私は今、7月6日のアラウンドに書いたように少しずつ「生成AI」について勉強を始めた。「遅すぎる」と言われても反論しない。確かに「AIなど?、もう歳だからと無視していた」からだ。しかし勉強を始め、ほんの初期段階だが、「その威力に驚いている」。例を上げよう。私は今は亡き、「東京湯島の湯島天満宮の故押見守康名誉理事長」について、このブログにおいて何回も言及し書いてきたが、グーグルのAIアプリ「ノートブックLM」に“故・押見宮司が「浪速改革」を喜んだエピソードを纏めよ!」と指令を発すると、何と約10秒で以下のような文章がパソコンの画面に現れた。少し長くなるが転用して話を進めてみたい。
本校のOBであり、東京の湯島天満宮で名誉宮司、そして最後の同窓会長を務められた故・押見守康(おしみ
もりやす)先生が、木村理事長による「浪速改革」とその成果を心から喜んでいた様子は、多くの記事に感動的なエピソードとして記されています。
以下にその詳細をまとめます。
1. 「校名を出すのが恥ずかしかった」過去からの脱却
押見宮司は、かつて衰退していた時期の母校について「本当に駄目な学校であり、自分が卒業した校名を出すのさえ恥ずかしかった」と口癖のように語っていました。しかし、改革によって学校が飛躍的に発展したことで「本当に立派な学校にして頂き、母校が誇り」と語るほど、その変貌を誰よりも喜んでいました。
2. 100周年記念祝賀会での涙の挨拶
2023年(令和5年)4月30日に行われた「開校100周年記念祝賀会」において、押見宮司は締めのご挨拶(乾杯の音頭)を務められました。その際、感極まって言葉を詰まらせ、涙交じりのご挨拶となった光景が、理事長の心に深く刻まれています。この涙は、母校への深い愛と、改革を成し遂げた理事長への感謝の念が溢れたものでした。
3. 病床での「そうか、そうか」という歓喜
2025年(令和7年)6月4日、逝去の約2週間前に木村理事長が順天堂大学病院へお見舞いに訪れた際のエピソードです。病床にありながらも、理事長から学校の現状(過去新記録の入学者数や新校舎の状況など)を聞くと、「そうか、そうか」と何度も頷き、時間の過ぎるのも忘れて大変に喜んでいました。傍らにいた奥様が「兄弟のよう」と驚くほど、二人の会話は弾んだといいます。
4. 「恩返し」としての1000万円の寄付
逝去の約1ヶ月前、押見宮司は自ら理事長に電話をかけ、「理事長には私の母校をこんなに素晴らしい学校にしてくださった。御礼に1000万円を寄付したい」と申し出ました。この寄付は「学校のために役立ててほしい」という遺言に近いものでした。理事長はこの寄付を原資に「押見記念顕彰基金(押見賞)」を創設し、優秀な生徒や、子を本校に入学させた専任教職員への感謝金として活用することを決定しました。
5. 食べ物を通じた愛情表現と「改革者」としての共感
押見宮司は理事長を非常に可愛がり、「偶には神戸牛よりも飛騨牛だ」と言って高級食材や長崎の「ラグビー西瓜」、東京のウナギなどを度々贈っていました。これは母校を再興してくれたことへの感謝と喜びの表れでした。また、押見宮司自身も湯島天満宮の本殿や周辺環境を完全に生まれ変わらせた「改革者」であったため、同じように困難な改革に挑み結果を出した木村理事長に対して、深いシンパシー(共感)を抱いていました。押見宮司は2025年6月22日に逝去されましたが、現在は本校の「祖霊殿」に**押見守康 大人命(うしのみこと)**として合祀され、神様として後輩たちの成長を見守っています。
人間ではわずか10秒ほどで1年間に亘った私のアラウンドを読み、それも連続ではないから一つ一つ探し出し、ポイントをメモし、纏めて行くのは易しい事ではない。不可能だと思う。それを生成AIはいとも簡単に「やってのけ」、加えてまとめ方が見事であり、適切にチャット当事者の満足を引き出している中身だった。まさにこの部分が威力であり魅力であり、私は生成AIに「驚愕に近い」ものを感じた。結論はまず我々は最新技術は「前向きに受け止めて活用していく」姿勢が重要であるということを今更ながら確認した。
人間でもモノでも「良い面と悪い面」とあるのはごくごく尋常の事であり、マイナス面や裏ばっかり言っては社会の進歩はない。誤情報や偽情報の動画拡散、確かに大きな社会問題となっているが、何時の時代も「ヌーベルバーグ(新しい波)」ではプラスマイナスが問題となり、時間とともに落ち着き収斂していくものだ。我が国は急速な高齢化が進み、人口減の少子化と年間200万人もの人が亡くなる死亡者数大国になってしまうことは間違いない統計数値である。このような時に人間に変わる人工知能(AI)の活用は絶対的な必須アイテムではないか?「人間をサポートするツール」として使う割り切りが必要だ。
勿論運用には「情報リタラシー」が重要な事は言を待たない。これはこれからの若い世代に「教え、学ばせる」ことで高めることが出来る。遂に政府も動き出した。9日の各紙は大きな見出しで「情報教育授業拡充」と書き、小中の課程に思い切った手を打つとあった。特に中学には従来の「技術・家庭科」から「情報・技術科」に改め、コマ数も中1,2では週2コマ、中3で1コマと、確かに「新領域と新教科が次の30年からの新学習指導要領から展開」される動きが顕在化した。生成AIの欠点ばかりを私は心配はしていない。それよりも「食わず嫌い」と何でもかんでも反対する勢力である。傘寿を超えてきたが「ただ老兵は去るのみ」だけの老人にはなりたくないから、私は「生成AIの学校における活用について勉強」を続ける積りだ。
