に勧む更に尽くせ 一杯の酒 西のかた陽関を出ずれば 故人無からん」 

ここで言う故人とは古い友人の事で、渭城の朝の雨は軽い土ぼこりをしっとりと濡らし、旅館の前の柳は雨に洗われて青々として、ひときわ鮮やかである。さて君はこれから遠く安西に使いするために旅立つのであるが、さあ、もう一杯飲み干したまえ。西の方(かた)陽関を出てしまったら、もう君に酒を勧めてくれる友人もいないであろうから。私はこの詩からさわやかな朝の光景の中に見る無限の寂しさを感じる。本題は「元二の安西に使いするを送る」と言う。当時は柳の枝を別れ際に折り取って手渡す習慣があり、その柳をしみじみ眺めている作者が、渭城から安西まで何千キロもあるのだが、そこは砂漠地帯で、ほとんど人は住んでいない辺境の地である。いったん別れると、もう二度と生きては会うことのできない当時の別れの、辛く悲しい思いがあふれ、読む人の涙を誘う名詩で、これに勝る送別の詩はないと私は思う。

 


今日、私は以上の漢詩を思い浮かべながら一人の人物を見送った。その人の名は「赤堀脩荄( 修 一 )」氏と言う。本校の書道教育の非常勤講師であり、私と全く同じ歳であり、私が府立高津高校の校長時代からの親しい友人である。岡山の備前市に生まれ、昭和44年3月に奈良教育大学特設書道科卒業、更に専攻科で学ばれ、昭和46年府立東住吉高校に奉職。平成12年府立門真高等学校校長、その後府立金岡高等学校校長を歴任され平成18年には教育功労者知事表彰を受賞されている。現在は書法研究雪心会理事、日本書芸院評議員、読売書法展理事、日展会友と書道の世界では大きな実績を残されておられる教育者であらせられる。平成28年の中央館には自分で言うのも自慢話になるが「それは、それは立派な書道教室」を作ったのだが、この時から設計にも加わって頂きご指導を受けた。

 

竣功後は「書道の先生」としてそのまま本校にご勤務頂き、書道部の創設、お茶室洗心亭や東館理事長室への通路には先生の筆になる極めて大きな扁額「大祓詞」がある。何れも今や本校の宝物である。「木村さんとの約束はほぼ果たした」とおっしゃり、前から後進に道を譲り、引退したいと言われていたが漸く書道免許を有した国語の専任教諭の確保が出来たので、先生をお送りすることにしたのである。個人的には赤堀先生は備前のご出身であり、先生から頂いた「備前焼の船底型徳利」がある。先生自ら書かれた書陶である。まさに「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」である。赤堀先生も私も日本酒が大好きであり、それだけにこの漢詩は感慨が深い。寂しくなるが赤堀先生にはご健康にて悠々自適の毎日を送って頂きたいと勧める一杯の酒は無かったが、校内にある先生の足跡をたどりながら別れの昼食を共にした。赤堀先生、8年もの永い間、本当に有難うございました。助かりました。ご恩は忘れません。




2023年2月25日土曜日

中学校新1年生が登校してきた!

 昨日で年度末試験が中高共に終わり、今日は生徒家庭学習日とし、登校して来ない。教職員は勿論のこと勤務日で「集中採点」を午前中一杯行って貰い、午後はそれぞれがめいめいの仕事を処理する。クラブ活動も午後からだ。このようにメリハリを付けた形の方が仕事が捗ると考え、昨年度から試験実行中だが教職員の評価が高い。従って今日の学校は生徒が居ないので静かである。私はこの時を狙って久し振りに「中学校の職員室」に行き、先生方に「浪速中学校の足跡」についてお話しし、頑張ってくれていることへのお礼と建設する予定の「新中学校棟」についてあらましを説明した。将来間違いなく中学校が高校と並び立つくらいになれば浪速学院の屋台骨はビクともせず、その実現性は先生方のご努力で格段に高まっていると明言した。今後とも中学校には優秀な粘り強い先生方を配置する積りだ。少子化において”勝てる、生き残れる学校”は中学校を有している学校だと信じて疑わない。「中学校は戦略的にも極めて重要」である。 




午後からは中学校の新1年生が「第二回新入生登校日」で学校にやってきた。その数148人であり、今までの新記録の数となった。次の登校日は「4月5日の入学式」となる。その前に学校としては「迅速な立ち上がり」を期するために事前準備が徹底してなされる。入学式の後でも健康診断などあるが、要は「早く学校に慣れさせる」ことが肝要である。今日の資料配布と説明は多くの項目がある。中でも「新入生心得」「通学手段、スマホ携帯安全教室」「クロムブック購入と浪速のICT教育」「健康調査票と運動具に関する調査」など極めて大切なもので、各教員が手分けして丁寧に説明する。まだ実態は「小学校6年生」だから「子ども、子ども」しており、目が離せないので、当然「保護者同伴」での説明会となる。中でも生徒心得の中で「服装・頭髪規定」のパートは以下のような文章であり、懇切丁寧に説明をして理解を求める。




浪速中学校 「服装・頭髪」規定

 1.制服を正しく着用すること。

 2.休業日に登校するときの服装も、指示のない限り制服とする。

 3.けが、その他の事由により制服が着用できないときは、担任に申し出ること。

 4.下着は、襟から見えるハイネック等は禁止とし、白色無地のものとする。

 5.染髪・脱色・パーマ・モヒカン・ツーブロック・かぶせ・エクステなどの頭髪は禁止とする。女子は、肩より髪が長い場合はくくる。1つに束ねるか、耳より上の髪を束ねハーフアップにしサイドの髪が顔にかからないこと。髪留めは華美な物ではなく、黒・茶のゴム・ヘアピンは黒色とする。また、髪の毛を巻くなどのアレンジは禁止とする。

  6. 化粧・ピアス・ネックレス・マニキュア・アイプチ・カラコン・ディファイン・色つきリップ・色つき日焼け止め等は禁止とする。また、眉毛を細く剃る等の行為や眉毛を描くことは禁止する。

 7.靴は、原則として白色無地のものを制靴とする。また、ワンポイントとして、白色以外の色が使用されているものは禁止とする。

 



世の中には「ブラック校則」とか言って厳しい校則を批判する動きがあるが我々は「生徒を守る為の校則」「教育的効果を上げる為の校則」等を考えて提案しているものだからこれについてとやかく言われたことは今までに無い。しかし「社会の価値観は変化」していくものだから、守るべきルール、代わっていくルール等を柔軟に考えるように中学校サイドには指示している。しかし幼き中学1年生を見ると私との歳の差は60年以上にもなり、極めて感慨深い。「つくづくと歳を取った」と感じる。しかし同時にこのような若い世代と一緒に居れる幸せが私に歳を取らせないのだ。

2023年2月24日金曜日

NS館の工事課長さんも中学のy生指部長も「小太刀の使い手」?

 小雨の中、建設中のNS館の視察に赴いた。前回の視察は1月30日だったので時間が空いたが、この間、部屋での打ち合わせは随時行っているので、問題はない。南海辰村建設さんは非常に良くやってくれており、安心して見ていられることが嬉しい。先週末工事現場を囲っていた「高囲い」が「低囲い」に変わっていた。外構工事の関係が始まる準備であろうか。工事課長さんの案内で各現場を見たが、各種工事に入っておられる業者さんも笑顔の挨拶が返ってくるほど、お顔に自信と余裕が見て取れた。現場で働いている人々の服装や態度をみるだけで全てが分かるものだ。非常に良い雰囲気であり「快調」である。課長さんの説明は何時も「切れが良く」、即、明確な返事が返ってくる。ここが何より素晴らしい。 

工事課長さんの二人の部下にも廊下で会った。顔見知りでもあり、私は慰労の食事会を考え、プロポーズしたが最後の工事追い込み段階で、万が一コロナにでもなれば、工期にも影響がという課長さんの言を取り入れ、今回はスキップするが、竣工後には「旨いイタリアンでも行こうね」と言ったのである。工事は内装工事の本番であった。明るくて広い教室、中でもやはり「腰板」が本校の特長であり、「NS館もこの建屋の高級さ」を如何なく発揮していた。これだけは「私の強いこだわり」であり、東館、中央館も同じだ。3月27日月曜日が「施主検査」であり、もう一カ月強で竣功する。常務理事の部屋は跡形もなく一般教室に変わっていた。この一部屋は来年度入試に向かって強い援軍となるであろう。 



中学の生徒生活指導部長のY先生が最終決裁を求めて来た。この先生も「キレが良い」、優秀な先生である。話は中学生の「リュック」についてであった。高校にも適用するものであるが、基本は中学生ということで高校生指とも連携して「一部リュックの改良」を行いたいと言う事であった。生徒からのアンケートも取り、意見も吸収しているのであるが、今回は内部の「ポケットを一つ」増やすことと、「間仕切りを一カ所」増やしたいと言う事であった。大きさについてはアンケ―トでは「小さい」と答える生徒が33%に留まっているので1.5センチのマチの拡大は見送るとしている。私個人的には「大きい方が良い」と思うのだが、中学1年生には背中に背負うリュックは時に「後ろ向きに重心が移り」危険性も考慮したと言うので了とした。 


今回の改良は令和6年度入学者から変更と言うことで保護者負担は500円もアップするが生徒の使い勝手の良さに繋がる訳だからご理解いただくように説明責任を果たすように話した。学校用具は入試説明会にも記載している重要事項であり、一方的に「変えます」とは行かない。聞くところによると在庫品が600セットほど、メーカーか流通のお店に有るらしいが、この処分の為に時期をずらすなどは本校ではあり得ない。この点はしっかりと伝えるように指示した。勝手とは言わないがリスクを考慮して、造り過ぎた在庫品が残存しているものを購買側が負担するなど聞いたことはない。私は今回の事で制服や学校用具の古い流通のしきたり慣行などについて「メスを入れる時期に来た」と感じた。世の中はそのような時代に成っており、それを行えるところが生き残るのである。


しかし、NS館の工事課長さんも中学生指部長のY先生も筋肉質で小柄だが、応答や動きが素早いと言うか、理事長説明の事前準備が万全というか「キレが良い」のが特徴である。そう、「小太刀の使い手」という感じだ。私などは「大太刀をぶんぶん振り回すタイプ」に見られていると思うが小太刀の使い手には一種羨望の気持ちもある。そういえば、「槍の使い手」と言う言葉もあるなー。本校に槍の使い手は居るのかな?

2023年2月22日水曜日

「Ask not what your school can do for you; ask what you can do for your school」

43歳でアメリカの第35代大統領に就任した「ジョン・F・ケネディ」は19631122日、遊説先のテキサス州ダラスにてオープンカーでパレード中に狙撃され、暗殺された。享年46であった。まだ高校生だった私は月に一度の実家近くの床屋さんで髪を切って貰いながらテレビでその死を伝えるテレビ放送に見入り、高校生ながら愕然とした何とも言えない「喪失感」にとらわれた記憶がある。その時の光景は今でも鮮明に覚えているくらい強烈だった。その時から20年の時が経ち、私は会社からニューヨーク勤務を命じられ、アメリカと言う憧れの国の住人となった。 

米国駐在期間4年弱の間にケネディが暗殺されたテキサス州ダラスのその場所に立ったことは何回もある。オズワルドが撃ったという場所まで行ったことがある。その時購入した10センチ四方のケネディの顔がレリーフされた銘板は私の若かかりし頃からの宝物である。その銘板に書かれている言葉は常に私の頭にあり、「私の生き方の根幹」をなしている。それが:

Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country」である。

「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」。 

1961 1 20 日、ケネディはワシントンDC の連邦議会議事堂の石段で就任演説を行ったのだが、彼の言葉は、当時の死活的に重要な外交政策の課題に焦点を当てていた。彼は、米国は「いかなる代償も払い、いかなる重荷も負う」と述べ、共産主義の挑戦に対抗して自由の諸勢力を支援する米国の決意を示した。ケネディは演説の最後の部分で、年若い大統領として自らを「米国民の新しい世代」の一員とみなし、同世代の人々に対して、より良い世の中に向かって働くよう呼びかけたのである。その言葉が就任演説の中の最も有名な部分となり、ケネディは、米国民に自己利益を超えて、自分の国のために働くよう促し、「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」と述べたのである。豊かで強いアメリカの始まりとなった。




 20日の臨時職員会議で来年度の業務執行体制をチャート図を使って説明した私は会議の最後の部分でケネディ演説を模して次のように即興の英語で訴えた。真剣で本気であった。 

 Ask not what your school can do for you; ask what you can do for your school」である。

学校が先生方の為に何が出来るか問うのではなくて、先生方がこの学校の為に何が出来るのか問うて欲しい。


令和5年4月30日の開校100周年を節目に浪速学院は新しい世紀へと船出をする。職員会議に出席している若い優秀な先生方を見ると、思わず気持ちが昂り、私は声を張り上げて訴えざるを得なかった。会議が終わった後もしばらくは顔がほてっていた。

2023年2月21日火曜日

浪速中学校校長先生の交代

 「浪速中学校の校長先生が交代」する。「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」だ。どうも私は方丈記が好きだなと思う。つい先日も「人の亡きあとばかり悲しきはなし」を引用した。鎌倉時代の鴨長明によるこの方丈記は非常に有名な随筆集とも言えるもので「声に出したい日本語」として選ばれるほどリズムや文体が綺麗である。方丈記には生きていく人間にとって味わい深い内容が書かれており、多くの示唆が含まれている。この文も私には「さらさらと流れゆく川の水は、絶えることがないが、良く見ると新しい水に、常に入れ替わっている。流れが止まっている水面には、ぶくぶくと泡が浮かんでいるが、しかも大きな泡も、小さな泡も、生まれたかと思うと、すぐに消えていく」と取っている。人生は「非常」であり「無常」なのである。続いて「世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。」と来る。



この4月には新しい浪速中学校校舎の建設を宣言し、2年後には竣工する。N校長先生には真新しい新校舎の校長室の最初の住人になって欲しかったが、事情がそれを許さず、定年を1年残しての「勇退」となった。私が中学校校長職を6年務めてバトンタッチした後のT校長先生は4年間、その次のM校長先生は3年間、そして現在のN校長先生が3年間となる。義務教育の中学校校長職は激務であり、よくぞここまで頑張って頂いたと思う。ご労苦を慰労し深甚なる感謝の意を伝えた。続投をお願いし続けて1年、やむなくご健康を考え、退職を受け入れたのであるが、これほどの実績を残された教育者をミスミス手放すのは惜しく、退職を認める代わりに「理事長付特別顧問」として再雇用することを受けて頂いたのである。 


先生の残された実績は枚挙に暇がないがまず「吹奏楽部」を今日まで育て上げてくれたことを上げよう。浪速改革の始まる前はわずか4人しかいなかった部員が今や100人を超え、9年連続の金賞受賞など成し遂げてくれた。今や浪速吹奏楽部を目指す入学者は80人を超えるまでになった。謙虚で優しいお人柄は多くの教員から慕われ、徐々に生徒数が増えていき、今年の入学者数は148人と新記録である。N先生の3年間は数値で言えば136人、133人、148人となる。最も校長の前は中学校教頭として5年間も頑張って頂いたから現状は教頭、校長としての先生の実績である。


 

今後は大きな重責から解き放たれて人生を楽しみながら、お体の養生に励み、時たま入試広報部にお顔を出して頂き、後輩たちを支援して頂ければと思う。後任の校長は教頭としてN校長に仕えたN教頭が校長に昇格する。現N、Y校長は後任に是非N、Y先生と強く私に進言していたが、私もそれを睨んで3年前に高校から中学に移動させた人物である。偶然だが両氏ともアルファベットではN、Yとなるのも何かの因縁かも知れない。4月以降のN,Y新校長もお酒が大好きだがどうか少し節酒して体をいとい、多大の成果を期待している。「行く川の流れは絶えずして元の水にあらず、世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。」である。



2023年2月20日月曜日

新しい職位「上席指導教諭」の創設

 1月の中学校入試、2月の高等学校入試が全て終わった。何れも「新記録の数値」が出て、令和5年度も良い状態でスタートが切れることに「安堵」している。先週の土曜日から高校は「学年末試験」が始まり、今日からは中学校のそれが始まった。全ての重要な行事が3月末に向けて着々と進んでいる。後は「4月30日の開校100周年奉祝祭」だ。全教職員が一致協力してこの「お祭り」をミスなく大成功させねばならない。3月1日にはご案内状を出す方向で進めており、「神社前、体育館、天空レストランの舞台の設定」も本日定まった。全天候型で「映像と音響で伝える浪速100年の歴史」だ。先人と今を生きるご関係の皆様に感謝を表す一大イベントである。 

ところで組織にとって最も重要な「来年度の業務執行体制」であるが今日の「校務運営会議」でメンバーに告知し、続いて「臨時職員会議」をもって全教職員に知らしめた。その内容は徐々に明らかにしたいと思う。まず来年度以降「校務運営委員会」の名称を「校務運営(分掌長)会議」に改める。その前に行う「安全衛生保健委員会」はそのままの呼称で良い。委員会は昔の名残であり今や分掌については「部」であり委員会ではない。このようにして少しづつ、「名と形」を改めて行くことは案外と重要なことである。校務運営会議と職員会議は理事長・学院長の所管であり、進行役は校務運営会議を中学校教頭、職員会議は高校教頭とした点は今まで通りである。 


併せて今日、私は本学院に「新しい職位を設ける」ことを校務運営会議と職員会議で発表した。それは「上席指導教諭」である。従来スタッフ職として「管理補佐職としての職分で指導教諭」は有ったのだがその上位職として「管理職としての指導教諭の上席」としたのである。管理職扱いではなくて「まごうことなき管理職」である。本校最初の上席指導教諭に保健体育科のY先生に就任して貰う。組織には民間企業を主体に「ラインアンドスタッフ (line and staff) 制度」が定着しており、学校にもこの形はあるが、私は開校100年の節目で明確にすることにした。ラインとは「校長、教頭、教頭補佐、学年主任、担任の縦筋がライン」である。しかし学校運営には「横串しとして分掌」が極めて重要な役割を果たしている。本校で言えば総務、教務、進路、生徒生活指導、保健体育、ICT推進部、情報企画等である。これらがスタッフ職である。 


学校と言う組織は「縦糸と横糸」が見事に連携プレーされている独特な組織形態であるが、一見華々しいライン職の校長や教頭に全ての先生が就けるものではない。縦系列ではないが教科指導、先輩教員として後輩教員の指導や相談など立派になされるスタッフの先生方は少なくはない。相当な経験を踏んだベテラン教諭になって誰からも「一目も二目も」おかれる教諭はどの学校にも存在するものである。私は指導教諭を創設した時から生徒数の多い高校側に校長を補佐する管理職としての上席指導教諭の創設を考えて来た。今ようやくそのような人物を得たことが嬉しい。上席の仕事は校長からの依頼や指示、一般教諭からの相談などを受けて、組織内に「やんわりと霧雨の如く何でも指導助言でき、受けられる職位」と考えて良い。 





不安はラインの指示命令系統に差しさわりがあるなどの意見があるかも知れないが、そのような人物を上席指導教諭に当て嵌める筈はない。ラインとは業務の遂行に直接かかわるメンバーで、階層化されたピラミッド型の「命令系統」を持つ。それに対しスタッフは、専門家としての立場からラインの業務を補佐するが、ラインへの命令権を持たない。元来は軍隊で生まれたモデルで、軍隊ではスタッフのことを参謀と呼ぶ。分かり易く言えば上席指導教諭は組織の参謀長かも知れない。ラインのみからなる組織に比べ指揮官が過負荷になりにくく、またライン的な命令系統を保ったまま専門的な助言を生かせる職位である。Y上席指導教諭に大いに期待致したいと思う。年俸は管理職として当然アップする。

2023年2月18日土曜日

先生方 、さぁ乾杯だー!!(文中のグラフを見てください)

 私立学校には独特な言葉がある。まず「専願入学者」「併願入学者」がある。専願は公立高校を受験せずに私立一本の生徒を言い、併願とはまず先に公立受験を行い、若し、失敗したら先に合格通知を貰っている私立高校に入学するという仕組みで今や日本全国、知れ渡った表現である。この言い回しは大学受験でもある。ただ専願を希望して先に私立大学に合格しているから国立大学を受験出来ないという訳ではない。所謂「滑り止め」である。某私立を先に合格し、3月になって京都大学に合格したから、当然京大に行って私立はキャンセルと言う訳だ。しかし高校受験には専願で申請して、後で公立受験は出来ない。それをやったら入試の仕組みが完全に崩壊してしまうからである。又私立高校入学には「内部生」というのがあって同じ学校法人内で中高一貫、あるいは本校のように併設中学から高校に進学する生徒を言う。


ところが実は区分はまだあって「併願から専願への切り替え生徒」が居るのである。併願合格の切符を持って、暫く経ってから、「もう公立は受験せずに浪速に行きたい」となったケースであり、結構な数の受験生が希望して来る。とにかく私立高校の入試システムは「複線」であるが、そこが又面白いのである。本校は併設中学を有しているから入学者の分類は専願生、併願生、内部生と3区分だがこれらは入学式までで一旦入学したらこれらの言葉は意味をなさない。ところで今日の午後は「専願生の登校日」であり、534人の専願生が希望に胸を膨らませて登校して来た。新記録の数値である。まず制服採寸、体操服寸法チェック、制靴の寸法チェック、加えて様々な「書類配布と説明」がある。内部生は制服など既に有しているから登校する必要はない。何時も制服採寸の光景を見るのが楽しみであり、私は会場を回って雰囲気を楽しむ。これも「開校100周年の節目の年」に極めて多くの生徒が入学してくれるからだ。もしこれが逆だったら、少し落ち込んでいただろう。


昨日は高校の1.5次入試があった。朝会に出席して様子を伺ったが教員は何時も通りにダークスーツを着て緊張感を失っていなかった事が嬉しい。10日の1次入試は2000人を超える生徒が登校して来たが1.5次は数十名である。しかし数の多さではない。一人一人の受験生の人生がかかっており、礼節を持って執り行うべきであり、本校の先生方はこの点だけは重々承知している。そこが素晴らしいのだ。昔ジャケット姿や白っぽいスーツでいた教員を私は指導したことがある。「帰って着替えて来て!」とね。15時半過ぎに合否判定会議があり、これで全ての入試が終わった。「24日の2次試験の募集はしない」。全ての機会を受験生に与えて昨日で全てが終わった。後は317日の公立高校の発表日を待つだけとなったのである。 


肝心の高校の入学者数の想定だがどうも「900人前後」となりそうであり、新記録の数値が眼前に迫って来た感じだ。まさしく「嬉しい悲鳴」を上げている。教室数は「20クラスから21クラス」で、新設中のNS館の常務理事室を一般教室に替えたから収容教室は余裕が出きた。全く問題ない。後は「教員数」であるが、これも何とかなる。問題は「良い先生」であり、英語と社会の良い教員を高校校長が目を皿にして今探しているところだ。「我こそは」と思う先生は是非応募して欲しいと思う。それにしても下のグラフを見て欲しい!15年かかって高校で900人、中学で148人と何れも新記録の数値である。4月1日時点で総在籍数は2916人である。信じられない数値である。15年間の苦闘でこのように多くの生徒が集まる学校になった。このグラフを見るたびに私は何とも言えない「達成感」を「じわっー」と感じる。「浪速改革」に共に戦ってくれた過去そして現在の全ての教職員が頑張った成果である。「先生方、祝杯を上げようではないか!乾杯だー!」。気持ちよく100周年を迎えられるぞ!