2021年11月10日水曜日

11月10日大阪に向かって「部活動外部指導者の招聘と教員の働き方改革」

 長崎は最初に我が国が世界に窓を開いた所であり、多くの「異国情緒」を感じる場所である。修学旅行にはとても良いところである。


日本全国に5班に分かれた生徒たちはそれぞれ思い出を持ち、今日中に大阪に帰ってくる。私も明日から仕事に戻る。頭の中を昨日くらいから徐々に切り替えているところだ。

まず長らく探し求めていた「クラブ活動の外部指導者」が決まったことを次の職員会議で全員にオープンにし、部活動指導スタイルを徐々に変えて行きたいと考えている。今回の「貴方を求めています!」では「陸上競技部、ダンス部、ゴルフ部の外部指導者」が決まった。簡単に見つかったでしょうと云われると困る。ここは教育の現場である学校であり、女生徒もいる。そのような所に「良く分からない経歴素性の人?」など入れる訳にはいかない。万が一問題などは発生したらこれは学校の責任になる。慎重に、慎重に探し求めた。勿論専門の技量とか指導力、それに戦績などは当然であるが「深い教育への理解」そして「浪速ファミリーの一員」として振舞って頂けるかということである。クラブはあくまで教育活動の一環としてとらえているから対外試合の勝ち負けが第一ではない。勿論多くの公式戦で上位に行くのは嬉しい話であるがそれは目的ではない。結果に過ぎない。学校のクラブ活動はプロセスが重要である。

外部指導者招聘のもう一つの大きな狙いは「教員の働き方改革」の為である。教科の指導者としてお迎えしたけれど、長い教育現場の慣習として教員がどこかのクラブ顧問を務めるというのがあり、それが負担になって本来業務である教科指導がおろそかになり、又時間外労働が増え、身体的、精神的負担になると本末転倒である。勿論保健体育科や一部の教員は学生時代からその道のアスリートとして頑張り、優秀な成績を収めてきており、私は本校のクラブ指導者としてお迎えした先生は当然別ものである。私は着任以来徐々に外部指導者の招聘を進めてきた。「現在本校には運動クラブ、文化系クラブの両方で56人もの外部指導者」を有しており、私は今教員の負担軽減のために更にエンジンを吹かしまくって体制を強化整備しているのである。

言い換えれば教育現場の「新しい光景の創出」を目指して頑張っているというところだろう。新しい光景と言っても目新しいことではないが、そこに「その道のプロを入れる」と言う事である。学校の先生に何でもかんでも要求する時代ではなくなったと思う。何時までも学校の教員は「きつい、長時間労働、休日も無し」の職場となり優秀な人材が逃げてしまう。教科の授業も部活動の指導も学校の先生に頼り過ぎないように配慮する考えを一歩先に進めそれを当たり前の形に変容させる。云わば「餅屋は餅屋」としてそれぞれが専門職として生徒の対応に当たって貰いたいのである。英語や数学の先生が「やった事もないスポーツ」をクラブ活動の顧問として生徒に接するのはその先生にも生徒にも辛い話だ。その為に外部指導者を積極的に招聘し適切な対価を払い「お任せする」。

このシステムの成功の為には「教員も意識改革」をして貰わねばならない。基本的に事前に方向性と指導方針を決めておけば後は基本的に「丸投げ」で良い。外部指導者を呼んだが実態は何も変わらずではこちらは泣くに泣けない。相当覚悟を決めて私は進める。新しい視点でのクラブ活動のやり方改革を両校長に指示している。順調に来ているが更に進めて欲しいと思う。外部指導者を雇用するのは私の責任であるがクラブ活動の改革は学校教育法が規定する教職員を監督する立場の校長の本来業務である。

今回招聘した陸上競技部には寺野伸一先生、(2004年アテネオリンピック出場)ダンス部は大塚みゆき先生、山内志津先生、ゴルフ部は青山剛先生、安部力先生である。青山プロは現役のトーナメントツアープロである。全ての人と私は面談し決定した。何れの方も素晴らしい経歴の持ち主で「本チャンの登場」と言えるが、成功の為には関与する教員の理解と支援が必要である。





2021年11月9日火曜日

11月9日修学旅行四日目「長崎ぶらぶら節」

遂に今年の修学旅行も実質最終日となった。五島列島から空路、長崎に入り、午後から市内の見学とした。「長崎ぶらぶら節」である。

坂本龍馬の亀山社中





寺町から眼鏡橋


今上陛下への献上カステラで知られる
長崎でしか買えないカステラ屋の匠寛堂さん



全国規模で有名なカステラ屋さん
福砂屋本店



大浦天主堂坂道ーオランダ坂?


大浦天主堂


開国の窓口となった「出島」



11月9日修学旅行四日目「五島列島つばき」

 快晴の中、今日は時間を許す限り五島列島の名所を回った。生徒は4班に別れてバスに乗り、元気良く出掛けて行った。あらゆる所に浪速高校歓迎の印があった。今日は町中、浪速の生徒で持ちきりとなる。彼らは今日も五島列島泊まりとなるが、私は午後の便で一足先長崎に入り、市内を検索する。生徒とは明日、長崎市内の何処かでばったり会うかも知れない。



五島列島は遣隋使の寄港地で知られている。古事記にも記され昔から交通の要所であった。水ノ浦(みずのうら)教会も有名である。この歴史は、江戸時代末期に大村藩領から移住した潜伏キリシタンのうち、5人の男性とその妻子らの移住にはじまりだと言う。福江には18もの教会がありカソリックの信者は五島市全体で30%以上だと運転手さんは説明してくれた。迫害の時代から信者さんは綿々と続いている。


お土産も買わねばならない。私はお買い物大好き人間である。まず五島列島酒造さんで当地しかない五島芋焼酎、それに五島うどんを買った。運転手さんは日本三大うどんの一つだと自慢する。讃岐うどん、稲庭うどんと五島うどん。確かに二回食したがあご出汁スープに五島椿油を使った細うどんは独特の風味がしてとても旨かった。



五島列島は椿の自生した椿の土地である。この関係で椿油が大変有名である。私の宿泊したホテルも五島つばきホテルとあった。あらゆるところにつばき、つばきだ。日本の西の果てにある長崎県五島列島、140余りある島々には、ヤブツバキが太古より自生していると言う。日本が原産となる野生の椿たちは、深い原生林の中、崖の上、海からの潮風をもものともせず。その数は五島列島全体で約1000万本を超える。「椿は強い。そして咲いたら最後に、潔く散って行く。」素晴らしい。私も椿を見習わねばならない!


2021年11月8日月曜日

11月9日修学旅行四日目「五島列島、生徒は元気!」

 昨夜20時定刻、無事に生徒の乗ったフェリーは私のホテルの真ん前にある船着き場に接岸した。疲れて萎れているかと心配したが生徒は元気そのもので安心した。今から直ぐにコンカナリゾートに行き、少し遅い夕食となった。特にコテージが良いので、ぐっすり休んで欲しと声をかけた。付き添い教員の団長さんには明日の開始は1時間ほど遅らせるように言い、私は安心してホテルに戻ったのである。



私にはこの地は修学旅行には決して悪くない場所だと思う。問題は天候の影響を受けやすい場所だと言うことだけである。生徒にとって素晴らしい時であって欲しい。この地はサイクリングとか釣りとか暫く滞在するリゾート地であると感じた。同じ飛行機に乗りあった人も多くは釣り人であった。とにかく生徒のアンケート結果を待ちたいと思う。全てはそれからだ。

昨日、雨の中を有名な「堂崎教会」に行った。ここは明治13年(1880)創建、明治40年(1908)改築の建物で明治6年(1873)の禁教令解禁後、五島に初めて建てられた天主堂である。二十六聖人の一人、ヨハネ五島を記念して創立され、当時イタリアから持ってきた赤レンガのゴシック様式天主堂内にはキリスト教弾圧時代の資料が多く展示されていた。私は多くの事を此処で勉強した。この古さが堪らなく素晴らしい。


長崎市には観光スポットが、実に多い。近代日本の創立に大きく、貢献したグラバーの足跡を辿るクラシカルな洋館「グラバー園」,世界中を感動させた「信徒発見」の舞台「大浦天主堂」,江戸時代の西洋文化にふれる「出島」そして「坂本龍馬の亀山社中」、被爆の惨状と平和の尊さを伝える「長崎原爆資料館」など等である。

従って生徒には長崎での1泊が必要ではないか?と、思った。ハウステンボス二泊、五島列島二泊では、余りにもアクティビティ優先で少し物足りない気がする。特に島への渡航は天候のリスクがあり、日数が短いだけに影響が大きいと思う。予感がしたのか、私は今回このグループに入って実地体験出来たことが良かったと思う。

来年の五島列島は再考する?

 この事態を「お天気には勝てない」とあやふやにするわけにはいかないと思った。確かに下見までして色々と考えて決めた旅程である。しかし生徒にとって折角の修学旅行であり、貴重な時間である。天気で予定が変わるリスクを極限まで考え、スケジュールを組むべきと反省した。今回の件を検証し、生徒からのアンケートを取り来年に備える必要がある。場合によっては五島列島を外し、他を探すこともあり得る。

しかし今日は予定通り、進めるしか手はない。問題が出た時にこそ真価が問われる。乗船の遅れた生徒には、待つ間予定外の見学先を入れ、夕食には豪華なフードコートに連れていき、金券を渡しそれぞれが、好きな軽い夕食を取らせることにした。船酔いのリスクの為に酔い止め薬も手配したとHISさんは見事に対応してくれた。後は無事な到着を待つだけである。私の部屋からフェリーの船着き場が見える。

私は生徒を待つ間、生徒の宿泊先等を視察した。生徒はリゾート施設の「コンカナ王国」に2泊する。コンカナとは「来んかな」だと言うからこれには笑った。生徒には余り移動させず同じ所で友達と遊ばせる方が良いとの基本原則だからだが、五島列島は二日間、充実した時を果たして過ごせるのであろうか?コンカナ王国は準備万端整えて生徒の到着を待っている。ホテルの部屋でなくコッテージ分散宿泊である。




五島列島はキリスト教が禁じられていた時代に、その信仰を守ろうとした人々が移り住んだ場所でもあ、2018年に登録された世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」にも五島列島内の複数のエリアが含まれている。だから、この地を選んだのであるが。



11月8日修学旅行三日目「五島列島に向かうが?」

 温泉地で噴煙や熱湯が地表に吹き出している場所は「地獄」と言われている。雲仙温泉で地獄を見たから、今度は「地上の天国」と言われている五島列島になると大いに期待していたが?



とにかく予定通り、雲仙を後にして再び長崎市に向かった。五島列島は長崎港から西に100kmに位置し、北東側から南西側に80km(男女群島まで含めると150km)にわたって大小あわせて152の島々からなる。陸路はない。今日の生徒は軍艦島見学の後、高速艇で列島最大の島、福江島の港に16時に接岸する予定であった。

一足先に空路五島市福江に着いていた私が岸壁で生徒を迎える手筈であったが、懸念していたことが発生した。天候である。3日ほど前から今日8日は雨模様と出ていたが朝から降り始めた雨は徐々に強くなり風も出てきたのである。まず私の乗る予定のフライトは11:30分ギリギリまで決まらず、もし五島つばき空港で着陸出来ねば長崎に引き返すと言う条件付きフライトとなったのである。

それでも何とか飛び立ち、風雨のなかを飛行機は上下に大きく揺れながらも着陸出来た。問題は生徒の乗る高速艇である。運航され、五島福江港に渡岸できるのか心配になってきたのである。

案の定、軍艦島にはそば近くにまで行けるには行けたが接岸出来ず、島周辺の旋回航海で港に戻るはめになった。そして列島渡りの予定の高速艇は運行中止となり、その次の高速艇もキャンセルとなった。結局最後の方法として夕方5時のフェリーとなったのである。これでは福江港に到着出来るのが夜8時となる。

11月7日、修学旅行二日目「島原、原城跡 」

 軍艦島の後、遅い昼食となった。狙いは勿論「長崎チャンポン」だ。船着き場の前に有名な四海楼という中華のお店があり、そこを考えていたらしいが、満杯で待ち時間が30分以上と言われたので観光タクシーの運転手さん、一推しの大衆食堂みたいな所に入った。ところが味は最高で値段も安く随分と得をした気分になり、車は一路「島原地方」に向かった。

行き先は島原の乱で知られる南有馬の「原城跡」である。天草四郎時貞率いるキリシタンが幕府に抵抗し抗戦したがやむなく敗退し4万人弱と言われる人々が全員処刑された悲しい物語の跡である。徳川初期、家光の時代だ。広いお城は跡形もなくただ石垣のみが残っていた。草蒸す石垣は人を物悲しくさせる。有明の海に面し対岸は熊本である。私は「有馬キリシタン遺産記念館」の館長さんにこの地方にはまだクリスチャンはいらっしゃいますかと馬鹿な質問をしたが、お答えは「一人もいません、殲滅されましたから」とのお答えだった。


「島原の乱」は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の農民一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。島原・天草の乱、島原・天草一揆とも呼ばれる。 私は南島原の後は明日朝から、これも潜伏キリシタン史跡を見るべく五島列島に向かうことにしている。20186月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として晴れて世界文化遺産の島となった五島列島は日本の西の果てにあり、目とはなの先は韓国である。

今宵の宿は隣の町である雲仙市であった。19901117日、普賢岳の火砕流で多くの方々が犠牲になられ、今なお眠っておられる雲仙岳を見ながらご冥福を祈った。山肌はまだ他の山々と違っていた。