2020年3月26日木曜日

浪速高等学校の校長職を退任する!


東京では新型コロナウイルスの感染者が1週間で倍増し、小池都知事はこの週末の外出自粛要請を発表した。オーバーシュート、爆発的感染を警戒しての判断と言っているが少し遅いのではないか。東京オリンピック問題の為にこの判断を遅らせたとは思わないが、こういう時は「早め、早め」が良い。大阪は先の3連休時に「兵庫との行き来」を自粛する要請などを出したが、この効果は少しはあったのではないか。最も先行きは全く見通せない。大体「ワクチン」がない状況下で基本的に「短期間で落ち着くのか?」。この夏場が山だという人は多いが、本当にそうだろうか?少し神経質になってきている。今朝も生徒も教職員も何もない情報を得て私は安堵しているが、今の最大の懸念は学校は4月になったら動くことが出来るのかどうかだ。

このブログで正式に私は「浪速高等学校長の職を退任する」ことを明らかにする。平成から令和の時代に「御代替わり」して丁度良い頃合いだ。若い人材も育ってきた。既に12月理事会、その後の職員会議でも内定として明らかにしており、教職員は全員知っていることであるが3月23日の理事会で正式に確認された。「学校改革」「浪速教育改革」「浪速教職員改革」は13年間の長きに亘った。この間浪速中学校の校長も5年間は兼任した。もっと前を遡れば平成14年4月大阪府立高津高等学校の校長に就任した時から数えれば通算17年の校長職を経験したことになる。それも公立、私立の両方をこのように長くさせて頂いたのは恐らく日本で初めてのことではなかったか。








浅学菲才の私がこのように長く学校の校長職を続けて来られたのはまさしくご神慮の賜物であり、この間支えて下さった多くの皆さんのお陰である。感謝以外の言葉はない。この間、辛かったと思うことは一度もなかった。ラグビーではないが「前へ、前へ」の楽しい毎日だった。企業社会から教育界に転じて、教育という営為の素晴らしさに、これこそ我が「天職」と思えるようになっていた。私は今「晴れ晴れ」とした気持である。やり終えた一服感に安堵し、心豊な気持ちである。こういう場面では「良くやったと自分を誉めたい」という人もいるが私は違う。私にしっかりと付いてきて、頑張ってくれた「本校の教職員のお陰」である。失敗も多く「もっとやれていた」と思う。今は居ない元教職員の顔が次から次と浮かぶ。



しかし幾ばくかの寂しさを感じるのは、何故だろうか?答えは校長職を辞して可愛い生徒との触れ合いが減少することだ。しかし「遅かれ早かれ」、何時かはこうなるのだから、言っても詮無い。まだ「元気な内に若い校長にバトンタッチ」することは極めて重要であると考え決断した。今着任した当時の写真を見ると若かったなー。言い換えれば随分年を取ったということだ。それにブクブクと太った。しかし年をとっても気力はまだ有り余っている。新体制にすべての「後事を託す」のではない。校長職は退いても「理事長・学院長」として学院の行く末を盤石にする為には、まだまだやらねばならない事が山ほどある。今後の私は学院経営に集中し、「先の、先の学校作り」の基盤を固めていくのは私の責任である。とりあえず「令和5年の創立100周年」を如何に迎えるか大きな課題である。少し時間的余裕が生まれるが、私の事だ。仕事を自ら作り出していくのだろうと思う。