2021年9月15日水曜日

「教員免許更新制の廃止」

 今年8月文部科学省の発表であるが学校現場にとっては極めて重要な法律が静かに2023年までには消え去ることが決まった。この学校の設置者として私は「歯がゆくて仕方がない気持ち」と、「まぁ良かったかな」のだが、決める権限を有しているところが法的に適切に進めた結論だから今更「石を投げても」詮無いことだ。基本的に中央省庁や「教育審議会に属する有識者なる」人々は「教育は語れても」、いざ法制化する段になると「少しピントがずれた案」がどういう訳か出て来る。恐らく教育現場の実態をご存知ないか、急激な変化を好まないか、妥協で間を取るとかの理由だと思うが、「タマムシ色」で結果として現場は変わらない。だから私は余り審議会とか有識者会議なるものに大きな期待はしないようにしている。彼らには現場の責任が無いから何でも好きなように言える。組織の存続発展に全責任を持つものが、「背水の陣で改革を進める」という覚悟さえあれば「何でもやれる!」。私はこの考えに立つし、それで今までやってきた。

 


一旦教員免許を取って学校の先生になればそれまでは「生涯にわたって、先生」だった。自動車運転の免許さえ「更新制」があるのに学校の先生は「ずっと先生、先生」と呼ばれ、ろくな働きをしなくても学校から給料を得ていた。当然、このような組織には「黴が生え」、「駄目教師」が出て来る。刺激も無ければ、首にならないから、自分を高めようとする風土も気運もない職場の宿命である。2007年1月当時の第一次安倍内閣は社会風潮の後押しを受け「教育再生会議」の議論を経て「不適格教員の排除」を目的として「教員免許更新制」を答申し、2009年4月からこの制度が開始された。当時大きな話題になったものだ。

 


この時私はこの学校に来て3年目であったが、この時点で「この法律は??」を感じ取っていた。この法律の致命的な失敗は「ダメ教師の排除ではなくて能力向上」にとどまったからである。教職員組合との軋轢を考えたものであろう。「ダメなものは駄目」であり「ちょっとやそこら」の研修で駄目なものが良くなる筈はない。そしてこの年2009年の衆院選で教職員組合の支援を受けている左翼的、リベラル的な当時の民主党政権が誕生し、この法律はそのままになって今年の8月、先月の事だが「発展的解消」として実質的なこの法律が終わることになった。わずか11年の命である。短かったなとの感慨だ。 

とにかくこの法律は課題が多かった。まず全員受講としたことである。人格も指導力もある立派な先生にまで更新を受けさせたことである。大学などでの30時間以上の講習、講習の中味、自腹での3万円の受講費など毎日が忙しい教員の負担感と講習内容への不満が噴出してきた。元来この種の法律は「抑止力」を期待してものだが、良い教師もダメな教師も同じ内容で研修を受けさせたことがまず失敗である。良い先生とは常に自らの努力で向上し続けているから良い先生であり、官製の余計な研修などは不要である。問題は教師として不適格な教員の「立ち直り、向上」である。ここが難しい。簡単な話ではない。一旦雇用した教員の「排除の論理」が簡単ではないだけに駄目教員に「先生、頑張ってくださいの激励の研修」だけでは駄目先生は生まれ変わらない。人間はそう簡単に変われない。大体自分が駄目だとは分かっていないのではないか。

 


教育現場は急速にデジタル化が進み、新しい視点でも英語教育、情報教育など新たなカリキュラムの導入、いじめや教員のわいせつ事件など現場の課題は待ったなしの状態が今後とも続く。そういう中で周囲との協調性が無く、唯我独尊が生き方だと言い張り、自己を啓発しようとしない教員、他と違う性格的性癖を有する教員、ICTに全くついて行けない教員などなど不適格教員、不適格の一歩手前まで来ている教員を抱えている学校の責任者を支援する法律など今後とも期待してはいけない。然らばどうするのか?それは貴方自身が考えよ!方法は幾らでもある!私はそれをやって来た。「本校には少なくとも不適格教員は一人も居ない」。だから浪速の今がある。