「気分良く、満ち足りた」気持ちで、神前奉告から始まった「第78回目の卒業式」は今、無事に終了した。満ち足りたという言葉の背景には中高の卒業生の数は、中学は123人、高校は840人に対してそれぞれの新一年生の想定数が大幅に増える見込みと成っていることによる。「昨日の中学2次入試」からどれ位の受験生が手続きに来てくれるかだが、経験値から想定すると、中学で185人から190人、高校で950人から1050人の範囲とすれば4月期首の「本校在籍生徒数は何と現在の3350人を遥かに超えて3500人前後」にもなる計算だ。卒業していく生徒に置き換わるように4月6日の入学式、8日の始業式には3500人前後の生徒が正門を潜ってくる。この光景を見るのが今から楽しみである。「卒業生にとっても自分たちより少ない入学者では複雑な気持ち」になるだろう。このことが学校設置者を気分良くさせ、満ち足りた冒頭の字句に繋がる。
高校の飯田校長、中学の西田校長、管理職の先生方や全ての教職員の総合力の賜物であることは間違いない。私は今の教職員集団を大きく、強く誇りにしている。今や浪速学院は何処を衝いても隙がないと思えるくらいに強靭な力を有しているのか?勿論自信過剰、尊大、傲慢から組織力が崩れていくのは歴史が教えるところであるが、今日くらいはその状況に浸り、偶には「満身で喜ぶのも有り」だと思う。特に入試広報部には特別な評価を与えたい。先んじた浪速高校に並ぶべく、遂に浪速中学は一皮剥けて新しい時代に入った感がする。「起爆剤が新校舎と新校長」だった。
3年前に新記録の数値で入学して、今日卒業した高校3年生はコロナ明けの中で手探りで学校行事を検討し、伊勢修養学舎や海外修学旅行を再開したのもこの学年だった。色々と苦労した学年団であったがその分「纏まり」が際立って良く大きな問題の無かった学年であった。卒業式の主役はまず卒業生、そして学校側は校長である。何といっても卒業証書を手渡すことが出来るのは校長先生のみである。理事長・学院長の私の役目は校長からの委嘱による「特別賞の授与」で登壇するだけだが、この栄誉は私にとって極めて名誉である。自分が自分の名の付いた「冠」の賞を生徒に手渡す喜びは無上である。I君に差し上げた「木村賞」は御代替わりの令和元年に理事会の決議で設定された「本校最高位に位置する特別褒賞」であり、在学3か年間学業優秀、生活態度優秀で他の範であった生徒に授与されるものである。私が対象者を決めるのではなくて、学年団で慎重に審議され選出された生徒である。
そして今回から新しく制定した「押見賞」が女生徒のSさんに授与された。この賞は、本学院の評議員を長く務めて頂き、本校発展に多大な貢献をされ、卒業生でもあった、東京本郷に鎮座する湯島天満宮の先の宮司で、本校同窓会最後の会長であられた。そのお名前は故・押見守康先生であり、そのご遺志を継承するものとして理事会で正式に決定された。私がお見舞いに東京の病院に訪れた時、先生から直接、20年間の学校改革で母校浪速学院を飛躍的に発展させた事を大変に喜ばれ、信じられないくらいの多額のご厚志を私は託された。熟慮を重ね「押見記念顕彰基金」の設立を理事会に提案し、満場一致で承認された。今日その第一号が卒業生から誕生したのである。さぞかし押見先生は黄泉の国で喜んで下さっていると思う。
式典が終わっても生徒も保護者も帰ろうとせず、神社前広場は人人で埋まった。初めて重要分掌長を担ったN学年主任の先生のお人柄か、総じて纏まった学年であった。とにかく卒業式は感動を呼ぶ。私は13時過ぎに職員室にて3学年団への慰労の言葉と慰労金の金一封を授与した。学年団は今夜「ミナミで打ち上げ」らしい。13時半過ぎに担任団との記念撮影があり私の役目は終わった。何時も思うのだが学校勤務の良さ、楽しさは「人、物事、景色が次々と回転していく!」からかも知れない。その中でも「卒業式というのは頂点で格別な味」がする。



