2021年9月6日月曜日

功名よりも守拙が良い

 今日は月曜日。月曜の朝に私が最も気にかかる事はやはり「生徒の登校状況」である。今では勿論コロナ感染である。果たして何人の生徒の欠席連絡があるのか、まずその数値から分かる。「先週の土曜日から学級閉鎖は解かれ」生徒は元気に登校して呉れ、一安心したばかりであるが週末を挟んで今週はどうなるのか。生徒の罹患は殆どが家庭内感染や兄弟からであることが本校のデーらからは分かっているから逆に自宅で居る週末は怖いという感じもある。生徒にとって最も安心できる場所は学校でなければならない。学校はコロナと無縁の場所でありたいと思う。その視点から学校の新しい形を作っていく積りである。 

毎朝、高校教頭からまとめて私に報告がくるのだが今朝の段階では新規感染の生徒はいなく、欠席率も減少してきた。自宅待機中の生徒は高校1年生だけで2年3年は心配ない。はやり基礎体力も影響しているのだろうか。高校1年はまだ中学生っぽいところがあるから幾分感染耐性が弱いのかとも思ってしまう。しかしそれを言うと浪速中学校の生徒感染が極めて少ない説明とはならない。いずれにしてもコロナの事は我々には分からない。分からないから今出来ることを「愚直」にするしかない。コロナを回避する「巧みな方法」は全くない。生徒にワクチンが打てていないだけに辛いのである。 

利休は茶の神髄は世俗を離れた別天地にあるものではなく、日常のなにげない行為そのものにあると教えており、茶の点前を繰り返すだけが稽古ではなく、毎日の一挙一動すべてが己を磨く機会だと言うのである。東洋の芸術論の根本には、「巧妙よりも守拙」を尊ぶ姿勢がある。「拙」とは巧の反対で、愚直稚拙の拙である。つたない、鈍い、愚鈍、つまり守拙とは、あくまで「愚直に己を飾らず、正直に誠実に事にあたる」ことである。小器用な才子は、ある段階まではとんとん拍子に出世も進むが、結局は才に溺れて大成しない。これにひきかえ愚直なものは愚直ゆえに倦むことを知らず、ついには物事を成す。 

今日、来客があった。予てから知人でこの方は某学校制服の会社の社長さんである。長い間本校に制服を供給してくれた別の制服会社の幹部であったが事情があって退職された。あの東日本大震災の時にも入学式までに生徒の制服を一着残らず届けてくれた。日本の制服業界でこの人の名を知らない人は居ないくらいのお方である。このお人は一見愚直であるし、全くスマートではない。しかし誠実さと真面目さ、時にユーモアと決断力を併せ持っており、私とはどこかピントが違っており逆にそこが気に入っていた。何十年務めた大阪制服業界の著名人が今後どうされるのか心配していたが、すぐに請われて別の会社に招聘されて1年後にトップに就任された。人はこの人を見ていたのである。私はこの人と話すのが楽しくてならない。私を慕って時々来校されるが「味がある」のである。およそ私と両極にいるタイプであるが自ずと身に付いた「守拙」の雰囲気を私は高く買っている。功名よりも守拙が良い。何時も帽子を被り、敢えて言えば私が苦手と感じるのはとても汗かきで、話すときに唾を飛ばされる点だ。それ以外は素晴らしい。