「余情」や「余韻」という言葉が好きだ。後まで残っている、印象深いしみじみとした味わいなどを表現する時に使う、良い言葉だ。私に今、一昨日の入学式の余情、余韻に浸っている。入学式の後は、敬愛する大阪天満宮の寺井名誉宮司がご逝去され6日通夜祭、翌7日の密葬と続き、同日の夕刻から「合祀祭」に臨んだ。神道の合祀は「浄暗の闇の中」で行われる。浄暗、あるいは浄闇と書き「じょうあん」と読むのだが、神事をとり行う際は「けがれのない暗闇」で行う必要があり日の暮れるのを待つ。
昨日は「二柱」の合祀で、内お一人はこのアラウンドで何回も言及した東京は本郷の「湯島天満宮の前宮司である押見守康 大人命(うしのみこと)」のご遺族である現宮司が東京からお越し頂いた。昨夜無事にこの合祀祭もおさめることが出来た。私は「祭り主」だから手を抜かぬよう実行しなければならない。卒業生、教職員、先輩諸兄や恩師、本校と関係の有った人々が「神様となられ」、今生きている生徒達の健康と学業の成就を見守ってくれる。日本全国、どの学校にこのような形を継続している学校があろうか。私はこの点こそ、本校の正統さ、品格、優しさであると思う。私も死後はこの祖霊殿に合祀して貰うことを決めている。
そして今日は8日、遂に「春季例祭と1学期の始業式」となった。長い冬が終わり、桜が満開の、暖かい春を迎えた喜び、そして今年一年の各地の繁栄・人々の幸福・五穀豊穣を祈り、全国の神社の社殿で「祭事」が厳粛に執り行われるのを「春季例祭とか例大祭」と言う。秋は秋季(例)大祭と言う。神社が毎年毎年執り行う極めて重要な祭事であり、神社神道の学校として、本校もこれらに準じて学院神社の春季例祭と秋季例祭は重要な学校行事となっている。本日はその春季例祭で、まさに「桜が満開」であった。特別なこの日は「鼉太鼓や2台の神輿」も出して、例祭は滞りなく進み、ご斎行申し上げお祭りは斎行できた。毎年だがこの日になると私は元気になる。「サア、今年もやるぞ!」という感じで身体中の血流が騒ぐ。
桜がまだ花びらを付けている中で、全校生徒3586人という膨大な生徒が揃った。市内の座間神社神職に拠るご斎行は何時もながら「きりり」とし、静かにそれでいて朗々とした「祝詞」の中に、新一年生高校1052人、中学191人を含めて、全校生徒総勢3586人の平穏と学業成就が間違いなく奏上された。雅楽部と神楽部による「尚学の舞」は何時もように荘厳に奏でられ舞が奉納された。自前の生徒による雅楽部と神楽部の奉納は本当に誇り高い。例祭の後は生徒に「直会」の品としてノートブックが私を通じて神様から手渡された。その後「学院長講話」に移った。
講話の最初は1日に着任した新人の教職員をテレビカメラの前で紹介し、早く新しい先生となじみ、教えを真剣に受けるように生徒達に伝えた。そして私は年度当初でもあり、学院長講話として春季例祭の意義、直会の意味、そして「尚学の舞」の由来や「浪速生活の綱領」の説明の時間を十分取って語った。そして全ての根源は「知らないことを学ぶことの大切さ」を強調した。祝詞にあった「ともがらと睦み、なごみて,身健やかに」の意味をかみ砕いて教え、「いじめ、ネットトラブル」等について生徒に「懇々と」諭し、両校長の主宰する始業式にバトンを譲ったのである。