「うーん、少しヤバイ!?」感じがする。このまま行けば大阪府の爆発的感染の歯止めがかからず、急増は収まりそうもない。23日の高校始業式が怖い。2100人を超える高校生が一挙に登校してくる。秘かに他校の状況を聞いているのだが酷い状況の学校もあるみたいだ。教育行政とマスコミとの取り決めで具体的な学校名は出さないと聞いているが、正しい措置だと思う。どの学校にクラスターが発生したとか大騒ぎで報道しても何ら意味は無い。今回の第5波の特徴は家庭内感染とクラスターだ。それに高齢者から若年層に移ってきており、確かにデルタ株の感染力は強い。コロナは高校生と中学生に迫ってきている。
府の教育庁は18日付けでクラブ活動の制限、修学旅行の中止か延期、学校行事の見直し等を正式に通達して来た。この先ひょっとしたら「臨時休校」も有り得るとの判断から「オンラインの活用」にも言及されている。本校では先手、先手で準備しているから問題は全く無いのだが、果たしてこれらの対策で収まるのであろうか。私は悲観的に観ているのだが、「斜に構えて」も仕方がないし、あたふたして一喜一憂しても仕方がない。私はドンと構えて生徒・教職員を守る為に出来ることは何でもやるが、正直出来ることは限られているだけに辛い。ただ組織のトップが明るさだけは失ってはいけないことを自覚している。暗いトップでは全員の気力も萎える。最後はトップの明るさだけが天も地も学校も家庭もどの組織にも決め手になってくるのではないか。
「神頼み」という言葉がる。「苦しい時の神頼み」という具合に使われる。これは人智が及ばず、打つ手が無い時に神に祈って加護を願うこと、神の助けを願い求めることなのだが、そういう気持ちにもなる。昔、神代の時代、天照大神が、弟の素戔鳴尊の乱暴を怒って天の岩屋へお入りお隠れになり、世の中は真っ暗闇、いろいろの悪い神々が出てきて、恐ろしいことや、悲しいことが次々に起こった。困り果てた大勢の神様たちは、岩屋の前に集まって、天照大神に岩屋から御出でになっていただくにはどうしたらいいだろうかと、思案を巡らし岩戸の前で踊ったり歌ったりして楽しそうに振舞うと、岩屋のなかの天照大神は何事がおきたのかと、そっと岩戸をあけて外をご覧になられた。その瞬間を待って力持ちの天手力雄命が岩戸に手をかけ一気にガラガラと渾身の力で、岩戸をあけて天照大神を岩屋からお出しされた。その結果、世の中は再び明るくなり、悪い神々は、逃げ去ったという。大変有名な古事記が描く「天の岩屋戸神話」である。本校にはこの神話を描いた「壁画」がある。新校舎建設時に私が拘って東門、正式名称「天岩屋戸門」から入った直ぐのところ、理事長の執務室に最も近い場所に設置したものである。
この壁画の一部が、それも金色に輝く天照大御神が出られるスポット部分が建設から5年を経て損傷個所が見えたので昨日修復作業を行った。元々新校舎の中央館回廊と東館を繋ぐ屋外のトンネル部分にあり、風が強く通り抜け、陽も強く当たる場所で壁画には過酷な場所であったが、神社神道の学校として大切な日本の神話を生徒に伝えるものであり、とにかく始業式に間に合うように修復を依頼したのである。大阪芸大の日本画科卒の人が見事に修復してくれ、これで不安はない。始業式では古来、日本人は謙虚に一生懸命働き、人智を尽くして天命を待ち、最後は斎戒沐浴して「神頼み」をして生き抜いてきたと、違う切り口から注意喚起を促すことも考えて見たいと思う。人間は有史以来困難、逆境を乗り越えて来た。今回のコロナも何時かは折り合える時が来よう。それを謙虚に真面目にやるべきことをやって待つしかあるまい。本校の校訓「浄明正直」である。浄く明るく正しく素直にだ。この言葉に間違いはない。