「泣きっ面に蜂」と言う言葉がある。ご承知のように困っている状況や悲惨な状況においてさらに困り事や不幸・災難が舞い込んでくることを例えて言うことわざであるが、時に「踏んだり蹴ったり」を用いたり、上品な言い方では「弱り目に祟り目」とも言う。しかし本校では生徒も教職員もコロナ禍でも気力は衰えていなし、学院神社の大神さまが護ってくださっているから、このような言葉とは無関係だ。台風14号で危ぶまれた秋季例祭と浪速祭は少し簡略版ではあったが無事に挙行出来、重要な学校行事が一つ済み、一安心している。コロナ、コロナの中での台風だから、もし臨時休校にでもなったら、泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目と愚痴の一つも出て来たかも知れないが、爽やかな秋風を感じる例祭となった。基本的に私は生まれつき「運の良い男」でこの運の良さは死ぬまで続くと勝手に思っているが果たして?従って私に近い人々は皆、運が良くなる筈だが果たして?
今日の例祭では実際の「稲穂」を用いて、日本と言う国「豊葦原瑞穂の国」と稲穂の関係性について神話をベースに生徒達に語りかけるように話した。日本書紀に「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」という言葉があり、「吾が高天原にきこしめす斎庭の稲穂を以て、また吾が児にまかせまつるべし」と書かれている。神社神道では、天照大御神のお孫さんである邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原からこの日本の国土(高千穂の峰)に天降られるに際し、天照大御神から賜った稲穂で、豊かに生い茂るあの端々しい聖なる国、日本を、代々私の子孫が治め、この稲穂を地上で育て主食とさせ国民を養いなさい言われた伝承であると続けたのである。だから我々日本人にとって「お米は特別な食べ物」であるという事を強調した。今でも時々テレビで見るように今上陛下は宮中の稲田で稲作をされておられるのである。
秋季例祭はそうした意味で稲を刈り取る季節に行われ「五穀豊穣」を感謝する為のものであると話したのである。それにしても本日の秋季例祭は気持ちよく斎行出来た。特に雅楽部の奉納した「豊栄の舞」は素晴らしい出来栄えであった。生徒も学校も元気であり、コロナに負けず知恵を出し合い、気力を失うことなく頑張って行こうと改めて決意をした。神社神道の学校であることを教職員、生徒には最大限の誇りを持って頑張って貰いたいと思う。直会として全校生徒には「ノート」、教職員には「昼食弁当」、そして私には神様にお供えした「真鯛」を戴き物として頂いた。今晩の夕食に食するのだ。何時もの習わしである。春季、秋季と年2回ある私にとって最高の幸せの時間だ。何しろ神様から頂くのである。