2025年4月7日月曜日

遺跡本山「観心寺」でのお献茶

 「観心寺」は、大阪府河内長野市寺元にある「高野山真言宗の遺跡本山の寺院」である。山号は檜尾山、「ご本尊は如意輪観音様で国宝」である。金堂も又大阪府下で本堂として最古の国宝建造物であり、とにかく国宝、国宝級がオンパレードの極めて国内トップクラスの重要なお寺さんである。新西国三十三箇所客番札所であり、大阪みどりの百選にも選定されているくらい美しいお寺で特に桜が美しい。観心寺には建武の中興の主役である後醍醐天皇の第7皇子で、数多い皇子らの中でただ一人の天皇となられた南朝の後村上天皇の後村上天皇桧尾陵が境内にある。第97代天皇、および南朝第2代天皇であり、陵は宮内庁管轄である。 

又観心寺は楠木氏の菩提寺であり、特に観心寺を語る時は「大楠公(楠木正成公)」を抜きには語れない。幼名「多聞丸」と称した正成公はここ観心寺中院で8歳から15歳まで仏教や学問を学んだと言われる。後醍醐天皇 の鎌倉幕府の討伐に加わり、赤坂城、千早城で奮戦して後醍醐天皇の勝利に貢献した。後醍醐天皇の建武中興の立役者である。建武政権の崩壊後は足利尊氏と争い、摂津の湊川の戦いで破れ戦死し、首級は京でさらされた後、菩提寺のここ観心寺に埋葬され、「首塚」がある。境内には有名な大楠公の馬上銅像がある。これが又美しいのだ。 

楠木正成とその一族の、私利私欲よりも民や国を優先した生き方は、江戸時代に流行した太平記や日本外史に描かれて、江戸時代後期には日本で最も尊敬される人物となり、吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛などに影響を与え、明治維新の原動力となったことは良く知られている。私は極めて極めて楠木正成公を崇拝しており、その関係から生誕の地である千早赤阪村には幼名の多聞丸から多聞を頂き、校外学習施設である「多聞尚学館」「多聞農園・果樹園」「多聞茶寮」「多聞楽舎」などと全てに冠として「多聞」を付け、教育の一環として利用しているくらいだ。 

          千早赤阪村にある校外学習施設「多聞尚学館」

昨日ここ観心寺において表千家不審庵第15代千宗左お家元による「お献茶」の会があり、私と本校茶道部の顧問の先生と生徒代表が参列を許された。この度も観心寺の先のご住職、現在高野山の金剛峰寺の長老で大僧正となられている永島名誉住職・長老からお誘いで既に何年も継続している。お家元に帯同してお献茶と副席、拝服席と回りながら一日を喫茶の日として心豊かに過ごした。生徒は初めて見るお献茶のたたずまいと情景を目にして興奮冷めやらぬ感じであった。私はお家元に直接お願いしてお家元とのお写真を許して頂いた。生徒にとって一生の記念の一枚になったのではないか。大僧正の大切なお孫さんも本校の卒業生でもある。神社神道の学校ではあるが真言密教高野山の仏道にも関係を持たせて頂いており、まさしく「神も仏も有難きかな」である。