2026年3月10日火曜日

勤則不匱「勤(つと)むれば則(すなは)ち匱(とぼ)しからず」

 昨日はNHKでも民法でも大阪の教育界の話題として公立高校の出願倍率が昨年を超えて1.05倍になったと報じていた。昨年より募集定員に充足しない学校は10校ほど減少したということと、シンボルみたいに口の端に上ったのは伝統校である寝屋川、八尾、鳳の3校が募集定員を割ったという話である。昨年のSNS上では「まじか」「名門やのに」「えぐいな」などのコメントが溢れていた。しかし今年は八尾、寝屋川は埋まった。これを受けて府の教育長は「公立の復権が少し戻ったのではないか」とコメントされていた。私は正直な話、「本当かな?」と思う。その公立は今日が入学試験で合格発表は19日である。この日本校の併願戻りが決定する。 

本校の試験で併願合格を取った生徒の専願への切り替えがまだ進んでおり昨日で19人となり昨年の18人を超えた。専願入学者は何と908人となった。明日、公立の試験日に何時も本校は「専願点呼日」として生徒を招集している。友は公立の試験を選択し、自分は私学専願とした事から、恐らくあるかも知れない複雑な気持ちの時に間髪を入れず、学校に呼び寄せ近未来を想像させてチアアップする目的も入っている。

 今日は久しぶりに新中学校棟の職員室を巡視した。その場所にある「来客応接室」に掲げる「扁額」久しぶりに見に行ったのである。私には「強いこだわり」があって特別な部屋や特定の壁には「絵画」「墨蹟」「写真」「焼き物」等々「歴史的意義や意味あるもの」を掲げる。その作品は「伝統、歴史、精神」等々を放つものとし、多くの人々に発信するようなものである。公式の場所に掲げ未来永劫引き継いでいくという意思である。この応接室には「澁沢栄一翁」の言葉から「勤則不匱」(きんそくふき)の書を模して本校初代校友会会長、枚岡神社宮司の中東弘先生に書いて頂き、学校で外部に依頼し表装して貰った。今でも2025年3月に開催した校友会の発足パーティを思い出す。この時にこの扁額はお披露目をした。 

「勤則不匱」という言葉は孔子が編纂したと言われる歴史書「春秋左氏伝」が出典のようで、「勤(つと)むれば則(すなは)ち匱(とぼ)しからず」と読み、努力さえすれば乏しくなることはないという意味である。読みも意味も極めて難しい字句である。この勤則不匱の言葉は渋沢栄一の遺墨集にも掲載されておらず、中央館8階の閉架書庫で司書のHさんが本の整理をしていたところ、「講和實例書翰文自由自在」(森本謙/編著 文江堂)で大正4年(1915)6月に発行された書簡(手紙)の文例集の中からこの字句を見つけ出してくれた。極めて珍重すべき書物であり、今やこの本でしかこの勤則不匱の言葉を見ることは出来ない。

実はこの年の108日に大阪市公会堂(現・大阪市中央公会堂)で定礎式が行われ、そのお祭りの斎主は本校の起点となる大阪府皇典講究分所の教授で、難波神社・枚岡神社宮司の「武津(ふかつ)八千穂(やちほ)」氏、その人で武津は、国学を本居豊穎(とよかい)に和歌を陸奥宗光(むつむねみつ)の父親の陸奥千広に学び、渋沢が明治41年東京の皇典講究所の理事を務めていた時には文学博士をしていたというスゴイ人物で、今でいう最高のインテリジェンス人物である。旧制浪速中学校は創基をこの大阪皇典講究所としており、今回揮毫をお願いした枚岡神社の当時の武津宮司とその後人となる今の中東宮司様の関係から私はこの字句を頂いて中学校棟2階応接室に掲げることにしたのである。爾来次の百年に向かってこの「勤即不匱は浪速中学校の特別なワード」としている。私は職員室におられた先生方に如何にこの言葉は大切なものかと語り、伝統ある浪速中学校の為に今後とも頑張って欲しいと激励したのである。