毎日、出勤時にお詣りする学院神社の前に立つと今から13年前の事を思い出す。新しく神社を創建することを決めた経緯である。新神社の建設案を理事会にかけた時に、大勢の雰囲気は「まぁ、神社は新校舎の数年後でも良いのではないか?無理するな!」と言う程度のご意見で、理事の中にははっきりと口に出して言われた人もいた。しかし私は「新しい場所に新しい社殿、学校が創立された時の神社に戻してこそ学校改革は終了する」。戦後、神道指令でGHQにより撤去を余儀なくされ、昭和28年に創建した全く日陰の場所にある仮初の2代目神社から新校舎竣功と合わせて新しい場所に3代目の本格的神社を創建することこそが100年前の先人の思いに応えることになるのです!」と強く論陣を張って押し通した。
その後、神社界から私の耳に入ってくる話は必ずしも私には心地良いものでは無かった。恐らく「木村は少しやりすぎ?資金は大丈夫か?」程度の話しだったろう。私は徹底的に創建時の神社を研究し、西日本の名立たる神社を見学に行ったりし勉強した。勿論それまでに鎮座していた神社は丁寧に解体し、東日本大震災に見舞われた東北地方の某神社に東京の神社本庁経由、ご寄贈申し上げた。古い神社が古い校舎をまたいで撤去される光景は今でも目に焼き付いている。浪速新時代の到来を予感するような感じを持った。新社殿の場所は校舎裏側の日蔭ではなくて表通りに面し、正門を潜った誰にも直ぐに目に入ってくる、太陽の降り注ぐ一等地を一段高く嵩上げしてご本殿を設置した。これが今の学院神社である。
「戦力の逐次投入」という言葉がある。少しずつの投入が小さな敗北を重ね、結局は大きな敗北につながる可能性があることを言うのだが、戦力の逐次投入は、リソースを小出しにして段階的に投入する戦略であるが、最も下策だと私は考えている。元々は戦争の戦略論からきている言葉だが、「戦力を一気に集中」させる方が、戦況を大きく変える可能性が高い。組織の危機管理が注目される中、対応が遅れて「後手、後手」と回った結果、ずるずると損害を拡大させてしまう。当時の浪速学院はまさに瀕死の重傷で息も絶え絶えであった。最も手も打っていなかったと思う。ただ漠然と見ていただけだったと思う。
私は「起死回生の一手」とし「全ての校舎を一新」し、教育の中身も変えた。そして満を期して「神社の更新」も決意した。あらゆるエネルギーこの1点に絞り逐次投入ではなくて集中投入にした。当に背水の陣であった。資金余裕は全く無かったが私個人の連帯保証で政府機関に融資を申し込み、結果として「新校舎と神社の更新、学校改革は入学者を増やす」ことに繋がったと思う。そして日本文化の基であり神社神道の学校として世に存在を問い続けて来た。「ありとあらゆる事」を同時並行で進めた。私には優先順位など無かった。全てを進めなければ無かった。現状打開には最早これしかないと腹を括り、「改革の速度」を回転数フルに上げ、突き進んだのである。今日危機管理においてスピード感のない事業などは意味をなさない。スピードこそ命だ。
その結果、今や当時の在籍生徒数1000人程度が今や3300人を超える学校に変貌した。改革着手以来18年、この間投入した資金は約120億円である。学校に「内部留保はゼロ」「融資で教育環境を超一流に整備充実」「さすれば生徒増に繋がり少し貯まったお金で」「又新設備の建設」「又生徒が増えた」「次の環境整備・・・」との好循環がこの学校では目に見えて実現して来た。新学院神社のご神威であり、ご加護だ。我々は大神様に護られている。