2026年5月9日土曜日

昨夜の歓迎・慰労会での歌、ど演歌「掌(てのひら)」熱唱

 昨夜はミナミのスイスホテルで「教職員歓迎・永年勤続表彰・教職員慰労会」と銘を打ち、役員、教職員、(株)浪速教育振興の方々総勢210人の大パーティがあった。私は多くの人々で喜びを共有することが好きだし、そして豪華にやりたい性向が強い。頻度は少なくともやるなら豪華にだ!その為に進行時間管理は重要である。時間こそが宝であり、誰もが満足する時間を共に過ごすのが宴会だと思う。「さっさっさっ」と切り上げるのはパーティではないし、「だらだら」と長くやるのも問題だ。主催したホスト役の私は時間通りに進め、出来上がりが「凛としてそれでいて、温かみのある気配り心配りが随所に感じられるものが最高」と思っており、昨夜の宴席はそういう意味で大成功であったと思う。周到な準備こそ成功への道だ。

第1幕は公的なもので、まずご臨席頂いた役員13名の方々のお名前を読み上げ、次に永年勤続の教諭2名の紹介(表彰、報奨金は今朝、学校で済ませ)、4月1日に新専任として採用された1人の数学の先生の紹介、そして最後に32名の新採用の常勤教職員に壇上に上がって貰い、代表者が力強い決意表明を行い、式典は終わった。18時30分に始まり式典が終わったのが19時前だったから結構段取り良く進んだと思う。 



第二幕に移り冒頭、私の挨拶で祝賀会が始まった。乾杯の音頭は大阪国学院理事長で格式高い市内の坐摩神社の渡邉宮司様のご発声であった。和気あいあいと美味なフルコースの料理に舌鼓を打ちながら懇親が深められたと思う。私のやり方は立ち席ではなく、何方にもテーブルと椅子を用意し、ゆっくりと料理と雰囲気を味わって頂くのが好ましいと考えているから、私はパーティコンパニオンの方々を16人も来てもらって参加者誰もが席を立ったり、酌に回ったりして終始座が乱れることは無かった。会の途中に私は各テーブルを回り、感謝と慰労の言葉をひと声かけるのが何時もの景色である。皆さんの笑顔を拝見すると嬉しく幸せな気持ちになる。


最後の最後に演出したサプライズとして場を盛り上がるべく、私は司会者の求めに応じて島津亜矢さんの「掌」を謳わせて貰った。昨年は神野美伽さんの「命惜しむな 惜しむな命」のフレーズで知られた「天の意のまま」だったと思う。何時も選択するのは勿論演歌一本道だが必ず「人生賛歌」とも捉えられる選曲にしている。今回は6曲選択していたが最終的に「掌」にした。これは55周年記念で平成16年5月にリリースされた北島三郎さんの作曲で、島津亜矢さんに贈呈した曲である。20年余の月日が経った、良い歌だ。 

手と手を合わせて 生きてる人の 義理は固いし 情けは熱い

汗を流して 強くなり なみだ流して 夢をとる

何にも持たずに 生まれた命 何を掬える 掌で 

この手につかめる 宝もあれば 捨てにゃならない また夢もある

染まぬ世間に 負けたふり 生きる試練の 幾月日

胸のほころび 縫えるのは 皺も知ってる 掌さ 

何かを得るたび 何かを落す 苦労かさねる 人生ごよみ

拳ひらいて 陽にかざし 赤い血をみて いのち知る

長い旅です この世でふたり 握るしあわせ 掌よ 

現在の浪速学院は本日同席されている多くの方々の努力とご支援で今があり、この「絆」は未来永劫続く。私は新任の先生方と今力強く存在感を発揮してくれている専任教諭の先生方に対して“縁あって同じ働き先で、今同じテーブルに付き、同じ物を食している関係は決して偶然ではなく、「絆」であると歌い、今後とも学院神社の大神様に「掌を合わせ」、共に自分たちの職場を更に良くしていこうとの願いを込めて私は歌った。人生は厳しいが、それを乗り切ることが、自分を守り、大切な人を護るのだと私は訴えたのである。



2026年5月8日金曜日

校舎も無く、校長も居ない入学式・・・103年前の旧制浪速中学

 連休中も教職員や生徒には「曲が事」(事故や災厄など)が無くて、全員無事に揃い、薫風香る快晴の中、5月のスタートとなった。神様のご加護を受けていると思う心が信心であり、謙虚な気持ちに災厄は遠のくと私は信じている。今日の「一斉参拝の学院長講話」では一点のみを時間を取って教職員と生徒に熱く語った。今までも5月の参拝時には行って来た事だが、今日はより詳しく、丁寧に話し、「この学校はどのような学校?」という問いに応えんとしたのである。それでこそ「4月30日の開校記念日」と「5月1日の創立記念日」を休校としている意味と意義がある。取りすがりの日ではなくて今自分たちが居る場所の歴史的経緯を知ることはその後の人生にとっても重要である。

 

今から丁度3年前の「令和5年4月30日に創立100年周年」を迎えた。私は渾身の力であらゆる資料を読み、歴史書ともいうべき冊子を纏めた。これは恐らく後世への大切な資料となるであろう。その日、4月30日に「旧制浪速中等学校は第一回目の入学式」を挙行し直ぐに授業に入った日である。だから「開校記念日」なのである。数年後、学校行事の関係から5月1日を「創立記念日」と称し、今日に至る。とにかく生徒数204名で浪速中学校は出発した。令和8年度の新制浪速中学校の入学者数は191人だから、推して知るべし、期待の中での船出であった。生徒募集は府庁で行い、入学試験は「天王寺師範学校」で行ったとある。「校舎も間に合わず」、結局今の高野線我孫子駅と沢之町の中間西側の「元工場の建屋」を借りて「東成郡墨江村仮校舎」と銘打って204名の生徒で「浪速中等学校は出発」した。

私はこの地域の古い図面でこの仮校舎の址を探して歩いたがその面影は当然のことながら何処にもなかった。今は住宅街になっている。添付の古い写真を見ると他には建物など何もなく南海の高野線の電車が後ろを走っている。今から103年前の写真である。校舎だけではなくて学校敷地も校長先生も居ない「無いない尽くし」のスタートであったが、今では考えられないくらいのスピードで学校は立ち上がった。それは「大阪府の強烈な指導支援」を得ながら本校は開設されたからである。


この事を裏付ける格好の資料があった。それは「60周年史」の巻頭にある「当時の大阪府知事岸昌氏の祝辞」である。挨拶文は冒頭以下のような文章である。“(前略)貴校は大正12年大阪府下の神職団体である財団法人大阪国学院が浪速中学校を創設したのが始まりであります。今では余り知られていませんが戦前は浪速中学校と大阪府とは密接な関係にありました。当時大阪国学院の総裁には大阪府知事が、また院長には大阪府内務部長が就任するなど「準公立的な一面」を持っておりまして他の私学とは趣を異にする独特の学校であると言えましょう。・・・(後略)”前述の「準公立的一面」と言う言葉で全てが分かる。

校舎も無く、校長先生も居なかった入学式であったが全てが迅速に進んだ。今ではあり得ないことだった。実は大正12年2月28日、設立者、大阪国学院は中等学校の設置を府に出願し、そして驚くのは一ヵ月後の3月31日に「設立が正式に認可」されている。この速さは尋常ではない。そして4月17日に大阪府から教育主事であった大島鎮冶氏が「校長事務取扱」として着任され、2週間後の4月30日に入学式が挙行された。古い写真で見る限り教職員はわずか8人であった。正式の初代校長は1年後にご着任されている。以上の全てが府主導で進められた。まさしく本学院は準公立的な一面を有し、誕生し、スタートしたのである。



明治維新を成し遂げ我国は前途洋洋「坂の上の雲」の時代に本校は神社神道の学校として、この住吉の地に誕生した。爾来、紆余曲折はあったが、103年の時を刻み、今や府内トップレベルの規模を誇る学校に成長した。私は声を大にして「良い学校で学び、良い学校を職場としている誇り」を自覚し、有意義な毎日を過ごすように激励し、「開校103年目の温故知新の特別講話」を終えたのである。