今日は12月1日、陳腐な表現だが今更ながら感じるのは「時の経つのは早い」ということだ。歳を重ねるにつれ、その感じが加速している。朔日と言う事で「一斉参拝」の日であった。風が強く、代表参拝の形式で生徒は教室からの遥拝とした。今年は結局全てこの形に終わったことになる。仕方がない。この日は「月度一回の学院長講話の日」である。私が直接生徒に語れる唯一の機会とも言える。やろうと思えば何回でも出来るのだが基本的に学校は校長と生徒の関係が普遍的なものであるから、私が余り生徒の前面に出ないように心がけている。その分校長には校長講話として生徒指導や、教員の行う教育活動全体に目を配って成果を上げて貰わないといけない。明日からは期末試験が始まる。今年もカウントダウンが始まった。
私の名刺には理事長・学院長と記されている。これは自分が勝手に名乗っているのではなくて正式に理事会・評議員会で決定された職位である。理事長は学校法人の設置者であり、経営が主務である。財務財政、雇用、人事、投資、施設管理他が主務であり生徒に直接接する機会は基本的に無いと言って良いが、学院長は高校と中学の校長を指揮監督し「教学の評価」を行う重要な業務がある。だから生徒の前に立てる。ただ高校と中学の両方とも直接的には校長が「校務を運営し教職員を監督する」のが法的基準であるが、学院長が教学の中味について「両校長に口出し」出来なければ、場合によっては中学校、高校がバラバラな方向に向かったりし、学校法人は目標を見失い混乱する。今でもそのような学校は多くある。その為に多くの私立は学園長とかの職位を理事長が兼務しウオッチし、指導しているのである。本校は浪速学園ではなく浪速学院だから学院長なのである。
今日の学院長講話では私は「お天道様が見ている」「天網恢恢疎にして漏らさず」の格言について話した。母方の祖母や母から小さい頃良く云われた文言で今でも頭にこびりついている。ある程度のご年配の方には直ぐに理解できる言葉であるが、今の若者には分からない言葉であろう。人間の悪事に対して、ほかの人間が誰も見ていなくても太陽はきちんと見ているのだから、どんな時でも悪事ははたらかぬべきだと説く意味で、お天道様がそのまま太陽を意味することもあれば、神や仏といったものの象徴として扱われることもある。似たような言葉に「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」というのもある。古代中国の「荘子」にあるもので天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるという意味である。
私の学院長講話にはこのように格言などを流用し生徒の心に働きかけるケースが多い。案外短い言葉の格言はすっと生徒の心に入ることがある。実は少し生徒生活指導に関して、気になることがあったので私は白板にこれらの字を書いて心を込めて生徒に話した。目の前の代表生徒は目を皿にして聞いてくれていたが、教室の生徒も意味は分かってくれたと思う。その他学院長講話としては当然新型コロナの事や修学旅行の総括について話した。修学旅行と言えば今の高校3年生はその機会をコロナの為に失し、昨日PTA会長が1月の卒業式で何か「パーフォーマンス」してやりたと相談に来た事を思い出した。せめて修学旅行の無かったこの学年にPTAとして何かをしてやりたいと言うのだ。素晴らしいPTAである。