2025年9月19日金曜日

開校102年目の輝く「秋季例祭」

 遂に「開校102年目の秋季例祭」の日が来た。開校100周年目から早いものでもう2年が経った。これは私の感覚だが新たな次の100年に向かってスタートしたが、この2年間で、学校は何か衣替えというか「一皮むけた」というか、小動物があたかも「脱皮」するが如く、「グンと伸びた感じ」だ。入学生徒数の驚異的伸びがあったから言っているのではなく、学校全体の雰囲気からだ。生徒だけではなくて教職員、PTA他浪速に集う人々も何か変わった感じがしてならない。特に生徒が良い。この学校で学ぶことが嬉しくてならない感じなのである。だから人様にご挨拶は出来るし、人懐っこい感じを放ち、外部から入門されて来られる方々から「良い生徒さんですね」と良く言われる。本当に誇らしい。 



秋季例祭はお祭りである。本校は4月の春季例祭と秋9月の秋季例祭を最上位に位置する学校行事とし、神社界と同じく、神社神道の学校としての「祭事」として捉えている特別な日である。学院神社の大神様に4月からの半年間の学校教育活動の成果への感謝と、今日から折り返しとなる来年3月末までの教職員と生徒の安全無事と健康、そして学業の向上を神様に祈願する極めて大切な日であり、神社前には「幟」を立て、剣道部員が打ち鳴らす3尺大太鼓の報鼓で「祭」は始まる。この祭りの「祭主」は学校設置者の理事長である私であり、お祭りを執行して下さる「斎主」様は市内「坐間神社」から来て頂いている本格的な神職である。 


ご来賓も多く、大阪府神社庁、校友会、それにPTA会長、加えて理事・評議員の方々である。特に今年から神社庁の代表として福島天満宮の寳來宮司様をお迎えした。神社庁理事、全国神職教育協議会の会長をされたお方であるが、この方のご祖父が何を隠そう、戦後初代の本校理事長で今日本校がこの地に永らえている基を作って頂いたお方である。大変立派なお方で戦後神道指令で艱難辛苦の時代を乗り切って下さった。開校100年が過ぎ、お孫さんが神社庁代表で秋季例祭に代表として参列頂いた事に寳來正信先生は高天原で大変喜んでおられると思う。これらの繋がりに何か因縁めいたものを感じ、私は感じいった。だから祭事が終わった後の雅楽部と神楽部との記念写真に入って貰った。 




玉串奉天は理事長と両校長、前述のご来賓、加えて高等学校の自治会長、中学校の生徒会長だ。決して形だけの祭事ではなくて本格的なものにしている。これが重要で生徒に「本物を見せる」ことこそ教育だと考えている私は決して「祭事には手抜きはしない」。従って神様に奉納する雅楽と神楽も他のお宮からの借用ではなくて自前である。雅楽部と神楽部を育てるのに16年かかったが今では府内の神社から称賛と垂涎のお声を頂く。例祭の後、鳥居の前で自治会、生徒会会長を代表として全校生徒に「直会」の品として「ノート」を神様からの贈り物として授与し、その後学院長講話に移った。

神職の「祝詞」の意味をかみ砕いて話し、後半戦も頑張るように激励した。教職員には今日の昼食として「お祝いのにぎり寿司弁当」が神様から下された。無事に終わった神事であるが、これからは趣を変えて午後そして明日と「浪速祭」が始まる。最後に生徒代表が「浪速祭のスタート」を宣言して舞台は「明日の浪速祭」へと回った。雨の予報だが、神様は雨を大切にされる。我々は雨を嫌ってはいない。




2025年9月18日木曜日

秋季例祭と浪速祭の準備が加速

 明日が「秋季例祭」で明後日が「浪速祭」の日である。私どもは使ってはいないが「宵宮」と言えるかも知れない。生徒も教職員も明日からの準備で忙しい。神社神道の学校である本校にとって、この「二つの祭りは最重要な祭事」である。こういう場合には祭事と言う言葉が適切だ。秋の収穫の時期を迎え、五穀豊穣を祝い、翌日には文化祭とは言わず浪速祭と呼称して59回目となった。

紆余曲折があったが学校は存続し続け、それも益々の勢いを付けながら明日を迎えることは幸せ者だと言う以外に言葉はない。生徒保護者PTA一丸となって雨が降ろうが槍が降ろうが我々はお祭りを寿ぎ、後半戦への意気込みと覚悟を示す。焼き立てパンコーナーも生徒の模擬店の準備も拍車がかかって来た。


生徒の皆さんへ

令和7年度 第59回浪速祭の開催おめでとうございます。

浪速学院は開校100周年を迎え、「NANIWA NEXT100」と題し、新たな100年に向かって歩んでいます。今年の浪速祭のテーマは、高校自治会・中学生徒会の役員から「浪速LOVER Go to浪速万博〜」という素晴らしいものを提案いただきました。 

自治会・生徒会の皆さんが込めた想いは「浪速を愛する者」であり、浪速を愛し、未来へと伝えていこうとする強い気持ちが表れています。今年度は過去最多の入学者を迎えた浪速高等学校・中学校の伝統を、次の世代に受け継ぐためにも「浪速LOVER」の想いを胸に、それぞれが「good school 浪速」を実現できるよう願っています。さらに現在開催されている「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」の中で、各国が進化した技術を見せる機会を意識しているように、浪速祭では浪速生が新たな挑戦をする絶好の機会とし、生徒の皆さん一人ひとりが「Go to浪速万博」に呼応して自己を高め、仲間とともに成長してほしいと期待しています。 

浪速祭については、新型コロナウイルス感染症の影響で令和2年から令和5年までは中止の判断や内容見直しが行われました。その中では常に伝統ある浪速祭を「継続するぞ」という先輩たちの強い気持ちが引き継がれてきたことにより、今年度の浪速祭開催に繋がっています。今年は一段と皆さんの気持ちが反映され輝きを増した「お祭り」になるものと楽しみにしています。 

浪速祭の始まりは「秋季例祭」です。本校にとって年2回行われる例祭のひとつであり、学院神社の大神様に報恩感謝の誠を捧げ、本校に関わる人々の健康と安全を祈願する大切なお祭りです。特にこの秋の例祭は、浪速祭が盛大にそして無事故で安全に開催されること、そして、受験を目前にした3年生がそれぞれの目的をかなえられることを、併せて祈願する大切な神事です。浪速学院の伝統文化を未来へとつなぐ重要な行事であり、その意義をしっかり感じ取ってほしいと思います。 

生徒の皆さん、報恩感謝の気持ちを忘れず、浪速祭という大切な時間を仲間と共有することによって、多様な感性と視点を学び、そして達成感や感動を得て、絆をより一層深めてほしいと思います。また、意見を出し合い、協力して作品を作り上げる過程の中で、個人の作品も、クラス全体の成果も、共に大切にしてください。この浪速祭で「今を大切に、今を懸命に生きる」ことができた実感を、クラス全員で共有してほしいと考えています。 

今年開校102年目を迎え、新たな100年に向かって歩んでいく浪速学院の伝統を胸に、「浪高生、浪中生の誇り」を持ち、これから訪れる明るい未来に向け挑戦する皆さんの大活躍を心から期待しています。

令和79月吉日

学校法人 浪速学院 理事長・学院長   木村智彦

浪速高等学校 校長 飯田智文  浪速中学校  校長 西田陽一

2025年9月17日水曜日

浪速中学校が変わり始めた、キーワードは「多様性」

 過日、中学の西田校長が部屋に来て「某マスコミのインタビューを受けて良いか」と承認を求めて来た。浪速高校2016年卒業のOBである「なにわ男子の大橋和也」さんが「学校時代に最も影響を受けた先生は?」と聞かれて現西田校長、当時の数学科教諭の西田先生の名前を挙げたらしい。それで記者から取材申し込みがあったという。私の返事は即座に「オッケー」であったことは当然だ。彼の事は良く覚えている。入学時から「芸能活動をしたい」という強い要望で、しっかりと学業成績を挙げれば卒業可能と言って入学を許可し、当時校長だった私が3年後の卒業証書を手渡した経緯がある。福岡県古賀市で生まれ、奈良県で1年過ごし、3歳の時に大阪府へ引っ越し、小学2年の時にダンスを始め、20094月、小学6年生でジャニーズ事務所に入所し、小学2年のころから芸能活動を始めた。 

最初の事務所がジャニーズ事務所で、関西ジャニーズJr.として活動を開始した。今や俳優や声優、ミュージカル主演など幅の広いアイドルでもありタレントさんであり俳優さんだ。本校は決して学業をおろそかにしてタレント活動を優先はさせていないが、彼は本気で「なりたいものになった!」という輝かしい足跡であり、私は評価している。西田校長の思い出も「タレントの仕事の無い時は毎日学校に来ていた」と言っていたし、物静かな生徒で、とにかく「真面目」であったと言う。昼休みには彼の教室に女子生徒が「きゃーきゃー」騒いで覗き見るなどの光景もあったが、今や大橋君も夢が実現して良かったと思うし、傍らに浪速教育があったことが誇らしいと思う。誰彼、「大学に行かなくとも自己実現は可能」だ。

 昨日は「第一回中学生パン食の日」であり、まず中学3年生から販売を始めた。先生方の指導もあってか、整然と列を作り、笑顔が弾けていた。私と西田校長が「声を掛けながら」販売促進の手伝いを行った。生徒との距離を縮めるのはこのような時に「普段の理事長や校長先生の顔と皮を脱いで」、自ら生徒に寄り添うと必ず良い結果に繋がる。是非両校長は率先垂範してまさに「私立らしい校長と生徒との関係作り」を考えて欲しいと思う。権威の象徴みたいな「しかめっ面」の校長先生のお顔は生徒も苦手だと思う。「君子は豹変するのが良い」。 


浪速中学校は少しずつだが、変化の兆しが見え始めた。「英検の成績」も上がり始めた。又今朝は「グローバル文化交流協会の仲立ち」でこの「25日に8人のフリッピンの義務教育関係者が本校を訪問」したい旨の要望で、前から存じているT代表が先駆けで打ち合わせに来られた。私は校長と教頭を交えて「心から歓待する」旨お伝えした。大層な喜びようであり、本校はフリッピンのパーペチュアルH大学とも有効な関係が有り、今や英語圏のフィリピンの教育省の幹部が来日されまず本校を訪問して頂くのは名誉な事である。私は準備万端抜かりなく、心してお迎えするように校長と教頭に指示した。


2025年9月16日火曜日

学校の美麗さだけでは受験生は来ない?

 昨日は「敬老の日」であったが別に誰からも敬老されたという感覚は全くない。暑い日で「公私」に亘って忙しかった。「人生100年時代」というが、特段それに気が行って、頑張っているという感じでもない。完全に後期高齢者だが、この学校の為に「徐々に後輩たちに引き継いで行こう」という気は十分にあり、特に昨年くらいから意識して実践している。ただ正直言ってまだ「心許ない」。まず企画力、歴史と経緯の認識、仕事のさばき、資料作成能力、スピーチ力、実行力、気配り、心配り等々、もっともっと自己能力を磨いて貰わないと私は引退出来ない。特に統率力、リーダーシップを磨いて欲しい。今辞めれば後継者問題で学校を衰退させる要因になる。「努力と覚悟の問題」だと思う。私は希望を捨ててはいない!「老人の跋扈」と言われてもまだ自分が身近な部下よりも総合力で上位にあると考えたら、引退などとんでもない話で私の仕事は「これらの人々の教育訓練」であると思って「老体に鞭打って」頑張っている積りだ。私に無い良い点を沢山有しているだけに更に頑張って欲しいと思う。

若い生徒に囲まれていると全然年を感じない。今年の敬老の日に特にそう思った。

少し前になるが朝日はトップ記事で「高校授業料無償化の現状」について全国教委のアンケート結果を記事にしている。全国で31の教育委員会は「選択肢が増える」と出し、この施策が「良いと、どちらかと言うと良い」合わせて35教委とあった。良いと思わないはわずか1教委だったと言うから教育行政サイドは評価していることが分かる。しかし公立希望者の減や県外進学増、広域通信制への進学者の増なども当然アンケート結果にはあった。自民、公明、維新の3党合意で決定したこの施策はまだ法律にはなっていないが、後世日本教育施策の大きな分水嶺なった言われることは間違いないだろう。戦後70年続いてきた日本の中等教育のシステムを破壊し、今後公立そして私立もどのように展開していくのか、最大の案件だと思う。注視していく必要がある。

朝一番に入試広報部から「9月13日の第二回体験授業(オープンキャンパス)」の詳細報告を受けた。概要は既にこの日のアラウンドで記しているが、参加者は新記録でアンケート結果も私を幸せにするほど良いものであった。「楽しく、知性溢れる授業」がキーワードであったが間違いなく実行してくれ、全ての科目と先生で最高の評価を得たと思う。特に更新した「電子黒板」の評判が良く、映像は鮮明であり、声の聞き易さも大幅に改善されていた。校舎見学でもその美麗さと広さ、廊下の美しさは驚嘆を与えた感じであった。見晴らしの良い図書館、天空レストラン、特に開放感のある職員室に言及するお声が多かった。しかし学校が美しいから人気があるのではなくて、そこには本校が醸し出す香りと雰囲気が評価されていると思う。学校とは総合芸術かも知れない。そうでも考えないと昨年対比で1.5倍という、参加者の数値の増はあり得ない。本校だけが授業料無償化対象ではない。

教員の授業の保護者アンケートでは社会科のK先生の授業は「引き込まれる授業で興味を持って参加出来ました。自分でも考える時間や他者の意見を聞いたり話したり能力を養い、コロンブスの卵にちなんだ最後にはメッセージ性のある講義に若者の興味を惹くミセス問題も用い、今後へ繋がる、次を知りたいと思わせる素晴らしい構成の授業、大変有難うございました!」とあった(原文ママ)。」まさに教師冥利に尽きる言葉であり、この成績を勝ち取った背景は深い教材研究とストーリー性のある展開、リズムとスピード、そして抑揚のある声と考えをあらかじめ企画し実践したもので、私も暫し参観したがまるで映画の主役が生徒の顔を一人一人観察しながら、教壇を動き回っているような授業であった。本校OBだが、良い先生に育ってくれた。



2025年9月13日土曜日

湯島天満宮「押見守康大人命」のご恩に報いる

 昨日は早い新幹線で東京に移動し、文京区大塚にある、あの有名な「護国寺」に向かった。ここは天和元年(1681年)27日、5代将軍、徳川綱吉が「母、桂昌院の願い」をうけ、高崎の大聖護国寺住持であった亮賢に高田薬園の地を与え、桂昌院の祈願寺護国寺の建立を命じた、真言宗豊山派のお寺である。何故、神職の葬祭にお寺さんを使うのかなどは愚問であり、神道ではどこでも良く、又参列者が多いだろうし、かねて同じ文京区でもあり、お付き合いがあるとの事でこの護国寺さんにお願いしたとご遺族から前にお聞きしていた。歴史的な建築物があちこちにあり、境内は未だ「江戸の香りの名残」が残っていた。 

大変立派な葬祭であった。「神葬祭」は、故人に家の守護をお願いするための大切な儀式であり、人が亡くなることを「帰幽」といい、尊称としての「諡名(おくりな)」がつけられる。故人の名前+諡名+命(尊号)で、故人の名前が決まる。即ち男性の場合は、「大人命」とかいて、「うしのみこと」と読む。だから故押見名誉宮司様も大人命になられた。ちなみに女性の場合は、「刀自」と書いて「とじ」と読む。一方、日本神話において死者が行く世界は「黄泉の国(よみのくに)」と言い、これは生命と死の境界を象徴し、死者の安息の地とされている。神職であった個人は黄泉の国に旅立たれたと言う表現もある

私は先の密葬にも参列させていただき、今回の正式の神社葬にもお席を頂き一隅を頂いた。警視総監、元大臣、国会議員、文京区本郷界隈など斯界のトップの方々が参列された盛大な葬祭であった。私は事前にお送りさせて頂いた先の「浪速学院開校100周年時のお写真」が玄関傍の棚に他の多くの表彰状と共に置かれていた。こよなく母校を愛され、恐らく死期を悟られたのかどうか今になっては分からないが息を引き取られる1カ月前の「4月30日に一金1000万円を振り込んで頂いた深い母校愛」に対して深甚なる感謝の誠を捧げ、学校の更なる発展をお約束して玉串を捧げた。半世紀以上に亘って湯島天満宮を護持し発展させてこられたご手腕と業績は深く私の模範とすべき輝かしい実績であり今後とも学校の為にこの身を捧げるとお約束して雨が降り始めた護国寺を離れた。私の「涙雨」であると思った。 

押見守康大人命のご神威のお蔭か、今日の「第二回目の高校体験授業」の参加者は何と、何と7月の1回目と合計して昨年の2倍の参加者となった。「2倍ですぞ!」、普通はあり得ないことです。ゆうに合計1500人を超えている。私は担当の先生方に受験生の中学3年生に対し「高校らしいインテリジェンスな授業」をお願いしており、各教室を回って様子を見たが素晴らしいものであった。合わせて保護者のいる教室にも回って本校への興味関心をお持ち頂いていることに感謝申し上げた。私は参加者のみならず模擬授業をしてくれた先生方に焼き立てパン一箱をプレゼントすることにし、入試広報部の近藤教頭に指示した。教材の準備から今日までのご苦労に対するせめてもの感謝の気持ちだ。土曜日、朝の9時から15時過ぎまで3部に分かれて教壇に立っていただくのは並大抵のことではない気力と体力を必要とする。

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2025年9月11日木曜日

24時間、365日「次の一手」を考える

 学校の管理職は余り校外に出張等で出歩かない方が良いというのは私の強い思いでこの学校に着て以来実践している。これは自分の経験から来たものであり、とにかくトップは朝早くから現場にドンと構えているのが良い。今でも私は一番早く学校に来てまずパソコンをチェックすることから一日は始まる。学校は何時も何かが起こっているもので即座に判断して指示を出したり、次から次と懸案を抱えて教職員が部屋に入って来た時に、決して長く待たさず、「過程を聞き、質問し、返答を聞きながら人物を知り、最後に承認や捺印」をして「彼らの仕事のはけ」を進めるのが仕事の流れから必要な事である。学校の先生は忙しい。だから彼らを待たしてはいけない。 


後は常に「次の一手」を考えておくのが仕事である。これこそトップの最重要な責任である。学校は常に進化させておかねばならない。例え細かい事でも「変えるという行為」が重要である。しかし例外はあって私の場合は神社界と他校の周年の祝い事や冠婚葬祭は必ず顔を出し「義理と人情」の中で務めを果たしている積りだ。その中で昨日は「伊勢神宮で重要な会議」があり行ってきた。仰せ付かっている神宮の評議員と言う役職は長い本校との歴史、「72年間も伊勢修養学舎」でお世話になっている神宮様と神宮崇敬会とのご縁から考えても出向かなければならない。今や神宮の幹部の方々とも極めて親しい関係になっている。全国で1300人以上の役員がおられ、大阪からは神社庁長始め7人の役員が出席されていた。



学校車での早朝出発で15時30分には学校に戻り、短い時間だが仕事をした。何時も仕事だ。「24時間、365日、トップは仕事の周り」で生きている。学校に居るかどうかは関係ない。伊勢への往復の間でも便利な世の中で携帯電話で学校とは常に繋がっている。今の私の経営課題の一つは過日改装なったおり、特に「焼き立てパン・ブル」コーナーの今後の活用にと天空レストランの「フードコート」である。車から担当者との会話の掛け合いをしながら「熟慮」できるのが出張時の車の中である。私にとってこの時間帯は「幸せな時間」である。とにかく考える時間があるのが嬉しい。早速学校に戻って直ぐに関係者を集め、「事実確認と今後の対応策」について議論を行い、「実験的にやる」ことを決めた。この点が他のトップと違う点だと思う。100%問題点が解決してから手に付ける事を考える人が案外と多いが、それはやらないことと一緒だ。「出来ることからやる、今日からやれることはやる」という強い考えである。 

昨日決めたことは以下の通り。何でも直ぐにやると次が見えてくる。「手を打ってまた進める」のだ。

    10分間の授業間では時間が短く、2限と3限の業間に昼休み時間50分の補填としてパンを購入して貰う時間を設定する。これには販売側が校舎教室近くに出向くこととする。高校生徒生活指導部長のI先生のアイデアを頂いた。

    フードコートはここで何某かの購入をした生徒には優先的に使用して貰い、家からお弁当を持参した生徒は教室での喫食とするルールは前々からの懸案であり、丁寧に手順を踏んで10月から移行すべく高校校長に進めるように話した。来年度入試を考えれば生徒はまだまだ増えるから本当にフードコートの席が無くなる。

    特に中学生がパンを購入できる時間帯を設ける必要がある。中学生をもっともっと大切にしなければならない。「6年間も本校で学んでくれる重みは大きい」。今朝ほど中学校長が早速動いて「中学生パン食の日」を設定する方向だと報告を受けた。保護者からの要望もあるらしい。





2025年9月9日火曜日

本年度の海外修学旅行は:

 「二度とかえらぬ 思い出乗せて クラス友達  肩よせあえば

ベルが鳴る 鳴る プラットホーム ♪

ラララ……汽車はゆく 汽車はゆく はるばると はるばると

若いぼくらの  修学旅行 ♪」

以上の歌詞は今から62年前の昭和38年(1963)に日本コロンビアからリリースされた舟木 一夫さんの持ち歌「修学旅行」の一番の歌詞である。当時私は高校2年生だったように思う。今でも3番までソラで歌える。舟木さんは1944年〈昭和19年〉1212日のお生まれだが大変元気で故橋幸夫さん、故西郷輝彦さんとともに御三家と呼ばれ、学生服と八重歯がトレードマークであり、デビュー当時は、学園ソングとよばれる、高校生活をテーマにした歌が多かった。高校3年生とこの修学旅行は大ヒットとなった。 

以上がこのブログのイントロである。ところで浪速高校2年生はこの11月に修学旅行が計画されているが、今や「汽車はゆく 汽車はゆく・・・」ではなくて「飛行機は飛ぶ、飛行機は飛ぶ?」である。私みたいな世代には「隔世の感」がするが、この海外修学旅行を始めたのは私で、今から15年前のことであった。これは「先進的な他国を若い段階で見せておきたい!」と強く思い、相当踏み切るには勇気がいったが、決断し、大きな問題もなく今日に至っている。今や浪速高校の名物行事に育ってきていると言っても良いが、その裏には学年団とエージェントさんのコラボで相当念入りな準備を進めてきていることがある。過日、学年主任のS先生から最終的な陣容について報告を受けた。S先生は注目に値するお人柄で、責任感強く、沈着冷静に調整しながら総合責任者としてここまで事を運んでくれた。


総勢約1000名の生徒に約50人の教員が付き添い、10方面に分かれて11月中旬に二日に分けて日本を旅経つ。10方面とはスペイン、フランス、イタリア(2班)、イギリス(2班)、オーストラリア、マレーシア・シンガポール、北海道、フィリピン(語学研修)だ。「地球の北半球、南半球、欧州、アジアと全地球規模の修学旅行」である。人気コースは2グループになったイタリアとイギリスだ。生徒数が極めて多いので航空機の乗員定員の関係から今年は新たに「スペイン」が加わった。アメリカ・ニューヨークは色々と考え今回はカットし、アジア重視の姿勢もあってマレーシア・シンガポールは昨年来入れている。 



先週の土曜日に「学年集会」をS学年主任は持って、保護者に具体的な内容と今後の準備について説明すべく、エージェントのHISさんを招き、事細かく説明した。私も顔を出したが何時になく保護者は真剣な面持ちで情報をゲットされていた。費用は確かに国内修学旅行に比べ、割高ではあるが生徒が得られる知識と目から入ってくる光景はその費用を超えて身につくメリットが大きく、保護者は「自分はまだ行ったことはないが子供には是非行かせたい!」との姿勢が明確である。このような立派な保護者の期待と生徒の思いに応えるべく付き添う教員とエージェントの社員さんや添乗員さんは「最大限の注意とケア」を行い、楽しい修学旅行となるべく、「無事に連れて行き、無事に連れて帰ってきて欲しい」と強く思う。私も何処かに入りたいと思っているがまだ決めていない。