2021年12月8日水曜日

「人の話をよく聞く」

 自民党総裁選挙を経て、第100代内閣総理大臣に就任した岸田文雄氏の「売り」は自らが言っておられるように、特技が「人の話をよく聞くこと」だという。これ以来このフレーズは少し有名になってきた。日本語の妙で人の話を良く聞くというと「言った人達の言う事を受け入れる」と誤解されがちだが、決してそうではあるまい。例えば100人の人の話を聞いて誰もが満足する一つの施策を纏めようとしても、それは不可能な話だ。その点、英語は便利で人の話を聞くとは「listen to peoplelisten to others」だから極めて物理的で単純明快である。日本語には人の話を聞くのが上手い、いわゆる「聞き上手」という表現もあり、その究極が「何にも云うな!俺の顔を見ろ、悪いようにはしない」で済ます人もいる。 

いずれにしても人の話を聞くと言う行為は人に良い感情を与え、好かれる比率が高い。この理由は聞き上手な人は「聞き役」になることで、相手を気楽にさせているからだと思う。「大概の人間は聞くよりも話すほうが好き」である。何故なら人は話を聞いている時よりも話している方が心理的に楽であり、悩んだ時など、人に話すと楽になるし、いい事や嬉しいことがあれば人に話したくなることからも良く分かる。これは次のような考えに基づくのではないか。聞いている方、聞かされている方は話している人の話や気持ちを理解してあげなければならないので、話す時よりも負担がかかる。つまり、聞き上手は話している人を「聞くストレスから解放」しているのである。ところが聞く方はその分自分がストレスを抱え込んでいるのだが、その議論は少ない。最も「聞き流す」手もあるが、それが私には出来ない。聞いた以上は動かなければならないと決めつけているから。

私に限って言えば嬉しい時や苦しい時に人に話すと楽になるという経験も無いし、その気もない。生きて行くと言うことは人との関係で、そのような苦しみの中に身を置いているという事だ。苦労が嫌なら金剛山の頂上で「仙人みたい」に生きるしかない。まず自分を強くするしか手はない。私は聞くよりはどちらかと言えば話す方が得意かも知れないが、それは「仕事」だからである。人の話を聞いているばかりでは組織は守れないし、仕事にならない。木村は聞き上手だと言う人は全く居ないと思うが、「どっこい!」、これで結構人の話を聞いている。元々気は長い方ではないが加齢と共に人の話を聞く労力は相当なものであり、自分の残りの人生の大切な一分、一秒を特段、考えもせず、勉強もせず、調べもせず、自分が損にならないように、得するように、一方的に「グダグダ」しゃべる人の話を聞く事はこれはもう苦痛で地獄に近いから止めた。私は心理療養の医者ではない。私は「決めることが仕事」の学校の理事長、設置者である。

 

従って木村流の「人の話を聞く手法」とは①関係の人々に諮問して答申を受け、それを尊重するやり方②プロジェクトを組みその研究結果を尊重して施策に活かす事③アンケート結果から人の話を読みとる事の3点かも知れない。私が多用している手法は答申を受けるである。今日も私は校内理事と一部の関係管理職、指導教諭を呼び「令和4年度からの働き方改革の最終答申」を求めた。この中に令和3年度、この1年間の実践に裏付けされた「学校の集大成の意見」がまとまってくるだろうからそれを尊重したいと思う。彼らはこれが出来る能力有る人々であるし、やるべき責任を有している。従って理事長として出て来る意見を尊重せざるを得ない。これが「私の聞く力」である。