2020年3月10日火曜日

疫病との戦い「謙虚に身を慎めという事か?」


古めかしい表現だが今の新型コロナウイルスによる肺炎は「疫病(えきびょう、やくびょう)」である。疫病とは、集団発生する伝染病・流行のことだから間違いない表現だ。日本の歴史上、疫病として流行したものは痘瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・赤痢・コレラ・インフルエンザ・癩・結核・梅毒などだが、この新型コロナも歴史に刻まれていくのだろう。しかし「恐ろしい」ものだ。元々このような病気は特定の地域の風土病であったが、文明・文化・社会の発展と異世界との交流拡大による人や文物の往来に伴い、これまで同種の病が存在しなかった地域に極めて早く伝播し、世界的に流行するようになった。このコロナはその代表的なものになった。



その昔「古事記」や「日本書紀」にもあるように崇神天皇の時代に疾疫が流行し人口の半数が失われ、それが三種の神器の一つである「八咫鏡」が宮中から今の伊勢神宮に移された契機になったという。このように神話の時代から疫病はあったのだ。「倭名類聚抄」には“疫”の字の意味について「民が皆病むなり」とある。こういう状況下で「学校は臨時休業」だが、一体この先、どのように展開するのか分からないだけに心が落ち着かない。今生徒の様子はどのようになっているのか、顔が見えず、情報が十分でないだけに心配なのである。本当に生徒の声が全く聞こえず、教職員のしわぶき一つない学校は建物だけが目立つ「幽霊みたいな」もので不気味である。



「明日は専願登校日」であり、久方ぶりに生徒の顔が見える。しかしこの集団を迎えるやり方は今までとは全く違うものとした。486人の専願者を合計33教室に分けて分散させた説明会とした。今は静かで暗い教室が明るくなって欲しいばかりである。一教室当たり15人で席は前後左右を空席にして据わって貰う。10時に始まり早いクラスで11時まで、遅くとも11時30分には完全下校だ。私は現在入学式をどうするか思案している。頭の中には入学式も簡素化していっそ始業式と同じタイミングで行う「入学式・始業式ドッキング」で教室での式典方式だ。私学課や他校の動きを見ながら最終判断していきたい。
もしこれが6月の長梅雨の気温が下がる時にまでウイルスが飛散しているとなれば、11月の海外修学旅行は「やばく」なる?イタリア、フランス、ドイツでは今、感染者が急増しており11月までに終息する可能性が日日落ちている現状に凹んでしまう。しかしだ。「ここは試練」と思ってやれることだけを粛々とするしか学校では出来ない。しかし一歩一歩、前に進むしかない。明日の公立高校の選抜試験が予定通り行えることを祈るばかりである。19日が合否の発表でこの日併願合格者が登校してくる。これで令和2年度の規模が決まる。4月からは平常に戻って欲しいと学院神社の大神に今朝も祈願した。今朝ほど教務部長と話して新一年生を迎えるホームルーム教室を何処にするか決めた。中央館4階と5階、東館5階を用意したのである。





今回の事で私は「平穏無事の有難さ」を思い知った。非定常の不安や不安定は定常の中では想像できないのが人間だ。非定常になって初めて定常の有難さが分かる。非定常になって人間は「あたふた」して動き回わり、色々な論評でかまびすしいが、天上の唯一絶対の万物創造の造化神は人間に与えたこの試練を見て何と思われているだろうかと思う。「謙虚に身を慎め」ということだろうか。