過日、中学の西田校長が部屋に来て「某マスコミのインタビューを受けて良いか」と承認を求めて来た。浪速高校2016年卒業のOBである「なにわ男子の大橋和也」さんが「学校時代に最も影響を受けた先生は?」と聞かれて現西田校長、当時の数学科教諭の西田先生の名前を挙げたらしい。それで記者から取材申し込みがあったという。私の返事は即座に「オッケー」であったことは当然だ。彼の事は良く覚えている。入学時から「芸能活動をしたい」という強い要望で、しっかりと学業成績を挙げれば卒業可能と言って入学を許可し、当時校長だった私が3年後の卒業証書を手渡した経緯がある。福岡県古賀市で生まれ、奈良県で1年過ごし、3歳の時に大阪府へ引っ越し、小学2年の時にダンスを始め、2009年4月、小学6年生でジャニーズ事務所に入所し、小学2年のころから芸能活動を始めた。
最初の事務所がジャニーズ事務所で、関西ジャニーズJr.として活動を開始した。今や俳優や声優、ミュージカル主演など幅の広いアイドルでもありタレントさんであり俳優さんだ。本校は決して学業をおろそかにしてタレント活動を優先はさせていないが、彼は本気で「なりたいものになった!」という輝かしい足跡であり、私は評価している。西田校長の思い出も「タレントの仕事の無い時は毎日学校に来ていた」と言っていたし、物静かな生徒で、とにかく「真面目」であったと言う。昼休みには彼の教室に女子生徒が「きゃーきゃー」騒いで覗き見るなどの光景もあったが、今や大橋君も夢が実現して良かったと思うし、傍らに浪速教育があったことが誇らしいと思う。誰彼、「大学に行かなくとも自己実現は可能」だ。
浪速中学校は少しずつだが、変化の兆しが見え始めた。「英検の成績」も上がり始めた。又今朝は「グローバル文化交流協会の仲立ち」でこの「25日に8人のフリッピンの義務教育関係者が本校を訪問」したい旨の要望で、前から存じているT代表が先駆けで打ち合わせに来られた。私は校長と教頭を交えて「心から歓待する」旨お伝えした。大層な喜びようであり、本校はフリッピンのパーペチュアルH大学とも有効な関係が有り、今や英語圏のフィリピンの教育省の幹部が来日されまず本校を訪問して頂くのは名誉な事である。私は準備万端抜かりなく、心してお迎えするように校長と教頭に指示した。