2022年9月30日金曜日

創立100周年まで、後半年に!

 昨日は伊勢神宮での「参与・評議員会」があって出張してきた。3年ぶりの会議であり、全国から500人近い神職関係の方々が来られていた。神宮会館だけでは収容出来ずに第二会場が用意されており、神社本庁の統理や神宮の大宮司、それに崇敬会会長のパナソニック松下正治氏など勢揃いの会合で、しゃんしゃんと議事は進み、終了した。日本全国各地の宮司様が参集される極めて大きな神宮に係る関係者大会みたいな感じである。私は評議員を委嘱されてもう14年になるが神道の学校の理事長として出席している。楽しみはお土産に頂く「舞楽の陶製人形」であり、今年は「萬代舞(よろずよまい)」であった。これは第59回神宮式年遷宮(昭和28年)を奉祝して作成されたもので大変にめでたい「歌舞」である。意味は神宮が末代まで、すなわち萬代まで続くと言うもので「本校の創立100周年を祝うような引き出物」を頂いたことになる。 



今日は9月の最終日である。陳腐だが本当に月日の経つのは早い。「せかれる」ように私は今朝幹部ミーティングを持った。何時もの拡大管理職会議を更に拡大して指導教諭3人を加えたもので法人の意思決定の最高レベルの会議だと言える。この席で私は資料を用意し、来年4月30日の創立100周年記念事業について細目を書き連ね、「理事長特別指示事項」として時間をかけて説明した。その資料の冒頭は“令和5年4月30日の100周年に向かって遂に残すところ半年となった。これにつき学校幹部が一致団結し、総力を出して手抜かりない見事な準備と式典を行い、過去、現在、関係の人々への感謝と今後の発展を祈願し、浪速学院の存在を世に高らかに謳う。全員が担当と心得、協力し合って頑張って欲しい!”である。 


時間的余裕は多くない。特に10月以降は入試説明会などが目白押しであるし、高校3年生を送り出す重要な本命の仕事がある。早く進めておくことが後々楽になる。私は費用なども予算を立てており、思い切って用意する積りだ。12月末までにあらかたの準備が終えるように檄を飛ばした。今後校務運営委員会メンバーや職員会議でも「後半年」に言及し、教職員のベクトルを合わせ全員が一致協力して「創立100周年を寿ぎたい」と願っている。これは「祈願」である。明日からは「カウントダウンが始まる」。その為に学校は明日から少なくとも半年間は平穏無事でなけらばならない。私は特に運動部を指導してくれているY指導教諭にクラブでの不祥事などないようにくれぐれも各顧問と部員の指導を宜しくとお願いしたのである。



2022年9月28日水曜日

ICT教育とデジタル教科書

 昨夕の強い雨で少し気温と湿度は下がったか?、幾分しのぎやすい日となった。学校は静かで落ち着いており、こういう時に私は「今何をなすべきか」「先手を打つには」等々と学校の先行きを考える。私にとって「至福の時」である。良い時には良いことが続くもので学校の制服を製作してくれている制服業界の雄である(株)トンボの新社長さんが就任のご挨拶に来て下さった。学校にとって制服は極めて重要であり、「世間を歩く生徒の制服は何よりも学校の教育のレベルを人々に示すもの」である。この度社長に就任されたFさんは昔から存じ上げており、当然の流れの中で遂に「本流の千両役者の登場」と言った感じである。私は「100周年記念バッジ」を差し出し、今後とも宜しくとお願いした。人々が驚くような人事よりも「自然の事」と外部に知らしめるようなトップ人事はこの会社の「質の高さ」を示している。私は学校食であるが昼食を共にしてご就任の祝意を示した。予てから良く存じ上げている人物が会社のトップにご就任する話は極めて嬉しいものだ。 



冒頭書いた今後の大きな課題とはICT教育に関してである。ご存知のように、今や通常語となった感じのする「ICT教育」のICTとは、Information and Communication Technology の頭文字をとった言葉である。パソコンやタブレット端末、インターネットなどの情報通信技術を活用した教育手法のことであり、あのお堅い文部科学省でさえも「もはや学校の ICT 環境は、その導入が学習に効果的であるかどうかを議論する段階ではなく、鉛筆やノート等の文房具と同様に教育現場において不可欠なものとなっていることを強く認識する必要がある」と述べている。しかし文部科学省が音頭取りをする前から、私は「本校は先鞭を切る、他所に負けない、遅れてはならない!」とICT機器を積極的に導入し、それを使いこなすために「ICT教育推進部」の分掌を作り、教員の技量も「グーグルの認定資格」を得ることで高めてきた。 





着任した15年前に宣言した新校舎のコンセプトは「IT武装されたシティスクール」を掲げ、平成28年にはその校舎も完成した。「全館ネット環境が整備」され中高2650名の生徒は全員が「クロームブック」を持ち、生徒も教員も今や簡単にこれらは使いこなしている。謙遜して言っても恐らく日本の学校の中で本校は「トップレベルのICT教育先進校」だと自負しているが、課題は「次のステージに向けて何をすべきか」である。ICT教育は機器の導入さえすれば、成果が得られるわけではなく、私はICT教育の根幹となるべき「電子教材」の開発進展が重要であると強く思っている。 具体的には「デジタル教科書の開発とその利用方法」でないか。その点が遅れている。 


一部の識者、評論家の先生などは「ICT教育のメリットとデメリット」を声高く言う。最近ではデメリットの方に幾分声が大きく感じる。しかし彼らには実践力が無い。頭だけの思考からの発言であり、やる前から「あれこれ言うなって!」と言いたい。とにかく日本は民主的な国で「自由な発言」が出来る国であり、それだけで幸せに感じる人が多いが、結局言うだけでは教育の中味の改革は進まない。まず実践することだ。これで初めてメリットもデメリットも分かってくる。デメリットはそれを軽減する対応を取れば良いだけの話でICT教育、デジタル教材から「バイバイ」する話では無かろう。ICT教育が注目される理由は、教育を受ける子どもにも、教員にも多くのメリットがあるからであり、「今後とも本校はICT教育、デジタル教材の拡大を目指す」。 

デジタル教科書(電子教科用図書)について言えば、現在の本校のレベルは20229月段階で、様々な点で整備が整っていない。これだけは本校だけでは不可能だからである。従って未だ私が採用を「声高に叫ぶ」段階ではないが「試験的に希望する教科」については使用を推奨し、デジタル教科書の使用について経験を積み、今後に備えるのが良いと考える。「デジタル教科書の購入費用は学校法人が全面的に負担」する。試験的にトライする教員には私が特別に評価したいと思う。過日、高校のY教頭に指示した。「デジタル教科書採用先進校を目指せ!」と。

 

2022年9月27日火曜日

故安倍晋三氏, 国葬の朝

 今日は安倍元総理の国葬の日である。私は国葬の朝に礼節ある日本の姿を示したいと思った。中央館屋上の国旗を半旗にし、正門の左右の門柱に国旗と弔旗を掲げた。生徒は家庭学習の日であり、静かな校内で一人学院神社の大神に頭を垂れて安倍さんの御霊に対して哀悼の意を示した。全国の都道府県や政令市では沖縄県と川崎市を除いて半旗が掲げられ弔意を示されると言う。さすが全国の首長のご判断は立派であると思った。我々は大阪府私学課の管轄下にある私立学校である。私学課からは弔意の強制などは一切ないが、教育現場に多くの特筆すべき事柄を成し遂げてくれた故安倍晋三氏に対して心からの感謝と哀悼の意を学校設置者として表すのは公人として、又一人の人間として当たり前の事だと信じて弔意を示す。


安倍政権7年8カ月の功績は枚挙にいとまがないが、我々教育の現場にいるものにとって忘れてはならないことは「教育改革」である。安倍政権は2006年、「教育の憲法」とも称される「教育基本法を改正」した。この法律によって教育現場は新しい息吹を感じ始めるようになった。これ以上はもう書くまい。事は葬儀であり、内外の弔問客が参拝されるこの国葬の日は、この有為な政治家の突然の死を悲しみ、深い哀悼の気をもちつつ、今日一日は静かに過ごしたいと思う。 「黙祷」

 


2022年9月26日月曜日

映画「樺太1945年夏 氷雪の門」

 連休前になるが女子生徒3名が南海高野線横の道路で倒れていたご年配の女性を見つけ救急車の手配などを敏速に行い「救命の善行」を行った。素晴らしいことで久し振りのかかる生徒の善行報告で私は大変に喜んだ。最も嬉しいニュースである。そしてお彼岸を挟んだ連休も終わって今日から通常の授業が始まった。丁度この時期は秋の「クラブの公式戦」が活発で何時も朝から先生方が報告に来てくれる。「軟式野球部」は勝って3回戦に進んだ。次は準決勝戦である。「空手道部」は第56回大阪府空手道大会で高校、中学共に圧勝した。文句無しである。「体操部」は凄いことになった。男女ともにアベック優勝である。初めての快挙である。「弓道部」は女子団体が優勝で男子は準優勝、女子個人でも優勝は浪速から出た。特筆すべきは「アメリカンフットボール部」で何とあの強豪校の関西大倉を13対10で破ったと言う。これも快挙である。最初は信じられなかったくらいだ。 

こういう時は全てが上手く回転している証明である。顧問の先生方が一生懸命に生徒を指導し鼓舞してくれているからこのような結果に繋がる。私はルールも詳しくは無いがとにかく豪華絢爛、機能満載の「練習場の確保」が仕事であるのと良い結果を出したクラブにはそれなりの激励金などを用意するのが仕事の一つだ。要は理事長として「一回り大きな視点」で教職員と生徒を見詰め、「新しい企画」を考え生徒と先生方を応援するのである。今私の頭にあるのは「戦争を知らない生徒達」に何か具体的な教材がないかと思って探していた。背景には戦後77年経ち、敗戦と言う苦しみや苦難を保護者も生徒も全く知らない世代への危機感があるのと、現実にロシアのウクライナへの侵略行為で世界が大混乱の中にあるという現実もある。

 

新聞記事は目を皿にして通しているが、効果も時にあるもので「樺太1945年夏 氷雪の門」という映画がある事を知った。これは1974年公開の日本映画で、1945年(昭和20年)815日の昭和天皇の玉音放送後も継続された、ソ連軍の樺太侵攻がもたらした、「真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の最期(真岡郵便電信局事件)」を描いている。私はこの記事に接し直ぐに事務長補佐のHさんに指示し、過日最新版「DVD」を入手し、今日時間を見つけてじっくりと鑑賞した。この映画には後日談があって猛烈なソ連からのクレームがあって上映機会が無くなった「幻の名画」と言われている。日本向けのモスクワ放送が、「ソ連国民とソ連軍を中傷し、ソ連に対して非友好的」という論評を流し、タス通信も「ソ連国民とソ連軍を中傷する反ソ映画」と論評した歴史的経緯がある。 



2時間余りのこの映画は「胸が重くなる」感情以上の物を私に与えたほどの内容で名優たちの素晴らしい演技で「戦争のむごたらしさ」「人間の尊厳」などを余すことなく描き切っていた。中味を詳しくは書けないが是非この映画を「反戦平和を願う」生徒達の為に鑑賞させ、語り継がせるようにしてやりたいと考えるようになった。受験を控えた高校3年生は対象とせず、高校1年と2年だけで本校の体育館で3学期の最後頃に行うのはどうだろうか?教員の思いもあるだろう。制作会社への支払い条件などもあろう。先ほど高校の教頭と総務部長を呼び、実現の為に具体的検討に入って貰うことにした。



2022年9月24日土曜日

神宮と大宮司そして100周年誌

 神社の数は、全国に凡そ88,000社以上に上ると言われ、仏教系寺院よりも数が多く、日本で最も多い宗教的文化建築物の一つとなっているが、その内、有人神社(神職者が常駐している社)は、2万社程度とも言われている。摂社末社を含めれば、2030万社にも上るとも言われ、実態は明らかではないと思う。「神職の最高位とされる宮司」の数は1.1万人とも言われているため、実際には一人の神職が多くの神社を複数、兼務する形で留まっているのが実状である。その宮司職であるが、「大宮司」「少宮司」という特別な職位があって明治以前は伊勢・宇佐・熱田・鹿島・香取・阿蘇・香椎・宗像などの神宮・神社の「長官」であった方々に許された表現であった。それが今は「神宮」と言えば伊勢神宮を指し、大宮司と少宮司は伊勢神宮にのみ許された職位であると私は知った。私はこの職業に就いて以来多くの知らないことを学んだと言える。


 
その神宮の大宮司に大切な用件があって急遽21日木曜日、10時に学校を出て伊勢市を目指し、トンボ帰りで学校に帰着した。現在の大宮司は戦後11人目になる久邇朝尊氏であり、当然私如き者が簡単にお会いできるお人ではないから予てより親しくさせて頂いているナンバー2の亀田少宮司さまにアポを取って赴き、「神宮司廰」内の貴賓室に通され恐縮した。久邇さんは75日、皇居にて天皇陛下から神宮大宮司の職を任命され就任された。そして同9日、前大宮司の小松揮世久(きよひさ)さんと共に伊勢神宮を参拝し神さまに就任報告を行っておられる。小松さんも久邇さんも旧皇族のお一人で天皇陛下のご親戚であられる。久邇さんは神宮大宮司の大任を拝命した際、天皇陛下より「神宮の祭祀を宜しく頼みます。身体に気をつけてお勤め下さい」とのお言葉を賜り、陛下の神宮への大御心を拝し、責務の重さを感じたと書いておられる。要は神宮は皇室と深い深い結びつきなのである。 

過日の伊勢出張の目的は来年4月30日の「創立100周年の周年誌の巻頭を飾るお言葉」を大宮司さまから頂戴する為に少宮司を通してお願いに参ったのである。世の中には「社史」とか「記念誌」とか「周年史(年史)」とかあるが、学校では当然記念誌とか周年誌という言葉を使う。私はこの周年誌を重要視しており、2013年には「伊勢修養学舎60周年記念誌」をまとめた。更にこの年「開校90周年創基131周年記念誌」を編集している。これは3部に分かれた大作で、開校以来のほぼ全てを入れたものとなっている。従って今度の100周年誌は90年から100年までの10年を主軸とし、視点を拡大して「浪速改革の20年の足跡」を纏めたものにしたいと考えている。 


しかし通常、社史、記念誌、周年誌の類は「読み物」として余り人気は無く、まして作った人でさえ大体読まない。だからと言って作らないと後世の人々に我々の歴史と言うか足跡が残せない。その理由は書いたものが「乾いている」からだと思う。「自分史」と考えれば周年誌も「情感」が出て来るし、分かり易い。私はこの100年史を「物語」「メッセージ」「ドキュメンタリー」「情感豊か」「いきさつ」「裏面史」「背景誌」「あの時私は・・」等々の読み物として完成させたいと思う。 

従って多くの専任教職員から「生の原稿を頂き載せる」のである。詩人の俵万智さんが謳った「“この味がいいね”と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日」のように「あの時に私は決めた だから今もこの先も浪速一筋」くらいの情感でこの20年の自分史を纏め一文を求めたいと思う。さすれば100年史は呼吸を始め、未来永劫自分史として残る筈だ。それにしても神宮会館の館長さんには事前に司廰に話を通して頂いており会談は順調に終わり、おかげ横丁で買い物をしてその後遅い昼食の「生シラス丼」を同行してくれたKさんと食した。旨かった!流石に伊勢は「御饌の国」と言われるだけのことは有った。何でも旨い。




2022年9月21日水曜日

「世界平和デー」、大阪護国神社にて

 今日、9月21日は「国際平和デー,世界の停戦と非暴力の日(International Day of Peace)」である。コスタリカの発案により1981年の国連総会によって制定され、当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日だったが、2002年からは921日に固定された。この日以来今日21日は「世界の停戦と非暴力の日」として実施され、この日一日だけは敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けているが、ロシアのウクライナへの侵略は続き、世界平和の言葉を口にしてもその響きは虚しい。でも我々は「諦める訳には行かない」。無力ではあるが世界平和を言い続ける必要がある。

 

10時に間に合うように「大阪護国神社」に車を走らせた。前述したように今日21日には、名だたる日本の高校の書道部がそれぞれの地域にある「護国神社に書を奉納し国際平和を祈願する記念の日」である。本校書道部も参加しており今年で4年目となった。昨年は部員に新調の「袴」を3年目記念としてプレゼントした。今年も本校生徒はこの袴をはいて立派な文言を書にしてまとめてくれた。一枚目は「繋ぐ~煌めく未来へ」と書き、副題として兵器は全てを傷つける/思いやりは人を笑顔にする/手を取り合って/支えあい/今を生きる/道を切り開くのは/私たちだ/不穏から安寧へ/世界を変えていく/浪速高校書道部と書いた。学校は関与しておらず、部員が考えた文言で大変に立派である。



代表揮毫の書家は柳水藝術協会の田邊柳奨先生で「地平天成」という字を揮毫された。あれほどの大筆を使うには余程の体力を必要とされると思ったが、呼吸は乱れず、見事に運ばれた。とにかく凛として品格に満ち、迫力満点であった。先の浪速祭のテーマが「天壌無窮」であったし偶然とは言え、まず地上が平穏でなければ成らない。参加者の「寄せ書き」では先生は「和」の文字を書かれ、私も求められ名前を書き入れた。参列者一同、今年ほど世界平和の希求を感じることは無かったと思う。私は最後に挨拶を求められ、言葉を尽くして柳奨先生の揮毫を称え、本校書道部の書を絶賛した。そして本校にこのような機会を与えられた「和プロジェクト」と舞台となった大阪護国神社に感謝の言葉を申し述べたのである。 



岸田総理が頑張っておられる。先ほどニューヨークの国連本部で一般討論演説をされた。ロシアを名指し批判し「法の支配」の徹底を訴えら、同時に「国連改革」を強く訴えている。ロシアと中国は世界平和に責任を持つ常任理事国であるがとにかく「拒否権の発動」で国連は全く機能していない。今日ほど世界平和の言葉を使っても虚しく感じる時は無いが、ただ無力感で椅子に据わっているだけでは駄目である。「話し合いで解決」などが空虚に聞こえるのは世界の現実を見れば明らかである。ロシアはウクライナに侵攻し、中国は台湾への侵攻の機を伺っている。北朝鮮はミサイルを日本海に放ち、日本と言う国は北の北海道から南は台湾に近い西南諸島、日本海を挟んだ中国、北朝鮮と日本周辺はきな臭い対立の最前線にある。今ほど平和への希求を願う時は無い。空虚な甘い言葉で平和は来ない。本気になって国土と国民を守る為に何をなすべきか。教育の現場にいるだけにそのことが常に頭にある。

2022年9月20日火曜日

台風一過と浪速祭

 災害に合われた他府県の人には申し訳ないが、本校では台風14号の被害は全くなく、連休明けの今日は通常通り学校は始まった。朝早くそれぞれの担当が部位別、職位別に校内あらゆる場所の点検をして「異常ありませんでした」と施設設備に問題ないことを報告に来てくれた。こういう行為が言わなくとも自然に出来るような学校になったと言うことだ。これは組織の持つ責任感と成熟度を示している。特に建設工事中のNS館の現場を見たが全く問題なく良かったと安堵した。高校は通常の授業だが中学は今日が「浪速祭」であった。まず全員が登校後すぐに体育館に集まり校長から開会の宣言が発せられて始まった。まず過日の高校生が浪速祭で作った動画を鑑賞し、その後各教室の展示の鑑賞だ。私は中学生と触れ合うのが大好きである。中学生は高校生に比べてまだ「子どもっぽい」のでその分、可愛いのである。 


先週の高校の浪速祭と今朝の中学のものを観て、私はこのような学校行事の簡略版は今年までにして来年こそは「幾分、弾けた感じもあるお祭り的」な浪速祭に戻したいと念願している。「高校・中学同時開催で学校挙げてのお祭り」であるべきだ。PTAからも強い要望が出てきている。高校生の作った動画を単に見せて浪中の生徒に何かの思い出になるだろうか?正直生徒にとっても記憶に残る浪速祭にはなっていないと思う。確かにこのような企画であれば、教員は走り回らなくて済み、「楽ちん」であるが、生徒には面白くも何ともないのではないか。得てして「コロナから生徒を護る」を錦の御旗にして何でもかんでも「簡単なもの」から「意味もない企画」に走るのが教員の癖であると言えば言い過ぎかも知れないがコロナにかかっても圧倒的に少数であり重症化はしない。ぼつぼつインフルエンザ化したコロナは一旦は横に置いて本筋に戻そうよ! 「ニューノーマル」を作ろうよ。毎年毎年やることが違うようなことはもう結構だ。


今日は大切なお客様が見えられた。本校の「校歌を作曲」してくださったジャズピアニストの大塚善章先生と夫人である。奥様もテレビ局の局アナをされていた女性で才覚溢れるお人である。共学にして私は新しい校歌を考えた。今は亡くなられた本校のOBである直木賞作家の「藤本義一」先生に作詞をお願いし、その友人でもあり、府立高津高校のOBであった大塚先生は私が高津時代に知り合ったお方だ。そのご縁で曲を付けて頂き、「我ら浪速」が完成した。今から15年も前の事である。この校歌は良く出来ていて、何しろ義一先生の詩は分かり易く善章先生の曲は歌い易いのである。この事が大切で生徒にとって覚え難い詩と歌いにくいメロディは好まない。多くの人が良い校歌ですねと言ってくださるのが私の自慢である。

 

関西ジャズ協会会長の大塚先生とそのジャズグループはギネスブックにも載っているまさに後期高齢者の代表的な熟成されたご年代であり「人生100年時代」を生き切って欲しいお方だ。今でも現役であり、先日はパリに行って来たそうである。懇談は弾み、昼食を共にして暫しの邂逅を楽しんだのである。先生は11月20日に「大塚善章米寿記念リサイタル」を計画されており、本校としては会の大成功とその為の応援は惜しまない積りだ。そして来年の100周年時には先生にもご出馬をお願いしたいと思う。




2022年9月17日土曜日

秋季例祭・浪速祭と「天上無窮」

 神社には「例祭(れいさい)」という重要な行事がある。これはご祭神の由緒や神社の縁故によって決められた「恒例の大祭」であり、その神社にとって最も重要な祭祀である。これは欠かさず毎年行われる。神社神道を建学の精神に持つ本校も例祭はあり、「春季例祭」と今日の「秋季例祭」があって学校行事では最も大切な行事であり、今日も全校生徒、教職員、PTA,同窓会、神社庁からの参列があった。「祭主」は学校設置者の私であり「斎行」は市内にある極めて長い歴史を有する「坐摩神社」の神職によって執り行われた。本校には神職の資格を有した神道科の教員が複数名居り、通常のお祭りでは彼らの斎行で可能なのだが私はこの2回の例祭は格式を重んじて敢えて学校外のお宮さんにお願いしている。 


お祀りで神職の方が述べる「祝詞」が最も重要であり、元々は神道において神の言葉その物を指す物であったが、次第に神に奏上される言葉を意味するようになった。 神様からの恵みを讃え、崇拝する気持ちを表明する内容が盛り込まれる。 祭りの趣意を神に述べ、神の加護を受けられるよう祈る言葉でもある。この中に「来年度は創立100周年を迎える」とのお言葉が入っていた。五穀豊穣に感謝し、今日食べるものがある幸せを思い、健康で立派な人間に育つように神様のご加護を祈念するのである。生徒と教職員を護り、「曲がごと」などが降りかからないようにお願いするのである。こうすることによって人間は謙虚になり、間違った事をしない「自己抑止力」が働くものだ。

例祭の後は「浪速祭」である。言わば他校で言うところの「文化祭的なもの」であるが。規模や中身は全く異なり、コロナ前は幾分弾けた「ワイワイ祭り」的な物であり近隣では大変に有名な催し物であった。何故過去形で言うかと言えば今は全く様相が異なった形になってしまった。神輿のお練り、模擬店や神楽舞などが懐かしい。ここに上げた4年前の様子を知る事の出来る写真を見て欲しい。仕方の無いことである私は生徒が可哀想で仕方がない。今年は初めて高校、中学別々に浪速祭を挙行することになった。中学は来週の火曜日である。何とか昔に近い形で「新浪速祭」が復興できないか来年に向かって知恵を絞ろうと思う。 

以下の写真はコロナ以前の浪速祭のもの





今年の生徒自治会が出していたテーマは「天壌無窮」であった。最初これを聞いた時には些か驚いた同時に嬉しくなった。天上無窮とは我が国が天地とともに永遠に極まりなく続くさまを言う。「天壌」は天と地であり、「無窮」とは極まりないさま、永遠の意である。「日本書紀」にある言葉だ。日本人の中でも最近はこの言葉さえ忘れかけていると言うのに神社神道の学校で学ぶ生徒からこのような言葉が出たことに私は「教育の力の凄さ」を感じる。副題に「後世に受け継がれる浪速の伝統」とあった。「素晴らしい!」の一言である。第56回目となる浪速祭は既に各クラスが作成した「動画のコンテスト」が始まった。鑑賞後生徒は自分のクロムブックを使って「投票する」のである。生徒が造り生徒が評価するのである。私や管理職、教員は温かく生徒の動きを見守り副賞として「焼きたてパン」をプレゼントする。全ての終了は12:40分頃として教職員には直会としてお弁当が配られ、生徒には学業の成就を祈願した「ノート」と「天上無窮のクリアファイル」が神様から配布されたのである。