「書道または書」とは、書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。中国が起源であるが、日本においても独特な形態で発展した。書道と言う様に墨を使って文字を書くことは武道、茶道、華道などと同じように「精神性が問われている藝術」なのだと思う。私は着任した平成18年、古い校舎を見て回り、「書道教室」が無いことに大いに落胆した。本校は神社神道の学校であり、全国津々浦々のお宮さんでは掛け軸や扁額に収められた書が多いのに「何故、神道の学校で書道を教えていないの?」と思った当時の感慨は今でも心の奥底に残っている。私の執務室の後ろは伊勢神宮の大宮司様から頂戴した「浄明正直」の扁額がかかっている。これは本学院の校訓、校是である。又事務室前には「常若」の扁額が掲げられている。これは本校名誉理事長である神社本庁長老の寺井種伯先生の書である。
ある程度の年配層には小学校や中学校で「習字」と言う時間があり墨を磨り、半紙に筆で字を書いてそれを先生から赤筆で手直しされて「字を覚え、上手く書ける」ようになったものだった。当時は町中あちこちに書道教室やそろばん教室が有り、書とそろばんは教育の原点ではなかったか?今やその伝統や風潮は消え去っている。然らば一般教育として書道を学校で教えなければならない。これが改革の原点であった。学校教育における「芸術教科」は主に「芸術三科」と言う様に美術、音楽、書道の事を言う。4科と言えばここに工芸が入るのだが当時の本校には美術教育のみで生徒は全て美術しか教育を受けることが出来なかった。私はこの事実に対して「悲憤慷慨」して改革を進めた。まず音楽教育をカリキュラムに加えて音楽教師を採用した。これはピアノや楽器を購入することで比較的早く実現できたが問題は書道教育であり必要な書道教室が無かったしその場所も無かった。新校舎建設の段階まで待ち、ようやく満を期して私自身が精魂込めて設計した書道教室が完成した。これで書道教育が可能となり、その時の嬉しさは格別だった。
3教科が揃い生徒は選択する機会をようやく持てたのである。部活動としての書道部も出来、活性化してきている。「絵を描くことが好きな生徒」「音楽が好きな生徒」「書が好きな生徒」に分散するもので美術1科目しかないような学校は「情感豊かな学校」とは言い難い。芸術は、音楽や美術などの芸術について学習する教科であり、現行の日本の学校教育制度上、極めて重要なものであると私は認識しており、「あるべき姿」を実現したのである。昨日道頓堀の松竹座の前にある香ギャラリーにて本校書道部の部員が世界平和を祈願した大阪護国神社での奉納書道において指導を受けた書道家の田邊柳奨先生の個展があり私は学校を代表してお花を贈り、鑑賞させて頂いた。