2023年5月31日水曜日

超資産家の学校、無借金の学校へ

 今日は「4月1日に改選された新役員が勢揃いした初めての理事会・評議員会」であった。出席者は32人で内9人が新任の役員である。任期は3年、次の改選期は令和8年3月末までである。冒頭、皆様にはご健康に留意しながら自社のご奉仕と本学院へのご指導、ご支援を宜しくお願いしますと申し述べた。皆さま、大変にお忙しいお方ばかりであるが何とか万難を排してご出席頂きたいと思う。大学を主として経営サイドの不祥事が続き、文部科学省は私学法の改正を進めており、「とにかく会議に出席することから全ては始まる」と考えて頂きたいと思う。大阪府私学課も厳しく理事会・評議員会の出欠状況を見ている。まず今日は会議の前に「開校100周年時の役員会」と言う事で記念写真を撮った。 



事務局から詳細な「計算書類」を提示して説明と議論が進められ、見事な理事会と評議員会になったと思う。それは経営の中味が良いからである。「中身が良ければ深刻な議論もない」。令和4年度決算の目玉は何と言っても「学校は無借金経営の状態」になったと言う事だ。3月15日に約12.5億円を私学共済事業団に振り込み、平成26年当初の融資額22億円に関して15年返済の9年目にして元利合計残金を最終期限よりも6年早く、繰上償還したことにより、浪速学院は今や「外部からの借入金無しの状態」になったことである。加えて「新中学校棟建設資金」として〇億円の特定資産を積み増し、翌年度繰越資金は約〇億円が計上出来、キャッシュフローとして財務上は全く問題無い状態で、「正味資産」は132.6億円(前年128.1億円)と過去最高を更新した。要は超裕福な私立学校になっていると言う事である。ご出席された公認会計士の先生からは「盤石な財務状況には驚くばかり」と激賞された。

 

奉祝祭で内外に正式に宣言した「新中学校棟建設」については6月12日に「地鎮祭」を行うことが決まった。ご斎行の神社は市内の坐摩神社さんにお願いした。ゼネコンさんは南海辰村建設さんでNS館を立派に完成させて頂いた。この建屋と連結する新校舎は地上6階建ての素晴らしい建物となることは間違いない。これが令和7年3月、大阪万博の年に竣工すると中学生は全て現在の西館から新校舎に大移動する。そして西館は少し手を入れて予備教室や部活動の練習場所などに改造する。こうなれば生徒収容キャパは余裕が出来るが問題は来年度と再来年度であり、中学については全く問題はないが高校は20クラス上限とする旨、私は詳しく役員の方々にご説明した。 



次の役員会は12月末であり、8月末に常務理事が持ち回り報告として経営概況の報告をペーパーで行うのが現在の本校のやり方である。開校100周年目の理事会、評議員会が無事に終了し、一連の重要な学校法人としての業務が終わり私は安堵している。本当に教職員が頑張ってくれたと思う。今の浪速学院は何処をとっても最高の状況にあるが、「蟻の一穴から全てが崩壊する旨の格言」を意識し、謙虚に、脚を地に付け今後とも一歩づつ前に前に歩を進め、頑張って参ると役員諸氏に言明し役員会を終えた。

2023年5月30日火曜日

監事による監査の日

 今日は法的に定められた「監事による監査」の日であった。学校において最も気を遣う日であるとも言える。要は銀行に対して金融庁の係官が立ち入り検査をすると言う風に思えば分かり易い。「計算書類」も完璧なものを用意した。この言葉は日本における会社法・会計の用語の一つで、会社や学校の損益を算出し確定するために作成される書類のことである。私は「びくびく」など決してしておらず、「ドンと構えて」この日を楽しみに待っていた。それは正しい会計処理をしているとう絶対的な自信があるからだ。1年に一回明日の理事会・評議員会に上程する学校会計について法的な厳しい目が入ると言う事であるが、特に5月理事会は「決算に係る会計監査」で極めて重要である。令和4年度決算、手許現金の実査、通帳等と帳簿類との照合、帳票類の整備状況等の監査など徹底して行われる。基本的には上記の監査で法的にはクリアだが私は上記会計監査に加えて「業務監査」もして頂いた。

 

お金の流れだけを追っても本当の監査にはならない。全ての源は理事長や役員そして管理職を含めた教職員が「学校の塀の中」でコンプライアンスの元、適切に業務を遂行しているかが重要であり、案外とこの業務監査を行っている学校は少ないのではないか。今日は高校教頭、中学教頭、入試広報部長、進路指導部長の計4人が自ら資料を用意しご説明申し上げた。私からは事前の資料チェックなどはしないし、第一その席に居ないことにしている。「何を監事に喋るか?」など目を光らせているなど誤解を与えてはいけないからだ。全てをオープンにし、「隠蔽」などが有っては学校と言う組織はお終いである。私は冒頭の経営概況説明と現下の課題等についてご説明した後部屋を退出し、終了後講評を聞くために又入室したのである。講評結果は本当に温かいお言葉でお褒め頂き、高い評価を頂いた。私は返して今後とも足元をしっかりと見つめながら努力する旨表明して100年目の監事監査は終了したのである。



 
大阪日日新聞が又又、先の開校100周年記念式典を記事にしてくれた。今度は「WEB記事」であり、Y指導教諭がコピーして持って来てくれた。その文章にいたく私は感じいったのである。有難くて嬉しくて日日さんには心から感謝だ。しかし新聞記者さんは見事に日本語を駆使され、表現される。当たり前のことだがやはり「その道のプロは違う」と今更ながら感じた。記事タイトルの「新たな道を切り拓くのは人間の力」が特に心に沁みた。


「大阪市住吉区の浪速中学・高校(浪速学院)の開校100周年記念奉祝祭が同校で行われ、教育、神社、OBら関係者約300人が出席し、100年の学院史を回顧するとともに次の100年に向かって「生徒第一」を心がけ、建学の原点「神社神道の精神」を重んじ、さらなる浪速改革を続け、次世代への人材を輩出することを誓った。 

 430日、奉祝祭では神事に続いて、学院神社前に設置した記念モニュメント「祈願の碑」を除幕。さらに、同校を運営する浪速学院の木村智彦理事長から記念事業として中学校の「新校舎建設宣言」が行われた。第2部の式典では、映像とともに吹奏楽部員が学院曲「海道東征」を演奏に続いて100年間の学院史を紹介した「夢の軌跡~浪速100年のヒューマンヒストリー~」を上映した。 

 このあと、木村理事長は映像とともに浪速学院の創設当時の苦難の歴史、それに携わった先人を感謝の気持を込めて紹介し、教育環境の整備と教職員の頑張り、ハードとソフトの両面が浪速の学びの成果にあらわれていると述べた上で、「理事長に着任して16年間。今も続く浪速改革は先人が残してくれた浪速魂、先人に続く立派な教職員が一生懸命仕事をしてくれたその成果。AIがいくら進歩しても新たな道を切り拓くのは人間の力、皆様のご支援の賜物」と結んだ。」 


2023年5月29日月曜日

本校のご朱印帳

 今、本校の「 御朱印帳 」の評判がすこぶる良い。「アイデア」が凄いとか、欲しかったが神社仏閣にわざわざ買いに行く時間も無くてとか、皆さんが言って下さる。先般来られた保護者は今使っているのが丁度一杯になって、次のを求めないといけないと考えていましたとか言って「満願の笑み」で応えて下さる。開校100周年の記念品、記念グッズの一つで、これはM常務理事のアイデアである。確かに神社神道の学校として格好の記念品だと思う。社会の人々は無宗教とか色々と言われても神社やお寺さんには崇敬の念があり、観光や旅行で何処かに言っても機会があれば「お詣り」し、記念に朱印を頂く。ここが日本人の素晴らしい点である。今や御朱印帳はブームみたいな感じで府内でも多くの神社やお寺は随所に工夫を凝らして朱印帳を用意されている。本校も校内には立派な学院神社があるのだから朱印帳があってもおかしくは無い。ただ学校ゆえに有償で頒布することは出来ないからプレゼントやお土産なのである。 


この御朱印帳は高島屋さんのプロヂュースで天下に名高い京都の川島織物」さんが伝統裂地を使って調製したものである。令和4年12月暮れも押し迫った22日に私は依頼を受けて朱印帳の表紙に「祈願」の文字を揮毫し、それが使われている。上手くは書けなかったが一生懸命に書かして貰った。朱印帳には以下のような紙が挟まれている。

「本学院は、一九二三年(大正十二年)に「旧制浪速中学校」として誕生し、お陰をもちまして、二〇二三年(令和五年)五月に開校一〇〇周年を迎えることとなりました。こちらは、本校の学院神社の歴史を描き、織の神髄を伝えるJAPANブランド川島織物の技術を活かした、記念の御朱印帳でございます。参拝により社寺とのご縁を深め、末永くご愛用いただければ幸いでございます。

 令和五年五月吉日

  学校法人 浪速学院 浪速高等学校・中学校  理事長・学院長 木村智彦」

又裏表紙には開校100周年のマークと1ページ目には本校の神社が古めかしく加工されて印刷されている。 



高島屋さんから4000冊仕入れ、現時点で約1200冊が出ているが私は今後とも本校とお付き合いのある方々にプレゼントするように言っている。例えば27日に行われた高校の進路指導部主催の「進路ガイダンス」において大学側から約120人の先生方が会場となった本校と堺市の地場産業振興センターでお越しくださり、高校3年生を相手に一生懸命に大学の魅力と自学の特長をお話頂いたのだが、この先生方に進路指導部長はこの御朱印帳をお渡ししたら大層なお喜びだったと今朝ほど報告を受けた。それにしても本校の進路ガイダンスの規模の大きさには驚くばかりだ。今後入試広報部は塾の先生方にも順次差し上げるのではないかと思う。この様にしてご神威を高揚するために神社神道の学校として出来る範囲でささやかながら貢献していきたいと思う。開校100年目にして初めて本校独自の御朱印帳が持てたのが嬉しい。 



2023年5月27日土曜日

「大阪府高校授業料無償化問題」

 開校100周年記念事業を無事に終えて私は毎日、「幸せな時」を過ごしている。本当に安堵している。全てが上手く行ったと思う。着任時に自ら立てた「学校の改革を成功させ、自分の手で100周年を寿ぐ」という目標を達成した、このゆったりとした心の中の「充足感と幸福感」は何事にも代えがたい。しかし世の中は甘くはない。何時までもゆったりという訳に行かなくなってきた。時は進んでいるのである。開校100周年が終われば「次は授業料を上げさせて頂く」と言う次の大きな目標に暗雲が立ち込めて来た感じだ。元々、本校の授業料は高校も中学も高くは無い。大体府内の私立学校の中でほぼ中間に位置している。これは私が「限界まで保護者にはご負担を掛けたくない」と意図してやったことである。しかし後述するが、現在「大阪府では高校の授業料が大きな問題」になってきており、以下高校に限って論述するが、本校では入学金は20万円、授業料が639400円であり、過去入学金は全く上げず据え置きでやってきた。授業料に関して言えば平成29年以来値上げしていない。 

この間、自己資金と外部資金で頑張ってきて今年全ての外部融資を繰上償還して今や「無借金」の財務状態である。その代わり手許資金も余裕が全く無い状態となった。直ぐに「新中学校校舎」を建てねばならない。100周年を過ぎ、待ちに待ったこのタイミングで私は授業料の値上げを考えて来たのだが今後「一波乱」起きそうな気配で対応を間違えないようにしたいと思う。勿論、保護者負担を考えれば「はい、来年度から上げます」と簡単には行かないし、又これは監督官庁である大阪府の許認可事項でもあるからだが、根底にあるのは「教育事業は営利目的ではない」という大原則があるからである。従って一般の民間企業みたいに余裕の利益を「内部留保」として蓄えることは原則に外れる。しかし私立学校は公立学校に比べて大きな課題は「新校舎建設や教育環境の整備充実」は自己努力でやらねばならないことだ。これが「実に大変」であり、この資金は数年をかけてちびちびと積み立てるか融資を受けて毎年毎年支払っていくかの選択しかない。この原資は大阪府からの「経常費補助金と保護者からの授業料収入」で賄っている。公立学校みたいに条例で全額公費負担の新校舎が持てるなどは私立学校には有り得ないからである。 


授業料の値上げで「高校で少しややこしい問題」とは、先の地方選挙で当選した大阪維新の会の吉村知事が公約として打ち出した目玉政策である「大阪府高校授業料完全無償化」である。大阪府は来年度からやると言って現在私学側と議論を進めている。26日には朝日が報じていた。我々私学サイドは勿論授業料完全無償化は歓迎することであるが府は大きな条件を我々に突き付けている。それは授業料の上限(キャップ制)を維持したままだと言い張っているのである。そうなればキャップを超えた部分は学校法人の負担だと行政は譲らず、これは私学サイドとしては譲れない一線である。間違いなく経営問題に発展する私学は出て来るだろうし、経費削減の為に教職員の人件費や教育環境の劣化に繋がるからである。「私学の独立性」を言うなら授業料などは私学責任に任せるべきである。キャップ制を超えて授業料を取得しても生徒保護者に納得して貰えない教育の中味と環境では早晩その学校は行き詰るだろう。公立と私立、私立の中でも色々とあって良い。「多様性のある学校」こそが今後の日本には必要であり、一律に授業料無償化を謳って私学の経営を縛るべきではない。私は本日10時に「私学保護者連合会の副会長」を務めて頂いているS保護者とPTA会長を学校にお呼びし、これらの問題に関して情報を共有し呼吸を合わせる時を持った。S副会長さんは頭脳明晰で、中々良い議論が出来た。私は「適正な財務状態を維持」して本校教育を進化発展させながら、生徒と保護者の期待に応え、そして教職員の生活を守らねばならない。





2023年5月25日木曜日

「昭和・平成・令和を生きる」

 4月1日に職員会議が有って以来、100周年記念行事の準備等で無かった職員会議が約2か月ぶりに開かれた。本校では今や職員会議が持つ学校としての意思決定や情報の共有と言った重要な機能は極めて薄くなっているが、それでも理事長・学院長が「自分の声で、自分の言葉で全教職員に同時に語り伝える場」としての職員会議は大切と考えている。幾ら校内のネット環境が完全に整備され、全勤務員が同時にパソコンで情報を共有できるとしても理事長の声の高さ、イントネーションをそれぞれの人が「我が事」として感じながら聞くチャンスは職員会議しかない。加えてトップがその意思を伝える方法は「重層化」が望ましい。22日には学年主任、分掌長を集めた「校務運営会議」を行い、翌23日には校長、教頭だけの「管理職ミーティング」を持ったのも目的は重層化であり、階層によって当然中身は微妙に異なる。 



今日の職員会議でも私は極めて多くの事を語った。一々細目は書かない。ただ全教職員に開校100周年の一連の行事が見事に終了し、これらは全員の総合力の成果で私は感謝の気持ちと慰労の言葉をまず最初に口に出した。そして100年目は通過点として最早過ぎ去り、今日は100年と25日であると語った。今後浪速学院に勤務する教職員は「浪速 次の100年に向かって」がテーマであり、まずそのキックオフが「6月12日の新中学校棟建設の地鎮祭」であると述べた。更に学校を進化させ、社会の負託に応えて行くためには一人一人の教職員が「プロの職業人としての覚悟を決め、目標を持ち日々努力する」ことを期待する旨を述べた。100周年という一大行事を見事に済ませた我々の進むべき方向はあらゆる面での「グッドスクールへの道のりの確認と中身の点検、そして実現」であることを強調した。

 


100周年を超えた学校が今更110年記念式典などはしては少し可笑しいと思うだけに「やるなら次は120周年?」かも知れず、無いかも知れない。仮に20年後としたら今20歳~30歳代の若い先生方が40歳~50歳代になっており、特に私は若い世代の教職員に伝えたかった。20年後と言えば私などは100歳近くになり、間違いなく学校とは違う場所にいる筈であり、それだけに本日、職員会議の前に持たれた、昨年4月1日に専任教諭として採用された3人の先生方の「専任研修発表会」を聞きながら、このフレッシュな新人たちが20年後に果たしてどうのように成長して、学校の中軸として頑張ってくれているのか楽しみになってきた。3人とも優秀で素晴らしい発表内容であった。世代交代はこのようにして進んで行く。 

最近、しみじみと次の演歌が身に沁みて来る。作詞・作曲、森進一さんの「昭和・平成・令和を生きる」という歌だが発売は確か2020年6月だったと思う。歌詞の言葉一つ一つが胸に迫ってくるのである。彼は1947年11月生まれだから75歳になられたのか。私も昭和に生まれ、平成、令和と生き続けている。そういえば前述した3人の専任はすべて平成のお生まれである。若い!若さは武器である、その武器を活かしてこれから何十年も本校で頑張って欲しいと思う。「長く生きてこそ人生になる」。本校で働いている若い教職員にこの歌を贈りたい。歌詞の一言一言を噛みしめて欲しい。 

森進一 歌「昭和・平成・令和を生きる」

ひとつひとつの 時代を越えて

長い人生 生きてきた

浮世の風に さまよいながら

昭和 平成 令和を生きる

今日の日があることに 感謝して

笑顔で行こう

 

思い通りに 行かない人生

悔んでみても 仕方ない

何度もカベに ぶつかりながら

昭和 平成 令和を生きる

限りあるこの命 大切に

希望を胸に

 

誰でもみんな わずかなことで

あとの人生 変わるのさ

波乱万丈 運命(さだめ)のなかで

昭和 平成 令和を生きる

涙あれ 笑いあれ 癒しあれ

我が人生に

2023年5月24日水曜日

開校100周年記念動画をホームページに一挙公開

 まるで「映画の予告編」みたいである。情報企画部はホームページのトップに次のような情報予告を出している。「重要なお知らせ・・・開校100周年記念上映」とある。「開校100周年記念式典でお披露目して大絶賛!!」の「夢の軌跡~浪速100年ヒューマンヒストリー」を近日公開しますというものだ。それが明日の25日のホームページに一挙に公開される。スマホからも視聴できる筈なのでアラウンドの読者の方も是非ご覧頂きたいと思う。確かに今回の100周年記念式典は多くの言葉は不要、「映像と音響」で100年をお届けするという私の方針を受けて担当者は見事な脚本を用意し動画を「一編の短編映画」みたいに完成してくれた。これらを順次公開するというのである。 


私はただ言われるままにスタジオに行き、写されただけだがこれほど簡潔な言葉で100年を人々に焦点を当て「ヒューマンヒストリー」としてまとめたくれた作品の出来の良さに感嘆した。多くの貴重な写真が主役であり、これらは片山写真館さんが保存しておいてくれたからである。当日でも多くの参列者がこれらの動画を称賛して下さった。これを当日の参列者以外にも是非見て頂きたいと我々は思ったのである。引き続いて6月1日「NANIWA NEXT 100」と続き、6月6日には「GOOD SCHOOL NANIWA」と記念式典3部作が一挙に公開される。 



4月30日が過ぎ去って、もうすぐ1か月になる。徐々に過去の話になりつつあるが、これは致し方の無いことで日々学校は進んでおり、何時までも懐旧談に浸っている余裕はない。トップの私が何時までも「良かったなー」などと思い出話に浸っていては組織はおかしくなる。昨日遂に「Naniwa Next 100」のトップランナーとして登場する「新中学校棟のキックオフ会議」があった。大工程の確認である。順調に建築確認が取得できそうであり、まず現在の「ゴミ置き場」の移設から始まり、6月中旬には「仮囲い」が始まって今の時点では6月12日に「地鎮祭」を執り行う予定だ。年内一杯は基礎回りの工事であるが、地上6階建てだから「くい打ち」の数も相当な数である。年が明け、3月末に1階部分の躯体工事に着手出来る。「最終完成は2025年(令和7年)3月、大阪万博の年の竣工」である。万博は4月13日開場だからその前に本校から花火が上がる。ゼネコンの南海辰村建設さんと一体になって良い建物を作る。施主の姿勢と熱意が出来上がりに影響するから、ウクライナのゼレンスキー大統領のように私も戦闘服を着てまだまだ前線で頑張らねばならない。 


尚、この新中学校棟は竣工後の名称として略称「西館」とし、正式名称は「中学校棟」とする。竣工後にわざわざ「新」を付ける必要はない。これに伴って現在の西館(体育館)は簡易名称を「北館」とし、正式名称は「体育館」とする。この建屋はいずれ10年以内には全てを解体し「浪速アリーナ」に大変貌を遂げる「最後の虎の子の立地」であり、徹底した検討が必要である。従ってそれまでは有効利用しなければならないから、まず西館(中学校棟)が竣工した後大改造に入り、体育館の改修、教室の面積拡大、部活動の練習室、そしてここには「常務理事室・副学院長室」「中学生の学年集会室」等を設ける予定である。新中学校棟が竣工すれば新北館の改造が可能となり、本校は本当に余裕ある教育環境が最終完成する。ここまでは私の手でやり切るつもりだ。


2023年5月22日月曜日

開校100周年企画「図書館デジタル展示コーナー」

 開校100周年を記念して、多くの企画を考え実行したが、今一つアラウンドに書くべき「大切な忘れ物」があった。今日はこの事を紹介したいと思う。これも記念すべき100周年記念企画の一つである。それは図書館に「デジタル展示スペース」を設けたことで結構な費用をかけた。推進は総務部と図書館勤務の優秀な司書職員である。本校には、「知る人ぞ知る」、貴重な「和本」が1400冊もあり「隠れた財産」とも言える。明治時代、本校の生みの親であった「皇典講究所」、後の「大阪国学院」が、これは私の想像でしかないが戦時中の戦火を避ける為に旧制浪速中学校に重要な本だけ疎開させた図書だと思う。これが当時の古い段ボール箱に入って数多くが倉庫の片隅に残っていたのを発見した。平成27年頃だったと思うが「ちょっとした騒ぎ」になった。私は「これはひょっとしたら国宝級が出るかも?」と些か興奮したのを今でも覚えている。とにかく骨董とか古いものが大好きだ。新校舎建設時の前のバタバタしていた時だったから、とにかく紛失しないように彼方此方に移動させて大切に保管してきた。 

そして満を持して昨年、東京の文部科学省関連団体の国語研究所の教授に本校に来て貰い、徹底してこれらの図書の中味と価値を調査頂いた。残念ながら国宝級、重文級の図書とは成らなかったが、教授からは「これだけの和本が纏まって残存しているのは珍しく大切に保管され、内外に公開」すればこれらの研究者からすれば垂涎の書物だから社会の為になるとまで言われた。この事が頭に残っていた私は和本1400冊をデジタル化して展示することにしたのである。「歴史ある学校には歴史ある図書が存在する」ことが証明されたことが喜びであった。まさに「神様からの贈り物」と考えた私は大切に保管し、「陽が当たる日」を待ち、令和5年4月、遂に開校100周年を迎えた時にデジタルでの展示を決めたのである。

 

現在展示しているのは「延喜式」である。この延喜式というのは、平安時代中期に醍醐天皇の命を受けて、藤原時平を中心として編纂された三大格式のひとつで、律令の施行細則をまとめた法典である。明治時代以前の日本は天皇を中心とした中央集権国家であり、この時代の法典が延喜式で、神祇官が朝廷の祭祀を司っていた。内容は、現代でいうところの行政マニュアルのようなもので、中央だけでなく諸国がどのような特産物を納めていたのかも書かれており、当時の暮しを垣間見ることもできる。これらが全て残存している。 

中には大阪の難波津で天皇の即位の儀式のひとつ「八十嶋(やそじま)(まつり)」が大嘗祭の翌年に行われていたという記述で、この儀式は、平安~鎌倉時代まで行われており(*住吉大社のHPに記載あり)、大阪から国家の安泰・平和を祈願する歴史があったということは、大阪の神社界のこれからを考える上でとても大切なことであっただろうと感じた。巻910は「延喜式神名帳」とも言われ、当時国から幣帛(へいはく)(神へお供えをされる物の一種)を受けていた神社の名前が記載されている。「式内社」と言われているが、式内社と言うのは極めて格式の高い神社なのである。

 もうひとつ展示しているのが、本居宣長の『古事記伝』である。『古事記伝』は本居宣長が生涯をかけて書いた古事記の注釈書で、「古事記」は上・中・下の3巻であるが、宣長は、すべてに訓を付け、44巻にわたり註釈をつけていったものである。私が驚くのはこの宣長の「学びの凄さ」であり、今日我々が古事記を深く知る事が出来るのは一重に本居宣長の古事記伝のお陰である。ぜひ本物をご覧したいと思われるお方はお電話をご一報いただければご案内致したいと思う。 



展示スペースでは、本校の歴史や和本の解説動画なども視聴できるようにしており、将来は「デジタル複合図書館」も視野に入れている。今日は担当にこの事も話し、夢を膨らませるように言った。何時までも分厚い書物の整理棚のイメージだけの図書館では今日的ではない。新しい感覚の図書館を目指すように言ったのである。開校100周年記念「祈願の碑」と言い、この和本の展示コーナーと言い、結構我々は良い仕事をしていると思う。単に式典に費用を使っただけではないのだ。