2026年7月2日木曜日

津軽三味線部のこと

 平成29年5月に「津軽三味線部」を創部した。あれから9年の月日が経った。ゆっくりとだが部員は増え始め現在19人を数えるまでになった。私立・公立高校が参加する文化祭の「芸文祭」にも連続して参加している。当時の顧問のY先生は定年になり、非常勤講師として本校に勤務してくれているが、この先生の強い支援で創部が出来た。雅楽部もこの先生のお蔭で今や大きく育っている。忘れられない数学の教師である。そして2代目の顧問が今のO先生だ。この先生も数学の教師であり、Y先生はこのO先生に「白羽の矢」を放ったのだろう。雰囲気が極めて良く似ており、控えめで落ち着いた感じの先生らしい先生である。

この先生が過日私の所に来て「かりん製の本格的三味線」を10棹(挺)買って欲しいと言って来た。結論的には今期は「5棹」にして欲しいと半分だけ受けたが、遠くないうちに、様子を見ながら残りの5棹を購入することも思いにはある。現在最高級とされている「紅木」の物が1棹(顧問O先生用)、かりん製が10棹あり、今回の5棹で計15挺となった。残りの10挺は当時予算もなく間敏な欅棹で合皮ものしか買えなかった。この合皮は破れないが音が「ポコポコ」して如何にも安物と言った感じで私は気にしていたところに今回の要望だった。今回はこの半分を手配したのだが、本格的なかりん棹で「犬皮」だから、良い音が出るだろう。後5棹は何時になるか?安心して待っていて欲しいと思う。

津軽三味線は津軽地方(青森県西部)で成立した三味線音楽だが、本来は津軽地方の民謡伴奏に用いられるものである。現代においてはそのリズム感、迫力など特に独奏を指して「津軽三味線」と呼ぶ場合が多い。「撥を叩きつけるように弾く打楽器的奏法」と、テンポが速く音数が多い楽曲に特徴があるだけに、極めて難しい楽器とされている。私は津軽を2挺持っているが本当に難しい。しかしこの音を聞くと涙ぐんでくる。 

弦楽器そのものの発祥は中東とされており、その後構造的に変化しながら、インドを経て中国に入り、中国南部において「三絃」が成立したと言う。この三絃が沖縄の「三線(さんしん)」を経て畿内に持ち込まれ、江戸時代中期に日本独特の三味線となったというのが通説である。以降、三味線は日本各地の「土着芸能」と融合して様々に発達し、当時日本最北端であった津軽地方において津軽三味線となる。津軽三味線の楽曲の原型は、新潟地方の瞽女(ごぜ)の三味線と言われる。その他、北前船によって日本海側各地の音楽が津軽に伝わり、津軽民謡は独特の発達をみる。しかし、津軽地方においてはボサマと言われる男性視覚障害者の門付け芸として長く蔑まれていた。 

神社神道の学校としてこのような経緯を辿った津軽三味線をこよなく愛する私は生徒にクラブ活動として「津軽じょんがら節」を演奏して欲しいと思う。エリートだけのピアノ、オルガン等だけではなく、土着の日陰から世に出た津軽三味線は地歌三味線(中棹)、長唄三味線(細棹)などの華々しい音曲と違った「うねり」の世界に我々を導いてくれる。生徒にはその重たい太棹三味線である津軽を愛して欲しいと思う。♪を書いた資料など残っていない、津軽三味線の多くは口伝に依る。津軽三味線の歴史が浅いだけに今日的若者に是非弾いて次世代に繋げて欲しいのである。