2021年11月8日月曜日

11月7日、修学旅行二日目「島原、原城跡 」

 軍艦島の後、遅い昼食となった。狙いは勿論「長崎チャンポン」だ。船着き場の前に有名な四海楼という中華のお店があり、そこを考えていたらしいが、満杯で待ち時間が30分以上と言われたので観光タクシーの運転手さん、一推しの大衆食堂みたいな所に入った。ところが味は最高で値段も安く随分と得をした気分になり、車は一路「島原地方」に向かった。

行き先は島原の乱で知られる南有馬の「原城跡」である。天草四郎時貞率いるキリシタンが幕府に抵抗し抗戦したがやむなく敗退し4万人弱と言われる人々が全員処刑された悲しい物語の跡である。徳川初期、家光の時代だ。広いお城は跡形もなくただ石垣のみが残っていた。草蒸す石垣は人を物悲しくさせる。有明の海に面し対岸は熊本である。私は「有馬キリシタン遺産記念館」の館長さんにこの地方にはまだクリスチャンはいらっしゃいますかと馬鹿な質問をしたが、お答えは「一人もいません、殲滅されましたから」とのお答えだった。


「島原の乱」は、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の農民一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。島原・天草の乱、島原・天草一揆とも呼ばれる。 私は南島原の後は明日朝から、これも潜伏キリシタン史跡を見るべく五島列島に向かうことにしている。20186月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として晴れて世界文化遺産の島となった五島列島は日本の西の果てにあり、目とはなの先は韓国である。

今宵の宿は隣の町である雲仙市であった。19901117日、普賢岳の火砕流で多くの方々が犠牲になられ、今なお眠っておられる雲仙岳を見ながらご冥福を祈った。山肌はまだ他の山々と違っていた。