昨日は早い新幹線で東京に移動し、文京区大塚にある、あの有名な「護国寺」に向かった。ここは天和元年(1681年)2月7日、5代将軍、徳川綱吉が「母、桂昌院の願い」をうけ、高崎の大聖護国寺住持であった亮賢に高田薬園の地を与え、桂昌院の祈願寺護国寺の建立を命じた、真言宗豊山派のお寺である。何故、神職の葬祭にお寺さんを使うのかなどは愚問であり、神道ではどこでも良く、又参列者が多いだろうし、かねて同じ文京区でもあり、お付き合いがあるとの事でこの護国寺さんにお願いしたとご遺族から前にお聞きしていた。歴史的な建築物があちこちにあり、境内は未だ「江戸の香りの名残」が残っていた。
大変立派な葬祭であった。「神葬祭」は、故人に家の守護をお願いするための大切な儀式であり、人が亡くなることを「帰幽」といい、尊称としての「諡名(おくりな)」がつけられる。故人の名前+諡名+命(尊号)で、故人の名前が決まる。即ち男性の場合は、「大人命」とかいて、「うしのみこと」と読む。だから故押見名誉宮司様も大人命になられた。ちなみに女性の場合は、「刀自」と書いて「とじ」と読む。一方、日本神話において死者が行く世界は「黄泉の国(よみのくに)」と言い、これは生命と死の境界を象徴し、死者の安息の地とされている。神職であった個人は黄泉の国に旅立たれたと言う表現もある
私は先の密葬にも参列させていただき、今回の正式の神社葬にもお席を頂き一隅を頂いた。警視総監、元大臣、国会議員、文京区本郷界隈など斯界のトップの方々が参列された盛大な葬祭であった。私は事前にお送りさせて頂いた先の「浪速学院開校100周年時のお写真」が玄関傍の棚に他の多くの表彰状と共に置かれていた。こよなく母校を愛され、恐らく死期を悟られたのかどうか今になっては分からないが息を引き取られる1カ月前の「4月30日に一金1000万円を振り込んで頂いた深い母校愛」に対して深甚なる感謝の誠を捧げ、学校の更なる発展をお約束して玉串を捧げた。半世紀以上に亘って湯島天満宮を護持し発展させてこられたご手腕と業績は深く私の模範とすべき輝かしい実績であり今後とも学校の為にこの身を捧げるとお約束して雨が降り始めた護国寺を離れた。私の「涙雨」であると思った。
押見守康大人命のご神威のお蔭か、今日の「第二回目の高校体験授業」の参加者は何と、何と7月の1回目と合計して昨年の2倍の参加者となった。「2倍ですぞ!」、普通はあり得ないことです。ゆうに合計1500人を超えている。私は担当の先生方に受験生の中学3年生に対し「高校らしいインテリジェンスな授業」をお願いしており、各教室を回って様子を見たが素晴らしいものであった。合わせて保護者のいる教室にも回って本校への興味関心をお持ち頂いていることに感謝申し上げた。私は参加者のみならず模擬授業をしてくれた先生方に焼き立てパン一箱をプレゼントすることにし、入試広報部の近藤教頭に指示した。教材の準備から今日までのご苦労に対するせめてもの感謝の気持ちだ。土曜日、朝の9時から15時過ぎまで3部に分かれて教壇に立っていただくのは並大抵のことではない気力と体力を必要とする。
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