2022年8月27日土曜日

硬式野球部、軟式野球部 「人心の一新」

 「人を変える」「やり方を変える」などは口で言うほど簡単なものではない。人それぞれ、何十年も生きてきて、その人なりの人生経験があり、考え方も固まってきている人々に「変えよ!」と言っても簡単にはいかないものだ。それが人間である。その人が生きてきた過去によって今があり、それを全面否定しては「にっちもさっち」も行かなくなる。組織体はそのような年齢、経験、学歴、職歴、専門性の異なる人々が集まっている集合体であり、それを統一しベクトルを合わせて全軍を前に進めるのは容易なことではない。しかしそれをやり切ったところが戦いには勝つ。従って組織の長たる者の「柔軟性」と「人を観る」センスは組織管理者が持つべき最重要なものである。これは私の信条だ。だから何時も「人間に興味関心があり、人に会い、話を聞き、私の考えを述べる。」 


今朝ほど昨日行われた公立中学校の先生方への学校説明会の詳細な報告を教頭から受けた。私は「今のままでは駄目だ」と感じた。彼自身が公立中学の教員であったものを私が採用し今日まで育て上げて来た人物で、公立の先生方のお気持ちとスタイルは十分すぎる程分かっている筈である。私は「来年度から根本的にやり方を変えよ!中身を一新せよ!」と指導した。「本校は真面目ですね」だけでは私は満足しない。私が声を張り上げないと幾ら待っても今のスタイルから抜け出せないだろうと思う。校長の挨拶、ICT教育の説明、進路指導の説明など歌舞伎みたいに「型通り」にやっても公立の先生方を感動させるプレゼンにはならない。又その後入って来た入試広報部長の明日の3回目となるクラブ体験も「何時でもどうぞお越しください」のスタイルにしなければならない。「この日に集まって」と言いながら、希望人数を超えたら人数制限をかけるなどは「愚の骨頂」である。 

「人心一新」と言う言葉がある。人々の心を全く新しくすることであり、一新は古いことを全く改めて新たにする意味だ。この事によって人々の気分や態度を新たにさせ、又「頑張ろう」と人々が新しい気持ちになるような政策や改革を行うことだ。これに対して「刷新」は「よくない状態をあらためて、全く新しいものにすること」という意味で、根本的に異なる。余談だが「更新」は前の状態を新しくして改める意味で日本語はこのように使い分け出来で有難いものだ。とにかく人心の一新には「人事で一心」することが手っ取り早い。

私はこの9月から硬式野球部と軟式野球部の「責任教諭を一新して人心の一新」を図ることにした。これらは刷新でなく更新でもなく一新である。野球部だけに使われているのだが責任教諭とは部長である。監督やコーチは学校の教員でなくても良い。外部の人でも学校の用務員や事務員でもOKだが、部長は正式には「責任教師」といって、教諭でないといけない決まりがある。役割分担はそれぞれの学校で違うのだが、監督・コーチは野球の指導、部長は総務的な仕事を行なうことになっている。しかし野球と言うスポーツは圧倒的に監督の存在感と職務権限は大きい。要は部長は陰に回り、監督がやり易いように裏方に徹することが必要だ。今まで本校では「責任教諭は専任教諭でなければならない」としたが今回から硬式も軟式も責任教諭は契約1年更新の常勤講師の先生にお願いする初めてのケースとなった。これも画期的な事だ。この人心一新で外部招聘監督である硬式の遠山監督も軟式の吉岡監督も自由に自分の思い描く、良い仕事をして頂けるだろうと思う。人事は時に「気分が一新」され、とにかく、その部門の長がやり易いようにすることが重要である。それをするのが私の仕事で責任である。